炎はすぐに消え、
ハーマン=オラヴィストはその直後に倒れ伏す。発動目前だった『神々の黄昏(ラグナロク)』も何事もなかったかのように、すぐに消え去った。
ハーマンが倒れた事で、彼の背後にいたゴドリックが見える。構えていた『灼輪の弩槍』を下ろして―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――。
「“―――――――――――――――――――どういうことだ、ゴミ?”」
怒りを内包した声が、突如周囲に響き渡った。
「どうもこうもあるか。
ジェイク=ワイアルドがジュリアを攻撃した時から、アンタらは契約違反してんだよ。この依頼、破棄させてもらう。」
そんな怒声に対して、同じくらいの怒りをもってゴドリックは返事をする。
「え……、え!?ゴドリックどういう事?いったい何が……。」
この中で唯一人、ジュリアは事情を知らない。
何故ゴドリックが今まで敵対していたのか。何故急にハーマンを闇討ちしたのか。それすらもジュリアにとっては疑問だった。
「ジュリア、済まない。全て終わったら説明して………。」
ゴドリックがジュリアに対して弁明しようとしたところで。
「“そうか、よく解った。苦しめゴミクズ。”」
突如、ゴドリックは金色の光に包まれる。美しく輝く光は、ゴドリックの腹の部分だけ金色から血の様な赤色に変化する。
「グ……!!!」
途端にゴドリックは一瞬、呻き。
「ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」
一気に吼えながら倒れ伏した。
その表情は痛みに苦しみ、悶えているモノ。この金色の光は明らかに魔術だ。
「あ…あぁ…。ゴドリック!!ゴドリックしっかりして!!」
すかさず、ジュリアが駆けつける。今のゴドリックは蹲ってあえいでいる。外傷こそないものの口からは泡を吹き、苦しんでいた。あげる悲鳴は断末魔の様な悍ましい声だ。
「ふん、いい気味だ。」
ジュリアが声に反応し、振り向くと、二人の男がいた。
一人は金色の獣毛が至る所に付着しているスーツを着た金髪碧眼の男。その眼は完全にゴドリックとジュリアを見下し切っており、表情からは侮蔑を感じ取れた。
もう一人は到底魔術師とは思えないB系のファッションに身を包んだ男だった。その皮肉的な笑みは無駄に端正な顔つきを嫌なものにしている。
「貴方達は、誰!?ゴドリックに一体何をしたの!!?」
ジュリアは苦しむゴドリックと二人の間に立ち、槍と毒血を構える。
その表情は憤怒に満ちて、眼光だけで人を殺せそうな勢いだった。ゴドリックと対峙した時よりも怒りを露わにしていた。
何より、今起きていることはすべて自分が原因だという事も心の中で察していたことから、焦りもまた、ジュリアの心の中にあった
「ソッチの金色の毛ボーボーのオッサンは
アヴァルス。魔術結社『
世界樹を焼き払う者』の幹部。で俺は部下の
ディスターブ。そこのおねーさん、カレに何が起きているのか知りたかったら、アヴァルスの左手を見てごらん。」
ジュリアは言われるがままに、アヴァルスの指輪を見る。
彼の左中指には黄金に光る指輪があった
「黄金の、指輪……?まさか『アンドヴァラナウト』を基に!?」
「正解。で、どうだよ炎の射手(アーバレスト)?この間会った魔術師から参考にしたこの『禍の指輪(アンドヴァラナウト)』の味は?」
『アンドヴァラナウト』とは北欧神話に出てくる黒小人の一人、アンドヴァリが持っていた指輪の事である。
この指輪には無尽蔵に黄金を生み出す力があるが、ロキに自身の黄金ごと盗まれる際、アンドヴァリ自ら呪いをかけたという逸話がある。
