ハーティは静かに顔を上げた。その表情に苦らしきものはない。逆に、フレデリックを哀れむ色さえ浮かんでいた。
「……貴方の魔術には決定的な穴があります」
疲れと痛みで足ががくがく震えながらも、ハーティはあくまで気丈にそう告げる。
「それは、攻撃力が決定的に低いこと。拘束服による加護があるとはいえ、二発も直撃させておいて私にこの程度しかダメージがないとなると、普通に命中させても即死には至らないでしょうね。その程度の術式で、『科学』の力を得た魔術師を相手に生き続けるなど無茶な話です」
『……、』
その場全体に響くようなフレデリックの声が消える。
「そして、ヴィクトリアが急に倒れた現象。貴方はあの直前に『DNTA』と詠唱していましたね」
『……、……!!』
瞬間、ボバッ!! とハーティの背後から炎弾が飛ばされる。しかし、ハーティはこれに対し鎖鞭を振るうことで対処する。
粉々に散った炎弾を背後に、ハーティの表情がカチリ、と切り替わる。
戦闘者としての、辛うじて感情らしきものは感じるとることができたものから、拷問者としての冷たく薄く恐ろしい、感情の感じられない笑みへと。
「貴方の使う術式はおそらく、ロトとその家族を見逃す際に大天使ガブリエルが忠告した『この街から逃げる際、あなたがたは振り向いてはいけない』という伝承を基にしているのでしょう? 血中の塩分濃度を高めて高血圧によるショック死でも起こしているのか……ともかく、貴方の魔術は『振り向かせる』ことをトリガーに発動させている」
何とかハーティの推理を止めようとフレデリックは必死に炎を飛ばすが、意志を持ったように動く透明の鞭は次々と炎の弾を消し飛ばしていく。
「つまり、貴方の魔術は振り向かなければ何ら効果があるものではないという訳よ。尤も、その弱点を克服する為に貴方は『背後から相手を攻撃したり相手の視界を潰す』必要を迫られた訳ですけど」
パァン!! と風船が割れるような軽快な音と共に炎を散らしたハーティは、そう締めくくった。
『……!! だからどうした!! 視界は奪われ、貴様に私の位置は探知できない!! 今は回避しているが、それももうじきどうしようもなくなる!!』
「そうかしら?」
自身の手の内を暴かれ、明らかに余裕がなくなったフレデリックの言葉に、ハーティは疑問符を浮かべる。
「確かに、私には貴方の所在を探知することなんてできない。でも、もっと大きなものなら探知できるわ。例えば――――そう、大容量の 天使の力《テレズマ》の発生源とか、です」
『…………ッ!!』
瞬間、確かにフレデリックの喉は干上がった。周囲の空間全体に響き渡るような息を呑む音に、ハーティは静かに口端を吊り上げる。
『貴様、まさか「儀式場」を破壊するつもりか……!? そんなことをすれば……!!』
「あらあら。どうしたの? 地脈の爆発さえ『一興』だと言えるような人物が、まさか自爆に恐怖するんですか? どうやら仮面が剥げたようですね」
瞬間、ドパッ!! とハーティの前方で炎の壁が生まれる。否、それは壁ではない。無数の炎弾が融合し点攻撃から面攻撃へと変質したのだ。
さしものハーティも、これほどの密度の攻撃をかわしきることはできない。しかし、かわす必要なんて最初からなかった。切り札は、彼女の手にあったのだから。
ゴッ!! と何かに衝突するような音と共に、炎の壁がハーティの両脇に流れる。彼女の前方には、炎の壁から彼女を守るように 魔法の船《スキーズブラズニル》が展開されていた。
「……ッ!!」
ハーティが瞬時に 魔法の船《スキーズブラズニル》を収縮させると、炎の壁によって切り開かれた塩の霧の先に四つの柱の中心に立ち尽くすフレデリックの姿があった。
「……手元には『鎖鞭』に『魔法の船《スキーズブラズニル》』に『四本の柱』。お誂え向きですね」
そう呟くと、ハーティはひゅん、と左手の鎖鞭を揺らす。すると次の瞬間には彼女の手元にあったはずの布袋は消えていた。
「……、まだだまだだ!! 私は……、ぐげッ!?」
尚も抗戦を続けようと術式を放とうとしたフレデリックだったが、彼は次の瞬間には押しつぶされていた。
「なん、だ……!?」
「『圧迫の船《プレスヤード》』、といったところかしらね」
ギリギリと骨ごと潰される感覚に苛まれているフレデリックの耳に、酷薄なハーティの声が響く。
