「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「おらぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
寒風が吹くビルの屋上。
双鴉道化ことジェーン=ドゥとクライヴ=ソーン。復讐者と復讐者の戦場でジェーンとクライヴは互いの霊装をぶつけ合っていた。
魔術に入る余地などない、肉弾戦オンリーのインファイト。刃の霊装をぶつけ合い、互いの身体能力を最大限にまで発揮した血沸き肉躍る激闘。動く度に汗が飛び散り、互いの身体が火照って蒸気を放つ。
何度も刃をぶつけ合う。鉄と鉄がぶつかり合う音。ぶつける度に線香花火のように火花が散る。
「銀腕の王」を使うクライヴ。持っていた短槍を背中のホルダーに戻している。何も持たない左腕で敵を組み伏せ、拘束することを目的とした父親譲りの警察式格闘術を使い、右腕で銀の魔剣を展開し、刺突、斬撃といった剣術を見舞う。敵を殺さずに拘束する警察式格闘術に銀の魔剣による止めを加えた拘束・殺害の二段階を踏まえた戦いだ。
対して、双鴉道化、その正体であるジェーン=ドゥの戦い方は双鴉道化の中身とは思えないものだった。軽快な動き、キレのある攻撃、慣れた身体捌きでクライヴを肉薄する。一朝一夕で得られた身体能力ではない。現場で叩き上げられた戦い方だ。
彼女は貧しかった。そして、生きる為には戦い、強くなるしかなかった、そんな過酷な戦いの中で誰にも教えられず、ただ敵を倒す(殺す)という本能によって培われた戦い方。格闘術なんて言えるものではなかった。
ショーテルという特殊な刀剣の形をした霊装「殺戮の陰陽」による斬撃に加えて、足技、死突殺断に似た技も躊躇い無く使い、斬撃はどこにでも、打撃は頭部に集中して畳みかける。
ガギィィィィィィィン!!
ジェーンに振り降ろされた銀の魔剣が殺戮の陰陽に挟むように受け止められる。
互いに筋肉が震え、霊装同士がカタカタと音を鳴らす。筋一本でも力を抜けない。そんな極限の近接戦闘だ。
「どうした?貴様の復讐はその程度か?クライヴ」
「こちとら、お前と接近戦なんて想定外なんだよ。クソが。ショーテル二刀流で中国雑技団みたいな動きしやがって。しかも銀の魔剣が効いてねぇじゃねえか」
銀の魔剣が通じないとは、銀の魔剣が彼女に通用しないわけではない。
銀の魔剣の伝承の元となった宝剣「クラウ・ソラス」には「敵は抵抗することなく斬られる」という伝承がある。その伝承から、クライヴの銀の魔剣《クラウ・ソラス》には術者(クライヴ)から150cm以内の敵は身体が重く感じるようになる。
ジェーンにはそういった素振りが一切見受けられないのだ。もし仮に重く感じてクライヴと同等かそれ以上の身体能力を発揮するのであれば、彼女は人間を超越した“何か”だ。
「そうだったな。銀の魔剣には敵の動きを鈍らせる効果があったか。フフッ…。だが、私には通じない。この“殺戮の陰陽”のお陰でな。流石はケルトの神々を虐殺した神の霊装だ」
殺戮の陰陽《クロウ=クルワッハ》
バロールに呼び寄せられ、ケルトの神々を惨殺した神の名を冠した霊装。クロウ=クルワッハの伝承を利用した霊装は対ケルト系最強の霊装とも謳われているが、クロウ=クルワッハがどのようにして神々を殺戮したのか伝承が曖昧になっているため、様々なの独自解釈と試行錯誤の基、霊装が作りだされた。
殺戮の陰陽はその一つであり、「クロウ=クルワッハには神々の力を奪う能力があり、それ故にケルトの神々を殺戮することが出来た」という解釈で作りだされた霊装だ。
その刃で触れたケルト系の術式、霊装を無力化または減退させる能力を持っている。故に彼女には銀の魔剣による身体の倦怠感が効かないのだ。
「影響が無いにしても、やっぱりお前の身体能力はバケモノだと思うぜ」
「褒め言葉として受け取っておこう」
ドドドドドドドドォォォォォォォォォォォォォン!!!!
