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「イギリス清教の職員、
ハーティ=ブレッティンガムと
ヴィクトリア=ベイクウェルです。話は通っているわね?」
「はぁ……、確かに、入場許可証はありますね。それではごゆっくり」
シェフィールド大学にやってきたハーティとヴィクトリアは、受付にいた四〇代くらいの男と軽く会話を交わすと、そのまますんなりと入場した。
入場し、人払いのルーンを何箇所かに施した後で、後ろをちらちらと振り返りながらヴィクトリアが言う。
「……何だか、拍子抜けッスね」
「何? 入場して早々魔術攻撃が来るとでも思ったの?」
「事実、前回は似たようなモンだったじゃないッスか」
前回――『
キース=ノーランド謀反事件』では、目的地に到着するや否や戦闘が始まった。今回の場合も、フレデリックは追っ手がやってくる可能性を考えているだろうし、まして彼は現役のプロ、ノーランドよりもよっぽど強力な罠を仕掛けることだって可能だったはずだ。
「……考えられる可能性は二つ。フレデリックはただの魔術師二人なんて簡単に殺せると舐めてかかっている。もしくは、フレデリックの『手札』の関係上、必要以上に動き回ることが出来ないでいる。どっちだと思います?」
「……そりゃもう、言うまでもないッスよ」
瞬間、二人の少女の纏う空気が変わる。
ヴィクトリアは右手を自分の身体の影に隠す。いつもよりも細められ、敵意に満ちている彼女の眼差しの先には、爬虫類を思わせる目つきの痩せぎすな小男が佇んでいた。
「どうやら奴さん、早速現れたみたいッスよ。『手札』の準備が終わったか、それとも何も考えずノコノコ出てきたか……、どちらにせよ、攻撃する以外に道はないッス!!」
ヴィクトリアは叫ぶと同時、左手を振る。すると、彼女の手の先に一振りの細い剣が現れる。
この剣は『勝利の剣』という霊装で、豊穣神フレイの持っていた『賢い者が振るえば使い手の手を離れて勝手に敵を斬ってくれる』という剣《つるぎ》のレプリカである。レプリカゆえ本物のような威力はないものの、『距離を超越して相手を斬りつける』能力を持っている。
しかし、ヴィクトリアがこの剣を振るう前に相手も動き出す。
「――『堕落には裁きを《JIGTD》』」
「――ッ!!」
瞬間、考えるよりも早くハーティはヴィクトリアの後ろに立った。明らかに炎と分かる熱量を後ろから感じたからだ。
ドガガガガ!! という音と共に、ハーティの背中に痛みと熱が走る。
「ぐう……ッ!!」
「は、ハーティ!!」
背中に炎弾を受けて思わず悲鳴をあげかけるハーティに、ヴィクトリアは慌てて駆け寄ろうとするがそれをハーティは手で制する。
「……大丈夫よ。この拘束着にはある程度だけど防護機能もありますから。火刑と水刑への耐性はある程度持っています。……私はアイツの注意をひきつけておくから、貴女は早く『王様』を連れて援護にきてね」
「駄目ッスよ!! そんな危ない……、そうだ、コレ持っててくださいッス!!」
今にも泣きそうな情けない顔でハーティを引き止めたヴィクトリアは、そう言って彼女の手に布袋を手渡す。
「これは……まさか、」
「魔法の船《スキーズブラズニル》ッス!! 魔力を流せば誰でも簡単に船に出来るッス。動かすことはできないッスけど、丈夫だから盾くらいにはなるはずッス!!」
「…………分かったわ。ありがとうございます」
ハーティは少しだけ微笑んでそう言うと、ダン!! と地面を踏み慣らし中学生程度の少女とは思えない機敏な動きでフレデリックに肉薄する。
「…………近づかれるのは危険だな、危険……。『堕落には裁きを《JIGTD》』」
「――二度同じ手は食いませんッ!!」
余裕の表れか、今度は攻撃の方を見ずに懐から取り出した鉄槌をそのまま振るハーティ。ゴガン!! という音が響き、ハーティの死角から放たれた炎の矢は弾き飛ばされた。
「……チッ。気に食わない気に食わない……。何故貴様らは『科学』の肩を持つ? 貴様らは『魔術』師だろう。敵対している科学を打ち滅ぼさないで何をする。不可解、不可解だ……」
「魔術師の貴方なら分かっているでしょうに」
