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『その名よ、轟け』
◯ ◯
レミリア・スカーレットがブチャラティの元に現れた。
あの原始人を文字通り地獄の底へと突き落とした、その直後のことである。
翼を失っているレミリアは、
サンタナを地霊殿の下まで追撃するのを後回しにして、
ブチャラティの救援に向かったのだ。
しかし、救援の必要はもうなかったようだ。
レミリアと原始人の戦いが終わるのと殆ど同時に、こちらの戦いも決着したらしい。
相討ち、という形で。
ブチャラティと『
ディアボロ』が、20m程の距離を置いて二人して倒れている。
人間なら、一目で死んだと判断できるほどの重傷を負っている。
ブチャラティの全身は手加減なしの弾幕の連射を喰らったかのようにボロボロ。
『ディアボロ』は胸から背中に掛けてバックリとジッパーで開かれ、右足をジッパーで切り落とされている。
レミリアはブチャラティ、と小さくその名を呼んだ。
ショックは小さかった。共闘する仲間とはいえ、同行した時間はほんのわずかだった。
何より、レミリアが先ほど垣間見た彼の運命は、既に切れていたのだ。
ブチャラティの死を目の当たりにしても、来るべき時が来た、と感じたにすぎなかった。
レミリアは、ブチャラティの割れた頬骨からこぼれだしていたウォークマンを拾い上げた。
束ねられたイヤホンから、妙な懐かしさを感じる楽曲が今も小さく流れ続けている。
『亡き王女の為のセプテット』。
ブチャラティはレミリアから借り受けたウォークマンをジッパーで顔の中に仕込み、
地霊殿に突入していたのだった。
決まった音楽をエンドレスで流し続けることで、キング・クリムゾンで時間が飛んだ瞬間を耳で認識するために。
「……『私の曲』は、役に立ったのかしら」
レミリアはブチャラティの遺した支給品を集めながら、ぽつりとつぶやいた。
すると、物音が地霊殿の奥の方から聞こえた。
レミリアは身構えて音の方向、ディアボロの方を向いて身構えるが――ディアボロに動く気配なし。
音は奥、穴の空いた壁の方から聞こえてくる。
裸足の足音――駆け足だ。
あの原始人が地獄の淵より舞い戻ってきたのだ。
その堂々たる足音が雄弁に語る。奴は再び私に戦いを挑む気だ。
だが――今更、なぜ?
ディアボロとの共闘の可能性に賭けた?
いや、紅霧の中とはいえ、この距離なら奴も倒れているディアボロのことは判るはず。
単なる意地や誇りのため?
それなら、さっき打ち砕いてやったはず。
生きていたのなら、地底で隠れていた方がまだ私から逃げ切る可能性だってあったはずなのに。
レミリアがあれこれ思考する間にも、あの原始人はぐんぐんと距離を詰め、
そしてディアボロの頭上を飛び越して立ち止まり――
― ―
どこまでも、どこまでも、落ちてゆく。
サンタナは自由落下がもたらす浮遊感に身を委ね、まどろむように死を受け入れていた。
『他者との繋がり』に『偉大な生物』である誇りを打ち砕かれたサンタナにとって、
もはや生は苦しみでしかなかった。
生きている限り、自分が敗北を定められた存在であるという劣等感に苛まれ続けるのだ。
ならば、このまま消え去ってしまいたい。
サンタナはちぎれた上半身の頭を下にして、落下の衝撃が脳を直撃する体勢をとる。
地下空間を覆っていたもやの中から、赤茶けた岩肌がついに姿を現す。
あれこそ、サンタナに死という安息をもたらすもの。
少しの痛みを乗り越えれば、あとは永遠の眠りという安息が待っている。
一面の岩石が致命的な速度をもってサンタナに迫ってきた。
眠るようにゆっくりと、目をつむり、サンタナは落下の加速に任せる。
ゆっくりと、ゆっくりと――
「…………………!」
ゆっくり――できない。
それはほとんど無意識、反射に近い動作だった。
サンタナは肋骨をめいっぱい体の左右に広げ、その間に皮膚を延ばしてピンと張った。
するとまるでサンタナの腕の下に、まるでムササビのような皮膜ができた。
皮膜は落下によって生じる空気の流れを受け止め、垂直落下していたサンタナの落下軌道を前方へと舵取らせた。
結果、脳天を地面にぶつけ絶命するはずだったサンタナは滑りこむように胴体着陸し、
一命を取り留めたのだった。
こんなに惨めな気分を抱えていながら、それでもサンタナは死ぬのが恐ろしかった。
死という安息へ踏み出すことができなかった。
死に損なってしまった。
