あぁ……もう手遅れなのだろうな……。

終焉の足音が背後から聞こえるのをはっきりと感じたにもかかわらず、彼の心は不思議と平穏だった。
鬱蒼と茂る木々により日光が届きにくくなっているものの、確実に日差しの下に体を晒す事になる。
間も無く昇ってくる太陽が彼の命のタイムリミットを無常にゼロへと変えるだろう。
しかし、決して彼はジョナサン・ジョースターを追う足を止めたりしない。
民家を探そうと思えばまだ可能性は残っている時間帯だ。
けれども彼はジョナサンを止める事を優先した。
頭と心が思い浮かべるのは今まで歩んできた二つの道程。

後悔と怨恨に塗れて終わった一度目の人生。しかし、騎士として生き死んでいった俺の生き方を恥じることはない。

友と鍛錬に明け暮れた日々。
敬愛して止まなかった女王、メアリー・スチュアート。
守り抜くと誓った、果たせなかった苦悶の最期。
彼と戦友のタルカスは憤怒と憎悪の渦中で人生を終える。
甘美でありながらも、苦渋を幾たびも舐めさせられた激動の生涯。
しかし、彼は自分の人生を誇っていた。

……がっ! もう一つの人生は何であったのだろうか!?

一瞬の暗黒の後に訪れた二度目の生。
この世への恨みと夜族としての本能のみで動いてきた生。
傍らには相変わらず友がいた。それでいいと思っていた。
人を殺し、血を喰らい、ディオ・ブランドーへと忠誠を捧げる。
女王に仕えた騎士と比べるとどれだけ唾棄すべきことなのだろうか?
今の彼は確信を持ってそう言うことができる。

そう。三百年後の友、君のおかげでだ。

彼の波紋のおかげで黒騎士ブラフォードは自分を取り戻すことができた。
屍生人でもなく、怨嗟に突き動かされる復讐者でもなく誇り高き騎士であった頃の自分の姿をだ。
体が消滅していく事に恐怖や苦痛はなかった。
むしろ、心を取り戻したことへの歓喜が全身を包んでいた。
温もりを全身に感じ、死に行く最中にも関わらず体を生気が満たしていたことを思い出す。

そして……そして俺は共に剣と二つの言葉を託すことができたのだ。
後悔はない。満足感と安らぎを抱きながら別れを告げることができた。

しかし第三の生が彼に突如訪れる。
既に彼には人生への悔いは染み一つとて残っていない。
屍生人の自分がこの世にいてはならぬ存在というのは分かっていたからこの殺し合いからの脱出に命を懸けることにしたのだ。
ならば、遅かれ早かれどこかで使う命を今、友の為に使ってやろうではないか。
自分はジョナサンに心を救ってもらった。
そして今は彼の心が曇り、乱れてしまっている。

奇妙な縁もあったものだな……。
かつてお前を殺そうとした俺がお前に魂と心を救われ、今、ついさっき俺のことを殺そうとしたお前を何とかするために俺は力を尽くしている。

疲れの知らぬ体で彼はジョナサンを追う。
屍生人の超筋力と無限のスタミナを以ってしても、波紋を極めたジョナサンに追いつくのは用意ではない。

だが……追いついたところで俺はヤツを止めることが出来るのか?

脳裏を過ぎる不安。
以前よりも遥かに強力な波紋の力を付けたジョナサンに手負いの自分。
自分が負けて殺されてしまったら? 今よりも酷い有様となったジョナサンの姿が目に浮かぶ。
それだけは止めなくては。しかしできるのか?
彼の苦悩を他所に無常にも放送は鳴り響く。



★  ☆  ★



「うわ……うわあああああああああああああああああああああああああああああ」

荒木飛呂彦による放送の後、森にジョナサンの叫び声が木霊した。
死者として呼ばれた戦友のダイアーストレイツォの名。
そして、師であり、友であり、父であったウィル・A・ツェペリの死も。
彼らが死んだという報告は父を刺し、ブレ続けているジョナサンを追い詰めるのには十分すぎる効果があった。
そう、ジョージ・ジョースターの名が呼ばれていないことを不思議に思わせないほどに。