不快そうに眉を顰めているフレデリックを鼻で笑い、ハーティは言う。
「魔術師にとっては、『科学』だの『魔術』だの以前に、何よりも『大切なもの』の方がよっぽど優先されるということをッ!!」
「――ッ……!! 『ロトは洞窟に身を隠す《RHHIAC》』……!!」
即座に振られたハーティの鉄槌に対応し放たれた空気の釘を見たフレデリックは、即座に叫ぶ。すると、釘はフレデリックの前方数センチほどの位置で見えない何かに遮られ攻撃力を失った。
間近で見るフレデリックは、ハーティの想像以上に高身長だった。否、あれは極端な猫背の所為で身長が小さく見えていただけだったのかもしれない。
「有り得ない有り得ない……。そもそもそれが間違いだと言っているのだ……。主の教えを忘れ、『科学』などという自分たちのちっぽけな力を信じ込む行動……堕落、堕落だろう……!! 形こそ違えど、堕落都市ソドムとゴモラの焼き直しそのものではないか…………!!」
「貴方……イギリス清教よりローマ正教の方が向いてますよ」
それだけ言葉を交わすと、戦闘は再開された。
「『堕落には裁きを《JIGTD》』ッ……!!」
フレデリックの叫びに呼応するようにハーティの足元から炎が現れる。対するハーティは、その一瞬で懐に鉄槌をしまい、黒いペンのような霊装を取り出し振る。
ヒュウン!! と何かが風を斬る音が響き、数発の炎弾が何かに叩かれたようにひしゃげて飛び散る。
「な……、」
「『鎖鞭』ですよ。まあ、持ち運びの利便性を考えて『鎖』はその場にあるありあわせで『生成』してるけどね」
ハーティの持つペンのような霊装の先には、こびりついた炎の破片によって透明な『鎖』の姿が浮かび上がっていた。ハーティは鎖鞭を振ることで残った炎を完全に消し飛ばすと、そのまま鎖鞭を持った右手を突きつける。
「私程度にてこずっているようでは、勝ち目などないわ。最後通告です。此処で大人しく降伏すれば命だけは助けてあげる」
言いながら、ハーティは疑問を感じていた。科学という『禁じ手』を使って強化された魔術師相手に戦ってきたプロが、如何に実力ある魔術師とはいえハーティ一人にここまで手古摺ることなど、有り得るだろうか?
「……愚問だ愚問……!! 私は、こんなところで止まっているわけにはいかんのだ…………!! 『堕落には裁きを《JIGTD》』……!!」
しかし、フレデリックはハーティに考える暇を与えない。返す刃で放たれた炎の弾丸は、ハーティの『鎖鞭』によってあっけなく弾き飛ばされる。
「……それが答え、ね」
「無論、無論だ…………。この程度の妨害で私を止められると思っていたのか? 笑止、笑止だ……」
嘲るようにフレデリックは言う。自らの得意術式を完璧に防がれ、一方的に相手の間合いで『料理』されている最中の発言とは、とても思えない様子だった。しかし、そんな余裕なフレデリックを、ハーティもまた鼻で嗤う。
「なら仕方ないですね。貴方は『王』に裁かれなさい」
は? と聞き返す暇すらなかった。
道を譲るように僅かに横にずれたハーティの背後には、古代ヨーロッパ風の衣装を身に纏った美丈夫を伴わせたヴィクトリアの姿があった。その手には、細身の剣が握られている。
フレデリックは、『天罰』……特に『ソドムとゴモラの伝承』を専門としている魔術師だが、それでも他の伝承について知らない訳ではない。例えば同じ『天罰』の代表である『バベルの塔』関係にもある程度の知識を持つし、魔術師と相対する関係上、
北欧系の神話にもそれなりの知識はある。だから、ヴィクトリアの使っている『勝利の剣』という霊装がどういうものなのかも知っていた。
この霊装は、豊穣神フレイの持っていた『賢い者が振るえば使い手の手を離れて勝手に敵を斬ってくれる』という剣《つるぎ》のレプリカで、レプリカゆえ本物のような威力はないものの、『距離を超越して相手を斬りつける』能力を持っている。レプリカで、その威力。この上、『幻影の王』の効力によって威力が跳ね上がったりすれば、一体どうなるのか。
「……ッ……!! 危険、危険だ……!!」
「逃がすわけが、ないでしょう?」
