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『紅い闇の中で』
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いつの間にか、辺りを紅い霧が満たし始めている。
異変を察知した
サンタナはドッピオの追撃を取りやめ、
霧の発生源と思しき地霊殿を貫く広い通路へと足を向けた。
「そこにいるのは分かっているぞ、半裸の原始人!!
我が名は
レミリア・スカーレット!! 我が友、
虹村億泰の仇よ!!
貴様の命!! 貰い受けに来た!!
紅魔(スカーレット・デビル)の誇りを傷つけた罪、その血で贖ってもらう!!」
広い通路の向こう、地霊殿の正面入口側から怒鳴り声が聞こえた。
間違いない、コウモリの翼を生やしたあの小娘の声だ。
わざわざ名乗りを上げ、こちらの位置を知らせている。
罠なのだろうが、構わない。
サンタナを通路を駆け、声の源へと進む。
紅い霧のせいで視界は極端に悪いが、闇の一族の持つ鋭敏な皮膚の感覚で、
周囲の様子は目で視るのと同様に判る。
数十メートルの距離まで近づきさえすれば、あの小娘も同じだ。
この霧で視界を奪ったと思い込み安心しきっている所を、喰ってやる。
「……ふん。やっぱり来たわね。声に誘われて」
小娘がこちらの接近を察知したようだ。
当然といえば当然だが、向こうもこの紅い霧の中で周囲の状況を『視る』ことができるようだ。
全く動じることなくコウモリ女との距離を詰めようとするサンタナの足は、しかし一瞬止まることとなる。
正面、小娘の方向から多数の熱源が接近。大きさは拳大。生物の体温ではない。火の玉だ。
このコウモリ女も、あのツノの小娘と同じように、火を操る術を持っている。
回避は――不可能。数が多すぎる。
サンタナは小さく舌打ちをして『緋想の剣』を取り出した。
そして、柄から吹き出る緋色の炎のような刀身を振るい、
飛来する火炎弾を切り払いに掛かるが――間に合わない。やはり数が多い。
右すねと左肩から焼ける痛みを感じた。まずい、とサンタナは直感する。
肉体をバラバラにされても再生可能な闇の一族にとって、
刃物などによる『切断』や『刺突』は、脳などの中枢に届かない限り、殆どダメージにならない。
『打撃』は『切断』や『刺突』に比べると、細胞そのものを潰される数が多い分だけダメージがある。
だが『打撃』も、来るのが分かっているならば、身体を柔らかくしてダメージを軽減できる。
しかし『熱』は、細胞そのものを熱で破壊する分、単なる物理的な攻撃よりダメージが大きい。
要は『闇の一族』にとって『火』は天敵である、ということだ。他のほとんどの生物と同様に。
かの
エシディシはそれをある程度まで克服し、
木や紙が燃え出す程度の温度までなら自力で生み出すことさえ可能とした。
エシディシなら、この程度の火炎弾はダメージにならないのかも知れない。
――が、サンタナは『炎の流法』を使える訳ではない。
一発一発のダメージは小さいが、このままあの火の玉を受け続ける訳にはいかない。
何とか直接触れずに、あの火炎弾を撃ち落とす必要がある。
サンタナは幾つか被弾しつつも右腕で緋想の剣を振り回しながら、左肩の関節を外して背中に腕を回した。
そして背中に現れた小さな裂け目から左手で体内に仕込んだ紙を取り出し、
紙の中のプラスチック箱を一つ取り出した。
プラスチック箱は銀色に輝く小さな玉で満たされている。俗にパチンコ玉と呼ばれる鋼球である。
