第044話 Moonlight Crisis◆SzP3LHozsw


空には煌々と月が輝いている。
白く、丸く、そして気高い月が――。
妖しいまでに冴え冴えとした光が、遠く神塚山の稜線を色濃く縁取っていた。
平瀬村に向かおうとしていた田岡はふと足を止め、しばし目的を忘れてその景勝に魅入った。
荘厳な山の姿。ダークブルーのベルベットの空。散りばめられた幾多の星々。何者も汚すことのできない純白の月。
全てが完璧だった。
まるで用意されたかの演出に、田岡は息を呑む。

(俺も歳かな。こんなときに風流心を持ち出すとは……)

そう、よりによってこんなときにだ。
こんなところで油を売っている暇は田岡にはなかった。今こうしている間にも、あの安西の思惑通りに進んでいく。
それは決して許されるべきことではない。必ず魚住や湘北の面々だけでも助け出さねばならなかった。
それが指導者としての責任であり、年長者としての義務であり、また一個の男としての意地である。

(脚本を書くのは俺だ。断じて安西先生じゃあない)

田岡は硬く拳を握った。
いつか魚住らを助け出すのに成功したとき、安西は一体どんな顔をするのだろうか。
まん丸の身体をブヨブヨ揺らせて地団太を踏む安西の姿を思い描き、田岡はほくそ笑んだ。

(名将・安西光義に、この田岡茂一が挑むのだ)

本来ならばその挑戦はコートの上であるべきだった。
バスケとは全く関係ないこのような形での挑戦など、田岡にとって不本意以外何者でもない。
しかしそんなことを言っている場合ではないことは明白だ。
今優先すべきは私情ではなく、魚住を初めとする六名の若き命なのである。
どうあっても彼らを守らなければならない。生かさねばならない。その責務が自分にはあるのだから。

(そして、それができるのもまたこの俺だけだ)

驕りでも自惚れでもなく、田岡は本気でそう信じている。
その自信はどこからくるものなのか――。それはもちろん彼のキャリアがものを言う。
少なくとも田岡は戦略のプロなのである。状況を冷静に分析し、それに的確に応じえる頭脳を持っている。
実戦経験こそないものの、これらは必ず心強い武器になってくれるだろうという確信があった。
ただ、一人も欠けさせることなく、果たして全員五体満足無事で家に帰してやることができるかどうか……。
こればかりは田岡にも何とも言えない。
だがそれでも田岡は思うのだ。『田岡がやらねば誰がやる』と。

「俺は負けん、負けませんぞ安西先生! 必ず……必ずあいつらを生きて帰してみせる!!」

山上の月に決意のほどを示すように、大声で叫びながら握った拳を打ち振るった。
白く輝く月だけが自分の味方なのだと、何故だか理由もなくそう思った。


     * * *


「なるほど、君の事情はよくわかった――」

ここは平瀬村のある民家の一室。
ちょうどボルボが真中の事情を聞き終えたところだった。
銃を後ろ手に隠したままのボルボが、真中にそれと悟られないようなるべく仰々しい態度で頷いて見せている。
真中の語るところによると、この島に連れて来られた真中の知り合いは全員女の子であり、
それもこの狂った惨劇の中で生き残る術など知る由もないごく普通の高校生ばかりなのだという。
一刻も早く捜し出さなければどうなるかわからない、警察ならば協力してくれと、真中はボルボに懇願するように話したのだった。
ボルボは真中をじっと見据えた。
真中の口ぶりから察するに、よほど親しい娘たちなのだろうと容易に想像がつく。
ボルボにもジョディーという交際相手がいる。
もしジョディーに同じような危険が及んでいれば(もっともジョディーなら助けは要らないかもしれないが)、ボルボも放ってはおけないだろう。
だから真中の気持ちはボルボにもよく理解できた。
ボルボはしばらく考え込んでから、「私に任せておけ」ともう一度深く頷いていた。

