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働けど働けど

木冬かがみ、四捨五入で30歳、今は機械工場で流れ作業をしている。なぜこんな事をしているのか・・・?

高校時代の私は輝いていた。あの頃を思い出すと自分が別人に見える。友達との何てことない会話、明確な目標なんか無かったけど毎日が楽しかった。
高校を卒業し私は大学の法学部に進んだ。自宅から大学は遠く、仲の良い友達たちから離れて一人暮らしを始めた。大学でもきっと楽しい事が沢山あると信じていた。
しかしそれは叶わなかった。私が気付いた頃には、すでにいくつかのグループが出来上がってしまっていた。今思えば単にタイミングが悪かったのだ。
グループに入ろうと積極的に話し掛けたりもした。しかし半年経っても馴染めなかった私は、徐々に他人との関わりに臆病になっていった。
それ以降は『学生の本分は勉強』と自分に言い聞かせ、勉強に没頭するようになった。自分は周りの遊んでいる連中とは違う、そんな思いもあったのかもしれない。
しかし大学で一人で勉強することはとても効率が悪かった。周りの連中がどんどん資格を取っていく中、私は定期試験をパスするのが精一杯だった。
結局私は、大した資格が無いまま卒業してしまった。就職先が決まらなかったので、一旦実家に戻ることにした。

実家に戻ってからも熱心に就職活動をしていた。
しかし大学時代を一人で過ごしたせいか、変なプライドを持っていたのだろう。「法学部を出た私がこんな仕事は出来ない」「この仕事は私の目指すものと違う」と選り好みするようになってしまっていた。
そんな訳で、職が決まらないまま1年近くが過ぎていた。
実家に戻り1年が過ぎた頃、高校時代の友達が気になり始めた。数年来会っていないが、風の噂ではあの子は就職した、あの子は結婚したなどと聞いていた。
今のこんな自分に彼女達は会ってくれるだろうか。連絡するのは怖い、でも会いたい。
偶然道端でばったり会うんなら問題無いわよね。そんなことを考えて私はフラフラと街を彷徨うようになっていた。
家族には「就職活動してくる」と言って外出していたが、実際は高校時代の思い出の場所を歩いたり、友達の自宅付近を徘徊していた。
昔の友達の中にはすでに地元を離れた子も多く、もちろん偶然出くわすような事は無かった。
家族も私の行動を不審に思ったんだろう。最初は「不景気だから仕方ない」と優しくしてくれたが、徐々に小言を言うようになった。

私は生まれ育った街を出ることにした。家族との関係が上手くいかないという事もある。しかしそれ以上に、この街に居ると楽しい記憶が蘇ってしまう。思い出にすがってしまう。
今の自分にとってそれが一番辛く、このままでは駄目だと思い始めた。
私は昔から浪費する性格ではないので、わずかながら貯金があった。これを使えば見知らぬ街でアパートを借りるぐらい出来るはずだ。
家族には「大学時代の友達が仕事を紹介してくれた。その子のところでしばらく世話になる」と嘘をついて家を出た。
そして北国の海沿いにある地方都市を目指した。故郷を離れるのは寂しいが、新しい場所なら上手くやれるのではないかと淡い期待もあった。

わずかな貯金に手を付けた事が、取り返しのつかない事だったとはこの時知る由も無かった。



夜行バスからローカル線に乗り換え、私は海沿いの街に着いた。こんな長旅をするのは高校の修学旅行以来かな・・・。
無計画にこの街を選んだ訳じゃない。この街は派遣社員の数があまり多くないと噂を聞いた。派遣の数が少なければ仕事も回ってくる。アパートの家賃が安いのも決め手だった。
派遣という仕事に最初は抵抗感があった。しかし事務系の仕事が大半だろうし、派遣された会社で良い所があればそこで正社員になる道もあるはず、そんな風に考えていた。

やはりこの街は派遣の数がさほど多くないようだ。テレビで見ていた『ワーキングプア』とは幾分状況が違うように見えた。早速派遣会社に登録し、仕事を紹介してもらった。
田舎のこの街では都会ではあまり無い仕事も派遣に回って来た。当然楽な仕事ばかりでは無い。これは誤算だった。