ビルの下から鳴り響く轟音、昂焚とマチのレールガンと風槍が衝突した時の音だ。
「下の方では、随分と派手にやってるようだな」
「こっちは互いの魔術を打ち消した地味な肉弾戦だというのにな」
ジェーンとクライヴは互いに笑い合った。
それからほどなくして、立て続けに轟音が鳴り響く。昂焚が八連装レールガンを放った時の音だ。
「マチとか言ったか?あの少女、昂焚と戦って大丈夫なのか?」
「問題ねぇよ。あいつは強いからな。そう簡単には負けねぇさ。それとも、尼乃はお前より強いのか?」
「喧嘩でいつも勝っていたのは私だが、魔術師としての技量なら彼は私を遥かに上回っている。もし彼の持てる全ての技術を戦闘にフィードバックさせ、尚且つ強欲鴉魔を手にすれば、一人で
イルミナティを相手に出来るだろう」
「そいつはまぁ…厄介なことだな!」
クライヴは瞬時に右腕の銀の魔剣をショーテルの刃の上で滑らせるように引き、左腕を伸ばしてジェーンの衿首を掴んだ。そして、左腕の全ての力、渾身の力を振り絞って片腕で彼女を持ち上げ、ビルの地面にたたき付けるように投げ飛ばした。
クライヴに投げ出され、屋上の上を転がるジェーン。しかし、転がりながらもすぐに姿勢を整え、転がりをバク宙へと変えて自分にかかる運動エネルギーを制御する。最後に高く飛び上がって着地した。
ジェーンがクライヴの方を向く。自身に向けて射出された氷槍。視界を埋め尽くすほどの数の暴力、殺戮の陰陽で撃ち落とせる量じゃない。
ジェーンは左目を見開き、魔眼の王を輝かせる。
最初と同じように氷槍が炎に変わり、蒸気となって再びジェーンとクライヴの視界を覆い尽くした。
クライヴは再び銀の魔剣で蒸気を操ろうとする。
「!?」
蒸気の中を突き抜け、2本の殺戮の陰陽がブーメランのように回転しながら左右から挟撃、それに少し遅れて丸腰のジェーンもど真ん中を突きぬけてきた。
クライヴは銀の魔剣と背中に差していた短槍を左手に持って殺戮の陰陽を叩き落とす。しかし、左右からの挟撃に対応したせいで胴体ががら空きになっていた。
ジェーンはそれを狙っていた。故に殺戮の陰陽よりわずかに遅れて突撃し、そしてクライヴが挟撃に対応して胴体ががら空きになることを狙っていたのだ。
ジェーンはクライヴの懐に入り込んだ。大の字に両腕を広げていて、がら空きだった胴体、鳩尾に拳を叩きこんだ。
「ぐふぅっ!!」
ジェーンの渾身の一撃を鳩尾に打ち込まれた。直接臓器を殴られたような感覚に襲われ、胃の内容物や血が混ざりあったものを吐き出す。
激痛で倒れそうなクライヴ。しかし、ジェーンは容赦なく次の攻撃をたたみかける。
彼女はクライヴの頭を両手で掴み、そこに何度も膝蹴りを入れた。躊躇いなどなく、人間性が感じられない。
鼻の骨と歯が折れ、彼女の容赦ない膝蹴りで鼻と口から血が流れる。
そして、もう十分だと思ったのか、ジェーンはクライヴがぐったりとしたところで彼の髪を引っ張り上げた。
「お前の復讐はその程度か?」
「まっ……まだ…だ。俺は…まだ…」
「ふん…このザマでは、ただの虚勢にしか聞こえんな!」
ジェーンの右ストレートがクライヴの顔面にヒットする。その勢いでクライヴは数メートルも飛ばされ、何度もバウンドして地面を転がる。
地面でうずくまり、必死に立ち上がろうとするクライヴのジェーンが歩み寄る。
「呆気ないな。2年前の方がまだ面白く、手応えのある戦いだったぞ。あの時のお前は素晴らしかった。復讐だけで己の全てを支配し、私を殺すことだけを望んていた。復讐を果たした先の虚無など考えず、無謀にも我武者羅に挑んだあの時の貴様はどこにいった?」
「何の…ことだ?俺は…何も変わっちゃいねぇ」
「いや、貴様は変わった。正確に言えば、昂焚が私より強いかどうか尋ねた時だな。彼の強さが分かった時から、お前は私との決着を急ごうとしている。“お前は復讐者じゃなくなったんだ”」
その時、クライヴは初めて自分の感情に気付いた。自分の中でドロドロと渦巻く憎悪が緩和され、少しスッキリとした気持ちになっている。戸惑った。
あの悲劇から復讐に全てを捧げた。イルミナティにいたのは復讐するための力が欲しかったから、
必要悪の教会に身を移したのは復讐を堂々と成し遂げる為の肩書きと機会が必要だったから。世話焼きな性格も悲劇の前の残滓に過ぎない。偽りではなかったが、復讐に邪魔なものであれば切り捨てるつもりだった。
