アーチャーのクラスを得て現界せしサーヴァント、アタランテは俊足を誇る。
今は陽が昇り人々が活発に動く時間、つまり人目が増える時間帯である。
だが人目につかないよう用心しながらであっても彼女は速やかに、実体化は維持したまま移動することができる。
彼女の足を以ってすれば会場の区切りに換算して4ブロック程度の距離は遠出と呼べるほどのものではない。
細心の注意を払いながら、アーチャーは思考の隅で先ほどの出来事、すなわちランサーと刃を交えた後同盟を結んだ時の事を思い出す。

(何故ランサーは私の真名をたったあれだけの戦闘で見抜けた―――?)

現状、自分は同盟相手たるランサーに一方的に真名を知られている状況にある。
これは不味い。同盟である以上いつかは破綻するのは必定であり、いざ再びランサーと相対した時にこの情報差は確実に致命となる。
ましてあの飄々としたランサーからはどこか陰謀の気配を感じる。既に何か対策を練られていると考えて良い。
ならばこそ今は味方であるはずのランサーに対して思考を巡らせるのは当然であると言えよう。

先の戦闘、アーチャーは確かにある程度のスキルを披露していた。
とはいえ宝具は使用しないままに戦闘が中断された以上、たったそれだけの情報で真名をピタリと当てることなど出来るものか?
もしかすると、他の要因によって真名を見抜けたのではあるまいか?
例えば互いの生前や出身に手掛かりを得ていたのだとすればどうだ?

(私はあの男の顔を知らない。少なくともアルゴノーツの勇士という線はない。
しかしランサーは私を知っていた……ならば奴は同じギリシャの、私よりも後の世代の英雄、とは考えられるか。
加えてあの槍捌きはヘラクレスには及ばずとも並の英傑に収まる技量ではない。つまり大英雄と呼べるだけの実力を伴ったサーヴァント)

よく思い出してみるとあの鎧の装飾にはどこか見覚え、というよりアーチャーの知る勇士たちが身に着けていた鎧の名残があったように見受けられる。
さらに高い実力を有しながらハッタリや駆け引きにも通じる油断ならぬ頭の冴え、何よりこのアタランテの足に初見で対応してのけたという事実。

「まさか……」

トロイア随一の名将と呼ばれた、ペレウスの息子アキレウスと何度も渡り合った大英雄の名前が脳裏に浮かぶ。
トロイア戦争の時代といえばアタランテの活躍した時代にほど近い年代だ。少ない手掛かりでも自分の真名に辿り着けても別段おかしくはない。
とはいえ、確証があるわけでもない。どうにかして確認を取りたいところではあるがどうするか。
あの男ならカマをかけたところではぐらかされるのがオチだ、いっそ直接言い当ててみるのも悪く無いかもしれない。

「……む?」

ふと、嗅ぎ慣れない匂いが漂ってきた。
自然の中で野生動物同然に育ったアーチャーにとって現代の空気はもとより不快な匂いではあった。
嗅覚が英霊の中でも一際鋭敏な彼女にとってそれは少なからぬ苦痛だったがここ最近はさすがに慣れのおかげか気にならなくなりつつあった。
今感じた匂いは世界そのものが放っているものとは別の匂い、NPCたちからは生じ得ない類のそれだ。

「あれか」

千里眼を持たずとも、弓兵らしい超視力、動体視力も併せ持つアタランテである。
匂いの発生源の正体はすぐさま特定できた。
自身のはるか前方、S中学校の近くに煙草を咥えて路傍に立つ一人の男の姿をしかと捉えていた。
一般人に溶け込んでいるつもりのようだがアーチャーの目と鼻は誤魔化せない、奴はマスターの一人だ。
とはいえサーヴァントが側に控えている可能性が高い以上、狙い撃つには些か早すぎる。
アーチャーの狙撃とて同じサーヴァントであれば迎撃することはさして難しいわけでもない、焦りは禁物。

少しして、学生らしき一人の少女と男が交差しようとした瞬間のことだった。
少女の側から柔和にして鋭利といった印象を与える青年が出現し、それと同時に男の側からも無骨な印象を与える青年が現れ突撃していった。
これこそはまさしくサーヴァント同士の戦闘。最後までの生き残りを賭けた戦争なればこそここは見に徹するが上策。
そうしてアーチャーは死を運ぶ刃が如きアサシンと全てに破壊を齎さんが如き銃使いの戦いの一部始終を見届けることにした。




     ▼  ▲




―――思っていたより持っていかれるものだな。

死神を取り逃がしてから僅かに数分、それだけの時間で両腕の再生を果たした霧亥を見ながら衛宮切嗣は供給した魔力量に思考を巡らせる。
燃費が良いサーヴァントにも種類というものがある。
例えば戦闘に使う魔力が多い代わりに体内に有する機能によって莫大な魔力を生成して補うタイプ。
例えば魔力総量に優れない代わりに消費する魔力が圧倒的に微小で済むタイプ。

霧亥はどちらかといえば後者のサーヴァントであった。
最低値を示すパラメーター上の魔力が示す通り霧亥が保有できる魔力総量そのものは格別に秀でているというわけではない。
霧亥の超絶的スタンドアローン性を支えるのは超高ランクの単独行動のスキルと宝具の反則的なまでの魔力消費の少なさだ。
両腕を丸ごと失うほどの負傷を一気に治癒しようとすれば、流石に全く負担を感じずに済むというわけにはいかないらしい。

さて、ここからどうするかと心中で独りごちる。
中学校に潜伏していたマスターは先の死神を統べていた少女であるに違いない。
出来ることなら彼女と一時休戦し、中学校の情報について聞き出したかったが霧亥の度を越した攻撃性によってその目論見は潰えた。
また討伐対象たるヘンゼルとグレーテルの思慮の浅さを思えば彼らもしくは彼女らがそう長生きできるとは考えるべきではない。
危険を承知で序盤からこうして動きまわった挙句成果は他のマスターに取られた、などという事態になっては笑い話にもなりはすまい。

―――アーチャーの千里眼に頼るべきか?