胸に抱いていた誇りさえも失ってしまったのに
あの角女のいったとおり、オレは空っぽなのだ。
――オレは、一体何のために生きているのだろう。
するとサンタナは自分の体が、泥のように溶けて形を失ってゆくことに気づいた。
偉大な生物として人間どもにあがめられていた誇りを失った、惨めな自分自身を象徴するかのようだった。
サンタナは自己のイメージする姿を保てなくなってしまったのだ。
サンタナはもう、『偉大な生物』としての姿を取ることができなくなってしまった。
サンタナは長らく人間どもに神として崇められるうちに、ある説を思いついていた。
我ら『闇の一族』はどうして人間に似た姿をとっているのだろうか。
我らの肉体は、骨格をバラバラにし、肉を組みかえて、どんな姿にもなれるはずなのに。
我らはどうして人間に似ていながら、人間より大きく強くたくましい、優れた人間の姿をとっているのだろうか。
それはきっと、生存のための適応に他ならないのだ。
人間の作る神や精霊の偶像の多くは、人間を元にした姿をとっている。
『闇の一族』たちはそれをまね、神や悪魔と畏れられるために、人間に似た姿をとったのだ。
畏れられることで、数の多い人間どもから、供え物として食料を調達できる。
そして崇められることで、人間や、他の獲物を奪う害獣として人間と争うことを免れていたのだ。
2000年前の眠りにつく直前のサンタナがまさにそうして生きてきたように。
2000年前、眠りについているときも、起きている時も、サンタナは神だった。
確か、マヤ、だったか。
人間どもがそう名付けた文明で、サンタナは神として頂点に君臨していた。
『血は生命なり!』
人間は石仮面で強大な吸血鬼へと変わり、それさえも喰らう最上位捕食者であるサンタナ。
マヤの文明が栄えていた当時、サンタナは現地の人間たちに神と崇め、畏れられていたのだった。
ああ、そうだった。
石仮面。
カーズにしか作れない石仮面。
あれは、オレの何度目かの眠りの時。あの三人に足手まといと見捨てられ、
『ローマ』なる地を目指して去っていった奴らに置いてけぼりにされる際に残されたものだったのだ。
おそらく、
ワムウあたりの口添えなのだろう。
オレが独りでも楽に生きてゆけるように、試作品の不要な石仮面を残していったのだ。
――あの眠りの直前のワムウの表情は、今でも目に焼き付いている。
オレを哀れんでいたのだ。
さっきの小娘がそうであったように。
そして、目を覚ました時、オレは独りになっていた。
『神』の復活に湧く下等生物どもを見下ろしながら、オレはその時、本当にひとりぼっちになったのだ。
オレが後生大事に守ってきた唯一の誇りさえ、奴らから哀れみとともに施されたものに過ぎないのだ。
自分が、『哀れみ』という感情を受ける存在だと気づいた時、サンタナはさらに惨めな気分になった。
『哀れみ』を受けるのは、いつだって『下』の存在だから。
そしてこれほど惨めな思いをしながらなお、サンタナは死ぬのが怖かった。
それがサンタナをより惨めな気分にした。
オレは、これほど惨めな思いをかかえながら自ら命を絶つこともできず、『繋がりの力』に対するかませ犬として、
肉となる時を待つだけの『餌』に過ぎないなのだ。
サンタナはもはや行くも戻るもできない、どん詰まりにはまった感覚に陥っていた。
自我の認識(イメージ)をもてなくなり、ほとんど泥のように形を失って、地面に突っ伏したままの状態で。
オレが、偉大な生物でないとしたら、オレは一体何のために存在している。
惨めな思いに苦しんで、苦しみ抜いた末に肉となって跡形もなく消え去るためなのか――。
せめて――。
せめて、誇りが欲しい。
オレが苦しんで生き続けるだけの存在だとしても、せめて自分が生きるに値する誇りが欲しい。
自分が『偉大な生物』であるという誇りに変わる、新たな誇りが。
オレが肉として消え去る運命なら、せめて自分が誇らしい存在であったと思える何かを残したい。
自分がただの肉でない、唯一無二であり誇らしい存在だと信じることができるための、何かが。
そう思い立った時、泥のようなサンタナの肉体は再びうごめきだしていた。
近くに落ちていた下半身と上半身が粘菌のようにうごめいて繋がり、
サンタナは再び『四体満足』の姿を取り戻して立ち上がった。
オレはもう一度あのコウモリ女の元へ行かねばならない。
と、その時、石や家具などが上空の地霊殿から降り注いでくる所を、サンタナは目撃した。
