聖杯戦争、開戦。
何処に居るとも知れない監督役の大号令により、今朝方聖杯戦争は遂に真の開幕を迎えた。
――とはいっても、別段何かが劇的に変化した訳ではない。
如何に戦争を銘打っていようと、その在り方は根底から別物だ。
破壊兵器の類が人目も憚らず乱れ飛んで街を蹂躙することもなければ、
無辜の民を芥の如く蹴散らしながら、舞台となったこの戦場を破壊することもない。
ごくごく静かな朝だった。
開戦の告げられた日とは思えない平穏な静寂が、町並みの中には満ちていた。
アサシンのサーヴァント――
ゼファー・コールレインは一つ大きな欠伸をしてから、いかにも憂鬱げに嘆息する。
これからは、いよいよもって呑気に安らぐ暇もなくなるだろう。
一体いくつの主従がここまで生き残れたのかは定かではないが、ゼファーの見立てではそう長くは掛からない。
これまでのように数週間単位の長期戦にはならず、長くとも一週間前後で決着する短期戦になる筈だ。
となると、やはりうかうかしてはいられない。
マスターである凌駕が登校していった後、すぐにゼファーは彼の部屋の窓を開け、そこから空中へ身を躍らせた。
行くあてはある。
とはいえ、あくまで目的は偵察だ。
深追いをするつもりはないし、なるべくなら戦わずに済ませたいと考えている。
その理由など、改めて語るまでもないだろう。
アサシンクラスの常套戦術は、気配遮断を施した上での奇襲攻撃だ。
出来る限り少ない手間で、それでいて確実に仕事を完遂する。
更に、戦う回数も可能な限り絞るべきだ。
古今東西、世界線を問わずして英霊の座よりかき集められた無双の勇者たちによる殺し合い、それが聖杯戦争。
一介の暗殺者風情がそれに次から次へと首を突っ込んでいては、命がいくつあっても足りない。
この場合は霊核と言うべきなのかもしれないが、大意では同じようなものである。
「ホント、やってられねえ」
ぼやきながら、アサシンは屋根と屋根を飛び回るように足場としながら駆け抜ける。
既に往来には人の姿がそれなりに見え始めていたが、彼らがゼファーの存在に気付く様子はまるでない。
彼の目指す場所は、予選期間の間から目を付けていたとある森だった。
K市某所、明神山の麓付近に広がる鬱蒼とした広大な森林地帯。
調べてみると、これがどうにもきな臭い。
固有地かと思いきや、登録上の名義は何とも実在の怪しい外資系企業の私有地とされている。
そして、極めつけが。
「……『御伽の城』ねえ」
深い森林の奥底に、巨大な城が存在するという噂話だった。
常識的に考えれば、あり得ない。
人里離れた山奥でもあるまいに、そんな摩訶不思議な建造物があって話題にならないはずがないのだ。
念には念を入れて空撮写真や測量のデータも漁ってみたが、やはり城の存在は確認できず仕舞い。
普通なら、ただの噂話と切って捨てるところだが――しかし今、この地は聖杯戦争の舞台となっている。
もしも下らない与太話ではなく、本当にそんな城が存在するのなら。
そこに聖杯戦争の関係者が居る可能性は、極めて高い。
「よっと」
そこそこな高さのある民家の屋根上から飛び降りて、十数メートル先の地面へ着地。
再び風のごとく足を動かせば、数分もしない内に件の森が見えてきた。
悠長にやっていて、敵に見つかりでもすれば事だ。
速やかに済ませよう――ゼファーは気配遮断のスキルを働かせ、鬱蒼と茂る緑の中へと飛び込んだ。
走る、走る。
一陣の風となって、暗殺者は御伽の城を探す。
ゼファーは決して多芸なサーヴァントではない。
むしろその真逆だ。ただ一点を特化することしか出来なかった、なんてことのない落ちこぼれ。
だが、こういった仕事には長けている。
生前から幾度となく打ち込み、攻略してきた経験を前にしては、城の隠匿結界などは敵ですらない。
ゼファー・コールレインは程なく、御伽の城――アインツベルンの拠点へと辿り着こうとしていた。
事実、彼ほどの隠密性を発揮できるアサシンであれば、霧のヴェールに包まれた城へ至るのは造作もない。
しかし、彼に一つだけ誤算があったとすれば。
「――ッ」
、、、、
