「『撫子』・・・・・・だと?」

冷房の効いている部屋に冷風とは明らかに違う冷たさが充満する。発するのは車椅子に座る少女。
彼女の視線には部屋内に居る者達から見ても凄まじい意思を感じ取ることができる。もちろん、それは視線の先に立つ不動にも。だが・・・

「(破輩め・・・何故不機嫌そうな表情を私達に向けてくるのだ?)」

朴念仁足る少年には、冷め切った笑顔のまま近付いて来る少女の意図がサッパリわからない。自分は唯ベッドの上から落ち掛けた山門を助けただけ。
彼女とて、一部始終を見ていないとしても予測の1つくらいは立てられる筈である。自分が知る破輩という少女はそういう人間の筈だ。
それなのに、何故不機嫌を目一杯示した表情と視線を自分へ向けてくるのか不動には理解不能であった。



ブルッ!



「(撫子?)」
「・・・・・・」

そんな彼の思考の間にも静かに距離を詰めていた破輩(+界刺)と不動達の間隔が1mを切った瞬間のことである。
不動に抱き抱えられた少女・・・破輩の視線から目を逸らしていた山門の体が微かに震えたのを当の少年は確かに感じ取った。
少年は視線を正面の少女から下方へ移す。そこには、未だ頬を紅潮させながらも胸の前で手を握り拳の状態にして体の震えを抑えようとしている山門の姿があった。そして・・・

「・・・恐い(ボソッ)」

不動にだけ聞こえるくらい小さな声で懸命に意思表示を行う“子供”の姿があった。少年は考える。彼女が恐怖を訴える原因は1つしか無い。
同年齢の自分を『お父さん』と呼ぶくらいのホームシックに掛かっている(と不動が勘違いしている)少女のか弱き訴えに、図らずも父性愛(?)を刺激された不動は・・・

「破輩!!そこで止まれ!!!」

成瀬台高校において、目指す人間形成のモデルケースと学校側に見做されている所以である至極真面目な好青年振りを発揮し始める。






「うっ!!?」
「(あっ・・・この展開はマズい。あの真刺はマズい)」

一方、不動の一喝で歩みを止められた破輩は妙な呻き声を漏らし、少女の後方に立つ界刺は親友の態度が自分へ説教する時と同じ状態に突入したことを瞬時に悟る。

「破輩!!何だ、その態度は!!?何だ、その目付きは!!?私達に対して失礼にも程があるだろうが!!」
「お、お前こそ何で山門を抱き抱えて・・・」
「撫子が誤ってベッドから落ちそうになった所を付近に居た私が助けただけだ!!お前なら、それくらい予想できるだろう!!?」
「うっ・・・!!」
「・・・まさか、花盛支部の面々が居るこの部屋で私が撫子に狼藉を働こうとしていたとでも考えたわけじゃあるまいな?」
「そ、それはさすがに・・・」
「なら、何の問題も無いだろう!!見ろ!お前の態度と目付きで、すっかり撫子が怯えてしまっているではないか!!上級生だからと言って、その態度は頂けないな!!」
「(いやいや!!山門が怯えを表に出すこと自体が異常なんだよ!!というか、上級生に向かってタメ口を使うお前だって問題があるんじゃ・・・)」

界刺の予想通り、怒涛の説教トークを繰り出し始めた不動に破輩はしどろもどろになってしまう。
下級生である不動が上級生である自分へタメ口を使っていることに対する真っ当なツッコミを入れられなくなる程に、“風嵐烈女”は追い込まれていく。

「ハァ・・・。で、何でそんなに不機嫌なんだ?お前がそんな態度を取るのは何か理由があるんだろう?・・・私に対してか?」
「そ、それは・・・そ、その・・・あの・・・」
「以前にも言ったことがある筈だが?言いたいことがあるならハッキリ示せ。このまま有耶無耶になるというのは私としても気に喰わん。
破輩。お前にはその説明責任がある。私達を不快にさせるような態度を取ったお前にはな」
「(ど、どうする!!?わ、私だってどうしてこんなに不機嫌になったのか上手く言語化できていないってのに!!)」
「(ヤベぇ。何か、俺が真刺に説教されてる気分だ。真刺の説教ってつくづく痛い所を突いて来るからなぁ)」

“猛獣”とも称されることのある不動の容赦無い追及に、破輩(+界刺)はたまらず顔を青くする。状況を見れば明らかにこちらが不利である。
理由を上手く言語化できない時点で、妙ないちゃもんを付けたとしか受け取られないだろうことは容易く想像できる。
破輩は考える。何とかこの場を切り抜けるための言い訳を。そうして、1分が過ぎた頃・・・

「そ、そうだ!!実は、お前や仮屋が私や記立の部屋へ見舞いに来なかったことに腹を立てていたんだ!!
界刺の見舞いのために今日ここへ来ることを前もって聞いていたもんだから、余計に・・・」
「見舞い?お前達の部屋へ行ったら誰も居なかったんだが?順番で言うなら、得世の部屋へ行く前にお前の部屋へ寄ったぞ?昼食か何かで不在だったようだが」
「なっ!!?(か、冠と話していた頃か!!!)」
「そんなことで不機嫌を募らせるとはな。しかも、私1人に対してならともかく撫子も巻き込むとは・・・破輩」
「な、何だ!?」
「撫子に謝罪しろ。今すぐに」
「!!!」
「真刺さん・・・そ、そこまでは・・・」
「そういうわけにもいかん。身勝手極まる理由で撫子を怯えさせたことに対してのケジメは着けないとな。何処ぞのウソツキでもあるまいし。あの男の真似は好かん」
「(わ、私だって・・・我儘で真刺さんへご迷惑を・・・)」
「(痛い痛い!真刺の説教マジ痛ぇー!!)」

最早説教マシーンと化した感もある不動の的確過ぎる言葉の銃弾に、少年少女達は為す術も無く貫かれていく。
特に、普段から嘘を付きまくってる“詐欺師”は喉を掻き毟る(注:心の中で)程の苦しさを現在進行中で味わっている。正論はやはり強しである。

「さぁ・・・!さぁ・・・!!さぁ・・・!!!」
「・・・・・・や、山門。わ、悪かった。す、済まなかった。本当に」
「い、いえ・・・も、もう大丈夫ですから。頭を上げて下さい」

結果、眼前へ不動に抱き抱えられたままの山門の顔面を突き付けられた格好の破輩は、ある意味では自分以上の圧迫感を醸し出す不動の表情にひるみつつもケジメとして山門へ謝罪する。
他方、こんな状況になったそもそもの原因が己の我儘であることを認識している山門は後ろめたさを感じながら破輩の謝罪を受け入れる。
双方共に共通して認識するのは・・・『ケジメを着けないと不動が収まらない』という事実に近いモノである。

