第五学区 軍隊蟻のアジト

雑居ビルの寅栄専用ルームで寅栄、仰羽、毒島の3人がテーブルを囲む。
3人が真剣な眼差しでテーブルに向かい合う。
駆け引き、騙し討ち、裏読み、それぞれの思惑が円卓を囲んでドロドロに渦巻く。
緊張で汗が滴る。読まれないように表情筋を固めてどれくらいになるだろうか。一瞬の隙も許されない緊張状態が続いていた。

「じゃあ…そろそろ決めるぜ」

寅栄が空間を打ち破る啖呵を切った。

「フルハウスだぜ!」

「スリーカード」

「残念!ストレート!





――――って、なんで和気藹々とポーカーなんてしてるんだよ!!」


毒島拳。姉の事件以来初のノリツッコミであった。

「そりゃあ、俺達のブレインがまだいないからな。こういう頭脳労働や組織を動かしたりするのはあいつがいないと始まらねぇ。いや、俺らでやろうと思えば出来るんだが、如何せん効率が悪い」
「認めたくはないですがね。俺達に出来ることと言ったら、部下に頼んで、こいつの姉さんの写真をコピーさせることぐらいっすね」

仰羽はそう言いながら、トランプを纏め、再びポーカーをするために配る。

「ふざけてんじゃねえ!ぶっ殺すぞ!!」

――――と言いつつも毒島は配られたトランプを手に取る。

「ったく…。で、その“あいつ”って“長点上機の天才”のことか?」
「そう、名前は樫閑恋嬢(カシヒマ レンジョウ)。長点上機なんてエリート校に通っているのにスキルアウトでいたがる物好きな女だよ。ほら、“怒れる女王蟻(タイラントコマンダー)”って聞いたことあるか?」

それを聞いたとき、毒島の頭の中で以前聞いた噂が浮かび上がる。

「ああ。なんか聞いたことがある」
「あいつが怒ったら手が付けられない。キレた恐さもそうだが、感情を爆発させながらも冷静かつ的確な判断で確実に相手を追い詰めるところが何より恐ろしい」
「で、その女王蟻はいつ来るんだ?」
「午前にはカリキュラムが終わるって言ってたから、もうそろそろだな」
「そういえば、毒島は学校どうしてるんだ?」

寅栄が何気なく聞いたこと。それが毒島の心の琴線に触れた。相手はスキルアウト。彼らも学校はろくに通っていないのだから、本当に他意のない何気ない質問なのだろう。

「一応、温情措置で休学扱いになっている」
「ああ。そりゃあ、何か悪いことを聞いたな」
「アンタらはどうなんだ?」

毒島は寅栄に話題を返した。

「俺?俺は1年の途中まで七狩野高校ってところに通っていたんだが、頭のデキが良くなかったんでな。退学くらっちまった。今はスキルアウトリーダー兼フリーターってところだ」
「じゃあ、仰羽は?」
「俺は今でも学校に通っている。ギリギリの出席日数だけどな」
「大学はけっこう休みが多そうだからな。スキルアウト活動と両立できそうだ」
「「え?」」と寅栄と仰羽が息の合った返しが来た。

その反応に毒島も困惑し――え?――と返してしまう。
寅栄は「ククク……」と腹を抱えて笑いを堪え、仰羽は少し溜息をついた。

「あ~そうか。毒島……。俺は“中学生”だ」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

毒島は柄にもなく声を張り上げてしまった。今まで大学生かそれ以上の年齢だと思っていたからだ。だが仕方ない。身長180オーバーのゴリマッチョで野太い声をしている奴が自分より年下、さらに中学生とは信じられないだろう。
だが、それが現実である。

(ああ。そうか。留年(ダブ)ったんだな。5年ぐらい)

とりあえず、そういうことにして仰羽のことは中学生と認識できるように頭を整理した。
何の前触れもなく、ドアをノックする音が聞こえた。

「お、コピーが終わったみたいだな。入っていいぞ!」
「寅栄さん。失礼します」

そう言って、一人の少年が部屋に入って来た。
中学生ぐらいだろうか。身長は毒島より低く、160cmもない。そのうえ、細身で虚弱そうな体格。どう考えても不良、スキルアウトには思えない。黒髪ボサボサ頭で度の強そうな眼鏡をかけているのだから、尚更の話だ。
しかし、口元に「軍隊蟻」と白文字が書かれた黒いマスクをして自己主張していることから、どうやら本当にメンバーのようだ。
少年は紙の束を持って、毒島たちがポーカーをしていたテーブルの上に置いた。