それなのに、クライヴは今“もう一つの理由”を掲げてジェーンに対峙していた。
(ああ…。そうか。あそこでの暮らしが、“あいつら”が俺に“明日”をくれたのか)
クライヴは必要悪の教会での日々を思い出す。
敵組織の一員だった自分を殺さずに保護したステイル、教会に受け入れてくれた最大主教、冠華兄妹や栄に命を狙われたり、マチやオズみたいな年端もいかない同僚達と同じ戦線を潜り抜けたりした。休みの日にはそいつらと一緒に修行に明けくれたり、休みの日にはティル・ナ・ノーグで時間を潰して…
復讐を忘れて、こいつらと生きるのも悪くない。
そう思った時もあった。
(なんて皮肉だ。自分にまだ…復讐以外のものが残っていて、それを仇敵に知らされるとはな…。お前が言いたいことは理解したぞ。双鴉道化)
クライヴがゆっくりと立ち上がり、服の袖で顔に着いた血を拭う。
「どうして…俺が復讐だけじゃなく…マチの心配もしていることに気付いた?」
「簡単なことだ。鏡が無ければ自分の顔は見えないが、鏡が無くても相手の顔が見える。それだけのことだ。あくまで私の言ったことは推測の域を出なかったがな」
クライヴが銀の魔剣を構えた。
ジェーンも魔術で落ちていた殺戮の陰陽を手元に戻し、構えた。彼女の手は震えていた。
「正直なところ、私の推測は外れて欲しかった」
「何?」
ガァァァァァァァァァン!!
ジェーンの言葉に取られた一瞬。その一瞬でジェーンは姿を消し、その直後に並行する2本の刃をクライヴの襟元に振った。そして、咄嗟の判断でクライヴは銀の魔剣でそれを防いだ。
(速っ!)
力が入り、カタカタと震える殺戮の陰陽。その刃と刃の間から彼女の表情が垣間見えた。
彼女は憤怒していた。先ほどまでクライヴと刃を交えることを喜んでいた彼女とは対象的に、完全なる復讐者となっていたクライヴのようなドス黒い感情が渦巻く目をしていた。
「失望した…。失望したぞ!クライヴ=ソーン!!君の復讐はあんな小娘一人の為に揺らぐような“その程度”のことだったのか!?」
「揺らいじゃいねぇよ!テメェを惨殺したい気持ちは変わっちゃいねぇ!けど、俺にはまだ“先”がある!復讐を成し遂げた先がな!」
クライヴは銀の魔剣でジェーンを振り払う。しかし、それで退くことはなく、彼女は再びクライヴに斬りかかる。
パワーもスピードも先ほどとは桁違い、身軽なフットワークとキレのある攻撃が更に鋭く輝く。しかし、彼女が感情的になったのか、動きは直線的で予測し易かった。
クライヴは背中に携えていた短槍を左手に持った。
幾度となく殺戮の陰陽、銀の魔剣、短槍がぶつかっては離れ、そして再びぶつかり合う。人体の限界を越えた剣戟と肉弾戦が繰り広げられる。
「その“先”!?復讐を遂げた“先”だと!?所詮、私達は復讐者だ!過去の幻影を求め、亡霊を追い続けることしか出来ない明日を見ぬ亡者だ!復讐を遂げた先に何があるのか分かるか!?それは虚無だ!先など無い!仇敵の心臓を止めたところで復讐劇は終わり、復讐者は役目を終える!」
「じゃあ、テメェは何なんだ!?親父を殺して復讐は遂げたんだろうが!だったら、今のテメェは何なんだ!?何のために生きて、何のために双鴉道化で居続ける!?」
クライヴが銀の魔剣と短槍でジェーンを振り払い、その直後に大気中の水分を集めて水の槍を左右から広く曲線状に動かして挟撃する。
ジェーンは軽々と挟撃を回避し、再び接近してクライヴと正面切って刃を打ち合った。
「私が何かって?亡者だよ。クライヴ=ソーンという男の復讐劇の最後を飾り、復讐後の虚無へと誘う亡者だ。お前は私と同じ存在になるんだ」
「ふざけんじゃねえ!俺は亡者なんかにならねぇ!まだ先があるんだ!お前への復讐はキッチリ果たして、マチを助けに行かせて貰うぞ!」
次の瞬間、地面を突きぬけて高圧力の水が噴出した。魔眼の王では間に合わない速度、そして完全なる死角からの攻撃。鉄をも容易に貫く水はジェーンの全身を貫き、彼女の身右腕に幾つもの風穴を開ける。
怯んだジェーンをクライヴが蹴り飛ばす。
再び地面を転がるジェーン。全身から流れる血がベットリと転がった跡をつける。
(くっ…まさかビル内部の水を操るなんて…――――――――ッ!?)
