学校も仕事もない休日といえば、昔なら気持ちがウキウキしたものだ。
楽しいことも毎日続けば退屈と変わらない、なんて歌ってた人がいたけど、今の私にとっては休日こそ日常。
まあ、つまり、無職ってことです、はい。
私の肩書きは立派だ。
東京大学法学部卒、慶應義塾大学法科大学院修了、法務博士。
恐れ入ったか。ところで、この肩書きが意味するところはお分かりだろうか。
そう、新司法試験で三振こいて、就職できなかった博士ニートってやつだ。
輝くはずだった20代の青春を法律の勉強に費やし、残ったものは法律だけにはちょっと詳しい30女。
学部を出た頃はまだ景気もよかったけど、今は金融バブル崩壊を切欠とした長期不況のさなか。
新卒でも就職が厳しいのに、実務経験ゼロ、法律に詳しいけど資格はゼロの中途女を採る企業など存在しない。
そんなわけで、今は「家事手伝い」をしながら無意味な日々を送っているのである
若い頃はかわいいかわいいともてはやされた巫女姿も、この年になるととてもじゃないが着せてはもらえない。
つかさの10歳になる愛娘が最近巫女の手伝いに来るようになり、最近では彼女が神社の看板娘となっている。私はただの掃除のおばちゃんだ。
つかさの、娘への溺愛ぶりはみていてほほえましいくらいだ。
顔を合わせるたびに話すことといえば娘のことばかり。
「そうそう、この間うちの子がね~・・」「今日はこどもの参観日なんだ~・・」
昔から変わらないおっとりとした話し方で娘の話をする妹の幸せそうな表情を見ていると、こちらまでうれしくなってくる。
と、同時に、一抹の不安、焦り、そして妬みを感じてしまっている自分にハッとする。
大学時代から足掛け10年、報われなかった受験勉強に費やしてきた。
色気のかけらも無かったこの10年、同年代の友人達が次々と生涯の伴侶を見つけていく間、私のパートナーは六法と判例集だった。
生涯の伴侶となるはずだったそれらにも、3度の失敗で見放された。
私に残ったのは、履歴書に連なるムダに立派な経歴だけ。
後悔はしていない。信じて進んだ道だ。やって後悔するほうが、やらずに後悔するよりまし。学べたことはある。人生先は長い。
そんな言葉が頭に浸透しすぎたせいか、最近では焦りや不安をあまり感じない。
両親の支援で生活しながら、短期のアルバイトをしたりしている。
趣味もある。親に借金して買った軽自動車でドライブするのもまあまあ楽しい。
しかし、将来の先行きは見えない。
本当なら、ここらで結婚相手でも見つけて、家庭を築く道を目指すべきなんだろう。
実際、私以外の姉妹や、高校時代の友人達はみな結婚し、良い家庭を作っている。
私はといえば、エリート弁護士を夢見ていたころのキャリア志向から未だに抜け出せず、かといって現実的な選択をするわけでもなく、ただ無為に過ぎていく日々を見送る毎日だ。
「私なら、結婚してからも仕事を続けて、家庭とキャリアを両立させたいわね!」なんて豪語していた学部時代の私に言いたい。
アンタにそんな能力はないのよ、と。
毎日が休日の無職の朝は遅い。
今日は高校時代の友人達と久しぶりに昼食会を開く日だ。
一応ちょっとはおしゃれをして、久しぶりに化粧もばっちりきめ、車で母校の近くのレストランへ向かった。
「かがみっ!ひっさしぶり~」
「おーっす、こなた、老けたわねえ」
「それはありますね」
「ってちょwwwいきなりヒドスwwwしかし、かがみは若いねえ。肌もぜんぜんきれいだし」
「おねえちゃん、ずるいよ~」
相変わらずのかけあい。
つかさも、こなたも、みゆきも、年相応の顔つきで、家庭を支えるものとしての貫禄が出ている。老けた、とは、成長したという意味でもあると思う。
それに対して私は・・・
「おねえちゃん、どうやったらおねえちゃんみたいに若々しくいられるんだろ?」
「愛だよ、つかさ」
「それはありますね」
「いや、わけわかんないし・・」
若く見える、という言葉は、幼い、という意味の裏返しでもある。
彼女らの言葉にそんな黒い意図がないことは分かっている。
でも、何も生み出さず、何の責任も負わずにこの年までやってきた私の外見は、鍛えられなかった内面を映し出すかのように幼いままだ。
最近では、つかさのほうが姉と間違われるくらいだ。
「いまだにくさいなんて、ある意味奇跡だよね~」
友人との楽しいひと時。
しかし、だれも、家庭とか子供の話に触れない。
つかさも、空気を読んでか、愛娘の話をしない。
