1
常盤台中学、という中学校がある。
『学舎《まなびや》の園《その》』という五つのお嬢様学校が作る共用地帯の一角にある、学園都市でも有数のお嬢様学校だ。同時に、この学校は学園都市で五本の指に入るほどの名門校でもある。超能力の開発を生徒に課す、という学園都市の教育基準において、その最高峰であり七人しかいない超能力者《レベル5》のうち二人が在籍、大能力者《レベル4》は四七人、それ以外でさえ最低でも強能力者《レベル3》というエリート具合であり、全生徒の能力干渉レベルを総合すると生身でホワイトハウスを攻略できるとさえ噂されているほどだ。
……まあ無論、当の常盤台生も『みんなで集まればホワイトハウスを攻略できるレベルである』なんて与太話を信じることはない。
何故なら彼女達は、自分達の頂点に立つ二人の超能力者《レベル5》一人ずつだけでもアメリカを征服できるだろうと考えているのだから。
「……ま、アタシにゃ関係ない話だけどさ」
ただ、そんなエリート中のエリートな学校にも落ち零れという存在はいる。
少女はごろりと自室に備えられているふかふかのベッドの上で寝返りを打った。決して長くはない地毛の金髪が彼女の口元に引っかかったが、今はそれをわざわざ指でぬぐう気分にもなれなかった。
彼女は一年前、現実というものを知った。
学園都市の名門常盤台中学に何とか入学し、これからは能力を磨いてエリートの道を進むものだと何の疑いもなくそう思っていた。
だが、現実というものは悉く彼女に対して残酷だった。
必死に努力して、やっと手に入れた強能力《レベル3》。しかし、彼女の同学年にはあろうことか学園都市で三番目に優秀な超能力者《レベル5》がいたのだ。たとえ自分が必死に磨き上げた強能力《レベル3》という宝石があろうと、超能力《レベル5》という太陽の前ではただの石ころ。
その上、彼女の能力は筋力構造を組み替えることで、一時的に身体能力を向上させるという地味なものだ。実際には身体能力向上の反動といったものを軽減させる措置など、専門家が見れば少なからず唸ってしまうような緻密さを持つのだが、肉体操作の専門家などそうそういるわけもなく、しかもいくらエリート校とはいえ中学生。目に見える派手さやあからさまに難しい理論が物をいう世界である。
結果、彼女の劣等感はあっという間に爆発した。
ただ、彼女は大人だった。
血反吐を吐いて青春漫画のような努力をして少しずつ能力を上げるでもなく、かといって自分の才能のなさを嘆いて腐り堕落するでもなく、『常盤台中学』というステータスを維持し、この裕福な生活、それなりの進路優遇を確保しようと、そうあっさり決断することができたのだ。
……釈然としないと言う事なかれ。これが彼女の生き方である。
他人《ひと》はそんな生き方を見て、『情けない』と呆れるかもしれない。『夢がない』と軽蔑するかもしれない。
しかし、彼女はそんな思春期にありがちな自己啓発に屈しなかった。というより、そもそもそんな風に奮起するほどの根性がなかった。
姓は金束、名は晴天。
とても物語の主役なんかが務まるとは思えないこの少女。
彼女がこんな表舞台のスポットライトが当たるような役回りになってしまったのは、偏に『偶然』の所為だった……――。
2
「晴天さん、出かけるんですかです?」
七月一八日。夏の日差しが厳しいそんな日に、ルームメイトの問いかけを背中に受けた金束は静かに頷いた。肩掛け式のスクールバッグを抱えた彼女は、それだけなら由緒正しきお嬢様然としている。
「ああ、まーね」
「……それはいいですけど、スクールバッグの中から私服の端が見えてますよです?」
「え゛っマジ!」
ルームメイトの言葉に、焦ったようにスクールバッグを確認しようとした金束は、カバンに手をかけてから『しまった』という表情を露にする。スクールバッグのファスナーはしっかりと閉まっており、私服の端など欠片も見えていなかったからだ。
余談だが、常盤台の学生は基本的に私服の着用を禁止されている。それは当然外出のときも同じであり、たとえ外出したときに制服を着ていたとしても、途中で着替えたりするのはNGである。流石に、不慮の事故で汚れてしまったときなどはその範疇外になるだろうが、かといって事前に私服を持ち出すのもまたNG、である。
「……ハメたわね、月代」
「こんな古典的なカマかけに引っかかる晴天さんが悪いんです」
お嬢様どころか、おおよそ女子が浮かべるには相応しくないくらい苦々しい表情を浮かべた金束は、そのまま背後に立つダークグレーの三つ編み少女に向き直った。身長は一五〇センチもないだろう。白い肌にフレームなしの眼鏡は、理知的な雰囲気よりも引きこもりがちな不健康っぽさを感じさせる。しかしこの少女、最近は彼女の友人達に揉まれているうちに、普通のお嬢様程度なら軽く超越した身体能力を得ていたりするのだった。
「……常盤台ってだけで絡む連中がいるから、制服は面倒なのよ」
「……? 常盤台の生徒は最低でも強能力者《レベル3》ですよ? 絡むなんて命知らずな人いないんじゃないですかです?」
「分っかってないわねー、常盤台の全員がどっかの電撃姫みたいに戦闘《ビリビリ》できるわけじゃないでしょ? むしろこの学校の連中はツラの怖い兄ちゃんにちょこーっと脅されたくらいでビビっちゃって能力も使えないような、純粋培養のお嬢様ばっかなんだから。お金持ちのカワイくて常識知らずなお嬢ちゃんなんて、街に蔓延るハイエナさんらが放っておくわけないでしょ」
「……でも、晴天さんの能力なら対処できますよねです?」
「できるわけがないでしょーが! アタシのこの三下能力でどう相手しろと!? 頭に一発イイのもらっただけですぐ天国だっての!!」
「でもほら、筋肉の圧力で血液を高圧噴射するとか……」
「死ぬわ!! そんな芸当アタシの能力じゃできないし、大体ウォーターカッターが鋭いのは中に微小のダイヤモンドとかの粒を仕込んでるからなのよ! 赤血球じゃ役不足もいいところだっての」
「役不足は誤用ですよ」
「国語の先生かテメェは!!」
憤慨したような調子の金束に、ルームメイトの少女は諦めたように溜息をついた。そうまでして『外出』しなくても、学舎《まなびや》の園《その》の中ならば大抵のものは揃っているのだ。わざわざ『寮監』に怒られるリスクを負ってまで、『外』の街を歩くという危険を犯す必要もない、と彼女は思っていた。というより、連帯責任で自分まで罰せられる可能性が少しでもあるのが我慢ならなかった。