奴らは、まだ戦っているのだ。恐らく、あのガラクタが降ってくるところで。
とすれば、あの小娘も味方の加勢に行くはずだ。
オレもあの上へと急行せねばならない。
小娘が戦いで倒される前に。
あるいは、小娘のもう一人の敵と思しきあの紅い守護霊使いが倒れ、小娘があの場を立ち去る前に。
するとサンタナは小山となったガラクタに向かって全速力で走り出した。
そして右腕を鳥の翼に見立てて広げ、走る勢いそのままに大きくジャンプ。
跳躍の頂点で、サンタナは肋骨の皮膜を目いっぱいに広げた。
皮膜は走ることによって生まれた大気の抵抗を揚力に変え、サンタナの身体をさらに持ち上げ始める。
サンタナが『飛ぶ』。
闇の一族は、骨格をバラバラに組み替える事ができる。肉を組みかえ、自在に変形することができる。
空を飛ぶ鳥の姿をとることも、水を泳ぐ魚の姿をとることも、
闇の一族ならば、それは本来できて当然のことなのだ。
だが、流法【モード】と呼ばれる肉体操作の極みに達したあの三人さえ、
人間の姿からかけ離れた姿をとることはできずにいる。
自分が『人間の上位』に位置する者である意識を心のどこかに抱いているために、
人間の姿を捨てられないでいるのだ。
オレは『偉大な生物』である誇りを打ち砕かれたからこそ、
奴らさえ到達しえない領域に到達しつつあるのかもしれない。
奴らがオレのこの姿を見たら、少しはオレのことを見直して再び仲間に誘われるかも知れない。
だが、それも今となっては些細なこと。
奴らの仲間である事にしがみついて守る誇りなど、もう必要ない。
サンタナは皮膜を広げたまま螺旋を描くような軌道で上昇し、地霊殿を目指す。
あの小娘に、敢えて再戦を挑むのは――
孤独に落ちた存在が、必敗の運命を背負うことを覆すため?
打ち砕かれた誇りの中に最後に残った、『偉大な生物』としてのちっぽけな意地を示すため?
死の淵から蘇った自分の可能性を試すため?
――否定は、しない。
だが、それは最大の理由ではないのだ。
自分が誇れる存在であるために、どうしてもあの小娘に為さければならないことが、サンタナにはあったのだ。
螺旋の軌道を描いて滑空しつつ、地霊殿を目指していたサンタナだったが、
徐々にその速度は低下しつつあった。
このままでは、上まで届かない。
羽ばたいて揚力を稼ごうにも、練習不足。
本当に鳥の様に飛ぶには、まだまだ習熟が必要だ。
「DAAAAAAHHHH!!」
サンタナは左腕に仕込んでいた鎖を使って再度、錨の鉄拳【アンカー・パンチ】を放つ。
どうにか地霊殿の床板を掴むことに成功した。
そしてそのままぶら下がる鎖を体内に巻き取って、サンタナ地霊殿に復帰した。
地霊殿の長い廊下に出ると、紅い霧は晴れつつあった。
一室の床に大穴が空いたせいだろう。
そしてサンタナが見回すと、その小娘は、いた。
サンタナは小娘を見るやまっすぐに駆け寄り、既に力尽き倒れていた紅い守護霊使いの少年を跳び越えて、
こう言ったのである。
「サンタナだ」
内心の動揺を隠し臨戦態勢を取る小娘に、サンタナはただ、そう告げた。
「俺の名は……サンタナだ!」
この時が初めてだった。
サンタナが自分の名前を名乗ったのは。
既に誰からも忘れ去られた『闇の一族』としての名前。
マヤが栄えていた時代、自分を崇めたてまつる人間どもが勝手に名づけた名前。
そして、一番新しい名前であるサンタナ。
いくつもの名を持ったサンタナだったが、自分の意志で名を名乗ったのは初めてだった。
そして目の前の小娘に自分の名を告げることこそが、サンタナの最大の目的だったのである。
自分が唯一無二の存在であることを誇ることができた時のために。
そして、例え消え去ることになっても、自分が何者であったかを心に刻ませるために。
ただ生命活動を行っているだけだった空っぽの存在が、初めて自分の名を、サンタナを名乗ったのだ。
空虚そのものだった存在は『サンタナ』という名前を器に、
空っぽの器としてゼロからのスタートを切ったのである。一万二千年の長い旅を経て、今、ここで初めて。
小娘がサンタナの意図を心得、改めて名乗った。
その幼い姿におよそ似つかわしくない、厳めしい態度と声色で。
「我が名は、レミリア・スカーレット。
億泰の仇、サンタナよ。紅魔に楯突く悪鬼のその名、憶えたぞ。
今一度、その命と名、貰い受ける」
「来い、レミリア……レミリア・スカーレット!!