鉢合わせという可能性を、軽んじていたことだろう。
ただ、運が悪かった。
タイミングが悪かった。
城を出、これから街へ出撃せんとする城塞の主と鉢合わせる、掛け値なしの不運。
「……驚いたわ。全く感知できなかった」
「アサシンのサーヴァントと見るのが妥当だろう。それで、どうする、イリヤ」
さながらそれは、戦うことを決めた彼を嘲笑うがごとくあてがわれた敵対者。
糞が、と唾を吐き捨てて、ゼファーは踵を返し脱兎の如く逃走する。
まともにやり合う気など端から皆無だ。
目的はあくまで偵察――こんな想定外の事態からは、早く逃れてしまうに限る。
限るの、だが。
「言うまでもないわ。やっちゃえ、マシン」
――この瞬間ゼファー・コールレインは、自分がどうやら逃げられないらしいことを悟り、足を止めた。
◆ ◆
先手を取ったのは、人狼(リュカオン)の牙だった。
目にも留まらぬ速さでハートの懐へ潜り込み、一切の躊躇いなしに殺しの一閃を抜き放つ。
アダマンタイト製の刃は決して過つことなく彼の首筋へ。
サーヴァント相手の戦いなど、長引かせないに越したことはない。
戦いに流儀や信念を持ち込まないゼファーにしてみれば、騎士道だの戦いの美学だのといったものは狂人の理屈だ。
出来る限り迅速に。
叶うならば一撃で。
万一の目などなく、確実に。
仕留め、屠る――ゼファー・コールレインの刃は、その為だけに研ぎ澄まされてきた餓狼の牙だ。
予選の間ならば、これでもどうにかなっていたに違いない。
如何に敵が英霊の座に召し上げられた豪傑といえども、やはりそこにムラはある。
単純なスペックでゼファーを下回る鯖はそう居ないだろうが、彼の『殺す』戦闘論理に適応できなければそれまでだ。
その点で、ハートロイミュードというサーヴァントは完全にゼファーの天敵だった。
第一に筋力値と耐久値で彼を圧倒しており、単純なスペック差の時点で人狼の牙を寄せ付けない。
袈裟の一閃を片手で払い除ける。
弾いた間隙を突かんと十字に重ねた軌跡で刻む。
が、大したダメージにはなっていない。
当然だろう。宝具の域にすら至らない刃でハートを傷付けられるならば、耐久値の概念など飾りに成り果てる。
「ちッ――!」
至近距離から繰り出される豪腕の一撃を刃でいなしつつ、転がるようにして脇へと逃れる。
信じられない話だが、ただあれだけの接触で、ゼファーの腕には痺れが走っていた。
痺れ程度で済んだのは幸運だったと、ゼファーは心からそう思う。
重ねて言うが、このアサシンが担う刃はそもそも宝具ですらないのだ。
彼の虎の子たる星辰光の発動媒体も兼ねていることから、壊されればそれまで。
聖杯戦争が一度だけ戦って終わりの大勝負ならまだしも、長い期間をかけて文字通りの『戦争』に徹しなくてはならない以上は、ここで貴重な得物を失う訳にはいかない。
完全に喧嘩を売る相手を間違えたことを自覚し、自嘲しながら次の一手を打つべく体を動かす。
逃げるのが最も先決なのはわかっているが、今はまだその時ではない。
好機が来るまでは少なくとも戦い続ける必要がある――そしてこいつは間違いなく、守りに徹してやり過ごし切れるような相手でもない。
「終わりか?」
殺気を察知し、即座に飛び退く。
一秒前まで自分が居た地点には、無残な破壊の爪痕が刻まれていた。
安堵するには早い。
震え出しそうな身体を諌め、飛来する光の波動を回避、回避、回避し――
一気に踏み込んだ。
髪の毛数本を死が掠め取る感覚に肝を冷やすが、ここで怖気付けば間違いなく追撃でお陀仏だ。
姿勢を低く保ち、疾走する様はさながら獲物の首筋へ喰らい付く貪狼。
ただ一つ普通と異なるのは、今狼を迎え撃つ敵は、同じ獣の次元にすらいない怪物だということか。
ゼファーを狼だとするならば、あちらはさしずめ神話の巨人か何かといったところだろう。
端的に言って格が違う。
まともに切った張ったしようと考えれば馬鹿を見る。
彼の宝具を理解せずともそれを悟ることが出来たのは、ゼファー・コールレインという男の単なる、スキルとして持ち上げられるにも値しない直感だ。
ハートも、そのマスターであるイリヤスフィールも、同じことを思っている。
