見上げれば寒空だったけれど、澄み切った透明な青色をしていた。

 登り切った朝日は、灰色の雲が空を横切るたびに消えたり見えたりを繰り返しながらその高さを中天へと近づけていく。
 そのたびに地上の世界もまた、薄暗い日陰の中に入ったり、日差しにあてられて輝いたりを繰り返している。

 日陰を作っている建造物は、幾つものオフィスが入居する高層ビルであり、一流ホテルであり、巨大ショッピングモールであり、鮮やかな垂れ幕の下がった駅ビルであり、立体駐車場でもあった。
 K市でも一番背が高いビルティングばかりが集まっている一帯だったから、空がとても高いところにある。

 そんなビルディングのひとつに陣取って地上を見下ろせば、落ち着いた色合いの人口物で彩られて舗装された改札前の広場と、無秩序に行き交う人間の群れを観察することができた。
 K市の地名と同じ名前を付けられた駅、K駅。
 その周辺は、ありていに言えば市内でも一番の『都会』だった。

 様々な背の高い建造物を繋いでいる通路は、自動車や路線バスも往来するアスファルトの道路と、その上層に組まれたぺデストリアンデッキの二層構造だ。
 どの通路を通ればどこに繋がるのか、一見して分かりにくいその構造は、ちょっとしたテレビゲームのダンジョンよりも迷宮じみている。
 しかもゲームのダンジョンと違うのは、絶えずたくさんの通行人がいることだ。
 改札から駅の中に入っていく人間たち。駅から出てきた人間たち。バスの停留所で立ち止まる人間たち。タクシーに乗り込む人間。デッキを渡る人間。道中の階段から地下駐車場へと降りていく人間。そして駅からまっすぐのびた大通りへと進路をとり、青 信号を待ってから一斉に歩き出す群れ。
 それはまるで、『ヒト』という製品を吐きだす工場の搬出口と、何十通りもの分かれ道がある見えないベルトコンベアだった。

 しかし、佐倉杏子は知っていた。
 この街はダンジョンではない。ジャングルだ。
 狩る動物と、狩られる動物が明確に存在する、アスファルト・ジャングルだ。

「これだけ荒れてるのに普通に出かけるなんて、『自分だけは殺されない』とか思ってるのか?」

 群衆を指しての問いかけを、ほんの気まぐれで問うてみる。
 霊体化した彼女のサーヴァントは、ただ無口で傍らにいるだけだ。
 しばらく過ごしてみて分かったことだけれど、ランサーはあまり口数が多くない。
 思うことがあればそれなりに喋るし、必要がなければ喋らない。
 単なるコミュニケーション下手なのかもしれないが、そんな奴だった。

 だからこそ、杏子はちょっとだけ反省した。聞くまでもない、くだらない質問をしたことに対して。

 街中というジャングルの中で、NPCとは自覚もないままにただ狩られる側だ。
 そしてこの街は、狩る側に回ろうとする連中――マスターとサーヴァントのために存在する。
 グリーフシードを欲しい魔法少女が魔女を狩るように、お手軽に魔力が欲しいマスターはノンプレイヤーキャラクターを狩るという事実があるだけ。
 ゆくゆくは他のマスターを狩るための布石として――だけではない。

 人間のハンターが動物の狩猟を楽しむように、ただ殺すことを楽しんでいるのか、あるいは全てを滅ぼしたい破滅主義なのか。
 己の保身よりも、目立たないことよりも、大きな被害を出すことに重きを置いた存在がいる。
 そう思わせた根拠は、ふたつあった。

「目と鼻の先であんな派手に爆発したのに、呑気なもんだね」

 自販機で買った棒アイスのパッケージを開けながら、感想をこぼす。

【そういうシステムだから、としか言えないさ】

 根拠のひとつは、今朝がた寝場所となる廃ビルに届けられていた『討伐令』の殺人鬼――『ヘンゼルとグレーテル』の存在。
 そしていまひとつは、このショッピングモールの屋上から、双眼鏡をのぞいて見てきたもののせいだった。
 否、双眼鏡を使わなくともよく見えた。少なくとも、すぐ南の海岸線から、太く高く束になって立ちのぼる黒煙については。
 そして、ソウルジェムを埋め込んで魔法で精度をあげた双眼鏡を使えば、なおのこと詳しく見えた。
 濁った灰色の煙の中に混じる、毒々しい青みがかった煙は明らかに人体に有害な成分が混じっているソレだったとか。
 その煙に見え隠れする火元を注視すれば、昨日まで大型の船が停泊し、造船現場と倉庫街だった区画が、何もない更地になっていたことだとか。
 ヘドロをぐちゃぐちゃに攪拌した上で焦がしたような、黒っぽいマーブル模様のドロドロが、地面を汚していたことだとか。
 近隣に駆けつけた消防車と救急車が、煙に難儀して近寄りかねているパニックの現場だとか。
 その光景だけでも、捕食者による破壊の規模が尋常ではない充分な証明だというのに。