即座にその場を離れようとするフレデリックだが、それは既に遅かった。彼がその場から離れようとした時には、既に彼の身体には見えない鎖が巻きつき、彼の体の動きを完全に抑えていた。
「『鎖鞭』の応用ですよ。『鎖』部分を拘束具の一部と対応させることで、貴方の動きを封じさせてもらったわ。なに、安心していいわよ。拷問魔術には致命傷を負った罪人を延命させることで情報を吐かせる術式も存在しています。上半身と下半身が永遠に分かたれたからといって、すぐに死ぬわけじゃないわ。……それが幸か不幸かは分かりかねるけどね」
「…………――ッ…………!!」
問題は、拘束だけではなかった。ハーティの魔術の効力か、体内での魔力循環がバグを起こしているのだ。まるで、魔力の回路がところどころガス詰まりを起こしているかのような、そんなイメージ。下手に体内に魔力を流せば、すぐにでも爆発してしまいそうな不安定。
打開策など有り得ない。通常の魔術師は勿論、あの『神の右席』だってこの状況から巻き返せといわれてもできっこないだろう。
「――行くッスよォ!!」
ヴィクトリアの宣言がその場に響いた瞬間、あらゆる音が消し飛んだ。
いや、正確には違う。斬撃が発した轟音を、斬撃の衝撃波自身が消し飛ばしたのだ。たったそれだけで地面は抉れ、大学のとある中庭は戦場跡と化した。
しかし、そこにバラバラになったフレデリックの姿はない。
代わりにいるのは、苦々しい表情を浮かべ呆然としているハーティの姿。
「危なかった危なかった……。かなり、惜しいところまで行っていた」
フレデリックは、そんなハーティの目の前で当たり前のように佇んでいた。
「……私の魔力回路を封じ……、完全に無力化した上で必殺の一撃を決める……。……確かに、良い作戦だった。……私でなければ、……いや、この作戦を遂行している最中でなければ、確実にやられていた……。賞賛、賞賛しよう……」
「……何で、私の『拘束』を……」
困惑した表情で呟くハーティを、フレデリックは鼻で笑う。
「愚問だ、愚問……。貴様らだって、私がこの何の変哲もない大学に篭城した時点で『私が地脈に何らかの細工をしようとしている』可能性に気付けただろう? 私と地脈の間には、一種の魔術的なリンクが生まれている……。それを利用して魔力回路の異常を修正し、『私自身にかかっている魔術的な位置捕捉』を回避した……、それだけの話だ」
当たり前のように言うフレデリックだが、それでもハーティには納得できなかった。フレデリックが偶像の理論の応用により『地脈と体内の魔力回路の類似性』を利用して自分の魔力回路にかけられたハーティの魔術を解除したのは理解できた。しかし、そもそもフレデリックにはその魔術を解除する為の魔術が使用できないはずだった。
「まだ気付かないのか……? 愚鈍だな、愚鈍……。『人払いのルーン』だ。貴様らが張ったのだろう……」
「……、」
そこまで言われて、ハーティは相手の行った行動の全貌を理解した。
「……『人払いのルーン』は、地脈の流れに干渉することで人に『その場に近づきたい』と思わせないことによって結果的に人を払う効果を発生させるルーン……。それは、広義では地脈の流れをある程度自由に操作することができるということ。つまり、偶像の理論を対応させることで『人払いのルーン』を自分の管理下に置き、ルーン自体の魔力を使用することで私のかけた『魔力阻害』にひっかかることなく『魔力阻害』自体を解除させた訳ですね……」
「……理解したか。意外に聡明、聡明だな……。――『ロトの妻は塩となる《RWBAS》』」
フレデリックが呪文を唱えた瞬間、バアッ!! とフレデリックの体から塩が舞い、同時に散らされる。塩を散らした彼の視線の先には、腕を振った直後と思わしき『幻影の王』と、彼を背後に佇ませたヴィクトリアの姿があった。
「……流石に、このままの状況だと無勢……無勢だな。一旦、撤退、撤退させてもらおう――『御使は直訴を聞き入れる《AAGAP》』」
「く、待……、」
膝をついたハーティはフレデリックの動きを止めようと追い討ちをかけるが、フレデリックはこれをあっさりと防いでしまう。そうこうしているうちに、フレデリックはヴィクトリアの追撃が来る前に虚空に溶けるようにして消えてなくなった。