ジェーンが面を上げた瞬間、クライヴが左手に持っていた短槍が彼女の左目を貫いた。
「――――――――――――――――――!!!!!」
声にもならない悲痛の叫び。左目から血がドロドロと流れ、ジェーンは刺さった短槍を引き抜いた。それと同時に破壊されてバラバラになった魔眼の王が眼孔から出て来る。
穂先が5つに別れた緋色の槍。クライヴが背中に携えたり、左手に持ったりして使っていたものだ。
(これは…魔眼殺し《ブリューナク》か)
見た者を死に至らしめ、海を炎へと変えたバロールの魔眼。それを貫いた伝承を持つ太陽神ルーの槍だ。その伝承を用いたもので、魔眼の魔術・霊装へのカウンターという非常にニッチな用途の霊装だ。
この霊装は“投げれば”どんな軌道を描いてでも確実に魔眼を貫く性能を持っている。逆に言えば、“投擲”という要素が無ければただの槍でしかない。
(私がバロールの伝承を利用した霊装を準備するのは予測済みだったってことか!)
ジェーンは再び眼帯を付けて止血する。
クライヴは大量の浮遊する水球を銀の魔剣の周囲に漂わせる。
(あいつの魔眼は潰した。後は殺戮の陰陽だけ。あれがケルト神話系の魔術の効果を打ち消すだけなら――――)
(魔眼はもう使えない。身体もそう長くは戦えないな。こっちの得物は近接武器だけ。だとしたら――――――)
(近接戦闘に(すれば)しなければ、勝てる!)
クライヴが銀の魔剣に漂わせた水を全て氷槍に変え、一気に射出する。
ジェーンは殺戮の陰陽で一本一本を迎撃する。しかし、たった2本の刀、ウォーターカッターで全身を貫かれた痛みと魔眼の崩壊による遠近感の衰退でジェーンは何本か仕損じ、身体に氷槍が突き刺さる。
クライヴが再び水を集めて第二射の準備に入った。たった1秒のタイムラグが生まれる。
(今しかチャンスは無い!)
ジェーンが魔眼殺しを拾い、クライヴの向けて投擲する。魔眼が存在しない今、魔眼殺しはただの槍でしかない。
魔眼殺しはレーザーのように直進しクライヴの右肩を貫いた。皮膚を裂き、肉を貫き、骨を砕く。
ジェーンは同時に殺戮の陰陽を左右に投げる。それはブーメランのように回転し、弧を描いてクライヴに斬りかかる。
「ちっ!」。
クライヴは集めた第二射用の水を氷槍にして左右に射出する。氷槍は殺戮の陰陽を迎撃し、地面に撃ち落とす。
しかし、その隙にジェーンはクライヴの懐まで入り込んだ。足音一つしない、たった一歩で敵の眼前まで迫る縮地法。彼女の左手がクライヴの襟元へと伸びる。
「―――――――っ!!」
咄嗟の行動だった。肩の激痛に耐えながら、まだ繋がっていた筋肉を無理やり動かし、銀の魔剣でジェーンの左手を斬り飛ばす。何の抵抗もなく、まるで空を切るかのように彼女の左腕は切断された。
ジェーンの得物は全て無くなった。腕も斬り落とした。高水圧カッターで彼女の右腕も拳でダメージを与えられるほど力は出せない。
その瞬間、クライヴは勝利を確信した。
―――――――――――はずだった。
グサッ!