サンタナはケースをひっくり返し、頭から掛け湯をするようにザラザラとパチンコ玉を浴びた。
サンタナの体表に触れたパチンコ玉はそのまま皮膚の中にめりこんでいき、彼の体内に取り込まれてゆく。
サンタナは空になったケースを投げ捨てると、左肩の関節を直し、左手の5本の指を正面に向けた。
そして緋想の剣で落とし切れない分の火炎弾に向かい、指先から筋肉の圧力でパチンコ玉を射出。
ドンッ、ドンッ、ドンッ、ドンッ、ドンッと拳銃のような破裂音が響く。
発射されたパチンコ玉が火炎弾にぶつかり、衝撃で火炎弾を相殺していった。
思えばこのような戦法を取るのは、つい先程、ナチスとかいう人間の兵隊の基地で目覚めて以来か。
およそ2000年の眠りに付くまでは、このように均一に整形された金属は希少だった。
そもそもこんな飛び道具で狩りなど行わずとも、人間どもの方から勝手に捧げ物をくれていた。
右手の『緋想の剣』と左手からの弾丸で飛来する火炎弾をいなしつつ、
サンタナはジリジリと前進を再開する。
「なるほど。私の弾幕に対応し始めている……原始人も少しは進歩する、ということね」
霧の向こうにから、また小娘の声がする。さっきより近い。
サンタナが前進した分に加えて、小娘の方からもゆっくり近づいてきているようだ。
原始人というフレーズがサンタナの癪に触ったが、こらえた。
「なら、これはどうかしら? 冥符……『紅色の冥界』」
小娘が何かの技らしき名を宣言すると、エネルギーの高まりを感じる低い音が少し続いた後、
風船の弾けるような音が響いた。
最初に遭った角娘といい、ここで遭う未知の種族どもは何故か技に名を付けたがる。
まるで
ワムウやエシディシが流法による技を繰り出す時のように。
自分の会得した『異能』を、自慢気にひけらかすのだ。
これから自分がどんな行動を取るか宣言するなど、全くもって非合理な行為だ。
理解に苦しむサンタナに、さっそく小娘の放つ『紅色の冥界』とやらが迫ってきた。
先ほどの火炎弾とは比べ物にならない数の、光の弾丸をサンタナが感じ取る。
その名の通りの、弾幕【カーテン・ファイア】。
迫るのは、速いものと遅いもの。二層構造の弾幕。いずれも発射源は小娘。
まっすぐ放射状に放たれる直線的な弾丸が第一層。これは――落とすまでもない。
軌道からずれるだけで簡単にかわせる。
第二層――交差だ。さながら洋バサミの隊列がその刃を鳴らしながら迫ってくるように、
交差する軌道を描いている。
何度もこちらを挟み込むように交差を繰り返しながら、ゆっくりと迫ってくる。
未知の軌道の攻撃の前に面くらい、サンタナの思考は一瞬フリーズする。
すぐ我に帰り、ジリジリと後ずさりながらサンタナは左手からパチンコ玉を連射。
だが、この数は――とても落としきれない。
などと戸惑っている間に、小娘は第二波を放つ。
交差弾に気を取られていたサンタナを、第二波の第一層、直線弾の一つが捉えた。
右腕上腕に走る、焼けるような痛み。やはり何発ももらう訳にはいかない。
右腕の剣と、左腕の弾丸では足りない。もっと手数が要る。
サンタナはそう悟ると、右手の剣を収めた。
そして前かがみの姿勢を取ると、両手で握り拳を作り、へその高さでぶつけるポーズを取った。
「ヌウッ……! NUUUUGUOOOOOHHHHHHHH!!」
そして、力の限りに力んだ。
首の付根の僧帽筋、腕と肩の筋肉、大胸筋、腹筋。
その全てを正面に向けて強調するサンタナの取ったポーズは、
ボディビルのポージングの一つ、モスト・マスキュラー。
金剛力士像もかくやというサンタナの隆々とした筋肉がはちきれんばかりにパンプアップし、