このアサシンは弱い、と。
小技を延々と駆使して戦う、一点に特化しているからこそ万能の資質を前にしては無力。
そしてそれは、この上なく的を射た推察だった。
「死ねッ」
放つ、十重二十重の連撃。
確かにそれは見事な速さ。
だが、速さだけではどうにもならない。
ハートにとっては、腕の一振り程度で押し返せるような微風だ。
特化型では万能型に敵わない。
それは、ゼファーが生前散々直面してきた壁であり、現実だった。
死後も尚立ちはだかるそれを忌まわしい鬱陶しいと断じて――腹部へ走る衝撃に吹き飛んだ。
当然の帰結。
飛び回っている小蝿に一撃を当てる程度のこと。
数を重ねずとも、ハートほどの英霊になれば造作もない。
綺麗に吹き飛んでいったゼファーの肉体は大木へと背中から叩き付けられ、彼は喀血する。
それを見送り、ハートは一歩を踏み出した。一歩、二歩と、ゼファーにとっての死神が迫り来る。
「……何よ。全然強くなんてないじゃない。今までに戦ってきた連中の方が、よっぽど骨があったわ」
イリヤスフィールのそんな台詞を聞き、項垂れたように木へ寄り掛かったままのゼファーは小さく笑う。
まったくその通りだと、そう言っているように見えた。
大地を踏み締めて迫るは機械の怪物。
ロイミュード。
マシンという、存在しない格の英霊。
森の主を護る友誼の鼓動が、死を告げる太鼓となって迫り来る。
「やっちゃいなさい、マシン。そんなネズミ一匹にこれ以上かかずらうなんて、時間の無駄もいいところだわ」
下される死刑宣告。
雪の妖精めいたその容姿が、今のゼファーには悪魔にさえ見えた。
ハートロイミュードは主君の命令(オーダー)に、一つ頷いて右手を真っ直ぐ伸ばす。
そこへ収束するは光――戦いを終わらせる終わりの光。
天霆の閃光を彷彿とさせる眩き死が降り注げば、それに対抗する手段など儚き暗殺者にあろうはずもなく。
実に呆気なく、爆発の音色が響き渡った。
ゼファーの凭れていた大木が音を立てて地へ倒れ、着弾した箇所は大きく抉れて黒煙をあげている。
これが宝具の一つも用いない、ただの固有能力における一撃の結果だとどうして信じられようか。
それほどまでに、彼我の実力差は圧倒的であった。
ジャイアントキリングの可能性すら、真っ向勝負では見出だせないほどに、とある種の王は強大だった。
「……終わりだ。城へ戻ろう、イリ――ッ」
だから、そう。
それをいち早く察知することが出来たのも、彼が強者であるがゆえのこと。
迸った銀色の穿刃は、これまでハートへ放たれてきたものとはまるで異なる気勢を帯びていた。
研ぎ澄まされた殺意。
ハートほどの英霊をしてまでも、戦慄を覚えるほどの正確無比。
『殺す』ということを知り尽くした者でなければ不可能な一閃が、初めてハートに焦りという感情を生じさせる。
これがもしゼファー・コールレインの常套手段。
即ち急所を狙った、とにかく手数に物を言わせた連撃であったならば、ハートは苦もなく対処できた筈だ。
意識の撹乱と心理への揺さぶりなどという小細工が通じるのは精々一兵卒までの話。
英雄だの神星だの、目の前の機人のような相手には藪蚊が飛び回って四苦八苦しているのと何ら変わらない。
だが、ゼファーにはそれしか出来ない。
鋼のような防御力がないから迎撃はままならず。
大した力を持っていないから、人間を両断することさえ出来ない。
そこに加えて意思薄弱。技巧派などといえば聞こえはいいが、それは要するに正面から敵を打ち砕けないただの雑魚だ。
技術でどうこうの理屈が通じるのは数段上までの相手に限定される。
それ以上に実力が隔絶した相手には、ただの前進だけで圧倒されてしまう。
それこそ、奥の手を使わない限り、ゼファーにはどうしようもない。
しかしながらその奥の手を切るのは地獄を見るのと同義であるから、所構わず使えるようなものでも決してない。
となればいよいよ本格的に詰んでいる。
そして、そんなことは百も知っている。誰よりも、ゼファーは知っている。
「死ね」
鉛色の殺意を刃へ宿し、ただ一点を目掛けて放つ、放つ。
