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眠れない夜に

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  バルコニーから月明かりに照らされた住宅街を眺める。全てが寝静まった時刻。都心から離れたこの街は静寂に包まれる。
「眠らないのですか?」
  突然かけられた声に驚いて振り返ると、月明かりに照らされたペリドットが微笑んでいた。
「君か……なんとなくね。君は?」
「私も……なんとなくです」
  茶目っ気のある笑顔を見せて、僕の隣に立つ。いつも、みんなの『お姉さん』をしている彼女からは見ることのできない表情に僕はとまどう。
「どうしました?」
「い、いや。なんでもない」
  彼女から漂う甘い香り。穏やかな微笑み。柔らかそうな唇。もっと柔らかそうな……。
  不謹慎な思いが湧き上がってくる。イカンイカン。
眠れない子には昔話をしてあげましょう」
「昔話?」
「そう、宝石乙女の昔話……」


  むかしむかし、この国ではない別の場所で、騎士さまが馬に乗って、大陸を駆けていたころです。まだ少女だった宝石乙女が、勇敢な騎士さまと契約を結びました。戦が続くその国で、騎士さまは一日も早く戦が終わるように近隣の国々を駆け巡っていました。
  宝石乙女は毎日、お城の中で騎士さまの帰りを待っていました。一度、外出してしまうと1,2ヶ月は帰ってきません。宝石乙女は毎日、寂しかったんです。大好きな騎士さまと一緒にいたい。次第に思いが募ってきた乙女は騎士さまにお願いをしました。
「お留守番は、もう嫌なの。一緒に行きたいの。連れて行って……」
  こぼれる涙は騎士さまの胸に吸い込まれていきました。何度もお願いをしましたが、その度に騎士さまは同じ答えを繰り返しました。
「私の行く先々には危険が多すぎる。大切な君を連れて行くことはできない」
  乙女には解らなかったのですが、騎士さまの行動をよく思わない人たちがいることは執事さんから聞いていました。
(マスターの命が危ない。マスターは死んではダメ。もっと、私と一緒にいて欲しいの)
  宝石乙女は、大好きな騎士さまを護る為にお父様から渡された『鎌』を取りました。他の姉妹たちに渡された庭道具よりも大きくて鋭い『鎌』。実は宝石乙女は、使いようによっては命を刈り取る恐ろしいこの道具のことが嫌いでした。それでも、大好きな騎士さまの為に、自分を大切にしてくれる人のために、その人の命を護るために、嫌いだった『鎌』を持ったのです。
  もともと使い方を教わっていたので、乙女は上手に『鎌』を扱えるようになりました。いまではお城の誰も敵わないくらいになりました。その乙女の姿を見て、溜め息をついた騎士さまが同行の許可をくれるまでに多くの時間はかかりませんでした。
  乙女の活躍もあり、騎士さまの危険は少なくなりました。その代わり、騎士さまの表情に憂いが増してきました。でも、乙女は気づかなかったんです。自分が『鎌』を揮っている姿が、騎士さまの目にどのように映っているかなんて。
  やがて、騎士さまの尽力により、戦が終結を迎えました。2日後には終戦協定の調印が行われます。騎士さまを守護してきた乙女も安堵したときでした。
「やっと、終わったよ。ながかったなぁ。さすがに、少し疲れたよ」
「いままで、頑張り過ぎたんですよ。しばらくは全部投げ出して、私と遊んでください」
「それもいいなぁ。君が来てくれてから結構経つけど、ゆっくり遊んであげられなかったね……それに、私のせいで君に武器を持たせてしまった……危険な目に合わせたこともあった……すまないと思っている。いや……私なんかのために、ありがとう」
  騎士さまは宝石乙女に感謝したのです。
「そんな、私なんて……そんな……」
  騎士さまは乙女の手を取り、その目を見つめてやさしく言われました。
「私には、この歳になっても伴侶がいない。いままで、それどころではなかったからね。家督は弟に継がせよう。それで先祖にも顔が立つ。城も領地も全て捨てよう。わずかな蓄えと、知人から農地を借りて暮らして暮らしていこうと思う。2日後、最後の仕事が終わったらの話だが……」
  なぜ、こんな話を乙女にするのでしょうか? 乙女が戸惑った顔をしていると、騎士さまは咳払いを一つして、こう言われたのです。
「一緒に来てくれないか。生涯、そばにいて欲しい」。
「 マスター……それって……」
「そういうことさ。返事は?」
「えっ、は、はい!」
  みるみる顔が熱くなっていきます。胸がドキドキして息苦しいくらいです。古典的だなぁとも思いましたが、本当にそうなってしまうのですもの。
「よかった。断られたら、どうしようかと思った」
  ずるいです。こんなときに、そんな笑顔見せられたら……。
  乙女が次の言葉を発する前に、騎士さまは乙女を抱きしめていました。つよく、つよく。その夜、二人はとても幸せな時間を過ごしたんです。