さながらひとり人間山脈の様相を呈する。
幾らかの負傷にもかかわらず、その肉体美は今にも光を放たんとしているようだった。
――否、本当に、光り輝いている。
サンタナの筋肉が、クロムメッキの金属光沢を放ち始めている。
サンタナの筋肉から汗のようににじみ出るクロムの輝きは、
やがて上半身正面の皮膚にくまなく満ち溢れ――次の瞬間、爆ぜた。
前方に向かい、サンタナの筋肉から生まれた輝きが爆裂し、無数の銀色の線、いや、散弾となって射出される。
コウモリ娘の放った紅い光弾をまとめて吹き飛ばすほどの速度と物量。
地霊殿の床、壁、天井にも、その輝きは突き刺さる。
無数の硬質な衝突音が通路内を反響し、ほんの数秒だけ夕立がこの場を襲ったかと感じられるほどだった。
雨音のコーラスはすぐに収まり、一瞬の静寂が訪れる。
パチンコ玉を筋肉の収縮力で全身から射出し、小娘の攻撃を凌いだサンタナ。
相変わらず紅く染まった視界の中で、サンタナの頭上を通過しようとする熱源を感じ取った。
上空にかわされたか。
首を上げると、小娘が感心気な調子で話しかけてきた。
「面白い弾幕、いや、『男幕』を使うのね。
……だけど、今は『弾幕ごっこ』に興じている暇はないのよね」
緋想の剣を取り出し、接近戦に対応したサンタナだったが、すぐ新たな熱源に気づく。
「チッ……騒がしいと思ったら、やっぱり仲間が居やがったか」
その熱源は壁の中から現れた――その手には壁を抜ける道具。
そして、先程も聞いた声。紅い守護霊を操る人間だ。
そして――
「『地面』を走れ! ジッパーーーーーーーッ!!」
紅い守護霊使いを追って壁の中から現れたのは、地上でも戦った青い守護霊使いの声。
奴からは何故か『体温』を感じない。
だが、その声は確かに聞こえる。
奴の守護霊が出現させるジッパーの床を走る音が、振動がサンタナに迫ってくる。
「NUUU!」
奴のジッパーを受ければ、足を『切断』されることは免れない。
サンタナにとってそれは致命的なダメージとはなり得ないが、
短時間でも片足を失うことによる隙をみすみす作る訳にはいかない。
とっさに跳躍し、ジッパーを回避。
紅い守護霊使いの少年も同様にジャンプして回避したようだ。
――そして、それこそがサンタナ達にとっての悪手だった。
「今だ、レミリア!!」
「行きなさい、『チェーンギャング』!」
コウモリの小娘がサンタナ達の傍を横切るように飛行しながら左手をかざすと、突如淡く輝く鎖が出現した。
鎖はまっすぐにサンタナに伸び、尖った錘がサンタナに突き刺さる。
サンタナがそれを引き抜こうとすると、背後に回りこんでいた小娘が別の鎖を投げつけてきた。
回避――不可能。翼も無いのに、どうやって空中で方向転換を行うのか。
あるいは、ワムウのように『風』を操ることができれば、それも可能なのかも知れないが。
骨格を変形させて回避するも、すぐに次の鎖が飛んできて、胴体に鎖が巻き付いた。
次々に鎖が飛来する。
小娘はサンタナと少年の周囲を旋回しながら、鎖をいくつも飛ばしてきている。
鎖の一本一本は決して破壊できない強度ではない。
だが奴の鎖の生成ペースはその上をゆく。
カーズの、『光』の刃なら、この程度まとめて切り裂くことができるのだろうが。
サンタナは身体は為す術なく空中で拘束され、そのまま引っ張られた。
引っ張られた先には――
「チッ……テメエ! 俺に触ってんじゃねえ!!」
あの守護霊使いの少年が。背中合わせに空中で縛り付けられる二人に、
「俺達の動き、『予想』してみるか……?