苦しい…。痛い。血の流れが弱くなり、自分の命が徐々に弱くなっていくのが感じられる。
「切り札は、最後まで残しておくものだ」
互いに抱き合い、体温を感じれる距離で、ジェーンはクライヴの心臓にサバイバルナイフを突き刺していた。
クライヴの胸から溢れるように血が流れ、それがジェーンにもかかっていく。
「惜しかったな…。クライヴ」
「勝ったと…思ったんだけどなぁ…」
クライヴはあの時、確かに勝利を確信した。勝利し、その“先”を見てしまった。そして、先を見るばかりでまだ目の前の“今”が完結していないことに気付かなかったのだ。
明日を見て、今目の前に居る敵が見えなかった。
それがクライヴの敗因だった。
「何か、言い残すことは…あるか?」とジェーンが囁いた。
「ふん…。遺言書は教会に預けてるんでね。だが、てめぇに言い残す言葉ならある」
“先に地獄で待ってるぜ。さっさとくたばりやがれ”
「―――――――――――――――――――――そうか」
ジェーンが最期の言葉を聞きとると、ナイフを引き抜いた。更に多量の血が溢れ、ジェーンにかかっていく。
そして、ジェーンが離れると彼女を支えにして立っていたクライヴが倒れた。膝から下が無くなったように、重力の成すがままに彼の身体は地面に伏せた。もう、彼の身体に命は残っていなかった。
ジェーンは自分が脱ぎ捨てた骸骨カラスの仮面、黒翼のマントを拾う。
「さよなら。クライヴ=ソーン。君のことは、けっこう好きだったんだがね」
私の強欲に歪められた君の生涯に哀悼を、復讐に捧げても尚、復讐に呑まれなかった君の気高い精神に敬意を払う。
ジェーンの目から一筋の涙が零れる。しかし、それを見る者はいない。彼女もこの涙を誰かに見せることはないだろう。
そして、涙を隠すように彼女は仮面を被り、双鴉道化へと戻った。
(下の方は随分と静かになったな)
双鴉道化はビルの屋上から昂焚とマチの戦場を見下ろした。「随分と派手にやったな」と爆撃跡地のような惨状に感嘆としながら、マントを翼のように広げてゆっくりと降下する。
双鴉道化は地面に降り立ち、周囲を見渡す。
そこで血を流しながら倒れる昂焚とマチの姿を発見する。
「2人ともまだ命はあるようだな」
双鴉道化が2人の元へと歩み寄り、マントを1本の猛禽類の足のように変化させた。緑色に発光する足を倒れている昂焚に被せた。
「まったく…無様だな。『彼が本気を出せば、一人でイルミナティの相手を出来る』なんて大見得切った私がバカみたいではないか」
しばらくして双鴉道化がマントの足を離し、昂焚が目を覚ました。周囲をぐるりと見回し、自分の状況を確認し、しばらく黙りこんだ。
「……………………………。なるほどだいたい理解した」
「彼女相手に随分と酷くやられたようだね。まさか、こうなるとは思ってなかった」
「それだけ、俺達は相手の力を見誤ったってことだ。お前の方は?」と昂焚が尋ねる。
それもそうだ。双鴉道化の格好では中身のジェーンの姿は見えない。彼女が大丈夫なのか、ボロボロなのかも分からないのだ。
「私も酷くやられたよ。左目と左腕を持って逝かれた」
そう言って、双鴉道化は銀の魔剣で斬り落とされた左腕を見せる。切断面を魔術によって皮膚で塞ぎ、失血を抑えていた。
それを見た昂焚は憤った顔で都牟刈大刀を握るが、すぐに双鴉道化が制止した。
「無駄だ。彼はもう死んでいる」
昂焚を静止した後、双鴉道化はマントで作った足をマチにも被せた。
「おい。どういうつもりだ?」
昂焚は都牟刈大刀の切先を双鴉道化に向ける。
「見ての通り、彼女を治療する」
「それが『どういうつもりだ?』と聞いているんだ。そいつを助けてもメリットなんか無い。敵を増やすだけだ」
「メリットはあるさ。私の自己満足だ。それに君と同じ、意識を戻すだけの最低限な治療だ。それとも何か?君は自分を敗者にした彼女を恐れているのか?」
「…好きにしろ」
図星を突かれた昂焚は刀を降ろした。
2人のやり取りが終わった後、双鴉道化は足をマチから離した。
「うぅ…」
マチが意識を取り戻した。痛む頭を手で押さえながら目元を拭ってボケた視界を治す。
マチが目覚めて最初に見た者。自身の目の前に立つ2人の強者。双鴉道化と