「よし。・・・得世にも、今のように悪いことをしたらすぐに謝るくらいの素直さを身に付けて欲しいもの・・・」
「あ、あの・・・真刺さん」
「うん?何だ?」
「そ、そろそろベッドへ・・・///」
「これは気が付かなくて済まない。・・・他人へ迷惑を掛けることに関しては、私も破輩のことは言えんか。まだまだ精進が足りん」
「め、迷惑だなんて・・・・・・本当に助かりました。ありがとうございます」
「どういたしまして・・・かな?」
「・・・クスッ。はい」
「フッ」
「ドンドンドン!!!(くそっ!くそっ!!くそっ!!!何て光景を見せ付けてくれやがってんだ、不動の奴め!!!私の気も知らないで!!!
私がお前の見舞いをどれだけ楽しみにしていたと思ってんだ!!!くそっ!!あぁ、ムカつく!!!)」
「痛い痛い痛い!!何で俺の太腿を叩くの!?」
「「「「「・・・・・・」」」」」

対称的な光景が蚊帳の外に居た花盛支部の面々の瞳へ映る。片や、ベッドへ戻るために歩を進める不動と何分も彼に抱き抱えられたままの山門。
2人の間に流れる空気には、何処までも温かな雰囲気が宿っていた。不動と山門の笑みがそれを証明している。
片や、部屋の隅っこの方に移動したと思ったら突然車椅子を押していた少年の太腿を叩き始めた破輩と叩かれている界刺。
2人の間に流れる空気には、何処までもやるせない雰囲気が宿っていた。破輩と界刺の歪んだ表情がそれを物語っている。

「(よ、よぉ牡丹。どう思うよ?)」
「(どう思うと言われても・・・『強敵現る』としか・・・)」
「(月理姐さん。これって・・・)」
「(おそらくだけど、破輩先輩は・・・)」
「(あの破輩が・・・な。梳)」
「(当人がハッキリ自覚しているかどうかは怪しいですね。でも、それ以上に不動先輩の我関せずっぷりがすごいです。不動先輩・・・もしかしなくとも物凄い朴念仁なんじゃ・・・)」

閨秀・六花・羽瀬木・渚・冠・幾凪は、目の前に広がる映像から山門が初めて淡い想いを抱いた少年である不動に159支部リーダーである破輩もまた・・・なのではないかと勘繰る。
幾凪の『表情透視』による分析も、勘繰りが唯の勘繰りで終わらないことを証明している。後は・・・

「というわけで・・・ホイッ!」
「うおっ!?」

諸々の事情を知ってそうな人間の見解を聞くだけ。故に、閨秀は『皆無重量』によって諸々の事情を知ってそうな人間・・・界刺得世を自分達の方へ移動させる。
念動力による制御によって逆さま状態で宙に浮かんでいる碧髪の少年へ、恋バナに興味津々な年頃少女達は遠慮せずにドンドン言葉をぶつけていく。

「(よぉ、界刺。破輩先輩と不動は付き合ってんのか?)」
「(はい?い、いや付き合ってなんかいないけど)」
「(界刺さん。破輩先輩は不動さんが好きなんですか?)」
「(うん?さ、さぁ・・・どうだろうな。まぁ、破輩は真刺を気にしてるっぽいみたいだけど。ていうか、君は・・・・・・あぁ。花盛支部で俺と同い年の)」
「(六花牡丹です。以後お見知りおきを。初対面のあなたへこういう質問もどうかとは思うのですが、不動さんって女心に聡いタイプですか?)」
「(真刺が?いや、全然。朴念仁さでは俺以上だろ。その手の話になると途端に狼狽してこそあど言葉に終始しちまう。んで、その手の話が終わった途端に復活する。
男子校の性なのかもな。さっき、ケジメとか何とか言ってたけどあいつもその手の話になったら右往左往するに決まってる。俺も人のこと言えないけど)」
「(成程。ということは・・・美魁)」
「(『押して押して押しまくれ』ってヤツか?正直今の撫子には荷が重いと思うが)」
「(そこは私達のサポートで支援すればいい。相手はあの破輩先輩です。モタモタしてたら、不動さんが破輩先輩に喰われかねません)」
「(さ、さりげなく酷いこと言ってんな君。破輩は肉食獣扱いか?・・・(チラッ))」
「ドンドンドン!!」
「(うわー、今度は壁を叩き始めたよ破輩の奴。確かに、あんな姿を見たら肉食獣っぽく受け取るかもしれねぇな)」

少女達の立て続けの質問攻めに何とか答えていく界刺の視界には、苛立ちが収まらないのか遂には壁を叩き始めた破輩の姿が映る。
自分の世界へ絶賛潜水中の破輩にとって、自分達の視線など全く気にしてもいないのだろう。ブツブツ独り言を零しながら壁を叩く様は、ちょっと以上に不気味である。

「・・・ところでよぉ、アンタ誰?」
「ん?そういう君こそ誰だい?」
「アタイは羽瀬木真心ってんだ。アンタは?」
「俺?俺の名前は界刺得世っていうの。んふっ」
「界刺得世ね。・・・アンタも『シンボル』のメンバーか?」
「そうだけど?それが?」

“風嵐烈女”の八つ当たりを喰らっている壁に少々の同情心を湧かせていたちょうどその時、自分と余り変わらない身長を有する金髪少女が声を掛けて来た。
ヤンキー口調な少女・・・羽瀬木真心は今までのやり取りから界刺が『シンボル』のメンバーであることを察する。
加えて、かの成瀬台襲撃の際に風紀委員会を守ったメンバーには含まれていない・・・無駄にキラキラしながら胡散臭い笑みを浮かべる少年への印象・・・そしてアニキと仰ぐ不動の言葉から・・・






「ハハ~ン。不動のアニキも大変だなぁ。こんなチャラ男の面倒も見なきゃいけねぇたあ。まぁ、さすがは『シンボル』のリーダーって所かね」
「は?」

『シンボル』のリーダーである(と羽瀬木が勘違いしている)不動に同情心を抱きつつ、界刺をそこら辺に居るチャラ男と見做す。
界刺のようなチャラチャラした男は、スキルアウト時代に幾度と無く目にした。どいつもこいつも軽薄そのままの言動を行い、敵わない人間には媚を売る。
そうでなくとも、強敵相手に尻尾を巻いて逃げ出す姿をスキルアウトのリーダーを張っていた少女は何度も見て来た。そんな己の経験が齎した判断を羽瀬木は一切の疑いを抱かない。