サンタナが、行くぞ!! 来いッ!! レミリア・スカーレット!!」
サンタナは、既に感極まる思いだった。
自分の意志で名乗った名を、相手に呼んでもらえた。
こんな事は、永らく生きてきた中で初めての経験だったのだから。
ここで初めてサンタナという存在は、この世に生まれることができたのだ。
「神槍『スピア・ザ・グングニル』」
レミリアは紅く輝く槍をその手に生み出す。
「NUUUUUUUAAAAHHHHH!!」
サンタナは右脇腹をレミリアに向け、
腰元で右拳を握ってその分厚い胸板、脇腹、右肩の筋肉を強調するポーズを取った。
サイドチェストのポージング。
サンタナの分厚い筋肉のバルクがはちきれそうなほど膨張し、
次の瞬間銀色の弾丸を無数に放つ。
その弾道を予測していたレミリアは素早く跳躍してこれを回避。
するとレミリアの回避を見越していたサンタナは突如、
片足立ちの姿勢を取って右腕と左脚を身体に巻き付け始めた。
手足が胴体に巻き付いてゆくだけではない。
サンタナの肉体そのものが、雑巾を絞るようにねじれてゆく。
サンタナの肉体がねじれてゆくとともに、バチン、バチンと金属が弾けるような音が聞こえてくる。
サンタナの体内の鋼球が、筋肉の圧力で押し固められているのだ。
こうして限界までねじれた肉体は前方に向かって倒れこみ、肋骨と右足を支えに地面に立った。
その姿は、サンタナが1938年にメキシコで目覚めた際に、初めて目にした人間の武器を模したもの。
その一本の筒状に捻れた身体は、全長2000mmの銃身に。
その円く開いた口は、口径50mmの銃口に。
その肋(アバラ)の骨は、12対24本の足を持った銃架に。
その体内で圧縮され、固められてできた鉄塊が、1kgの銃弾に。
そして、その全身に張り詰めた筋繊維が、一発の炸薬に。
それはおぞましくも洗練された姿。
全身全霊の一撃を放つという、ただそれだけの目的のため、サンタナは『偉大な生物』の姿をしばし捨て去った。
サンタナは、一丁の銃、いや、一門の砲となったのだ。
一方レミリアは、サンタナのそんな変容にしばし驚愕するも、
そのまま天井を蹴り、壁を蹴り、床を蹴り、吸血鬼の跳躍力で縦横無尽に跳びまわる。
さながらスーパーボールが跳ねまわるような動きでサンタナを撹乱する。
そして、サンタナが隙を見せたその瞬間、槍投か刺突で奴の脳天を貫く。
サンタナは肋骨を昆虫の肢のように動かし、ジリジリと砲口の先をレミリアに向け、狙いを定める。
弾は一発。外せば、二発目を撃つ隙を与えてくれないだろう。
レミリアは、翼を失っている。絶えず跳躍から跳躍を繰り返しているのだ。
空中でその軌道の変更はできない。
一回の跳躍が始まった瞬間、その着地点は決定しているのだ。
奴がどこかで跳ぶ瞬間、その着地点に照準を合わせれば、当たる。
跳ねまわるレミリア、狙いを定めて地面を這いまわるサンタナ。
二人の動的な膠着状態は30秒程度続いた後に、破れる。
「!!!!!」
サンタナが声にならない雄叫びを上げる。
大型ダンプカーのタイヤが無理矢理力任せに引き伸ばされるような音が、あるいは、
何百本ものゴムチューブの束がまとめて引き絞られるような大音響がレミリアの耳を突く。
サンタナの全身の筋繊維が軋む響きである。
サンタナはレミリアが天井を着地する瞬間、その一瞬の停止を見切り、狙いを定めた
回避はもはや不可能かに思われたが、レミリア、そこで天井に届くこと無く急降下する。
見ると、レミリアは右手の紅い槍の他に、左手に蒼いヒモをにぎっていた。
蒼い守護霊使い。信じがたいことに、まだ生きていたのだ。
蒼い守護霊のほどけた右腕が地面から伸び、レミリアを引っ張っている。
レミリアはそれをつかみ、空中でムリヤリ軌道を変更したのだ。
サンタナの照準の先に、レミリアは入らない。