  でも、幸せは永くは続きませんでした。静寂と暗闇が突然に打ち破られ、怒号と喧騒が溢れてきました。外が明るい。夜明けまではまだのはず。あれは……火?
「旦那様ァ、早く、早くお逃げく……ぐわぁぁぁ」
「 ○◎公はどこにいらっしゃる! その首貰い受けに来た。お覚悟めされぇい!」
  何かが燃える嫌な臭い。何かを壊す音。断末魔の叫び声。全てが失われていく様を彼女は見ていました。
  恐怖。その感情に支配され思考が混乱を極めたとき、後ろから引き寄せられ、温かい胸に抱きしめられました。
「大丈夫。心配しないで。君は今すぐに城から逃げて欲しい。抜け道のことはいつか話したよね。あそこはしばらく見つからないから、追っ手がかかる前に国から出ることができるだろう。私のことは大丈夫。これでも、剣には自信があるんだ」
  そう言い残し、ベッドから降りていこうとする騎士さま。彼女は追いすがります。
「いけません! 逃げて、逃げてください。一緒に、一緒にいてくれるって言ったじゃないですか!」
「すまない。責任と決着? いや、名誉。それも違うな。なんだろうな。逃げちゃいけない気がする。間違っていたとしてもね」
「間違ってます! 気の迷いです! 一緒に逃げることが正解なんですよ。まだ、仕事が残っているじゃないですか! ここで……ここで死んではダメなんですよぉ……私もたたかい――」
「ダメだ! 君は戦ってはいけない。もう二度と。いいね」
  やさしい笑顔で、まるで子供に言い聞かせるように。彼女は迷います。また思考が混乱してくるのです。
  戦いの場が近くに迫ってきました。剣の切り結ぶ音が聞こえます。賊が扉を打ち破り部屋に転がり込んできました。
「公だ!公がいた――」
  一瞬にして賊が血煙のなかで崩れ落ち、聞き覚えのある声が。
「旦那さま! ご無事でしたか!」
  執事さんが飛び込んできたのです。
「セバスチャン! お前も無事だったか」
「当たり前です。私以外の誰が旦那さまの後始末をできるというのです。どこまでもお供いたします」
「そうか、そうだな。セバスチャン、最後のわがままを頼む」
「なんなりと」
「彼女を……」
「かしこまりました」
「そんな、マスター! 嫌です! わた――」
  彼女の意識はそこで途絶えてしまいます。

  彼女が目を覚ますと、そこは庭園でした。
「ここは……」
  見覚えがあるような、懐かしいような。
「ここは……そう、帰ってきたのね……」
  そこは、かつて彼女が姉妹と共に手入れしてきた庭園。閉ざされた庭園でした。
「マスターは……、マスターの樹は?」
  樹はすぐに見つかりました。たくさんの蔓が巻きつき、雑草が生い茂り、枯れて朽ちてしまった大樹。
「ますたぁっ」
  彼女は大樹にすがりつき、声をあげて泣きました。慟哭。誰も彼女を慰める者はいません。辛く、悲しい時間が過ぎていきます。
  涙が止まらない彼女の手に『鎌』が現れました。
「私の手には鎌が与えられました。とても大きな鎌です。人々の運命を変える、恐ろしい力を持った鎌です。一本、一本の樹を護るためではなく、庭園の全ての調和を護るための力を持った、大きな鎌なんです。私が護るべきは、一本の樹ではなく。庭園そのもの。私には、そのための力が与えられている……でもね、マスター……私、こんな力はいらなかったの。私、あなたを護りたかった……」
  涙を流しながら、朽ちた大樹に微笑む彼女は『鎌』を一振りし、大樹も、蔓も雑草も、全てを『無』に返してしまいました。
  大樹のあった場所に横たわる彼女。
「私もこのまま、石に還ってしまったらいいのに……」
  泣き疲れて、彼女の意識は再び途絶えてしまいました。

  その後も彼女は覚醒と休眠を繰り返します。
  たくさんの人と出会い、別れ。たくさんの思い出を積み重ね。彼女は成長していきました。
  時代はめぐり、世界中を渡り、彼女は多くの経験を積みました。
  いまでは多くの妹たちに囲まれ、素敵なマスターと穏やかな時を過ごしています。


「長話が過ぎましたね。つき合ってくれて、ありがとうございます」
「なぜ、その話を僕に?」
「さあ、なぜでしょうねぇ……なんとなく……です」
  ニッコリと笑った彼女は、ふと月を見上げ、憂いを帯びた横顔を見せて呟いた。
「あのころも、いまも、月は変わらないのに……」
  何と言葉をかけていいものやら、悩んでいると彼女が抱きついてきた。
「でもね、マスター。私は今の生活が気に入ってるんです。妹たちに囲まれて、退屈しない日常を過ごしているんです。あなたに出会うこともできました。こうして、お互いの体温を感じることもできます。マスター、私は、あなたのことが……」
  気がついたらペリドットの唇を塞いでいた。
  僕の知らない彼女のこと。これから時間をかけて彼女に教えてもらおう。僕たちはこれからずっと一緒なんだから。
  こうして、この夜。僕は大人になった。

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