斬撃の全てはハートに防がれていたが、逆に言えば、ハートロイミュードをして〝それしかできていない〟のだ。
何故ならば、ゼファー・コールレインが攻撃を加えているその一点とは――あらゆる強さに共鳴して力を増す無窮の鼓動英雄が持つ唯一の弱点。鼓動(ビート)を刻む心臓(ハート)に他ならぬ。
それはハートの霊核であるため、軽い傷ですら容易に致命となり得るのだ。
「おまえ、は――何時ッ」
「答える義理は、ねえッ」
何時気付いたのか、との問いを切り捨て、一縷の光明をただ狙い続ける。
速い。
疾い。
捷い――先程は歯牙にも掛けなかった小技の数々が、今は命を蝕む毒牙としてハートを苛んでいた。
否応なしに焦燥を駆り立てられるハート。
だが焦りに心を乱されているのは、何も彼だけではなかった。
(こいつ――)
こうして『殺す気』で戦ってみて、改めて分かる。
このマシンなるサーヴァントは、やはり怪物だ。
そうとしか言いようがない。
ハートの弱点を看破するまでは順調だった。
生前の経験上、ゼファーは戦闘の中で相手を分析するという芸当に秀でている。
本人は意味のないスキルと切り捨ててきた臆病者の癖の一つだったが、ハートのような、明確な弱点を保有する相手にとっては覿面に作用する経験則だ。
しかし、一向に見つけ出した弱点を貫ける気配がない。
敏捷では此方が優っているにも関わらず、まるで岩壁か何かを切り付けているような徒労感が手応えのなかに内在している。まさしく、化け物だ。魔星や英雄を思い起こさせる、存在そのものが規格外の相手。
「――マシン!」
そんな瀬戸際の戦いだからこそ、ほんの些細なイレギュラーで趨勢の天秤は容易く傾く。
今回は数発の光弾だった。
イリヤスフィール・フォン・アインツベルン――ハートロイミュードを喚んだ少女が状況を見かねて介入を行ったのだ。
アインツベルンが誇る最高傑作のホムンクルスが行使する魔術は、対魔力のスキルを持たないゼファーにとっては見逃せない危険因子だ。喰らえば傷になり、必然的に隙へと繋がる。
だから避けるしかない。そうなれば、ハートロイミュードに自由が戻る。
「お前を弱いと称したことは、訂正しよう」
そんなもんはいらねえ。
俺は弱いんだ――だから精一杯慢心して、せめて勝ちの目をくれ。
ゼファーの声にならない哀願が聞き入れられる筈もなく、豪腕の一撃が眼前で炸裂した。
衝撃波のみで目眩が起こる。脳震盪が襲う。スペックが違いすぎる――真実、絶望的なほどに!
「ここからは、全力だ」
回避を優先。
熱と衝撃波と拳の破壊が同時に降り注ぐ光景は、もはや悪い夢としか言いようがない。
それをどうにか回避して、再び奴の弱点を狙い撃てる間隙を探すが、その前に追撃がやって来た。
逆手で持ったアダマンタイトの凶器を振るって光を断ち、最も優先して避けるべき拳を回避。
敵は全力と言ったのだから、ここからは一発の被弾も許されないと踏んでかかった方がいいのは明らかだ。
「マシン、あなた――」
「大丈夫だ、イリヤ。確かに肝は冷えたが、一発も貰っちゃいない」
遥か格下と踏んでいたアサシンの、予期せぬ猛攻。
誇張抜きにハートの撃破に至りかけた事実に不安げな様子を見せるマスターの頭へと、ハートはその手を置く。
その所作はまるで兄か何かのようであり、とてもではないが、あんな破壊を連打出来る化け物と同じとは思えない。
だからこその、怪物なのだ。
「今から、すぐに片を付けるさ……安心しろ、俺は負けない」
ゼファーは駆け出した。
決して逃さぬと、ロイミュードが追い立てる。
光と衝撃波の炸裂を躱して視界を確保しつつ物陰へ逃れを繰り返す、暗殺者。
完全に今、狩る者と狩られる者の立場は逆転していた。
倒せない。倒せる筈がない――刃をもってその攻撃を防ぐ度に強まる思い。
俺は負けないと啖呵を切り、実際にそれを貫ける強さはゼファーにはないものだ。
彼はあくまでもただの負け犬。強者の影に隠れるだけしか能のない、雑魚なのだから。
隠れ蓑に利用する算段だった木々の密集地が、ハートの放った熱波を前に呆気なく消え失せる。
一瞬だけ動きの止まったそこに、ハートロイミュードが誇る豪腕が叩き付けられた。
