ブローノ・ブチャラティの胸部に巨大な穿孔を開けた男――F・Fが、顔を上げる。

彼がその相貌に浮かべていた形相は、苦痛でも、焦燥でもなかった。

それは――白紙の如き、完全なる無表情。

敵を欺き、死に至らしめる自らの行為への感慨など、一抹さえない。

適切なプロセスを前もって携え、それに従い行動した結果、当初の予測通りに終決した。

全ては、既に決められていた。

ただ、それだけだ――と、言わんばかりの、冷厳な眼差し。

しかし。

それが顕れていたのも、極々僅かな時間だけ。

次の瞬間には、F・Fの表情に、驚愕と疑念の色彩が炸裂する。

「……残念だった、な」

確かに、奇妙には感じていた。
肉や心臓を突き破った感触が無かったのだ。
己が右腕は、確かに相手の胸元を貫通している。貫通してはいるのだが――。

『ジッパー』が、既に敵の胸に間隙を造り出していた。
必殺の一撃は、開け放たれていた隙間を通ったに過ぎない。

「『スティッキィ・フィンガーズ』……。
 なかなか素早い動きだったが、俺のスタンドの方が僅かに上回っていたようだな――」

その口調は、まるで最初から何の問題も無かった、と言わんばかりの平淡さ。
胸の『ジッパー』は、既に硬く硬く閉じられている。
これでは穴から腕を抜き、離れる事も出来ない。
F・Fの動きは、完全に制御されたのだ。

そして、ブローノ・ブチャラティの背後から現出した『スティッキィ・フィンガーズ』。
唸りを上げて、スタンドヴィジョンの左拳がF・Fの顔面へと猛追し――。

……中途で反転、ブチャラティ自身の顎に突き刺さった。

まるで『くす玉』のように、彼の頭部が中心線から二つに分割される。

それとほぼ同時に、間隙の背後から現れた、指先。
発射された一発の凶弾は、『分割』された頭部の間を通り抜け、天井に食い込み木片を四散させた。

F・Fが、微かに頬を歪ませ、眼前の敵を睨む。
その胸中に噴出したのは、強烈な悔恨の念。

彼がブチャラティに抜き放ち、肘から先を胸に固定されていた右腕。
その手首から先は、常人ではありえない不可解な形状に変容し、
彼の頭部を後ろから突くような格好となっていた。

咄嗟の判断で、ブチャラティが自らの頭部を『分割』しなければ、
指先からの『F・F弾』は、その脳幹に突き刺さっていたに違いない。

鈍い軋み音を洩らしながら、その手首が更なる変形を試みる。
より下部へ、下部へと撃ち込むべく――。
次の一撃は、確実にブチャラティの頸椎を貫き破壊するだろう。

だが勿論、ブチャラティ自身がそれを許すはずもない。
まず、F・Fの右腕を締め上げていた胸部の『ジッパー』を緩める。
同時に、『スティッキィ・フィンガーズ』の右脚を腰の前で折り畳み、
そのままF・Fの腹部を激烈な勢いで蹴り飛ばした。

蹴りの威力が、繋がり合っていた互いの身体を引き離す。

二対の靴底と絨毯の生地が擦れ合う鋭い音が、屋敷のホールに粛々と響き渡る。

沈黙の最中、先に口を開いたのは、襲撃者――F・F。

「自らの身体に穴を開けて、攻撃を"通した"か……。
 ――面白い。親友の能力を思い出したよ」
「不意打ちを掛けるような下衆に、友人がいるとはな……存外だ。
 お前が、勝手に友達と思っているだけじゃあないのか?」

口角を上げながら、ブチャラティが応対する。
軽い皮肉のつもりで放たれた言葉。
しかしそれは、F・Fの逆鱗に直に触れた。

挙げられた腕――差し出された指。
予備動作も皆無に、新たな数発の『F・F弾』を発射。
互いの距離が生まれたといっても、間合いは二メートル弱に過ぎない。
数発の弾丸は、そのまま対象の致命傷を生み出すはずだった。