5
二人の少女は、建物の外の物陰で息を潜めながらフレデリックを探していた。
「……フレデリックの動きはどうなってるの?」
「うーむ……。どうやら相手のほうで妨害術式を組まれてるクサイッスね。大まかな位置は探知できるッスけど、それ以上は分からないッスね」
「そう……」
古代ヨーロッパ然とした美丈夫の幻影を背後に漂わせたヴィクトリアの言葉に、ハーティはため息をついた。
現在彼女達は、即席の認識阻害魔術(地脈を介したものは操作される恐れがあるので、個人の魔力を利用したもの)を中庭にかけてフレデリックを追撃していた。
「大体なんなんスか、アレ。全然 最大主教《アークビショップ》の話と違うじゃないッスか、フレデリックの使用術式。火の矢の術式と防御術式は正しい情報だったッスけど、アタシの『勝利の剣』を回避した術式とか、最後の消える術式なんて全く説明なかったじゃないッスか」
「そうね」
不信感を露にするヴィクトリアに、ハーティはあっさり頷いた。
「そもそも、おかしいといえばフレデリックの実力からよ」
「……? フレデリックの実力? 確かに奴はスッゲェ強い奴ッスけど……、」
「そうじゃないわ。確かにフレデリックは強いです。でも、あれじゃ精精上の下。正直私程度でも普通に勝てる程度の力量でしかないわ」
「…………アタシ一人じゃ勝てそうもないような相手だったッスけど……」
「それは単に相性の問題でしょう。地面に神殿を築く関係上、地脈の影響を受けやすい貴女の魔術じゃ、地脈に深い知識を持っているフレデリック相手に敵わないのは当然よ」
「……そう! おかしいって言えばそこもおかしいじゃないッスか!! フレデリックはそもそも『ソドムとゴモラの神話』に長けた魔術師だったんじゃないッスか!? 確かに、魔術師としての実力もあるんスから色んな方面の術式を収めててもおかしくないッスけど、アイツの使用魔術を見る限り地脈から界力《レイ》を抽出するようなやり方をいつもしてるようには思えないッス!」
「……、」
ヴィクトリアの指摘に、ハーティは押し黙った。
ハーティとしても、そこは気になるところだったのだ。魔術というのは、やり方さえ知っていればどんな凡人だろうと扱うことの出来る『技術』である。しかし、一方で魔術とは『学問』でもある。例えば火を自在におこせるようになりたければ、火に関する魔術的な法則を学ぶ必要がある。だから、北欧神話系の魔術を修めた魔術師はほかの魔術について全く知らないわけではないが、同様にアステカ神話の魔術を修めた魔術師と同じような魔術を使える訳ではない。
今回の場合も、拷問魔術を使用する関係で『偶像の理論』について造詣の深いハーティならともかく、神の力《ガブリエル》の行使した魔術の中でも特に『ソドムとゴモラの神話』関係の魔術に特化している『だけ』のフレデリックが地脈を、それも自分の体と対応させて操作するという離れ業を扱えるはずなどなかった。
「……でも、現に使えてしまっているわ。いくら畑違いの魔術を使用しているのが有り得ないといっても、現実に使えてしまっている以上その理由を考えるのは無駄でしょう。あの様子だと、ソドムとゴモラの伝承の中で何らかの小細工を用いて結果的に地脈を操作しているという訳でもなさそうですし」
「そうッスね」
「問題は、相手の手札に『地脈の操作』というピースが増えてしまったことです。魔術はその特性上大多数は応用の効かないものが多いですが、相手はプロの魔術師を何人も屠った存在。実力が見立てよりもないということは咄嗟の応用力に優れている可能性が高いわ。気を引き締めていくわよ」
それだけ言うと、ハーティは『鎖鞭』の霊装を左手に持ち、右手で『鉄槌』の霊装を持つ。
『鉄槌』の握り心地を再確認したハーティは、適当にビュンビュンと地面に空気の『釘』を刺していく。
「……何やってんスか?」
「私の扱う魔術は『魔力の流れを阻害する』ものよ。通常は地脈を流れる『世界の力』には効果を与えることはできないけれど、さっきの戦闘でフレデリックは『自分の体と地脈を対応させている』と言っていたわ。なら、偶像の理論の逆流によって地脈にもごく少量魔力が流れていて、それが奴の作戦に何らかの加護をもたらしているかもしれません。だから、念のためこうやって杭を仕込んでおいて相手の手札を少しでも減らそうとしてる訳です」