肋骨の罅割れる感覚。それだけで済んだのは紛れもなく僥倖だが、しかし状況は最悪の領域へと足を突っ込んだ訳だ。
至近距離で炸裂した衝撃波が直撃して、ゼファーは無様に地を転がる。
「づ……ッ、はぁ、はあ、ハァ――――ぎ」
鉄槌の如きハートの所作全てが、人狼を痛め付ける。
格の違いすぎる剛力はもはや、直撃せずとも相手を苛む強震として機能するのだ。
体勢を立て直そうとしたところへ飛来した熱波をオリハルコン製の義手で振り払い、突貫するも無意味。
刃の刺突は敢えなく止められ、身動きを取ろうとしたところへハートの拳が襲い掛かる。
直撃だけは駄目だ、直撃だけは駄目だ、どうにかして避けろ抑えろ躱せでなければ終わる。
喚き立てる自我に従い回避。
追撃を俊敏な動作でどうにか切り抜け、その脇腹へ一閃。無論、少々の火花が散った程度の損害しか与えられない。
結果は見え始めた。
元から見えていた当然の末路が、とうとう現実味を帯びて漂い始めた。
むしろこれまで戦えたのが奇跡だろうがと、ゼファーは心の中で泣き言を吐く。
これが、ゼファー・コールレインという英霊だ。
光を求めて駆けることを尊べない。
目を背けることは、けれどしたくない。
雄々しく散りたいなんて、思ったこともない。
そんなどうしようもない彼だから――ハートロイミュードは、間違いなく彼にとって相性の悪い相手だった。
「一つ聞かせてくれないか、アサシン」
あと一手で止めを刺せる。
その状況にありながら、ハートロイミュードは問いを投げた。
「お前は、何を願ってここにいる。
お前の戦いからは――熱を感じない。俺はお前という英霊が、分からない」
「……そりゃ、そうだろ」
ゼファーは笑う。
思わず笑みが溢れてしまうほど、それは彼にとって当たり前のことだった。
「聖杯なんざ興味はねえ。
願い? 戦い? 古今東西の英雄様を集めて殺し合わせる?
どんな三文小説だよ下らねえ、それなら俺なんぞよりよっぽどいい役者が居るだろうがッ」
吐き捨てた。
聖杯戦争を、彼は侮辱する。
これが心からの本心であることなど、疑う余地もない。
「殺し合いがしたけりゃ勝手にやってろ、そこに俺達を巻き込むな。
こっちは全部終わらせて座で寝てたとこを叩き起こされてんだよ、願いだ大義だと喧しい、知ったことじゃねえ」
「……なによ、貴方」
呟いたのは、イリヤスフィールだった。
その声には、隠そうともしない軽蔑の色が宿っている。
いや――それは嫌悪の領域にすら近かった。
聖杯獲得という大義を抱いてここにいる彼女にしてみれば、眼前の暗殺者は看過できる存在ではない。
誇りだとか、そういうものを度外視してだ。
イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは、このサーヴァントが気に入らない。
思わず言葉が出てしまう程には、むかっ腹が立っている。
「じゃあなんで、そんなサーヴァントがここまで勝ち上がってきたのよ……
さっさと自害するなり何なりして座に戻ればいいじゃない。意味がわからないわ――貴方」
続けて、ハートが口を開く。
彼の物言いにイリヤスフィールほどの棘はなかったが、疑問の色は多分に含まれていた。
「だが……俺の目にはお前は、何かを求めて戦っているように見える。
聖杯戦争を降りたいのならば、彼女の言う通り舞台を退場する手段は幾らでもある筈だ。
それでも――お前は俺に喰らいついてきた。聞かせろ、アサシン。お前は一体――」
「何者なのか」
その言葉を口にしたのは、ハートロイミュードではない。
もちろん、イリヤスフィールでもない。
ゼファーの声とも、違う。
この場の誰とも違う透き通る音色――この世のものとは思えないような、神鳥の囀る恋歌のような響きがあった。
「そんなの、わざわざ頭を使って考えるまでもないわ。
あなたたちとは明確に違い、そして理解できないもの。
許せない、認められない、栄光の対極にあるもの――それが、私たち」
その少女は、突然現れた。
森の主たるイリヤスフィールが感知出来なかったことから、ただの人間でも、ましてやサーヴァントでもない。