これまで意識して頼るまいとしてきた従僕の能力を今こそ有効に使うべきか思案する。
何しろ相手は双子のマスター、霧亥ならば十分発見できるだろう。
しかし、切嗣は安易に霧亥の保有スキルを頼ることにどうにも抵抗感があった。
まず如何に霧亥の千里眼が強力であれ敵もまた超常存在たる英霊である以上絶対とは言えない。
先ほど気配を点滅させるという、切嗣にさえできない芸当で霧亥の千里眼から逃れた死神のような、こちらの裏を掻くスキルを持つサーヴァントもいるだろう。
慢心し従者の力に依存すればいずれそのツケを命で支払わされる時が来よう。

また暴れ馬どころではない制御の困難さという問題を抱える霧亥にフリーハンドを持たせて良いものか、という考えもあった。
奴は決して狂戦士(バーサーカー)ではない。何か口実をつけて切嗣の制御から逃れようと画策している可能性もゼロではないのだ。
そしてその疑念は先の独断専行によってより深まっている。
霧亥に戦略を依存すれば何か取り返しのつかない状況を招くのではないか、という不安から切嗣は情報収集を極力自らの力で行ってきていた。
とはいえ本戦が始まって生き残ったマスターも英霊も粒ぞろい。そろそろ独力の現界が見えているようにも感じられる。



「狙撃だ」



相も変わらぬ端的に過ぎる言葉と同時に、風を切り矢が飛来した。
切嗣が明瞭に状況を認識できたのは霧亥が銃把で矢を叩き落とした一瞬の後のことだった。

「…アーチャーか!」

強化した視力が捉えたのは数キロ先の民家の屋根の上に立つ獣の如き耳と尻尾を生やした少女。
弓を構えたその姿は紛れも無く霧亥と同じ弓兵のクラスで招かれしサーヴァントの一柱。
あからさまなマスター狙いの一撃はマスターの指示によるものか、サーヴァント自身の判断かは判然としないが手段を選ばぬ敵は得てして手強いものだ。

しかし、敵のマスターの姿が見つからず自身は敵のアーチャーに一方的に狙われているこの状況は些か不利だ。
というのも霧亥は不死性こそ備えているものの常軌を逸した火力と攻撃性を併せ持った超攻撃特化型のサーヴァントであるからだ。
防具の類は所持しておらず、不死の肉体も攻撃を通さぬわけではなく傷つきはするため護衛という仕事は比較的に苦手としている。

「片付けろ、アーチャー。宝具は極力建造物やNPCを巻き込まないよう最低出力でのみ使え」

だが、それがどうしたという。
ことサーヴァント戦において霧亥に多少の苦戦はあるとしても敗北はまず有り得ない。
無論他のサーヴァントを侮るわけではないが、切嗣を狙わせず、かつ一対一に持ち込みさえすれば大抵のサーヴァントは圧殺できる。
純粋な強者や先の死神のような例外であっても為す術なく負けることはほぼない。何せ不死身なのだ。
とにかく、現状でこちらが敗北する要素があるとすれば切嗣自身が殺されることだ。
霧亥とともに離脱を図る手もあるがそうなると彼の強みを殺し、弱点を露呈した状態で敵のアーチャーと向き合う羽目になる。

(問題があるとすれば……)

霧亥の異常な攻撃性。最低出力であっても現代の建築物を蹂躙する宝具、GBEの火力。
街やNPCに余計な被害が出るのではないか、という懸念だけは拭いがたい。
しかしサーヴァントに対処できるのはサーヴァントだけだ。
マスターを捉えられない状況下にあっては衛宮切嗣に出来ることは何もないのが現実である。
不安があれども今は霧亥に対処、いや処理を任せる以外にない。
民家の屋根に跳躍した霧亥と別れると、切嗣は建造物を盾にしながら全力でアーチャーを撒くべくこの場からの離脱を図った。

遠くから聞こえるGBEの発射音から本格的に戦闘が始まったことを察した。
先ほどの一瞬で透視したアーチャーのパラメーターは敏捷性以外に特筆するべきところはなく、その敏捷にしても霧亥と同等程度。
死神のような、霧亥の射撃すら逃れるような手合いであっても霧亥と戦うだけで精一杯であろう。

「………!」

―――だというのに、不意に背中を死の予感が襲った。
咄嗟に物陰に隠れたと同時に、超音速で飛来した矢が舗装されたコンクリートを破砕した。
数多の修羅場を潜り抜けたことで培われた直感が今の矢は流れ弾ではないと告げている。

「Time alter――double accel!」

衛宮切嗣にのみ許された固有魔術、固有時制御を二倍速で発動。
遮二無二、加速して逃げる、逃げる、逃げる。ただ生き残るために。

「それでは遅いぞ、魔術師」

側面でも正面でも背後でもなく、上空から飛び出した翡翠の少女が弓を構え矢を番えようとする。
同時にGBEの破壊の光条が迸り周囲を容赦なく抉っていくが、少女は二倍速となった切嗣の目にも写らぬほどの速さで軽々と躱してのけた。
信じ難い。あの霧亥が振り切られたというのか。
死神の技巧に満ちた回避とは種類の違う、理不尽なまでの機動性による千里眼からも逃れる回避性能。

翡翠の弓兵はあろうことか、GBEを回避するだけでなく同時に攻撃に転じようとしている。
そしてその射程には衛宮切嗣が収められているとなれば、どこに矢が放たれるかは自明の理だ。
駄目だ、躱せない、殺される。二倍速の時間切れを待つまでもなくあの矢は自身を射抜く。
ならば―――




     ▼  ▲




(何と凄まじいサーヴァントか)

必然の事象として、アタランテは死神と交戦する霧亥の暴威に強い警戒を抱いていた。
無論その霧亥と相対して五分の勝負を演じる死神の殺戮技巧も目を見張るものがある。
しかし、より明確にアタランテとランサーが思い描く戦略に支障を与えるのは霧亥であることは疑いない事実だ。

両者の真名を知らず、サーヴァントの能力を透視することもできない彼女にも互いのクラスと戦いの趨勢は見て取れる。
紛れもなくアサシンであろう青年は釘や拳銃という、およそ武装としては頼りない代物を巧みに操り小型の銃を構える男に着実にダメージを与えていっていた。
それ自体にも驚くが、アーチャーがより強く着目したのは戦闘開始時の両者の動き出しだ。
猛烈な破壊を齎す銃の担い手は明らかにアサシンの気配遮断を看破していた。
暗殺さえ無効にできるほどのサーヴァント感知能力の高さを以ってすれば、件の双子を見つけ出すことも容易いに違いない。
もっと言えばあの馬鹿げた身体能力とさらなる潜在火力を秘めていると思しき銃を駆使すれば双子のサーヴァントが何であれ簡単に鏖殺できるだろう。

そうなってしまっては困るのだ。
アーチャーとしては出来る限り長く―――桜に危害が及べば別だが―――双子の主従には生存してもらい、多くのマスターの注意を惹きつけてくれた方が望ましいからだ。
討ち取れば令呪が得られるという討伐対象にして多くのマスターにとって共通の敵が存命していればその分だけ桜に危険が迫る確率は下がる。
そればかりか、自らを狩る側と認識している者どもの背中をアーチャーが狩る機会が増えることをも意味する。
故に、この状況を早期に終わらせる可能性が高い者は見逃すわけにはいかない。

