んんん、
2005/ 5/27 19:08 [ No.32213 / 39216 ]
投稿者 :
ja2047
ja2047
わしが疑問に思ったのは、日本軍が実際にその研究成果を取り入れたのなら、それは日本軍の行動規律として、正当なものって事になったりしてしまわんだろーかと言うあたりなんだな。
まー、何というか、当時の日本軍内部は結構好き勝手な解釈や判断が横行して、
組織としての方針がちゃんと貫徹するようになってなかったみたいなのですね。
日本政府は上海戦の後に南京へ攻め込む予定なんてなかったのに、松井大将はやりたがってたし、
参謀本部から現地の第十軍宛に南京攻略をそそのかすような煽りの書簡を送った奴はいるし、
現地の突き上げに押し切られて、中央が南京攻略を追認するというような状態で、
これ自体が管理も統制もあったもんじゃない状態だったのですよ (--;
組織としての方針がちゃんと貫徹するようになってなかったみたいなのですね。
日本政府は上海戦の後に南京へ攻め込む予定なんてなかったのに、松井大将はやりたがってたし、
参謀本部から現地の第十軍宛に南京攻略をそそのかすような煽りの書簡を送った奴はいるし、
現地の突き上げに押し切られて、中央が南京攻略を追認するというような状態で、
これ自体が管理も統制もあったもんじゃない状態だったのですよ (--;
そーなってたら国内法はおろかハーグ陸戦協定にも触れることなく無意味に民間人殺害をしても罪にならない感じがするんだけどなー。
だから、それが、法律を改正するとか、国際法との整合を図った解決理論を考えるというようなことではなくて、国内法は国内法、条約は条約で放置し、守らない奴は守らなくても平気、という状態でした。
たとえは悪いが、法律があっても飲酒運転やスピード違反は立派に横行しているのと同じような状態だった。
たとえは悪いが、法律があっても飲酒運転やスピード違反は立派に横行しているのと同じような状態だった。
だから、こんな風に実情を嘆く声が残っている、
元教育総監 真崎甚三郎大将の日記
(上海派遣軍を視察してきた江藤源九郎予備役少将からの報告を聞いて)
(上海派遣軍を視察してきた江藤源九郎予備役少将からの報告を聞いて)
「同君は自ら日露戦争の苦き実験あり、今回も主なる責任者の談を交えて研究せり。従って同君の意見は相当に権威あるものと云はざるべからず。
之によれば一言にして云はば軍紀風紀頽廃し、これを建て直さざれば真面目の戦闘に耐えずということに帰着せり。強盗、強姦、掠奪、聞くに忍びざるものありたり」
(真崎甚三郎『真崎甚三郎日記』(山川出版社 1987)昭和13年1月28日付より)
陸軍省人事局長阿南惟幾少将(のち大将、終戦時陸軍大臣)
(南京視察から帰って)
(南京視察から帰って)
「中島師団婦人方面、殺人、不軍紀行為は、国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり。」
(阿南惟幾 昭和12年12月22日 陸軍省局長会報におけるメモ)
というわけで、太平洋戦争の開始時期には軍の引き締めのために
「戦陣訓」が制定されたり、陸軍刑法、海軍刑法の重罰化が行われて、戦地強姦とか戦地略奪の致死罪は「死刑」と言うことになるわけです。
「戦陣訓」が制定されたり、陸軍刑法、海軍刑法の重罰化が行われて、戦地強姦とか戦地略奪の致死罪は「死刑」と言うことになるわけです。
これは メッセージ 32208 devdev1208 さんに対する返信です