彼女はゼファー・コールレインの宝具だ。
正確には、彼と繋がれた比翼連理。
何の戦闘能力も持たない最弱であり、歪み捻れた骸の惑星。
月乙女(アルテミス)のそれを思わせる靭やかな銀髪を颶風に揺らし、微笑む。
「君は――」
「心配しなくてもいいわ。私が出たからといって、出来ることは何もない――
正確にはあるけれど、ここで使うつもりはどうやら彼にはないようだから。単なる気まぐれと思ってもらって大丈夫よ」
あどけない外見をしているにも関わらず、その存在はどこか異質だった。
女神のような麗しさと相反する空寒い死の気配を秘めた、何か。
ともすればこのアサシンより余程恐ろしいのではないかと錯覚しそうになる、明らかに特異な存在。
「私たちは、遍く光を破壊する」
乙女は咏う。
憎悪の音色を。
異端の響きを。
心地よい囀りに似た声で、咏う。
「全ての願いに終焉あれ。
聖杯戦争に今こそ亀裂を。
予定調和の歯車を打ち砕き、天上の星を引き摺り下ろす」
どくん――
どくん――
どくん――
そう響くのは、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの鼓動だった。
早まっている。早まっていく。女神の囀りが紡がれる度に、間隔を早めていく。
ハートロイミュードは、何も語らない。
ただ、二人の中に共通して募る感情がある。
「私たちは」
「――そうだ。俺たちは」
こいつらは――
「貴方達が聖戦と尊ぶものを、艱難辛苦の果てに幻視する輝きを――踏み躙るために、ここにいるのよ」
――こいつらは、あってはならない存在だ。
そう認識したから、ハートロイミュードの行動は速かった。
イリヤスフィールが改めて何かを命ずるまでもない。
この時彼らはまさに以心伝心、完全に通じ合っていた。
乙女は詠った。聖杯戦争を破壊すると。
乙女は笑った。全ての願いが闇へ閉ざされるようにと。
乙女は告げた。我らは光を踏み躙り、聖杯を蹂躙すると。
「ふざけるな、アサシン」
「そうよ――そんなの、ただの八つ当たりじゃない!」
「ああ、そうさ――俺たちは」
「ただ、勝者を滅する弱者であり続ける――」
これは、聖戦などではない。
そんなものに臨むとち狂った神経を、ゼファー・コールレインはついぞ持ち得なかった。
生産性のない弱者の足掻き、八つ当たり、まさしく的を射ている。
下らない八つ当たりの最果てに、光輝く聖杯(キセキ)の惨殺死体を。
ただそれだけのために、彼らはここにいる。
そしてそれを――気高きロイミュードと、アインツベルンのホムンクルスは嫌悪する。
「創生せよ、天に描いた星辰を――我らは煌めく流れ星」
弱者を滅ぼす強者の輝きを相変わらず間一髪で躱し、紡ぎ上げるは凶星の言祝ぎ。
臨界点突破。
純度を増す極限の殺意……感情が限界まで爆発し、才気を喰らう悪逆の選択に心が焦がれ心地良い。
まさに餓狼さながらに四肢が愉悦を求め狂い哭き、断罪の刃を、死を鳴らす。
闇の情動をかき集め、光を踏み砕く星の光が今――発現する。
その刹那、ゼファーは逃げの選択をかなぐり捨てて攻撃へ移った。
狼の如き疾駆は先程までの比ではなく、ハートロイミュードの反応速度をすら振り切っている。
無音のまま、ただ殺気だけを充填して、気配さえ置き去って星の力が駆動する。
ハートロイミュードは、ゼファー・コールレインを前にその弱点を晒した。
ゼファーの力は所詮全能には遠く及ばない、限定状況でしか通用しない劣等。
だが、故に条件が整い、完全に嵌まれば必殺だ。人狼の牙から逃れ得る存在はいない。
今、鼓動の王に潰されるのを待つしかなかった負け犬は真に、格上殺しの人狼へと成った。
ダイヤモンドすら両断する刃の一閃が、ハートロイミュードの体に火花を散らさせる。
これまでとは完全に違う手応えがある。
「ぐ――」
「――反響振(ソナー)」
反撃の衝撃を、熱波を、全てを浮き彫りにし、余裕綽々で回避する。
駆動限界で避け得ないものには刃を直接当て、文字通り微塵とかき消す。
速く、速く速く速く速く――急所狙いの猛乱舞が、再びハートロイミュードの動きを止める!