「違う! 違う! 違うんだ! 彼らは偽者だ、僕の父さんも偽者なんだ!」


―――気にするな、ジョナサン……。そうなるべきだったところに、戻るだけなんだ。元に戻るだけ……ただ元に…。


「あっ、ああああああああああああああああああああああああああああああああ」

少年時代、エリナとの出会い、ディオとの出会い、ダニーの死、大学での生活、石仮面、スピードワゴンとの出会い、父さんの死、怪物になったディオ、
ツェペリさんとの出会い、波紋の修行、戦いの日々、勇気と幸運を込めた剣を託してくれた友、最後の力を振り絞って力を授けた師との永別、
ディオとの決着、青春の終わり、エリナとの結婚、新婚旅行、殺し合いの会場、死んだはずのダニーの姿。
頭の中でコマ送りのように断片的な記憶がグルグルと再生する。
そして最後に辿り着いたのが――――。


冷たくなったダニーの骸と父の体。
自分が殺したのが本当の愛犬なのか、本当の父親なのか。
それはジョナサンにとって重要なことではなかった。
放送で呼ばれた三人の波紋使いが自分の仲間本人かどうかなどどうでもいい。
ただ、彼らの姿と声、振る舞いと名前が見知った関係の者と同じだったことが問題なのだ。

「ダニー……父さん……ツェペリさん……ダイアーさん……ストレイツォさん……」

無意識の内に唇が動き、声帯から五人の名を零す。
乾いた頬に再び涙の河が伝っていった。
自分の犯した所業に耐え切れず走り出した逃避行。
その終わりは三人の男によって告げられる。
奇抜なファッションをした2人組みと、人の形をした異形。
普段ならば冷静に見極めるところなのだろうが、生憎彼にはその冷静さが足りていない。
異形の姿を見た瞬間に、それが吸血鬼や屍生人の類であると判断してしまった。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

故にジョナサンは波紋を練り上げ、それを込めた拳を振り上げる。
あくまでも人類の敵を滅するために。
仲間や恋人の命を救うために。
……屍生人であったが、最後には人の心を取り戻した三百年前の友人に気が付くことなく―――――。



★  ☆  ★




「おいミスタ」
「あぁ、分かってるぜブチャラティ」

東から聞こえてくるのは人間の足音。
常人と比べたら明らかに早く走っているのが分かり、二人は警戒を深める。
ブチャラティはスティッキィ・フィンガーズを傍に立たせ、ミスタは手榴弾のピンに手をかけた。
近付いてくるにつれて音源が明らかとなってゆき、二人は対象が出てくるであろう茂より距離を取る。

張り詰めた空気の中、巨大な質量が近付いてきているのを二人は感じ取った。

そして現れる1メートル90以上の巨躯に限界まで筋肉をつめたような青年。
振り上げた拳にはスタンドのヴィジョンが被っている様子はない。
二人は一瞬であったが油断してしまった。
飛んでくる右拳、ブチャラティはそれを防ごうとし……。

「なっ、拳が伸びてきた―――」

手元で急激に腕が伸びてきて完全に意表を突かれた。
スティッキィ・フィンガーズの顔面に叩きこまれる強烈な一撃。
意識が一瞬だけ刈り取られ、ついつい膝をつきそうになってしまう。

「チッ、またしても乗ってる野郎の登場か!」

ピンを左手で引き抜き、ジョナサンへ投げつけようとするミスタ。
しかし、放り出された腕が頭上を通り過ぎたところで急に呼び止められる。

「待て! できる限り殺すんじゃない!」

慌てて開こうとした指を閉じ、再度ピンを挿し直す。
どうしたんだよ! 抗議の声を送ろうとするも、ブチャラティへと飛び掛るジョナサンの様子を見て合点が行った。

(明らかに錯乱してやがるな……。放送で何かあったか?)