最初に紹介されたのは、缶詰工場での流れ作業だった。水揚げされた魚を加工して缶詰にするのだ。
職場に行って驚いたのは、その生臭さと汚さだった。最初は匂いで具合が悪くなってしまった。作業に取り掛かれば魚の血やウロで手が染まっていく。
事務仕事しか想像していなかった私にこれはショックだった。法学部を出た私がなぜこんな事をしなくてはいけないのか・・・。
しかしウンザリしているばかりでは叱られてしまう。派遣登録が削除されるかもしれない。詰まらないことは考えずに作業を進めよう。
匂いと気持ち悪さに堪え忍んだ缶詰工場は、出荷のピークが終わったからと2週間で切られてしまった。
何か仕事をしないと暮らしていけない。わずかな貯金はアパートの敷金やら食費やらで殆ど無くなってしまった。貯金を少しづつ使いながら細々と生活する、などという構想は早くも崩れ去った。

次に紹介されたのは海岸のゴミ拾いだった。もうすぐ海開きなので、流れ着いたゴミを拾って観光客を迎えられる海岸にするのだ。
海岸には様々なゴミがある。大きいものでは冷蔵庫や洗濯機なんかもある。これを数人掛かりとはいえトラックに積み込むのはかなりの重労働だ。
炎天下の中、満足に休憩を取れないまま作業は続いた。日焼けなど気にしていては仕事にならない。
2日間の作業で海岸はきれいになった。海開きされれば、みんな家族連れや友達同士で楽しく遊ぶんだろうな。
私が最後に海で遊んだのはいつだろう・・・。今後も海に遊びに来る事は無いんだろうな。何年か振りに海を見たはずなのに感動もときめきも無かった。

その後も派遣の仕事を続けていたが、長期の契約はなかなかもらえなかった。長期の仕事は地元の人や高校新卒に取られてしまう。よそ者には厳しい。
同じ派遣の人と仲良くなれば良い仕事を紹介してくれるかもしれない。しかし私は自分の奇異な境遇を隠そうとして積極的に交流出来なかった。
回ってくる仕事は汚い仕事やきつい仕事ばかり。体力は限界に近い。それでも仕事をしないと家賃も払えなくなるのでわがままは言っていられない。

自分は誰かの役に立っているのだろうか。自分が居なくなって困る人は居るのだろうか。
派遣の代わりならいくらでもいる。私は手駒の1つでしかない。ひょっとしたら、仕事中に私が居なくなっても誰も気付かないかもしれない。
そんな事を考えるとどうしようもなく不安になり、消えてしまいそうになる。



「こらぁ!ボサっとしてっと轢かれるぞ!女だからって甘ったれてんじゃねぇど!!」
今日は工事現場でダンプカーの誘導だ。ダンプの運転手に一喝された。
「すっ、すいません!」
      • 女だから、か。
そうだ、思い出した。私は『女だから』と言われるのが嫌で法学部に入ったんだ。弁護士を目指したんだ。
法律は平等で弁護士に男女は関係無い。女でもバリバリ仕事して、それでいて困っている人を救えれば・・・。フフッ自分すら救えないのに他人を救えるはずないのにね。
余計な事を考えている暇は無い。目の前の仕事をこなさないとお金はもらえない。
舞い立つ土埃で口の中がジャリジャリする。旗を振る腕はかなり前からだるく、声が枯れ始めたのかのどが痛かった。

かつて私にも趣味と呼べるものがあった。しかし今は趣味を楽しむお金も時間も無い。
ギリギリの生活を送っているうちに、少しでも暇があれば働いてお金に換えるようになっていた。
お金を貯めて何をしたいのか?わからない。でも、お金が無ければ家も食べるものも無くなってしまう。
派遣の仕事では、いくら働いてもお金が貯まらない。家賃と携帯代と光熱費を払うと自由に使えるのはわずかだ。そもそも趣味をたしなむ気持ちの余裕は無い。
何かに追い掛けられる生活、何を追い掛けているのか分からない生活。
派遣先では正社員やパートのオバチャンにまで嫌味を言われ、渋い顔をする派遣会社の人に頭を下げて仕事を分け与えてもらう。私のストレスは限界に近づいていた。
パートのオバチャンが悪い、国が悪い、派遣の仲間が邪魔をする・・・。誰かのせいにでもしないとまともな精神では居られない。
常に誰かが私をおとしいれようとしている、いつも私ばかり苦労する、そんなことすら考えていた。
家に帰れば粗末なご飯を食べて寝るだけ。疲れ果てて何もする気にならない。時には寝る間を惜しんで仕事をする。