「この『禍の指輪』の効果は、生み出した黄金を対象に癒着させ、その対象に指輪の持ち主が遂げた悲惨な最期の痛みを再現するもの。そいつのうなじを見てみろよ。」
ジュリアはそう言われて、ゴドリックのうなじを見る。そこには大豆ほどの、指でつまめそうなほどの大きさの黄金が皮膚に一体化するように張り付いていた。
「その黄金が癒着している限り、この霊装に合図を送れば痛みが走る。今は差し詰めシグルドに腹を貫かれたファフニール竜の痛みと言ったとこだ。今はまだ痛みで済ましているけど、その気になれば傷だって造れる。欠点と言う欠点はこの魔術で人は殺せないことだが、そりゃもう、“死ぬ”ほど痛いんだろうなー。例えば……」
腹に浮かんでいた赤い光は元の金色に戻り、代わりに背中が赤く光る。
腹を押さえてうずくまっていたゴドリックは今度はエビ反りになって痛みに苦しむ。
「コイツは英雄シグルドが唯一の弱点である背中を貫かれた痛み。」
背中の光は消え、今度は様々な場所が赤く点滅する。
ゴドリックは悶え苦しみ、最後にはうつ伏せになって倒れ伏しながら、痛みに耐えていた。
「コイツはレギンとファフニールの父親、フレイドマルが二人に惨殺された痛みかー。あ、と、は。どうします「もうやめて!!」
にやにやと皮肉的な笑みを浮かべながら、拷問するディスターブに懇願するようにジュリアは叫ぶ。
ディスターブは術式をいったん中断させ、ジュリアを見据える。
「もうやめて!!大体あなた達の目的はなんなの、何でこんなことをするの!!この事態に私がどうかかわっているというのよ!?」
「騒がしい奴だ。そこまで言うなら“見せて”やろう。」
やっと口を開いたアヴァルスが懐から一本の杖を取り出す。魔力を通すことで小枝サイズのソレは140㎝程の松明となった。
松明に火が灯り、火はスクリーンの様に薄く広がり、映像を映し出す。
スキールニルの杖の伝承を使い情報を記憶しておくことで、それを映像として投影することを目的とした霊装だ。
「コイツは二日前にあのカフェでこの小僧に依頼した時の様子だ。」
二日前、ティル・ナ・ノーグでの取引の様子が、火の中に映された。
「で、その魔術結社の幹部サマが一体何の用だ?」
「なに、仕事の依頼だ。内容は魔術結社『世界樹を焼き払う者』に新たに所属したジェイク=ワイアルドの護衛だ。」
その名前を聞いた途端、目を見開く。ゴドリックはジャック・ザ・リッパーの異名を持つ人間が、ジェイク=ワイアルドであることを思い出した。
「ジェイク=ワイアルド……ジャック=ザ=リッパーのことか!?」
「あぁ、そうだ。」
「断る!!なんでそんな人殺しの護衛なんかしなくちゃいけない!?」
ゴドリックはものすごい剣幕でアヴァルスに吼える。
一方のアヴァルスは少し不機嫌そうな顔つきをしており、ディスターブはクックッと皮肉気な笑みを浮かべていた
「そうか、断るのか。なら仕方ない、他を当たろう。」
アヴァルスが顎に手を添えながら2、3歩ゴドリックに歩み寄る。
そして残虐な笑みを浮かべきった表情でゴドリックにこう囁く。
「…………あぁ、そう言えば、先程ディスターブが変装していたあの顔は一体誰の顔だったかな?」
「!! まさか、テメェ…………!!」
「お前が断ればあの女はどうなることか……。逆に引き受ければあの女の身の安全は保障しよう。さて、どうする?引き受けるか、否か。」
アヴァルスはゴドリックの肩に手を置く。その時、ゴドリックは知らなかったことだが、僅かに指輪が鈍く光る。
『禍の指輪』はこの時、ゴドリックを術式の対象にした。
「…………………引き受ける。引き受けてやるよ。」
そう言ったゴドリックの顔は歪んでいた。厳しい表情で、歪みきっていた。