やがて戦闘が終わり、自分がいる方へ近づいてきた死神主従をやり過ごすべく息を潜め霊体化。
しばらくしてからどちらに狙いをつけるか、僅かの逡巡の後決定した。
狙うは血と硝煙の匂いを漂わせるマスターとアーチャーの主従だ。
双子の主従を殺害する危険度の高さではアサシンも良い勝負ではあるものの、あれを追跡するのは骨が折れるし何よりマスターの攻撃性が低い。
アーチャーのマスターに対して何か会話ないし交渉を試みていたのをアタランテは見逃さなかった。

その点で比較すると銃使いのアーチャー陣営はマスター、サーヴァント共に極めて攻撃的と言えよう。
特にサーヴァントは糸のようなもので両腕を切断されて尚戦闘を継続しようとする呆れた戦闘狂だ。
そのくせサーヴァントを察知する能力にかけては右に出る者はいないのではないかというほどであり、あらゆる意味で放置するには危険すぎる。
そう、奴らが殺すのは双子の主従のみではない。いずれはあの破滅の光が桜をも――――――



―――アーチャーさん、いかなきゃだめですか?



「………っ!」

ギリ、と。我知らず唇を噛み締めていた。
先ほど出発する直前、桜から投げかけられた言葉が胸を締めつける。
桜は自分が勝ち残れるマスターではないことを自覚している節がある。
もっと言えば彼女にとって苦痛のないこの世界で死んでも構わない、終わっても良いと考えているようにも見える。
客観的に見てもいくら魔術回路が優れているといえど何の自衛手段もない幼子が優勝するには聖杯戦争という環境は厳しすぎることは理解できる。

「終わらせるものか…!我が全てを捧げても、必ず……!!」

けれどそんな無情な結末は、仮令如何なる存在が容認しようとこのアタランテだけは決して認めはしない。
誓いを新たに、高所へと昇り天窮の弓(タウロポロス)を強く、限界を越えて引き絞る。
これから相手にするサーヴァントが如何に強大であるかなどは百も承知。
しかし―――今、この状況と条件ならば自分の方が圧倒的に有利だ。

「策を誤ったな、魔術師。貴様はそのサーヴァントを伴って出るべきではなかったぞ」

相手方のサーヴァントはマスターを守るしかなく、逆にアタランテは一方的にマスターを捕捉している。
尋常な決闘なら勝ち目は乏しいであろうが、これは果たし合いではなく殺し合いにしてバトルロイヤルだ。
相手に有利な条件で戦ってやる必要などどこにもなく、わざわざ強みを発揮させてやる理由もまた存在しない。
見る限りあちらは自分と同じく攻勢に特化したサーヴァント、であるなら守勢を強いれば自然こちらが優位となる。

限界を越えて引き絞った弓からマスター狙いの一矢を放った。
アタランテ自身の膂力はさしたるものではないが、天窮の弓に宿りし加護により放たれた矢の威力はAランクにも達する。
しかしそれを迎撃するのは聖杯戦争において最強と呼んでも過言ではない実力を誇る霧亥だ。
アタランテの行動を察知していたこともあり、持ち前の筋力で矢を軽々と叩き落としてみせた。
この程度の奇襲で倒せる相手でないことはわかりきっている。これは布石だ。



―――遥かなる吾が故郷アルカディア、峻険なる山嶺連なりし彼の地の岩から岩へと、飛び渡り遊びし吾なりき



霧亥が防御行動を取った一瞬の隙に、獣もかくやというほどの俊敏さで屋根から屋根を渡り接近する。
如何にサーヴァントの能力が人間を大きく超越するといっても足場が悪ければ機動に制限を受けることは間違いない。
しかしアタランテはそんな道理など知らぬとばかりの軽やかさで霧亥へと接近を図る。
そう、接近だ。遠く彼方から敵を射抜くことが本領の弓兵にあるまじき戦法である。

霧亥もまた、明らかに自らを上回る速さを発揮して迫るアタランテを撃滅するべくGBEを構えた。
彼の千里眼には全てが見える。たかが圧倒的速さを誇るだけではその眼から逃れることは至難の一言だ。
狙うは必中。マスターの命令通りに出力を最低に抑え敵の動きを読み、発射。
あまりにも暴力的な銃撃、否、砲撃と呼ぶにも過剰な光条がアタランテの命を刈り取らんと迫る。



―――先にゆけ。しかるのち吾、疾風となりて汝を抜き去るべし



「殺ったぞ」


上空からの声。霧亥の目に空から弓を引き絞るアタランテの姿が見えた。
ランサー、ヘクトールとの小競り合いにおいても披露したスキル、追い込みの美学。
仮令高ランクの千里眼を持つ霧亥が先読みを働かせようとも後の先を必ず制す。

さらに言えば、霧亥の千里眼が如何に強力な代物でも必ず射撃を当てられるわけではない。
銃という兵器の構造上の特徴として、トリガーを引かなければ発射できず発射された弾丸も原則真っ直ぐにしか飛ばない。
つまり予備動作を見切る技術と一定のスピードがあればGBEを回避すること自体は絶望的に困難というわけではないのだ。
死神もこの事実を利用して霧亥の射撃から逃れ反撃を加えてみせたのだった。
アタランテは元より死神を大きく上回る機動力の持ち主である。
加えて先ほどの戦闘を偵察していたことで霧亥の戦い方、動きをある程度まで見知っている。
これだけのアドバンテージがあれば、GBEを余波まで含め完全に回避することなどは難しいことではない。


GBEの発射と同時にアタランテは大きく前方へ跳躍、空中から引き絞った矢を霧亥の頭部目掛けて放った。
十全の態勢ならば迎撃や回避が可能だっただろうが、今この瞬間においては霧亥といえど満足な回避行動はできない。
およそあらゆる宝具を凌ぐ破滅的火力を誇るGBE、しかし無視できぬ欠点もまた存在する。
その最たるものが反動の大きさだ。霧亥の筋力でも抑えきれない反動によって発射直後は仮令最低出力であろうと大幅に動きに制約が生まれる。
先の戦闘を盗み見ていたことでこの弱点を知っていたアタランテが狙ったのはまさにこれだ。
それは死神とは真逆の発想、敢えてGBEを撃たせ、回避しつつ反動で硬直した隙を突くサーヴァントであってすら正気を疑う策だった。
戦車砲をも凌ぐ威力を与えられた矢は過たず霧亥の頭部を吹き飛ばし、その身体は仰向けに倒れ伏した。