「はぁー……」
言いながらカン! と空気の『釘』を飛ばすハーティに馬鹿正直に感心したヴィクトリアを見て、彼女はため息をついた。
「……感心しているようだけど、貴女の方は大丈夫なの? 貴女の魔術は塚を模した神殿を作る関係上、地脈の影響をモロに受けるはずでしたが、向こうから妨害されたら面倒じゃないですか?」
「……あー、多分大丈夫ッスよ。一応アレの防御術式の中には『「世界の力」をそのままの形で溜めておくことで地脈関係を操作されても一定時間貯蓄した「世界の力」を使うことで機能を維持する』機能もあるッスからね。直接ブチ込まれない限りは大体三〇分持ちますし、フレデリックの地脈の操作法からしてもそれはないでしょ、うし……」
説明していたヴィクトリアは、その途中で急に目の色を変えた。
いや、目の色を変えたのはヴィクトリアだけではない。ハーティもまた、驚愕に目を見開いた。理由は簡単。その場の『空気』が一瞬にして変質したからだ。
「……これは…………天使の力《テレズマ》!? でも何で!? こんな 天使の力《テレズマ》……第三次世界大戦中に確認された『神の力《ガブリエル》』レベルッスよ!?」
「それだけじゃないわ!! この感じ……このシェフィールド大学全体が『神の力《ガブリエル》』の 天使の力《テレズマ》を溜め込む神殿に作りかえられてるわ!! おかげで外界に 天使の力《テレズマ》が漏れている様子はないですが……、このままだと、地脈が超過圧に耐え切れずに破裂しますよ!?」
クソ、とハーティは歯噛みした。
おそらく、フレデリックの不気味な篭城はこの為だったのだろう。元々の主目的は、この神殿の立ち上げ。しかし、それがバレてしまうと清教指折りの魔術師……例えば
魔術サイドでは核兵器級の戦略的価値を持つ聖人の神裂火織や、一四才にして教皇級魔術を修めたステイル=マグヌスなど、途方もない戦力を注ぎ込まれる事となる。それを避ける為にあえて『
科学サイドの要人殺害』というそれなりに脅威的な別の罪科を作ることで、敵戦力を弱く『調整』したのだ。
「このままではマズイ……! フレデリックが何らかの大規模魔術を行使するつもりにしても、地脈を超過圧で爆裂させるにしても、これほどの 天使の力《テレズマ》を使ったらロクな結果にならないことは目に見えてるわ!! 今すぐ止めに行くわよ!!」
「……ッ!! はいッス!!」
幸い、膨大な 天使の力《テレズマ》を使われている為神殿の中心部は捜索術式無しでも特定できた。
後は、イギリスと世界の平和の為に悪い魔術師を拷問《オシオキ》するだけである。
6
膨大な 天使の力《テレズマ》の出所はシェフィールド大学の中でも西に位置する、オクタゴンセンターの中心だった。西、という方位にハーティは不穏な感情を覚える。
何せ、神の力《ガブリエル》は『神の後方に立つ天使』や『水と月の守護者』と同じくらい、魔術界隈では『西方を守護する者』として有名なのだから。
(この 神の力《ガブリエル》の 天使の力《テレズマ》、フレデリックの専門分野、そしてこの方角……)
体全体が震えるような 天使の力《テレズマ》を感じながら、ハーティは思う。
(マズイわね……。地脈を暴走させて自爆するつもり? 周辺住民の退避は……間に合わないですね。地脈が爆発しないうちにフレデリックを始末しなくては)
「……此処ッスね」
ヴィクトリアの強張った声にハーティが顔を上げると、目の前には既に八角形のホール、オクタゴンセンターがあった。学園都市の建築技術によってちょこちょこ改築が施されているらしく、周囲のレンガ造りの景観に上手く溶け込むように設計された『科学的意匠』が随所に組み込まれている。
天使の力《テレズマ》を内部に蓄えている影響か、全く魔術的要素がないにも関わらず一種の神殿と化してしまっており、周囲の地脈から吸い上げられた世界の力が自動的に界力《レイ》に変換されている有様だ。
「……不安定ね」
それは特に神殿の建設に詳しい訳でもないハーティでも分かるほどに危険な状態だった。