「羽瀬木!」
「皆まで言わずともわかってますぜ、月理姐さん。今朝確認した情報で、姐さん達を助けた人間の名前にこの野郎の名前は無かった。
どんな理由があったのかは知らねぇが、大方敵にビビって不動アニキ達の獅子奮迅の活躍を遠くから見てただけって話っスよ。情けない」
「・・・まぁ、遠くに居たのは本当のことだけど」
「ホラッ!アタイの推理に狂いは無かった!」
「それより・・・真刺が『シンボル』のリーダーって何処情報?」
「そんなこと、仮にも『シンボル』のメンバーのテメェが一番わかってんじゃねぇのか?不動アニキは『シンボル』のまとめ役なんだろ?」
「(・・・成程。まとめ役をリーダーと勘違いしてるのか、この娘は)」

単純型な思考回路を持つ羽瀬木の乱暴な言葉から、界刺は少女の勘違いを悟る。確かに、雰囲気的に胡散臭い態度を有する自分より不動の方がリーダーっぽく見えるのは理解できる。
普通の人間からしたら、軽薄な雰囲気を醸し出す自分のような人間はチャラ男・パシリ・三下みたいなイメージを持つ可能性は大だろう。
何故界刺が『シンボル』のリーダーを務めているのか。それを知る者は極少数であり、界刺自身もここで話すつもりは毛頭無いが。

「羽瀬木!先走り過ぎよ!そもそも、不動先輩は『シンボル』のリーダーじゃ無いわよ!」
「えっ!!?で、でも不動アニキは『シンボル』のまとめ役って・・・」
「でも、先輩は自分のことをリーダーとは名乗っていなかったでしょう!?全く、不動先輩があなたの誤解を解こうと何回も話し掛けてたのに・・・」
「じゃ、じゃあ誰が『シンボル』のリーダーっスか!!?」
「・・・すぐそこに居るじゃない。あなたが『チャラ男』って決め付けた人が。彼が居なかったら、こうやってあなたと私は会話していないわよ?」
「ま、まさか・・・!!で、でも・・・・・・ハッ!」

さすがにこのままではいけないと判断したのか、彼女の良き理解者である渚が羽瀬木の誤解を解こうとする。
羽瀬木の言う通り、成瀬台襲撃の折に現場で自分達を助けてくれたのは不動達である。しかし、その裏側では閨秀や破輩達と連絡を取り合って全体の指揮を取った男が居た。
その男こそが『シンボル』のリーダー。胡散臭い笑みを浮かべる碧髪の少年。

「ようやく気付いてくれた?そうだよ。俺が『シンボル』のリー・・・」
「コイツが表向きの『シンボル』のリーダーで、不動アニキが裏から手綱を引っ張ってるんスね!!?」
「え?」

しかし、単純型思考というのは時に思いも寄らぬ飛躍を遂げる。

「アタイ、時々映画や小説で見るんスよ!!才能はあるけど性格とかが悪い男を敢えてエースやリーダーに据えることで責任感を持たせる設定を!
監督やまとめ役を務める仲間が後ろからフォローするみたいな設定を!そうか、そうか。そっちのタイプだったか。
まぁ、姐さん達を助けたくらいだから、それなりのモノはあるんだな。ニュースに名前が無かったのも・・・(ブツブツ)」
「(何つー思考してんだ、この娘!!言いたいことはわかるけど!!)」

不動の時のようにまたしても妄想の世界へ突入した少女の言動に呆れてしまう界刺。彼女は粗暴な性格からは想像も付かないかもしれないが案外涙もろい性格も有している。
感動的な映画や小説を目にしては泣く。例え、場所が静けさを求められる図書館であっても泣く。
また、羽瀬木は感動的シーンに至るまでの“タメ”シーンも重視しており、先程彼女が口にした『才能はあるけど~』設定がまさに該当する。
このことから、羽瀬木は界刺を『シンボル』のリーダーとしては認めるものの第一印象で得た軽薄さから不動の支えあってこそのリーダーと勝手に解釈してしまう。
とは言え、彼女の思考はあながち間違いとは言い切れないが。それだけ界刺にとって不動という男の存在は大きいのである。

「す、すみません。後で言って聞かせますので」
「別にいいよ。どうせ、勝手に自己解決するのがオチだろ・・・」
「かいじさ~ん!」
「おぉ!抵部準エース殿!どうもです!」
「です!!」

頭をペコペコ下げる渚に応える界刺の耳に聞き慣れた少女の声が入って来る。『皆無重量』から解き放たれた界刺が首を向けると、冷房が効いているにも関わらず幾筋の汗を額から流している抵部の姿があった。
互いに敬礼の真似事をした後に、これまた互いに楽しそうな笑みを浮かべる。そんな光景を不思議そうな表情を浮かべながら見詰める茶髪少女が湧き出る疑問そのままに声を発する。

「あ、あの・・・あなたは・・・」
「うん?誰だい?」
「え、えぇと」
「かいじさん!紹介します!この娘は莢音ちゃんって言って、わたしの妹なんですよー!!」
「妹?・・・(ジ~)」
「ッッ!!!」

姐の紹介を受けた界刺の視線が抵部姉妹に注がれる。始めは両者の背格好を意識していたのか体全体をくまなく彷徨っていた少年の視線が、ある部分でピタッと止まった。
その部分とは・・・胸。女性の象徴でもある胸。莢音自身慎ましいレベルではあるのだが、それでも姉よりかはあった。
そんな『性』を象徴する部分へ少年の視線が注がれた。今一度言おう。抵部莢音は、基本的に『男は皆ケダモノ』思考である。
仮屋(+不動)のような例外が居ることは判明したが、それでも尚男への警戒レベルは激高である彼女は判断する。
邪な感情は感じられなかったが『性欲的視線』と受け取ってもいい視線を自分達へ向けた碧髪の男はケダモノであると。

「お姉様。この殿方、今私達の胸を見比べていましたわ。やはり、大方の殿方はケダモノですわね」
「な、なんですとー!!?か、かいじさんのエッチ~!!!プンプン!!」
「えっ?あっ、悪ィ」

抵部姉妹の抗議にバツの悪い界刺。界刺としては、幼児体型である姉とそれなりの体型である妹との差異で目立つ部分を見比べていただけで別段邪な感情を抱いたつもりは無い。
さすがに、一見では両者の関係性を正確に当てるのは困難である。姉の性格を知っている界刺にとっては特に。
と言っても、下手な言い訳は却って泥沼になるので一言だけ謝罪するに留める。親友の指摘を受けた身として、迅速な謝罪を。

「・・・本当に悪いと思ってるんですかー?」
「あぁ。悪かった。ごめん」
「・・・ふぅ~。ならゆるしてあげます。かいじさん。しゃがんでしゃがんで~」
「・・・ほい」
「フフフ~・・・(トテトテ)・・・それじゃ、いつものなでなでをしてあげます。なでなで~」
「お姉様!?ど、どうしてそんなケダモノの髪を!!?」