「これで…斃せたのか?」

空中で霧亥を追い越し、着地したアタランテは注意深く討ち取ったであろう敵の姿を見やる。
会心の手応えがあったというのに、何故か強敵を倒した安堵を感じない。
確かに相手の戦法を見て、対策を立て必殺の気合で矢を打ち込みはした。
だというのに、何か妙だ。上手く行き過ぎている―――そんな漠然とした不安が拭えない。

「!」

有り得ないことが起きた。
地に倒れ伏した筈の霧亥の腕が、GBEの銃口がアタランテへと向けられた。
有り得ぬ筈の発砲。無論十分な狙いのついていない一撃に当たるアタランテではないが驚きは隠せない。

「不死(しなず)の英霊、というわけか」

信じ難いことに、霧亥は急速に破壊された頭部を再生し立ち上がろうとしていた。
当然通常のサーヴァントには不可能な行いである。頭部とはサーヴァントを形成する霊核の一つであるのだから。
これでは肉体全てを吹き飛ばしたとて本当に殺せるかわかったものではない。
しかし不死性を持つサーヴァントの存在は聖杯戦争の開始以来全く考慮していなかったわけでもない。
そしてどんなに強力な不死のスキルないし宝具を持つ英霊であろうとも、その力を発揮、維持せしめるのはマスターの魔術回路に他ならない。
とどのつまり、マスターさえ失えば戦闘力も不死性も維持できなくなるのがサーヴァント故の避けられない泣き所というわけだ。

倒せなかった場合の予定通りにマスター一点狙いに移行、特徴的な匂いですぐに場所はわかった。
衛宮切嗣の隠形はマスターとしては高いレベルにあるが、アタランテからすればまさしく「頭隠して尻隠さず」に等しい。
むしろ純粋な一般人の方がまだしもアタランテの追跡を撒ける可能性は高かっただろう。




     ▼  ▲




「それでは遅いぞ、魔術師」



そして高速で走り逃れようとするマスターの姿を容易に捉え矢を番える。
追ってきた霧亥の銃撃を身を捻って回避、直後にアタランテの矢が敵マスターの頭蓋を砕く―――はずだった。

「令呪を以って我が傀儡に命ず!僕を守れ、アーチャー!!」

最早逃げきれないと悟った霧亥のマスター、切嗣は令呪に訴え従者を自らの下に引き寄せ盾とした。
それがこの状況において悪手であると理解していても、そうする以外にないほど追い詰められていた。
銃で矢を弾いた霧亥は左腕で切嗣を抱え、アタランテから逃れるべく走り出した。

「逃がさん、汝らはここで落ちろ」
「くっ……!」

まさしく、アタランテにとって絶好の狩り場の完成であった。
絶え間なく矢を撃ちながら、霧亥の近接攻撃の届かない中距離を保っての追撃を仕掛けるアタランテに対して霧亥はただひたすら逃げることしかできない。
有効な反撃をするには片手でGBEを撃たなければならないが、令呪の縛りが銃撃を許さない。
何故なら切嗣を抱えた状態でGBEを撃とうものならば致命的な隙が生まれ、生じた隙に切嗣が打ち抜かれることになる。
そうなれば当然令呪の強制に反することになり、故に霧亥は何の反撃もできないままただ逃げることしかできない。

「何てことだ……!」

抱えられながら、切嗣はただ歯噛みするしかなかった。
千里眼の自立稼働で無駄なく矢の猛射を避ける霧亥だったが、マスターという荷物を抱えたまま、それも庇いながらとあっては完全な回避は望むべくもない。
腕、肩、腰と次々に被弾していき、ダメージもまた蓄積していった。
勿論、マスターある限り霧亥が敵の攻撃によって死を迎えるようなことはない。
しかし霧亥は不死ではあっても攻撃を受け付けない無敵性は有しておらず、傷つけばその分戦闘力、性能にも陰りが生まれてしまう。
とはいえ十分な力を発揮できない護衛という状況下でもマスターに傷一つつけていないのはさすがに最強のサーヴァントと言うべきか。

「そこだ」
「ぐっ」

されど、追うアタランテも世界最速クラスにして弓兵としてもトップランクの技量を誇る神代の狩人。
霧亥が地を蹴り空中へ飛び出した直後、その動きを読んでいたかのように放った矢が霧亥の膝から下を吹き飛ばした。
さしもの霧亥も空中でバランスを崩し、切嗣諸共道路に身を投げ出す格好になった。
この間がどれほど致命的な隙となるのか、誰もが明瞭に認識していた。



「我が弓と矢を以って太陽神(アポロン)と月女神(アルテミス)の加護を願い奉る」



霧亥たちが空に投げ出され、起き上がるまでの間にアタランテは渾身の魔力を込め弓矢を空高くへと掲げた。
誰の目にも明らかな、英霊の半身たる宝具の起動であった。
アタランテの持つ天窮の弓は格の高い武装なれどそれ自体は彼女の宝具というわけではない。
矢が怪しい輝きを放つ。そう、弓と矢は彼女の宝具を発動するための触媒に過ぎない。
弓に矢を番え空高くへ放つという術理それ自体がアタランテが誇る宝具なのである。



「この災厄を捧がん――――――訴状の矢文(ポイボス・カタストロフェ)!」



空へと放たれし二本の矢は輝く軌跡を残しながら遥か空へと舞い上がる。
それは神への訴えだった。アポロンは弓矢の神、アルテミスは狩猟の神を司る。
彼らはアタランテが加護を求めた代償に災厄―――無論敵方に対しての―――を求める。
空から淡い光が降り注ごうとしている予兆を霧亥の千里眼は余すところなく捉えていた。
今まさに、霧亥と切嗣を断罪すべく災厄(カタストロフ)という名の豪雨が襲おうとしていた。

「出力を上げる」

光り輝く矢の雨が出現したと同時、起き上がった霧亥がGBEを空へと掲げた。
片足を失った身では切嗣を連れて逃げることは叶わず、であるならば対処は迎撃のみ。
この世のあらゆる存在を蹂躙する破壊の光が空を貫き、今まさに降り注がんとしていた矢の雨を一つ残らず消滅せしめた。
霧亥と宝具の撃ち合いをすればどうなるか。当然すぎるほどに当然の結果だ。