「そうか、分かった。詳しいことは後で連絡しよう。では、またな。」
アヴァルスとディスターブは踵を返し、店を出たところで映像は途切れた。
映像を見ていたジュリアは膝から崩れ落ちる。手に力が入らなくなり、『業焔の槍』も地面に落ちた。
「私のせい……?私を護ろうとしたから、ゴドリックは今、こんな目に……?」
「あぁ、そうだよ。アンタのせいで、ソイツはこんなことしたのさ。あの後もコイツを監視してたけど、滑稽だったぜ?家に帰ってからもベッドの上で蹲って、結局一睡も出来ず、悩み続けていたんだからな。ほんと、アンタは自分のしでかしたことを……」
「違う!!」
ディスターブの、ジュリアに対する皮肉的な罵りをゴドリックが遮る。
「全部、僕が招いた不手際だ。僕のせいなんだ。ジュリア、君は何一つ悪くなんか…………!!」
「うるさい。」
アヴァルスが見下した表情で、『禍の指輪』を再び発動させた。
「が、ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「ゴドリック!!」
血反吐でも吐きそうな表情をして、苦しむゴドリックを介抱するかのように、ジュリアはゴドリックに寄り添った。
「チャンスをくれてやる。
ジュリア=ローウェル、“こちら側”に来い。貴様はケルト系だけではなく
北欧系にも通じているのだろう?『世界樹を焼き払う者』でお前の才能を活かしてやろう。なんならその小僧も一緒にしてやってもいい。今来るならば、治療をして後で再会させてやろう。ただし、断ればその小僧は殺す。お前はその後は好きにすると良い。『世界樹を焼き払う者』に入るのも、そのままフリーランスのままでいるのも好きにすると良い。」
そんな中、アヴァルスが選択肢を掲げる。
『世界樹を焼き払う者』に入れば、ゴドリックは助かる。入らなければ、死ぬ。
その二つを突き付けられた彼女は、選ぶ。
ジュリア=ローウェルは立ち上がる。槍を鞘にしまい、背負う。
「ダメだ。…………待て、ジュリア!!いっちゃダメだ。」
痛みに耐えながら、地面に倒れ伏しながら、ゴドリックは叫ぶ。
ここでジュリアが『世界樹を焼き払う者』に入れば、自分は助かるかもしれない。
けど、そんなのはどうでも良かった。
ジェイク=ワイアルドの護衛、知り合いである
必要悪の教会の魔術師たちとの戦闘、ハーマンの闇討ち。
全て『ジュリアを護る』という動機のために行ったことだった。
もし、ジュリアが『世界樹を焼き払う者』に入れば、どうなるか分からない。自分は彼女を護れなくなるかもしれない。
何より、『世界樹を焼き払う者』を、
ゴドリック=ブレイクは信用できないのだ。
ジュリアは振り向く。その顔は無表情だが、目には決意を宿していた。
「私は、貴方に誓わせた。“何があっても生き残れ”って。」
「ジュ……リア。ダメだ。そんなの………。」
「私は、貴方に生きてほしい。だから誓わせた。そんな私は貴方を生き残らせるためなら、なんだってしましょう。だから、安心して待ってて?」
そう、一瞬だけ、慈悲のある笑顔を浮かべる。しかし、顔はすぐにアヴァルスの方へと向けられた。
「さぁ、連れて行きなさい。」
「いいだろう。ディスターブ、そいつは任せた。私は彼女を連れて行こう」
そう言ってアヴァルスは遠ざかっていく。ジュリアもまた、そんな彼についてゆく。
「ダメ、だ。ジュリア。ジュリア…………!!」
ゴドリックは手を伸ばす。しかし、痛みに縛られたその体では、動くことなど敵わない。
伸ばした手は、虚空へと向けられたまま、ジュリアを掴むことはついに無かった。
最終更新:2013年08月05日 22:44