弐条(ニジョウ)。お疲れ」
「ありがとうございます。写真のコピー、とりあえず100枚ほど作ってきました」
「そうか。助かったぜ」
「あと、もう一つ伝えたいことがあるんですが…」

そう申し訳なさそうに弐条は寅栄たちと扉の外側に目配せする。

「これまた随分と…厄介なことにチームを巻き込んでくれたわね」

扉の外から聞こえる女性の声。威圧的で、厳格で、可愛さの欠片もない声だ。

「げっ…樫閑…」
「『げっ』とは何よ。人がせっかく来てあげたのに」

そこには一人の女が仁王立ちしていた。
クラスに一人はいそうな委員長タイプの女子生徒だ。声のイメージの通り、彼女からはその出で立ちだけで見ているこっちが圧倒される。背後に龍と虎がいるみたいだ。
腰までかかる黒髪のストレートロング、ワンポイントとして毛先はウェーブがかかっており、髪の一部は水色のリボンで結ばれている。水色縁の角眼鏡をかけており、端正な顔立ちの真面目系女子だ。
その真面目さを強調するかのように、学園都市5本指に入るエリート校である長点上機学園の制服をボタン一つ開けずに真面目に着こなしていた。
長点上機と言えば、毒島はふと榊原兄弟を思い出した。

(そう言えば、今日はどうしてるんだろうな。まぁ、俺には関係のない話だが…)

「悪ぃ。悪ぃ。むしろ、お前が来るのを待っていたところだ。厄介な案件が入り込んだんでな」

樫閑は深くため息をつく。

「で?詳細はどういう感じかしら?あと、そこの少年のことも聞きたいわね」

樫閑の要求の通り、寅栄は事の経緯を全て話した。
毒島拳、彼の能力と銃の光学迷彩、姉の事件、事件に対する寅栄の見解、毒島との同盟、――――彼の襲来から今に至る過程まで事細かに説明した。

「なるほどね……。まぁ、確かにあの事件が解決しないってのは、私達にとっては不都合ね。警備員の奴らがまた難癖つけて強制捜査にやって来る可能性はあるわけだし」
「そうそう。だから、この毒島と手を組んで、犯人を探してぶっ潰そうって話をしていたんだ。な?別に悪い話じゃねえだろ?」

樫閑は呆れて深いため息をついた。肩も大きく落ちる。

「まぁ、貴方が決めたなら私はそれに従うわ。リーダーは貴方で、私は貴方が決めた方針に沿って、プランを練る。今回は、リスクが大きくて怖い部分はあるけど…」

樫閑は毒島の方に目を向け、手を差し出した。

「ちゃんと自己紹介しておくわね。私は樫閑恋嬢。長点上機学園1年、スキルアウト軍隊蟻の№3をやっているわ。よろしく」
「よ、よろしく。毒島拳です」

毒島は思わず立ち上がり、樫閑の手を握った。
そして、柄にもなく彼女には敬語を使ってしまった。

「じゃあ、さっそく話をしましょう?毒島くん」

樫閑は余った一人掛けのソファーに座った。
全員がソファーに座り、会議のような状態になる。
まず発言したのはリーダーの寅栄だ。

「とりあえず、俺たちはメンバー総動員の人海戦術に出るつもりだ。それと樫閑は毒島に付いて行って、こいつから情報を貰ってきて欲しい」
「私が?」
「お前が適任だろ。毒島からもらった情報を分析できる人間じゃねえと」

樫閑が手を口に当てて熟考し始めた。そして、すぐに彼女は顔を上げた。

「いや、悪いけど私は人海戦術の指揮を執らせてもらうわ。そっちの方が効率良いでしょ。毒島くんには仰羽が付いて行って。得た情報はホットラインで私に送れば良いし」
「ああ。それもそうか。じゃあ、仰羽は毒島に付いて行け」
「了解ッス」

樫閑の提案に寅栄と仰羽は何の疑問も持たずに承諾した。3人は次々と捜査方法やチームの振り分けを話していく。毒島は少し置いてけぼりをくらっていた。
話すこと10分。方針や振り分けが終わった。思っていたより時間はかからなかったようだ。

「じゃあ、これで決まりだ。情報交換は小まめにやれ。明日の朝、またここに集合だ」
「「了解」」

話が終わるとまず毒島が立ち上がった。仰羽もそれに随伴する。

「じゃあ、俺は寮に置いてきた資料を取って来る」
「寅栄さん。自分は先に失礼します」
「おう。気をつけてな」

寅栄が軽く手を振る中、毒島と仰羽は部屋から出て行った。
すると樫閑もソファーから立ち上がり、窓辺に向かった。指でブラインドに小さな隙間を開け、毒島と仰羽が出て行くのを二人に気づかれないように確認する。