――もし相手が、近距離パワー型のスタンド使いでなければ、の話だが。
至近距離から放たれた弾丸を、『スティッキィ・フィンガーズ』は寸分違わず拳で弾き返し、主を守護する。
ブチャラティは反撃しない。
そろそろと背後に退き、目標の地点に向かう。
突如、血を撒いて倒れ伏した部下の元へと。

ミスタは、想像以上に凄まじい状態だった。

全身に無数の傷が生まれ、今も多量の血流が噴き出し、絨毯を赤黒く染め上げて止まない。
息はあるが、意識は完全に闇の中だ。
そして、本体の傍らで横たわっている、『セックス・ピストルズ』の六人組。
一人残らず、どす黒い粘液状の何かが、彼等の表面にへばり付いていた。
この粘液が、『ピストルズ』の全身を侵食し、破壊しているのか。

満身創痍の部下を足元に、ブチャラティは敵に向けて問う。
あくまでも、静粛な口調で。

「……ミスタをどうした?」

F・Fは、愉快で仕方がない、といった口振りで応える。

「感謝しろ――死なない程度に生かしてやっている。
 すぐに殺す事も出来たが、それでは貴様のハンデになるまい?」

ふいに呻きを上げる、ブチャラティ。
視線の先は、『F・F弾』を防御した『スティッキィ・フィンガーズ』の左手の甲。
『ピストルズ』と同様の黒い粘液が、そこに付着していた。
粘液そのものに自律性があるようで、蠢きながら肌と肉を食い破っている。
そして、スタンド能力の大原則――本体へのフィードバック。
ブチャラティ自身の左拳から、細い血流が噴出する。

「成程な――『スタンドに取り付き、食らい尽くす肉片』。それがお前の能力か。
 ならば、『ピストルズ』が反射させた銃弾が効かないのも頷ける。
 "お前の身体に戻っただけ"なんだからな――」
「うむ……及第点といった所だな。
 我が『弾丸』をそのチンケなスタンドで防御しても、無駄だ。
 接触した時点で外皮に吸い付き、内部へと侵食し破壊する」

大きく息を吐いて、自らの左拳を睨むブチャラティ。
肌を引き裂き、骨の表面にまで食い込んではいるが、さして決定的なダメージではない。
弾丸をスタンドで防ぐだけでは、致命傷に繋がらないらしい。
その点が、ミスタの場合とは決定的に異なっている。

ブチャラティは推測する――恐らく、『ピストルズ』の大きさが問題だったのだ。
弾丸と接触しても、スタンドに付着する『粘液』は決して多量ではない。
だが、『ピストルズ』のようなリトルサイズのスタンドにとってはそれも致命傷。
通常よりも遥かに大規模なダメージを、本体――ミスタに与えてしまった。

「ところで……」

敵は、更なる言葉をブチャラティに畳み掛けてきた。
自らの絶対的優位を確信しているかのような、堂々とした様子で。

「どうやら、君の『右腕』は……骨折でほとんど動かせないようだが。
 ――死にかけの仲間を護りながら、『片腕』で、私と対等に渡り合うつもりかね?」
「ああ、その通りだ」

ブチャラティは、断固たる口調で敵に応じ、小さく頷いた。

続けて、指を胸の前に立て、まるで子供に教え諭すような仕草を見せる。

「――そして一つ、あんたの話の間違いを指摘しよう。
 『片腕』なのは、俺だけじゃあない」

その言葉を聞きざま、F・Fの表情が一変した。
彼は、気付いていなかったのだ。
先刻の近接戦の最後――両者が離れる直前の隙を縫って、自らの身体に『ジッパー』が接着されていた事に。

「――これで、お互い『片腕』だな」

『スティッキィ・フィンガーズ』の『ジッパー』は、確固とした物理的接続を、疑似的なそれに一変させる。
ブチャラティの呟きと同時に、その能力効果は、容赦無く解除された。

肘から先、といった容易いものではなかった。
肩から丸ごと、左腕の全てが胴から吹き飛び、絨毯に転がる。
それを追って両の断面から、黒い血飛沫が噴き零れ出した。

戦慄の表情で、落ちた自らの左腕に視線を落とすF・F。

「想像以上に――手強いな。ブローノ・ブチャラティ……」
「……何故、俺の名前を知っている?誰から聞いた?」

疑問への回答は、無かった。
敵の右手の指から、再度の銃撃が始まったのだ。

ブチャラティの眼前に迫り来る、無数の猛威。

本体に食らえば勿論のこと、スタンドヴィジョンで弾いても対象に損傷を与える、
この"生きた"弾丸の脅威を、如何にして防ぐというのか?