「―――そうだ、汝はそうするしかない。
仮令――――――その先に敗北しか待ち受けていないとしても、な」



―――であるならば。アタランテがこの未来を予見することもまた必然である。
限界まで引き絞り、放たれた矢が伸びきった霧亥のGBEを持った腕を吹き飛ばした。
アタランテは最初から訴状の矢文がGBEに撃ち負けることを前提として宝具を使ったのだ。
如何にGBEが最強に等しい火力を誇るのだとしても、同じ宝具を撃ち落とすならば出力を上げざるを得ない。
出力を上げるということは反動の増大を意味し、発射直後の硬直が大きくなるということ。
そこまでを読み切っていたアタランテの本命の一矢が趨勢を完全に決定づけた。

アタランテの訴状の矢文は空へ矢を放ってから光の矢が降り注ぐまで僅かのタイムラグが存在する。
そのタイムラグを最大限有効活用すれば、このように宝具に対処させた隙に次の攻撃を浴びせることも可能なのだ。

「では、これで詰みだ」

反撃、防御、回避。全てを封じられた哀れな獲物を仕留めるべくとどめの矢を番える。
もう何をしても死の未来を回避することはできない―――たった一つの手段を除いては。



「………令呪を以って命じる!僕を連れて転移しろ、アーチャー!!」



残り二画になった令呪。絶対の窮地を前にして切嗣は二度目の使用を決断した。
魔力の光が二人を包み、矢が命中する直前でその場から完全に掻き消えた。



「逃したか……。これがマスターの援護なきサーヴァントの限界ということか」

残念ながら相手はアタランテの知覚範囲の外まで転移してしまったらしい。
圧倒的に有利な条件で戦い、宝具まで晒したというのに最後の詰めの段階でマスターの有無の差が出てしまった。
とはいえあちらも令呪を二画も使った以上、もう一度同じ条件で戦えれば自分があのマスターを仕留めて勝つだろう。
それにあそこまで消耗させたならば早々に双子を仕留めに行くこともできないはずだ。
最低限の結果は出せた、と考えるしかない。



―――もしこの場にアタランテの同盟相手であるランサーがいたならばこう付け加えるだろう。

「いやいや上出来上出来。向こうさんは令呪が欲しいのに逆に使わされたんだ。
これで焦って派手な行動にでも出て自滅してくれれば儲けもんだ」

【B-2/一日目・午後】

【アーチャー(アタランテ)@Fate/Apocrypha】
[状態] 疲労(小)、魔力消費(小)、精神的疲労(大)、聖杯に対する憎悪
[装備] 『天窮の弓(タウロポロス)』
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:もう迷わない。どれほど汚れようとも必ず桜を勝たせる
1:追撃はせず引き続き遊撃。一度ゴーストタウン付近まで後退する。
2:討伐クエストには参加しない。むしろ違反者を狙って動く主従の背中を撃つ
3:正体不明の死霊使い、及びそれらを生み出した者を警戒する
4:ランサー(ヘクトール)との同盟関係を現状は維持。但し桜を脅かすようであれば、即刻抹殺する
[備考]
アサシン(死神)とアーチャー(霧亥)の戦闘を目撃しました
衛宮切嗣の匂いを記憶しました
建原智香、アサシン(死神)から霊体化して身を隠しましたが察知された可能性があります
ランサー(ヘクトール)の真名に気付きましたがまだ確信は抱いていません




     ▼  ▲




ゴーストタウンの一角にある幽霊屋敷と呼称されるビルディング。
その屋上で気怠げに槍を持ち座り込んだサーヴァントが一人。

「あ~、暇っていうのはいいことだねえ」

如何にもやる気がなさそうな声音で呟く様は十人が見れば九人は呆れ返るだろう。
しかし、残りの一人はこの態度が彼の本気を隠すポーズに過ぎないことを見破れるかもしれない。

(アーチャーに俺の真名を悟られた可能性は……まあ五分五分ってとこかね)

一見して腑抜けたようにも見える仮面の下では冷静に状況の分析、思考を進めていた。
先ほどのアタランテとの遭遇戦、鬼気迫る様子で戦う彼女を真名を当てるという一手で講和、同盟に持ち込んでみせた。
しかし何故アタランテの真名を言い当てることができたのか、という点については種も仕掛けもある。
そもそもランサーはアタランテが思考したような、出身地や活躍した年代だけで相手の真名を特定できたわけではない。
いや、何の予備情報もなくともある程度までは絞り込む自信はあるがさすがに一人にまで特定することは如何なヘクトールでも無理な話だ。

(俺は特異点の事を憶えているのにあちらさんには記憶が無いらしいってのはどういう基準なのかね)

一体何故ランサーがアタランテの真名を特定できたかと言えば、単に最初から知っていたからに過ぎない。
人理焼却の一環で生じたとある特異点での聖杯戦争においてランサーとアタランテは敵同士だった。
最後には互いに刃を交えたこともある故姿を見た時点で彼女の正体についてはわかりきっていたのだ。
あたかも戦闘スタイルで特定したかのような物言いをしたのは彼女にも特異点の記憶があるのかどうか、カマをかけるためだ。
結果はシロ。言動から考慮するにアタランテは特異点での記憶は一切引き継いでいないのは間違いない。

とはいえ異常なのはあちらではなくランサー自身の方であろう、ということはわかっていた。
聖杯はどのような判断でランサーに記憶の引き継ぎを許したのか、推理したいのは山々だが今は如何せん情報が足りなさすぎる。

(むしろ今すぐ考えとかないと不味いのはアーチャーのことだよな。
やれやれ、何で味方と一緒に頭痛の種まで増えるんだかねえ)

考えても仕方ない事柄への対処を早々に打ち切り、今は同盟者となった二人の少女に思いを馳せる。
同時に、少しは様子を見ておくべきかと思い立ち霊体となってビルディングの中へするりと入り込んだ。
霊体というのも便利なもんだ、などと思いながら桜とルアハがいる部屋へと入った。



「どうかなさいましたか、ランサー様」
「ああ、ちっと様子を見にな。ところでマスター、あの子はどこ行ったかわかるかい?」

部屋にいたのは相も変わらぬ機械的な態度を崩さぬルアハのみだった。
部屋を見渡してみれば、桜が羽織っていたコートが彼女が元いた位置に置いてあった。

「桜様でしたら、本を読みに行くと言っておられました」
「そうかい、ありがとよ」

ヘラヘラとした外面を崩すことなくルアハに礼を言い、桜を探すことにした。
レイラインの繋がっているルアハはともかく、そうではない桜は自分の足で見つけるしかない。
とはいえここは既にランサーにとって勝手知ったる屋敷だ。
そう時間をかけずに、一度手に取ったのであろう本を棚に戻そうとしているらしい桜の姿が見つかった。

