九州自動車道を北上し、ひたすら東京を目指す一つの影。
赤毛の長髪を首の後ろでまとめ、左頬に傷を持ち、日本刀を腰に帯びたその青年の名は 、緋村剣心。
幕末に人斬り抜刀斎として名を馳せた彼は、ただひたすら東京を目指し、道を駆け続けていた。
とはいえ、流石の剣心も長時間走っていれば疲労するのは当たり前で、
今は一旦足を休め、歩きへと切り換えていた。
それでもその歩みは常人のそれよりも遥かに速い。
かつて志々雄との闘いの折、東海道を通って京都へと向かおうとした剣心に、斎藤がこう言ったことがあった。
『常人なら十日前後の道のりだが、お前なら五日もあれば充分だろう』
神速を誇る剣心だが、徒歩もまた例外ではない。
全力ではない速さで、けれどできる限り急いで剣心は歩を進める。
早く、早く、早く彼女に、
神谷薫に会いたい。
その思いが、剣心の足を更に速める。
目指すは東京。神谷道場。
思いはまさに、飛ぶが如く―――
「!」
けれど、その思考を止めるものがあった。
剣心が今進んでいる道の前方、そこにいる禍々しい人の形をしたモノは。
かつて死闘を繰り広げた、参號夷腕坊に相違なかった。
(なっ・・・・・!)
剣心は息を呑む。一瞬のうちに、神谷道場での苦い人誅の出来事が脳裏に蘇る。
あの時は、『機巧芸術家』を自称する外印が参號夷腕坊を操っていた。
参加者名簿には外印の名は無かったから、彼以外の者が参號夷腕坊に乗っていることになる。
それが何者かは分からない。だが、人形とはいえ、参號夷腕坊は使いこなすことができれば、凶悪な『武器』へと昇華する。
中にいるのが外印ではないから、彼のように完璧に操作するのは無理にしても、
それでももし、他人を殺める意識を持った者が参號夷腕坊を駆使していたとしたら・・・・!
剣心は左手でぐっと鞘を握り締めた。納まっているのは愛刀の逆刃刀ではなく、紛れもない日本刀。
精神が不安定な今、抜刀はできることならば避けたかったが、もしも相手に闘う意志があるのなら。
(抜く・・・・しかなかろう)
かつて闘ったことがあるから、参號夷腕坊の性能や弱点は良く分かっている。
まして、今の己の武器は日本刀。何より、操る者が外印ではないのなら、充分に勝機はある。
短い時間のうちにそれらを逡巡して、剣心は止めていた足を再び踏み出した。
一歩ずつ、少しずつ、参號夷腕坊に近付いていく。
不思議なことに、参號夷腕坊の方も剣心に気付いているだろうに、微動だにしない。
人形だから表情も読めず、その静けさが不気味だった。けれども中にいる者からは、今のところ殺気は感じない。
この殺し合いに放りこまれて、感覚も幾分か鈍っているようだがら、絶対とは言い切れないが。
剣心は、参號夷腕坊の間合いのぎりぎり一歩外のところで足を止めて、静かに口を開いた。
午前中の、まだ涼しい空気の中、凛とした声が辺りに響く。
剣心はじっと参號夷腕坊を見据えた。動きは、無い。
もう一度問いかけようと口を開きかけた剣心だったが、
「人に名前を訊くんなら、自分から名乗るのが礼儀ってもんじゃねぇか?」
恐らくは、参號夷腕坊の内部から、若い男、というよりは青年といった感じの声が響いた。
剣心がそれに反応するより早く、
「すみませんすみませんすみません!」
今度は参號夷腕坊の後ろから、ぴょこっと一人の少年が現れた。やけに腰が低く、剣心に対して懸命に謝っている。
「いきなり不躾なこと言って、本っ当にすみません!」
「あ、いや、拙者は・・・・・」
ぺこぺこと頭を下げる姿に、剣心の方が面食らってしまう。
「オイ、何謝ってんだよ、糞チビ!」
「だだだだだって・・・・・! すみません!」