「さて、お前の采配の真意を聞かせてもらおうじゃねえか」
「そうね」

寅栄は何もかも分かっていたような顔で口角の上がった表情を向けていた。
樫閑は再びソファーに座り、少し動かして寅栄と対面する角度に変える。
“采配の真意”が彼女の口から出ていないことを寅栄は分かっていた。樫閑は真意が別にあることをサインで知らせていたからだ。それが先程の熟考だ。樫閑にとってあの程度のことは熟考するまでもない。熟考するフリをすることでサインを出していたのだ。

「私は毒島くんを信用しているわけじゃない。おそらく、向こうも私達のことを信用していないでしょうね」
「まぁ、それは言われなくても分かるけどな」
「それは決して解消できるものじゃない。だけど、緩和することぐらいは出来る」
「だからお前じゃなくて仰羽を毒島につけたのか」
「ええ。私だと立場も才能も噂も権謀術策の塊みたいなものだからね。彼に余計な警戒をさせてしまう」
「けど、仰羽だったら話は違うってわけか。あいつは陰謀とか策略とかそういうの抜きで真剣に人と向き合う男だ。会ったこともない毒島の姉のために本気で怒り、本気で涙を流すだろう。あいつはそうやって信頼を勝ち取って来た―――――ってところか?」
「ご明察。それと私が人海戦術に関わりたいって気持ちもあったんだけどね」
「どういうことだ?」
「今回の人海戦術は広範囲な情報収集じゃなくて、“目立たせること”が目的なの。聞き込み調査なんて警備員が調べ尽くしているでしょうし、事件から半年近く経っているから聞き込み調査なんて今更の話なのよね。」
「だったら、大人数で動いて『事件を蒸し返されたくない連中』のアクションを待つってことなのか」
「またまたご明察。隠している連中が短気だと嬉しいんだけどね…」





一方、雑居ビルから出てきた毒島と仰羽は第五学区の地下街を歩いていた。
人気は少ない。カリキュラムが入っていない大学生の姿がちらほら見受けられる程度だ。学生と教師が大半を占める学園都市では平日の昼間の校外の人口はだいたいこんな感じで、大学が集まる第五学区だからまだ人の姿が見られる。
毒島と仰羽が道の真ん中を歩いている。仰羽の体格と様相が周囲の注目を集めるが、周囲はすぐ目を反らす。仰羽が何者なのか理解し、関わらない方がいいと分かっているのだ。しかし、そんな周りの反応など2人はまったく気にしていなかった。

「まさか、自分が殺そうとした相手から協力が得られるなんて思わなかった」

出会ったばかりで最悪のファーストコンタクトだった2人。沈黙を維持したまま歩き続けるのは苦痛だった。

「俺もそうだ。寅栄さんが器の大きい人間だとは知っていたが、自分の命を狙った相手にまでその懐の広さを見せるとは…」
「あんたはリーダーのそう言うところに憧れたのか?」
「ああ。それで軍隊蟻に入った。無能力者でもないのにな。軍隊蟻はそう言ったクチの集まりだ」
「言いかえれば、寅栄ファンクラブだな。」
「ははっ。それは上手い例えだな」

仰羽が少し笑ったことで毒島の緊張は少し解れる。

「…で、俺たちは今どこに向かっているんだ?」

(それを知らずにずっと歩いてたのかよ…)

毒島は少し呆れていたが、それもまた緊張を解す要素となる。仰羽啓靖という人間が見えてきたのだ。良くも悪くも熱血純粋馬鹿ヤンキーなのだと。

「第七学区の寮に事件に関するスクラップや自分で集めた資料がある。それの“コピー”を渡したい。地下街に来たのは地下鉄を使った方が早いから」

毒島は“コピー”を強調した。まだ自分が軍隊蟻を完全に信頼しきっていないことを分かり易く示していた。仰羽もそれは理解していたが、コピーであっても自分が持つ資料を渡すのは、ある程度の信頼はしている証拠だった。





一方、写真を大量コピーした寅栄と樫閑とゆかいな働き蟻たちは、大人数による捜査を開始しようとしていた。大きめの廃工場に暇そうなメンバーを集め、寅栄と樫閑が全体を纏めていた。