「本当ですか!? ありがとうございます」

よほど嬉しかったのだろう。ボルボの返事に、さっきまで沈んでいた真中の顔がパッと明るくなった。
だがそんな真中とは対照的に、ボルボの方は少し沈んだ表情になってしまう。
実のところ、ボルボは何も真中に同情して協力を受け入れたわけではなかったのだ。
それがなんとなくボルボを後ろめたい気持ちにさせて、表情を暗いものにさせている。

「うぅむ……まあそのなんだ……市民を守るのは我々の義務だからな」

などと口ごもる始末である。
では一体、ボルボが協力を諒解した理由に何があるかというと――それはやはり銃のことだった。
真中と離れれば銃は返してやらなければならなくなる。どんなに後ろ髪引かれようと、どんなに葛藤しようと、最終的には返さなければならない。
何故なら自分は警官であり、盗みは潔しとしないからだ。
ましてこんな状況である。唯一の武器を奪ってしまっては、死ねと言ってるのも同じなのだ。
それだけはやってはならないとボルボは思った。
だがその点、真中と行動を共にしていれば、少なくともこの銃から離れなくて済む。
ボルボの打算だった。
ただ、真中を不憫に思ったのは確かだった。助けてやりたいと思ったのもまた事実だ。
しかしその気持ち以上に、ボルボは銃に固執したわけである。
そして更にもう一つ、ボルボにはこの銃を返したくない理由があった。
何を隠そうこのコルト社が誇る名銃『パイソン357』はボルボの愛銃である『コルト・キングコブラ』と同系の『蛇シリーズ』であり、
またボルボの数あるコレクションにも加えられている一品でもあった。
しかもこのパイソンは誰が手入れしていたのか見事なまでに緻密な調整が施されていて、
持っていても重さを感じないほどバランスが均一に取られ、照星や照門などにも寸分の狂いも見られない見事なものだった。
傭兵上がりのボルボもこれほど完璧に手入れされた銃は滅多に拝んだことはなく、益々手放すのが惜しくなっていた。
これが同行しようと思った最大の理由である。

(これは私が預かっておこう……。何も盗むわけじゃない、素人が持っているより、私が持っている方がずっといいからそうするまでだ……)

ボルボは自分に言い訳をしながら、コルト・パイソン357を腰の辺りに差し込む。
ひどい罪悪感がボルボを襲う。
罪のない少年の切なる思いにつけ込んでいるような、嫌な感覚だった。

「――じゃあゴルゴさん、早く行きましょう」

真中が早速自分の荷物を抱えて立っていた。
破顔したまま、今すぐ出発しようとばかりにボルボを急かす。
不純な動機とはいえ、同行する旨を承諾したのだから断るわけにはいかなかった。
ボルボも仕方なく荷物を背負って腰を上げた。

「一つ言っておくぞ。私はゴルゴじゃない、ボルボ西郷だ。そこのところ間違えるな」

二人は外に出るため、玄関へ向かった。


     * * *


「随分静かだな」

このつい少し前、遠くで太鼓を叩くような低い音が何度も聞こえていたが、それからは本当に静かなものだった。
この平瀬村も民家こそ何十軒とあるものの、やはり森閑としている。どうやら住人などはいないようだ。
田岡はここでも安西が如何に周到な用意をしていたのかを知った。おそらく安西たちによって強制退去させられたのだろう。
と言っても、もう驚くことはなかった
さすがだなと思うだけで感心する余裕ができていた。
今更騒ぎ立てたところでどうにもならないということだけは十二分に理解している。

田岡は注意深く警戒しながら村の中を歩いて行く。
ざっとみたところ戸数はさほど多くなく、村というだけあって栄えていた様子はない。
自然豊かでいい環境だとは思ったが、反面、こんなところでは碌な選手は育たないだろうと、ついつい職業病が出てしまう。
こんなところに来てまでそんなことを考えている自分が可笑しく、俺は根っからのバスケ好きだなと声は出さずに自嘲的に笑った。

「ん?」

その田岡が何かに気付いた。
ちょっと離れた民家から、人影が二つ吐き出されたのだ。
田岡は眼を凝らす。目尻に刻まれた皺の一本一本が、いっそう深いものになる。

(誰だ……。身体は大きいようだが……魚住か、桜木か?)