おっと、
ディアボロ、あんたは殆ど視界が利かないんだったな……」
「さあ、地獄の針山よろしく穴だらけになってもらいましょうか」
眼下から幾つもの銃声が、そして、上空からは光の弾丸が雨あられと降り注いだ。
動けない状態でこれだけの攻撃を受けたら――いかにサンタナといえど、危険だ。
打開策は――無し。だが――
「キサマはその守護霊で、何を見ている?」
「ぐおおおお!? この化物が!?」
サンタナは首を180度回転させ、背中で拘束されている少年の頭にサンタナの頭を頬ずりするようにぶつけた。
サンタナの頭が半分少年の頭と同化し、めり込む。
少年の視界がサンタナに共有される。
視えているのは――紅い霧を抜けて、天地から二人を貫かんと迫る弾丸。
サンタナが感知した状況と同じ。未来を見ているとしか思えないこの少年の守護霊でも、ダメなのか?
だが――
「『キング・クリムゾン』!」
瞬間――そう、次の瞬間としか、サンタナには認識できなかった。
少年が叫んだ次の瞬間に、サンタナは胸板を少年の紅い守護霊に強かに蹴りつけられ、少年から引き剥がされていた。
サンタナと少年を縛る鎖はいつの間にか切断されていた。
蹴りの衝撃でサンタナは吹き飛ばされ、空中で何かに衝突。あのコウモリの小娘だ。
そのままサンタナと小娘はもつれ合うようにして空中を飛び、床を転げていった。
◆ ◆
キング・クリムゾンを発動した瞬間、ドッピオはコウモリ女の出した鎖をスタンドの腕力で切断。
エピタフが見せる紅い視界の中で、僅かに映ったコウモリ女の飛行する軌道に向かって、
背後にくっついていた化物を蹴り飛ばす構えを取る。
本命はブチャラティ。頭から地面に落ちる体勢を取ったまま、脳天目掛けてチョップを叩き込む。
エピタフの予測は――。
白、一面の、白い光。目が潰れそうな程に強い、白い閃光。
――閃光手榴弾(フラッシュバン)。ブチャラティは、このタイミングを読んでいたのだ。
このタイミングを予測して、閃光手榴弾を破裂させたのだ。
まぶたを透過する程の強い光。
目を閉じるくらいでは、この光は防げない。
そこでキングクリムゾン、時間切れ――化物をキングクリムゾンの脚力で蹴り飛ばし、
ブチャラティの放った銃弾をすり抜けて、スタンドのチョップを放つ、と共に、
ブチャラティの取り出した閃光手榴弾が強烈な光を放つ。
とっさに自分の腕で目をかばい、直撃だけは防いだドッピオだったが、それでも視界はしばし死ぬ。
そして必殺を期して放ったチョップはブチャラティの脳天を捉えていない。
寸でのところでブチャラティは首を曲げ、チョップが頭に直撃するのを防いだのだ。
手刀をブチャラティの右肩に深々とめり込む。スタンドを通じて伝わる体温が、妙に冷たい。
そして――。
「今……だッ!!」
逆さまになって落下するドッピオを、スティッキィ・フィンガーズの左拳が襲う――が遅い。
いつものスピードがない。
キング・クリムゾンの右腕で拳を逸らす。
ドッピオは目潰しを喰らう瞬間のブチャラティのスタンドの体勢から、拳の軌道を予測していた。
脇腹にジッパーが走るが――浅い。
「ぐっ!」
そこでドッピオは頭から床に着地。顔面を腕でかばっていた、ダメージは殆ど無い。
しかし依然閃光弾の影響で視界は真っ白だ、そしてブチャラティは目の前。
オマケにブチャラティは――まだ生きているとはいえ、相当なダメージを負っている。
――ならばドッピオの取る行動は一つ。
「うおおおおお、らあああああああああ!!!」
ドッピオは起き上がりつつ、キング・クリムゾンの両腕で全力のラッシュを放つ。
文字通りの盲(めくら)打ち。
実体なきスタンドのはずが、風切り音さえ聞こえてきそうな勢いのラッシュ。
距離を取られては見失う。その前に、トドメを刺す。
――しかし、当たらない。最初の何発かだけは、手応えはあった。スタンドで防がれた手応えを感じた。
それは、つまり――
「くそがあああああ! ブチャラティの野郎、逃げやがっ――!!」
叫ぼうとした瞬間、ドッピオの右足を支える力が消失した。
痛みは無い。そして右足の感覚はそのまま残っている。
右足を切り落とされたのだ。ブチャラティのスティッキィ・フィンガーズで。
キングクリムゾンの射程外に離れ、腕だけをジッパーでほどいて伸ばしてきたのだ――!