少年の謝罪をちゃんと聞いた姉は、プンスカ怒っていた態度を一変させて彼の碧髪を撫で始める。
彼と会う度にこうやって髪を撫でるのが癖になって来たと抵部は思う。触り心地の良い碧髪を撫でるのがすごく気持ち良い。
背の関係から普段は自分を見下ろしている彼を、この時だけは見下ろすことができる。それが何だか堪らなく良い。この感覚は閨秀の後背にしがみ付いている時にも感じるのだ。

「莢音ちゃん。かいじさんはケダモノなんかじゃないんだよ?わたしの大事な友達や仲間を助けてくれた人なんだよ?だから・・・かいじさんをそんな風に呼ばないで」
「お姉様・・・」
「莢音ちゃんの気持ちもわかるよ。そんな莢音ちゃんだからこそ助かったことも一杯ある。でも・・・“それ以上”はダメ。“それ以上”になったら・・・・・・怒るよ?」

莢音は見る。抵部が心底怒っている姿を。妹は感じる。姉の怒気を。これは駄目だ。こんな姿を姉にさせたく無い。こんな感情を姉に抱かせたく無い。少なくとも自分の行動で。

「(私の与り知らぬ所でお姉様がこの男に信頼を寄せる何かがあった・・・のでしょうね。・・・仮屋様や不動様のご友人である以上、そこまで警戒する必要性は無い。今は様子見が適当か)」

風紀委員としての活動やアルバイトで外の世界へ足を運ぶ姉とは違い、典型的なお嬢様として自分のテリトリー内に留まる妹はひとまず様子見をすることを決める。
仮屋や不動の存在もある。彼等の友人である界刺が姉へ狼藉を働くようなことは無いだろう。何より、この場で姉の怒りをこれ以上買いたくなかった。

「界刺様・・・でしたか。先程の失礼極まる発言お許しください。本当に申し訳ございませんでした」
「いや。こっちも悪かったよ。ごめんな」

とにもかくにも、双方共に相手へ謝罪をする。先程から部屋中が謝罪の言葉ばっかりで埋め尽くされているような感覚を覚えるが、そういう『流れ』なのだろう。

「あ、ああ、あの・・・」
「ん?」

そんな『流れ』に乗ってかどうかはわからないが、しゃがみながら抵部に撫でられている界刺の頭上から今まで言葉を発していなかった少女の声が降って来た。
緊張の余りオドオドした口調が露になった花盛支部員・・・六花のベッドから身を乗り出している桃色の髪を揺らす篠崎香織が・・・

「は、初めまして!わ、私は篠崎香織と・・・(ズルッ)・・・キャッ!!?」
「篠崎!!?」
「あがっ!!?」
「痛っ!!?」

今日も絶好調とばかりに持ち前のドジを発揮、身を乗り出す体の支えとしていた手が滑り界刺へ顔面ダイブしたのである。
閨秀の咄嗟の判断で『皆無重量』を発動したために少女が床に落ちることだけは食い止められたものの、篠崎の額と界刺の後頭部が派手な衝突音を奏で、しばらくの間互いに苦悶の唸り声を吐き続けた。

「ご、ごめんなさいごめんなさい。私ったら、こんな時までドジを・・・」
「・・・抵部準エース殿。この娘が『マリンウォール』で言ってた・・・?」
「そうですー!!彼女がわたしの友達のかおりんですー!!」

ようやく痛みが治まって来た頃合いを見計らって界刺は抵部に先日『マリンウォール』で自分に会いたがってる少女のことについて確認を取る。
記憶の片隅に眠っていた名前を篠崎の自己紹介で抵部との約束を思い出した界刺は、これも良い機会と捉えて彼女の話を聞く姿勢に入る。

「そうか。・・・え~と、かおりんでいいのかな?それとも、普通に篠崎呼びの方がいい?」
「ど、どちらでも構いません!」
「そう。だったら、ここは抵部準エース殿に倣って・・・かおりん。俺に会いたがってるって聞いたんだけど、俺に何か聞きたいことでもあるの?」
「は、はい!・・・・・・で、できれば二人きりの方が」
「(二人きり?・・・・・・深い付き合いのあるっぽい美魁達じゃ駄目で初対面の俺ならOKってか?)」

しかしである。篠崎の妙な要望が、界刺の脳内にある警鐘を響かせることとなった。この場にはリーダーの冠始め篠崎にとって心を許せる仲間が多く居る。
それなのに、彼女達には聞かれたくないと少女は暗に言っている。それが、リーダーである冠や友達である抵部達の心にどれだけの影響を与えるか篠崎とて想像できる筈なのに。
仲間に打ち明けられず、部外者に本音を漏らす。こんな展開を過去にも経験して来た碧髪の少年は、周囲から感じる“異様”な視線から直感する。“このままでは駄目だ”と。

「ねぇ、美魁?」
「・・・何だよ?」
「俺、疲れた」
「はっ?」
「いやね、さっきまで破輩に振り回されてたからさ。もう脚がガクガクブルブル。だからさ、お得意の『皆無重量』で俺を浮かしてくんない?
実は、俺ってば無重力を体験したこと無くてさ。前から機会があればどっかの無重力体験コーナーとかで思い切り体験してみたかったんだよねぇ。ねぇ、かおりん?」
「は、はい!」
「君達は『皆無重量』で既に何回も体験してたりするの?無重力ってヤツをさ」
「ま、まぁ。成瀬台高校に通っていた頃は閨秀先輩の能力で集団登校してましたから」
「・・・スカートとか大丈夫だったの?」
「はい。閨秀先輩のおかげで」
「ふむ。なら問題無いか」
「界刺さん?」

いきなり無重力の話に飛んだ現在の展開に頭が着いて行かない篠崎の眼前で、界刺は軽薄な笑みを浮かべる。
まるで、悪戯好きな子供がメチャクチャ面白いイタズラを思い付いたかのような笑顔に、篠崎は僅か心を震わせる。そして・・・

「てなわけで、美魁!この部屋全てを無重力な空間に一丁よろしく!皆で擬似宇宙体験だ!!」
「界刺さん!?」
「・・・ヘッ、いいぜ。お前にゃ借りがあるしな。そのくらいのお願い、すぐにでも叶えてやるぜ!そらっ!」






フワッ!