常盤台の寮監には、色々と黒い噂がある。曰く、常盤台でも屈指の実力であるかの有名な風紀委員《ジャッジメント》を赤子のように縊っただとか、常盤台最強の超電磁砲《レールガン》と『ナンバーセブン』の喧嘩を仲裁したとか、学園都市直属の暗殺集団を一人で全滅させただとか。……実は、どれも真実だったりするあたり彼女の恐ろしさが垣間見えるのだが。
閑話休題。
「大丈夫よ大丈夫、公園のトイレで着替えるから誰かにチクられない限りは寮監にバレる心配なんてないしさ。ね?」
「……むぅ、です」
未だに納得いかないルームメイトの少女に、金束は幼い子を宥めるような調子で言い聞かせる。そんな金束に、思わず納得しそうになるルームメイトの少女だったが、そこで気合を入れて萎えかけた気力を奮い立たせる。
「いや、やっぱり駄目です、駄目! 今までの一年と三ヶ月、その言葉でこの私がどれだけの苦汁を舐めさせられてきた事か! です! 無罪なのに罰掃除を連帯責任で押し付けられたときの苦しみは、今も私の心に残ってます! この
鉄鞘月代、あの時以来絶対に金束さんに違反をさせてはならないと心に誓ったんです!」
『梃子でも動きませんです!』と断固とした態度をとるルームメイトの少女――鉄鞘。対する金束は、割と根性のない駄目人間である。人としての道を外れていないだけで、決して道徳的とは呼べない人格の持ち主だ。ただ、こういうときの金束は割りと聞き分けが良い。彼女はあくまで根性なしというだけであって、問題児ではないのだ。そもそも、誰かに文句を言われ続けてまで違反行動をとるほどの根性が元々ない。
「……しゃーないわね。そこまで言うならやめるわ。月代を怒らせてもいいことないからね」
「……分かればいいんです」
右手でこめかみを掻く、というおよそお嬢様らしくない行動に、鉄鞘は自分の試みが成功した、と言わんばかりに誇らしげな笑みを浮かべる。
「ただし」
そんな鉄鞘に、金束は一本指を立てて詰め寄った。
いきなり条件をつきつけてくるような口調の金束に、鉄鞘は思わず気圧されて一歩退いてしまう。『このルームメイトは一体何をたくらんでいるんだろうか……』と、金束の口元に微かに浮かんでいる笑みを警戒する鉄鞘。金束はそんな鉄鞘の様子をむしろ楽しんでいるかのように、
「欲しいモンがあるのよ。付き合ってくんない? ついでに、他の連中も誘ってさ。流石に常盤台生が四人もいりゃ絡まれることもないでしょ」
……考えてみれば、至極当然の主張だったのかもしれない。自分のルームメイトを必要以上に警戒していたことを自己嫌悪すると同時に、友達との外出に胸を弾ませる乙女鉄鞘だった。
3
そんな訳で、常盤台の学生寮前には四人の少女が集合していた。いずれも、常盤台の制服を着用している生粋の常盤台生だ。ちなみに、常盤台中学は学舎《まなびや》の園《その》を形成しているお嬢様校の一つだが、寮は二つあり、ひとつは件の学舎の園内部に、もう一つはその外に存在していた。
金束を始めとして、今学生寮前に集合している四人の少女は、全員がこの『外』に存在しているほうの寮で生活している。
「フフフフ、晴ちゃんとお買い物~、久しぶり~……」
「先週消しゴム買いに行ったばっかでしょうに」
四人の中でも特別にこにこと笑っている少女――
銀鈴希雨に、金束は呆れたように溜息を吐いた。
銀鈴は肩甲骨くらいまで伸ばした黒髪の前髪をパッツンにした少女だ。ちなみに胸も(服が)パッツンパッツンである。身長は一六〇センチ弱の金束と大体同程度であり、常に微笑んでいるような目をしている為感情が読みづらい。
妙に親しげな口調からも分かるように、銀鈴と金束は幼馴染である。銀鈴のほうは単なる幼馴染というには少しばかり過激なスキンシップを希望しているようだが、これは彼女らが小学生の頃に起こった事件が関係していたり……、
閑話休題(二度目)。
「だって、その後晴ちゃんと一週間も遊べなかったんだよ~? 私、さびしかったんだから~」
「……あたしと一緒じゃ、不満やったけ?」
「フフフフ、そうは言ってないって~」
不満そうに口を窄める銀鈴の横から、拗ねたように口を挟んだのは
銅街世津。常盤台に来て初めて出会ったのが銀鈴と金束であり、その縁から彼女たちのグループの一員となっている野生的少女だ。ここ数日、銀鈴と特に行動を共にしていた少女でもある。
彼女の肌は常盤台のお嬢様とは思えないほどに健康的に焼けており、茶髪の髪は男の子かと見間違えてしまうほどに短く切り揃えられていた。しかし、なぜか真っ白なワンピースに麦藁帽子姿で、虫取り網を持って野山を駆け回っている姿が容易に想像できる雰囲気を持っている。
実際、彼女の故郷は日本最後の秘境とまで言われるド田舎であり、科学の総本山と呼ばれる学園都市のエリート校の中でもさらにエリートであるにも拘らず、未だにハイテク機械を見るとしり込みしてしまうという困った短所を持ち合わせていた。
この二人に、鉄鞘と金束の二人を加えた四人組の少女。ぶっちゃけお嬢様と呼べるような人間は一人もいないこの残念集団を、常盤台のごく一部の生徒は『常盤台バカルテット』と呼んでいる。まあ、そのバカルテットも問題を起こすことは少ないので、そういう風に呼ぶのはバカルテットの起こした数少ない問題に巻き込まれた不運な犠牲者と常盤台のお嬢様ブランドの保持に一定の価値を見出しているような者だけであるのだが。
「ただ、さすがに毎日カキ氷を作らされるのは困ったかな~」
「したっけ、こっちの夏ば暑か。しんどぉなんてもんじゃなかとね」
「カキ氷ね~、アタシも食べたかったな」
「晴ちゃんのお望みとあればいくらでも作るよ」
金束が言い終わらないうちに、銀鈴はにっこりと、しかし気迫に満ち溢れた調子で即答する。表情は笑っているがその目は笑っておらず、銀鈴の性格に慣れているはずの金束でさえ心情的後退りをしてしまうほどだった。
「でも、そんなに氷ばかり作ってるのに、希雨さんはよく指が割れませんねです」
「……割れる?」
「だって、冬に水仕事とかしてると指が冷たくてあかぎれしちゃうじゃないですかです。希雨さんの能力って大体手で使うのに、よく凍ったりしないなぁと……」
「……冷たいと、指って切れるものなの~?」
「うわ、お嬢様発言」
「一番のお嬢様は晴天やけどね」
「切れるです!! 私も常盤台に入る前は自活してたですしね……。えっと確か、手が冷たくなるとしもやけになって、その状態で手が乾燥するとあかぎれになるはずでしたよ」
「あー、知ってる知ってる。
