閑古鳥が鳴くとは正にこの光景を示す言葉なのだろうか。
そう遠くない場所に学び舎もあるのだが、下校する学生達はこの場所を見向きもしない。関心も持たない。
小規模の森林に囲われたこの建物を地元の誰もが知らないという事は無いだろう。ようは、知っている層の偏りが見受けられるという事だ。
「ここでいいか」
高齢層に行けば行く程地元の習わしやら伝統やらを知っている可能性は高い。低年齢層になればなる程受け継がれている伝統に興味すら抱かない可能性が高い。
「地元の伝統を知る」という名目で体験学習のようなものも行われているだろうが、当人が関心を抱かなければ意味が無いという事だ。
例えばこの寂れた神社。名前が彫られた石碑も今や崩れかけており、刻まれた神社の名すらわからない始末。
規模も小さく、神社として最低限の機能を何とか保っているような印象。誰にも手入れされていないように感じてしまう事から、地元の者達の殆どが最早見向きもしていないのかもしれない。あっても形式的なものだろう。
「最近のコンビニは惣菜にも手を抜かなくなったな。競争激しい今の環境では必然だったとも言えるな」
小さな鳥居の下には階段がある。石製のそれもところどころが崩れており、緑の落ち葉で散らかっている。贔屓目に見て人が座るような環境では無いそこに、しかめっ面の壮年男性が腰を掛けた。
180センチ近い身長に日本人には珍しい鷲鼻、額や目の付近に老年のような皺が浮かんでいるのが特徴的な壮年の名は
永魅頴娃懺<<とこしみ えいざん>>。
毛先だけ軽くパーマを掛け、サイドからバックに掛けてカットを入れるツーブロック黒髪ヘアは今時の流行に倣ったもの。鼻下と顎に蓄える薄い髭も自分で手入れしている。
インナーにホワイトの襟シャツを、その上からブラックのテーラードジャケットを、ズボンも靴もブラックに統一したモノトーンコーディネートを着こなし、ジャケットの襟には出雲大社の
シンボルである二重亀甲に剣花角がある神紋を模した飾りがある特製のラペルピンを挿している。
「いただきます」
服が汚れるのも厭わずに階段に座った永魅はビニール袋から本日の夕食を取り出した。鮭弁当に煮物、揚げ物にフルーツ等々レパートリーも量も豊富である。全て地元のコンビニやスーパーで買った物だ。
特に地元のスーパーにはよく立ち寄る。その地方でしか見られない料理や食材を入手する事ができるからだ。
永魅はとある事情故に、断続的に日本各地を一人旅している。今は東北地方のとある地域に立ち寄っているのだが、収穫らしい収穫は得られなかった。
それもまた“いつも通り”。別に悲嘆に暮れるわけでも無く、永魅はコンビニで貰った割り箸を割り、買ってきた弁当を口の中に放り込む。
「……」
咀嚼によって発生する音と葉を揺らす風の音が永魅の鼓膜を揺らす。永魅の背後、寂れた神社の賽銭箱周辺に地元の野良猫達がゾロゾロと集まって来たがどの猫も永魅に見向きもしない。
それどころか永魅に全く関心を持っていない。まるで路傍に転がる石を視界に映しているような反応。それは永魅がその程度の価値しかないというわけでは無い。
見知らぬ人間を見れば野性の本能から警戒くらいはする。そんな事態になっていないのは、永魅が自分に細工を施しているからに他ならない。
「この清涼飲料水は甘いな。糖分の取り過ぎは極力避けねばな。私も若くは無いのだし」
永魅頴娃懺は魔術師である。異世界の法則を利用し超常現象を引き起こす異能の使い手。特に永魅は日本発祥の魔術結社『
神道系出雲派』と呼ばれる組織の一員である。