「うおっ!!?」
「うんっ!!?」
「うわっ!!?」

無重力に慣れていない界刺・不動・破輩が一際大きな声を挙げる。人だけでは無い。枕が、布団が、花瓶が、水が全て浮遊し、無重力の方程式に従って行動を開始する。

「お、おお、おおおおお!!!これが無重力ってヤツか!!!いいねぇ。宇宙に来た気分だぜ!!なぁ、真刺!?仮屋様!?」
「ばか者!!やるならやると周知してからやらんか!!」
「ボク達は『皆無重量』経験者だから、界刺クン程の新鮮な驚きは無いかな~」
「つれねぇ返事だな。・・・あぁ、本当だ。確かに下からじゃスカートの中身が見えないようになってんな。上手い上手い」
「な、なんでわたし達より上にいるかいじさんにそんなことがわかるんですかー!!?」
「そんなもん、チョチョイと光を操作すりゃ。大丈夫、スカートの中身とか見てないから」
「ぬ、ぬおー!!やっぱり、かいじさんってエッチですー!!」
「女の下着見ても欲情しないんだよなぁ…今の俺って(サーヤは何時も期待通りの反応を見せてくれるからいいなぁ)」

無重力となった病室内を泳ぐ界刺の問い掛けに不動は一喝し、仮屋は宙へ浮かぶ菓子にパク付きながらのほほんと返事する。
友達2人の反応の薄さに少々落胆した界刺は、良いリアクションを取ってくれる抵部に聞こえるように独り言を呟き、目当ての反応を示したことに気を良くする。

「まぁ、そんなどうでもいい話は横に置いといて」
「どうでもいい話にされた!!ガビーン!!!」
「(大丈夫ですわよ、お姉様。いずれこの私が・・・ウフフフ)」
「かおりん。どうせ後々で皆に知れ渡るんだし、俺だけじゃ無くて皆に君の悩みを打ち明けてごらんよ」
「えっ!?で、でも・・・」
「きっと、君の悩みの大枠くらい皆は予測してるんじゃないかな。さっき俺達に向けられていた“異様”な視線は、決して無知から来る視線なんかじゃ無かった。
嫉妬というか落胆というか・・・『力になってあげたいのになってあげられないもどかしさ』みたいなもんを俺は感じた。どう、美魁?」
「・・・・・・」
「六花?」
「・・・・・・」

閨秀と六花の無言が答え。沈黙している他の支部員も同様。皆は決して1人悩む篠崎のことを考えていなかったわけでは無い。
むしろ、どうやって彼女の悩みを解決の方向へ導いてあげられるかずっと考えて篠崎と接していた。
【叛乱】による負傷や混乱の影響もかなり大きかったが、一番大きかったのは・・・他の誰でも無い篠崎香織の頑なさにあった。

「というわけだ。何で君が『俺に相談しないと駄目だ』って判断したかは知らないけど、俺だって万能な人間じゃ無い。怪我もするし失敗もする。
なら、できるだけ大勢の人間に相談した方が解決の方向へ向かう可能性は上がるんじゃない?」
「・・・・・・」
「まぁ、ちゃんと俺は俺の意見を言わせて貰うよ。君の言葉を聞いた上で俺の意見を君に伝える。それとも、君はリーダーや先輩同輩後輩は相談するに値しない人間だって思ってるの?」
「それは!!」
「違うんだろう?なら、俺だけじゃ無くて・・・さ。このままじゃ、後で君ん所のリーダーにどやされそうだよ」
「・・・私はそんなことはしない。仮に、このまま2人だけで話が進んだとしても私は口を挟むつもりは無かった」
「(それこそ駄目だろうに。前でも後でもどっちでもいいからリーダーがビシっと言わないと。確か、戸隠を結果的に逃したのは花盛支部リーダー冠要だったっけ?
別段そのことについてとやかく言うつもりは・・・・・・成程。『だから』口を挟めないのか。その辺は自分のことを棚に上げて物を言える俺とは違うな。
六花達も似たような理由か。加賀美の時も思ったけど、説得力の有無は大きいよな。俺を指名したのもその辺が関わってそうだな)」

加えて、花盛支部リーダー冠要を筆頭に六花達花盛支部員の殆どは篠崎に対する負い目から中々声を掛けられないでいた。
そんな折に重傷を負ったことも重なって今に至るまで手をこまねいていた。切欠を作ることもできなかった。
特に、リーダーである冠は【叛乱】において失態を演じたためにどうやって篠崎と接するか模索段階から未だ抜け出せずにいたのだ。

「かおりん!わたしもかおりんの悩みを聞きたい!!」
「抵部さん・・・」
「友達の悩みをわたしの悩みだもん!!それに、しまつしょを書く時もかおりんによく手伝ってもらってるし!!最近は月理ちゃんのつきあいが悪くてさー」
「ブッ!!付き合いが悪いって・・・そもそも始末書ばっかりな莢奈が悪いんでしょー!!」
「ほらねー!!その点かおりんはやさしくアドバイスくれるもん!!時々コーヒーで台無しになるけど。
ねぇ、かおりん!わたしもかいじさんと一緒にかおりんの力になりたい!!ううん!!わたしだけじゃなくてここにいる皆で!!」
「(抵部・・・!!)」
「(・・・んふっ。本当にサーヤは何時も期待通りの反応を見せてくれるよね)」

無重力の海を必死に泳いで友の下へ馳せる抵部の眩しい笑顔が篠崎を・・・冠を・・・界刺を・・・部屋の中に居る全ての者の心を浄化する。
これが抵部莢奈。花盛支部準エースを自称する彼女の本領。仮屋から能力に関する手ほどきを受けたことも彼女の笑顔が眩しい大きな要因となっている。

「・・・わかりました。私も変に意固地になっていました。皆さん、ごめんなさい」
「いや、あたし達もどうやって指導したもんかわかんなくてよ。すまねぇ」
「予測している篠崎の悩みをどう解決すべきか・・・正直私達も手探りが実情で」
「(うん?美魁や六花がここまで言うのか・・・一体どんな悩みなんだ?)」
「では・・・皆さん、私の悩みを聞いて下さい」

閨秀と六花の悩みまくりの表情に界刺が怪訝な視線を送る中、遂に篠崎の口から彼女の悩み―本音―が語られる。
風紀委員になって以降特に気にするようになった悩み。悪循環が悪循環を生み出す今の状況に風紀委員として辞職すら脳裏を過ぎるようになってしまった元凶。すなわち・・・

「私は・・・私のドジっぷりにすごく困っています!!これを何とかしないと・・・風紀委員を辞めなければならないとさえ考える程にです!!!」






「「「「「・・・・・・」」」」」

篠崎の相談という名の吐露が終わって数分が経った今も病室内の沈黙は晴れそうに無い。誰しもが口を噤み、腕組みをしながら思案に耽っている。
彼女の悩みは花盛支部員達の予測通り己の度し難いドジの矯正であった。彼女達の読みは当たっていたのだ。
故に困っている。生来のモノの矯正は何時の時代のどの人間にも困難を極める代物である。『ドジを矯正したい』と相談されても何と答えればいいと言うのか。