「有り触れた拷問用具よ。四つの柱から鎖で木船を吊るす道具。少しずつ押しつぶすから即死はしません。安心してください?」
ハーティの左手からは透明の鎖が伸び、それがフレデリックの構築した儀式場の『四本の柱』に絡み合い、『魔法の船《スキーズブラズニル》』を吊り下げていた。
「く、『堕落には《JI》……ガバァ!?」
即座に反撃の魔術を使おうとしたフレデリックは、そこで両目と鼻から勢いよく血を噴出す。
「な、ん……」
「拷問魔術よ?」
痛みの所為か、普段ならすぐに看破できるはずの疑問に動揺するフレデリックに、冷たい笑みを浮かべたハーティは答える。
「魔術師を拷問にかける為の技術が、魔術に対する耐性を持っていなくてどうするというの? あなたの体内は既に、私の魔術によって正常な魔力回路ではなくなっているわ。既にさっき味わったことのある現象でしょう。貴方もヤキが回りましたね」
せせら笑うハーティに、フレデリックは思い切り歯を噛み締める。
「……ッ!! フン、私を拷問することで何が得られるというのだ!? 何をしても無駄だぞ!! 神の御名において私は何も喋ることはないだろう!!」
あくまで気高く、それでいてどこか歯車の外れたようなフレデリックは、声高にそう宣言した。拷問官のすべてを否定するようなその言葉に、ハーティは薄く薄く引き伸ばされた刃のような冷たく鋭い、酷い笑みを浮かべた。
「……いるわね、そういう狂信者《バカ》」
くつくつと喉を鳴らしながら、ハーティはさらに続ける。
「でもね、私たち拷問官がそんなバカの対策をしていない訳がないでしょう? 拷問官としては純粋な拷問のみによって情報を搾り取るのが一番スマートで望ましいんで・す・け・ど……、」
ハーティがパチン、と指を鳴らす。
「貴方の目的は?」
「『バベルの塔』の理論を曲解して生み出した 天使の力《テレズマ》供給神殿を利用して、ソドムとゴモラを滅ぼした 神の力《ガブリエル》の天罰を完全再現した魔術を発動させ、学園都市を滅ぼすことだ。……な、何だ今のは!?」
「ですから、拷問魔術の一種ですよ。『対象が最も精神的苦痛を受けるであろう仕打ちをする』というところから手段を逆算した方式ではありますけど」
「ぐ……!!」
ギリ、ときつくきつく歯を噛み締めたフレデリックは、何を思ったのか思い切り口を開けてからぴたりと動きを止める。
「な、あが……!?」
必死に動かそうとするが、現実にはぴくぴくと顎が動くばかり。どうやらフレデリックは何らかの魔術の影響下にあるようだった。
「舌を噛み切って情報を守ろうとした……といったところでしょうか? 甘い、甘すぎるわ。そんな逃避が認められるわけがないでしょう? 魔女狩りの拷問はね、もっと陰惨で残酷で暗澹で救いようのない絶望だったのよ?」
依然サディスティックな笑みを浮かべるハーティは、そこで左手の鞭をくい、と動かす。それだけで 圧迫の船《プレスヤード》はギリギリとフレデリックの体に食い込み、絶叫の調べをあげさせる。
「『バベルの塔』、ね……」
自身が逆に利用した神殿を見て、ハーティは小さくため息をついた。そのため息は安堵でも哀れみでもなく、単なる呆れの色しかなかった。
「そういえば神様は、『バベルの塔』を建設して神に近づこうとした人間の傲慢を、塔を叩き潰すことで改めさせたんでしたっけ。人間の傲慢に憤っていた貴方が、他でもない天罰の対象になっているなんて、本当にお笑いね?」
痛烈な皮肉に顔を赤くしたフレデリックには、しかし弁解の余地など与えられない。
「本当なら名乗りたくもないのだけれど、私は拷問官だからね、そうも言ってられないの。……『Recipio022《我が身にすべてを打ち明けよ》』。まあ、打ち明けても打ち明けなくてもこの世の地獄を見てもらうのは確定ですけどね」
7
「……敵討ち、かぁ」
元の無表情に戻った
ハーティ=ブレッティンガムは、彼女以外のすべてが倒れ伏した空間の中で一人呆然と佇んでいた。
彼女の相棒だった少女は既に息絶えている。ハーティ自身は意識していたつもりなどなかったが、もしかしたら無意識に彼女の弔い合戦のつもりで戦っていたのかもしれない。そう考えると、何だかむず痒い気持ちになるのを抑えられなかった。
「あ、そうだ」
たった一人しかいない空間の中で、ハーティはふと思いついたように呟いた。誰も聞く人がいないのに呟くのは、寂しさを紛らわせる為の無意識か。
