◇ ◇ ◇
突然の来訪者、誰よりも早く反応したのはツェペリだった。
「ジャイロ君ッ」
初動を見せず、一跳び、二跳び。ジャイロの元へと辿りつく。そのまま彼の手を取ると、同じく俊敏な動きでロビーへと脱出を試みる。
そうはさせまいと
ワムウは足元にグッと力を込め……そこで、動きを止めた。
今動けば殺られるのは自分だ、そう彼は理解したのだ。充満する色濃い殺気は、異形の者からワムウへと直接放たれていた。
“怪物”のターゲットはワムウ。二人のツェペリが動き出してもバオ―はピクリとも反応せず、むしろワムウが見せた僅かな隙を利用して、距離を詰めていた。
柱の男は不愉快そうに眉をひそめる。
無論、問うまでもなく、目の前の謎の生命体はかなりの強者であろう。
それはわかっている。わかっているが、それでも戦いに横やりを入れられるというのは不愉快だ。
それが因縁の血縁者と、しかもここからが本番だ、というところで邪魔をされたならば尚更である。
ホールを一瞥するワムウ。姿が見えなくなった二人のツェペリ、微動だにせず、此方の隙を伺い続ける来訪者。
いささか不満はあるものの、こうなってしまった以上は仕方あるまい。
ワムウは部屋中の風を操り、屋内に小さな台風を生みだした。瓦礫が舞い、木片が飛びかう。これは一種のパフォーマンス。
相手の反応を伺う。バオ―は動かなかった。動揺一つ見せず、むしろ呼応するように、吠え猛る。ワムウがニヤッと笑みを見せた。
そうか、お前も闘争を望むか。戦いを求めて、はるばるここまでやってきたというのか。
「その殺気、甘んじて受けとめよう。だがな、怪物よ、いささかいきり立ちすぎだ。
躾のいき届かない駄犬には、お痛いを味わってもらおうか」
そっと諭すように、そう話しかけた。バオ―は言葉を理解しているのか、していないのか、雄叫びで返した。
次の瞬間、怪物が動いた。
床板を踏み抜くような勢いで、猛烈な勢いでワムウに迫っていくッ 両手首から飛び出した鋭い刃がワムウの首筋を狙い、振るわれたッ!
「ふん、どこの馬の骨とも分からん奴だが……いいだろう、そんなにも死にたいのと言うのであれば、このワムウが葬ってくれるわッ!」
第二ラウンド開始だ。怪物同士の戦いが、今、幕を開ける。
◇ ◇ ◇
「いいのか?」
「いいのかって、何がじゃ?」
「ワムウの奴のことに決まってんだろ」
「なら今から戻るかい?」
「勘弁願いたいね」
ジャイロの即答にツェペリは声をあげて笑った。だがすぐに笑いを止めると、真顔に戻った。
そしてジャイロにこう問いかけた。
「それで……一体ここで何が起きたと思う?」
「さーっぱりだ。俺は機械整備士でもないし、発明家でも何でもない。
ただわかってるのは、『コレ』が自動車って呼ばれる乗り物らしいってことぐらいかな」
ツェペリは顔をしかめ、胡散臭そうにジャイロを見つめる。
彼が何も言わないので改めて視線を戻すと、目の間の光景を見つめボソリと呟いた。
「わしにはどう見てもタダの鉄屑にしか見えんが……」
実際そうであった。ロビーは二人が戦ってきた場所以上に荒れ果て、ボロボロになっていた。
壁をぶちぬき、一台の車が玄関で煙を上げ、止まっていたのだ。暴走した車のタイヤ跡が、ありありとホールの床にしるされていた。
相当スピードが出ていたのは間違いないだろう。フロントガラスは粉々、ボンネットは巨人に握りつぶされたように無茶苦茶だった。