「篠崎。閨秀達が例に挙げたドジを聞く限り、それは風紀委員になる前からずっとそうだったのか?
こんなことを言うと気分を害してしまうかもしれないが、よくそれで風紀委員の試験を突破できたな」
「い、いえ。さすがに、風紀委員になる前はここまで酷くありませんでした。酷くなり始めたのは・・・」
「風紀委員になって以降というわけか。・・・撫子」
「はい、何でしょう?」
「撫子の目から見て彼女のドジはどのように映った?具体的で無くていい」
「・・・悪循環が生まれ出した切欠があります。それは・・・」
「それは?」
「現行犯で逮捕した相手が実は何の関係もない一般人だった事件です。危うく冤罪を生み出しかねなかったあの事件は、その場に居た渚や冠先輩のおかげで謝罪だけで済みましたが・・・」
「香織のドジ癖が酷くなり出したのはそこからですね。これはまずいんじゃないかということもあって、香織には外回りより支部内の仕事が任されるようになりました」

宙に浮かぶ不動の質問に当の篠崎他山門や渚が同じく宙を浮遊しながらスラスラと答えて行く。答えて行ける程に篠崎のドジ癖は花盛支部の日常と化していた。

「冠。余り余所の支部に口出ししたくは無いが、外部から内部への仕事転換はちょっと早計だったんじゃないか?失った自信を取り戻すためには、確かな成功経験が必要になる。
リーダーのお前が篠崎に付いていってちゃんと指導していれば、もしかしたら・・・」
「それは私も考えたよ、破輩。というか実際に篠崎に同行して何度も外回りをした。だが、どうしても篠崎のミスが治まらない。
それに、先の冤罪未遂事件が現行犯という周囲に人が居る状況だったこともあって当時篠崎への外部からの目線はそれなりにきつかった。
だから、私は色々考えた末に篠崎へ内部の仕事を宛がった。掃除も篠崎の能力を活かせる仕事だった。ほんの小さなことでいい。篠崎が自信を付ける切欠になればと・・・」
「・・・そうか。お前ならその辺についてもちゃんと考えるよな。私の方が早計だったな。すまない」
「いや。篠崎の吐露を聞く限り私の方法も中々上手く行っていないようだ。もし、あの時篠崎より先に犯人を捕まえておけばと今でも後悔してるよ。ハァ・・・」
「・・・互いに苦労してるな」

他方、同じ風紀委員のリーダー格として言葉を交わす破輩と冠。部下のことで色々苦労して来た分、冠が抱える事情を他人事のように思えない破輩は彼女へ労わりの言葉を掛ける。
冠とて篠崎のために何もしていなかったわけでは無い。色々試行錯誤を重ね、彼女が自信を取り戻す切欠を生み出すための環境整備もして来た。
それが功を奏していない。冠要の試行錯誤が実を結んでいない。唯それだけの話であり、それだけ故に解決もまた困難なのだ。

「冠。アンタは後悔してんの?」
「・・・あぁ、後悔してる。話は破輩から聞いてるぞ、界刺。お前は後悔しないことを旨としているとな。
だが、私はお前じゃ無い。お前に倣う義務は無い。私は篠崎の件も・・・今回の事件のことも後悔する」
「・・・・・・そっ」

界刺のまるで心の奥底を見透かすような視線に負けじと強烈な視線で対抗する冠。嫉妬を抱いていないと言えば嘘になる。落胆していないと言えば偽りになる。
篠崎が界刺を頼った事実。似たような事例―春咲桜―を破輩から聞いた時『あぁ、これが破輩が抱いていた感情なのか』と思った。
だから、図らずも篠崎に頼られた界刺の提案で自分を含む皆を巻き込んだ議論に発展した現状を嬉しく思ってるのか悔しく思ってるのか冠自身にも判断することができないでいた。

「ほぉ・・・私に言葉を熱くぶつけて来た時に比べたらあっさり引き下がったな。どういう心境の変化だ、界刺?」
「なに、今は色々見詰め直している最中だからさ。どうせ、俺は後悔しないしね」
「ふ~ん」
「んふっ」

意味ありげな頷きを碧髪の少年に見せ付ける破輩と常のように胡散臭い笑みを浮かべる界刺。2人の脳内に思い浮かんでいるのは、救済委員事件後のあの病室。
当時の界刺の雰囲気を知っている者としては、『後悔する』と断言した冠にもっと食い下がるかと思っていたが現実はそうならなかった。
彼もまた【叛乱】を契機に何かを見詰め直そうとしている1人なのだ。そして、彼女もまたその1人。

「さて・・・んじゃご指名を受けた者の責任として俺の意見を言わせて貰うよ」
「は、はい!」

誰もが無重力に支配された空間を漂う中、胡坐を掻きながら逆さまに浮かんでいる界刺は少し離れた所を浮遊している篠崎に声を掛ける。
彼の視線を受けてゴクリとツバを飲み込む篠崎。周囲も界刺へ注目する。『シンボル』のリーダー界刺得世が篠崎香織にどのような答えを示すのか。
風紀委員だけでは無い。界刺を全面的に信用していない羽瀬木や莢音も彼に注目している。篠崎への回答によって彼という人間を見極めようとするかのように。

「かおりん。君は自分の余りのドジっぷりから風紀委員で居てもいいのかという悩みにまで発展した。だから、『シンボル』のリーダーとして結果を出していた俺の在り方に注目した」
「そうです。部外者でありながら様々な事件を解決して来たあなたと、風紀委員でありながらドジばかり踏む私。そこにどんな違いがあるのか気になって仕方が無くなりました」
「その違いはわかったの?」
「・・・・・・わかりません。いえ、本当はわかってるんです。私とあなたとでは、根本から出来が違うんだなって。
あなたは重傷を負いながらも拉致された事件解決の大きな力となった。私は病院送り。つまり戦線離脱。・・・本当何やってるんでしょうね、私って」
「何もやってないからそうなるだけじゃないの?」
「界刺・・・!!」
「いいんです、閨秀先輩。界刺先輩の言う通り私は『ブラックウィザード』の件で本当に何の役にも・・・」
「違ぇよ。そんなこと言ってんじゃ無ぇよ俺ぁ」
「えっ・・・?」