カマイタチも、それが元ネタって話よね」
「それは私も聞いたことあるよ~。昔はごく小規模な真空空間が作られてカマイタチが起こってるって話だったけど、現在は科学的に否定されてるんだよね~」
「あー、わー、うー……」
「……っつか、何で世津はアタシらの中で一番のエリートなのにこういう雑学に疎いかね」
「し、仕方なか! あたしはそうゆうのもうちょこっとわかるごとなかんやけ!」
バツが悪そうにそう言った銅街に、三人は愉快そうに笑う。
ひとしきりそうして談笑していたが、やがて銀鈴はそれをやめて話を切り出した。
「で、晴ちゃん。今日は何を買いに行くの~?」
話題を切り替えた銀鈴が、間延びした調子で金束に問いかける。
「ん、それは秘密よ、買ってからのお楽しみ」
銀鈴の質問に対し、金束は一つウインクして話をはぐらかす。彼女の容貌ならそれなりに絵になるのだろうが…………、生憎と、金束本人の出す雰囲気のせいで何故か滑稽さ二〇〇パーセントだった。
とはいえ、すでに金束と一年間行動を共にしている彼女らがいちいちそんな瑣末なことにツッコむはずもない。ごく自然にスルーし、『じゃあ晴天さんについて行きましょうです』と言う鉄鞘の言葉を切欠に、四人は真夏の街に繰り出して行った。
……のだが。
「……ねえ、月代?」
「……何です?」
「どうしてアタシ達………………普通に買い物に行ったはずなのにあいつらとはぐれちまってんの?」
呆然とした金束の呟きに、鉄鞘は無言で以って答えた。
セブンスミスト――第七学区でも特に大きなチェーン店で、主に女性向けの服飾を扱っている。近くに『学舎《まなびや》の園《その》』があるのも手伝って、女学生の割合が比較的高いといわれる第七学区では、夏休み直前ということもあってひときわ賑わいを見せている場所である。
しかし、この場所は普段の『そう言った意味』とはまた別の、異常な賑わい方をしていた。
「……そーよねそーよね、別にアタシらが悪い訳じゃないわよね。悪いのは全部――――、」
『落ち着いてください。ただいまこの店内には、危険物が設置されている恐れがあります。落ち着いて、風紀委員《ジャッジメント》の指示に従って店外に避難してください』
「…………こんな夏の良い天気に、危険物を仕込む様なクソッタレの爆弾魔《ボマー》よね」
――阿鼻叫喚、……とまでは流石に行かないが、彼女達を包む人垣の賑わい方は、ソレに近い色を持っていた。
端的に言うと、彼女達がやってきていたセブンスミストにはいつの間にか危険物が仕掛けられており、『それ』によって利用客の安全が脅かされる危険性がある為、避難している最中――金束と鉄鞘は、銀鈴と銅街の二人からはぐれた。
危険物の存在はまだ明らかにされていないが、『発火現象を起こせる能力者の方は十分に~』というアナウンスがあること、それから最近世間をにぎわせている『危険物』の事件というと、連続爆破事件が出てくることから、金束はこの事件もその関係なのだろうと思っていた。
……実際、その推測は正しいわけなのだが、彼女たちが具体的に事件の解決に動くことはない。彼女達はヒーローでもなければ風紀委員《ジャッジメント》でもない、ただの生徒なのだ。そもそも勝手に『解決しに来ました』と言われても相手だって迷惑なだけである。
「……携帯――通じないです。まあ、当然です。多分周辺は風紀委員《ジャッジメント》や民間人の連絡で電波が通じづらい状況なんでしょうし。それに『危険物』の種類によっては電波が妨害されてることもあるでしょうし……。全く、何でこうなっちゃったんでしょうです」
携帯の液晶画面に表示された『圏外』の文字としばし睨めっこしていた鉄鞘は、やがて力を抜くとそう呟いた。
別段、どちらに非があったという話ではない。ただ単に、人垣に流されていたらはぐれてしまった、ただそれだけのこと。しかし状況が状況だけに、金束と鉄鞘は不安の色を隠せずにいた。
(……希ぃに限って『もしも』は有り得ないだろうけど……、チッ。やっぱ心配なモンは心配ね)
「どうしましょうです、やっぱり少し残って探した方が良いんじゃ……、」
「いや、駄目よ。どうせあっちの行動は希雨が決めてるんだろうし。なら、アイツのこったからアタシの行動を読んでさっさと避難しようとするはずよ。アタシなら、こんな危険な状況からは真っ先に逃げ出すしね」
妙に堂々と胸を張る金束に、鉄鞘は呆れて溜息を吐きつつもその通りだと納得し、人の流れに逆らわずそのまま店外を目指した。
果たして、脱出自体はスムーズに行えた。頭に花飾りを付けた風紀委員《ジャッジメント》やらが頑張って避難誘導していたのも大きいが、店側も柔軟に対応していた為、『人の流れ』が衝突することもなかったからだ。
(……にしても)
無事店を出て人ごみから少し離れたところで、金束は人知れず首を傾げる。
(何で、ウチの超能力者《レベル5》サマがあんなトコで避難誘導してたんだろ?)
避難している最中、常盤台最強の超能力者《レベル5》、御坂美琴が避難誘導をしている光景を見つけた金束と鉄鞘だった。御坂と個人的に面識のある金束と鉄鞘は、『あれー? 御坂さん何やってんだろ?』などと他人事のように思いながら避難してきたのだが。
……確かに、超能力者《レベル5》たる彼女が避難誘導していたことで、学生達の移動は数段スムーズになっていたのだし、そういう面では感謝すべきなのだが、如何せん彼女はただの民間人のはずである。尤も、超能力者《レベル5》なら風紀委員《ジャッジメント》の試験を顔パス出来ても不思議じゃない……と思う金束だが――、
(まあ、超能力者《レベル5》サマには超能力者《レベル5》サマなりの事情ってモンがあるんでしょうね)
そう考え、件《くだん》の超電磁砲《レールガン》に関する思考を止めた。
今真に考えなくてはいけないのは、どうやって銀鈴達と合流するか、である。
「……駄目です。まだ携帯は圏外のままです」
金束の隣で携帯と睨めっこしていた鉄鞘は、諦めたように溜息を吐いた。そんな鉄鞘の涙目を横目に、金束は何かを閃いたような表情で、
「……そうだ。月代、アンタの能力あったじゃん。絶対嗅覚《スメルサーチ》。アレ使えば世津とかの匂い探知できるんじゃない?」
絶対嗅覚《スメルサーチ》。その名の通り、使用者の嗅覚を極端に向上させることの出来る能力。使用中は軍用犬並みの嗅覚を得ることができるが、それだけ。逆に言えば悪臭によるダメージも倍化するし、何か目に見えた攻撃が使えるわけでもない。ただ、携帯が使い物にならないこの状況ではそれなりに有用なはずなのだが――、