先刻の放送では自分も冷静さを失いかけてしまった。
知り合いが死んだというのを聞けば、呆然自失としてしまうのも仕方がない。
だからブチャラティは極力影響を与えずに落ち着かせようとしているのだ。
ミスタは待つ。ブチャラティの指示を。
今の自分が戦闘に参加したところで精々足手まといになるのが落ちだと分かっていたから。
指示から一瞬の遅れもないように彼は待ち続ける。







ブローノ・ブチャラティはこの戦いにおいて明らかに不利であった。
最初に貰った一撃のダメージと共に残る謎の痺れ、それが彼の動きを鈍くしている。
近距離パワー型である彼のスタンドを以ってしてもジョナサンの一撃を食い止めるのが精一杯であった。
しかし、ジョナサンはガードをされたとしても波紋を流し込むことができるので、受け止める事すらダメージに繋がる。
結果、ブチャラティはジッパーによるトリッキーな回避に終始し、なかなか攻撃に転ずることができない。
何発目の攻撃を避けただろうか? 波紋の痺れによりブチャラティの体が止まる。

「しまっ―――」

言い終わるか、言い終わらないかも分からないうちに飛んでくるジョナサンの攻撃。
咄嗟にしゃがむ事で頭上を掠めただけに留まるが、これで上のジョナサン、下のブチャラティの構図がはっきりとした。
地面に這い蹲るブチャラティに対してジョナサンは一片の慈悲もない。
吸血鬼だから、屍生人だから倒さなくてはならない。
思い込みが晴れることがないままに生身の人間が胴体に喰らえば即死するであろう一撃をなんの躊躇もなく振り下ろす。
狙うのは顔面。
当たればブチャラティの端正な顔はトマトのように容易く潰れるだろう。
必死の思いで地面を転がり、迫り来る拳から逃げる。
白いスーツに土ぼこりがつき、所々に擦れた傷がつく。

「やれやれ……殺さずに生け捕りにするというのはやはり難しいな。
 なぁ、お前もそう思うだろミスタ?」

体の回転を利用して瞬時に体制を整え、ミスタへ問いを投げかける。
ジョナサンはすぐ近くへと駆け寄って来ていた。

「確かにな、ここまでやってようやく一度だろ? よしっ、ドボン!」

ミスタの叫びと共に何かに躓き大きくよろめいたジョナサン。
足に引っかかったのは地面にポッカリと空く大穴。
さっき転がった際に、コッソリと取り付けておいたジッパーだ。
タイミングを読んでいたブチャラティは既にジョナサンに拳が届く距離にいた。
頭を軽く掴み、前につんのめる力に加えて自身の腕力で加速を付け、膝に顔面を叩きつける。
鼻から血を噴出し、蹲りそうになるジョナサンの顎に軽いジャブを一発。
あえてジッパーはつけなかった。
首の付近にジッパーをつける覚悟はまだ出来ていなかったからだ。
そして脳が揺れた事により地面へ崩れ落ちるジョナサンに―――――


前蹴りをお見舞いして森の中へと吹き飛ばしていった。
数本の木に激突し、折れた木にもたれかかるような体勢で動かないジョナサン。

「投げろッ!」

指示語も何もないたった三文字の言葉、それだけでミスタは全てを察した。
手榴弾のピンを引き抜き、大きく右腕を振りかぶり、前方へと腕を投げ出す。
そしてミスタの指は緑色のパイナップルを手放した。
飛んでいく先はブチャラティ。
完全に味方を狙った一撃だがミスタの顔からはこの軌道が完璧であるという事を読み取ることができる。
ブチャラティの背に死をもたらす爆弾が迫ってきた。
しかし彼は動じない。
木を支えに立ち上がろうとするジョナサンの挙動を隙なく観察する。
そして手榴弾はブチャラティに当たることなく彼の体に突如できた空洞を通り抜けていった。

「ベネッ! 流石だミスタ!」

腹部に取り付けられたジッパーを閉ざしながらブチャラティはミスタに賞賛の言葉を送った。
手榴弾はジョナサンの元へと飛んでいく。
有効射程は約10メートル前後、そして男の肉体を持ってすれば至近距離で爆発しない限りは重傷を負うことはないと踏んでいた。
同時にスタンドの脚力を生かし後ろへ飛びずさるブチャラティ。
手榴弾は目的どおりの場所へと辿り着いた。

「3、2、1。よしっ、こいっ!」

ミスタが思わず叫んだ。
ジョナサンは未だに動かない。
もしも逃げたとしても既に木などの遮蔽物のない唯一の逃げ道はブチャラティが塞いでいる。
勝った!
おそらく殺さずに済むだろう。
ミスタの口角が軽く持ち上がる。
しかし何かを忘れている気がした、そう非常に大事な何かを。
そして手榴弾は――――――爆発することなく、ジョナサンの脇を掠めて森の中へと吸い込まれていった。