「写真は全員持ったね?話はさっき言った通り、10月頃の事件を“派手に”探ること。人目につくところでちょっとした騒ぎを起こしても構わないわ。とにかく私たちが10月の女子高生暴行事件のことを探っていることを分かるようにして。分かった?」
「承知しました!お嬢!」
「姉御と呼びなさい!」

メンバー達がどこぞの運動部のように礼儀正しく返事をする。彼らが樫閑恋“嬢”にちなんで「お嬢」と呼び、樫閑が「姉御」と訂正するのは最早お決まりのやり取りになっている。

「あのぉ~。お嬢」

メンバーの一人が背筋を低くし、物凄く申し訳なさそうな顔でゆっくりを手を挙げる。
金色のメッシュにピアスをしたいかにもチャラ男といった格好の男だ。

「だから姐御と呼びなさい。で?どうしたの?」
「俺、この女知ってます」

チャラ男の一言にメンバー全員が「ええ!?」と一斉に反応し、視線がチャラ男に集中する。一斉に向けられる視線にチャラ男が小動物のように震える。

「その話、本当なの?」
「ウッス。丁度、事件の数日前ッス。結構いい女だったんでナンパしたんスよ」
「それで?」
「あまりにも露骨に嫌がって避けるからムカついて、ちょっとしつこくナンパしたら能力使われちゃって…」
「無様にも負けて、警備員(アンチスキル)のお世話になったわけ?」
「……………はい」

長い沈黙の後の解答。既に工場内は静まり返っていた。
皆が怯えながら2人から距離を取る。寅栄ですら例外ではない。
樫閑の前には自然とチャラ男へと続く道が出来上がっていた。まるで処刑台に続く道のようだ。この場合は、処刑台自ら罪人の元へと向かうのだが…。

「どうりで、10月頃は姿を見ないと思っていたら…」

樫閑が眼鏡を外した。
髪は重力に反して暗雲のように荒振り、その目は野獣の如く怒りに燃えていた。


“怒れる女王蟻による粛清の始まりだ”

「なに警備員のお世話になってんだ!?このチ○カス童貞野郎!!お世話になるだけならともかくしつこいナンパなんて下らないことで捕まりやがって!!そんであれか!?負けた腹いせにボッコボコにして、強姦しようとしたってか!?軍隊蟻の顔に泥を塗ってんじゃねえよ!?アタシらの商売は信用で成り立ってんだ!!それは表も裏も変わらねぇ!!一度でも信用を失えば、Dead endなんだよ!!そんくらいのことも理解出来ねぇのかよ!!てめぇのミニマムチ○コは!!もぎ取って、豚の餌にすっぞ!!!」

開幕のラリアットが決まり、チャラ男が地面に仰向けに倒れる。
樫閑は地面に倒れるチャラ男の両足を掴むとジャイアントスウィングで彼を振り回し始めた。

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァ!!」
「死ぬぅ~!!無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理ィ!!」


※危険なので良い子のみんなは真似しないようにしましょう。


「寅栄さん。お嬢の粛清。ちょっと進化してませんか?」
「ああ。面白そうだったからちょっとプロレス技教えた」

体力的にきついのか、樫閑のジャイアントスウィングの速度が徐々に低下し、ゆっくりと下ろす形でチャラ男が解放された。
樫閑がちょっと疲れて手を離している隙にチャラ男が立ち上がる。

「お嬢…。確かにしつこくナンパして、警備員のお世話になりました…はぁ…はぁ…。はい。そうです。俺は軍隊蟻の顔に泥を塗ったどうしようもない豚の餌以下のゴミクズです」
「あぁ!?」

息を切らしながらも樫閑が睨み付ける。チャラ男は蛇に睨まれた蛙のようになっていた。ビクついて全身の筋肉が震え、鳥肌が立つ。

「でででで、でも、あの女に会ったのはナンパの一度きりですし、そそそそ、それ以降は会ってません!!本当です!!信じて下さい!!」
「そうッスよ!お嬢!こいつにそんな度胸無ぇですよ!」

メンバーの中の数名が庇うようにチャラ男の前に立つ。
それに納得したかのように彼女は怒りを鎮め、一息ついて近くに置いてあった廃材に腰掛けた。制服のポケットからコピーした毒島の姉の写真を出して眺める。

「それもそうね。彼女の能力とそのレベルを考慮すればすぐに分かる話だわ」

(ほっ…)

チャラ男を初めとしたメンバー一同が胸を撫で下ろす。

「今回の一件、“公衆の面前で小学生向け計算ドリル解答の刑”に処してやろうかと思ったけど、不問にするわ」
(なんなんだその刑は…!!ちょっと気になる…)

樫閑は廃材から立ち上がると背筋を伸ばした後、手で軽くスカートを掃う。

「そういえば、ナンパしたのって事件の数日前だったわよね?」
「ウ、ウッス!」
「じゃあその時、彼女に何か不審な点は無かったかしら?怯えていたとか挙動不審だったとか。些細なことで良いのよ」
「――――と言われても半年前のことッスからねぇ~」



ガシッ!!


