『必敗を運命(サダメ)られた存在』

『紅い闇の中で』⇐第2部から

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「……ジョジョ」


レミリアはもう一度、そんな誇り高き友の名を呟いた。
今度は、確かめるように。
離れていても在るその絆を、確かめるように。
つい先ほどジョナサンに接吻を受けた左手の甲に口付けると、魔力を急速にチャージする。


「ジョジョ!」


そして――


「フィットフル! ナイトメアアアアァァァァァ!!」


次の瞬間、レミリアの全身が白い閃光を放った。
目を射るような鋭い光は、月がそのまま地上に降りてきてその光を何百倍にも増幅したかのように激しい。
その光の激しさたるや、レミリアに覆いかぶさった原始人の肉体さえも透過する。


「GUUAAAAAH!!」


レミリアに覆いかぶさり、いままさに彼女を圧殺しようとしていた原始人をゼロ距離から射抜いた閃光の正体は、
発作的に振りかかる、弾幕の悪夢。
『フィットフルナイトメア』。
レミリアは全方位に向けてナイフ状の光弾を無数に乱射。
吸血鬼の魔力を全開にした、圧倒的な密度と速度の力押し。
回避不可能の攻撃を放ってはいけない、というスペルカードバトルのルールにそぐわない、
掟破りの暴力的弾幕が放たれた。

一つ一つの弾が産むのはカミソリで切ったような小さな傷だ。原始人にとってはダメージにならない。
だが、これだけの数を一度に受けては、話は別。全身がコナゴナに細断される。
最悪、再生不可能なサイズまで細切れにされるかもしれない。

故に、原始人がレミリアの上から飛び退き、距離を取ったのは妥当な判断だった。
――だが、すんでの処でレミリアを原始人が捕食しきろうとしていたのもまた事実であった。
ここはレミリアの気迫が勝った。
レミリアは飛び起きて体勢を整えた。
喰われたのは、翼だけ。左手と両脚は無事。


「ジョジョ……また貴方に助けられてしまった、みたいね」


窮地のレミリアの脳裏をよぎったのは、つい先程のジョジョの勇姿。
黒い地獄の人工太陽の引力に二人揃って捕らわれた、絶体絶命の状況でジョジョの取った行動。
こんな時、ジョジョなら逃げずに、逆に考える。
敵に喰われる絶体絶命のピンチは、ゼロ距離からこちらの攻撃を叩き込む最大のチャンス。

何よりこんな、誇りという言葉も知らない、捕って食うだけが能の獣も同然の奴に負ける訳にはいかない。
彼と対等な立場の友となる以上、この程度のピンチで倒れるわけにはいかない。
――誇り高きジョジョに、誇られる友でいたい。

レミリアを忌々しげににらみつける原始人。
原始人の向こうから聞こえるのは、石壁が砕ける響き。ブチャラティは――ディアボロと交戦中だ。
レミリアが原始人に向かって改めて宣言する。


「私の名はレミリア・スカーレット
 亡き友、虹村億泰の仇である貴様の命をもらい受けにきた」

「オクヤス、仇……かたき討ちだと?
 どうして人間でもない貴様が、人間などの仇を?」


原始人が首を傾げる。
彼には仇を討つ意味が理解できない。ましてや、被食者である人間の仇など。


「なるほど、まあ理解できないのも無理はない、か。
 たしかに億泰は私と違い、100年そこらで寿命を迎える儚い人間よ。
 おまけにこの場に呼び出されて出逢ったばかりの人間。
 だけど、あいつは傷を負った少女を、さとりを守るため走り回っていた。
 この殺し合いを止めるため、私たちと志を同じくしていた。
 だから、彼は私の友なのよ」


と、そこで原始人は指をレミリアに向け、鉄球を射出した。
予測済みとばかりにレミリアはそれを躱し、左手に赤い槍を生成。


「まあ、貴様に理解しろというのも、酷な話だったわね。
 良いだろう。体で理解させてやるわ。スカーレットデビルに楯突いた者が、どうなるかを」


レミリアは槍を手に、一瞬にして原始人へと切り込んだ。
瞬く間に迫るレミリアの槍の切っ先を、原始人は左手に生成していた刃で受け止める。
右腕の中に納めていた緋想の剣を、居合いのように抜き放ったのだ。

緋想の剣は対象の気質を読みとり、弱点となる気質を放出して切り裂く剣。
レミリアの魔力槍もその例外ではないのは、先ほどの交戦でも明らかだ。
緋想の剣の炎のような刀身が、徐々に槍の穂先にめり込んでゆく。
レミリアと原始人の体格差、種族としての筋力の差もあり、徐々に押されてゆくレミリア。