尼乃昂焚が立ちはだかっていた。その事実にマチは驚愕した。凝視した。それだけでマチは生きた心地がしなかった。
双鴉道化が目の前にいる。この事実からマチは一つの疑問が頭に浮かぶ。
「双鴉道化…クライヴは?…クライヴはどうなったの?」
分かっている。双鴉道化がここにいるということはクライヴが負けたということ。そして、負けたということは―――――。
でもマチは訊いた。その最悪の事態がもしかしたら避けられているかもしれないから。
「クライヴ=ソーンは死んだ。私が殺した」
返答は残酷だった。
「うわああああああああああああ!!!!!!!」
マチは烈火のように激怒した。感情を爆発させ、即座に螺旋の腕を長槍形態に変える。しかし、すぐに双鴉道化がマントで巨大な腕を作り、マチの螺旋の腕を抑えた。
「無駄な抵抗をしなければ、今日のところは見逃してやる。これは私のクライヴ=ソーンへの敬意。そして、彼の願いだ。彼は君を助ける為に勝負を急いだ。勝利の可能性を脅かしてまで君を救おうとした。今ここで死を選ぶのであれば、それは彼の死から意義を奪うも同然だ」
双鴉道化はマントを広げ、自分の腕を見せる。銀の魔剣で斬り落とされた左腕だ。
「彼は強かった。見ろ。奴は命を引き換えに私の左目と左腕を奪って逝った。天運の傾き次第では、死んでいたのは私だったかもしれない」
次に双鴉道化は右腕を出した。その手には血塗られたナイフが握られていた。
「取っておけ。クライヴを殺したナイフだ」
双鴉道化はマチの足元にナイフを放り投げた。
マチは涙ぐみながらナイフを拾い、そして全てを恨んだ目で双鴉道化を睨みつける。
しかし、それを傍目に双鴉道化と昂焚はマチに背を向け、静かに立ち去った。
静かに瓦礫の山を降りる2人。
「そんな綺麗な話で終わるわけないじゃないですか」
2人の前に一人の少年が現れた。
藍崎多霧
イルミナティ対策チームの魔術師。そして昂焚とは幾度か因縁のある魔術師だ。
「お前も来てたのか。藍崎」
「ええ、勿論。イギリスで貴方がくれた情報を基にここまで辿りつきました」
「悪いが、美繰がどこに居るかは言えない。それとも漁夫の利を狙って、ここで俺達の首でも討ち取るか?」
「その両方ですかね。貴方達を倒して、美繰の居場所を吐かせる」
「お前一人で出来るのか?」
「まさか。僕ひとりじゃありませんよ」
多霧の背後の空から1台の輸送機が低空飛行でこちらに向かってきた。速度も飛行が保てるギリギリのところまで落としている。
そして、後部ハッチが開き、“それ”が姿を現した。
輸送機のハッチから降りた巨大な駆動鎧は着地し、スパイクの付いた極太の両足でアスファルトの道路を破壊しながら減速していく。
両肩や各部に装備されたライトで夜の道路を照らしながら、巨大な駆動鎧は多霧のすぐ後ろで完全に静止した。
非常にマッシブな男性のような体型をした駆動鎧。ランドセルのように超大型の発電機を搭載し、更に安定性を保持するための足は異様に太く、足裏にはスパイクと高速移動用のホイールが装備されている。全身がツギハギの軍用装甲、機関銃やミサイルポットに覆われ、幾度となく破壊と改修が施されたのが目で見て分かる。色は黒で統一されている。
だが、一番目を引くのは両腕の装備だ。右腕には巨大なガトリング砲、左腕には迫撃砲のような巨大な筒が装備されていた。
駆動鎧 FIVE Over. Modelcase ”MELTDOWNER”test type
(ファイブオーバーモデルケース・メルトダウナー・テストタイプ)
テキストの
星嶋雅紀が搭乗する大型の駆動鎧だ。
その名の通り、超能力者(レベル5)の第四位 麦野沈利の原子崩し《メルトダウナー》を再現し、兵器化することを目的として製造された。しかし、量子論を無視した原子崩しを再現することは不可能であり、原子崩しに近い破壊力を持つ実験段階だった荷電粒子砲を代案として搭載した。しかし、計画の目的はあくまでも「原子崩しの再現」であるため、計画そのものは頓挫し、製造されたのは星嶋が所有するテストタイプ1体のみ。 そのため、専用の予備パーツなどは存在せず、破壊される度に別の兵器からパーツを流用している。