にしても、車の操作方法を誤ってホテルに突っ込むとは。
自動車と言うものはよくわからない。だが機械に振り回され、こんな滅茶苦茶なことしでかした運転手はさぞかし間抜けなんだろう。
沈黙のままに、二人はそう思った。
「……ゥ、クソッ! なんだってんだ、このクソッ!」
二人の耳が唸り声を捕えた。見れば運転席に人影がある。
捻じれた運転席から身を捻りだした少年は幸いにも、怪我を負ってないようだった。
とは少年といえども油断はできない。二人はいつでも戦えるように身構えながら、ゆっくりと近づいた。
二人が少年に声をかけられる距離までゆっくりと近づいていく。一方少年は、何を思ったのか、車を蹴り飛ばし、ナイフでところ構わず無茶苦茶に傷つけ始めていた。
チクショウ、だの、クソッたれ、だの悪態をつきながら刃物を振り回す。
、
ジャイロがツェペリを見る。ツェペリもジャイロを見た。それはどう見てもフツーの少年とはいえそうにない様子で、二人は顔を見合わせると、きまり悪そうに表情を変えた。
どうやらこの少年、相当危ないやつのようだ。少なくとも二人が知っている健全な少年は、自動車を乗り回し、あげくのはてにやつあたりでナイフを振ったりはしない。
そういう少年のことは、危険人物と言うのだ。
なるべく刺激しないように、優しい口調でツェペリが声をかけた。距離は充分すぎるぐらい取っていたが、腫れものに触れるような感じで彼は言った。
「あー、少年よ。えーと、君がこの車に乗ってきたのかね?」
「ああ?」
振り向いた少年を見て、ジャイロはぎょっとした。そして今までの態度を改める。
ただの不良少年では到底持ちえないほどに、その眼光は落ち窪んで空っぽだった。
ジャイロはこの目を知っている。この目に心当たりがある。
父に連れられ、医師として病院を回っていた時に何度か目にしたことがあった。鈍く腐ったような瞳は、麻薬中毒者特有の症状だ。
少年は辺りを見渡した。自分がどこにいるか今になって確認しているかのようだった。
奇妙な空白を置き、ツェペリの問いかけに彼が答える。少年の声は一切の潤いを持たない、枯れきった樹木のような声だった。
「そうだけど?」
「怪我は大丈夫かね。見たところ出血はないようだが、捻挫だったり、打撲だったり……」
「いいや、大丈夫さ」
傷だらけの少年はそこで突然、笑いだした。
前後の会話と脈絡のない笑い。それはツェペリに少年を危険人物と判断させるに十分だった。
ジャイロもいつの間にか、彼の元へと近づいており、二人は先と同じよう戦闘態勢を取っていた。
場に流れた緊張感もしらず、少年は馬鹿笑いを続け、そしてピタリとその笑いがやんだ。
興味深そうに並んだ二人の男を眺め、ぼそりぼそりと誰にともなく話しだす。
感情の起伏と表情の入れ替わりに、常人ではついていけない。少年は狂人と呼ぶにふさわしかった。
「うーん、あんた達二人ともいい人っぽいよなァー。見るからに善人っていうのか?
困った人を放っておけないタイプだろ? おせっかい焼きっていうんだろうけどさ、あれって一種の自己投影らしいぜ。
つまりさァ、他人を助けるふりをして、結局は自分が助かってるってやつ。
優しい優しい僕にも同じぐらい優しくしてくれよォ―。俺がやるからお前もやれよォー。そう言うやつらしいぜ。
そうすることで、過去の自分だったり可哀想な自分を慰めるんだってさ。そう考えると、すっげーダイナミックな自慰行為だよなァ?