ラッシュの手が止まり、ドッピオは倒れこむ。
次はどこだ!? 心臓か? 脳味噌か?
でたらめにラッシュを放っていたからこそ、足で済んだのだ。
拳のバリアが無くなった今、急所をダイレクトに狙われてもおかしくはない!
止まったら死ぬ! ブチャラティの攻撃が届かない位置へ――!
くそッ、あの野郎、どうしてフラッシュバンを目の前で喰らっておきながら、こっちの位置が判るんだ!?
ドッピオは這いずる様にして後ずさり、壁に頭をぶつけた。
ついさっき通りぬけてきた壁だ。
ドッピオは『壁抜けののみ』で壁をくり抜き、壁向かいに逃げ込んだ。
どこからか飛んできた腕に背中の皮をジッパーで切られながら。
荒くなる呼吸を必死で抑えこみながら、ドッピオは周囲の様子を耳で感じとる。
心音を止められないのがもどかしい。
どこだ、奴はどこから来る――!
ドンッ ビィィィィィッ!
ドッピオの背後から、拳が石壁を打つ音と、ジッパーの開く音が聞こえてきた。
「そこかあああああ! テメエはああああああ!!」
ドッピオはキング・クリムゾンで渾身の一撃を放った。
ブチャラティの声のした方向、の――壁に向かって。
たった一撃で、キング・クリムゾンの拳は石壁をクッキーのように突き破る。
「うおおおおお! らあああああああ! くらえやあああああ!」
さらにドッピオは石壁に向かい、キング・クリムゾンの両腕でデタラメに拳を打ち込んだ。
キング・クリムゾンの渾身のラッシュが、瞬く間に地霊殿の石壁を粉砕してゆく。
その拳の威力は壁を粉砕するに飽きたらず、壁の破片を散弾の様に次々と撃ち出してゆく。
「かわせるかああああ! かわせるわけがあああああ、ねええよなああああ!!」
ドゴバゴスドバゴドゴバゴバゴズドバゴドゴバゴボゴ!
ようやくだが、ドッピオは気づいたのだ。
――ブチャラティは『あの時』、ドッピオを連れて『矢』を持つ者の待つコロッセオを目指していた時と同様に、
既に死んでいるのだ。
奴は魂の力だけで動いている。魂を感じ取ることで周囲の様子を察知しているのだ。
だから奴には、魂の宿らないものは視えない。だからこそ、壁を透かしてドッピオの位置を察知できたのだ。
つまり、奴には魂の宿らない石壁の破片など、視えるはずがない、ということでもある。
普段の奴のスタンドなら容易く防げるはずの破片も、今の奴にとっては不可視の散弾を乱射されるに等しいのだ。
「くたばれやあああ! このヤロオオオオオオオオ!!」
バゴオオオオオオオン!!