「……駄目です」
鉄鞘は、役に立てなくて申し訳ないと言わんばかりに項垂れた。
「人が多すぎて、汗や脂の匂いでお二人の匂いが消えちゃってます。これじゃ、探知しようにも……。距離を置かないことには、どうしようもないです」
「……使えないわね」
「ひどっ!?」
申し訳なさの極致にたどり着いていた鉄鞘を、金束は辛辣な言葉で以って切り捨てる。
「……なんてね。それって距離を置けばどうにかなるってことなんでしょ? じゃあ、とりあえず距離をおくわよ。私と違って精密処理《プロセススキップ》で賢くなってる天然系天才ちゃんな世津も同じ結論に至ってるだろうし、もしかしたらそっちでばったり会うかもしれないしね」
そう言うと、金束はにやりとお世辞にもかわいらしいとはいえない泥臭い笑みを浮かべた。対する鉄鞘は何故かさらに申し訳なさそうな表情を浮かべて、
「……いや、距離を置いても匂いを探知できる保障はなかったりするです……」
「えっ何それ使えない」
「ひどっ!? !?」
4
「くんくんくん……、う~~ん……。駄目です……」
それから少しばかり騒乱の中心地から距離をとってみたものの、そもそも中間に巨大な匂いの塊があるせいか、絶対嗅覚《スメルサーチ》は全く使い物にならない状態だった。電波も、この爆破事件による混乱は思いのほか酷いらしく未だにメールも電話も通じない。
「んー……、じゃ、帰ろっか」
「はえぇ!?」
本来なら逸《はぐ》れた二人を心配しなくてはならない場面で飛び出した思わぬ冷血発言に、鉄鞘は思わず驚愕した。しかし、冷血発言をした当の冷血少女金束はなんら悪びれた様子を見せず、
「だって、電話も通じない・場所も分からない・合流場所も決めてないじゃどうしようもないでしょうに。いくら野次馬がいるっつったって常盤台の二人くらい、血の気の多い不良《ハイエナ》さんなら飛びついてくるだろうし、そうならないうちにさっさと撤退したほうが良いわよ。それに、元々今回はセブンスミストに行くのが目的だったんだし。それが出来ないならさっさと帰る。変に外出してたのを察知されて、寮監にこの事件の事情聴取されるとか面倒でしょ? あいつらもそう考えてるわよ」
「う、うう……、確かにその通りですけど、」
「否定できないならさっさと帰る! あとで寮監に絡まれて泣き見んのはアンタなのよ?」
まだ人ごみの方に若干執着する鉄鞘だったが、金束の言い分にも否定できないものがあるのも確かだった。強引に腕を引かれてしまうと、それに抵抗するだけの理由がないのであえなく引っ張られてしまう。
「……それにしても、あの騒ぎは一体なんだったんです?」
腕を引かれる感覚が嫌になったのか、自分の足で歩き出した鉄鞘は、金束の隣に並ぶとそんなことを言った。
「さあ……、どうせ最近やたらとワイドショーを賑わしてる爆破事件でしょ。こないだニュースで能力の推測やってたけど、水素爆発を起こしてるとか粉塵爆発を起こしてるとか色んな憶測が飛び交ってて訳が分かんなかったわ」
カン、と足元に転がっていた空き缶を蹴飛ばしながら、金束は応じた。大通りはまだ騒ぎが収まっておらず人の波が生まれてしまっているので、彼女達は今大通りを一本奥に行った路地裏を歩いていた。これでもしも彼女達が大通りを通っていれば、セブンスミストの大爆発とその犯人の搬送という光景を見ることが出来たのだが、その可能性ももうない。
「…………、」
「…………、」
それきり、会話が途切れた。お互い、口では何と言っていても逸れた二人のことが心配なのだ。口数が減るのは当然の流れである。
やがて沈黙が肌に突き刺さるような雰囲気に耐えかねたのか、今度は鉄鞘の方が口を開いた。
「……そういえば、ワイドショーといえば最近は切り裂き魔……『カマイタチ』の話も出てますよねです」
「へ? カマイタチ?」
「え? もしかして晴天さん、知らなかったんです? ……ああ、まあ、最近は連続爆破事件のことで持ちきりでしたしね。カマイタチは、女性……それも衣服だけを真空刃で剥ぎ取るっていう変態野郎です。最近の調べだと、どうも胸の大きな人を優先的に狙ってるとか……」
「うっわぁー……。サイテー。アブラギッシュなオタク系の学生が犯人なんじゃない?」
「晴天さん……、それは偏見です。確か、犯人は幼児向けキャラクターのお面を被った華奢な体格をしてるとかだったはずです」
「華奢な、ねぇー……。案外、自分の胸の小ささを気にしちゃった馬鹿の犯行だったりして?」
語尾を持ち上げた金束の口調には、先ほどまでのような真剣味は全く感じられない。彼女自身も本気で言ってるわけではないのだ。だが、タイミングが悪かった。場所が悪かった。冗談の内容が悪かった。
「――――気にしてないっ!! 断じてこの胸の大きさを気にしてなんかいないっ!!」
いきなり路地裏に響いた声に二人が呆然と振り返ったと同時、金束と鉄鞘の間の空間に何か鋭いものが通り過ぎた。
「…………………………ッッ!!」
彼女達の目の前には、幼児向けのキャラクター……ゲコ太を模したお面を被った、華奢な少女が仁王立ちしていた。
肩で切りそろえられた茶色い髪はまるで触手か何かのようにゆらゆらと風になびいており、彼女が禍々しいオーラを放っているような錯覚さえ感じさせる。華奢ながらも女性らしさを感じさせる腰のくびれとは裏腹に、身元を特定させない為の工夫なのか野暮ったいジャージ姿の胸部には胸と呼べるような膨らみは一切なく、少女も仁王立ちでありながら胸の小ささを強調させないようにと胸を張ったりしていないところが余計に哀愁を誘った。
「……ッ!! チクショウがッ! 何だって爆破事件のすぐ脇で通り魔事件が発生するってのよ!! 学園都市の治安はいつからこんなに悪くなった!?」
「うひゃっ!?」
目の前の危険人物と、背後のコンクリートに出来た傷跡を交互に見比べた金束は、そう吐き捨てるとすぐさま鉄鞘を抱きかかえて軽々と走り出した。
「チッ……!? 逃げる気か! させないっ!!」
ヒュッ!! という風切音と共に不可視の刃が金束達を切り刻むべく放たれるが、刃は金束に命中する前に距離の為か殺傷能力を失い、消えうせてしまった。
(ハッ……!! 馬鹿が!! 馬ぁー鹿がぁ!! アタシの『肉体強化《チューンナップ》』!! 地味で負け犬な能力だけど、それだけに肉体の運動性能の上昇っぷりは半端ねえって訳!! 今のアタシは軽く人類超越しちゃってるわよーっ!!)