そもそも、神殿というのは魔術を使う為の霊装が大きくなりすぎた為、個人の魔力では動かせなくなって仕方がなく世界の力や 天使の力《テレズマ》に頼ったものである。しかしこの場合『天使の力《テレズマ》が大きくなり過ぎたため、その濃度によって爆裂しないように建物自体が半ば自動的に神殿としての機能を得た』状態であり、順序が逆な前者に比べて当然のごとく魔術的に不安定な状態になっている。それでも下準備や応急処置などが施された形跡は見られるのだが、明らかに修復が間に合っていない。
「…………マズイわね……。このままだと、不完全な神殿自体が 天使の力《テレズマ》に押し負けて後五分もしたら爆裂してしまうわ」
「クソッタレ!! あーもう何だってアタシ達はこうシビアな仕事ばっか任されるんスか!? あの程度のボーナスでちょっと大きめのカップラーメンが出来るまでに地球を救えってウルトラマンでも無茶な難題叩きつけるなんて最大主教《アークビショップ》はどうかしてるッス!!」
「ウルトラマンはいつもスタンダードなカップラーメンが出来るまでに地球を救ってるわよ」
苛立ち紛れに壁を殴りつけるヴィクトリアにハーティは適当に言って、扉を開く。
天使の力《テレズマ》は本来別位相のエネルギーであり、三次元世界に呼び込んでも人間の五感で察知できるものではないのだが……、それでも語弊を承知で表現すると、扉を開けた瞬間ハーティは『もわっ』とした蒸気のような何かを感じた。
それほどまでに高濃度の 天使の力《テレズマ》が呼び込まれていた。
ホールの中は八角形を構成している角のうち四つに四角形が描かれるよう四枚の『人払いのルーン』が張られており、その四角と中心を結ぶ直線状の中点に赤・緑・黄・青の四種類の柱が立っており、科学の中に魔術が点在している様子はまるで現在の世界の情勢を表しているようだった。
「……
フレデリック=モンドリオ」
そして、その中心にこの未曾有の大事件を起こした張本人は佇んでいた。
「……『バベルの塔』だ」
二人がオクタゴンホールに入ったのを察知したフレデリックは、ささやくようにそう言った。
『バベルの塔』。旧約聖書の『創世記』において、ノアの大洪水の後に世界各地に散ることになった人類が、それを免れる為に建てようと計画した塔の名である。この塔の高さは天に届くまでになるはずだったと言われており、現にこの塔の完成を危惧した神が破壊し、二度と同じことが出来ないように人類の言語を部族ごとにばらばらにしたと言われている。
「……『バベルの塔』ッスか?」
およそ塔らしき装飾がない神殿を俄かに見渡したヴィクトリアが怪訝な表情で呟くと、フレデリックは軽く頷いた。
「……肯定、肯定だ……。伝承に登場するアレは、『神の住む世界にも到達するほど高い建造物』とされていたが、今日《こんにち》の魔術業界の常識でもあるように、天界とはそもそも『高度』で語れるような場所ではなく、別位相に存在するものとされている。そもそも、『バベルの塔』とは元々は『バビロン』……『神の門』が語源だと言われているしな……。そこで私は、『バベルの塔』を『天界とこの世を接続する為の神殿』と定義した……」
「……馬鹿な。『天界とこの世を接続する』ことが仮に出来たとして、そんなことをしたら地脈が暴走して爆裂するはずです!!」
「……愚問、愚問だな……。だからこそ『バベルの塔』は崩壊したのだろう……?」
その言葉に、ハーティは思わず絶句した。フレデリックの『バベルの塔』が崩壊したことに対する解釈に、ではない。彼が、『バベルの塔』の崩壊……即ち未曾有の大災害に全く関心を払っていないことに対して、だ。
「……安心しろ安心しろ……。心配しなくとも、『まだ』この地を滅ぼすつもりはない。たとえ本物の天使級の 天使の力《テレズマ》が集まったとしても、本物の天使級でないと使えない燃費の術式を並行して行使すればしばらく暴発せずに神殿はとどまるだろう?」
フレデリックはそう言っているが、この街はどちらにせよ破壊されるだろう。術式に 天使の力《テレズマ》を供給させているうちはいい。しかし、術式が終了し、天使の力《テレズマ》を流す先がなくなれば、行き場を失った 天使の力《テレズマ》は比較的似た力の流れる地脈に一気に流れ込み、結果的に容量過多になった地脈は爆裂、イギリスの三分の一弱が焦土となるはずだ。