参號夷腕坊の中にいる青年に怒鳴りつけられ、少年は萎縮しながらも謝っていた。
その様子に呆気に取られながらも、剣心はふっと肩の力を抜いた。どうやら闘う意志は無いようだ。
それに、青年の方から言われた言葉ももっともだ。
「拙者の方こそすまぬな。拙者は緋村剣心と申す」
「あ・・・・僕は
小早川瀬那といいます」
セナ、と名乗った少年は、またぺこりと頭を下げた。
見慣れない服装ではあったが、外見や言動から判断するに、恐らくは同じ日本人だろう。
向こうも同じことを思ったのかどうかは知らないが、セナはじ~っと剣心を凝視してきた。
「何でござる?」
「えと・・・・緋村さんって、見た感じ侍っぽいですけど・・・・やっぱり江戸時代から来たんですか?」
上目遣いでこちらの様子を恐る恐るといった風に尋ねてきた。
そんなに怯えずとも・・・と内心思いながら、剣心は言葉を返した。
「今の時代がいつなのかは分からないが、拙者は明治十一年の時代から来たでござるよ」
「明治十一年!? ・・・ってことは、百二十年以上前の人なんだぁ・・・・」
セナが単純計算して呟くと、剣心もほんの少し目を丸くする。
「そうか。拙者の時代より、そんなに時が流れているのでござるな」
「僕もびっくりです。このゲームが始まる前に集められた会場には色んな人がいたけど、
時代が違う人もいるなんて・・・・」
そこまで言って、セナはハッと何かに気が付いたような顔になる。
「そうだ! 僕らと会う前に誰かと会いませんでしたか?
僕達、姉崎まもりっていう女の子と、
進清十郎って人を探してるんです!」
「セイジュウロウ・・・・」
剣心はその名を反芻する。偶然にも、それは己の師匠、比古清十郎と同じ名前だった。
ふと彼の顔を思い出し、ほんの少し感傷に浸り、不思議な縁もあるものだと剣心は思った。
けれど、残念なことに。
「すまぬな。拙者が会ったのは、お主達が初めてでござるよ」
「そうですか・・・・」
剣心の返答に、セナは目に見えてしゅんとうな垂れる。
セナが先程名を上げた二人が、彼にとってどのような存在であるかは分からないが、
この状況下で探しているというからには、大切な人であることに違いない。
そう、きっと、剣心が薫を求めているのと同じように。
「実は、拙者も人探しをしているのでござるよ。
神谷薫という少女と、
斎藤一という男を見なかったでござるか?」
「えっと、僕は会ってないですけど・・・・・」
申し訳なさそうに答えながら、セナは背後にいる参號夷腕坊、ひいてはその中にいる者を見遣る。
「ヒル魔さんはどうですか?」
「ヒルマ?」
またも聞き覚えのある名。
剣心が神谷道場に居候するきっかけになった偽抜刀斎事件、それの首謀者の名が比留間兄弟だった。
(またも奇縁でござるな)
二つも偶然が重なったことが不思議で、剣心はふと小さく笑みを漏らす。
思えば、このゲームが始まって以来、初めての安堵の溜息だったかもしれない。
「その参號夷腕坊に入っている青年は、ヒルマ、というのでござるか」
「え、何でこれの名前知って・・・・・」
剣心が『参號夷腕坊』の名を口にしたことに驚きを隠せないセナ。
一方、その件の人形の中にいる青年、蛭魔妖一は先程の剣心とは反対に、呆れたような溜息を吐きながら、
「頭使えよ、糞チビ。事情は知らねーが、そこの緋村サンと、この参號夷腕坊が顔見知りだからに決まってんじゃねーか。
ま、人形なのに”顔”見知りってのも、何か変な話だけどな」
ケケケケという笑い声と共に、参號夷腕坊の口の中から蛭魔が這い出してきた。
長身で金髪、といった外見に、剣心は彼は異人なのだろうか、とふと思った。