キャハハハハ! 自慰行為! 自慰行為だってさ! うははははは! きッたねェー! ぎゃははははははは!」
そしてまた笑いがやんだ。二人の男はどうすればいいのかわからず、何も動けなかった。
敵でない以上攻撃するわけにはいかない。かといって放っておいていいかといったら断じてNOの危険人物だ。
ツェペリが横目でジャイロを見ると、彼は何も言わず肩をすくめた。お手上げということだろうか。
確かにお手上げだ。そして更に悩ましいのがあまり考える時間がないということだ。
ツェペリは悩んだ。そして、まるでその時をねらっていたかのように、極めて自然な感じで少年がデイパックへ手を伸ばした。
響く銃撃音、飛び散る弾丸。狂ったような笑い声をまたもあげながら、少年はあたりかまわず銃を乱射した。
ツェペリが間一髪でかわすことができたのは、ジャイロが直前で気がつき彼を突き飛ばしたからだ。
二人は瓦礫を壁に、大声で話す。銃声音に紛れ、ジャイロの怒りに満ちた声が聞こえてきた。
「おい、なんだってんだ、アイツ?! 頭おかしーんじゃねーの?! なんなの!?」
言葉が終わるか終らないかのうちに、ジャイロが投げた鉄球が少年に襲いかかる。
彼は攻撃を予想していただのろうか。俊敏な動きで車の背後に回ると、鉄くずを盾に彼もまたその場にしゃがみこむ。
鉄を打つ音とともに鉄球がジャイロの元へと返ってきた。その間も、少年の笑い声が途切れることはなかった。
ジャイロは悪態を打つと、少し離れた位置にいるツェペリに手で合図する。
少しの時間をおき、同時に二人で挟み撃ち。少年をハッキリとして敵と認識し排除する。
だがその策に対し、ツェペリは浮かない顔で頷くでもなく、首を振るでもなく。
ジャイロは男をじっと見つめ、隙を見て彼に近づくと脅すようにこう言った。
二人の男の頭上を、何発かの銃弾が飛びぬけて行った。首をすくめて、ジャイロがまたも悪態。そして言う。
「ウィル、まさかアンタ子供だからって手緩めようとしてるんじゃねーだろうな?
言っとくがアイツ、確実に薬ヅケだ。見ただろう、腕にあった注射跡。
あれはこの殺し合いが始まってからできたような傷跡じゃねー。ジャブジャブのヅケヅケ。完全なまっ黒さ」
畳みかけるように、こう付け加える。
「それにワムウの野郎がいつまで足止めされるかもわからねェ。下手すりゃさっきの怪物くんも交えて
大乱闘になっちまうぜ?
そんなんは俺は御免さ。アンタがやらないってなら、俺がやる。今度は逆だ、俺が前、アンタが後ろ」
俯いていたツェペリだが、少しの沈黙の後、彼は顔をあげた。口を開いた時には、もう彼の顔にも声にも迷いはなかった。
「いや……大丈夫じゃよ」
戦わなければ生き残れない。
出来ることなら、殺したくはない。そう考えるのは甘いのだろうか。その理想を夢見る偽善者だと馬鹿に出来ようか。
弾丸がまた数発、二人の頭上を抜けて行った。ジャイロはホルスターから鉄球を取りだすと手の中で回転させる。
指を立てて突撃の合図。挙げられた指の数が減っていく。3本、2本……1、……そして0。
黄金の回転が地面に叩きつけられ、爆発が起きた様にあちこちで瓦礫が吹き飛んだ。
少年が突然のことに驚いた声をあげた。同時にツェペリは瓦礫から身を躍らせると、そんな彼に向かって飛びかかっていった。
◇ ◇ ◇
ものすごいスピードで振るわれた二本の刃。だがワムウはいとも簡単にそれを避けた。
そして避けるだけでなく、拳を一閃。カウンターぎみに腕を振るうと、面白いぐらい綺麗に拳がバオ―の顔面を捕えた。
きりもみをあげて来訪者が宙をきり、壁へと叩きつけられる。
いや! 壁をぶちぬき、そのまた隣の部屋まで吹き飛び、怪物の身体はそこでようやく止まった。
ワムウは追撃に走るわけでもなく、ゆっくりと隣の部屋と足を踏み入れた。
男の顔は強張っていて、いつもの戦いを楽しむような笑顔は浮かんでいなかった。
ひどくうかない表情で彼はバオ―の姿を探し、そし死角からの奇襲に対しても冷静に対処した。
淡々と、感情を見せることなく、まるで作業のように。
バオ―の攻撃をいなし、かわし、今度は脚を振るった。
首筋へ打つと見せかけて、軽いフェイントを一つ入れた後、逆の足で思いきり胸目掛けて蹴りあげる、
肋骨が折れた様な鈍い音が響き、バオ―が悲鳴をあげた。ワムウはやはり面白くなさそうで、淡々と攻撃を続けていた。
戦いは一方的であった。ワムウとバオ―、両者の間には大人と子供ほどの実力差があり、どちらが優勢かは一目見てもわかった。