――『スティッキィ・フィンガーズ』にとっては、それも容易い問題だった。
足元の床をスタンドの拳で打撃、『ジッパー』を発現させ、断面から一気に捲り上げる。
かくして弾丸を防護する、即興の『盾』が完成。

ここまでの立会いで、ブチャラティは既に理解していた。
敵が指から放つ『弾丸』は、その速度も威力も、本来の金属銃弾より劣るという事実を。
掲げ上げられた『盾』は、結局のところ木製の床板に過ぎないのだが、
無数の弾丸は総じて貫通までに至らず、表面に食い込むだけに留まっていた。

ブチャラティの行動は迅速。
敵が銃撃を止めたと見るや、『盾』から横に滑り込み、床を蹴って襲撃者に猛追する。
射程距離内への突入と同時に、『スティッキィ・フィンガーズ』の左拳の一撃を振り翳す。

F・Fも充分に知り得ている。
『スティッキィ・フィンガーズ』の一打が、決定的な致命傷に繋がる事を。
だから彼は、攻撃の勢いを受け流す道を選んだ。
残された右腕を前方に伸ばし、ヴィジョンの下腕に横から打撃、その軌道を僅かに反らす。
跳ね除いたスタンドの腕を横目に、差し出した勢いに乗じて、
そのまま右手の人差し指をブチャラティの喉元に突き出した。
間髪入れず『F・F弾』を発射。
やはりそれも読まれていた。ブチャラティは既に首元に『ジッパー』を発現。
僅かな接合部だけを残して、"ぐるり"、と、その頭部が右肩の後ろに転がる。
弾丸は再び空を切り、玄関近くの柱に食い込むのみ。
歯軋りするF・F。
ガラ空きの胴体に向けて、次なる『F・F弾』を見舞おうとする、が。
相手は接近も早ければ、退却も早かった。
華麗な動作でF・Fの傍らに潜り込み、転回。

両者の向きのみが入れ替わる形で、間合いは再び同様の格好に。
首の『ジッパー』が戻る耳障りな音響のみが、ホールに木霊する。

敵を睨むF・Fが、内心で悪態を吐く。
――接近戦では、やはり分が悪いか。

首の傾斜を直すブチャラティが、決意を固める。
――このまま一気に片をつける。ミスタの為にも。

十秒足らずの、視線の交錯の後に。
無言のまま、どちらからともなく、戦闘は再始動した。

身を大きく反らしたのはF・F。
左腕の欠損を無視した、超人的な後方転回を繰り出す。
彼はこう考える。
『スティッキィ・フィンガーズ』は近距離パワー型。つまり弱点は遠方からの一方的攻撃。
そして自分には無尽蔵の『F・F弾』がある。
間合いを取る事が、勝利に繋がる。

駆け出したのはブチャラティ。
身を大きく屈め、壮絶な勢いで敵に突進する。
彼はこう考える。
敵は『弾丸』を有する。つまり遠距離からの攻撃に持ち込む算段。
そして自分の優位は近接からの『スティッキィ・フィンガーズ』。
間合いを詰める事が、勝利に繋がる。

敵との距離を置き、『F・F弾』で決着を付けようとするF・Fと、
『スティッキィ・フィンガーズ』による接近戦を狙うブチャラティ。
戦闘は、自然とこのような構図に落ち着こうとしていた。

三回、四回、五回……どこまで続くのか。
F・Fは、ただバック転を繰り返している訳ではなかった。
ブチャラティの側を向いたと同時に、指先から数発の『F・F弾』を放出しているのだ。
発射装置そのものである右手だけで全体重を支え、高速で回転する中途にも拘らず、
なんという精緻極まる攻撃だろうか。