樫閑がチャラ男の頭を鷲掴みにし、自分のところへ引き寄せる。

「中身が少ない歯磨き粉みたいに脳味噌を無理やり絞ってでも思い出しなさい!」
「はいいぃぃぃ!!」

解放されたはずの恐怖が再び彼を襲った。チキンのようにガタガタ震えながら必死に半年以上前のナンパのことを思い出す。

「あ……思い出したッス」

それもそうだ。警備員に捕まる切っ掛けになったナンパなのだ。忘れていた方がおかしい。

「そう。何か気づいたことはあるかしら?」
「ウ、ウッス…」

チャラ男はビクビクしながらもナンパの時について語り始めた。

「まず彼女を見つけた時なんスが、すっげー大事そうに学生鞄を持ってたんスよ。肩にかけるんじゃなくて、こうやって抱きかかえるみたいに。そんで周りをメッチャ警戒してたッス」

チャラ男は胸の前で腕をクロスさせて帆露がしていた学生鞄の持ち方を再現する。それは鞄を守るような持ち方で普通ならしない不自然な持ち方だった。
その後もチャラ男はナンパの時のことを話し続けた。
挙動不審な彼女を見てチャラ男は暇潰しと「面白そうだから」という短絡的な理由でナンパを仕掛けた。理由が短絡的なだけあって本当に落とすつもりは無かったのだが、帆露はチャラ男を無視し続け、更に逃げるかのように歩行速度を上げた。
それがチャラ男にとっては気に入らなかったのか、すぐに頭に血が上り「無視してんじゃねぇぞ!」と怒鳴り、彼女の学生鞄を無理やり引っ張った。するとチャックが壊れて鞄の中身が雪崩のように落ちてきた。
さすがにチャラ男も『うわっ。やり過ぎた』と反省したが、時すでに遅し。激怒した帆露によって能力で気絶させられ、気が付いたら病院にいて警備員に拘束されていた。

「これが事の顛末ッス…」
「そう。カバンの中身が落ちたって言ってたけど、その中に変わったものとか無かった?」
「変わったもの…ッスか。中身は教科書とかノートとか、あとESPカードみたいな絵のカードと…あ!そういえば茶封筒があったッス!」
「茶封筒?」
「けっこう大きかったっすね。あと変なマークあったッス」
「そのマーク。思い出せる?」
「思い出せるも何もよく見かけるじゃないッスか。第十学区あたりのでっかい施設の柵によくあるあれッスよ。
ほら――――







――――あの扇風機みたいな奴」





一方、毒島と仰羽は既に第七学区に辿り着き、寮を出てコンビニで資料をコピーしていた。
毒島はコピー機の前に立ち、寮から持ち出した資料をコピーしていた。レジにいる女性店員の熱い視線がなんとなる気になるが、あえて無視した。
今コピーされているのは毒島が集めた情報。自分がまだ霧の盗賊を作る前、まだ普通の学生だった頃の軌跡が感じられる。普段は目を向けることもなかった新聞を買い漁り、週刊誌にも目を通し、挙句の果てにはゴシップ誌や都市伝説を扱う雑誌にまで手を伸ばした。
それでもたった数枚だった。事件は大きく取り沙汰されることはなく、粛々と新しい話題の中に埋もれて行った。もう事件のこと自体覚えている人もいないだろう。
ネットの記事を集めたメモリーカードも99%の容量が残ってしまった。

(たったこれだけだ…。“表”の人間だった俺が必死になって集めた情報が…)

あの時の屈辱を思い出す。肩が震え、拳を強く握りしめる。思わずコピー機を殴りそうになるが、店員の視線に気づいて振り上げた拳をゆっくり下ろす。

(落ち着け。これは滅多にないチャンスだ…。他のチンピラ共はともかく長点上機の天才は利用価値がある。裏切りだろうと悪逆だろうとやってやるさ。俺にはもう何も残されちゃいない)
仰羽はコンビニの入り口付近で毒島を待っていた。彼の厳つい風貌のせいで客が近寄れない。明らかな営業妨害である。しかし仰羽はそんなことに気づかずスマホで通話していた。相手は樫閑だ。