両腕の荷電粒子砲がこの駆動鎧が“最強”である所以であり、右腕には毎分2000発の荷電粒子砲弾打ち出すガトリング砲、 左腕には大出力放射用の大口径のキャノン砲を装備している。
あらゆる盾も破壊する荷電粒子砲を装備したこれは、攻撃力だけで言えば世界最強の兵器である。しかし、モデルケース・レールガンとは比べ物にならない膨大なエネルギーを使うため、超大型の発電機を装備しなければならない。 そのため、全体のバランスや重量を考慮した結果、「歩く戦車」のような姿となってしまったのだ。
更に星嶋の趣味や死角を補うために実弾の迫撃砲やミサイルポッド、機関銃なども搭載され、重装備化が進められた。
「では、始めますよ。星嶋さん」
『こっちもOKばい!』
多霧の周辺から黒い霧のようなものが現れる。
天之狭霧神≪アメノサギリ≫
霧の神であり境界の神でもある天之狭霧神の伝承を利用した魔術。霧を発生させ、その内部において境界を自在に作り出すことが出来る。
境界とは領域、そして空間と空間を区切るものでもある。多霧は霧や境界を用いて周りを把握することが出来、境界を盾の様に使うことで防御したり刃の様に使うことで物体を切断出来る。
多霧の霧が周囲に拡散し、ビルやマチを保護するように包みこんだ。
『これで街中でも暴れ放題ばい!』
メルトダウナーが両腕の荷電粒子砲、全身に武装した機関銃やミサイルポッドを展開し、前方の昂焚と双鴉道化に向けた。全部で20門近い巨大な砲口を向けられる光景は壮観であり、同時に恐怖と絶望しか残らない。
(Fire!!)
両腕の荷電粒子砲が光り、そして一気に放出された。真夜中を白昼に変え、見る者の目に焼き付ける荷電粒子の線は射線上のあらゆる物質を焼き尽くす。
しかし、今回は違う。多霧が天之狭霧神で境界線を引いたことで空間を区切り、射線上にいたマチやビルを保護していた。
昂焚と双鴉道化は咄嗟に左右に別れて逃走し、射線軸から離れた。
「逃がすか!」
『逃がさんばい!』
多霧が都牟刈大刀を使ってぎこちないワイヤーアクションのように移動する昂焚に霧の刃を放ち、メルトダウナーがマントで飛行する双鴉道化に向けて高射砲のように砲弾をばら撒く。
手負いの2人を万全な態勢の多霧とメルトダウナー、科学と魔術の強者たちが襲いかかる。昂焚と双鴉道化は追い詰められ、劣勢になる一方だった。
ガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!
突如、何の前触れも無く地面を突き破って地中から巨大な腕が現れた。腕はメルトダウナーの足を掴んだ。
『な、何ね!?この腕は!?』
メルトダウナーは急速にホイールを回転させ、荷電粒子砲で焼き切りながら腕を払う。
更に地面を突き破り、腕の本体が現れた。
黄泉醜女だ。アスファルトやコンクリートで作られた女形の巨大なゴーレム。しかし、理性などはなく、その出で立ちは女というより、獣に近い。
黄泉醜女は目の前のメルトダウナーに掴みかかり、押し倒そうとする。メルトダウナーも後部のスラスターを噴出してそれに抵抗。大型ゴーレムと大型駆動鎧が拮抗してぶつかり合う。
「黄泉醜女がいるってことは…彼女が…美繰がどこかに!?」
多霧は美繰を探そうと周囲を見渡す。
「あ!」
そのどさくさに紛れて昂焚と双鴉道化が車に乗り込むのが見えた。擬神付喪神で操った車の一つだ。
昂焚が運転席に乗り込み、双鴉道化が後部座席に乗る。双鴉道化は体力の限界だった。この戦いで体力と魔術を使い過ぎた。生命を維持するためのエネルギーがギリギリだったのだ。
昂焚がアクセルを踏んだ。爆発的な初速と加速力を持つ学園都市製の高級車。すぐに100キロ近い速度を出し、道路のギリギリ端、歩道を爆走しながら衝突する黄泉醜女とメルトダウナーを回避した。
多霧ではもう追えない状態だった。
『待ちんしゃい!!』
メルトダウナーは黄泉醜女をビルの壁面に叩き付け、怯んだ瞬間に荷電粒子砲で焼き尽くす。それと同時にミサイルハッチを開き、6発のミサイルを車に向けて発射した。
速度、軌道共に直撃コースを進むミサイル。
ズドドドドドドドドオォォォォォォン!!