主な勢力圏は中国地方。よって、勢力圏外である東北地方は本来『出雲派』の活動領域外である。ここは同じ神道系魔術結社である『
神道系遠野派』の勢力圏内である。
東北地方を中心に北関東・北陸・東海地方まで勢力圏を広げているとされる一大結社。その中心部とされている東北地方に『出雲派』の人間が入り込む。
想定される理由としては敵情視察や情報収集が挙げられる。無論永魅もそれを名目にこうして一人旅をしているし、情報収集も目的の一つではある。だが、それは“主目的では無い”。
「……」
背後から聞こえる野良猫の鳴き声を余所に、淡々と夕食を平らげていく永魅は3分の2程度胃袋に収め必要以上に甘い清涼飲料水で喉を潤したところでこう切り出した。
「何時までそこにおるのだ?私に用があるのであればさっさと姿を現せ。その方が互いにとって効率的であろう?私もそちらに用は無いし危害を加えるつもりも無い。食事中のマナーくらい心得ているつもりだ」
~とある魔術の日常風景 異説「キュリオス・ターン・オブ・フェイト」~
草木から生える葉によって視界は悪い。しかし、生い茂る葉の奥から気配を感じる永魅ははっきり宣言する。
丁度弁当を食べ始めた頃からいた事に野良猫の関心の向きで気付いていた永魅。自分の気配の殆どを完全遮断する魔術を使用する永魅は、逆に気配に勘付く生物の所作をよく知っている。
時間にして僅か十秒にも満たない空白を経て、永魅を監視していた人間が姿を現す。見るからに警戒の色を濃くしながら。
「あなたは一体誰ですか?こんなところで何をしているんですか?」
「見ればわかるだろう。一人寂しく食事中だ。そして私が何者であるかなどどうでもいい事だ。そもそも名乗る程の者では無い」
真っ白になった髪をサイドテールにしている小柄な少女。瞳の色は暗い赤。制服を着用しているが、地元の学生なのかまでは永魅には判別できない。
わかるのは、学校用の鞄を手に持つ少女が魔術師である事。少女は何時でも不測の事態に対応できるように体内で魔力を精製しているようだが、永魅は特に目立ったアクションもせずに弁当を食べ続けている。
「……あなたからは何も感じられない。殺気も敵意も警戒心も…生気さえも。まるで死人みたい」
「ほう。死人を見た事があるのか?」
「そ、それは……痛っ」
「……魔力を収めよ。私は食事中だ。腹が減って食事を取るのはそれ程おかしい事か?」
頭を抑える少女を宥めるように永魅は言葉を続けていく。余計な騒動を起こしたくない永魅の説明にそれでも警戒心が解けない少女。
普通の魔術師であれば出会って数分でそう容易く警戒を解かない事にさして疑問は持たない。しかし、この少女の場合はそれ以上の何かを感じる。
何を抱えているのか過去に何があったのか永魅にはわからない。それぞれ思惑を抱えながら対峙する二人だったが、意外にも緊張を解く切欠となったのは少女のお腹から聞こえた音だった。
「あっ…」
「……いるか?」
「えとっ、そのっ」
「腹が減っては戦はできぬ。まさか『腹を空かして力が出ませんでした』などという言い訳をぬかすつもりか。それは余りにも情けないのではないか?」
顔を真っ赤に染める少女に永魅はコンビニで買って来た揚げ物を見せる。今日新発売したばかりの揚げ鶏。付近の学生が下校途中に買って食べていた場面にも遭遇した。
香ばしい香りが風に乗って少女の鼻腔を擽る。続けて鳴る『食べたい』という意思表示らしきお腹の音。そして、永魅は揚げ鶏をくれると言う。魔術を使用する為の魔力も感じない。ここまでくればやる事は決まっている。どういう意思を表明するかわかり切っている。
「…くれるの?」
「ああ。毒は盛っていないから安心しろ。本当は私が全て平らげたいくらいだ」