キング・クリムゾンの手の届く位置の壁をまるごと吹き飛ばしたところで、ドッピオは切れる息を必死に抑えつつ、
ブチャラティの方角の様子を聞き取ろうとする。
閃光にやられた視力は――少しづつ回復しつつある、が、そもそも視界が紅い霧に覆われて最悪なのだ。
目はまだ使い物にならない。せめてあと1分、待つ必要がある。
と、そこで、大きな石版が倒れるような音が聞こえてきた。
奴はとっさに床板をジッパーで外し、盾にしていたのだ。
ブチャラティは、まだ生きている。
ドッピオは大きな壁穴の傍を離れ、壁に手を触れて位置を探りつつ、部屋の隅に移動した。
――もしブチャラティが壁越しから襲ってくる様なら、ジッパーの音で判るはず。
奴がジッパーを開閉する一手の間に、もう一度、石の散弾を見舞ってやる。
壁穴を抜けて正面から来るなら、奴には視えない石壁の破片を踏むはず。
その音を頼りにして距離を計り、石を殴り砕いて、ぶつけてやる。
ドッピオは人の頭ほどもある大きさの石片を足で引き寄せながら、算段を立てる。
――だが、そのブチャラティの動きが、聞こえてこない。
撤退? ありえない。奴は半死人、もとい、全死人。命などとうに捨てている。
そんな奴が、ここまできてボスの事を諦める?
何か策を練っているに違いない、その前に打って出て仕留めるべきだが――まだ視力が回復していない。
こちらから動くのはまだ危険すぎる。せめてあと45秒は必要。
ドッピオは周囲に耳を澄まし、警戒に専念することにする。
――そんなドッピオに聞こえてくるのは遠くから聞こえてくる人外どもの叫び声と、石の壁や床が砕ける音だけだ。
ああ、五月蝿い。さっさと相討ちにでもなって、静かになって欲しい。
視力が戻るまでの永遠にも感じられる僅かな時間を、ドッピオは息を殺して待つ。
| |
倒れた床板の盾から這い出るようにして、ブチャラティが動き出した。
赤黒い血液の跡を幾筋も残しながら。
まだ、動ける。
だが床板を剥がしていくらか防いだとはいえ、石の散弾を喰らいすぎた。
既に肉体が死んで、ダメージに対して鈍くなっているのがかえって幸いしていた。
生身の身体でこれほどのダメージを受けていたら、既に絶命していることだろう。
既にゾンビのような状態だというのに、おかしな話だが。
再びあの石の散弾を喰らったら、今度こそ、この身体は粉々になる。
流石にそうなればお終いだ。
目の視えない奴は、おそらく音を頼りに動いていることだろう。
こちらの動く音を狙って仕掛けてくる。
近寄られたら、勝てない。
奴は盲目とはいえ、この状態でキング・クリムゾンと殴り合っては勝てない。
先ほどの様にデタラメにパンチを振り回されるだけで、こちらは粉々にされるだろう。
つまり、奴に物音を察知されず、近寄られずに奴を仕留める必要がある。
ブチャラティは、今まさにそのための策を実行中であった。
ディアボロの潜む部屋を囲む石壁の感触を確かめながら、ナメクジのように這いずっている。
恐らく、これが最後の攻撃となる。
奇妙な話だ。
今こうして吐き気の催すような殺し合いに参加させられたせいで、
俺はこうしてディアボロを殺すチャンスに直面している。
ここに来る前、俺達はディアボロのスタンド能力の前に、
実在するかどうかも判らない『矢の新たな力』という希望に、藁にもすがる想いでいたというのに。
殺し合いを開催したこの土地は、『幻想郷』と呼ばれているらしい。
『幻想郷』には、外の世界で存在しないとされてしまったモノが流れ着くという。
吸血鬼であるというあの少女、レミリア・スカーレットがまさにその代表格だ。
今俺の抱いている、『ディアボロを始末する』という希望も、まさに夢物語――『幻想』だった。
それが今、実現するかも知れない。
ディアボロを始末すれば、『パッショーネによる麻薬の取引を止める』という、
俺の『幻想』も実現する希望が生まれる。
あるいは、ジョルノの『幻想』――彼のヒーローである『ギャング・スター』になるという――。
仁の心と侠気を持った裏社会の正義の味方という、アイツらしくない、
だがしかし、アイツぐらいの年頃の少年の抱きがちな『幻想』さえ実現するのかもしれない。
ならば、俺はこの『幻想』を実現するための礎となろう。
ディアボロ、お前はここで俺と一緒にこの地獄に沈んでもらう。
覚悟はとっくにできている――!