ミサイルは車に着弾しなかった。直前で横槍が入り、ミサイルが全て迎撃されたのだ。
その直後、「ミサイルを迎撃したのは自分だ」と自らの存在をアピールするように1機の巨大な戦闘機が飛来する。全長80mの巨体が曲芸飛行のように自分達の周囲を飛ぶ姿は非現実的としか形容しようがない。
「何なんですか?あれは?」
多霧の問い掛けに星嶋はすぐに答えることは出来た。あの戦闘機が何なのか知っていたからだ。しかし、その戦闘機の出現が何を意味するのか?何を示そうとしていたのか?それを考えていて、多霧の質問には答えられなかった。
(あれは、間違いなくHsF-00。学園都市の最新鋭戦闘機…。あんなのを動かせる権限なんて鋭盛は持ってない)
星嶋の考え通りか、持蒲からの通信が入る。それに合わせて、一度、外部スピーカーをOFFにする。
『雅紀。聞こえるか?』
「ばっちり聞こえとるよ。魔術師の方には聞こえんようにしちょる」
『それなら安心だ』
「こっちはまんまと逃げられたばい。HsF-00が妨害してきたばい」
『いや、それで良いんだ。少し事情が変わってね。双鴉道化と尼乃昂焚はまだ泳がせることにした』
「そのこと、軍隊蟻も知っとうとね?」
『知らせてないさ。だけど、あっちのCICも衛星情報を遮断させて、2人を追えないように処置を取った。敵からの妨害工作ってことでね。こっちも撤退だ』
「……」
『不満かな?』
「不満というか、盤上の駒のように踊らされている感じがするばい」
『まぁ、その表現は間違いじゃないさ』
――――――そう思わせぶりな発言をして、持蒲との通信が切れた。
「了解…っと」
星嶋が外部スピーカーをONにする。
『悪いね。藍崎くん。今日はここで撤退ばい。イレギュラーがあまりにも多過ぎる』
「分かり…ました」
苦虫を噛むような表情で撤退命令を了承した。
* * * *
昂焚と双鴉道化を乗せた車は第一三学区から出る高速道路に乗り、最高速度で走り抜いていた。
昂焚は慣れない手つきで高級車を運転し、後部座席に憔悴した双鴉道化が座る。
「昂焚。あの戦闘機は君の差し金か?」
「まさか。あれは学園都市の最新鋭戦闘機だ。俺が手出し出来るような代物じゃない」
「…ということは…どういうこどとだ?」
「お前、血が足りなくて頭働いてないだろ。休め。起きた後にでも説明してやる」
「ああ。そうさせて貰うよ。クライヴとの戦いで血を流し過ぎた」
双鴉道化が眠りに入った頃、昂焚のスマホのバイブレーターが振動する。
昂焚は片手でハンドルを操作し、もう片方の手でスマホを手に取った。
『尼乃か。そろそろタイムリミットだ。こちとら打ち上げの準備は完了してんだ』
相手はヴィルジールだ。
「そうか。もうそんな時間だったな。問題無い。今すぐにでも撃ち上げてくれ」
『分かったぜ。計画の成功を祈る』
「ああ」
高速道路で車を走らせ続けること数分間、昂焚の視界に地上から天空へと急上昇する一つの星、逆流れ星が見えた。
それを確認して、昂焚は静かに笑った。
「星喰い神の弓矢は放たれ、全ての条件が整った」
昂焚は笑みを浮かべながら、ボタンを押した。
11月3日 日本時間 午後9時47分
天地開闢計画《プロジェクト=ワールドルーツ》 発動
最終更新:2013年09月14日 23:38