「なら頂戴」
「金を払え」
「んぬわぁ」
結局永魅も半分食べるという事となり、代金も半分で済んだ少女
夜都谷巳幸<<やつがや みゆき>>は寂れた階段に座りながら噛むごとに滲み出す揚げ鶏の肉汁の虜となっていた。
隣に座る永魅もまた新発売の揚げ鶏の旨さを堪能していた。本当に旨い。大量に摂取するのは年齢的にどうかと思うが、これくらいなら問題無い。
「おじさんも魔術師でしょ?」
「見ればわかるだろう」
「私も魔術師なんだ」
「駆け出しの魔術師だろう?」
「ぬおっ。どうしてわかったの?」
「色々と拙い面が散見されるからな」
夜都谷は先程までの警戒心を解いていた。幾分まだ緊張している部分はあるものの、『金を払え』などという俗物的な物言いが何処か場違いのように感じられて思わず笑ってしまった。
彼女は『神道系遠野派』に匿われている『保護対象』である。無論『保護対象』になった理由はきちんと存在し、夜都谷にとってその理由に大きく関わるのが“とある魔術結社”の存在である。
とはいえ、今の少女はその魔術結社では無く単純に他の魔術結社の可能性を思い浮かべている。何故なら、彼の胸元にあるラペルピンの装飾が夜都谷にある可能性を想像させるからだ。
(『出雲派』の魔術師…なのかな?別に東北地方に『出雲派』の魔術師が来ちゃいけないなんてルールは無いけれど……目的は『遠野派』の情報収集とか?)
『神道系出雲派』。中国地方を中心に展開する神道系魔術結社。勢力圏の大きさでは『遠野派』が国内最大規模と謳われているが、“有する力”としての規模でなら『出雲派』が国内最大規模という噂が立っている。
神秘性を重視する『出雲派』の場合、何処からが本当で何処までが嘘なのかがわからない。実際夜都谷は『遠野派』が範囲も力も最大の魔術結社だと考えているくらいだ。
「最近は私もかなり上手になってるし!『人払い』とか一人でもできるし!」
「どれくらい持つ?」
「そ、それは……企業秘密」
「そうか」
からかうのでは無く、哀れむのでも無い。何の感情も込めていない平坦な声が逆に胸をチクチク突いてくる永魅の指摘に夜都谷は内心唸る。
いっその事馬鹿にでもしてくれればムキにもなれるのだが、事実確認しているだけの無機質な声色にどうにも上手い反論ができない。
「特定の事例を除き最初は誰もが悪戦苦闘する。別に恥じる事は無い」
「そうだよね!」
「努力を積み重ねていってもできないようであれば恥じる必要性は出て来るがな。『人払い』など基礎中の基礎だ」
「そ、そうだよ…ね」
「…まぁそちらにはそちらの都合があるだろう。私の言葉は戯言とでも捉えて聞き流すがいい」
フォローしたいのかトドメを刺したいのかよくわからない永魅に夜都谷はテンションがアップダウンする。
この魔術師は余り夜都谷の事を詮索してこない。『何処の魔術結社の者だ?』やら『何をしにここへ来た?』やら普通なら問い質してもおかしくないのに。
興味が無いのか、はたまた夜都谷が何を企んでいても問題無いとでも思っているのか。そんな可能性を思い付いた夜都谷はちょっとムカッと来た。
「私はね、ここに魔術の修行に来たの。ここは人気が無いから格好の自主練場所なんだよ」
(だから、野良猫の反応がアレだったのか。妙な反応だとは思っていたが)
「そしたらあなたがいるし。食事が済んだらさっさと出て行ってね」
「わかっている」
夜都谷の指摘に永魅は僅かだが食事のスピードを速める。割り箸と共に貰ったフルーツの盛り合わせ用のフォークを使ってデザートのフルーツを頬張っていく。