容赦の無い言葉に俯きながら自嘲を繰り返していた篠崎の耳に突き刺さるは、少年の強き想いが込められた否定の言葉。

「かおりん。ちょいと質問してもいいかい?」
「な、何ですか?」
「君は・・・何で俺が見えてるの?」
「へっ?」

続くのは怒涛の問い掛け。

「俺じゃ無くてもいい。君は何で物が見えてるの?」
「そ、それは目が・・・」
「君は何で音が聞こえるの?」
「えっ?それは耳が・・・」
「何で君の手は動くの?」
「んん!!?」
「何で君は足が動くの?何で口が開くの?何で声が出るの?何で味を感じるの?何で夢を見るの?何で超能力が使えるの?君は・・・何で生きてるの?」
「!!???」

飛躍。突拍子も無い。少なくとも問いを投げ掛けられた篠崎はそう考えた。何故自身のドジの話から『何で生きてるの?』にまで話がぶっ飛ぶのだ。
それまでの問いも常軌を少々逸しているのではないか?物が見えるのが目が深く関わっているし音が聞こえるのは耳が深く関わっている。
もっと言えば、人体を走る神経等が根幹な話である。超能力に至っては『当人が観測したのだから使える』としか言いようが無い。

「俺はね、一時期こんなことばっかり考えてたんだ。馬鹿でマヌケで・・・自分という存在の価値がさっぱりわからなかった頃の俺は」
「・・・どうしてそんなことを考えたんですか?」
「切欠は・・・そうだな。俺がまだレベル1だった頃、派手に能力を使ってた夢を見た次の日からかな。夢と現実との乖離を実感した時ふと思った。
『何で俺は夢を見たんだ?』って。『何で俺は超能力を使えるんだ?』って。これは生物学的な話でも量子論的な話でも無い。どちらかと言えば概念の話になるのかな。
『何で俺は物が見える?』、『何で俺は手を動かせる?』、終いにゃ『何で俺は生きている?』にまで発展してさ。そこからだよ・・・自分の存在価値を気になり出したのは」
「(ッッ!!!わ、私も『何でドジを踏むの?』って何回も考えた!!これって・・・!!)」
「一度気になりだしたら止まらなかった。『死んだ先の世界ってあるのかな?』とか非科学的な話も思い浮かんでさ、一時眠るのが恐くなった。情けないよねぇ、大の男がさ」
「そ、そんなこと無いと思います!男の人でも女の人でもそんな疑問が頭に思い浮かんだら、一時は恐怖の感情を抱くと思います!!」
「そう?まぁ、当時の俺にとっては人生最大のテーマと化していたからずっと考えてた。考えて行動も起こした。
失敗もしたけど星占いが好きな魔・・・じゃ無くて赤の他人のおかげと自分の決意で何とか自分なりの考えを持つことができた。今回のケースなら当時の俺がかおりんで赤の他人が俺かな」
「・・・・・・」
「君は、何処か昔の俺に似てるな。というか、結構な人間が同じような悩みを抱くという表現の方が正しいか。ねぇ、かおりん。俺はさっき君に何もしていないって言ったよね?」
「はい・・・」
「君はさ・・・何をしたいの?君は『今』何をしたいの?俺は俺のやりたいことがあるから『シンボル』の一員だし、君は君のやりたいことがあるから風紀委員の一員なんだろう?
皆の嫉妬や反感を買うことを覚悟して俺に相談して来た君なら、もっと他のことにも覚悟を持てる筈だ。例えば風紀活動。風紀委員としての行動に。俺の言いたいことがわかるかい?」
「『覚悟を持て』・・・ですか?」
「そうだ。成功も失敗も覚悟を持ってこそ意味のあるモノになる。反省や・・・俺はしないけど後悔も覚悟という土壌の上にあって初めて意味があるもんになる。
君は『今』何をしたいの?君は『今』、『どんな覚悟を持って』物事にぶつかりたいの?今の君はどっちかって言うと『やらされている』だよね?
例えば冤罪未遂事件の後、冠が同行してもドジを踏み続けたのは覚悟を持たずに冠達に流されるまま活動を行ったからじゃないの?」
「ッッ!!!」

“『シンボル』の詐欺師”が開催する『詐欺話術』。これは、他の誰でも無い界刺得世が思考し、思案し、耽り続けた結果構築された彼自身の“経験”である。
人間は自身が得た“経験”上のことでしか物事を判断することができない。そして・・・“経験”は他者へ伝達する性質も有している。他者が咀嚼するという形で。

「今回の場合なら最初は我儘でもいいじゃない。君は君だけの想いを持って行動を起こすべきだった。覚悟を持てば良くも悪くも行動に表れる。
行動に表れたらそれが冠達にも伝わる。そうすれば、今後の指導方針も立てやすい。そういう意味じゃ、内部且つ目立たない掃除業務に移したのは・・・」
「全てが間違いじゃ無いぞ、界刺?掃除はその人の心の状態を表す。心が乱れていれば掃除も乱れ、心が晴れていれば掃除もその通りの結果を示す。好き嫌いは別にしてな」
「あの掃除にそんな意味が・・・!!!」
「へぇ・・・俺も綺麗好きだけど、その辺はあんま意識したこと無かったな。ありがと、冠。今後の参考にさせて貰うよ。で、どうだったのさ?」
「・・・所々に目立つ汚れが毎回残っていた。時々上の空になる時があるんだろう。それでも、盛大に汚れが残ることは無かった。篠崎。最近では掃除でドジを踏んではいないだろう?」
「・・・はい」
「ふむ。冠の方法は上手くいった部分と上手くいかなかった部分の両方が出たって感じか。少なくとも、かおりんは掃除に関してドジを踏まなくなった。
これは“経験”から生まれた自信・・・そして『これだけは失敗できない』という覚悟を彼女が持っていた表れなのかな。そもそもかおりんって成績優秀者なんでしょ、渚ちゃん?」
「はい。香織は勉強も事務業務もちゃんとできます。ドジさえ無ければ」

驚愕に顔を染める篠崎を眺め、冠の指導方針がよく練られていたモノと改めて理解した界刺は彼女の見立てを信じ、渚の言葉でもっていよいよ確信する。
篠崎は『やればできる娘』だということを。生来のドジのために時間は掛かるかもしれないが、本人の努力如何で何とかなる可能性は掃除の件で示された。

「ほんじゃ、後は『やらされている』から『やる』に変えるだけだ。そこに自分なりの覚悟を乗っけてね」
「自分なりの覚悟・・・」
「別に、すぐに結果を出す必要は無い。幸か不幸か今は入院中だしね。その間に抵部準エース殿や渚ちゃんとも話し合ってみたら?
同じ学年だし、君と同じような目線で考えてくれると思うよ。勿論諸先輩方や後輩にもね。もっと皆を信じてあげなよ。皆も君を信じたいだろうしさ。向き・不向きとかは別にして」
「そういうことなら莢奈は不向きかも。何も考えないし」
「ひどーい、月理ちゃん!!わたしだって悩みの1つや2つはあるんだよー!!」
「へぇ~、なら言ってごらんなさいよ」
「そ、それは・・・その・・・・・・あ、後で説明するー!!」
「はいはい。わかりましたわかりました」
「し、信じてないなー!!プクッ~!!」
「・・・フフッ。ねぇ、香織?私や莢奈もさ、微力かもしれないけどあなたの力になれるかもしれない。だから・・・一緒に頑張りましょ?」
「そうだよーかおりん!!わたしもこれからけいこに忙しくなるけど、できるだけ一緒にがんばろう!!!」
「抵部さん・・・渚さん・・・!!!」