敵の一回転の度に、床から切り出した小さな『盾』のみで、
全ての凶弾を正確に防御するブチャラティも凄まじい技巧。
しかし、射程距離に入るまでの速度が稼げない。
両者の間合いは、じわじわと遠ざかっていく。

ホールの壁面近くまで来て、ようやくF・Fはアクロバットを止める。
これも見事な受身で体勢を切り替えると、
腰を屈めた格好から、自らの分身――生きた銃弾を連発する。
今、互いを隔てる距離は、約五メートル。彼のみが一方的に攻撃できる位置。

『盾』からの衝撃に、顔を顰めるブチャラティ。
これまでよりも遥かに強烈な弾丸の雨霰に、
左手に構えた『盾』が最期の悲鳴を上げ、直後に断裂し粉々に吹き飛んだ。

止むを得ず、『スティッキィ・フィンガーズ』の左腕で防御を開始。
しかし、片腕だけではどうしても弾幕を防ぎ切れない。
ついには防御に漏れた弾丸が、右肩、右大腿、左腹部を掠り、彼の服と肌を引き裂いた。

次に上半身を後方に翻したのは、ブチャラティの方だった。
『F・F弾』の着弾衝撃で吹き飛んだ訳ではない。
自らの意思で、身体を背後に反らしたのだ。
後頭部を床に打ち据える直前に、『スティッキィ・フィンガーズ』を発動。
床上に直線状の『ジッパー』を生成し、自身の左手でそれを捉える。

――そして、滑走。
新たな『ジッパー』の向かう先は、F・Fの元ではない。
むしろその逆。後方へと、彼は退いたのだ。

退却に移ったブチャラティに対し、更なる銃撃を試みるF・Fだったが、想像以上に滑走は高速。
『ジッパー』の先端を取るブローノ・ブチャラティの姿が、ホールの奥へ奥へと突き進んでいき……。



…………そして、暗闇の中に、消失してしまった。



F・Fは、突然の事態に戸惑った。
闇の奥から、敵の動く気配や物音は皆無。
広いホールに、完全なる静寂が訪れたのだ。
これまで演じていた激闘の、全てが嘘に感じられる程の。

――逃げた、のか――?

当初、F・Fの胸中に浮かんだのはその思惑だった。
私との不利を悟り、屋敷から脱出した――という。

ホールの中央付近に、彼は視線を移す。
……何も、変化は無い。
そこでは、先程までと同様に、全身を己が血に濡らしたグイード・ミスタが、仰向けの姿勢で力なく横たわっていた。

――いや、違う。

F・Fは、自らの仮説を否定した。
あの男――ブチャラティは、意識不明の仲間を見捨てて、
何処かへと立ち去ってしまうような類の人間ではない――。
倒すべき敵であるにも拘らず、そのような観念に、F・Fは半ば無意識的に囚われていた。

不明瞭な思考の欠片が、意識上に浮かんでは消える。

F・Fは――『知性』を与えられたプランクトンの集合体は――ふと思う。
そういえば、ブローノ・ブチャラティは、自らの知る『誰か』に似ている。
誰だったかは思い出せないが、奴との戦闘中、『そいつ』の影が、ずっと脳裏にちらついていた。

強い信念の元、目的へと邁進する行動力。
決して揺るがぬ決意を湛えた、瞳。
そして、仲間への固い信頼の念。

そう――"『彼女』が、仲間を、見捨てるはずがない"。

……突然、F・Fは、一つの『気配』を感じた。
極々微かに薄められてはいるが、それは確かに、自らの動向を窺っているもの。

ほぼ反射的に、彼は自身の身体に命令を下す。

『気配』の方向――遥か上方――を、振り仰ぐ。

視界に現れた光景は、想像を絶していた。



――ブローノ・ブチャラティが、暗闇の中でこちらを注視している。
まるで『蝙蝠』のような、宙吊りの姿で――。



そのまま、『降下』するようにして、急接近。
瞬く間に、射程距離――二メートルに到達。

『スティッキィ・フィンガーズ』が、高らかに、吼える。



『――アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ
 アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ』