「そもそも、あれはどういう戦いだったんだ?」

 さらに不可解だったのは、青煙交じりの黒煙が地上だけでなく海上からも立ちこめていること。
 棒アイスを大きくかじり、口の中で溶かしながら考える。

「海の中を泳いでるサーヴァントがいて、海ごと燃やした、のかな……」
【海を燃やしたというよりも、元から高発火性物質で汚染していたんじゃないか。
 俺は魔術には詳しくないが、そういう効果のある爆発を起こせたとしても、状況終了の後まで燃え続ける必要なんか無い】
「汚染、ねぇ……なんか英霊(ヒーロー)のやることっぽくないね」
【俺みたいな復讐者が喚ばれるくらいだ。きれいな英雄ばかりじゃないだろうさ】

 ランサーことメロウリンクの生前の功績と言えば、とある軍事スキャンダルに関係する元機甲大隊所属のボトムス乗り全員に、対ATライフルを携えた生身の身体で復讐を完遂したこと。
 言うなれば、それは『前線で華々しく活躍したATパイロット』という存在あってこその風評だ。
 つまり、彼自身は『魔術』ではなく『科学』を由来とする物語(れきし)の人物。
 だとすれば、他のサーヴァントにも海上戦艦のような兵器を扱う英霊や、科学的な毒物か汚染物質を撒き散らす英霊がいてもおかしくないと考えている。

【悪いな。気づくのがもう少し早ければ、戦闘の現場を抑えられたかもしれない】
「い、いや、アタシのせいみたいなもんだから……それはいいよ」

 棒だけになったアイスをぽいとゴミ箱に投げ入れ、気恥ずかさをごまかすようにポニーテールを指先で弄ぶ。
 限られた時間で乾かしたものの、ひとつに括られた長髪にはまだ湿り気が残っていた。
 このショッピングモールの上階にある、スパ温泉の従業員ルームの見張り。
 おそらく戦闘が行われていただろう時刻に、杏子がランサーに命令していたことはソレだった。
 なぜかというと、温浴施設の風呂が沸かされ、しかし開店時間までには少しの余裕がある。
 そういう時間が、杏子にとっての入浴タイムだったからだ。
聖杯戦争で生き残るためのサーヴァント――それも、見た目は杏子とひと回りも離れていない少年兵――に対する命令としてはどうなんだろうと思わないでもない。
 そして、銭湯代を払えないわけでもない。
 むしろ、所持金だけで言えば同年代の中学生たちよりもずっと裕福だった。
 だが家無しのホームレス生活であることも考えると、公共の施設を毎日利用して『いつも子どもだけでやってくる客』として顔を覚えられるだけでも、嫌な予感がする。
 ホテルを使わずに廃ビルを間借りして寝起きしているのも、同じ理由だ。

「そ、それよりさ。ランサーはあのサーヴァントに勝ち目はあるの?
 いや、相手が生きてたらの話だけど」
【敵の手がかりが少なすぎて何とも言えないな。それに俺には水中戦の備えもない。
 それでもマスターがやれというならベストを尽くすが、万全の備えを期した敵の懐に、無策で飛び込むようなものさ】
「そりゃそうか」

 ランサーが生涯の復讐で倒してきた仇敵は、その大半が相当の地位も拠点も持っていて、ランサーを返り討ちにするための罠と装備を固めているような連中ばかりだった。
 文字通り、可燃性燃料が充満したフィールドの中で、ATライフルひとつを携えて特攻するような真似もしたことがあった。
 だからこそ、それがいかに無謀なことかを誰よりも知っている。そして、覚悟を決めればそれでも突き進んでいくのがランサーの生き方だった。