コンビニはスーパーに比べて単価が高いのが難点だが、全国何処にでもあると言わんばかりの活動範囲なので永魅は重宝している。
「……」
「食べたければ金を払え」
「い、いらないし!…一々金をせびるなんて大の大人がする事なのかなあ。幻滅しちゃう。私の知っている大人はすごく優しいんだけどなあ」
「ならばその優しい大人に甘える事だ。私は違う。幻滅したくば勝手にするがよい」
無表情に意固地さが映る。夜都谷からすれば永魅はへそ曲がりで捻くれ者のように映る。こうして隣に座っても生気すら感じられない永魅が何を考えているのかサッパリだ。
夜都谷の生意気な言葉に怒りもしない。喜怒哀楽が欠けているような印象。魔術師の多くは個人主義の塊とも聞くが、永魅からはそういう魔術師らしさが感じられない。
イマイチ魔術師としての本質を掴めない永魅に夜都谷は首を捻っていたが、永魅のポケットから聞こえてきた着信音が夜都谷を現実に引き戻す。
どうやらメールを受信したらしく、永魅がケータイを開いてメールの文面を読み出した。夜都谷は好奇心を刺激されたのか、つい永魅のケータイを覗き込んだ。
「『偶には私のメールに返信しなさいよね馬鹿親!!』……親としてどうなんだろう?」
「別にメールを返さずとも、“アレ”には私が何を言うかは予測できる筈だ。であるならば、返信する必要性は感じられない」
「返信する事が大事なんだと思う。私が娘だったら絶対に怒り心頭だろうなぁ。折角メールしているのに。きっと娘さんもお父さんに甘えたいんじゃないかなぁ。私が親なら自分の娘にもっと構ってると思うな」
どうやら永魅の子供からのメールだったようだ。簡素な文面から怒りの程が伝わってくる。しかも、永魅は眉一つ動かさずにケータイを閉じた。
今時娘が父親にメールを継続的に行っている方が珍しい。夜都谷が想像するに、きっと娘さんは自分とそう歳は離れていない筈だ。だからその気持ちがわかる。
自分にはもう“愛する両親なんていない”から。余計に娘さんに同情する。娘さんの為に指摘の為の舌が回る。
先程とは立場が逆転するように永魅へ指摘を重ねていく夜都谷だったが、彼女の鞄から着信音が鳴った途端少女の表情が露骨に歪む。
放置しておいたのだが、何度も鳴り響く音に堪忍袋の尾が切れたのか夜都谷はケータイを手に取り、額に青筋を浮き立たせながら一気に喋り捲る。
「何回電話掛けてくるのよお兄ちゃん!!別に私が放課後何処に寄ったって勝手でしょ!!心配してくれてるのはわかるけど度が過ぎるのよ!!
心配も行き過ぎたら唯の迷惑!!昔なら親代わりのお兄ちゃんの言葉は全て頷いていたかもね!!でもね、今の私は違うの!!私は私のやりたい事があるの!!
そこまでお兄ちゃんにとやかく言われる筋合いは無い!!放っておいて!!過保護も大概にしてよ!!私の人生は私のもの!!そうでしょ!!!」
眉間に皺を寄せながら捲くし立てた夜都谷は兄との通話を一方的に切り、ケータイの電源さえ落とした。
ゼェゼェハァハァと荒い息を整えながら、しかし何処か寂しそうに電源を切ったケータイを見つめる夜都谷はハッと我に返る。
ギチギチとぎこちなく首を回す。その先には、フォークをメロンに刺して食べる永魅が夜都谷をジッと見ている姿があった。
「あ、あの、えと、こ、これはその…その……」
「よくわかった。親が思春期の我が子に構い過ぎると子を反発させてしまう。良い教訓を見せて貰った。ありがとう」
折角格好良い事言ってたのに自分の手で台無しにしてしまった夜都谷。夜都谷の兄は“とある事情”から妹について相当過保護になってしまっている。