相手の殺傷力の高さと、それから逃げ切っているという事実からの高揚か、勝ち誇った台詞の割りに余裕のない色で内心笑う金束。
ちなみに、この彼女の思考は誇張である。肉体強化《チューンナップ》は全身の筋肉構造を強化し、強化した分増えた体内圧から臓器や関節、骨などを保護・調整する能力だが、その制御には普通の 電撃使い《エレクトロマスター》や発火能力《パイロキネシス》以上に精密な演算力が求められる。そこにリソースを割いてしまっている分、単純な運動能力の向上そのものの上がり幅はそこまで高くない。精精、トップアスリートと同等……いや、それよりも僅かに劣る程度か。この街のスキルアウトにも、その域に達している存在は結構いたりする。彼女に特別な部分があるとしたら、その小柄さゆえにそうした手合いよりも少しばかり『初動』で勝るところか。
むしろ、彼女の最大の長所はそうした『肉体を保護する』演算をする過程で得た、自分の肉体に対する深い理解だったりするのだが……いくら大人な思考を持つとはいえ彼女もただの中学生、明らかに命が危なかったりしちゃう状況でそこまで考えを働かせるのは不可能だった。
逆に、冷静な思考が出来たのは肉体労働を今のところ全て金束に任せている鉄鞘の方だった。
「ちょっとちょっと晴天さん……! ペース配分おかしくないですかっ!? このままだとバテちゃうです!! それに、」
「なぁーに流石の晴天サマもそんなことに考えが回らないほど馬鹿じゃありませんのことよっ!! アタシとあっちの筋力差は歴然、攻撃が届かない範囲まで距離とってんだし仮にバテたとしてもその前に表通りに出ちまえ……、」
何かを言いかけた鉄鞘の言葉を強制的にさえぎる金束だが、そこで彼女の自信たっぷりなご高説は止まった。
ついでに、彼女の走る足も止まった。
「へ、へへ……」
既に涙目になっている金束のだらしなく開いた口から、乾いた笑みが漏れていく。
「……それに、万一行き止まりになったら大変だから私の絶対嗅覚《スメルサーチ》とか併用して匂いをもとに逃げた方がいいです!! って言おうとしたのにぃぃ――っ!!」
彼女の目の前には、コンクリート製のビル壁が絶賛乱立中だった。
「ああああああチクショウそれを先に言えェェえええええ――――ッッ!!」
「ムチャクチャ言うんじゃねえですぅ!! そもそも晴天さんが後先考えずに走っちゃうからこうなったんじゃねえかですぅ!?」
「何だその無理やりデスマス口調!! 翠×石かテメェは!!」
「なんですかそれ!! ううううううう、やだやだやだやァァあああだァァああああ!! こんな裏路地で全裸待機とか犯してくれって言ってるみたいなものです!! カモがネギ背負ってるってレベルじゃないですうううう!! 全裸で路地裏を徘徊していた被害者の少女Aとか言ってワイドショーで紹介されるのもやだあああ!!」
「うるせえ耳元で吠えんなキンキンするそれに負け犬の遠吠えにはまだ早いわ!!」
そんなことを言いながら、二人は引き返す為に踵を返し――、そこで絶句した。
「……もう、漫才は終わり?」
冷ややかな声で告げる『カマイタチ』の声色には、多分に自分を無視された恨み辛み的オンナノコな感情が篭っていた。
「チックショウもう一度絶望したぞコラ!!」
ヒュン!! という音が聞こえるのとほぼ同時に、金束は思い切り足を蹴り出した。風の刃は低く低く屈んだ金束を大きく外れ、彼女の斜め上にあったパイプを綺麗に切断する。
(……!! 何あれ!! さっきも思ったけど明らかに食らったら服どころか皮とか肉とかその奥のちょっと見えたら命の危険な部分まで剥かれるわよ!? テメェはジャガイモの皮剥き苦手な幼な妻かってのッ!!)
心の中で悪態をつきつつ、足を止めたら逆に死ぬ。無駄と分かっていても、彼女は肉体強化《チューンナップ》を応用し体表の硬度を上げ、そして腕の中の鉄鞘に攻撃が行かないよう背を丸めるが……、
「くッ!! そうきたか!!」
何故か、『カマイタチ』は忌々しそうに悪態をつくと金束に道を譲った。
あまりの事態に、本当なら腹パンでも与えておかないといけないような場面で、思わず金束は素通りしてそのまま走り去ってしまう。
「……チッ」
二人が走り去った後の路地裏で、『カマイタチ』は忌々しげに舌打ちをしていた。
勿論、戦闘能力に関してはほぼレベル0な彼女たち二人が逃げ切れたのは奇跡や偶然などではない。が、彼女達の実力であるかといわれるとそうでもなかった。
『カマイタチ』は、自身にとあるルールを課していたのだ。
(……私と同じような 胸の小さな女子《じゃくしゃ》は、決して手にかけないこと)
それが、『カマイタチ』の中で唯一にして絶対のルール。既に何人もの少女を手にかけた血塗れ(流血沙汰は一度もない)の手だが、彼女は今までそのルールだけは、そんなちっぽけな、矜持とも呼べない矜持だけは守って生きてきた。
だからこそ、あの一瞬、自分と同じように胸の小さい少女……鉄鞘を目の前にした『カマイタチ』は、一瞬攻撃の手を止めてしまったのだ。絶対に、自分と同じ胸をした少女を傷つけない。――――その誓いの為に。
(許せないのは、そこを利用してあの子を盾にしたあの金髪っ!!)