けれど、セナと似たような格好であることと、遠慮無しに話をしているところから見て、恐らくこの二人は前からの顔見知りなのだろう、と判断する。
剣心が思考していると、ボン、という軽い爆発音が聞こえた。
蛭魔は参號夷腕坊をカプセルに収め、それをとりあえずズボンのポケットにしまう。
「色々と悪かったな。オレは蛭魔妖一。あんたがこのゲームに乗ってたらまずいと思って、一応参號夷腕坊に乗ってたんだ」
(・・・・・いや、悪いなんてちっとも思ってないな・・・・・)
一足遅れの自己紹介をしている蛭魔に、セナは内心突っ込みを入れる。
「とりあえず、あんたはこのゲームには乗ってないみてぇだな?」
「ああ・・・・殺し合いに参加する気などござらん」
蛭魔の問いに剣心は力強く頷く。
例え己に人斬りの血が流れていても―――それが本性であったとしても―――
この先、このゲームの中で自分をまた見失って、再び修羅道に堕ちてしまうかもしれなくても―――
もう人は斬らない。
剣を振るうとしても、人を殺めるためでなく、人を守るために。
そう、今はただの、流浪人だから。
「お主達が、拙者がいた時代よりずっと後の時代の者なら、恐らく知っているであろう、幕末の動乱を・・・・
拙者は幕末の頃、多くの人を斬った・・・・」
剣心は静かに語り出す。
どうして初対面である彼らにこんな話をしようと思ったのかは、剣心自身分からなかった。
けれどそれはもしかしたら、自分も含め多くの者が命を懸けて血刀を振るって拓いた新時代の、
そのずっと先にある未来の日本に、セナたちが生きていたからかもしれない。
自分の時代よりずっと先の、新たなる世代。
「けれど、今は―――拙者は『不殺』・・・・もう誰の命も殺めないと決めた。
たとえそれが、自分以外の他者を皆殺せば生き残れるような状況下であっても、拙者はもう誰も殺したりはしないでござるよ」
戯言を―――
頭の中で、誰かの声がする。
今、口にしたことは嘘ではない。紛れもなく本心だ。もう誰も斬りたくはない。
もしも、また人斬りに戻ってしまうようなことがあったとしても。
それでも、それまでは『不殺』の流浪人のままで。
出来得ることならずっと―――流浪人のままで。
「緋村さん・・・・」
しん、となった空気の中、セナは驚きと恐怖と尊敬が入り混じった、複雑な表情を剣心に向けていた。
対照的に、蛭魔は感情を表に出さない顔で剣心に尋ねる。
「じゃあ、もし殺る気満々の奴が襲って来たらどうすんだ?」
「その時は・・・・闘うしかないでござるな。できることなら、説得したいでござるが・・・・」
幾らか迷いながらも剣心は言葉を紡ぐ。蛭魔は再び質問を投げかけた。
「幕末に闘って明治まで生き延びた、ってことは、あんたは結構、腕は立つんだろ?」
「・・・・・・」
剣心は肯定の意味で無言を返した。
「じゃあ、俺がさっき乗ってた参號夷腕坊・・・・あれとも闘ったことあるのか?」
「ああ。参號夷腕坊とはかつて闘い、打ち破ったことがある」
それを聞いて、蛭魔は一瞬だけセナに振り向いた。
その時の蛭魔の会心の笑みは一生忘れられないだろう―――とセナは思った。
「どうやらあんたは信用できそうだな。オレらもこんなゲームに乗る気はねぇ。何とか脱出してやろうと思ってる。
当面の目的も人探しってコトは同じだし、ここは一緒に行動してみねぇか?」
「蛭魔さん!?」
突然の話にセナが驚いて目を見開いている間にも、蛭魔は畳み掛けるように剣心を言葉巧みに誘う。
「支給武器こそ参號夷腕坊だったものの、オレらは元々殺し合いなんて縁のない、ただの学生なんだ。
あんたみたいな強い剣客がいれば心強いし・・・・・」
(う、嘘は言ってないけど―――!!)
