いざ(率・去来)

辞書 品詞 解説 例文 漢字
日本国語大辞典 感動詞 ① 相手を誘うとき、自分と共に行動を起こそうと誘いかけるときなどに呼びかける語。さあ
(イ) 一人に呼びかける場合。
※古事記(712)中「伊奢(イザ)刀(たち)合はさむ」
※源氏(1001‐14頃)夕顔「いざ、いと心やすき所にてのどかに聞(きこ)えん、など語らひ給へば」
(ロ) 居合わせる人々皆に呼びかける場合。 ※万葉(8C後)八・一六四六「ぬばたまの今夜(こよひ)の雪に率(いざ)ぬれな明けむ朝(あした)に消(け)なば惜しけむ」
※今昔(1120頃か)一〇「去来(いざ)、我等、此の家を売て其の直(あたひ)を三に分て、三人して分(わか)ち取て此(ここ)を去りなむ」
② ある行動を思い立って実行に移そうという時に発する声。さあ、どれ。 ※万葉(8C後)四・六五二「玉守りに玉は授けてかつがつも枕とわれは率(いざ)二人寝む」
※伊勢物語(10C前)九「名にし負はばいざ事問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」
③ (現在では多く「いざと…」の形で用いられる) 予期された事態や突発的な事態が急に起こった状態や、意気込んでものを始めようという状態。いよいよ。→いざというとき
[補注]「いざなふ」と同根。「書紀‐開化元年一〇月」の訓注に「率川、此云伊社箇波」、また「書紀‐履中即位前」に「去来 此云伊弉」とある。「率」は「いざなう・ひきいる」という字義から「いざ」とよまれたもの。「去来」はもと、陶淵明の「帰去来辞」中の「帰去来兮」が「かえりなん、いざ」と訓ぜられ、本来は「帰去」が動詞で「来」が語助の辞であるのを、「帰」と「去来」とに分けて、「去来」を「いざ」と理解したものとされる。
広辞苑 感動詞 (人を誘い、または思い立って事をし始めようとする時にいう語)さあどれいで
大言海 感動詞 〔いハ、發語、さハ、(サソ)フ聲ノ、ささ(さあさあ)ノ、さナリ、いざいざト重ネテモ云フ、( 伊彌 (イヤ)、いや。 伊莫 (イナ)(イナ))發語ヲ冠スルニ因リテ濁ル、() 弉諾 (ザナギノ)尊、(イザナ)ふノいざ、是レナリ、(リツ)ノ字ハ、ひきゐるニテ、誘引スル意、開化天皇ノ春日率川宮モ、古事記ニハ 伊邪 (イザ)(カハノ)宮トアリ、 去來 (キヨライ)ノ字ヲ記スハ、かへんなむいざノ條ヲ見ヨ〕
(一){人ヲ誘フ時、又ハ、心ノ進ム時ニ、先ヅ發スル聲。いざいざ。イデサア
神武紀 十二 「天(ノ ノ)子召汝、 怡奘過 (イザワ)怡奘過」(いざわノ條ヲ見ヨ)
古事記、中(景行) 四十八 伊奢 (イザ)(タチア)(ハセム)
履中紀 去來 (イザ) 穗別 (ホワケノ)天皇」註「去來、此云伊弉
萬葉集、六 廿二 去來 (イザ)子ドモ、 香椎 (カシヒ)ノ潟ニ、 白𣑥 (シロタヘ)ノ、袖サヘ濡レテ、朝菜摘ミテム」
靈異記、中、第三緣「率、イザ」
古今集、二、春、下「いざ櫻、吾レモ散リナム、ヒトサカリ、アリナバ人ニ、憂目見エナム」
同、十七、雜、上「鏡山、いざ立寄リテ、見テ行カム、年歷ヌル身ハ、老イヤ死(一說、())ヌルト」
宇治拾遺、十四、十一條「女房ドモ、コレヲカシキ事ニテアルカアルカト、いざいざ笑ハムナド、アザケルヲ」
率・去來
(二)いざかまくらノ條ヲ見ヨ。

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最終更新:2024年05月06日 20:51