「オレは、オレは偉大な種族だ……貴様など!」


ニヤリと、原始人が薄く笑った。
先ほど地中に逃げてゆく直前もそのように口にしていたか。
この未知の種族である全裸の原始人は、自分が偉大な種族であることを誇るために戦っているのだろう。


「……その誇りを、私は否定しない」


ジリジリと後ずさりながら、レミリアが原始人に話しかける。


「私だって、吸血鬼の、夜を統べる種族であることの誇りは人一倍に持っている」


鬼も、天狗も、吸血鬼も、みな自分が偉大な種族である誇りを抱いて生きている。
短命で力の弱い人間だってそうだ。
知性ある生物なら、自分の種族に誇りを持つのは、極めて自然で当然のことなのだ。


「だけど、私が抱く誇りはそれだけじゃない!
 志なかばで貴様に喰われた、億泰の誇りを守るため!
 こんなくだらない殺し合いで死んでいった、咲夜と美鈴の誇りを守るため!
 そしてッ! ジョナサンの友である、私の誇りを守るため!」


原始人の表情に焦りが浮かぶ。
押されていたはずのレミリアを、これ以上押しこむことができなくなっていたのだ。
緋想の剣がめり込んだ槍は、切っ先から進める事ができない。

この時レミリアは『ドラキュラクレイドル』の要領で背中から魔力を噴射。
緋想の剣で破壊されてゆく槍も、絶えず魔力を供給し続けることでカバーし、
この圧倒的に不利な力比べを無理矢理五分に持ち込んでいたのだ。


「こんなトコで貴様に負けられる訳がない!!
 貴様とは、背負っている誇りの重さが、絶対的に違うのよッッッ!!」


ついにレミリアがジリジリと原始人を押し戻し始めた。
その速度は次第に早まってゆき、一歩一歩と地霊殿の床のタイルを踏み割りながらレミリアは進む。
最後には原始人の両足で床に二本の平行線を残しながら、石壁まで押し込んでいった。


「誇り、誇り、オレは……! UGUOHHHHHHHH!!」


ズシン、と低い音が周囲に響き、原始人は壁にたたきつけられた。
衝撃を受けた壁が3メートルほどバラバラと崩れ、ぐったりする原始人を覆った。
もうもうと埃が舞い、紅い霧で悪化していた視界はさらに劣悪なものとなる。
レミリアは原始人から一旦飛び退き、その様子を伺った。
レミリアは、あの原始人がこの程度でくたばるとは思っていない。

――だが、私が奴に負ける気は全く、無い。
否、負ける気がしない。
奴は手強い。先ほどの力比べは、普段の私なら完全に押し負けていただろう。
早々にあんな力比べは切り上げ、別の手段で対抗していただろう。
だが、今の私は普段とは違う。
幻想郷を巻き込んだ一大異変を解決するために戦っている。
既に失った紅魔館の友のために、そして残った友を守るために戦っている。
億泰に、ブチャラティ。全くの見ず知らずだったが、この殺し合いを打ち破るための同志がいる。
そして、ジョナサン。
私が彼と肩を並べる友であるという、その事実、ただそれだけで、とても誇らしい気持ちになる。
魔力が、精神のエネルギーが漲ってくる――ような、気がする。
吸血鬼とは、妖怪とは、肉体より精神の有り様に左右される生き物。
自分一人だけでない、大切に思う誰かの為に戦う時、普段以上の力を発揮することができるのだ。

かの永夜異変の時と同じだ。
異変の張本人は、レミリアの、いや、多くの妖怪の力の根源たる、月から来たる者。
強大な相手だった。
スペルカードルールに則った試合であっても、かのスキマ妖怪や白玉楼の主さえ手を焼く程に。
かくいうレミリアも一人での解決は不可能だったかも知れない。
だが、あの時レミリアの傍らには咲夜がいた。
彼女のお陰で、永夜異変を解決する事ができた。
それは単に戦力の数が1から2になったというだけでなく、
傍で戦う咲夜のために、レミリアが普段以上の力を発揮できたからでもあるのだ。
実際その異変では、レミリアの魔力が尽きかけた状態でも、咲夜が危機に陥った際は
思わず最大の威力のスペルカードで割って入っていた。