照準の変更――不可能。ムリヤリ射角変更を行えば、
その有り余るエネルギーの砲弾はサンタナ自身を破壊してしまう。
射撃の中断――不可能。限界まで張りつめた筋繊維の解放を途中で止めることなど不可能。
回避運動――それも間に合わない。射撃に神経を集中していた分、反応が遅れる。
レミリアにとっては、攻撃を仕掛ける絶好のチャンス。
レミリアはサンタナに向かって落下する円弧軌道を描きながら、右手の槍を投げ放つ。
放たれた魔力の槍は、激しい紅い光の軌跡を残しながらサンタナを襲う。
一度『引き金』を引いてしまったサンタナは止まらない。
サンタナの全身の筋力が、爆発的なエネルギーで体内の鉄塊を撃ち出した。
撃ち出された砲弾は音の壁をたやすく突き破り、雷鳴のような響きで地底の空気を轟かせる。
二人の人外の全力の一撃が交錯する。地霊殿一帯を揺るがす衝撃を伴って。
☆ ☆
――生きている。
嵐が過ぎ去ったがごとく静まり返る地霊殿でサンタナはゆっくりと目を開いた。
確か俺は、全霊を賭けた一撃を放ったものの、すんでのところでレミリアに狙いをかわされ、
逆に奴の攻撃を受けたのではなかったか?
と、そこでサンタナは側頭部に焼けるような痛みを感じた。
どうやら直撃は免れたらしい。――どう考えても直撃だと思ったのだが。
眼前にそのレミリアの姿はない。
サンタナはすぐ傍に人の動きを感じた。
「……ブチャラティ……テメーの思い通りにいかせてたまるかよ……。
あんな奴の道連れになんぞ、なってやれるかよ……」
未来を予知する守護霊を操る少年。こいつか。
サンタナはあの一撃を放つ瞬間、何かに担ぎ上げられるかのような、妙な浮遊感を感じていた。
コイツが未来を予知して、砲と化したサンタナの身体を担ぎあげてあの赤い槍を躱し、照準を補正したのだ。
「あのコウモリのメスガキ……奴の意志なんて継がせねえ……ここで殺してやる」
片足の膝先を失い、胴体を深々とジッパーで抉られた身体で、この少年はガクガクと震えながら膝立ちとなった。
そして、消えつつある守護霊の最後に残った力で、レミリアが投げた紅い光の槍を床から引き抜き、
遠くで倒れている彼女目掛けて投げ返したのだった。
しかし少年の最後の反撃は不運な偶然によって失敗に終わった。
サンタナの一撃がレミリアを貫き、岩盤さえ揺るがしたのか。
突然の落盤によって地霊殿の天井が崩落し、少年の守護霊の投げ放った槍は落下してきた岩に遮られたのだった。
幸運だった。そう、レミリアがこの場で命を落とさずに済んだことに、サンタナは安堵を感じていた。
レミリアはサンタナが自分自身の意志で名乗りを上げた最初の女だった。
だから、死んで欲しくなかった。
ともかく崩落によって、最終的にこちらとレミリアたちはほぼ完全に分断された。
通路を埋め尽くすほどにうず高くつもった岩を乗り越え、
天井近くのわずかなすき間を通り抜けなければ出入り口にはたどり着けない。
全身の骨格をバラバラにして、蛇のようになれるサンタナならそれは不可能なことではないが。
守護霊使いの少年はというと、完全に力つきた様に突っ伏して、
チクショウチクショウと消え入りそうな声で悪態をつき続けていた。
あの青い守護霊につけられたであろう、体のジッパーの歯は朽ち果てる様にボロボロになっていく。
瓦礫の向こうにいるであろうあの男も、ようやく力尽きたところなのだろう。
――人間にしては、しぶとい奴らだった。
だが、奴と同様に、この少年も、このままではもう助かるまい。
ジッパーで刻まれた傷からジッパーの力が失われれば、それはただの傷口になる。
こんな傷口ができれば、致命的な出血は避けられない。
そうでなくても、死に掛けだったのだ、この少年は。
ヒトの姿に戻ったサンタナが少年に歩み寄った。
「………………グッ……テメエ……、俺は……ボスを…………!」