(……それに)
これほどの出力を要する大魔術が生半可な目的で使われるわけがない、とハーティは思う。この魔術師の性格上……、
「それで、学園都市を滅ぼす、という訳ですか」
「名答、名答だ……。学園都市は、大きくなりすぎた……。主の教えを忘れた愚かな子羊に、主の御手の尊さを思い出させるのだ……!」
恍惚とした目つきで語るフレデリックに、ハーティは思わず歯を噛み締めた。
「確かに、学園都市は第三次世界大戦に勝利し、大きくなりすぎたわ。貴方が誰にも迷惑をかけず、学園都市の要人だけ暗殺したのなら私も見逃したことでしょう」
でも、とハーティは言う。
「だからといって、何の罪もないシェフィールドの住民を巻き込んで良い理由にはならない。イギリスにいる科学サイド推進派の人間を殺して良い理由になんかならない」
「意味の分からないことを……!! シェフィールドの何処が無辜だと言うのだ……!! この建物を見て分からないか……!? 骨の髄まで科学に犯されたこの堕落都市の有様を……!! 罪科、罪科の塊だろう……!!」
怒り狂うフレデリックに、ハーティは『話にならない』と心中で吐き捨てた。この男は、この狂人は最早どこまで行っても止まらない。自分の中の独りよがりな『正義』に則って、どこまでも傲慢な『天罰』を下し続けるのだろう。
「イギリスの汚点め……、叩き潰してやるッス!!」
「何を言うか何を言うか……!! 汚点は貴様らの方だろう……!! 科学と馴れ合いばかり、魔術国家の名が廃る!! 貴様らには魔法名さえ名乗る価値はない!! ――『振り向いてはいけない《DNTA》』!!」
フレデリックがそう声を響かせた瞬間、ゾン!! と二人の背後から『何か』の気配が発生した。殺気、敵意、視線、重圧……そういった『第六感』的な未分類情報が、背後にある『何か』の存在を訴えていた。
(こ、れは……神の力《ガブリエル》の『伝令の天使』という性質を利用した、『第六感』への干渉? く、悪趣味な術式《モノ》を……!!)
「ヴィクトリア!! 後ろの気配はおそらくブラフよ!! フレデリックから視線を外さない様に、」
「『堕落には裁きを《JIGTD》』……!!」
フレデリックの一挙手一投足を見逃さないようにしているハーティは彼から目をそらさずにヴィクトリアに忠告しようとするが、轟!! という音と共に発生した炎弾によって妨害される。
「く、ヴィクトリア、大丈、……」
咄嗟に自身ではなく先ほどヴィクトリアから譲り受けた『魔法の船《スキーズブラズニル》』を盾にしたハーティは、即座にヴィクトリアの安全を確認しようとして、またもやその動きを中断した。
とさり、という音とともに、ヴィクトリアが前のめりに倒れこんだからだ。
「ヴィクト、リア……?」
信じたくない、といった表情で下に視線を落とすハーティ。彼女の視線の先には、まるで死んでしまったように倒れこんでいるヴィクトリアの姿があった。
「……、…………。…………いや、今は考えている場合ではないわね!!」
一瞬、本当に一瞬だけ悲しそうな表情を浮かべたハーティだが、すぐに無表情に取り繕うと、ドッ!! と超人的な膂力を持ってフレデリックとの距離を詰める。
「……意外、意外だな……。仲間が死んだことに動揺して、まともに戦えなくなると思っていたが」
「お生憎様。私は味方の死をすべて未然に防げるほど優秀じゃないもの。今までだって味方の死は経験してきたわ。それより、貴方は儀式場を守ることに専念したほうがいいんじゃないの? 下手にアレが潰されたら、貴方も私も天国行きよ?」
「面白い面白い……。それもまた一興という奴じゃないか……? この堕落した都市と引き換えに滅びるというのも、なッ……!! 『堕落には裁きを《JIGTD》……!!」
またもや背後から放たれた炎弾を、ハーティは横に跳ぶことで回避する。
(また『背後』……。折角椅子や机があるのだからその物陰から攻撃すればいいのに、どうして『殺気』を浴びせて過敏になっている背後から攻撃しているの?)
