「ニコニコ動画」を創る上で最もこだわったこと――戀塚昭彦氏に聞く(前編)

概要

ニコニコ動画のプロトタイプを3日間で作りあげた戀塚昭彦氏についてのインタビュー。開発当時のエピソードや、仕事に対する思いなどがまとめられている。
3日間で完成した背景には、基礎となるFlashでのパケット定義システム、通信サーバ、PHPのノウハウという3つの要素が同時期に揃っていたことが挙げられる。

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人材像・職種との関連

始めに、日本では数少ない個人名で通用する有名プログラマーである戀塚昭彦氏の人物像について以下にまとめる。技術系高等学校卒業後,システム開発会社(システムサコムビジネス)に入社。組み込み系システムなどの開発を行う一方で,パソコン通信で自作ソフトを公開。3年ほど勤務した後でフリーランスになり,フリーのプログラマとして活躍。その後,ゲーム開発集団Bio_100%に参加し,数々の著名なゲームソフト開発に携わる。のち、1999年ドワンゴに入社し、2006年10月に、ニコニコ動画のプロトタイプを5日(3営業日)で創り出す。
氏がパソコンを触るようになったのは小学校3,4年生の頃、親に4ビットのワンボードマイコンを購入してもらったことがきっかけになった。その頃からすでに4ビットの機械語をはじめとする機械言語の学習を始め、様々な雑誌や機種に触れていった。当時のパソコンは何もかもが不便なもので、欲しいものは自分で作るしかなかった。高校に進学し、自分の為に作っていたソフトを友人にも公開すると、同じように困っていた仲間に喜んでもらえた。感想をもらい、フィードバックを受けて、より使いやすく改良されていくのが面白いと感じるようになった。自分のやった成果がすぐに出る、自分でわかるという魅力を強く感じるようになった。高校卒業後、就職先の初仕事で路線バスの車上機の開発を手掛け、試走していた時に、空いた画面に時計を表示させたことが運転手を喜ばせ、便利だと感謝された。そのような環境で便利になる道具を作り続けてきた戀塚は、「ソフトウエアは使ってもらってなんぼ」という感覚が染みついている。それがニコニコ動画のような大きな成功例を作り上げたのだろう。テレビは倍速でみるなど合理主義に加え、作業は自宅、個人で行う方が効率よく行えると考え、孤独なプログラマーというイメージに当てはまる一方で、サービスの改善に有効であるという理由からユーザーとの交流を積極的に行い、ブログをチェックし生の声を取り入れるなど人とのかかわり合いも大切にする。高校生時代の体験を通した、ユーザーとの直接的な関わりを活かしたプログラムの修正や改善という手法が大きな成功を生んだ。ITスペシャリストとして活躍目覚しい戀塚昭彦氏のプログラミングスキルは、努力が直接結果につながることを喜びとするまっすぐな性格と、人に便利に使ってもらえることに喜びを見出す奉仕の心が支えているのである。

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最終更新:2011年12月13日 15:56
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