「ランサーさん」

当然、コートを置いていっていた桜は一糸纏わぬ全裸だった。
いくら幼いにしても少女が男の自分に裸体を見られて顔色一つすら変えないというのは如何なものか、と思わずにいられない。
彼女は年齢のわりには聡いと思える節がある。感性が育っていないとは考えにくい。
先ほどアタランテがポツポツと話してくれたが桜は元いた世界でも、こちらでも陵辱の限りを尽くされたらしい。
女性としてあるべき羞恥の感性をも摩耗させてしまった、と考えるのが妥当なのだろう。
夫であり父親でもあったヘクトールからすれば苦々しい思いしか込み上げてこない話ではあるが。
とはいえここは努めて平静を装って話すべきか。

「よう、オジサンはちょっとばかし疲れたから休憩してるとこだ。
桜ちゃんは本でも読んでたのかい?」
「はい、でもわたしにはよめない字ばかりでした」

出会った時から変わらぬ光のない瞳で話す桜は手で身体を隠そうとさえしない。
全く育っていない平らな胸も未熟な女性器も晒したまま平然と話している。
ランサーでさえこんな有り様を見せられては痛ましいと感じずにいられないのだ。
アタランテがこれまで受けてきた精神的苦痛たるや、想像するに余りある。


「ランサーさん、ひとつきいてもいいですか?」
「ああ、オジサンにわかることなら何でも答えてやるよ」
「死んだら、いたいことやくるしいことは全部なくなりますか?」



空気が凍った。いや、そう感じたのはランサーだけだったのだろう。
ほら、現に桜は純粋な疑問だけを顔に浮かべたまま自分を見上げている。
とりあえずここは適当にはぐらかしておこうか。

「はは、そりゃあ桜ちゃんが知らなくても良いことさ。
桜ちゃんが死んだりしないようにオジサンがこうして気張ってんだから」
「でも―――ランサーさんはさいごにわたしをころしますよね?」
「―――――――――」




今度こそ凍りついた。見えないけれど、きっと自分の表情が。
ああ、これは駄目だ。こういう察しの良い子どもは大人がどんな理屈で煙に巻こうとしても勘だけで見抜いてしまう。
桜は聖杯戦争についてきちんと理解している。ならば殺し合いが続いた先に待つ結果についても認識しているのは当然ではあったか。
最後に残るのは一人だけであり、であれば同盟というものが最後には破綻するしかないということも。

「……そうだなあ。オジサンはあのお人形さんのサーヴァントだからなあ」
「気にしなくてもいいですよ。間桐の家にかえっても、どうせ……」

俯いて座り込んだ桜を見て、そういえば彼女は魔術師の家系の娘だったと聞かされたことを思い出した。
何でも養子に出された家が蟲を操る魔術を扱う家系で、淫虫に身体を貪られることを鍛錬と称して強制されていたのだとか。

「魔術師って人種は何だってこうも業が深いのかねえ……」
「?」

単なる虐待としか思えない行為にも魔術的には何か意味でもあるのだろうか。
ルアハのサーヴァントとしては無用な思考と理解していても、つい呆れが口をついて出てしまうのは仕方ない。
そう、ランサーであるヘクトールはあくまでもルアハを生かし助けるための従僕(サーヴァント)であって間桐桜は一時的に利用する存在に過ぎない。
何故自分は桜に何もしてやらないのか。外套の一つもかけてやるなり、ささやかでも出来ること自体はあるはずだというのに。

決まっている。いつか桜を殺さねばならない時が訪れた時、万に一つ以下の確率であろうとも槍の穂先が鈍ることは許されないからだ。
どれほど同情の余地ある人間であろうと己のマスターとの線引きは明確でなければならない。
だからこそ、情が移らないよう今も自らを律しているのだ。
必要とあらばヘクトールは平気な顔をして、この槍で間桐桜を貫くだろう。
もっとも、平気な顔をして殺すことはできても平気で殺せるかといえば自信はない。
ランサーは将軍であり政治家でもあった故に、何時如何なる時も非情に徹することはできる。
できるが決して心からの冷血漢ではない。単に感情を相手に悟らせない術を身に着けているだけだ。


「ランサーさん、人が死んだらどうなりますか?」
「……別に何もないさ。オジサンは死んでから、気がついたらこっちに呼ばれてたって感じかね。
けど何だって死んだ後のことなんて気にするんだい?」
「だってわたし、もうすぐ死にますから」



間桐桜は自身が置かれている状況を幼いなりに理解していた。
聖杯戦争というものを椅子取りゲームに置き換えればわかりやすい。
何人いるかもわからないマスターがたった一つしかない椅子に座るための競争。
それならただでさえ運動が苦手な自分が椅子に座る一人になるのは無理だろう、と諦めている。
いつか訪れる死の運命を粛々と受け入れようとしている。

桜は別段自殺願望を持っているというわけではない。
ただ、自分が最後まで生き残っているという希望を信じていないだけだ。
それは何もかもを奪い尽くされた少女に許されたたった一つの処世術だった。
あらゆる希望、光は存在しないものとして徹底的に目を背け絶望に身を浸すことで桜はギリギリのところで心を壊さずに済んでいる。

それでもこの世界では唯一親身になって世話をしてくれているアーチャー、アタランテにだけはある程度心を開いていた。
元々この世界は間桐家に比べれば遥かに良い環境―――少なくとも桜にとっては―――だったが、彼女のおかげで今は何の苦痛もない世界にいられる。
後は全てが終わるその時まで彼女が寄り添っていてくれればもう何も文句はないのだけれど、やはりその望みも叶わないようだ。



―――アーチャーさん、いかなきゃだめですか?