それぞれ家庭を持ち、話したいこと、愚痴りたいこと、沢山あるはずだ。
私がいるからだ。
それが友人達のやさしさだとしても、その気遣いが生み出す会話の一瞬の間のたびに、私の心の一部分がチクリと痛む。
「ところでさ、かがみん、最近どうなの?」
「何がよ」
来た。
「いや、まあ、かがみみたいな完璧超人にふさわしい人が、そろそろ現れないのかな~と思って・・」
こなたが言葉を選んでしゃべるなんて、年もとってみるものだ。
「そうね・・・」
私は、そこから何も言えなかった。
空気が急によどむ。
やばい。
「こんな私でも引き取ってくれる王子様がいるのかしらね、はは・・」
半端な自虐ネタで受けを狙おうとして、更に空気をしぼませる。
学生時代、KYの魔術師の異名を持ったこの私の空気冷却力はいまだ健在だ。
耐えかねたみゆきがフォローしてくれる。
「最近は晩婚化も進んでいるようですし・・・」
「うんうん、おねえちゃん、子供好きでうちの子もかわいがってくれるし、大丈夫だよ~」
つかさのフォローの意味はよく分からないが、すごく気を使わせてしまったのがわかった。
みんなと分かれ、つかさを今の家まで送り届けた後の帰り道、近所のショッピングモールに寄った。
別に買い物や用事があったわけではないけど、まっすぐ家にかえるのがなんとなくためらわれたのだ。
何をするでもなく、モール内を散策する。
行き交う人々を眺める。
仲良さげに腕を組んで買い物をする夫婦、子供の手を引いて歩く母親、家族で外食を楽しむ親子。
見えない壁の向こうにある世界が、今の私には遠い。
当たり前の幸せを蹴ってまで、盲目的に目指した法律の道。
悲惨な10年の焼け跡に残った私こそが、負け犬の呼称にふさわしいわ。
こんな自虐的思考が染み付きすぎて、何が自分の幸せなのかも分からなくなってしまった。
このまま、日々をなんとなく過ごして、その場限りの楽しみだけを享受して、そして、なんとなく年老いて死んでいくんだろう。
これが、私の人生か。
こども服売り場に差し掛かったとき、ふと小さな女の子が目に入った。
買い物をする母親についてよちよち歩いている。
「かわいいなあ・・」
この間見たアニメのヒロインなら、即お持ち帰りしてしまうだろうかわいさだ。
小さな体、もみじのような手、つぶらな瞳。
1歳?いやもう歩いているし、2歳くらいだろうか。
しばらくじっと見つめていると、目が合った。
ニコっと、微笑みを返してくれた。
思わず私も微笑む。
すると、彼女は、後ろを向いて服の品定めをしている若い母親から離れ、トコトコと私の元へ歩みよってきたのだ。
瞬間、彼女は、私の中の、今まで眠っていた部分に触れてしまった。
その無垢な瞳。
あなたのような存在を私は求めていたんだ。
人間として、女として、生物として、いびつな生き方をしてきた私の内なる欲求が本当に求めていたのは、あなただったんだ。
吸い寄せられるように子供に近づき、抱き上げる。
彼女は無邪気に私に甘えてくる。
母親は服選びに夢中で、まだこちらに気づいていない。
少し離れた場所にある窓越しに駐車場を見る。
中古で買ったミラジーノは、出口からすぐ近くに止めてある。
私は、女の子の手を引いた。そして、音を立てずにその場から立ち去る。
刑法224条。
そんな単語が車のドアに触れた瞬間頭を掠めたが、子供のぬくもりを感じる喜びにまぎれてすぐに消えた。
9月30日付朝目新聞 社会面
『1歳女児連れ回した容疑「子どもいなくて、かわいかった」 』
1歳の女児を車で連れ去ったとして、埼玉県警久喜署は29日、同県鷲宮町鷲宮1、無職柊かがみ容疑者(30)を未成年者略取の疑いで緊急逮捕したと発表した。
同署の説明では、「独身で子どもがいなかったので、人なつっこい女児がかわいかった」と容疑を認めているという。
久喜署によると、柊容疑者は同日午後1時45分ごろ、久喜市内のショッピングモールの子ども服売り場で、市内に住む女児(1)が母親(34)から離れたのを見て、手を引いて店外に連れ出した。
さらに約5キロ離れたスーパーの駐車場まで軽自動車で約45分間、連れ回した疑いがある。
柊容疑者は女児の発見者を装って「迷子になっている女児を保護した」と110番通報したという。
ショッピングモールの防犯カメラに、女児の手を引く柊容疑者の姿が写っていたことなどから発覚した。
終
最終更新:2008年10月03日 21:42