実際には、むしろ鉄鞘を守るために苦し紛れとはいえ身を挺したりしている上に、彼女がその感情を抱くのはお門違いも良いところなのだが、それでも『カマイタチ』は『あの金髪(金束)は私よりも胸が大きい』という理由だけで金束に義憤(筋違い)を抱いた。
「……もう、胸だけなんて甘いことは言わない」
金束は、触れてはいけない領域に触れてしまった。……いや……、実際には触れてないというか完全に勘違い――というかすでに言いがかりの領域に達している――なのだが……、まあとにかく、『カマイタチ』は激怒した。かの邪知暴虐の負け犬を取り除かねばならぬと決意した。
「――全身だ。貴様を全裸に剥いてやる。さながら包丁を入れる直前のジャガイモのようにな!!」
……何だかんだで、学園都市ではジャガイモの皮剥きにまつわる軽口が流行っているのかもしれない。
5
「完っ全に道に迷った……」
光の差しづらい、薄暗く薄ら寒い路地裏にて、金束は完璧に頭を抱えていた。上手く『カマイタチ』を撒いたのは良いのだが、無我夢中で走り回っていたので元来た道を忘れてしまったのだ。
第七学区は、学生が集まりやすい学区なだけあって娯楽・服飾・食品、その他もろもろのビルが乱立している学区でもある。それは当然、路地裏が意外と多かったりその路地裏が割りと広範囲かつ入り組んでいたりするわけなのだが、この場合それが災いした。
「くんくんくん……、駄目です。方角は分かるんですけど、道の方向がそれと対応してませんです……」
既に横抱き状態からは離脱し、金束の隣を不安そうに歩いていた鉄鞘は、肩を落としてそんなことを言った。方角が分かるということはとりあえず歩いていれば脱出できそうなわけでもあるのだが、『カマイタチ』がこの路地裏の中にいる以上、下手に引き返してばったり遭遇しては目も当てられない。
「どうする……? やろうと思えば壁キック的な技で屋上まで行けそうな予感がするけど、月代を背負うとなると厳しいし……」
「やっぱり、歩きながら逃げるしかないです?」
「あ、そうだ!」
「どうしましたです?」
「私一人で逃げればいいのよ!」
「ぶっ殺すですよ?」
金束のあんまりな解決法を一蹴した鉄鞘は、そのままの勢いで話し始める。
「心配しなくても、私の絶対嗅覚《スメルサーチ》は既に『カマイタチ』の匂いを記憶してるです。この匂い探知を応用して逃げ続けていけば、捕まることはないと思うです」
言いながら、鉄鞘は周囲を確認する。その横顔に焦燥の色は見られない。匂いで分かる『カマイタチ』の距離は、鉄鞘から離れているのだろう。
「……どうやら、『カマイタチ』は私達のことを見失って、逆方向の路地裏を探索しているようですね……。このまま行けば、上手く逃げられるかもしれないです!」
「了解、それじゃあナビ頼むわよ、月代」
そう言って、二人は息を殺しながらゆっくりゆっくりと歩き始める。
当然、彼女に『「カマイタチ」を退治しよう』なんて考えは存在しない。金束も鉄鞘も強能力者《レベル3》の常盤台生であるが、それ以前の問題として彼女たちは戦闘者ではない。鉄パイプを切断するような能力者と面と向かって戦うことなんてできないし、そんな度胸も正義感もない。精精が警備員《アンチスキル》に通報して、自分たちはがくがく震えて助けを待つ程度のレベルである。
「『カマイタチ』との距離は?」
「現在、一一時の方向二〇メートルってところです。こっちの道なら正反対ですね」
鉄鞘の言葉に満足げに頷きながら、金束は道を進んでいく。脅威から離れつつある安心感からか、金束は鼻歌さえ歌い始めそうな調子で、
「ふむふむ、順調順調と。この分なら上手く逃げ切れそうね」
「へえ、何から上手く逃げ切れるって?」
「そりゃーもちろん『カマイタチ』からに決まってるでしょってお約束かよこの野郎ッ!!」
「ぐぇっ!?」
ズザァァァァッ!! と鉄鞘の襟を掴んで飛びずさった金束は、そのまま『カマイタチ』の攻撃を食らわないように角に逃げる。瞬間、ズバアッ!! と人間が食らったらマズイレベルの攻撃力を誇る空気の刃が今金束達がいた場所を通り過ぎる。回避は上手いこと成功したが、壁に衝突した空気の刃はそのコンクリートの壁面に一文字の傷をつけ、そしてドファ!! とあたりに空気の衝撃を撒き散らした。
「どっわァァあああッッ!?」
「きゃあああああっ!?」
そして当然、金束達もその余波を食らうわけで。
若干一名、女子にあるまじき悲鳴を上げつつ吹っ飛ばされる。
「ちょっ、まっ、おい月代!」
「あげぅ」
即座に起き上がった金束は、路地裏の土埃やらがついて非常に情けないことになっている顔を放置し、そのまま鉄鞘の襟首を掴んで持ち上げる。
「これどういうこと!? 相手は一一時の方角二〇メートルにいるんじゃなかったの!? 今私たち五時の方角に行こうとしてたわよね!? 真逆よね!? 絶対よね!?」
「うげぅ、げふ、ごふ、ちょ、晴天さん、極《き》まっ、ギブ、ギブ」
即座に顔を突き合わせて作戦会議を始めようとするも、肝心の鉄鞘は襟が閉まっていたせいで呼吸が出来ない。まるでプロレスでギブアップするレスラーのように金束の肉体強化《チューンナップ》によって見た目は変わっていないムキムキマッチョな腕を叩く。
「……お前らは、匂いで私を探知してたんだろ?」
そんな風にまごついている二人を察知したのだろうか、『カマイタチ』は落ち着き払った調子で、しかしその声の底には確かな怒りと憎しみを沈ませて言った。
その恐ろしさに二人は震え上がると同時、『私らこんなに怒られるようなことしたか?』と信じてもいない神様に現実の理不尽さを訴えてみる。
「私の能力は『風力切断《エアカッター》』。高圧で空気を射出することで、カマイタチのように相手を切り刻む能力だ。……でも、だからといってそれしかできないわけじゃない」
角の向こうから、スニーカーのものと思わしき靴音を鳴らしながら、死神が歩いてくる。
「私は能力大別じゃ 風力使い《エアロシューター》に分類される。当然、気流を乱すことでお前らの探知している匂いの位置をごまかすことだって造作もない」
「……ッ!!」
「安心しろ。殺しはしない。ただ、金髪の方は全身(の服)を切り刻ませて、(恥ずかしさで)二度と外を出歩けないようにしてやるがな……!」
「(せ、晴天さん!! なんか向こう晴天さんにだけ物凄い敵愾心あらわにしてますけど!? なんか相手のシャクに障ることしたです!?)」
「(も、もしかしたらオタクとか適当な予想したから怒ってるのかも……)」
「(それです!! 絶対それです!! ほら一緒に謝りましょうよ謝ったら許してくれるかも……)」
「(なわけねーだろバーカ!! そんなんで許してもらえるんだったら即座に媚び諂った笑みを浮かべつつ土下座して靴とかも丁寧に舐めるわバーカ!!)」
「……そろそろ、本当に怒るわよ?」
「あっはいすみません」
仕切りなおして、
「と、とりあえず逃げるわよ!!」
言って、金束は即座に鉄鞘を抱えて走り出す。
しかし、今度は『カマイタチ』も逃がしはしない。
「逃がすか、金髪貴様は髪の毛の一本に至るまで剥いてやる! さながらジャガイモの芽を切るようにな!!」
「馬鹿かアンタ!! 新妻以下の料理スキルしかねえ料理下手に剥かれるほど、安いジャガイモじゃないのよこっちは!!」
言葉とともに、金束は思い切り後ろに向かって地面を蹴る。それだけで、路地裏に落ちていたゴミクズや土埃などが少しばかり舞い上がる。
「くっ、この……!」