「忘れてたわ。『バベルの塔』の稼動を停止させないと。呆けているうちにイギリス壊滅とか、笑えない冗談ですからね」
既に『圧迫の船《プレスヤード》』経由で神殿との魔術的リンクは構築済みである。後は 天使の力《テレズマ》の供給を停止させ、別の適当な魔術に流し込んで 天使の力《テレズマ》を空回りさせ、元の位相に戻してやれば任務は完了だ。
気を引き締め、圧迫の船《プレスヤード》経由で神殿を操作しようとしたハーティは、そこで背筋に冷たいものを感じた。
たとえるならば、マグマが上昇することによって発生する火山性の地震。人間ではどうしようもない圧倒的な力が迫ることにより、界全体が影響を受けてひとりでに振動を始めているのだ。
「馬鹿な……!? 神殿に送られていた 天使の力《テレズマ》は 圧迫の船《プレスヤード》に動力をまわすことで軽減しているはず!! こんなに早く限界が来るはず……、」
そこまで言って、ハーティはふと気がついた。
「まさか……く、コイツ!!」
四つの柱の根元にうつ伏せで倒れたまま胴体が押しつぶされ、世にも恐ろしい形相のまま息絶えているフレデリックの姿を見てハーティは舌打ちする。
『理論上正しければ』こんな事態が発生するはずなどない。ならば、『理論どおりに行かなかった』というのが最適解だろう。そもそもフレデリックは『ソドムとゴモラの裁き』に特化した魔術師であって、『バベルの塔』や『地脈』、『天使の力《テレズマ》の呼び込み』などに関しては門外漢もいいところである。むしろ、彼の思い通りに魔術が作動する可能性の方が少なかった。
「神殿の中途終了まで……ぐ、駄目!! 最低でも五分かかる!!」
それならば、と別の打開策を探るハーティだが、上手く行かない。
カチリ、という音が聞こえた気がした。それはまるで、何か大事な線が外れてしまったような音だった。
「……ッ!!」
一瞬にして、ハーティの喉が干上がる。背筋が凍りつき、指先が鋼鉄になったかのようにぴくりとも動かなくなる。死の直前の硬直とはこういうことなのか、とハーティは頭の中で悟った。
「……、」
…………が、何も起こらない。いや、実際には今も神殿は不気味に振動しているし、今にも界は崩壊しそうだ。今までと同じ、不自然な自然の拮抗が続いている。だが、『何も起こらない』ということがこの場においては不自然な出来事だった。
「な、にが……、」
「っひぃぃいいい!! し、死ぬかと思ったッス!!」
「………………………………は?」
呆然としていたハーティは、背後から聞こえた間抜けな絶叫に思わず目が点になるかと思った。
後ろを振り返ると、死んだはずの彼女の相棒・
ヴィクトリア=ベイクウェルが浅く荒い呼吸をしながら何事もなかったかのように立ち上がっているところだった。
「もうっ!! ビックリしたッスよ!! 相手の魔術で気絶させられたと思ったら、目が覚めればそこは崩壊寸前の神殿ッスし!! アタシが出来る女じゃなかったらイギリスがブッ飛んでるトコだったッスよ!?」
誰に言うわけでもなく(しいて言うなら自分の運命に対してだろう)悪態をつくヴィクトリアは、そこで点になっているハーティの目と目が合った。
「は、ハーティ!! 無事だったんスね~~!! よかった! アタシが途中退場しちゃったからやられちゃったのかと思って心配したんスよ!!」
「いや、心配って、それ、私の台詞……じゃなくて! 貴女、死んだはずじゃ……、」
そこまで言って、ハーティははっとする。
そもそも、魔術というのは『正しい手順や法則を示す記号を用いれば当たり前に発動する技能』であり、伝承を使うのは『どんな形の図形を書くか』という完成図に具体的なイメージを持たせる為だ。だから、どんな動作だろうと伝承に関係していればそれに則した形の魔術は発動できる。しかし、その象徴がおざなりであればあるほどその威力は弱まる。実際にソドムとゴモラの裁きを再現した状況下で、神の力《ガブリエル》の力を体に満たした上で使うならまだしも、ただの魔術師が『振り向いてはいけない』と言った程度で本当に神話の術式が再現できるはずなどないのだ。何せ、神脳席の前方たる魔術師でさえ人を簡単に死に至らしめることはできなかったのだから。
(え? じゃあ何ですか? 私は勝手にこのバカが死んだと勘違いして、それでなんかちょっとしんみりしていたというの?)