先ほどハーティが感じた『殺気』や『視線』はまだ抜けていない。そんな状態で背後から攻撃したところで、『かわしてくれ』と言っているようなものである。
「フム……。面白い。 『ロトの妻は塩となる《RWBAS》』」
フレデリックが興味深そうに笑うと、彼の服の中からドバッ!! と大量の塩が撒き散らされ、ハーティの視界が覆われる。
最初は目晦ましかとも思ったハーティだが、すぐに異常に気がついた。
「こ、れは……!! 『感覚』が……」
魔術師は、みな無意識に『魔力』を感知して周囲の生物の所在を把握している。自分自身の放つ魔力の所為で精度はかなり甘いが、それでも『あって当然』としている魔術師にとって、『魔力』の異常というのはかなり異質な異常だったりする。
そして、現在ハーティを襲っている『異常』は、『周囲の空間すべてからフレデリックと同じ魔力が感じられる』、というものだった。
「く、こんな目晦まし……!!」
『鉄槌』を振ることで空気の釘を乱射し塩を飛ばそうと考えるハーティだったが、それは敵わない。
ドガガ!! という音とともにハーティの背中に鋭い熱の痛みが走る。
「ぐ、がッ……!?」
質量さえ持っていそうな炎に吹き飛ばされたハーティは、ホールの座席の上を水切り石のように吹っ飛んでいく。
『…………どうだ? 私の本領を味わった感想は』
何らかの魔術でも使っているのか、フレデリックの声はすべての方向から聞こえてくるようだった。
「……目晦ましに、相手の意識を散らす術式。加えて死角からの攻撃……。正直、残念です。『科学』の力を使った魔術師を屠ってきたというのだから、どれほど強い魔術師なんだろうと思っていたんだけれど……。これが本領なんて、とんだ三下ですね」
『……笑わせるな笑わせるな。現に貴様は何もできていないではないか……。その拘束服の恩恵も、いつまで持つのだ?』
塩の粒一つ一つが放っているようにさえ錯覚するフレデリックの声に、嘲笑の色が混じる。その言葉に、ハーティは鎖鞭を持つ左手で自らの肩を抱く。確かに、彼女の拘束服は先ほどからの攻撃で傷み始めていた。
(考えなさい……。この状況で、助けなんか来るはずもない絶望的な状況で、すべてをひっくり返せる方法を。……おかしいところはいくらでもあったはず。そこから最善策を考えて、フレデリックの有利を潰せば……、)
フレデリックが呑気に嘲笑しているうちに、ハーティは自分の持てるすべてを駆使して状況を打開する策を探す。
(何故フレデリックは私の前から姿を消したの? 『科学』と交わった強力な魔術師さえ嬲れるほどの戦力なら、私程度に余計な小細工をする必要なんてないはず)
そこで初めて、ハーティは明確な違和感を感じ取った。
(そもそも、私がこの段階で立っていられること自体が不自然なのよ。敵の、『科学』と交わった強力な魔術師を葬れるはずの攻撃を二発も食らっているのに、こうして動き回っていられるなんて)
少しずつ、ピースがそろっていく。ハーティの口元は既に苦しみではなく余裕を浮かべていた。
(……考えられる可能性は、一つ)
最終更新:2011年10月11日 01:21