その事情を妹もわかった上で、それでも反発する心は抑えられないでいる。この気持ちは絶対に間違いじゃ無いと夜都谷は考えているが、少なくとも今この時においては多少以上に間が悪く、また相手も悪かった。
いっその事からかってくれれば食って掛かれるのだが、事実確認しているだけの無機質な声色にどうにも上手い反論ができない。
「ごちそうさま」
「…すごい食べっぷり」
「体が資本なのは魔術師も一緒だ。…では失礼しよう」
一人が食べる量の数倍以上を綺麗に平らげた永魅は、さっさと空になった容器をビニール袋の中に詰め込み始める。
夜都谷に早く出て行くように指摘されたからだろう、片付け終わった永魅はペットボトルに入った清涼飲料水を全て飲み干すと勢いよく立ち上がった。
このまま進めば永魅は足早にこの寂れた神社を離れ、夜都谷は一人遅めの魔術の修行を開始するだろう。とはいえ、この時間帯から始めてもロクに修行ができないのは目に見えている。
「ねぇ!」
「…何だ?」
「あなたのせいで夕日が陰って来たわ。このままじゃ、今日私はまともに修行できない。お兄ちゃんにも睨まれてるしね」
「…で?」
「少しでいいの。私の修行に付き合って!!」
「今日会ったばかりの見ず知らずの魔術師へ修行に付き合うよう要請するそちらの意図は理解しかねる。合理性に欠けるとは思わんか?」
「そうやってブツクサ言いながら修行に付き合ってくれるあなたも人の事言えないんじゃない?」
「……」
もうすぐ夕日が地平線に落ちようとしている黄昏時、二人の魔術師は寂れた境内の中で対峙していた。
片や『神道系出雲派』の魔術師。方や『神道系遠野派』に保護されている魔術師。二人がこの境内で戦闘を行うわけでは無い。
駆け出しの魔術師である夜都谷は、とある手段を除いて戦闘用の専門魔術を修め切ってはいない。
今の夜都谷の課題は『人払い』。教えを受けている女性の魔術師から課された課題でもある『人払い』の精度の上昇。今日の自主練の課題でもあるそれの修行に永魅の協力を得ようというわけだ。
「『人払い』は基礎中の基礎だからね。汎用的な魔術の一つだし、用いられている理論も大体決まっている。だから、“他の魔術師に見られても問題無い”」
「確かにな」
『人払い』とは惑星を流れている地脈・龍脈に干渉し、『居心地の良い場所』と『居心地の悪い場所』を作り出す事で人の流れを制御する魔術である。
『人払い』は魔術業界においてポピュラー極まりない魔術と見做されており、数多くの魔術師が取得している。故に、この魔術を披露したからと言ってその魔術師が不利益を被る事はまず無い。多くの魔術師が修めている基礎魔術なのだから。
また、これは魔術とは関わりの無い一般人を戦闘区域に近付けさせない魔術でもある。そして、これを夜都谷は完璧に修得したいと考えている。“自分のせいで誰かが傷付くのを避ける為に”。絶対に修得したいのだ。
「それじゃぁ…行くよ」
夜都谷は地面に敷設した護符に意識を集中する。発動するだけなら特に集中しなくともできるまでにはなったが、今回は持続時間の向上などが目的である。
基礎的な魔術であるからこそ、その完全修得に手を抜いてはいけない。抜けば結局その反動は自分に帰って来る。
何より、これは兄の信頼を勝ち取る為にも絶対に避けては通れない道なのだ。兄は妹の事を未熟であると捉えている節がある。
それは確かに事実ではある。でも、それは兄が殆どの魔術の修得を禁じていたからでもある。妹の事を思っての措置なのかどうか知らないが、少女は心に渦巻く反発心を抑えられない。
(お兄ちゃん!!私は一人前の魔術師になる!!そしてお兄ちゃんを見返して……うぅん、お兄ちゃんを助けられる程の魔術師になってみせる!!)