勿論泣いたりするほど取り乱していたわけではないが、正直な話結構ショックだったのは確かである。その相手が、ピンピンして笑っている。多分コイツに先ほどまでのハーティの顔を見せたら大爆笑されること必至だろう。そう考えると、(ヴィクトリアは全く悪くないが)無性に腹が立つ中学生のオンナノコである。
「……死刑」
「ええ!? 何故にっ!? えちょ、いや、だから何か顔を真っ赤にしながら拷問用具を振り回すなんていう恐ろしい行動を遂行するのはどうかと思うんス、」
「赤くなんて、なってないっ!!」
「ひィィィいいいい突っかかるところが明らかに違うッスゥゥうううううッ!?!?」
ドガバキドゴ!! という音が神殿に響き、せっかく九死に一生を得たどっかのスケバンが死にかけたとかなんとか。
「で、何で私たちはまだ生きてるんですか?」
シェフィールドからの帰路。無事『バベルの塔』の機能を停止させてまたもやイギリスを救ったハーティとヴィクトリアは、例によってイギリス清教の女子寮へ徒歩で帰っていた。
まだ少し不機嫌気味なハーティの問いかけにヴィクトリアは戦々恐々としながら、
「そりゃ、アタシが土壇場でどうにかしたからッスよ」
「……どうにかって?」
「んー、『バベルの塔』って術式に使いきれない 天使の力《テレズマ》は地脈に流してるって話だったじゃないッスか。だからこそ地脈が爆発するかもって感じだった訳ですし」
「それは分かりますが……でも、それと何の関係が?」
「まあまあ。で、アタシの使ってる『幻影の王』ッスけど、アレって塚状の神殿を作った時点でアタシの制御を離れてるんスよね。勿論操作するのにはアタシの命令が必要ッスけど、維持するのにアタシの魔力は使ってないんス。神殿ッスからね」
「……、」
そういえば、とハーティは自らの相棒を見る。今もヴィクトリアの傍らには『幻影の王』が漂っていた。本来なら術者が中断させればすぐにでも神殿は崩壊するはずなのだが、今に限っては膨大な量の天使の力《テレズマ》を消費する為に強制終了さえできない状態におかれているようだった。
「『幻影の王』の神殿っていうのは地脈っていう根っこに取り付いた根粒みたいなモンなんスよ。だから、広義では地脈の一部でもあるんス。ホラ、前にフレデリックが偶像の理論で自分の魔力回路と地脈を対応させてたじゃないッスか。だからアタシもそれを利用して、人払いのルーンを利用して地脈の流れを操作して莫大な 天使の力《テレズマ》を『幻影の王』の運営に回させてもらった訳ッス」
腑に落ちない説明ではあったが、反面ハーティはどこかで納得もしていた。あの時聞こえた『大事な線が外れるような音』というのは、地脈を操作することで『幻影の王』の神殿と接続した音だったのだ。
(……まぁ、腑に落ちないことは他にもあるんだけどね)
ぷらぷらと歩くヴィクトリアの隣で、ハーティは今日起こったことを冷静に思い返してみる。
今回のあの局面は、門外漢のフレデリックが無理やり『バベルの塔』の力を使おうとしたから起こった事態だ。
だが、あのレベルで失敗するようなフレデリックが、果たして『バベルの塔を天界の門と認識する』などという高度な魔術理論を構築することなどできるだろうか?