『――ってことなんだけど、伝えるタイミングはアンタに任せるわ』

チャラ男のナンパとカバンの中のESPカードと茶封筒。得られた情報はすぐに仰羽へと伝えられた。

「一任してもらえるってことは、俺もお前には信用されてるんだな」
『寅栄ほどじゃないけど…それなりに信頼はしているわ。暑苦しくて嫌いだけど』
「そうか。タイミングは見計らうが、この情報は全て毒島に話す。隠蔽も誤魔化しもナシだ。目的を共にする“仲間”に大事なことを隠すのは“筋”が通らねぇ。それで良いな?」
『だから言ったでしょ。一任するって』
「そうだな。こっちは任せてくれ」

仰羽は通話を切ると、丁度タイミング良く毒島が白い封筒を持ってコンビニから出てきた。

「これが事件に関する資料のコピーだ。―――っても新聞や雑誌の切り抜き。よく会いに来た警備員の話のメモぐらいしかない。捜査状況は親族にも明かされてなかったからな。お前らのリーダーが期待しているような情報はネェよ」

毒島が封筒を仰羽に渡す。

「情報の価値は扱う人間によって変わる。お前にとっては大した情報でなくとも俺らにとっては大金叩いても手にしたい情報かもしれない」

毒島が目を丸くする。どこをどう見ても、そしてファーストコンタクトからしても時代錯誤な暴走族ファッションの熱血バカ一代にしか見えなかった彼がまるで聡明な人間のような言動をとるからだ。
仰羽が中を確認する。

ネット上の記事を保存したものと思しきメモリーカード
新聞、雑誌などの記事の切り抜き
手書きの文字が書かれた数枚のルーズリーフのコピー。

毒島が“まだ善良だった頃”に集めた情報がそこに集約されていた。封筒は薄くて軽くて“重かった”。物理的な軽さと精神的な重さがコントラストに仰羽に圧し掛かった。
仰羽は封筒を凝視したまま立ちすくんだ。樫閑から渡された情報(カード)。それを切るタイミングを見計らう。それはいつだ?そもそも絶好の機会とは何か?条件は?その思考が仰羽の中でグルグルと渦巻いていくが、すぐに晴れ渡った。

(いや…俺のするべきことは最初から自分で決めていたな)

「場所を変えよう。大事な話がある」





時を同じくして第七学区の人気の少ない通り。まるでゴーストタウンのように閑散としていた。学生が多い街だと平日の昼間はだいたいこんな感じだ。特に中学・高校が集まる第七学区だと尚更の話であり、学校に行かず昼間に活動する悪党にとっては犯罪の楽園である。そのため、警備ロボや監視カメラによる“機械の目”が他の学区よりも多く輝いていた。
寅栄は街道の歩道を歩き、携帯電話を片手に樫閑からチャラ男の一件を聞いていた。

「成程分かった。こっちもかなり手間が省けそうだ。人海戦術についてはお前に一任する。俺は俺の人脈で探ってみるぜ」

寅栄は通話を切り、携帯電話をポケットの中に入れた。
彼の前方、サングラス越しの視線の先に1台の高級車とその傍らでしゃがむ男の姿が見える。
高級車は学園都市では珍しい外国製のものだ。青色のランボルギーニを学園都市でカスタマイズしたもの。免許や値段(本体価格+カスタム費用)のことを考えるとそこらの学生や教師では乗り回せるような代物ではない。おそらく高給取りの研究者あたりのものだろう。
その傍らでしゃがみ、ドアに向かって何か細工をしている男の姿も見られる。男は工具箱を足元に置き、一心不乱にドアに向かっていた。
茶色のジャージにジーンズ、ボサボサの茶髪に鼻ピアスを付けている“いかにもチンピラ”な風情の男だ。
寅栄はその男を知っていた。
何か企むような笑みを浮かべると寅栄は音を殺し、チンピラに気づかれないように静かに背後に忍び寄った。指で拳銃の形を作り、銃口をチンピラの後頭部に向けた。

「動くな。作業を止めてそのまま立て」

わざと声を低くし、警備員の真似事をする。チンピラは軽く舌打ちすると両手を挙げて立ち上がった。



――――――――と同時にすかさず振り向いて殴りかかる。顔面を狙った右フック。寅栄は反射的にチンピラの腕を抑え、間一髪のところで拳を防ぐ。
ここで初めてお互いの顔を確認する。するとチンピラの覚悟を決めたような顔つきが解けていき、落ち着いたものになっていく。彼は寅栄の顔を見て、拳を下ろした。