無防備な背中。
しかし、それに対して『カマイタチ』は追撃を行うことをしなかった。
いや、『できなかった』といった方が正しいか。
「……くっくっく!! このフラグ回収能力! アタシってば今日この場に限っては主役なんじゃねーの!? ねーの!?」
「き、気持ち悪いテンションで笑ってどうしたんですか晴天さんっ!?」
「『風力切断《エアカッター》』攻略よ!!」
にやりと、とても主役《ヒーロー》では浮かべないような笑みを浮かべつつ、金束はそんなことを言った。
「『カマイタチ』って名前が、罠だったのよ」
「……罠?」
「そ。カマイタチっつったらもう完全無欠に真空刃みたいなイメージがあんでしょ?」
有無を言わさずに話を進める金束に、鉄鞘は思わずこくりと頷いてしまう。
確かにありがちな勘違いではあるが、さすがにその連想が即座に出来るのは少しばかり少年漫画に毒されすぎている。
「でも、それはない。爆破事件に巻き込まれる前希雨たちと言ってたでしょ。科学的に、真空じゃ人の体に傷はつけらんないのよ。んで、奴は空気を高圧で射出する能力って言った」
「だから、そのとおりなんじゃないですか? 現にさっき、私たちは高圧の空気の余波で吹っ飛ばされたじゃないですか」
「だぁかぁらぁ、それがそもそもの罠だっつってんのよ。カマイタチといえば風の力。真空だって高圧空気だって、そこは共通した認識よ。でも、それがそもそも間違ってるっつってんの」
金束は鼻高々といった調子で、
「朝に話したでしょ。ウォーターカッター」
「っ!」
「ピンと来たみたいね。そうよ。風だって同じ。いくら高圧でもあんな鋭い切れ味を風だけで再現することなんてできるはずがない。なら……」
「風自体に、小さな粒を混ぜて射出している……?」
「そういうこと。現に、今の技術でもそういうモノはあるらしいしね。向こうも似たような原理なんでしょ」
「……あ。そ、それでさっき、逃げるときに余計な土埃を巻き上げて、相手の攻撃準備を邪魔したんですね……!」
「そゆこと」
金束はそう言いつつ後ろを確認し、『カマイタチ』の姿が見えないことを確認すると、
「……さぁて、タネの割れたマジックほど惨めなモンはないわよ。こっからは、アタシらがアイツを追い詰める番ね」
路地裏中に響き渡るように決意の色を強く込めて、言う。
「……追い詰められた負け犬の根性、舐めんじゃねえぞ」
6
『カマイタチ』は、混乱していた。
いきなり金束たちが攻勢に転じてきたから……ではない。
むしろ、金束達は攻勢に転じてこなかった。
先ほどの金束の啖呵は、当然ながら『カマイタチ』の耳にも届いていた。能力の原理を暴いたくらいで、既に勝った気になっている愚昧。そこに『カマイタチ』は少なからず
プライドが傷つけられたと感じたし、そして金束の反撃を予測して撃退する術も考えた。
にも拘らず、金束達がとった行動は相変わらずの『逃げ』。しかも、ただの『逃げ』ではなく要所要所で土埃を使ってこちらの行動を妨害してくる『逃げ』だ。
(……何を、考えている……?)
ただの『逃げ』であるのならば、『カマイタチ』も『相手の言っていることはハッタリだったのだ』と断ずることができる。しかし、なまじ金束達がこちらに対して干渉してきているせいで、その判断さえ下せなくなっていた。
と、そんなことを考えていると、急にビュッ!! という風切り音が聞こえてきた。
一瞬何が起こったか分からなかった『カマイタチ』だが、直後に硬質な音が路地裏中に響いたのを聞いて、慌てて体制を整える。
「チッ、外したか!」
小石だ。
土埃の煙幕で視界が悪い『カマイタチ』に対し、金束が小石を投げてきているのだ。『カマイタチ』にとって幸いなのは、煙幕があるせいで向こうにとってもあまり照準が合わせづらいといったところか。
だが、これをこのまま放置しておくのはマズイ。金束は肉体強化《チューンナップ》という能力の持ち主だ。その強肩から放たれる小石を食らえば、『カマイタチ』の意識は一瞬で刈り取られるだろう。
そう考え、『カマイタチ』は声の聞こえた方へ大雑把に空気の刃を放とうとし……そして止めた。
(……ここで能力を使えば、あの胸の小さな女の子にまで当ててしまう……ッッ!!)
ここで立ち塞がる、『カマイタチ』の矜持。
ちっぽけだが『カマイタチ』の誇りの柱となっているその矜持は、ここにきて彼女の足を底なし沼のようにとらえていた。
(そして、憎むべきはそれを逆手にとって友人を人質まがいのことに使っているあの金髪……!! !!)
金束の罪状がまた増えた。
しかし、このままでは一方的な嬲り殺しになってしまう。捨て身で突撃しようにも、金束は肉体強化《チューンナップ》によってそこらの女子とは比べ物にならない力を持っているのだ。むしろ、金束の方がそういう判断を手薬煉引いて待っていると考えていいだろう。
(何か――、あ)
状況を打開する方法を考え、『カマイタチ』はふと思いついた。
なぜこんな簡単なことに気がつかなかったのだろう、と『カマイタチ』は自嘲する。
「……ずいぶんと、小狡いことを考えたようだけど」
『カマイタチ』の能力は、風力切断《エアカッター》だ。
だが、それ以前の部分で、『カマイタチ』は 風力使い《エアロシューター》である。つまり、刃でなくとも直接風を操ることができる。
それはつまり、目の前に立ち塞がる土埃を一掃するのも容易だ、ということを意味している。
「詰めが甘かったようね!!」
轟!! と、常人であれば立っていられないような強風が吹き荒れ、土埃が一瞬にして吹き飛ばされる。金束達は……、
「よっしゃあ! 来た! 野郎こっちの思った通りだわ! 土埃で視界をつぶせば、絶対強風を使ってくると思った!」
「やりましたね晴天さん! あとはこのまま逃げるだけです!」
そんなことを言いながら、走っていた。
なんとあろうことか、金束と鉄鞘は強風に身を任せることで数メートルも『カマイタチ』から距離を離し、そのまま逃走しようとしていたのだ。
『カマイタチ』は勘違いしていた。
金束と鉄鞘は、困難に直面したときに立ち向かおうと努力するヒーローなんかではない。
むしろ、普通の少女達よりも『自分』の限界というものを知っているひねくれ者である。
その彼女達が、敵の能力の仕組みを暴いたからといって攻勢に転じるはずなどなかったのだ。
金束のあの一言は、この状況を生み出す為のブラフ。相手の頭の中から自分が逃げるという選択肢を追い出した上で、こちらが最も逃げやすい一手を打たせるように誘導するという作戦。
「あ、の、ア、マ……!!」
当然、『カマイタチ』にとってこれ以上の屈辱はなかった。
その二つの背中に向かって空気の刃を乱射しながら、『カマイタチ』はマスクも外して怒り狂いながら叫ぶ。
「ふざけるな!! お前らがそのつもりなら……」
轟!! と。
もう一度強風が吹き荒れ、そして『カマイタチ』の体が浮かび上がる。それを横目で見た金束の顔が青ざめる。
「……おいおい、マジかよ」
「お前らができたんだ。私も、私だってッ!」
ぐんぐんと三人の距離が縮まっていく。しかし、金束と鉄鞘は顔を青ざめさせたまま、『カマイタチ』の接近を見守るだけだった。
勝った。
そう、『カマイタチ』が確信した瞬間。
「ぎゃんッ!?」
と、蹴られた子犬のような切ない悲鳴が響き渡った。
最初、『カマイタチ』はそれが誰の声だか分からなかった。
しかし、遅れて気がつく。
自分が、いつの間にか地に伏しているということに。
(な、にが……起こって……?)