だがワムウは不満げだった。さきほどまで上機嫌であった男は、嫌悪を込めた目線で目の前の化け物と戦い続けていた。
もう何度目になるかわからない、バオ―のダウン。
防御のために折り重ねた両腕の隙間から、ワムウの掌底がねじ込まれ、バオ―はまたも吹き飛ばされ、叩きつけられる。
今度の一撃は効いたようだ。バオ―は立ち上がれない。後頭部を強く打ったせいか、唸り声をもらし、彼は地面で苦悶の表情を浮かべていた。
聞こえる足音、覆いかぶさる影。次の攻撃が襲ってくる。そうわかっていても、それでもバオ―は動けなかった。
ワムウが腕を突き出し怪物の喉元を掴む。力の入らない全身、宙づりにされ弱弱しくもがくバオ―。
ワムウは真正面からバオ―の目を覗きこんだ。しばらくの間、ワムウはまるでそうすることで化け物の心の内を覗きこもうとしているかのようだった。
やがて、無造作に放り捨てられる。背中から地面に叩きつけられ、バオ―の息が一瞬とまった。
柱の男が、ゆっくりと口を開いた。抑揚のない声だった。
「何をそんなに脅えているのだ、怪物よ」
バオ―は何も答えない。答えられるほど、身体は回復していない。
ワムウは話を続ける。彼がバオ―を見つめる視線は変わらず、興味のない映画を見ているかのように、乾ききッていた。
「貴様との闘争はまったく面白くもなんともない。お前からは一切の誇りも、自信も、闘気も感じられんのだ。
なんのために貴様は戦っているのだ。誇りをかけてか? 納得をかけてか? 一族を背負ってか?
どれでもない。貴様が戦う理由はただ、貴様が脅えているからなのだ。
名もなき怪物よ。貴様は闘争の場で、俺ではなく、自分自身の恐怖と戦っているのだッ
……ふん、確かに貴様は強いのだろうな。脚力、拳力、ありとあらゆる武器となる身体……。人間とは比べ物にならないほど、貴様は強い。
だが貴様はあまりに弱いッ あまりに腑抜けているッ 」
怒気を含めた言葉とともに、バオ―の胸に脚を振り下ろす。
足裏でバオ―が、唸り声をあげ、苦しそうにのたうつ。ワムウは黙らせるように、もう一度足を振り下ろした。
大人しくなった化け物に、柱の男は話を続ける。
「恐怖をわがものとせよッ 怪物よッ!
今のお前は何物にも成れん、哀れな生き物でしかない。
何のために戦うのだ? 誰のために戦うのだ? 誇りを持たぬ戦いなんぞ、犬のクソに劣っておるわッ」
ワムウはまた蹴りをお見舞いしようと脚をあげ、反射的に飛びのいた。
バオーの刃は空振りに終わった。会話の最中にそこまで回復したというのだろうか。だとしたらたいした回復力だ。
だがワムウは動じることない。ゆっくりと風を巻き起こすと、その風を纏うように展開していった。
そう、ワムウがバオーに対し圧倒的優位となれるのはこれがあるからだ。
来訪者バオーは発達した触覚で感情やにおいをかぎ取り、それを元に相手の距離を詰めたり位置を捕えたりしている。
だがワムウは風の流法を司る男。気流を乱し、闘気と殺気を抑えることでワムウはバオ―から身を隠すことに成功した。
ましてや、今バオーは恐怖におびえ、遮二無二闘っている。そうなっては相手の恐怖を嗅ぎつけることも難しくなる。
ワムウの言うとおりだ。恐怖を克服しない限り、バオーは決してワムウに勝てはしない……!
「去れ。貴様が恐怖を克服せん限り、俺に勝つことはできん」
来訪者も本能的にそれを悟った。
じりじりと背を見せることなく慎重に距離を取り、ある程度離れた位置まで来ると一目散に逃げていく。
悔しみを込めて、怪物が咆哮をあげた。敗北者の声が遠くなり、やがて聞こえなくなるまでワムウはその場に立ちつくしていた。
「……ふん」
勝利に浸ることもなく、後味の悪さだけが残る戦いであった。ワムウはそう思った。
踵を返すと、男は脚をロビーのほうへと向けた。研ぎ澄まされた聴覚はさきほどから絶えず響き続ける銃声と、男たちの怒号を捕えていたのだ。
ツェペリたちはまだいるようだった。ならば、闘わない手はない。そう男は思う。
この燃え盛る闘志を沈めるには、やはり、あの二人しかいない。
グッと握り拳を作ると、彼は目を輝かせる。あの二人との戦いを思い出すと疲労なんか吹き飛んでしまう。
策を弄し、ギリギリの死地を切り抜け、全力を振り絞って自分に向かってくる二人のツェペリ。
そう、それこそが戦いだッ! ワムウが愛してやまない戦いと言うのは、そういうもののことをいうのだ!