「ふ、不発だとぉ!?」

ミスタは思い出した。
手榴弾の残り段数が残り四発だった事を。
不吉だとは思っていた、しかし貴重な武器を捨てるのも忍びないのでそのままにしておいたのだ。

「四……やっぱり残り四発にしたのは間違いだったな畜生!」

唇を噛み締めるももう遅い。
既にジョナサンは起き上がり、ブチャラティへと飛び掛っていた。
迎撃に移ろうとするも、塞いでいた逃げ道の方に気を向けすぎていた彼の対応は遅い。
辛うじて胴体への直撃は避けた物の、腕にジョナサンの拳が衝突し、嫌な音が辺りへと響き渡った。

「クソッ、クソッ!」

ミスタは焦燥の声をあげる。
最悪の事態になった。
ブチャラティの右腕は垂れ下がったまま、動く様子を見せない。
荒い息から判断するに、最低でもヒビは入ってしまっているのだろう。
不発の手榴弾が当たるなんて何分の一の確立なのだろうか?
元の世界では、多量の手榴弾の同時の爆発による誘爆で作動したもも、今回は完全な失敗。
『四』という数字と自分のかみ合わせの悪さを再確認する事になった。
残った左手でジョナサンを攻撃を捌くブチャラティ。
手数の圧倒的な差からもたらされる劣勢。
防御に専念してもそれが何時まで持つかという状況だ。
進まない状況、いや、追い込まれていく状況下でブチャラティは叫ぶ。

「ミスタ! もう一発だ! もう一発投げろ!」
「だがブチャラティ! その距離で投げれば!」
「いいからやるんだミスタ!」

一か八かの状態。
チッ、と舌打ちをするのと同時にピンを引き抜く。
これから爆発するまでにかかる時間は十秒。

――――――10

ブチャラティのガードの一瞬の隙を突いてジョナサンが腹部に拳を叩き込む。
ミスタの叫び声も空しく、ブチャラティは後方へと吹き飛ばされた。

――――――9

ミスタに接近するジョナサン。
バックステップで間合いを取ろうとするも相手のほうが速い。
手汗が手榴弾の溝に吸い込まれる。

――――――8

ブチャラティが起き上がったのをミスタが視認する。
しかし、右腕はあらぬ方向に曲がり、骨が飛び出ているのが見えた。
右手を犠牲に距離を稼いだのだろう。

――――――7

ブチャラティが森と反対の方向へと走る。
ミスタは自分が手榴弾を投げるべき方向を一瞬で把握した。
避けた相手が爆風でバランスを崩した瞬間に叩く。

――――――6

ミスタの焦り。
後二秒、後二秒したら投げよう。
そうすれば先刻ほどよい状況ではないが少なくとも勝利はするだろう。

――――――5

ブチャラティが止まった。
あの激痛と使用不可能になった右腕では一瞬の決着が望ましいはずだ。
だから自分に危険が及ぼうともギリギリまで粘る。


―――――――――――4

ミスタが大きく腕を振りかぶり、鞭のように全方へ振り下ろす。
爆発まで残り四秒。
知ってか知らずか、投擲されたのは忌み嫌う四秒前だった。
ミスタの掌から滑るように飛んでいった手榴弾。
汗や緊張で多少のズレはあるかもしれない。
だが。ミスタは構わずに手榴弾を投げた。

―――――――――――3

No.5が一度だけ手榴弾を蹴り、ジョナサンの元へと手榴弾は飛んでいく。
しかし、ジョナサンは避ける気配を見せない。
嫌な、なんとなくだが嫌な予感がミスタを襲った。

―――――――――――2

ジョナサンは、手榴弾を避けるどころか、まっすぐに突っ込んでくる。
構えた右手の意図が何となく読み取れたミスタ。
やめろ、おい、やめろよ
心の中で呟くもジョナサンには届かない。
脇でブチャラティが苦虫を噛み潰しているような顔が見えた。

―――――――――――1

「避けやがれバカ野郎おおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
ミスタの叫びもジョナサンには届かず、ただ空しく響き渡るだけ。
彼は右手が手榴弾へと迫る。
一瞬後の無残な姿を連想するもミスタには既にどうしようもない。

――――――――――――――――― 0









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最終更新:2009年05月06日 09:55