――だから、今の私があんな原始人に負けることはありえない。

「……さあ、立て。原始人。動かなくなるまで叩き潰してやるわ」



     ―     ―

土煙の向こうから、小娘の挑発する声が聞こえてくる。


「……さあ、立て。原始人。動かなくなるまで叩き潰してやるわ」


あの小娘は、強い。
否、『強くなって』いる。
あの小娘は、オレとは戦う覚悟の格が違うと言っていた。
自分一人だけでない、背負っている誇りの重さが違うと言っていた。

あの小娘は、精神の力をエネルギーに変えている。
その精神の力の源は――しきりに小娘が口に出していた――人間との、他者との繋がりだ。
そんなこと、あり得るはずがない。
下等な生物同士がお互いに感情移入することで力を増すなどと。
だからあの小娘だけは無残に殺し、否定してみせなければならない。
他者との繋がりなど、種族の力の差の前には取るに足らないものだと、

――それなのに、オレはあの小娘を倒せないでいる。
負けるハズの無かった正面からの力比べでさえ、オレは奴に負けたのだ。
かくなる上は、認めざるを得ない。
他者との繋がりが力になりうる事を、理解できなくとも、オレは認める必要がある。
目に見えない、正体不明の恐るべきモノ。
だが、確かにそれは、現在このオレの目の前に厳然と立ちはだかっているのだ。

――だが、それでも。
それでもオレは、この恐るべき力に挑み、勝利せねばならない。
オレにとって他者との繋がりは、もう望むべくもないモノ。
残りわずかとなった同族に見放され、その他の下等な命は全て単なる食料でしかない。
このオレが他者との繋がりを築くことはもはや不可能なのだ。
もし他者との繋がりが種族の壁を超える程の力を生むというのなら、
それを持つことの叶わないオレは、最終的にどこかで敗北するしかない。

なまじこのオレが偉大な種族であるがために、なおタチが悪い。
いかに敵が強大で、いかに我々がか弱くとも、他者との繋がりの力があれば最終的には勝利する、と。
短命で脆弱で、数だけは多い下等種族好みの美談だ。
オレはその美談のための舞台装置としての化け物に成り下がってしまうのだ。

オレがこの小娘に負けられない理由が一つ増えた。
オレが偉大な種族である、という誇りを守るためだけではない。
孤独に生まれついた、オレという存在の尊厳を守るためにも、あの小娘に勝利せねばならないのだ。
仰向けに倒れていたサンタナは、瓦礫をはねのけるように立ち上がった。
そして小娘に背を向けると、腰に手を当て握り拳を作った。
背中を広く覆う筋肉の広がりを強調する、バック・ラットスプレッドのポーズ。


「NUUUUUUHHH!」


サンタナが力を込めると後背筋がモリモリと盛り上がった後に、鈍く光り輝いた。
『柱』の筋力で、小娘めがけて鋼の散弾が再度発射される。

「来たわね、もう一度私に倒されるために」

小娘は小さく鋭い跳躍でその散弾を回避。
翼を喰われても、そのスピードは死んでいない。
そのまま着地すると血を這うような低い姿勢で駆け、サンタナに向かって突進してくる。

小娘の攻撃を迎え撃つ形となったサンタナは、
背を向けた体勢のまま身体を大きくひねり、左腕を大きく振りかぶった。
そして両脚はそっぽをむいたまま、上体だけを180度ひねって小娘の方に向き直りつつ、
渾身の左ストレートを放った。


「フンッ!!」


――が小娘にはまだ遠い。
届かない――かに思われたが、しかしサンタナの腕が突如伸びる。そして小娘の眼前に迫る。
否、伸びたのではない。サンタナは左腕の肘から先を切り離し、小娘に向かって飛ばしていたのだ。


「……見え見えなのよ、その手は。手だけに」


小娘は首を左に曲げ、サンタナの拳を難なくかわす。
サンタナが肉体の一部を切り離すことができるのは、先ほどの戦闘で確認ずみ。
遠すぎる間合いから、大げさなモーションで放ったパンチ――予測していれば、
直線的な軌道をかわすのはたやすい。
そのはずだった。
小娘の右頬を通りすぎようとしたサンタナの左腕が、突如軌道を変更。ストンと下に落ち、小娘の右肩を掴む。


「なっ……!」


不意に右肩を強烈な握力で掴まれ、小娘は驚愕を隠せない。
単純なからくりだ。
サンタナは左腕を切り離す際、切断面を支給品の『鎖』でつないでいた。
ちょうど、船の錨の様に。
鎖で繋ぐことで、飛ばした腕の軌道をある程度コントロール可能。
もし攻撃を外しても簡単に腕を回収可能。