焦る気持ちを抑え、ロビーへ足を踏み入れた柱の男。どうやらこちらも戦いは終盤を迎えているようだ。
ツェペリが攻め立て、ジャイロが逃げ手を封じる。受けに回った少年は苛立ち気にナイフを振るうが、空振りに終わる。
―――勝負ありだ
ナイフを振るった際にできた大きな隙を見て、男は一人呟いた。
ツェペリもその隙を見逃さなかった。床を蹴り、大きく跳躍すると練りに練った波紋を纏わせ彼は突撃する。
ナイフを持ち上げなおすが、少年は間に合わない。ツェペリの拳のほうが早い。
そのはずだった。
「―――ガ、ハッ……?」
だが次の瞬間、ツェペリの口元から大量の血が噴き出した。
何が起きたかまったくわからない。ワムウもそうだ。ジャイロもそうだ。
拳がぶれ、男の攻撃は少年を捕えることなく空振りに終わった。その最中
ビットリオ・カタルディだけが、らんらんと瞳を輝かせていた。
少年の顔が禍々しい笑顔に染まった。
ワムウとジャイロの絶叫がこだまする中、銀色の閃光がツェペリの体を貫いた。
◇ ◇ ◇
「つまりは、
スティーリー・ダン。お前も“こちら側”だったってことか?」
「ああ、そうだ」
「ククク……まったく嫌なやつだな、お前も。いや、最初は善人面してるだけに、俺よりよっぽどタチが悪いぜ。
見てみろってんだ、この俺を。両手が右手で、見るからに悪人面。
ああー、俺もお前みたいによォ、綺麗な面して他人信頼されるような、そんな人間になりたかったぜ。ヒヒヒ……!」
歯の浮く様な台詞だと、
J・ガイル本人もわかっていた。
自分が言った冗談が面白かったのか、彼は大きな笑い声をあげると腹を抱えて、一度作業を中断した。
ダンは笑えなかった。ほほが痙攣して、かろうじて笑顔らしき中途半端な顔を作っただけだった。
J・ガイルは肩を揺らしながら、休めていた手を動かし始めた。手の動きに合わせてゴリゴリ、と何かを削るような音が響いていく。
ダンは耳を塞ぎたかったが、J・ガイルが話しかけてくるものだから、そうもできなかった。代わりに目を瞑り、ぐっと下っ腹に力を込めた。
まっとうな道を歩んできたわけではなく、人の死には普通の人よりも慣れているつもりだった。だがそれでも、血の臭いだけには慣れなかった。
「お前もどうだ? 一緒にやってみねーか?」
「いいや、遠慮しとく。私にはそっちの趣味がないんでね。それより、J・ガイル、先にはっきりさせたいことがある」
J・ガイルはお楽しみを続けながら、続きを促した。
ダンの口調が気に入らなかったのか、上機嫌で絶えなかった笑いを彼はひっこめた。
黙々とナイフを振るうその背中は、まるで不器用な木彫り職人のようだった。ダンは雰囲気の変わったJ・ガイルを見て、少し怯んだ。
「……私を殺さないほうが、いい。いや、訂正しよう。
J・ガイル、君にとって私を殺さないほうが必ずや得になるだろう。だからこれはお願いになるのだろうな。
私を殺さないでくれ。そして、次に会ったとき、ワムウと話をさせてくれないか」
「何か考えがあるのか?」
ダンは黙りこんだ。トニオ達を裏切ッた事に関しては後悔していない。
ワムウが突然暴れ出し、J・ガイルを追い始めた時から、こうしようと決めていたことだ。
ツェペリとトニオ、J・ガイルとワムウ。どちらに与すれば得を得られるか、リスクはあるが後者であるとダンは判断したのだ。
なにより、洞窟の中でJ・ガイルと会った時点でもう引き返せない位置にいた。
ワムウという抑止力を失ったJ・ガイルは正真正銘の狂人だ。大人しく撤退を選ぼうにも、そうしていたら、間違いなくトニオもろともダンは殺されていただろう。
あの時J・ガイルが漏らした殺気。その鋭さに、ダンは震えた。
唇を一舐めし、もう一度口を開く。ダンは慎重に言葉を選んだ。
「