少年が半死人の体でサンタナをねめあげる。
いったいどこからその精神力は生まれてくるというのか。
サンタナはそんな少年の様子に[表面上は]感慨を表さない。
そして少年の身体に手をめりこませ――
「……てめえ、なぜ俺を助けた」
突っ伏したままで、顔だけを向けてドッピオが訊いた。
ジッパーによって各所を切り取られていたはずの彼の身体は、
サンタナの手によっていまや元通りに修復されている。
サンタナたち『闇の一族』にとって他の生物の傷口を塞ぎ、切り落とされた身体を繋ぎ直すことなど造作も無い。
エシディシやワムウがそうしたように、その気になれば生きたまま大動脈に指輪を絡める芸当さえ可能なのだ。
「てめえ、ではない。『サンタナ』だ……覚えておけ」
サンタナはこの少年をこの場で殺す気になれなかった。
経緯はどうあれ、この少年はサンタナが『サンタナ』として生きてゆくことを宣言した場に
立ち会った男だからだ。
少年に戦う気があるなら致し方無いが、どう見ても戦える状態ではない。
こうして傷を癒やしてやりはしたが、体力の消耗が激しいのか、守護霊を出すことができないでいる。
殺すなら、せめて戦いの中で。『サンタナ』の力と恐怖を存分に心に刻んで殺す。
だから、この場では殺さない。
「確かお前は……ディアボロ、だったか」
床で寝転んだままの少年に、サンタナは訊ねた。
「……ディアボロ、じゃねえ……俺は、ドッピオだ」
ドッピオなどという名が
参加者名簿に無いことをサンタナは思い出す。
「そうか」
だが深く事情を訊くことはせず、サンタナは地霊殿の奥へと向かっていった。
◯ ◯
げに恐ろしきは人の執念ということか。
魔力の槍を投げ放つ瞬間レミリアが見たのは、
砲と化したサンタナを担ぎ上げる真紅のスタンドビジョンの姿だった。
未来を視るスタンドを照準に得たサンタナの一発は、必中の運命を以ってレミリアの右腕を直撃。
瞬間、レミリアは後方に向けすさまじい衝撃、加速、そして熱の流れを感じ、
その抗いようのない巨大な運動エネルギーで天井に叩きつけられる。
レミリアはそのまま後方に吹き飛びつつも天井から地面に跳ね返り、
落下の反動でもう一度天井ギリギリまで高々とバウンドしてから10メートル程地面を滑り、
ようやくその動きを停止した。
急所を撃たれていれば、間違いなく即死だった。
レミリアは朦朧とする意識の中で立ち上がろうと地面に手を突こうとするも、右腕がない。
サンタナの一発がレミリアの右腕を肩からごっそり消し飛ばしたのだ。
レミリアは握りっぱなしだった左手を離し、痛みで吹き飛びそうになる意識を押して再度立ち上がろうとする。
そんな彼女の前に、もう一人の『紅い悪魔』はなおもその執念で襲いかかる。
「……ブチャラティ……テメーの思い通りにいかせてたまるかよ……。
あんな奴の道連れになんぞ、なってやれるかよ……」
紅い光がレミリア目掛けて飛来する。
奴はレミリアの投げ放った槍を拾い上げ、こちらに投げ返してきたのだ。
「え……嘘」
避けられない。
こちらはやっと立ち上がろうとしているところだというのに。
呆然とするレミリアの眉間に迫る槍は、しかし彼女の鼻先に突如出現した岩塊に遮られる。
直径1メートルはあろうかという大岩が地霊殿の床に突き刺さったのだ。
その衝撃は傍にいたレミリアの小さな身体を跳ね上がらせるほどだった。
ハッとして目を醒ましたレミリアが天井を見上げると、
地霊殿の天井が岩と一緒くたになって雪崩のように崩れだしてきていた。
落盤だ。
さっきのサンタナの一発が引き起こしたものなのか?
これまでの戦闘の衝撃?
原因は判らないが――助かった。
レミリアは傍に倒れていたブチャラティ(吹き飛ばされたレミリアに引きずられたのだろう)を
担ぎ上げると、這いずるようにして地霊殿を脱出した。
最終更新:2015年11月12日 02:33