サンタナは、先ほど交戦した『青い守護霊の人間』から学習していたのだ。
腕をジッパーでほどき、リーチを伸ばす技をサンタナなりに模倣していたのだ。
(名付ける者がいるならば、)名付けて――錨の鉄拳【アンカー・パンチ】。


「フンッ!!」

「チッ……!」


サンタナは右腕で『緋想の剣』の切っ先を小娘に突き出しつつ、小娘を左腕の鎖で引きこもうとする。
サンタナにぶつかっていこうとしていた小娘は急ブレーキを掛けて、サンタナから間合いを取ろうとする。
自然と、綱引きの形となる二人。
サンタナと小娘、二人の足元の床板がひび割れる。
先ほどと同様の純粋な力比べが再開されるかに思われた。


「NUUUUUUUUH!!」


だが、そこでサンタナは――二人の間でギリギリと張り詰めた鎖を、思い切り蹴り上げた。
左足を垂直に振り上げ、股関節の骨格を外しながら。
小娘の身体が軽々と宙に浮く。
いかに小娘が闇の一族に迫るパワーを持っていようとも、体重の軽さだけは如何ともできない。
奴がどれだけ頑張って地面に踏ん張ろうとしても、
上に向かう力で釣り上げられたら簡単に宙に浮いてしまうのだ。
そして、宙に浮いてしまえば――!


「GRRRRRAAAAAAAAHHHHH!!」

「がっ………!」


サンタナは鎖で繋がれ、宙を舞う小娘を、石壁に思い切り叩きつけた。
衝撃が低く響き、天井から塵がこぼれる。
先ほどの様に紅いオーラを放出させる暇は与えない。
ヒビの入った石壁にこすりつけるようにして小娘を床に頭からたたき落とす。
床に落ちた反動を利用して小娘の身体をふたたび高々と振り上げ、真後ろに振り回し、ぶつける。
その反動で再び前に。そして後ろに。前。後ろ。
鎖が床を討つ音と、石の床板が叩き割られるくぐもった音が繰り返される。
トドメとばかりにサンタナは体を反らし、全身の力を込めて鎖を大上段から正面に振り下ろしに掛かる。


「DAAAAAAAAHHHHHHHH!!!」


――が、失敗。ただの鎖が床を叩くに留まる。鎖の先には何も繋がっていない。
小娘を縛っていたはずの鎖が切れている。否、切られたのだ。
小娘がスッポ抜けている、飛んでいってライナー軌道で床にぶつかった。
小娘はそのまま5メートルほど床を滑るも、すぐに左腕と膝を付きながら立ち上がろうとする。
紅い霧の向こうからでも判る輝き。その紅い目から光は失せていない。
仮にも我らが一族と渡り合う力を持つ種族、この程度のダメージで倒れないのはサンタナの予想の内。

――予想の内だからこそ、次の手を既に打っていた。


「うっ……コイツ、手が……私の右腕から……!」


錨の鉄拳【アンカー・パンチ】で小娘を捕まえた瞬間に、決着は付いていたのだ。
サンタナは、闇の種族は他の生物の体内に侵入できる。
そして、身体を切断されても遠隔操作できる。
サンタナが切り離した左腕が、すでに小娘の右腕の傷口から体内に侵入を開始していた。
このまま体内からゆっくり消化吸収――などという生易しい手段は用いない。
小娘の体内を同化しつつ、一直線に頭部に到達し、即座に内側から脳ミソを握りつぶして――。


「OOOHHHHGOHHHAAAHH!!」

「ああ、あああぐああああAAAHHH!!」


と、サンタナが小娘の右腕に侵入しきった瞬間、二人の悲鳴のデュエットがハーモニーを奏でた。
火だ。サンタナは左腕から火で焼かれる熱を感じていた。
ものの数秒でその熱は骨まで達し――左腕のコントロールは完全に失われる。
焼けるような感覚の残滓だけが、すでに死んだはずの左腕に残った。


「ぐっ……小娘、貴様!」

「……人間の億泰だってやったのよ。私だって……これくらい」


小娘はもう立ち上がっている。自らの身を焼く苦痛に耐えながら。
奴の仲間である人間の名が聞こえた。あの低能ヅラのスタンド使いと同じ手段だ。
俺に体内を喰い破られる前に自分の身体ごと炎で破壊し、即死を免れたのだ。

――奴も、コイツも、――そしてあのシュトロハイムとかいう男も、
どうしてこんな判断を一瞬のうちに下すことができる?
闇の一族の侵食は対象に痛みを与えない。
身体が痛みも無く奪われてゆくことに、恐怖を感じないのか?
そして短命な原始人が、偉大な種族の贄となる喜びを、なぜこいつらは敢えて拒む?