ウィル・A・ツェペリを、始末した」
「ハァ?!」
「私は『スタンド使い』だ。
もちろん、能力を明かすことはできないが、今確かに、私にはツェペリを始末した手ごたえがあった。
その内ワムウがここにやってくるだろう。その時、このことは黙っていてほしい。
そして私に話をさせてほしい」
「てめェ、今、自分が何をしたかわかっているのか……?」
J・ガイルの声には怒気が含まれていた。脅え、一歩後ずさりたくなるのを必死で堪え、ダンは虚勢を張る。
チンピラのようにガンを飛ばしてくるJ・ガイルを、彼は涼しい目で見下す。
内心は恐怖でいっぱいだった。ナイフの先からポタリと垂れた血に目が奪われた。
だがここで脅えていると思われたら、この先ダンはずっと舐められっぱなしだ。それだけは避けなければならない。
数センチまで近づいたむさくるしい男の顔に、ゆっくりと話しかけた。
物わかりの悪い馬鹿に、丁寧に説明する皮肉気な調子でダンは喋った。
「わかっていますとも。貴方は今、こう考えたのではないでしょうか。
なんだってウィル・A・ツェペリを処分したんだ。奴の能力を見てなかったのか、このスカタン!
波紋ってのが何だかよくはわからないが、どうも太陽のエネルギーのことらしい。
ならばこのツェペリって男、使えるぞ! うまく扱えば吸血鬼も敵じゃねェ! と」
「!」
「そう、私は知っています。絶対無敵の吸血鬼、その上、最強のスタンドを従える、ある人物を……」
「まさか、てめェ……!」
うまくJ・ガイルが釣れたことに、ダンは自信をつける。
今までずっとイイ気で、自分のことをなめ腐った態度でみていた男を欺いた優越感。
血の気のなかった頬に赤みがさした。僅かな興奮を感じ、ダンは話を続ける。
「フフフ……J・ガイルさん、私はね、ワムウを失いたくないのですよ。
だからツェペリを始末した。不安の芽は徹底的に摘むのが私の性質なんでね。
優秀な当て馬は万全な状態で手元に置いておきたい。ここまで言えばわかるのではないでしょうか?」
「一つだけ聞かせろ。てめのースタンドは……?」
ぐっと胸を張ると、男はこう答えた。
ゲームが始まって以来、初めて彼は自分のことを誇らしく、そしていつも通りの余裕のある態度で答えることができた。
「スティーリー・ダン、スタンドは『恋人』のカードの暗示……ッ!
ミスター・J・ガイルッ! ここはひとつ、協力しようではありませんかッ
ワムウを操り、そして最強のスタンド使いの、あのお方を倒すためにッ
ここは手を結ぼうではありませんか…………!」
◇ ◇ ◇
「ウィル――――ッ!」
ジャイロの絶叫とともに、鉄球が投じられた。
少年はかろうじてナイフでそれを受けきると、なんとか弾き飛ばすことに成功した。
よろめいた少年に、再び鉄球を叩きこもうと振りかぶるジャイロ。しかしそんな彼よりも素早く動くものがいた。
風が駆け抜けていった。少年の体は木の葉のように軽々と吹き飛ばされ、玄関脇へと叩きつけられる。
グェ、と蛙を踏みつぶしたような声を少年があげた。
その速さ、力強さ。柱の男が醸し出す強者の雰囲気は圧倒的だった。
少年の判断も素早かった。今壁に叩きつけられたとは思えないほど素早く起き上がる。
ドリー・タガーによりダメージは軽減されている。ビットリオは超スピードで迫りくる男を前にしても冷静だった。
そう、自分が敵わないということがわかっており、ここは逃走するしかないとわかっているほどに、彼は冷静だった。
「なッ―――!」
「く……、卑怯なまねを…………ッ!」
爆発、閃光、轟音、黒煙。
ビットリオは惜しげもなく支給品を使用した。使わなければ逃げられない、そう判断して、実際そうした。
結果的に彼の目的は果たされた。突然目の前全てが光に覆われ、平衡感覚が狂うほどの音の嵐、おまけに催涙ガスが辺りを立ち込めていた。