夜都谷巳幸はわかっている。理解している。この反発心の本当の原動力を。十年程前に兄妹を襲った『悲劇』。その詳細は思い出せないが、その時に両親を亡くしたのははっきりしている。
それから兄である
夜都谷巽<<やつがや たつみ>>は妹を守り抜ける強さを欲して『神道系遠野派』の代表たる『梟師(タケル)』に教えを請うている。
その姿をずっと目にしている妹は願った。自分もまた兄を守れる強さを欲しいと。先天性の素質である“荒ぶる神の神威”では無い。“魔術師”夜都谷巳幸としての強さを。
その先駆けとなる『人払い』は、夜都谷の魔力を通じて境内全体に張られ……ようとしてあえなく頓挫する。
「えっ…?何が起こって…?」
「魔術的記号の重複・競合だ。そちらが『人払い』を発動する前に我が手によって張られた『人払い』の結界と競合した為に、魔術の制御能力に難がある方の『人払い』が消失したというわけだ。私の方も今解除したが」
「い、何時の間に…?」
「気付かなかったか?私達が境内に入った事により賽銭箱付近に群がっていた野良猫達が散っていき、それでも様子を窺うために何匹かが境内に残り私達の周囲をウロついていた。
それが何時の間にやら姿を消している。『居心地の良い場所』と『居心地の悪い場所』は動物達にとっても該当する要素だ。『人払い』を応用すれば、野良猫達を散会させるくらいわけは無い」
永魅の言いたい事くらい夜都谷だって理解できる。地脈・龍脈への干渉の具合で動物用の『居心地の良い場所』と『居心地の悪い場所』作成は可能だろう。
問題は、永魅が何時『人払い』を発動したのかという事。魔術である以上発動する為には魔力が必要だ。その魔力精製を夜都谷は感知できなかった。
何かを言いかけようとして言葉に詰まる駆け出しの魔術師へ、『出雲派』においてトップクラスの実力を誇ると謳われる強大な魔術師はまるで独り言を漏らすように淡々と真相を語り始める。
「魔術師は魔術師が精製した魔力を感じる事ができる。しかし、それは距離にもよるし精製する魔力の量にもよるだろう。強大な術式を発動するのに大量の魔力が必要となるなら、必然精製する魔力の量も多くなる。遠くからでも感じ取る事はできるかもしれぬ。
逆に今回のように規模も相当小さく、基礎的とされる『人払い』のような魔術では必要とされる魔力の量も抑え目だ。
その上で魔術の制御能力を上昇させ、効率化を図り、更に必要な魔力を抑える。燃費性能の良い自動車を販売する際の常套句と似たような理屈だ。
基礎的な魔術と言えど、その術式構成を一度分解し、再構成する中で独自の“アレンジ”を施せばガソリンたる魔力の量も抑えられる」
「護符や霊装も使わずにそんな事が…!!?」
「何故霊装に頼らなければならぬのだ?最初から霊装に頼る事を想定して魔術を構築するのは己の魔術の腕を磨くに当たって厄介な妨げになる。
霊装はあくまで道具。効率良く魔術を振るうためのもの。私からすれば、独自の理論を構築すれば霊装を使用せずとも高レベルの魔術を使える可能性を持ちながら、その可能性を自らの手で閉ざし、道具に依存し、自身の魔術の腕を鈍らせる麻薬のようにも映る」
「……!!」
「そして、そちらは微々たる魔力の量にも勘付ける程の解析能力の持ち主か?私はそういう解析能力も養っているぞ?“完全なる己の努力”でな。
そもそも何を抱えているのかは知らぬが、自分の事に精一杯で私の動作に関心を持たぬようでは到底魔力を悟る事もできぬし、戦場を生き抜く魔術師としては致命的ぞ?