激烈極まる拳撃の連射が、始まった。
爆発的に、全身の出力を高めるF・F。
思わず喉から漏れ出す、意味無き絶叫。

「――ウウウウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォ
 ォォォォオオオオオオオオオオオオオオオォォォオオオアアアッ!」
『アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ
 アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ』

――ゆっくりと、状況が飲み込めてきた。
ブローノ・ブチャラティが両足の間に挟み込んでいるのは一本の『縄』。
天井の柱に括り付けたそれを『ジッパー』の媒介とし、
滑り降りる勢いに乗せて、F・Fの斜め上から襲い掛かって来たのだ。

『アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ
 アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ』

止め処なく繰り出される、壮絶な乱打。
それを行うのは左拳のみのはずなのに、今は『降下』の加速が付与され、両腕によるラッシュ以上の爆発力!
上半身を目まぐるしく旋回させて、一撃一撃を正確に避わし、時にその軌道を逸らすF・Fだが、
その脚は、じりじりと後方に退き始めていた。

『アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ
 アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ』

落下の勢いに乗じたラッシュは重く、そして速い。
F・Fは回避と防御に精一杯で、たった一度の反撃を繰り出す暇さえ与えられない。
また、連撃の射程範囲から退避する事も不可能。
一瞬でも立ち遅れたら、致命的な攻撃を胸か首に食らってしまう。

『アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ
 アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ』

迂闊だった。
右の頬と左耳を、『スティッキィ・フィンガーズ』の拳が掠め、瞬時に切断されたのを悟った。

『アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ
 アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ』

連撃は終わらない。
『縄』の切れ端は床と接触しており、その箇所から、『ジッパー』のレールは床面へと移行しているのだ。
降下の速度は未だに死なず、ラッシュはF・Fの体力を削り続ける。

『アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ
 アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ』

ついに壁と壁の間、ホールの隅まで追い込まれてしまった。
もはやF・Fが逃げる道は完全に失われる。
延々と、回避と防御に専念するのみ。

『アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ
 アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ』

右肩。左腹部。右腰と右胸部にそれぞれ二箇所。左耳にもう一発、完全に千切れ飛ぶ。
全て掠り傷だが、小さな『ジッパー』は容赦無く新たな切断部を生み血潮を吹かせる。
胴の中央に食らわないのが奇跡的な程だった。

『アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリッ――――』

長い長い乱打が、ついに閉幕する。
『スティッキィ・フィンガーズ』が床を蹴り、ブチャラティが後方に退く。

決死の防戦を縫って放たれた、ラッシュ最後の一撃。
その一打で、ブチャラティは攻撃の終了を判断した。

――F・Fの右上腕に、ブレスレットのように『ジッパー』が付着していた。

ブチャラティによる小さな宣言と共に、
その接合が、容赦無く解除される。

『――――アリーヴェデルチ(さよならだ)』

絨毯に転がり落ちる、肘と手と指の付いた肉塊。
能力解除に一瞬遅れて、どす黒い血潮が切断面から噴出する。

「お前の、負けだ」

ブチャラティが、小さく息を吐く。
決着は、付いた。
両腕を欠いた敵を正面に見据え、彼は問う。

「話してもらおうか――お前の知る、全ての情報を」

だが――返事は、無い。

敵は、興味の欠けた面持ちで、床に落ちた自らの右腕を見つめていた。
ただ、それだけだった。

ブチャラティの胸を、微かな疑念が覆い始める。
――奴の能力は完全に封じられた。もう、こいつには何も打つ手が無いはずだ。
たった今、命を奪われても不思議でない状況で、何故この男は平然と佇んでいるのか?