「何だ寅栄じゃねえか。ビビらせんなよ。マジで心臓が止まるかと思った」
「悪いな。浜面。驚かせすぎたぜ」

チンピラ、浜面仕上(ハマヅラ シアゲ)は第七学区に展開するスキルアウト“駒場グループ”のメンバーだ。リーダーの駒場利徳に続く№2に近い男だと認識されている。
寅栄は駒場とは面識があり、それ経由で浜面にも何度か会ったことがある。

「っていうか、何か用なのか?」
「ああ。そうそう。ちょっと聞きたいことがあってな。こいつのこと知ってるか?」

寅栄がポケットから毒島帆露の写真を取り出し、浜面に見せる。浜面は写真のコピーを受け取るとそれを凝視しながらそこそこ長い時間、頭をかきながら「う~ん」と唸る。

「いや、知らねえな。思い出せそうだけど気のせいだわ。お前ら探偵業でも始めたのか?」
「ちょっとした正義のヒーローごっこだ。あと、ついでに駒場に伝言頼む」
「伝言?」
「『演算銃器(スマートウェポン)の件は大丈夫だ』って伝えればいい。それだけだ。邪魔して悪かったな」
「悪いと思うなら邪魔するなよ」

浜面はそう言って、再びしゃがんで車と向かい合った。どうやらピッキングで解錠しようとしているようだ。寅栄は彼の作業を背後から見ていた。

「相変わらず手際が良いな。ウチのメンバーにならないか?」
「悪いがお断りだ」
「そりゃ残念。あと集中しすぎるのはどうかと思うぜ?もし本物の警備員だったらどうしたんだ?」
「そうならねぇように対策は売ってある」

浜面は片方の手をピッキングツールから離して足元の工具箱に指をさした。工具箱には様々な道具が詰められていたが、一番上にキッチンタイマーが置かれていた。

「今は平日の昼間。学生も教師も学校で、この街の治安維持はほとんど機械任せの状態だ。カメラやロボが犯罪を認識してから警備員の詰所に連絡が行って、最寄りの詰所か学校から警備員がここに来るまでの時間は計ってある。それまでに解錠するなんざ余裕だ」
「ほぉ~。で、その時間はいつなんだ?」






ピピピピピピピピピ…


寅栄が訪ねた直後、キッチンタイマーが鳴った。最短の計算で警備員が来る時間だ。浜面は寅栄とのやり取りでかなりの時間をロスしてしまった。あまりにも時間をかけ過ぎたのだ。

「……今だ」

その直後だった。すぐ近くの狭い路地から大型の車が飛び出してきた。路地に置いてあった室外機やゴミ箱その他諸々を全てスピードと質量に任せてぶっ壊し、突き飛ばし、閑散としていた通りを一瞬にしてゴミだらけにする。
飛び出したのは警備員が使用する紺色の大型特殊車両。装甲車ばりの大きさと頑丈さを持ち、人員や兵装の輸送に用いられる。
飛び出した車は瞬時に方向転換しドリフトで急停止する。

「お前ら!見つけたじゃんよ!」

車の外部に備え付けられたスピーカー越しに凛とした女性の声が通りに響き渡る。
2人が車の運転席に目を向けると、そこには見知った女性がハンドルを握っていた。出来れば会いたくない人間ではあった。
腰まで伸びる綺麗な黒髪のポニーテールの巨乳美人だが、冴えない緑色のジャージがそれを押し殺してしまっている。2人はその姿に戦慄した。よりにもよって最悪の警備員を呼び寄せてしまったからだ。

(黄泉川が来やがったぁぁぁぁぁぁぁぁ!!)

「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」」

2人は車に背を向けて全力で走り出す。全身の血流を加速させ、一瞬にして肺の空気を押し出す勢いだ。エンジンのピストンのように両足の筋肉が収縮と弛緩を繰り返す。普段からアスリート並みのトレーニングを続けている2人の疾走は様になる。
車が通れないような狭い道でショートカットすることでスピードの無さをカバーしている。黄泉川もアクセルを踏んですぐに追いかけた。
2人は走り続け、幾度かショートカットを繰り返して再び大通りに出た。
先に1台の奇妙なバイクが停まっていた。赤のスポーツタイプだが同色の装甲のようなもので覆われ、まるでバイクが鎧を纏っているかのようだ。それでも尚スリムかつスタイリッシュにフレームがまとめられている。