明確な目標を胸に修行に臨む。良い事だ。その点について異論を挟むつもりは毛頭無い。しかし、何を抱えていようとそんなものはこれから起きる現実を測る物差し代わりにもならぬ」
舌が良く回る。饒舌になる。それを自覚して、尚永魅頴娃懺の口は止まらない。それは駆け出しの魔術師への厳しくも温かな指摘なのか、それとも……『自虐』か。
どちらにせよ己の言葉に込められている感情を全て自覚している壮年ははっきり告げる。そこにはっきりと『自虐』を込めながら。
「故に結果で証明せよ。目に見える理で実証せよ。さもなくば胸に抱かせたその想い、成し遂げられぬまま無残に散らせる事となろうぞ」
完全に日が暮れ、辺り一面に夜の闇が訪れる。寂れた神社には灯りになるようなものは無い。とはいえ、徒歩で何分か歩けば人のいる町へ辿り着くのでそれ程危険性があるわけでも無い。
永魅と夜都谷は揃って鳥居を潜り、手入れのされていない参道を歩む。永魅は夜都谷が気落ちしていると思っていたが、本人的には反骨精神を刺激されたようで。
「色んな所に課題がある。私が気付いていないものがそこら中に転がっている。それを知らないまま見過ごしてしまう事が私にとって何よりの不幸なんだ。うん!」
(輝針といい瓢箪といい、私が教えた者達は皆揃ってギラギラ輝く貪欲な瞳になる。不思議な事だ)
「…結局お名前教えて下さらないんですね。明かそうとした私の名前すら『言わなくていい』と断って」
「名乗る程の者では無い。そう言った筈だ。私は各地を彷徨う流浪人。そちらは駆け出しの魔術師。私達の縁などその程度の関係で良い」
永魅も夜都谷も最後まで互いの名や素性を知らぬままで来た。夜都谷としては名前くらい明かしてもいいと思っていたのだが、永魅が頑なに断った。
本来であれば夜都谷もまた必要以上に自身の存在を広めるような真似は慎むべき存在である。それでも名を明かそうとしたのは、彼女が通う学校で夜都谷も参加する非公認クラブの影響もあるのかもしれない。
そこは夜都谷巳幸が普通の魔術師として自身の存在を発揮できる活動の場だった。自分の存在を広める。所謂自己顕示欲の発露である。
「…娘さんにちゃんと応えてあげて下さいね。その為には、もっと素直になる事をオススメします」
「それは私が決める事だが?」
「いいえ。“あなたと娘さんが決める事です”。あなただけが一人納得して終わらせてはいけない事だと思います。それが親と子の関係です。
どちらかの感情だけが優先される事はあってはいけない。合理性だけで家族を測ってはいけない。…私も本当はわかっているけど、どうしても上手く整理できないなぁ」
夜都谷はもうすぐ別れる事になる壮年の魔術師に、アドバイスというわけでは無いが自分が感じ、思った素直な感情をぶつける。
見た目からして頑固親父っぽく見えるのは夜都谷だけではあるまい。きっと、あの調子なら娘とも仲が悪いのだろう。
もう二度と会えない両親に親孝行すらできない身となった夜都谷は、見ず知らずの他人とはいえ親と子が諍いを起こすような場面を見たくは無かった。
それは、実の兄である夜都谷巽との関係にも当て嵌められるのが皮肉であると妹は感じる。
「考慮しておこう」
「…頑固オヤジめ」
「『馬鹿親』と並び耳にタコができるくらい聞き慣れた言葉だな」
この会話のやり取りを最後に永魅と夜都谷は別れた。夜都谷は駆け足になって帰宅の途に就く。過保護なまでに心配している兄の下へ帰る妹を見送った永魅は夜都谷と反対方向へ足を運ぶ。
夜都谷とは違い人気の無い道を進む事数分、夜都谷との出会いが自分と彼女にとってどのような意味を持つ事になるのか、手の上に顎を乗せながら耽っていた永魅は周囲に一般人がいない事を確認した上で足を止め、こう呟く。
「久しいな『梟師』。“アレ”は貴様のトコか?」
「そうですよ、『出雲派』の魔術師永魅頴娃懺さん。顔を合わせるのは実に数年振りですね」
永魅の前方、夜の闇から滲み出るかのように姿を現したのは、背が高くがっしりとした体格の壮年男性。年齢は四十代半ばと見受けられる。