奇妙な沈黙を破ったのは、意外にも敵の側からだった。

「"そうだ……申し遅れたよ"」

まるで何かに思い当たったかのように、敵は、ブチャラティに淡々と語り始めた。

「"私の名はダービー。
 D’.A.R.B.Y.
 Dの上にダッシュが付く……。
 ところで、私は賭け事が大好きでね。
 くだらないスリルに目がなくって、
 病み付きって奴でして……"」

唐突に、自己紹介を切り出した敵――ダーピー。
ブチャラティは険しい表情で、凝視を続ける。
念の為に、『スティッキィ・フィンガーズ』を傍らに現出させて。

「"ま……大方はギャンブルで生活費を稼いでるんですよ。
 あなた、賭け事は好きですか?"」
「……さっきから、何を言っている?」

痺れを切らしたブチャラティが、刺々しさを含んだ声で、そう詰問した直後――。

――激烈な衝撃が、彼の後頭部に襲い掛かった。

揺らぐ、視界。
崩れる、姿勢。
反転する、意識。

訳も判らぬまま、うつ伏せに転倒してしまう。

そして直後に現れた眼前の光景に、ブチャラティは目を見張る。
見覚えのない奇怪な生物――『スタンド』が、唸り声を上げながら、彼の胸を足蹴にしていたのだ。

『フー……フゥー……フゥーァ……!』

骨組みだけで構成されたようなスリムさを有する、漆黒のボディ。
鼻の位置から頭頂部を通り真上へと伸びた、アンテナ型の突起物。
渦巻き状の模様が刻まれた両眼は、何を見ているというのか。

『そいつ』は、あまりにも唐突な襲撃者。
敵――ダービーに協力する第三者のスタンド能力なのか。
あるいは戦闘中、奴が自らのスタンドヴィジョンをずっと隠していたのか。

頭に直に食らった衝撃の余韻か、思うように身体が動かせない。
どうにか上半身を持ち上げた所で、待ち受けていたのは、『そいつ』による肘の一撃だった。

『……フウウゥゥゥゥゥ――――フォアアアアアアアアアアアッ!』

放たれる、奇声。
『そいつ』は強靭な膂力で、『スティッキィ・フィンガーズ』の額を打撃。
受身も取れぬまま、ブチャラティは再び絨毯の上に転倒する。
右腕の骨折箇所が床と激突し、ブチャラティは額に脂汗を浮かべ喘ぐ。

「……ブローノ・ブチャラティ~~~~ッ!」

ブチャラティの頭上で、『そいつ』の傍らに寄り添い笑うダービー。
最高に愉快だ――そう言わんばかりの口調で、彼は語り掛けてきた。

「貴様が私のくだらないお喋りに気を取られている間に、
 我が『左腕』はボトルの水を吸収し成長していたッ!」

玄関近くの床に、視線を馳せる。
そこでは、蓋を開けられた基本支給品のボトルが転がっていた。
恐らく、『スティッキィ・フィンガーズ』のラッシュの前後にダービーが投擲したのだ。
粘液はそこから伸び、黒いスタンドの足元と繋がっている。
奇怪な『そいつ』は、この男の左腕そのものだというのか。

笑みを絶やさぬままに、ダービーは話を続ける。

「……そして、ブチャラティ。
 君は、私が指先からしか『銃弾』を放てないと思っているようだが……。
 大いなる勘違いだなァ~~~~それは」

切断されたばかりの右腕の先を、立ち上がろうとしたブチャラティの顔面に向ける敵。
そこは、断面の肉が変形し、窄まるような形状を呈していた。
……まるで、火器の発射口のように。

防御する時間も与えられなかった。
放たれた『F・F弾』は、ブチャラティの左眼球に突き刺さり、
一瞬でその構造を完全に破壊し尽くした。

着弾の衝撃で、ブローノ・ブチャラティの身体は宙を舞う。
哀れな犠牲者は、昏睡状態の部下――グイード・ミスタの傍らに転がり落ちた。

F・Fは、その限界まで口を開け広げ、笑みを更に深くした。
溢れ出んばかりの歓喜の念が、その精神に満ち満ちていた。
また一歩、崇高なる目的へと彼は近付いたのだ。

「フフハハハハハッ――勝ったッ!私の完全なる勝利だッ!」

敵の眼球の裏から進入した『F・F弾』は、十秒足らずで大脳に到達し、奴を死に至らしめるだろう。
だが――と、F・Fは考える。
"直接、止めを刺さなければ、気が済まない"。