現状が理解できないという表情を浮かべながら、即座に転がり起きる『カマイタチ』に、彼女の隣にいる鉄鞘はすまし顔で言う。
「私の絶対嗅覚《スメルサーチ》は――軍用犬レベルの嗅覚で以って、周囲の『匂い』を解析する能力です」
「この匂いは今日既に嗅がせてたからね。探知は簡単だったわ」
金束、鉄鞘。
その二人の前にいる、少女。
まさか、と『カマイタチ』は思う。
だって、だっておかしいではないか。
ここまで激しい戦いを繰り広げておいて、こちらのことを追い詰めたりもしたくせに、その結果を、その勝敗を……、
『第三者に託す』なんて、普通できるだろうか?
「アタシ達は、確かにアンタから逃げてた」
「……でも、別にそれは『大通りに』逃げていたわけじゃないです。私達が設定していた目的地は、もっと別にあるです」
金束は、普通では有り得ない解決策を提示したその少女は、やはりヒーローでは有り得ない質の笑みを浮かべる。
「勘違いするなよ能力馬鹿。アタシは別にアンタと知恵比べをしてたわけじゃない。自力だろうと他力だろうと、最終的に勝てればそれでいいのよ」
彼女達二人を守るように佇んでいたのは、短髪の少女。
ホワイトハウスを一人で攻略しかねないと、とあるお嬢様学校の生徒達に思われているような、化け物。
その少女の前髪から、バヂリ、と紫電が迸った。
勝敗など、分かりきっていた。
7
「今回は災難だったな、お前達も」
そんな一言を締めくくりとして、一連の事件に関する常盤台中学外部寮寮監様の事情聴取は終了した。
「……私達が知らないうちに、晴ちゃんにそんなことがあったなんて……」
すべてが終わった後で合流した銀鈴は、いつもどんなことがあっても浮かべたままの微笑を打ち消して、深く後悔するようにそんなことを呟いた。彼女にとって、金束は(こんなのでも)大親友である。その親友の危機に駆けつけられなかった、しかも自分ではない誰かに助けてもらったとあれば、罪悪感、嫉妬心、その他もろもろの感情が複雑に渦巻いてしまうのも仕方がないというものだ。
「アンタが気にすることじゃないわよ、希雨。むしろ、寮監からの事情聴取のときに間に入ってくれたから、感謝してるわ」
「晴ちゃん……」
「あのあの~、一応私も『カマイタチ』の騒動には巻き込まれてるわけなんですけど~、というか私今回御坂さんの位置を探知してたり実は晴天さん以上の超ファインプレーなんですけど、なんでこっちのことはノータッチでなんかちょっといい雰囲気なんです? 女同士なんです?」
「月代、空気ば読め」
「ん? あ~、フフフフ、つーちゃんも心配してたよ~。一応ね~」
「私の扱い酷くないですっ!?」
あんまりな言い様に憤慨する鉄鞘だが、それ以上は言わない。この二人が自分のことを忘れるほど薄情な人間でないことくらい、鉄鞘が一番よく分かっている。
引き下がった鉄鞘をよそに、銀鈴は今にも泣きそうな顔で金束の胸あたりに額を押し付ける。
「……でも、空気の刃で攻撃する相手なんて、晴ちゃん……本当に、無事でよかった……」
「……大丈夫よ。アタシはアンタを置いてどっかに行ったりなんてしないから。……希ぃ」
そんな銀鈴の姿を見て、少し恥ずかしそうにしながらも、金束は背中に手を回した。
「晴ちゃん……!」
と、なんかドラマっぽいことをやってる中で。
「(……それで世津さん、結局晴天さんは何のためにセブンスミストまで行ったんでしょうです? 服屋さんなら学舎の園にもあるですよ?)」
「(月代、静かにしててくれんね。今、晴天の貴重なデレシーンが見れるよかところやけん)」
「(……世津さん、あとでひどいと思いますですよ)」
「(そんときは月代ば道連れにするけん大丈夫ばい)」
「(やっぱり全般的に私の扱い酷いですよねっ!?)」
「もう終わったから大丈夫よ」
突如かけられた声に、二人はビクゥ!! と背筋を伸ばす。
そこには、どこか気恥ずかしそうに頬を掻く金束の姿があった。
「んで、どうしてセブンスミストに行ったか、だっけ?」
照れ隠しをするように咳払いをした金束は、そう言って話を切り出した。
「簡単なことよ。確かに学舎の園にも服屋はあるけど、監視の目があるじゃない」
「監視、です?」
「はぁ~、ほんっと鈍いわねアンタ。常盤台中学の校則忘れたの?」
「『私服の着用を禁ず』、だね~」
「……ああ、やけん怒られるってゆうわけ」
「……?? ど、どういうことです? 怒られる?」
「だから、『私服の着用を禁じている』のに私服買ったら、そりゃ『これから校則違反しますよ~』って言ってるようなモンじゃない」
「あ、」
呆れたように言った金束に、鉄鞘はぽかんとした。
そう。
夏休みはこれから。この金束という少女は、その間校則を守って毎日制服でいるような模範的な少女ではない。であれば、監視の届かない『外部』で私服を買うというのがベスト。
なるほどなーとその無駄な小賢しさに一同は感心していたが、ふとその中で銅街が表情を凍りつかせる。
「……どうしたの~、せっちゃん」
「ま、マズか。怒られるったい」
「は?」
「何でいきなりその結論なんです?」
いきなりの論理飛躍に、金束と鉄鞘はぽかんと首をかしげる。
その時の彼女達は、気づいていなかった。
銅街の能力、精密処理《プロセススキップ》は脳の情報処理能力、その中でも五感から得た情報の処理を極端に向上させる能力である。
それによって、彼女は五感から来た情報をスーパーコンピュータもかくやという性能で解析することができ、そこから出た彼女の結論は彼女自身が計算過程を忘れてしまっているために『勘』のようになってしまっているものの、正確さは折り紙つきなのだ。
だから、彼女達はこの時点で逃げるべきだった。
あの『寮監』と、少し前まで話していたという事実を思い出すべきだった。
「……ほう、なぜセブンスミスト周辺で起きた事件に巻き込まれたのかと疑問に思っていたが、『下着』ではなく『私服』を買う為だったとはな」
「はっ!!」
弾かれたように、四人は振り返る。
そこには、
常盤台でも屈指の実力であるかの有名な風紀委員《ジャッジメント》を赤子のように縊り、
常盤台最強の超電磁砲《レールガン》と『ナンバーセブン』の喧嘩を仲裁し、
学園都市直属の暗殺集団を一人で全滅させた、
学園都市最強の悪魔が佇んでいた。
今日さんざん苦労した二人の少女は、もはや理不尽とも言える『それ』に対し思い思いのリアクションをとった。
「こ、こんな馬鹿なオチが……! あまりに古典的すぎるッ……!」
「うわああぁあぁああ!! やだやだやだやだぁあぁあああああ!! !! もう巻き添えいやだあああああああ!! !! !!」
学園都市は、今日も平和だった。
最終更新:2012年11月10日 01:26