第009話 止まれない理由 ◆SzP3LHozsw
「――――ハッ、ハッ、ハッ、ハッ……」
明かりもない暗い夜道を、
田岡茂一はひたすら駆けていた。
41歳――けして若くはない。まだいくらも走っていないが早くも息が上がりはじめ、足がもつれそうになるのを懸命に堪えている。
今の田岡に高校時代『神奈川に田岡あり』といわれた頃の面影を忍ぶことはできなかった。
年齢と共に衰えた肉体には、高校時代の遺産は残っていないようだ。
しかし、けして止まることはできない。止まることのできない大きな理由が、田岡にはある。
田岡の脳裏には、目の当たりにした赤木剛憲の変わり果てた姿が焼きついていた。
(一刻も早く警察に通報しなければ!)
田岡は必死に走りながら、公衆電話か、或いは民家で電話を借りることを考えていた。
そこから通報し、すぐにでもあのイカれてしまった安西達のことを捕まえてもらわなければなるまい。
でなければ更に犠牲者が増えてしまう……。考えるだけで恐ろしかった。赤木のような将来のある若者をこれ以上死なせたくはない。
(赤木剛憲……素晴らしい選手だった)
生前の赤木のプレーが思い起こされる。
大胆かつ豪快なスタイル、チームを引っ張る牽引力、ゴール下での圧倒的なまでの存在感。
文句なく全国トップクラスの選手だと言えた。これほどの逸材は、何処を捜してもそう居るものではない。
それを……その赤木を、最近は温厚で知られていた安西先生が殺してしまった。
いや、温厚だったとか、もはやそんなレベルの話ではなかった。人が一人殺されているのだ、これ以上ないほど残忍なやり口で――。
その事実を、田岡は今なお信じることができない。何がどうなってしまったのか、田岡には全くわからない。
昨日練習を指導し終わった後も、自分の周りに特別変わったことはなかったし、当たり前のように次の日が無事にやってくるもんだと思っていた。
翌日の練習メニューだってちゃんと考えていたのだ。
それがどうだろう。気付いたら真っ暗な体育館にいて、殺しを強要されていた。ましてや尊敬していた安西先生に、だ。
とてもこれが現実とは思えなかった。
(――これは夢だ、悪い夢なんだ!)
田岡は何度そう思ったことか……。
だが赤木の死体と、人が変わってしまった安西を確かに目撃している。とても信じられることではないが、さっきの出来事は夢ではないのだ。
だとすると、本当に今は殺し合いが行われている真っ最中なのであろうか? ……それが田岡にはわからない。
何がなんなのか、どうしてこんなことが起こっているのか、何の目的があってのことなのか、いくら考えてみても田岡にはわからなかった。
情けない話だが、田岡は自分には何もできることはないだろうと思っていた。
唯一できることがあるとすれば、それは通報を入れることだけであろう。 だがもしかしたら――。嫌な予感がしないでもなかった。
田岡の眼が前方の電話ボックスを捉えたのは、それから数分と掛からなかった。
飛び込むようにして扉を押し開くと、喘ぐ息を整えることもせずに受話器を上げ、緊急用のボタンを押した。短い呼び出し音のあとに応答がある。
「も、もしもし!?警察に――――」
「やあ。田岡君」
ドキリとした。電話の向こうの相手を、田岡はよく知っている。やはりそうかと内心で舌打ちした。
ごくりと唾を飲み込んでから、一応相手を確認した。
「安西先生……ですな?」
「はい」
田岡の予想通り、通話先に出たのは今一番聞きたくない声の主だった。
安西が電話に出たということは、文字通りの孤立無援を意味する。この島に助けは来ないと考えるべきであった。
田岡はもしかしたらこういうこともあるのではないかと考えていたが、それが見事に当たってしまったことになる。
「先生が電話に出られたということは――」
「ええ、外界との連絡は一切できません」
言い切った安西の言葉に、田岡は計画の大きさを知らされたようだった。
島一つを用意し、連絡手段さえ断っている。安西達の用意周到さが窺えた。
「…安西先生……訊かせて頂きたい。貴方は何の為にこんなことをなさるのです?」
「ほっほっ。田岡君、君達は言われたとおりにしていればいいんです」
口調は穏やかだが、言外に余計な詮索はするなという威圧のようなものが感じられた。
しかし黙っているわけにはいかない。言うべきことは言わねばならぬ。
「……何故赤木を殺したのです? 彼は素晴らしい選手だった。貴方も彼を高く評価していたんじゃなかったんですか?」
「ほっほっほ」
「それもあんなひどい殺し方で……。理解できませんな」
「君に理解してもらおうとは思ってないよ、田岡君。君達は誰かを殺していけばそれでいい」
「しかし安西先生、貴方は間違っている! 私は決して貴方を許しはしない」
「死合はとっくに始まっているよ。君も断固たる決意で頑張りなさい」
そこで電話は一方的に切られた。
まだまだ言いたいこと、訊きたいことが山ほどあったのだが、それも叶わなかった。
田岡は受話器を荒々しく置いた。
(安西先生はどうかしている……)
体育館でのことでわかってはいたがこうして実際に言葉を交わしてみて、安西が発狂しているとのだと確信した。
これからどうするのか、田岡は電話ボックスの中で立ち尽くした。もう助けを呼ぶ手立てはない。孤島では逃げ場もない。
田岡はデイパックを下ろすと、名簿を引っ張り出した。
知っている名が田岡の眼に飛び込んでくる。魚住の顔が体育館で見た赤木と重なった。
「冗談じゃない!選手をなんだと思っているんだ!!」
あまりの腹立たしさに、田岡は思わず声を荒げて叫んでいた。しかし、それが田岡の本心でもある。
辛い練習に耐え、それでもついて来てくれる選手を簡単に殺してしまう安西に、嫌悪感を覚えたのだ。
田岡はもう一度名簿に視線を戻し、教え子の名を指でなぞった。それから名簿の名を順番に辿っていく。
湘北の選手だ。みんなあの安西の教え子だ。
彼らがどんな気持ちで
キャプテンの死を見届け、恩師をどんな風に見ていたのかを考えると、田岡は辛くなった。
桜木は天敵ともいえる嫌な奴だったが、今はそんなことも言っていられない。桜木だって気持ちは一緒だろう。
名簿を男子から女子に移す。
「赤木の妹か……」
肉親をあんな形で亡くした少女の気持ちまでは、さすがに田岡は察せられなかった。
だがこの少女はきっと今も何処かで兄の死に打ちひしがれているはずだった。そう考えるとでゾッとした。
「こいつら全員、守ってやれねばならんな」
誰かが助けてくれないのなら、自分がやるしかない。田岡は口に出して決意を固めた。
「この田岡茂一、お前達だけでも必ず……必ず守ってみせるぞ!」
狭い電話ボックスの中――田岡は大きな使命感に燃え始めていた。
【F-03/路上の電話ボックス/一日目・午前1時ごろ】
【男子21番 田岡茂一@SLAM DUNK】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:支給品一式
[思考]:1、魚住・湘北勢と合流し、彼らを守る
最終更新:2008年02月11日 22:40