顔面に張り付いた笑みをそのままに、
新たな銃口こと、上腕の切断部をブチャラティ目指して差し出し――。



――巨大な『柱』が、両者の間に倒れ込んで来た。



唐突な乱入者の体躯は、胴周り四メートル、体長十メートルを下るまい。
その巨体が、ホールの床に横倒しで衝突したのだ。
屋敷全体に轟き渡る爆音と衝撃波は、想像を絶する。
見る間にも木製の床板は陥没し、『柱』の一部が減り込んで行く。
木板が引き千切れる、悲鳴の如き異常音。

F・Fの相貌に、もはや笑みは無い。
眼前の光景を、呆然の表情で凝視する事しかできない。

「……『柱』ッ……!?な……何だとッ……!?」

自らの左腕から生み出した、あの愛しき『分身』は、
苦悶の叫びも上げられぬまま、『柱』に潰され即死していた。

『柱』の末端――かつての底部――に付着したものを発見し、F・Fは小さな呻きを上げる。
やはり、それを切断し転倒させたのは『ジッパー』。

F・Fがそちらに視線を戻した時には、既に。
事態を引き起こした張本人が、『柱』の彼方で立ち上がっていた。

「グラッツェ(ありがとう)……シニョール・ダービー。
 ミスタの所まで、俺を吹き飛ばしてくれて――」
「貴様ァッ……!」

破壊した左眼から進入した『F・F弾』が、息の根を止めているはずだったブローノ・ブチャラティ。
その彼が当たり前のように生存している理由は、一瞬で理解できた。
撃ち込まれた左眼を、周囲の肉と纏めて『ジッパー』で剥ぎ取り、『F・F弾』の侵食から保護。
さらに、辺りの肉や肌を『ジッパー』で接合させ、欠損による出血を防いでいるのだ。
彼の左頬の上には、縦一文字の『ジッパー』が、瞳の代わりに存在していた。

「……どうやら、俺はあんたの能力を見くびっていたようだ。
 今回は退却させて頂く。ジョナサンには少し申し訳無いがな――」

もうもうと湧き上がる粉塵に、ブチャラティの姿が覆われていく。
視界に残ったのは、おぼろげな影だけ。

F・Fが呆然と見ている間にも、ホールの奥で、また一本の柱が軋みながら転倒した。
天井に登られた際、この広い邸宅中の柱に、『ジッパー』が取り付けられたというのか。

――しかし、まさか、それでは――!?
彼が抱き始めていた恐るべき予感を、ブローノ・ブチャラティは代わりに断言した。



「この屋敷は、まもなく『倒壊』するッ!」



高らかな宣言は、終わりへの呻きを上げ始めた屋敷のホールでなお、明々と響き渡った。

屈辱と焦燥の入り混じった面持ちで、埃の先の敵を睨むF・F。
――もう、これ以上は戦えない。逃げる事を考えなければならない。

「今度こそ……本当に、アリーヴェデルチ(さよならだ)」

その言葉を残して、ブチャラティの影が、溶けるようにして消失する。
『ジッパー』の能力で、地下へと逃げ込んだのか。

F・Fのすぐ傍らで、崩落した天井の一部が床で爆散した。
恐らくこのやり方では、屋根が丸ごと内部に落ち込み、上から押し潰されるように倒壊するだろう。
壮絶な轟音は、いや増して周囲一帯に響き渡っている。

屋敷の死が、迫っていた。

「それにしても……ブローノ・ブチャラティ。
 その冷静な判断と、強靭な行動力――」

一挙に転がり落ちてきた上階の壁面を尻目に、F・Fが、微笑む。
今回の笑みは、戦闘中の、険を含んだ表情とは根本的に異なっていた。

その顔は、実に……純粋な。

心の底から、愉快げな。






意識不明の部下をその背に負って、ブローノ・ブチャラティは、走駆する。
彼が行くのは、まさに道なき道――地中。

(シニョール・ダービー……いずれ必ず、お前とは決着を付ける)

トンネルも無い地殻の内部を猛進するという荒技を、『スティッキィ・フィンガーズ』の特殊能力は可能にした。
本体の眼前の土壁を切るような動きで振られたスタンドの指先が、『ジッパー』を展開。
一時的に侵入可能な『空間』を生成する。
発生した間隙に潜り込み、再びスタンドの指先を振りかぶる――その繰り返し。