だが、今が好機なのに変わりはない。
自分の体ごと侵入した腕を焼く判断力には正直驚いたが、
その分大きなダメージを負っていることに変わりはない。
左腕を焼かれる痛みをこらえ、一旦は膝を付きかけたサンタナも立ち上がった。
そして紅い霧の先、炎の熱源に向かって突進する。


「NUUUUH……」


が、その足は小娘の手前3メートル、小娘をその目で視認できる位置で止まる。


「き、貴様は……! その喰っているモノは何だ!?」


小娘が何かを口に運び、咀嚼している。


「何よ、驚いた顔して……もしかして自分が喰われる立場になったのは初めてかしら、原始人?」


小娘は、こんがり焼けたサンタナの左腕にかぶりついていた。
思わず立ちすくんだサンタナに、小娘が問いかけてくる。


「バラバラにしても生きている体も、ちゃんと火を通せば食べられるみたいね……
 ねえ原始人、お前は今までに何人の人間と吸血鬼を喰ってきた?」

「お、おお……」


サンタナの親指だったものを食いちぎりながら、レミリアが続ける。


「まあ、覚えて無いでしょうね。……私だって覚えてない。
 それよりお前のこの腕の味を教えてあげましょうか。
 お前に同族がいるかは知らないけど、同族食いをしたことは無いでしょうから教えてあげるわ。
 ……究極にして至高、といったところよ。噛めば噛む程、濃厚な肉汁が染み出てくる。
 お前が喰ってきたであろう、無数の生命が濃縮されているのね。
 それでいて、肉の食感はクラゲや、ナタデココのようにコリコリと弾力性があるのよ。
 そんな筋肉質な身体しているから、もっと筋っぽいと思ったけど。意外だったわ」

「ぐ、うおおおOOOO、AHHHHH!!」


気がつけば、サンタナは飛び出していた。
サンタナの左腕を口に運びながら無邪気に話す小娘に向かって。
サンタナを、今までに感じたことのない衝動が突き動かしていた。
闇の一族が本来感じるはずのない感情が、サンタナを突き動かしていた。


「SHIIIYAAAAHHHH!」


サンタナは右腕から『緋想の剣』を取り出し、
その柄から噴き出る紅い刀身で小娘に横薙ぎに斬りかかる。
小娘はその動きを読んでいた、とでもいう風にサンタナに向かって踏み込み、
左腕でサンタナの右腕を押さえ、斬撃を防ぐ。


そして。
サンタナは見た。失われた小娘の右腕が一瞬にして復元した瞬間を。
右腕の切断面に覗く肉がボコボコとピンクの泡を立てて瞬時に小娘の右腕を形作り、
白い皮膚に覆われてゆく、一瞬の過程を。


「次は背中の翼も『返して』もらおうかしら」


小娘の右腕に瞬時に出現した紅い槍の切っ先が、唖然とするサンタナの胴を横一文字に両断した。


「流石、幾人もの人を喰らってきただけあって、お前の肉は栄養満点のようね……。
 私の背中の翼だけではお釣りがきそうだわ。あの大怪我してたさとり妖怪にも分けてあげようかしら。
 ジョジョ……は流石に嫌がるかしらね。……一応、姿形は人間モドキだし」

「GUUUOOHHHHH!!」


恐怖!
恐怖がサンタナを突き動かす。
もしこの小娘に敗けて命を落とせば、オレはただの肉に成り下がる。
かの下等な生物と、完全に立場が逆転してしまうのだ。
『孤独』であるサンタナが、下等な生物に敗北するだけでない。奴らの糧となってしまうのだ。

絶望と恐怖に心を折りかけたサンタナは残った意地を振り絞る。
失われた両脚の代わりに肋骨を展開し、上半身だけで地面に立つ。
そして蜘蛛の走行を想起させる動きで肋骨を駆動させ、レミリアの背面に回り込もうとする。
同時に切り離された両脚だけで地面を走り、レミリアの正面から仕掛ける。
人の姿を捨てたサンタナは、もはや形振りを構わない。