「づ、ッ――舐めるなよ!」
だが、相手は強大。
ロイミュードの王。
宝具の解放程度で押し切れる容易さでは、彼の歩んだ生涯には役者が足りない。
信じ難いことに、ハートロイミュードは動体視力を置き去るほどの連撃すらも完全に防ぎ続けていた。
「輝く御身の尊さを、己はついぞ知り得ない。尊き者の破滅を祈る、傲岸不遜な畜生王――
人肉を喰らえ。我欲に穢れろ。どうしようもなく切に切に、神の零落を願うのだ。
絢爛たる輝きなど、一切滅びてしまえばいいと」
歌い上げるは彼固有の詠唱(ランゲージ)。
紡がれる祈りは既存の物理法則を歪め、啼泣する子供のように止めどなく嘆きと呪いを撒き散らす。
一言、醜悪。悲しみを大気を通じ伝導させる、嘆きの波動はとある形を取って顕れる。
すなわち、『振動』。俺を邪魔するあらゆる者共、遍く狂い震えて死ねという、呪いの星光。
「苦しみ嘆けと顎門が吐くは万の呪詛、喰らい尽くすは億の希望。
死に絶えろ、死に絶えろ、すべて残らず塵と化せ」
――ここで、ハートロイミュードというサーヴァントが背負った一つの不運に触れよう。
ゼファーが弱点と見出し、攻撃を加えていた剥き出しの心臓は、ハートが誇る第一の宝具に他ならない。
『人類よ、この鼓動を聞け(ビート・オブ・ハート)』……その効力は、相手の強さを成長によって上回る破格。
だからこそ、本来ハートロイミュードが敗れることはあり得ないのだ。
必ず相手の強さを受け、上回るのだから、理論上の彼は誰もが頷く無敵である。
しかし、ゼファー・コールレインという英霊の、この宝具に限っては例外だった。
ゼファーは、弱い。
平伏し、雌伏し、泥水を啜るような生き様を持つ英霊だ。
死想恋歌(エウリュディケ)との共鳴を果たした後ならば、ハートの宝具はきっと十全に機能しただろう。
だが、この第一宝具はあくまでゼファー・コールレイン個人だけのもの。
彼の弱さを体現する、嘆きと恨みの星辰光(アステリズム)。
そこに強さはない。他の誰がそう認識しても、彼はいつだとてこの星光を侮蔑する。
雑魚の象徴。役立たず。成り損ない。負け犬の遠吠えと、散々に吐き散らして否定する。
生涯、一度として誇りに思うことなく、ただ『弱く』あり続けた宝具――
その逸話が、ハートロイミュードの鼓動にこの時ばかりは好作用した。
彼の弱さに鼓動は響かない。
上回る力は発動せず、何の強化恩恵も受けられぬままに、貪狼の牙を迎え撃つしかないのだ。
まさしく千載一遇。
ハートロイミュードという、友誼の果てに生涯を閉じた光を引き摺り下ろす闇が、顎門を開けている。
「我が身は既に邪悪な狼、牙が乾いて今も疼く――怨みの叫びよ、天へ轟け。虚しく闇へ吼えるのだ」
加速。
増幅。
鼓動と振動が跳ね上がる。
自壊寸前まで高まった銀牙を、迎え撃つは機人の剛拳。
歓喜はない。
この男を前にして、そんな感情が起こるはずもない。
Metalnova Silverio Cry
「超新星――狂い哭け、罪深き銀の人狼よ」
――交錯の瞬間、銀の牙は確かに、ハートロイミュードを切り裂いた。
そのまま、ゼファーは走り去る。
敏捷性を維持したまま、星の輝きになど固執せずに森の出口へ一目散に走り抜ける。
その理由は、あまりにも明白。
それでいて、何とも情けないものだった。
――倒し切れない。
どう計算しても、あの化け物じみた耐久値と戦闘能力を削り切る前にこちらが潰れる。
端から、此方の狙いは偵察だったのだ。
予選期間に偶然耳にした、結界の張られた森の話を確かめるために赴いたに過ぎない。
宝具を使う羽目になったのは、そうでもしないととてもではないが生きて帰れる自信がなかったからに帰結する。
それほどまでに、マシンと呼ばれたサーヴァント――ハートロイミュードは強かった。
正直なところ、単純な脅威度ならば大虐殺の魔星を上回るだろう。
これまで戦ってきたサーヴァントの中でも間違いなく最強。
勝ち逃げのように見えるがとんでもない。
あれで逃げ切れなければ殺られていた――それが頑然たる事実。
負け犬の下克上が通じるのは数段上の相手まで。
