あ、対空砲の話だった
2005/ 5/28 6:25 [ No.32227 / 39216 ]
投稿者 :
ja2047
ja2047
で、結局
「重慶爆撃は中国軍が対空砲陣地を市街地各所に点在させ民家を盾にするやり方への対抗処置だとの説が強いのも事実です。」
のソースは、巌谷二三男氏の記述だったわけか。
だけどね、巌谷氏はそのように認識していたのかもしれないけど、
「六月上旬頃までの爆撃は、もっぱら飛行場と軍事施設に向けられていたが、重慶市街にも相当数の対空砲台があり、そのため味方の被害も増大する状況となったので、作戦指導部は遂に市街地域の徹底した爆撃を決意した。すなわち市街東端から順次A、B、C、D、E地区に区分して、地区別に絨毯爆撃をかけることになった。」
というのはどうなのだろうな。
「作戦指導部は遂に市街地域の徹底した爆撃を決意した。すなわち市街東端から順次A、B、C、D、E地区に区分して、地区別に絨毯爆撃をかけることになった。」
というのは百一号作戦の意図そのものだから、この通りなのだが、
「六月上旬頃までの爆撃は、もっぱら飛行場と軍事施設に向けられていたが、重慶市街にも相当数の対空砲台があり、そのため味方の被害も増大する状況となったので、」
というのは、違うだろ。
1938年暮の初空襲の段階での命令書が
「目標ハ両戦隊共重慶市街中央公園、・・・副目標ヲ重慶飛行場トス 」
なのとは明らかに矛盾するし、
1939年5月の空襲で重慶の下町地区が炎上し、二日間で死者3991人(民國二十八年度四川各地空襲損害統計表)とか
「最初の晩に一万人が焼き殺された」(マーチン・ケイディン 「日米航空戦史」)とか言われる事実とも相違している。
1939年5月の空襲で重慶の下町地区が炎上し、二日間で死者3991人(民國二十八年度四川各地空襲損害統計表)とか
「最初の晩に一万人が焼き殺された」(マーチン・ケイディン 「日米航空戦史」)とか言われる事実とも相違している。
「支那軍が対空砲火陣地を市街地に移したのが始まりだ。」というのは明らかな誤りだよ。
日本が戦争をしてきた歴史は、日本人が何を考え、何を成し遂げてきたのかという立場から書かれるべきなのだ。「対抗上仕方なくやった」という捉え方は、私には自虐的に過ぎるように思える。
これは メッセージ 32226 ja2047 さんに対する返信です