いつまでこんな生活を続けるのだろうか。故郷に帰りたい、暖かいご飯が食べたい、誰かに悩みを聞いてほしい。
しかしお金が無いせいで帰ることすら出来ない。帰れたとしてもどんな顔して家族に会えばいいのか分からない。
きっと今後何年もこんな生活が続くんだろうな。正社員なんて夢のまた夢。毎日がその日暮らしで、明日晩ご飯を食べられるのかも分からない。

布団に入り眠るまではこんなことが頭を駆け巡る。
早く寝てしまおう、明日も早いんだ。



ギリギリの生活を積み重ねたツケが回ってきたのかもしれない。私はついに倒れてしまった。仕事中だったので周りの人が病院へ運んでくれた。
派遣会社の人は、最初は「しばらく休んでから復帰しておいでよ」と言ってくれたが、2週間経っても退院出来ないので登録を抹消されてしまった。やはり私の代わりなどいくらでも居るのだ。
アパートの大家さんが家賃の支払いを数カ月延ばしてくれた事だけが救いだった。

頼れる相手は誰も居ない。他人との関わりでさえ、検診と食事の時ぐらいだ。
『病は気から』もしそうだとしたら、私は一生病院から出られないだろう。あんな生活に戻るのはもう嫌だ。かといって、いつまでも病院に居る訳にもいかない。
いっそ病室の窓から飛んでしまおうか、そんな事が頭をよぎる。

「木冬さん、面会の方がお見えです」
看護師がそう告げた。私に会いに来るなんて誰だろう?アパートの大家さんが家賃の催促に来たのだろうか。ついに潮時かな。
「かがみ・・・・・・!」
下の名前で呼ばれるなんて何年振りだろう。私を名前で呼んでくれるのは・・・。
「母さん・・・・・・!?」それは紛れもなく私の母親だった。
実家とは何年も絶縁状態だった。自分の境遇が情けなくて連絡など出来ないまま月日が流れていたのだ。
入院したことで私の医療費の請求が実家に行ったらしく、そこから私の居る病院を突き止めたそうだ。
そうか、保険証の住所を変えないままだったからか。この街に来てから、病院にかかる余裕など無かったから保険証を使うことは無かった。

その晩、母さんは病院に泊まってくれた。色々な話をした。嘘をついて家から出た事、お金が貯まらずこの生活から逃れられなかった事、何の為に生きているか分からない事、助けて欲しい事。
「もう無理しなくていいのよ。みんな心配してるから帰ってらっしゃい」母さんは優しく私を抱きしめた。
家族っていいな。暖かい。私は泣いたが、これが何の涙か分からない。挫折した悔しさ、この街での辛さ、家族の暖かさ・・・全てが入り交じって涙が止まらなかった。
翌日母さんは私の病院代を払い、更に帰るための交通費を渡してくれた。こんな大金は何年も見ていない。これさえあれば実家に帰れる。苦しい生活から逃れられる。
私は状態が良くなるまで入院し、母さんは先に帰ることになった。

私は退院し、ついに実家へ帰ることにした。
駅前まで来て、私は振り返り街を眺めた。
ここに初めて降り立った時は、不安もあったが新しい生活への期待が大きかった。見知らぬこの街でやり直せると信じていた。そのせいか街全体が輝いて見えた。
今は街が灰色に見える。人生の内でほんの短い間だけ過ごした街。二度と来る事は無いだろうが、私はこの街で過ごした時間を一生忘れないだろう。
長旅を終え、私は故郷に到着した。実家を出てからずっと旅をしていたのかもしれない。長い長い旅を終えたのだ。
数年振りに見た故郷は、高校時代とも実家を飛び出す前とも違う不思議な感じに見えた。

実家の前まで来て、私の足は止まった。果たして家族にどんな顔をして会えばいいのか。これからどうすればいいのか。不安な気持ちを払うようにドアを開けた。
「ただいま・・・」
家族は優しく迎えてくれた。何年離れていようが家族は家族だった。
私は泣いた。涙か枯れるんじゃないかと思うほど泣いた。そして数えきれないほど謝った。

実家に戻ってからは、ボロボロになった体と心を治しながら家業の神社を手伝っている。
掃除や片付けのような簡単な事しか出来ないが、派遣で働いていた頃とは気分が違う。今は明日がある。
人より遅いスタートかもしれない。十年近くを無駄にしてしまったかもしれない。でも、支えてくれる人が居るから私はやり直せる。
「まだまだ行けるわ」故郷の空を見上げてつぶやいた。

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最終更新:2009年07月03日 23:20
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