だが見えない。
距離が離れていたこともあり、二つの人影が誰だか確認しようがなかった。
田岡は一瞬迷う。
声を掛けるのは簡単だった。しかし、もし本気で殺し合いをしようとしている者達だとしたらどうなるか――。
そういう展開も充分に考えられる。
迎え撃って戦うなどは論外だった。
なにせ向こうは二人。こっちは四十を過ぎた中年が一人。
条件が対等だったとしても人数の多寡によって不利は明らかである。
それに手元にある武器といえば支給品の『拡声器』くらいなもので、およそ戦闘に向いているとは思えない。
思案の末、田岡はこの二人を見送ることにした。
月明かりだけではあったが、どうやら捜している6人とは顔形が違うような気がしたというのも理由の一つだった。
だが田岡が身を隠すよりも先に、向こうが田岡の存在に気付いた。
大きな影の方が「敵襲だ!」とかなんとか叫んだと思ったら、突然何かを投擲したのが見えた。
次の瞬間には田岡の頭の中は真っ白になっていた。
投げつけられた缶コーヒーより少し小さいくらいの筒から『音ともつかない音』が発せられ、無意識のうちに胎児のように丸くなっていたのだ。
これが人間が取る最も無防備で自然な姿だと知る間もなく、田岡の意識はぷつりと途切れた。


     * * *


ボルボは真中の襟首を掴んで走っていた。E-01の道路である。
危ないところだった。
まさかあんなところに伏兵が潜んでいるとは、ボルボも思ってもみなかった。
当然想定しておかなければならない事態だったが、銃のことが気懸かりとなって注意を怠ったのだ。
あってはならない失態だったと、ボルボは己を恥じた。
これから先は気を引き締めていかなければならないと、考えを新たにするのだった。

「ここまで来れば大丈夫だろう。真中、怪我はないか」

追っ手の付いてないことを確認すると、引っ掴んでいた襟首を離し、アスファルトの上に真中を放り投げる。
膂力に優れたボルボにとって細身の男子高校生一人くらいなど軽いものだった。
ごろごろと地面を転がる真中だったが、しかしいつまでたっても起き上がる様子はなかった。

「おいどうした、しっかりしろ!?」

心配になって顔を覗きこむ。
まさか流れ弾でも喰らってしまったんだろうか? いやいや反撃はなかったと、さっきの出来事を思い返してみたりもした。
実は真中はボルボが強引に引っ張ってきたためにまたも気絶していたのである。
そうとは知らずにボルボは真中の頬をバシバシと引っ叩いてみたが、真中は完全にノビてしまっていた。

「……このまま置いていってもいいのだがな」

ちらりとそう思った。
だがそれでは意味がない。
理由はどうあれ結果的に銃を奪ってしまったからには、できる限り真中に協力してやる必要があった。
それに、ここに真中を一人で置いていくのはさすがに気が咎めもする。
ボルボは今度は真中を肩に担ぎ上げると、人目を避けるようにして海岸へ下りて行った。



【F-02/平瀬村の民家前/1日目・午前3時ごろ】

【男子21番 田岡茂一@SLAM DUNK】
 [状態]:気絶
 [装備]:なし
 [道具]:支給品一式 拡声器
 [思考]:1、魚住・湘北勢と合流し、彼らを守る


【E-01/海岸線の道路/1日目・午前3時ごろ】

【男子31番 ボルボ西郷@こち亀】
状態:健康
   真中に対して引け目を感じている
装備:スタングレネード×2、錆びたフォーク、
   コルトパイソン357(弾数6/予備弾24)@CITY HUNTER
道具:支給品一式
思考:1.一応真中に協力
   2.その後のことは正規に武器を手に入れてからでないと考えられない

【男子34番 真中淳平@いちご100%】
状態:気絶
装備:なし
道具:支給品一式
思考:1.知り合いの女の子を助ける
   2.ボルボと協力

備考:真中は自分の支給品をまだ確認していません
   よって、ボルボが隠しているコルトパイソンが、元々自分の支給武器だということを知りません


投下順
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時間順
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最終更新:2008年02月13日 13:37