「OGIIEAAAAAA!!」

「……紅符『不夜城レッド』」


背後から覆い被さるように襲いかかるサンタナを、小娘は振り向きもせず迎え撃つ。
両手を広げ、全身に紅い光を纏いつつ勢い良く跳躍。
頭突きでサンタナの上半身を持ち上げながら飛び上がり、そのまま天井に挟みこんで、
全身から放つ十字架を象った紅いオーラで串刺しにした。


「お、オレは……オレはッ……」


みぞおちから背中へ通る穴。さらにその穴からまっすぐ横一文字に通った火傷。
不夜城レッドのエネルギーで身を焼かれ、サンタナの負ったダメージは、人間であれば即死は免れない。
だが、『偉大な生物』である彼にはこの程度のダメージ、致命傷になり得ない。
『偉大な生物』は、手足や胴体をバラバラにされても死なない。脳を破壊しない限り、不死身なのだ。

オレは『偉大な生物』だ。だから、この程度では死なない。

――その、オレは、の次の言葉を口に出すことができない。
オレはこの小娘には勝てない。
他者との繋がりという、オレの手に入れようのない正体不明の力を、あの小娘は持っている。
そして、オレはそれに勝つことができない。
他者との繋がりという力は、種族の力の壁を突破するほどに強い。
『偉大な生物』に生まれたはずのオレの敗北で、それは見事証明された。
――だから、オレは『偉大』でもなんでもないのだ。

「オレは――」

敗北を定められた、狩られて肉となるだけの、ただの『餌』だ。

サンタナはどこまでも落ちてゆく。
見下ろす小娘の表情に、サンタナは奇妙な既視感を覚えた。



     ◯     ◯


「お、オレは……オレはッ……」


原始人の上半身が、床のステンドグラスを突き破って落ちてゆく。
落ちた先は、レミリアの記憶が正しければ、地霊殿のさらに地下に広がる旧地獄跡地だったはず。
旧地獄は相当に広く、それゆえに頭から落ちれば、あの原始人もただではすまないだろう。
――だがもし、生き残ったとしても、奴はもう私たちの敵ではない。
奴の心は、もう折れた。


「オレは――」


落下する原始人と目が合った。
奴の種族は判らないが、恐らくは現代になっても外界で生き残ってきた妖怪の一種なのだろう。
圧倒的な力で人間を喰らう恐怖の伝承として伝えられ、
そして最後には恐怖を乗り越えた人間の意志によって退治されることが運命づけられた、ただそれだけの存在。
妖怪として最もプリミティブ(原始的)な在り方。
幻想郷で暮らすレミリア達と比較すると、妖怪と獣の境界に立つ奴の在り方はよほど妖怪らしい。

――いや、レミリアをはじめとして、幻想郷の妖怪たちが人間に近づきすぎている、と言って良い。
レミリアがそうであるように、まるで人間のように、仲間の死を悲しみ、仇討ちの戦いに出向いて、
そして友との絆を力に変える――まるで、数ある英雄譚に語られる人間たちのように。

しかし、それでも構わないと、レミリアは思う。
妖怪とその在り方を規定する伝承は、時代によって移ろいゆくもの。
まして吸血鬼などというトップクラスにメジャーな妖怪は、幻想郷でも、外界でも、
古今東西無数の伝承で語られている。
人の生き血をすする、暴君と病魔の象徴とされていた吸血鬼は、
日光をものともしないデイウォーカー、果ては吸血の必要さえない者、
さらには人間と共に悪と戦うヒーロー、人間に恋し結ばれるヒロイン――と、
際限なくそのイメージが広がり続けているのだ。
だからきっとレミリアが今後どんな行動を取っても、それが『吸血鬼』としての、
妖怪としての在り方から外れることにはならない。

だからレミリアは、これからも自分自身の心に従って動くのだろう。結局はそれだけの事。
自分自身の感情の前には、妖怪だ、人間だという種族の差はほんの些細な事でしかないのだ。
これは、幻想郷という妖怪にとっての理想郷でレミリアが生きていく中で気づいた事だ。
幻想の失われてゆく外界で、食料と恐怖を得て、
存在を維持するために躍起になっていた頃には知り得なかった境地だ。

――故に、妖怪としての在り方に従うことしか知らずに億泰を手に掛け、
そして妖怪としての在り方に従って友の仇として倒されてゆくことしかできなかったあの原始人は、
幻想郷に辿り着くことが出来なかった自分の『もし』を見ているようで、
少しだけ、哀れに思えた。

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最終更新:2015年11月12日 02:30