涙が止まらず、咳を繰り返すジャイロ。ワムウが風を巻き起こし、辺りがようやくおさまったころにはビットリオの姿はなかった。
代わりに、ホテルから遠ざかっていくような一台のバイク音が聞こえただけだった。
ワムウは苦々しげに扉から外を見つめた。太陽が昇りかけている。時間が時間でなければ、地の果てまで追ってやろうと思ったのに。
無念に満たされた思考は、ジャイロの叫び声で引き戻される。
ツェペリの脇で膝を落とし、ジャイロが意識を確かめている。いつも見せていた飄々とした余裕が、今ばかりは見られなかった。
それほどに、ツェペリの傷は深いようだった。血がまるで泉のように噴き出ていて、ジャイロの服が真っ赤に染まっていった。
「どうだ?」
「…………今見てる」
ワムウが問いかける。ジャイロは喋る暇すら惜しいと言わんばかりに鉄球を操り、デイパックから包帯や薬品を取りだした。
ツェペリが激しくせき込んだ。口元から血が噴き出し、そしてタラァ……と鼻筋から血が流れていく。
それを見て、ジャイロの顔色が変わった。
「……クソッ!」
「なんだ?」
ジャイロは無言で鉄球を地面に叩きつける。
床に現れたのはツェペリの頭蓋骨を横から切った断面図。医学に詳しくないワムウはジャイロの狙いがわからない。
ただ少なくとも、貫かれたはずの心臓よりも、脳のほうに何かしらの問題があることだけはわかった。
余裕があって話せる範囲でいい、そう前置きして柱の男が説明を求めた。
手を休めることなく治療を続け、ジャイロは歯の隙間から唸るように言った。
「心臓のほうは大丈夫だ。超ラッキー、スーパーついてるぜ、ウィルの野郎。
まるで狙ったように骨の隙間をすり抜けて、内臓にはほとんど傷がついてねェ。
それどころか、血管も無事だ。出血が多いように見えたが、俺の鉄球とこれだけの治療器具があれば対処できる範囲内だ」
「……ならば問題は」
「そうなんだ、心臓は問題ないはずなんだよ。だがな、ならなんでウィルに意識がない?
脳を覗いてみれば明らかに変な個所があるッ 異物だッ だけどいつ、何が侵入したってんだ?
脳ん中に何かを埋め込まれた? んなわけあるかよ。というより、そんなことは現代の医学じゃ不可能だッ
スタンド攻撃? このタイミングで? くそ、手術の出来る場所が欲しい……
だが、あまりに時間がなさすぎる……ッ!」
ジャイロは不甲斐ない自分を呪い、地面を叩いた。救える患者がいるのに、救う施設と時間がない。
ワムウのほうを振り返った彼の目は悔しさと悲壮感の色に染まっていた。自分の無力さに震える一人の男がそこにいた。
ワムウは何も言わなかった。ジャイロと同じように、ツェペリの傍らにひざまずくとそっと腕を伸ばした。
何か言いたげな表情を取ったジャイロだったが、目で黙らせる。
俺を信用しろ、悪いことはしない。柱の男はゆっくりと慎重に、ウィル・A・ツェペリの頭に手を伸ばす。
そして波紋を纏わない彼の頭に、自らの手を侵入させていった。
「……ッ!」
「指示しろ。流石の俺も全く傷つけないように人間の体内に侵入するには神経を裂く。
貴様が道を示せ、
ジャイロ・ツェペリ。異物はどこにある? どれぐらいの大きさだ?」
戦いの中で常に涼しい顔でいたワムウの額に、大粒の汗が浮かび上がる。
ジャイロはもう一度鉄球を投じ、ツェペリの脳電図を示す。
即席の執刀医と介助師。患者を救うために、二人は必死で生を繋ぎとめていく。
遠くどこかでもう一度バイクの音がした。だがそんなことに構っていられるほど、二人には余裕がなかった。
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最終更新:2012年07月20日 01:46