先ほど彼女がこのビルディングを出る直前、それとなく側にいてほしい旨を伝えたもののやはり届かなかった。
荷物以外の何でもない自分を聖杯戦争の勝者にするという出来もしないことを本気で成し遂げようとしていることは理解できる。
もっと本気で止めた方が良かっただろうか。けれどそうすると彼女はまたあの顔をするだろう。
何かに対して怒っているような、それでいて泣きそうにも見えるあの顔に。
あんな顔はしてほしくないから、なるべく迷惑をかけないよう言いつけを守ってじっとするようにしている。



(はあ、こりゃあアーチャーが躍起になるはずだわ)

ランサーはまるで望まれるままに振る舞うだけの、ルアハとは異なる意味で人形のような少女を見て今は共闘する間柄のサーヴァントのことを思う。
当然生前に面識などあるはずもないが、アタランテの逸話から考えれば彼女が何を思い桜に肩入れしているかは自明だ。
親の愛情に恵まれなかった捨て子のアタランテが全てを奪われた少女に自分を重ねたか懸命にマスターを救わんと戦いに身を投じる。
なるほどこの一文だけを見れば間桐桜に配されるべくして配されたサーヴァントだったと取れるのかもしれない。

(けど如何せん相性が悪すぎるんだよなあ……)

しかしこの二人、根本的なところで噛み合っていない。
桜は絶望に浸かるあまり希望と呼べるものの一切を信じておらず、聖杯という願望機が放つ眩くも妖しい光さえ目に入っていない。
そんな少女に対してただひたすら希望を訴えたところでその心にまで届くはずもない。
事実桜は親切にしてくれる人間としてアタランテを慕っているものの、自らを闇から拾い上げてくれる救い主であるとは全く信じていない。
もし桜の心に触れて救えるような者がいるとすれば、それはアタランテやヘクトールのようなまっとうな英雄ではなく桜に共感できる反英雄の方だろう。
あるいは間桐桜という人間の本質が正統英雄と相性が悪いと言えるのかもしれない。

そして桜という存在はアタランテに対して深刻な悪影響を与えている。
親に見放され、望まぬセックスを強要されるなどその境遇はアタランテの生前のトラウマを踏み抉るものであることは容易く想像できる。
そんな桜に接するアタランテは四六時中精神を苛まれ続けているようなものであり、その結果今のアタランテは暴走に近い状態にある。

アタランテは桜を勝者にするため積極的に動いて回っている。
一見してサーヴァントとしてごく当然の行動に思えるが、一つの前提が抜け落ちている。
そもそも桜は現状に満足しており聖杯を求めていない。
どこを目指すのかが未だはっきりしていないルアハと異なり、明確に闘志を捨てて勝利を目指していない。
つまり聖杯の力を以って桜を救おうというのはアタランテの願望であって桜が望んだことではないのである。
この二人は聖杯戦争への向き合い方という大前提からしてまるで噛み合っていないのだ。

が、そのこと自体は恐らくアタランテも理解しているはずだ。
理解した上で自らのエゴを押し通そうとしているのだろう。
むしろ聖杯を求めず現状に甘んじる桜のスタンスがよりアタランテの暴走を強めていると言える。
アタランテからすれば桜が深い闇の底に在ることそれ自体が既にして耐え難いことなのだ。
故になりふり構わず、それこそ生命・魂・誇りの全てを擲っても桜を救おうと足掻いているのだろう。
それは子を想う母の無償の愛にも似ている。

であるからこそ、もし桜が先に死ねば残されたアタランテがどうなるか容易に想像がついてしまう。
今は辛うじて抑えている桜を貶め傷つけた要因に対しての怒りとか憎悪といった感情が暴発する。
それこそ聖杯戦争のセオリーになど構うことなく際限なく狂い堕ちていくことだろう。



「……嫌だねえ」



無論、アタランテがどうなろうとランサーはルアハのサーヴァントとしての務めを果たすのみだ。
必要とあらば桜をこの槍で貫くことも、アタランテを切り捨てることも躊躇せず行ってみせる。
しかし出来ればそんな事態が来てほしくない気持ちがあることも事実だ。
アルゴー船の一員として名を馳せた麗しの狩人が狂気に支配され堕ちる様など好き好んで見たくはない。

【A-8/ゴーストタウン・幽霊屋敷/一日目・午後】


【ルアハ@赫炎のインガノック-what a beautiful people-】
[状態] 健康
[令呪] 残り三画
[装備] なし
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:自動人形として行動


【ランサー(ヘクトール)@Fate/Grand Order】
[状態] 疲労(微)、精神的疲労(小)、肩に軽度の刺し傷 (回復中)
[装備] 『不毀の極槍(ドゥリンダナ)』
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:とりあえず、程々に頑張るとするかねえ
1:拠点防衛
2:『聖餐杯』に強い警戒
3:アーチャー(アタランテ)との同盟は、今の所は破棄する予定はない。ただしあちらが暴走するならば……
[備考]
※アタランテの真名を看破しました。


【間桐桜@Fate/Zero】
[状態] 健康、全裸
[令呪] 残り三画
[装備] なし
[道具] 毛布、大人用コート
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:アーチャーさんの言いつけを守ってじっとする
1:…アーチャーさんにぶじでいてほしい
2:どうして、お人形さんは嘘をつくの?
[備考]
精神的な問題により令呪を使用できません。
何らかの強いきっかけがあれば使用できるようになるかもしれません




     ▼  ▲




「馬鹿野郎……」



衛宮切嗣は既に二画が消えた令呪を見ながら、悔恨とも怒りともつかぬ言葉を吐いた。

言葉の向かう先は今も負傷の治癒を行っている霧亥、ではない。
戦略そのものに大きなダメージを受けるほどの失態を犯した自らの迂闊さをこそ切嗣は呪うのだ。

「僕はこれだけの兵器(サーヴァント)を与えられながら何をしていた……!」

今回に限っては霧亥には何の落ち度もなかった。
敗因はただ一つ、衛宮切嗣の軽率にして迂闊な行動にのみ存在する。
もっと合理的に戦略を練り動いていればこの敗戦は決して有り得なかった。

切嗣を襲撃してきたアーチャーの真名はアタランテと判明した。
アルゴー船の乗組員として勇名を馳せた稀代の狩人であり、アーチャーとしても最高峰の実力を持つ英霊の一人だろう。
狩人。そう、あの戦闘はまさしくアタランテによる狩りとでも表現すべき一方的なものだった。
今にして思えば奴は予め霧亥の能力、戦術を把握した上で仕掛けてきたのであろう。
そしてどこで霧亥の情報が漏れたかといえばその前に戦った死神との戦闘を見られたからであることは疑いない。
つまり双子を狩るためにこの序盤から動き回り早仕掛けに走った切嗣の軽率さが招いた敗北だった。

如何に相手が神代を駆け抜けた英傑であろうともう少し戦闘条件がマシだったなら、霧亥ならば瞬殺は難しくとも勝利することは十分可能だったはずだ。
例えばこちらが一方的にアタランテのマスターを射程に捉えているような状況なら討ち取ることは難しくなかっただろう。
よりにもよってギリシャ最高の狩人に、狩りという絶好のシチュエーションを与えてしまってはいくら霧亥が絶大なサーヴァントでも不利を覆せるわけがない。