フレデリックは結局、今回の事件の顛末に関して知っていることを全て吐かせたのだが、そこに関しては何らかの魔術的防壁が張ってあるのか、決して漏らすことはなかった。いや、正確に言うと答えてはいたのだが、彼女の求める回答ではなかったのだ。ただそれだけだが、拷問官としてのハーティの勘が『何かある』と告げていた。
「……裏で手を引く、存在」
ボソリ、と気づけば思考が口を突いて出ていた。
「ありゃ、ハーティも同じこと考えてたんスか?」
慌てて口を押さえようとしたハーティの隣から、あっけらかんとした口調の声が聞こえてくる。横を見ると、そこには真剣な目つきをしたヴィクトリア。
「おかしいとは思ってたんス。『バベルの塔』なんていう高度な 天使の力《テレズマ》の収集方法があるなら、もっと強力な応用を使っても良い。それこそ、同じような理論を魔術に組み込みさえすればもっと高威力で取り回しの利く術式だって作れたはずッス。なのに、アイツはそれをしなかった。何だかそこに、『他人から教えてもらった魔術をそのまま使っている』ような違和感を感じたんスよね」
ヴィクトリアの言葉を最後に、二人の間に重い沈黙が横たわる。
この間の事件――
キース=ノーランドの一件の時は、まだ絵空事や推測にすぎなかった話。精精実行犯を唆す程度の存在が、ここにきて『具体的な悪意の発露方法を教える』存在になった。
明確な悪意を以って、イギリスを滅ぼそうとする意志。この一連の事件の黒幕からは、そんな邪悪な考えが伝わってくるようだった。
8
ロンドンはランベス宮。此処は最大主教《アークビショップ》の官邸であり、同時に施設の装飾一つとってみても魔術的トラップになりうるという超高度な魔術要塞でもある。
「おっふろっ、おっふろっ、おっふっろー♪」
そんな超魔術要塞のバスルームにて、最大主教《アークビショップ》は絶賛歌唱中だった。
体育館のようにだだっ広い空間の中に無数のバスタブを敷き詰めただけの空間で足湯に専念している彼女は、機嫌よさげに足をバタバタとして水の飛び跳ねる光景を楽しんでいる。
「おぉっふろぉ♪ おっふろー♪ おっふっろーん♪」
どうやら彼女の歌も佳境に入ったのか、歌う声にも力が入る。イギリス人の癖になんかコブシまで入っちゃってる始末である。
それはもうノリノリで、彼女は扉の前に近づくコツコツという靴が地面を叩く音に気づけなかった。そして、
「最大主教《アークビショップ》」
「おっふ……、……こ、コホン!! な、何用なりけるのかしらー!?」
案の定扉を開けたイギリス清教のとある魔術師に熱唱しているところを見られちょっと気まずい駄目主教《アークビショップ》は自らの足元を静かに正して返事をする。
やってきた魔術師は男だが、同じようなシチュエーションは九月三〇日くらいに体験しているので慌てないちょっと大人なローラだった。
「何用って……。今回のヴィクトリアとハーティの任務の結果を私に報告するよう言ったのは他でもないきみだろう?」
仮にも一つの宗教のトップに対する会話であるはずなのに、あまりにも馴れ馴れしいその口調にもローラはまるで意に介さない。元々、部下に炎剣を叩きつけられたりド素人呼ばわりされるくらいなら全然気にしない器の大きさである。
「さ、左様なりけるわね! それじゃ早速、報告をお願いしけるわ!!」
「……はぁ、なんというか、きみと話してると気が抜けるよ。……まあいい。結論から言うとだね……、」
十数分後、全ての報告が終わったとき、そこには気の抜けたお馬鹿の姿はどこにもなく、代わりに何を考えているのか分からない笑みを称えた老獪な女の姿があった。
「……して、どうするんだい? 前回といい今回といい、少しばかり悪巧みの規模が大きすぎると、私は思うんだけどね。場所さえ特定してくれれば殲滅に向かうけども」
「いや、それはせずともよきにけりよ。そもそも他にお願いしたるべき任務は山ほどありけるしね」
「クソ!! いい加減私を本来のシチュエーションで使えって言ってるんだよこの女狐!! もう幼女の護衛やらイギリスの片田舎の小さな村を魔術結社の攻撃から防衛したりとかそういう専門外の依頼はよしてくれ!!」
「聞っこえなしねー?」
ぴゅー、とすぐさま口笛逃避モードに入ったローラに、魔術師はもう駄目だと悟ると追及を諦める。
「まあ、その件に関しては問題などなきに等しきけり。その程度の連中ならハーティとヴィクトリアに任したりても不具合などあらざむなりよ」
「……、」
「それよりも、私達はさらに強大なる組織との争いを控えたるわ。『たかが出来損ないの結社程度』に手を煩わせたる訳にはいかなしのよ」
最大主教《アークビショップ》の声が、底冷えするように冷たくなる。
先ほどまで思わず頬が緩んでしまうような行動をしていた者と同一人物とは、とても思えない雰囲気の変化。普段はどんな相手だろうと馴れ馴れしいはずのこの魔術師でも、自然と萎縮してしまうほどの強大な圧力《プレッシャー》。
これが、イギリスの誇る最強の女狐、最大主教《アークビショップ》。
「……まあ、それはともかくとしてクリストファーには『とある貴重な才能を持った少女を魔術結社から保護する』たる重要な任務を授けたるから、そのつもりでしばし待ていなのよー☆」
「ちょっと見直そうとした途端にそれかこのクソババア!!」
とある魔術師こと
クリストファー=ルースはそんな調子で叫びながらふと考える。
ひょっとして、ハーティもヴィクトリアが追うことになる『とある魔術結社』というのもこの老獪な見た目女子大生中身BBAの掌の上で踊ってるだけなんじゃないか? と。
……真相は、まだ分からない。
最終更新:2014年01月30日 20:09