◆ ◆
ドッピオの目に光が戻り始めたその時、彼はジッパーの走る音を聴いた。
ドッピオの周囲をジッパーが走る音を。
そしてすぐさま、全身に違和感を感じた。
身体が軽い。宙に浮くようだ。足元に引き寄せた石くれも、ふわりと浮き上がる。
――違う! 俺は落ちているのだ。
先ほどブチ抜いた壁の穴が、ぐんぐん上に昇ってゆく。
部屋の家具まで、ふわふわと浮き上がりだす。
ブチャラティは――この部屋の床にまるごとジッパーを取り付け、一気に切り離したのだ。
この建物の下は巨大な地下空洞。
このままでは、この部屋ごと底まで真っ逆さまだ。
相当な高さがある。落ちたら助からない。脱出を――!
ドッピオはキング・クリムゾンを出現させると、
両手で床を突き、左足で地面を支えて四つん這い、いや、三つん這いの体勢をとった。
そして全身をバネのようにして、カエルの様に跳躍。
キング・クリムゾンのパワーでジャンプし、目指すは唯一の脱出口である壁の穴。
さらにエピタフを発動し、未来を読む。
ブチャラティは、やはりいた――!
脱出を試みるドッピオの行く手を阻むように、壁の穴を立ち塞いでいる。
だが、あの姿は何だ?
自力で立ち上がることもできず、壁穴のふちによりかかり、やっと身体を支えている。
石つぶてを防ぎきれなかったのだろう、全身、服も皮膚も肉もボロボロに抉られている。
それほどの傷の割に流れ出る血は不自然なほど少ない。既に奴の体は血が巡っていないのだ。
顔の左半分も削り取られ、白い骨があらわになっている。
だというのに、その両目だけは爛々とこちらを睨みつけている。
奴は死んでいないのだ。死んでなきゃいけないのに。
「このッ……ゾンビ野郎がああああああ!!」
「ディア……ボロ……!」
ドッピオは恐怖した。
恐怖から、キング・クリムゾンで時間を吹き飛ばしたのだ。
すでにスタンドの発動さえできるか怪しい相手に、である。
そして吹き飛んだ一瞬の時間で壁の穴まで上昇したドッピオは、
壁の穴に立つブチャラティの顔面に渾身の拳を叩き込んだ。
露出した頬骨を砕け散らせて弾き飛ばされるブチャラティに入れ替わるように、
壁穴の中に滑りこむようにして、ドッピオは地霊殿の床に復帰した。
「ハア、ハア……この野郎、死人のくせに、今ここに生きてる人間サマのジャマをしてんじゃねえ……!」
今度こそ、やったハズだ。ドッピオは顔の骨を砕いた手応えから確信した。
穴の傍に転がっていた自分の右足を抱えたドッピオは、這いずるようにしてブチャラティのもとを目指した。
コイツが完全に絶命する前に、奴のスタンドを無理矢理引っ張り出して掴んで動かし、
せめて右足だけでもくっつけさせなければならない。
すると、微かに、ブチャラティの声が聴こえる。消え入りそうな声で。
「……ベネ。『聴覚』は……まだ生きていた……お陰で、『時間の吹き飛ぶ』瞬間を感知できた。
サビの入りを聴けなかったのが……少しだけ、残念だったが」
と、同時、ドッピオは急に気が遠くなる感覚を覚えた。
精神力の消耗――ではない。これはまるで貧血だ。脳に酸素が届いていない。
耐え切れずに床にへたり込んだドッピオは、
自分の左胸が前から後ろに掛けて一直線にジッパーで切られているのに気づいた。
――ブチャラティの、死力を尽くした最期の反撃であった。
ドッピオがブチャラティに向けて顔を起こすと、砕けた顔の骨の中から、
小さな電子機器とのものと思しき光が見えた。
最終更新:2015年11月12日 02:29