若干白髪が交じる髪を頭髪料でオールバックにし、彫りの深い顔は日に焼けて、整えられた口髭からはダンディズムが滲み出る。
バックパッカーのようなラフな格好に身を包むこの魔術師こそ『神道系遠野派』のトップであり『梟師』と呼称される魔術師
遊留祇咲士<<ゆるぎ えみし>>である。
かつて彼と彼が率いる魔術結社『まつろわぬ魂を受け継ぐ者』は混沌としていた『遠野派』に合流した後に並々ならぬ手腕で以て組織全体を纏め上げた。
そして、そのまま東日本最大規模の魔術結社の長となった男。全盛期を過ぎた今でもその実力とカリスマ性は色褪せてはいない遊留祇は落ち着いた口調で『出雲派』の魔術師に語り掛ける。
「彼女に何か用でしたか?」
「別に用は無い。偶々だ」
「そうですか」
『あなたはここに何の用で来られたのですか?』と聞かない辺り、遊留祇も心得ている。『遠野派』には東北一帯を監視する魔術を持つメンバーもいるのだが、彼はどうにも非協力的なのだ。
しかも、永魅の場合どのような魔術を使っているかはわからないが残留思念や生命力を探知する事ができないのだ。
幸い走査では視認による確認も取れるので手が無いわけでは無い。変装魔術でも使われていたらお手上げになってしまうが、現在のところそのような事例は報告されていなかった。
「また『人探し』…ですか?」
「そうだな」
「どういう人か教えて下されば協力も可能ですが、あなたは一向に教えて下さらない。やはり『遠野派』を視察する為の口実ですか?」
「そのような瑣末な事に何故私が殊更注力しなければならぬのか。論理立てて説明できるか、東日本の長よ?」
「…いえ。言ってみただけですよ。この『対話』は以前の出会いにて既に終えています。今回僕があなたの前に姿を現したのも、彼女の件があったからですしね」
遊留祇としては最初から永魅と事を構えるつもりは無かった。永魅と戦うという事は『出雲派』を敵に回すという事だった。
その持ち得る実力は不明。神秘性の名の下に断片的な噂が耳に入るだけ。『遠野派』のように数多の魔術結社と結社予備軍の集合体故の不鮮明さでは無い。
一つの魔術結社でありながら不鮮明。勢力圏がわかっていながらの不確定さ。その規模は国内最大規模という噂を肯定する材料も否定する材料も不足している。
その中で遊留祇は数年前永魅と出会った。『人探し』と称して各地を徘徊する永魅に対して、遊留祇はこういう印象を抱いている。『できるなら戦いたくない相手。それは互いに何かを失う覚悟が無ければ勝てない相手だから』。
「“アレ”は有望だな。将来大物になるやもしれぬ」
「その根拠は?」
「“アレ”に聞くといい」
「それでは僕が困ります。あなたと彼女が会っていた事を僕が知っているとなると、確実に目くじらを立てられます。誰にとは言いませんが」
遊留祇の困ったような表情を見やりながら永魅は自分に物怖じせず指摘した少女を思い出す。少女の言葉は確かに永魅の心の柔らかい部分を抉っていた。
培ってきた理性が無ければムキになって反論していただろう。もっと若ければ感情のままに少女を罵倒していただろう。
何故そんな事をするのか。それは夜都谷巳幸の指摘が全て正しいからに他ならない。間違っているのは…矛盾しているのは永魅頴娃懺。それを当の永魅頴娃懺自身が自覚しているからである。
「………」
この後遊留祇と二言、三言交わした永魅は『遠野派』の代表と別れ、今度こそ一人きりとなる。
都会で生きる者からすればのどかな風景が広がる広々とした世界を静かに歩く永魅はポツリと零す。
今日出会ったばかりの少女から貰った厳しくも温かな『素直になれ』という指摘に少しだけ応えるように。
「15年以上探し続けてもまだ見付からぬか。……しかし止めるわけにはいかぬ。死んだという確証が無い限り。それが私にできる…私とは違い輝鍼と血が繋がっている本当の親に対する…自己満足も甚だしい……『償い』だ」
End
最終更新:2016年06月16日 00:48