篠崎の目頭が熱くなる。迷惑を掛けていたのは間違い無く自分の方である筈なのに、そんなことなんてどうでもいいと言わんばかりに優しさ溢れる言葉を自分へ贈ってくれる。
同僚にして同期。抵部・篠崎・渚は同時期に花盛支部の門を叩いた仲間であり友達である。この先もずっと続くであろうかけがえの無い友の絆を持つ大事な人達。

「・・・んふっ。まぁ、こんな所かな。美魁。そろそろ『皆無重量』を解いて。冠。後はそっちで何とかしてね?全部俺にお鉢が回ってくる展開は御免だ」
「・・・・・・」
「後さ、指導方針とかは良いんだけどそれにかおりんが共感してくれないと意味が薄れちゃうよ?こういうのは『ストーリーオブセルフ・アス・ナウ』が凄く重要だからさ」
「『ストーリーオブセルフ・アス・ナウ』?」
「そっ。リーダーの在るべき姿勢の1つってヤツ。部下や仲間を自発的に動かすためには自身(『セルフ』)の考えを示し、共感(『アス』)を抱かせ、今(『ナウ』)に繋げる必要がある。
この『セルフ』を如何にして『アス』に発展させるか、共感させることで『自身』を『自分達』に発展させ『これからどうするのか?』に繋げるかが大事なんだ。
自分の考えをどう判断するかはそいつ次第だけど、そこに他者が共感を呼べるモノを潜り込ませないと他者には響かないもんだって。
俺が飛躍が過ぎる身の上話をしたのも、そこに『今』のかおりんが共感できそうなポイントがあったからさ。ほれ。あの様子なら風紀委員を辞めるなんて思考はとりあえず吹っ飛んでるだろうさ」
「・・・・・・」
「実は受け売り。だから『界刺の考えを実行したくない』って思わなくても良いよ?んふっ。使えるもんは何でも使えよ。アンタはちゃんとリーダーやってるぜ?自信持てよ」

『皆無重量』が解除されつつある途上でリーダーとして冠と会話する界刺。リーダーの在るべき姿勢の1つを紹介しながら助言と励ましを行う彼を見て、
冠は界刺得世がどうして人を惹き付けるのか少し理解できた気がした。胡散臭さ満載の“詐欺師”の言葉を脳内で反芻しながら少女は思う。

「(これが“閃光の英雄”界刺得世か。私が今まで会ったどのタイプとも違う人間だが、本当に“複雑”だな。
単純明快なわかりやすさが無い分評価が分かれるだろうが、却ってそれが他者の興味を惹く要因となっている。・・・私もわかりやすいかと問われれば返答し難いタイプだが)」
「かりやさんー!!また、今度けいこをつけてくださいねー!!」
「バリボリ(いいよ~)」
「仮屋様といい不動様といいあの殿方といい、本日はどうにも衝撃を受ける殿方ばかりとの交流でしたわね。あの界刺という殿方・・・今の所はどうとも言えませんわね」
「では、これにて失礼する。撫子。体を大事にな」
「(ポッ)・・・はい」
「(不動め・・・。し、しかし何故今日の私はこんなに不機嫌なんだ!?さっぱりわからん!!)」
「(これでまた『表情透視』のネタが増える~!!山門先輩といい、今日は豊作豊作♪)」
「不動アニキ!!御達者で!!今度一緒に遊びましょうぜ!!あの界刺って野郎も少しはやるようで。さすがは不動アニキの指導の賜物っスね!!」
「あ、あぁ」
「この度は本当にありがとうございました。『ブラックウィザード』の件に続くこのご恩は何時か必ず」
「そんなに気負わなくていいって。飯を奢るとかそんなんでいいから」
「ではそのように。何時でも声を掛けて下さいね。そうだ。この際携帯番号を交換しましょう。知らない仲では無いですし。不動さんも仮屋さんも是非」
「そうだな。撫子も喜ぶぜ」
「うぉっ・・・何かメガネが妖しく光ってんな。んでもって美魁共々押しが強ぇ」
「界刺」
「うん?」

クールを信条とする少女に珍しく口元に笑みを浮かべる花盛支部リーダーは、各々が騒がしい会話を繰り広げている中、
地面に足を着いた途端に携帯番号の交換を強く迫る六花と閨秀に気圧されている界刺へ近付く。
彼等とはこれで一先ずの別れとなるだろう。だからこの瞬間に伝える。自分とは違うリーダーへの最大限の礼を。

「ありがとう。不動も仮屋も。3人のおかげで支部内の空気が明るくなった。撚鴃に伝えておいてくれ。『成瀬台の人間は誰も彼もが面白い奴等ばかりだな』と」
「・・・それで椎倉先輩喜ぶかなぁ?」

等と漏らし、首を傾げながら部屋を退出していく界刺達を見送った面々は花盛支部の在り方について議論を始める。
皆の本心が剥き出しになったこの議論は、今後の支部の在り方に重要な意味を持つモノとなったのであった。






「ハァ、ハァ・・・」



午後の陽射しが降り注ぐ中少女は直走る。それは、彼女の幼馴染の姿が見えたから。



「ングッ。ハァ、ハァ・・・」



場所は『形製グループ』が興した精神医療を専門とする病院の敷地内。途轍もなく高級そうな漆黒の車が目立つ駐車場を、159支部所属風紀委員一厘鈴音は脇目も振らず疾走し病院内へ突入する。



「居た・・・!!!」



午後の診療が始まる前の番取りで患者が受付前に多く座っている中を小走りで走った先で・・・見付けた。
故に、病院内であることを承知の上で声を張り上げる。自分の存在に気付いて貰うために。






「白高城ちゃん!!」
「一厘ちゃん・・・!!!」


茶髪をポニーテールで結び、両頬にある泣きボクロが殊更目立っている少女・・・風輪生白高城天理。風輪学園で起きた大騒動における主犯格の1人であり、
この病院に入院する主犯格の少年を見舞うために謹慎処分を無視する形で来院する少女の登場で、違う道を辿っていた別種の物語が本格的に交差を始めることとなる。

continue…?

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2014年01月08日 00:18