「いやァああああーーーーーーーーーーー!!」
目の前にいるいやらしい笑みを浮かべた長躯の男から逃げ出そうと、さつきは踵を返そうとする。
しかし今来た方向には筋骨隆々で凶悪そうな男がいたのを思い出し、たたらを踏んだ。
「くっくっく……どうした? 逃げようとしたんじゃなかったのか?
まぁどっちみち逃がさなかったけどな」
「ひッ!」
振り向けばそこには既に間合いを詰めていたD・Sの姿が。
D・Sは逃げようとするさつきの腕を捕らえ、近くの木の幹にその身体を押し付けた。
「きゃあッ」
「おっと騒ぐなよ……安心しろ、傷つけたりはしねぇ。お前は大事な俺様の女だからな」
(力がこれ以上入れらんねえ……これ以上は攻撃と判断されるってことか……クソッ)
実際さつきの腕を掴んではいるものの、力が入っていない為拘束力はなく、さつきはいつでも逃げ出すことは出来た。
しかし恐怖で身体が強張り、既にさつきはまともに動くことすら出来なかった。
涙を流し、死にたくない一心で命乞いをする。
「お、お願い……殺さないで……死にたくない」
「おーーおー、随分と怖い思いをしてきたみてぇじゃねぇか。
どれ、俺様の目を見な。この
ダーク・シュナイダー様が味方になってやろう」
「え……」
言われるままにさつきはD・Sの瞳を覗く。
その瞬間、さつきは恐怖を忘れ胸が高鳴った。
先ほどまで悪鬼のように思っていたD・Sの素顔は、良く見ると端整な顔立ちで自信に溢れている。
銀に流れる髪、凛々しい眉、その深く透き通った瞳はさつきの心の中に強く染み込んだ。
(なんて、綺麗な男の人……何であたしはこの人から逃げようとしたんだろう)
頬を赤らめ、瞳を潤ませて見つめてくるさつきにD・Sはほくそ笑む。
(クックック、どうやら上手くいったようだな。最初からこうすりゃ面倒がなかったんだ)
D・Sが行ったのはチャーム、魅了の魔法。相手の心に干渉し、自らの虜とする術である。
魅了の効果によってさつきは警戒心を解き、D・Sを受け入れるべき相手として心を開いたのだ。
ようやく信頼できる(と、思わされた)相手と巡りあい、さつきは安堵してその場に座り込んだ。
「怖かった……怖かったんです。防人さんが死んで……東城さんも変わってしまって……
誰も、誰もあたしを助けてくれなかった。だから逃げて、何もかもから逃げ出してしまおうって……」
震えながら呟くさつきにD・Sは眉をしかめる。
(チ、よっぽど追い詰められてやがったようだな。
そこに無理な精神干渉を行ったから大分不安定になってやがる。めんどくせぇが一度落ち着かせるか)
「俺様が敵じゃないことが判ったか?」
「はい、逃げ出したりしてすいませんでした……でも、怖かったんです。
防人さんが
アビゲイルって人に殺されてしまって……あたしもうどうしたらいいかって」
「あん? アビゲイルだぁ!?」
思わず大きな声を出したD・Sにビクッと身体を震わせるさつき。
D・Sはさつきを落ち着かせることも忘れて問いただす。
「し、知ってるんですか?」
「やい、詳しく話しな。っと、そういやまだ名前も聞いてねぇな、名乗れ。
俺様は魔導王ダーク・シュナイダー。お前のご主人様だ」
「あたし、さつき。
北大路さつきです。でもあたし、あなたの召使いとかじゃ……」
「いーからさつき。アビゲイルの話をしな」
「……はい」
傲慢なD・Sの物言いにさつきの心に再び警戒心が湧き上がってくる。
魔素の薄いこの世界ではD・Sの魔法は効きが悪い。
魅了の魔法も例外ではなく、その効力は時間が経つに連れて弱まってきていた。
それでも弱ったさつきは目の前の男が味方だと思い込み、不信感を振り払って事の顛末を話す。
一通り話を聞き終わったD・Sは少し考え込んだ。
(闇の僧侶であるアビゲイルの野郎が戦闘で相手を殺したんなら、首を切断したのは魔法の筈だ。
だが剣を使って切断したってことは、そりゃ戦闘の結果じゃなくアビゲイルが望んだことっつーわけだな。
わざわざ野郎が首の切断を必要とすることっていやぁ……)
D・Sは自らの首に嵌っている冷たい鉄の感触を確かめる。
(首輪だ。旧世界の魔法や闇の僧侶魔法に通じている野郎なら―—魔導に関しちゃ俺のほうが上だがな、ケッ―—
この首輪を研究することで外すことができやがるかも知れねぇ。
それに攻撃できねぇなんてこのふざけた呪いも奴なら解ける、か?
しかも俺様の為に献上用の女を二人も用意してる。アイツもわかってきたじゃねぇか、ククク……)
これからの行動方針は決まった。アビゲイルと合流することだ。
だがさつきがここに来る途中で遭遇したという、傷だらけの男が気になる。
普段のD・Sならどんな相手が来ようと意に介さないが、今は攻撃ができない。これは大きなハンディである。
(しょうがねえ、この女を使うか。魅了が効いている間は俺が攻撃されることはないしな)
「おい、これからアビゲイルの所へ向かう。案内しな」
「え? そんな!」
あんな殺人鬼の元へわざわざ向かうなんて何を考えているのか。
いや、目の前の男はアビゲイルのことを知っているようだった。
(も、もしかして仲間だったの? それじゃこの人も……)
この世界の中で唯一自分を護ってくれた防人を殺した人間の仲間。
さつきの中に再び湧き上がる恐怖はD・Sの魅了の魔法を打ち消した。
(に、逃げなきゃ……でも何処へ? どうしたらいいの、防人さん……!)
混乱しているその時、D・Sは懐から装飾銃を取り出し、さつきの前に放った。
「俺様に歯向かう奴はお前がその銃でぶち殺せ。援護はしてやる」
しかしそんなD・Sにさつきは反応せず、目の前に放り出された銃をじっと見つめていた。
「? やい、聞いてんのか!?」