「なら、まだあっちに行かなくてもいいか。生きてて陸に上がってこられたらやばそうだけど」
【ああ】

 ただし、この戦場におけるランサーは、復讐者でもなければ軍人でもない傭兵(サーヴァント)だ。
 進むか退くかを決断するのは、彼の役割ではない。
 そして、佐倉杏子もまた魔法少女ではない。
 身体はまぎれもなくソウルジェムを生み出した魔法少女のそれだが、それでも『魔女を狩る者』だとか『最後に愛と勇気が勝つストーリーの主人公』だとかを背負った魔法少女ではない。
 よっぽど、落とし前をつけるべき事情が存在するのなら別だが、そうでなければ、街の平穏よりも身の安全を優先するだけだ。
 この街の海には、毒を持った捕食者がいた。あるいは、今もいる。
 今はその事実を頭に刻み、そして、いずれ狩られる側に回らないよう、海上には警戒しておくだけだ。

【一時しのぎだが、もっと内陸に避難すると言う選択肢もある】
【そうだね。でも今はまだいいや。人ごみに紛れやすいところにいたいし、こういう街中なら他のマスターも、『討伐令』のヤツらも出てくるかもしれないし】

 開店時間を過ぎたショッピングモールでは、杏子のいる屋上でも親子連れが出入りし始めていた。それを見て、杏子自身も念話に切り替える。

【討伐令に参加するのか?】
【深入りはしたくないけどね。でも、令呪は多い方がいいって話じゃん?
 それに、『悪いマスターは退治してやる!』って意気込んでるマスターがいるかどうかは気になるし】

 今さら正義の味方を気取るつもりは無いが、他のマスターにそれを気取っている連中がいるかどうか、単純に興味はあった。
 かつては佐倉杏子も、それに憧れていた時代があったから。

【たとえば、これだってマスターじゃないかと思うんだよね】

 そう言って乱暴にポケットから取り出したのは、折りたたまれたチラシだった。
 さっそくの手がかり、と言えるほど確かなものではないけれど。
 黒く不気味な目玉が描かれたその広告は、駅前でもよくチラシ配りをしている集団から手渡されたものだった。

【宗教団体か。確かにNPCにしては目立っているが、何か理由でもあるのか?】
【だってさ、いくら何でも繁盛し過ぎてる感じがするから。
よく分かんない教義の新興宗教だったらさ、普通はみんなもっと遠巻きにして、人を集めるのも上手くいかないと思うんだ】

 とても強引な勧誘活動を行っていることで評判の、新興宗教団体。
 その集団のことを話し始めた時、ランサーのマスターは苦々しく顔をゆがめていた。

【それに、あの信者、本当に世の中が良くなることを願ってる人っぽく無かったよ。
 あたしはそういう人を知ってたから分かる】

 メロウリンク・アリティーは無口な男だ。そして余計な詮索もしない。
 かつて、恩人であり行動を共にした女性が倒すべき仇敵の親類だったと知った時も、彼女自身が語り始めるまでは追求しなかったぐらいに。

 だから、マスターの過去に何かがあったのかと察しても、踏み込むことはしなかった。
 元復讐者は、気の利いた言葉を少女にあげられない。

 しかし、元復讐者だからこそ見えるものもある。
 少なくとも、少女の眼に宿っていた感情が、憎しみなのか、哀惜なのかを見極める眼はあった。
 佐倉杏子がそのどちらだったのかは、聞かれるまでもなく――


【一日目・午前/C-2・K駅付近/数階建てショッピングモール屋上】


【佐倉杏子@魔法少女まどか☆マギカ】
[状態] 魔力残量充分
[令呪] 残り三画
[装備] ソウルジェム(待機形態)
[道具] お菓子
[所持金] 不自由はしていない(ATMを破壊して入手した札束有り)
[思考・状況]
基本行動方針:今はただ生き残るために戦う
1:他にはどんなマスターが参加しているかを把握したい。ひとまず駅前を拠点に遭遇を狙う。
2:令呪が欲しいこともあるし討伐令には参加してみたい。
3:海の中にいるサーヴァント、御目方教の存在に強い警戒。狩り出される側には回らない。
[備考]
秋月凌駕とイ級の交戦跡地を目撃しました。

【ランサー(メロウリンク・アリティー)@機甲猟兵メロウリンク】
[状態] 健康
[装備] 「あぶれ出た弱者の牙(パイルバンカーカスタム)」、武装一式
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:あらゆる手を使ってでも生き残る。
1:駅前を拠点にして、マスターと共に他のマスターを探る。
2:港湾で戦闘していた者達、討伐令を出されたマスターを警戒。可能なら情報を集める。
3:マスターと共に生き延びる。ただし必要ならばどんな危険も冒す。

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最終更新:2016年04月29日 07:41