セナは心の中で叫ぶ。蛭魔の言っていることは確かに嘘ではない。
けれど、普段の彼の言動を知るセナとしては、胡散臭いことこの上ないのだった。
「拙者は・・・・構わぬでござるよ。
このような状況下の中、お主達のようにしっかりとした意志を持った者と行動を共にできるのは、拙者としても心強いでござるよ」
剣心は、快く同行を申し入れる。
人斬りと流浪人の狭間で揺れ動く心が、こうして誰かと話せたことで随分と落ち着いた気がする。
薫は今どこで、どうしているのか、果たして無事なのか―――その不安は消えないが、とりあえずは。
「あの・・・・ヒル魔さん?」
「ああ、ちょっと待っててくれ。今この糞チビと作戦会議してくる」
不安そうに顔色を窺うセナの首根っこを引っつかんで、蛭魔は剣心に一言入れると、ダッとその場を離れた。
距離にして十mくらいか。
剣心に聞こえないように小声で話す。
「緋村さんは確かに信用できるように見えますけど・・・・でも、何でまたいきなり仲間に?」
「だから、頭使えよ糞チビ!
あの外見も機能も化け物じみた参號夷腕坊に勝ったってことは、緋村ってのは相当の腕前じゃねーか!仲間にしておいて損はねぇ。
それに、参號夷腕坊と闘ったことがあるって以上、その弱点とか攻略法とか知ってんだろ?
つまり、逆に言えばそれを教えてもらえば参號夷腕坊の弱点は無いも同然だ。分かったか、糞チビ!」
「ハ、ハイ・・・・よく分かりました」
流石は蛭魔、そこまで考えていたとは。セナは感嘆の溜息を吐く。
「いやー待たせたな。これからよろしく頼むぜ。YaーHaー!」
戻ってきてやたら上機嫌な蛭魔と、何故か疲れたような顔をしているセナ。
二人を見比べて剣心は不思議に思ったが、
「そうでござるな」
穏やかな笑顔で、同行の意を改めて固める。
「ところで、セナ殿と蛭魔殿はどちらに向かうつもりでござるか?
拙者は東京を目指していたのでござるが・・・・」
「あ・・・・と、僕達も東京を目指すつもりではいたんです。
でも、休息を取ったり、参號夷腕坊の訓練をしたりするには、熊本の方がいいだろうって」
「ああ、俺もそう思ってたけどな。けど、緋村サンが加わったんなら、わざわざ熊本まで行かなくてもいいだろ。
でもまぁとりあえずは、緋村サンも疲れてるみてぇだし、ここは一つ、この辺で休まねぇか? 情報交換もしたいしな」
「そうでござるな・・・・・」
蛭魔の言葉に剣心は頷く。
確かに、休息を必要とする人間が三人中二人もいるのなら、少しの時間でも休憩して、体の調子を整えてから出立した方が良さそうだ。
蛭魔の言う通り、情報交換をしたい、というのもある。
「道で休んでいては目立つでござるな」
「ここの少し先にパーキングエリアがありますよ。さっき通り過ぎたから・・・・そこで一休みしませんか?」
「・・・・・ぱーきん、とは何でござる?」
聞き慣れぬ言葉に剣心が首を傾げる。セナは一瞬返答に困った。
「・・・・ま、まぁ道路沿いにある建物みたいなものです」
かなり大雑把な説明だったが、剣心は納得する。
「このしっかりした道といい服装といい・・・・拙者の時代とは随分違うでござるなぁ。その辺りの話も聞かせて欲しいでござるよ」
「は、はい! 僕も明治時代の話、聞いてみたいです」
「この時代のこと知ったら、色々と驚くぜ、きっと」
剣心とセナ、蛭魔は明るい言葉を交わしながら歩いていく。
人と出会えたことで剣心の中から焦りは大分消え、再び彼には穏やかな笑みが浮かぶ。
剣心は思いを馳せた。
(薫殿。薫殿は今、どこにいるでござる? 拙者は、同行する者に恵まれた。薫殿も、誰かと共にいるのでござろうか?
再び会う時まで、どうか、どうか無事で―――)