粛々と続く、奇妙な地中移動の中途。
ブチャラティはふと、腰に回した自身のデイパックに目配せする。

先刻【B-2】を調査した際に、入手したランダム支給品の一つが『包帯』。
不要なものだと思っていたが、まさかこんな形で使用を迫られるとは。

(とにかく、『参加者』のいない静かな場所を目指す――
 そこでミスタの応急処置を行う)

ブローノ・ブチャラティの呼吸は荒い。
大の男の全体重を背に抱えたその足取りも、敏速とは程遠いもの。
持続力にやや難のある『スティッキィ・フィンガーズ』の連続使用による疲弊も、
彼の動作に明確なぎこちなさを付与していた。

だが、今や右側のみとなった瞳は、強烈な決意を思わせる眼光を湛えて止まない。

一片の迷いも捨てて、ブチャラティは前進する。
その先に待ち受ける運命は、果たして――?






危うかった。

突如、倒壊を始めた屋敷から逃げ去るように距離を置き、バイクと共に門の前で待機していたアレッシー。
彼は唖然の表情で、瓦礫の山から這い出て来たF・Fを凝視していた。

「おいおい……大丈夫かよッ……!その怪我――」
「早く抱き起こせ。湖に戻るぞ」

相も変わらず、抑揚の欠けた口調でF・Fは命じる。
崩落する柱と壁の残骸に巻き込まれ、左脚の膝から先が引き千切れてしまった。
両腕を失っている実情、無事に残っている四肢は右脚のみという有様。
しかし、本人にとっては別段の興味も湧かない負傷だ。
再生したばかりの手足に愛着など持っていない。
持てるはずがない。

「……どうした?」

F・Fは、自らを抱え上げようとしているアレッシーに問う。
彼の両腕が、震えていた。
見上げれば、戦々恐々とした面持ちで、周囲を忙しなく見回している。
その畏怖の原因は――思索する必要も無かった。

「奴等は……どうしたんだよ?」
「あと一押しという所で、逃げられた。
 安心しろ――二人ともに重傷。今すぐ我々を襲う事はあるまい」
「それなら、いいんだけどよォ~~……」
「さっさと乗せろ」

胴を持ち上げ、アレッシーは相方をそそくさとバイクの後部に乗せる。
壮絶な負傷の為に、F・Fの身体は驚く程に重量を欠いていた。
その事実が、介抱人の背筋を今一度凍らせる。

呆然とした口調で――半ば独り言として、アレッシーは呟いた。

「旦那……あんた、マジで人間かよ?」

F・Fは応じない。
右腕の切断部から血肉を伸ばし、前に乗った運転手の胸に絡めるように変形させ、固形化。
この程度の措置で、走行の勢いに振り落とされる危険が消えた訳ではないが、
そこはアレッシーの安全運転に期待するしかない。

他に打つ手も無く、運転手の襟首に鼻を押しつけて二輪車の始動を待つF・F。
これまでと変わらぬ無表情を貫いてはいるものの、
胸中では、アレッシーの何気ない冗談の言葉が反復して止まない。

――あんた、マジで人間かよ?

適切な答えが、即座に思い付いたのだが。
口に出すのは、止めておいた。






雲一つない晴天。陽光の降り注ぐ街路。
そこに、猛然と疾走する若者がいた。

おおよそ、常人の走りではない。
広い背に大荷物――都合三つのデイパックに、兇器サブマシンガン――を抱えているのにも拘わらず、
その呼吸には乱れる兆候すら覗われないのである。
驚嘆すべき走行法は、如何なる技術によるものなのか。

強い陽光の差し込む角度のせいか、あるいは周囲の建造物との都合か。
その相貌は深い影に覆われており、表情は闇に隠されてしまっている。

青年が向かう先は、この街の中央部。
多くの『参加者』が待ち受ける、疑念と緊迫の坩堝。

静かなる疾走は、何を望み、目指しているというのか――?
真実は、まだ誰にも判らない。

彼自身にさえ、不明瞭なままだ。



To Be Continued...



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最終更新:2009年09月07日 01:32