「「そのバイク貰ったー!!!」」

寅栄がバイクにしがみ付いてハンドル周りからマシンの性能と操作手段を推測し、浜面がポケットに入っていたツールでロックの解除に取り掛かる。

「早くしろ!黄泉川が来るぞ!」
「急かすな!もうちょっとだから!」

2人はかなり焦っていた。寅栄も浜面も若干震えていた。
追跡してくる警備員の名は黄泉川愛穂(ヨミカワアイホ)
暴れるレベル3の能力者をヘルメットや盾でド突きまわして制圧し、装甲車ばりの大型特殊車両でカーチェイスを繰り広げる女だ。浜面は何度も経験し、寅栄も大型特殊車両で追い回された過去がある。その時の思い出は最早トラウマになっている。

「よし!開いた!」
「でかした!」

浜面がロックの解錠に成功した。あとはエンジンをかけるだけ。キーのいらないタイプのようだ。2人でバイクに乗って逃げようとした途端だった。







「おい。私のバイクに何をしている?」


背後からの声に一瞬心臓が止まった。「持ち主に見つかってしまった」と思い、恐る恐る背後を振り向いた。
そこに立っていたのは赤いライダースーツを着た女性だった。
ゴムで纏められた長い黒髪に切れ長の目をした女性だ。身長170cmと女性にしては高く、ぴっちりとしたライダースーツのお蔭で彼女の巨乳とスタイルの良さが目に映る。寅栄も浜面も彼女の胸や腰回りに視線が行く。
彼女の肩には特攻服がかかっており、手には頑丈なフルフェイスメットがあった。
彼女の名は己道輪佳(コミチリンカ)。このバイクの持ち主である。
細長い切れ長の目で2人を睨み付ける。明らかにチンピラといった風情の男たちが自分のバイクに何かしているのだから警戒するのも当たり前だ。

(俺が引きつけて隙を作るからちょっと待ってろ)
(了解)

寅栄は振り向いて己道の前に立ち、精一杯の笑顔を振り撒く。

「いやぁ~。悪い悪い。珍しいバイクだったのでつい見惚れてしまったぜ。俺たちもライダーだからさ」
「そ…そうなのか」

寅栄の弁解とバイクへの褒め言葉で己道の警戒心が少し和らぐ。

「それにしても珍しいバイクだな。どこのメーカーだ?」
「警備員の警邏用バイクのカスタムだ。ワンオフで世界にこれ1台しかない」
「自分だけのバイクって奴か。憧れるなぁ。俺も欲しいぜ」
「悪いが、これは渡さない。こいつはとんだ暴れ馬(クレイジーホース)なんだ。乗りこなすのに苦労する」
「おぅ。そいつは手厳しいぜ。このバ――――――

寅栄が次の言葉をいいかけた瞬間、轟音と共に装甲車が大通りへと飛び出してきた。また室外機やらゴミ箱やらを撥ね飛ばし、道路にタイヤ痕がつくことなどお構いなしにブレーキをかけながら方向転換する。あの乱暴で大胆な運転から黄泉川の顔しか浮かばなかった。
その一瞬の隙をついて寅栄は己道を歩道側に押し飛ばし、2人でバイクに跨った。寅栄が前でハンドルを握り浜面は後ろで寅栄の胴に捕まる。

「黄泉川の奴すぐ来るぞ!」
「分かってるぜ!リミッター?んなもん外しちまえ!」

寅栄は明らかに危険そうな髑髏マークのボタンを押した。浜面は「おいおい大丈夫なのか?」と心配そうな顔になり、寅栄に押し飛ばされて尻餅をついた己道は「あっ…」とどこか察したような表情になっていた。




「アクセル全開!」




一瞬……その一瞬、第七学区の大通りを赤色の弾丸が貫いた。瞬時に音速を超えたクレイジーホースはプラントル・グロワートの特異点を突破し、ベイパーコーンと呼ばれる雲を周囲に形成しながら遥か彼方、上空へと飛ばされていった。その機動はバイクではなく、ジェット機のそれだった。

その後、浜面仕上はクレイジーホースから投げ出され、数百メートル先の高校の女子更衣室の窓に頭から突っ込んで気絶していたところを学校の風紀委員が補導。無事、黄泉川に引き渡された。

寅栄瀧麻はクレイジーホースと共に流れ星になった。空飛ぶバイクの目撃証言から第十九学区の方面に飛ばされたと思われる。現在、警備員がバイクの窃盗犯として捜索している。

己道輪佳は警備員の詰所にバイクの盗難届を出しに行った。しかし盗まれたクレイジーホースが違法な改造車であったため警備員より厳重注意を受けた。

第四章に続く

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最終更新:2014年05月11日 21:56