あそこまで根本から位相が違う相手にその論を適用するのは、少しばかり自殺行為が過ぎる。
森を飛び出し、追撃が来る前に町並みを駆け抜ける。
人の目がない場所を縫うように走り、人気の絶無なマンションの屋上で、ゼファーは静かに星辰光を解除した。
「が――ごはッ」
吐き出す、血液。
内臓が文字通りひしゃげたことによるこの吐血は、星の光を用いた代償だ。
ゼファーの宝具はその全てに、代償が存在する。
もとい、反動か。
第一宝具ですらこれなのだ。その上にある第二宝具などは、真実筆舌に尽くし難い激痛に苛まれることとなる。
暫く痛みに悶絶した後、口許を拭って壁へ凭れ、久方ぶりに空気をゆっくりと吸った。
実体化を解除させていた月乙女――ヴェンデッタが、再びその姿を見せる。
その口許はどこかからかうように笑っていて、何とも憎らしい。
「……まったく、嫌になるねぇ」
聖杯戦争なんざ、糞食らえだ。
何度目かも分からない悪罵を叩いて、ゼファーは束の間の休憩に浸るのだった。
【A-1/マンション(屋上)/一日目・午前】
【アサシン(ゼファー・コールレイン)@シルヴァリオ ヴェンデッタ】
[状態]疲労(大)、星辰光の反動による激痛と内臓被害、肋骨数本骨折、全身にダメージ(大)、全て回復中
[装備]ゼファーの銀刃@シルヴァリオ ヴェンデッタ
[道具]なし
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を蹂躙する
1:今は休む
2:マシンのサーヴァントにはもう会いたくない。割と切実に。
◆ ◆
「――マシン、本当に大丈夫なの?」
イリヤスフィールとマシンのサーヴァントもまた森を出、街へと繰り出していた。
彼に手傷を与えたアサシンを追跡したい思いもあったが、本気で逃げに徹したアサシンをこの広いK市の中から見つけ出すのは至難の業だ。
忌々しいが、あれに関しては次に遭遇する時を待つしかないのが現状だった。
しかし、その時は今度こそ逃さない。
イリヤスフィールもハートロイミュードも、心よりそう思う。
聖杯戦争という儀式へ唾を吐きかけ、あらゆる願いを一緒くたに引き摺り下ろして踏み躙ろうとする彼らの在り方は、聖杯獲得という目的を胸にここまで戦い抜いてきた彼らにとって、断じて許せるものではない。
「問題ない。してやられたのは確かだが、これしきで動けなくなる俺じゃないさ」
「……そう。なら」
「ああ。予定通り、このまま街へ出よう」
誇り。
大義。
それ以前の問題だ。
イリヤスフィール・フォン・アインツベルンにとって聖杯とは、自分の生まれた理由に等しい。
だからこそイリヤスフィールは、ゼファー・コールレインと死想恋歌の少女を許せない。
光を妬み、踏み躙る彼らの在り方は、イリヤスフィールという生命そのものへの最悪の侮辱だ。
そして、故にこそハートロイミュードもその鼓動を怒りの音色に変える。
新たなる友の願いを、その生きる理由を嘲笑い、身勝手な足の引っ張り合いで潰してやると宣った人狼の暗殺者を、彼は決して認めないし、許さない。
友の敵は、己の敵だ。
機人英霊ハートロイミュード、その高潔なる友誼は未だ消えず。
【A-1/アインツベルンの森/一日目・午前】
【マシン(ハートロイミュード)@仮面ライダードライブ】
[状態] 疲労(小)、腹部に斬傷
[装備]『人類よ、この鼓動を聞け』
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:イリヤの為に戦う
1:アサシン(ゼファー)への嫌悪。
【イリヤスフィール・フォン・アインツベルン@Fate/stay night】
[状態] 健康
[令呪] 残り三画
[装備] なし
[道具] なし
[所持金] 城に大量にある
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を取る
1:街へ出る
2:アサシン(ゼファー)が理解できない。
最終更新:2016年05月23日 22:40