「…他にも選択肢はあったはずだ」

何故魔術師殺しとまで呼ばれた切嗣がこれほどの失敗をしてしまったのか。
その原因は霧亥の持つ精神異常のスキルとそれに端を発する異様な攻撃性への不信感だ。
衛宮切嗣の価値観ではサーヴァントは兵器であり道具だった。
故に武器や道具が勝手に誤作動を起こし発砲、暴発するなどという可能性は到底認められるものではなかった。
だからこそ切嗣が戦略の全てを主導するために本来の彼ならしないようなサーヴァントと行動を共にするという策を取った。

「僕が多少魔術師を狩ることに長けていたとしても狩りを生業にする英霊からすれば問題にもならない。
少し考えれば簡単にわかったはずだ……くそっ!」

気づかないうちに自らのマスターとしての実力を過大に評価してしまっていたのだろう。
攻撃特化の霧亥と暗殺、対魔術師戦に特化した切嗣が共に行動したところで性能を発揮するどころか強みを殺し合い弱みを増やすだけ。
現にたった今護衛に意識を割くしかなかった霧亥も、サーヴァントに一方的に狙われた切嗣も全くもって真価を発揮できなかったではないか。
予選で何の問題もなく勝ち進めていたことが勘違いを深めてしまったのかもしれない。

確かに霧亥の精神異常については警戒して然るべき案件ではあっただろう。それは今でも間違っていたとは思わない。
しかし切嗣はその一点を過剰に警戒するあまり自身と霧亥の性能を活かすことを疎かにしてしまっていた。
何も仲良く揃って行動せずとも使い魔を介して様子を見つつ単独行動させるなり取りうる方法はあったはずだ。

いや、そもそも馬鹿正直に討伐クエストに参加するべきではなかったのだろうか。
無論クエストに参加することによって生じるリスクについて承知していないわけではなかった。
双子を討伐しようと自らを獲物を仕留める狩人と信じて疑わない者の背中を撃たんとする者は出てくるだろうとは考えていた。
というか霧亥の精神異常の件さえなければ切嗣も迷わず討伐クエストに参加した者を狩ろうと動いていた。

「…そうか、そもそも最初から僕らしい方針ではなかったということか」

少なからぬ主従が双子討伐へ動き出しているであろう中で、衛宮切嗣の性能を活かすことを捨ててまで令呪を欲した結果がこれだ。
いや、それでももっと積極的に霧亥の千里眼を活かすなりすればこんな無様は晒さなかったはずだ。
たかが魔術使い一人が、サーヴァントの力を活かさず動いたところで英霊に祀り上げられた者どもに競り勝てると何故勘違いしてしまったのか。



「……腹を括るか」

現状は極めて不味い。霧亥の制御に使用する予定だった令呪は自己防衛のためだけに二画も消費し、連戦による魔力消費もそろそろ馬鹿にならない段階に達しつつある。
宝具の連続使用はともかく数度に渡る重傷からの回復はそれなりに魔力を持っていかれるのだ。
加えて翡翠の弓兵、アタランテは今も切嗣らを追っていると考えておくべきだ。
拠点からも遠く離れたところに転移してしまった今、もう一度同じ状況で奴と接敵してしまえば為すすべなく殺される。
事前にK市の地理は端末の検索と実地での調査で把握しており、ここはB-7の海岸付近であるとわかる。
つまり拠点にまっすぐ戻ろうとするとアタランテを避けて通るのが難しいということ。

しかしこれだけの不利が重なっているとしても、霧亥の性能が多くのサーヴァントを圧倒できるものである事実は動かない。
実際には彼を凌駕するような英霊も存在するかもしれないが、今は魔術師殺し一人の能力と裁量だけで切り抜けられる状況では決してない。
今は霧亥の力が必要だ。暴走のリスクがどうだのと言っていられる段階はとうに過ぎた。

「アーチャー、千里眼を最大限に稼働させて索敵に専念してくれ。
そしてその視界を僕もレイラインを通して共有する」

視界共有。使い魔を操れる程度の力量を持った魔術師なら誰でも修得している魔術だ。
切嗣は今、千里眼を自律稼働させた霧亥の視界を自身が見ることによって同時に多数の情報を得ようと考えた。
霧亥の視界ならばサーヴァントの位置情報も特定でき、余計な戦闘を避けながら移動することが可能だ。
そして最大限上手く行けば双子の位置も特定し、討伐することで失った令呪も一画は補填できる。

が、この方法には大きなリスクが伴う。
ただでさえも超常存在たるサーヴァントである上に常軌を逸した千里眼の持ち主である霧亥の視界を見るという行為に切嗣の脳が耐えられるかは未知数だ。
衛宮切嗣は自らを目的を遂行するための機械と規定しており、そうであるが故に焼けつくことも辞さないなら限界を超えた駆動も厭わない。
そもそも魔術師というものは後先さえ考えないのなら自身の限界などというものは容易く超越することができる。

(―――しかし、それでもやはり限度はある)

あの霧亥の視界ともなれば下手をすれば一瞬にして脳が視覚を通して入り込む情報を処理しきれず廃人と化す恐れもある。
この懸念があったために今までこの手段を禁じ手として封印してきたのだった。
だが今はその禁じ手すら使わなければとてもここから先を勝ち抜くことはできない。
意識を集中し、視界共有の術式を発動した。

【B-7/海岸付近/一日目・午後】

【衛宮切嗣@Fate/Zero】
[状態] 打撲、魔力消費(小)、焦燥
[令呪] 残り一画
[装備] なし
[道具] 小型拳銃、サバイバルナイフ(キャリコ短機関銃を初めとしたその他武装は拠点に存在)
[所持金] 数万円程度。総資金は数十万以上
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯による恒久的世界平和の実現
1:アーチャー(霧亥)と視界共有を行い入手した敵陣営の位置情報を元に方針を練る
2:アインツベルンの森の存在が引っ掛かる
3:討伐対象の『双子』を抹殺し、令呪を確保したい
4:アーチャー(アタランテ)を強く警戒。勝てる状況が整うまで接敵は避ける
5:ひとまずアーチャー(霧亥)への疑念は捨て置き存分に性能を活かす
[備考]
アーチャー(アタランテ)の真名を看破しました
アーチャー(霧亥)と視界共有を行います。
どの程度の情報が得られるか、切嗣への負担の大きさなどは後の書き手さんにお任せします


【アーチャー(霧亥)@BLAME!!】
[状態] 疲労(中)、魔力消費(中)、右腕左足喪失(急速回復中)、ダメージ(中)
[装備] なし
[道具] 『重力子放射線射出装置(グラビティ・ビーム・エミッター)』
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯獲得
1:サーヴァントの討滅
2:アサシン(死神)、アーチャー(アタランテ)は殺す

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最終更新:2016年05月20日 16:44