by、佐賀県
玄関先で宅配係の人からその箱を受け取る時はさすがに緊張した。ラベルには『食品』とだけ書かれている。しかしその箱の中身はインスタント食品でもお菓子でも無い。
玄関の鍵を閉める。念のためチェーンまで掛けた。窓の鍵が閉まっているのを確認して、まだ昼だというのにカーテンを閉めた。電気を点けたが、部屋は心一つ薄暗い。
私宛に届いた宅配物、それをこたつ机の上に置いてさっそく封を切る。ふと振り返って、部屋に誰もいないかを確かめる。玄関の扉の鍵は、やはり閉まっている。
神経質になりすぎているな、そう思うがやはり緊張する。体と腕が小刻みに震える。私はガムテープを乱暴に手で剥がして、その小さなダンボール箱を開けはなった。
中身を机の上に並べる。なるほどラベルに書かれた『食品』と、そこまでかけ離れた物ではない。知らない人が見れば乾燥しいたけに見えないこともない。しかし乾燥しいたけが数十グラム程度の分量で2万円もするわけがない。
最初は単なる好奇心からだった。
大学で私は誰とも話さなかった。友人もいない、付き合う異性もいない。しかし回りの人間は明るく楽しそうにしている者ばかり。そんな空間は、ただ居るだけで無意識下で私に過大なストレスを与えた。
私は講義をサボりがちになった。最初は朝の一限目だけだったが、しだいに気分が乗らない日はまる一日家から出なくなった。いつしか全く大学に行かなくなっていた。
なんとかしないといけない。それはわかっているのに、体を動かすのがひどくおっくうだった。
大学に行くのは苦痛だった。しかし家でぼーっと過ごすのもまた苦痛であることに変わりは無い。大学をサボって一日中家に居ることを楽しいと思ったことは一度もない。しかし、大学に行くのも辛いから、他にすることがないのだ。
苦痛を忘れるためにずっとパソコンを開いていた。ネットに入り浸った。高校の頃はこなたを叱っていた自分が、馬鹿みたいに一日中パソコンの前に座り込んで、オンラインゲームやチャットばかりしているのは我ながら滑稽だと思った。
次第に、そういう自分と同じ境遇の人間が多く存在するのだと知り始めた。ネット上の掲示板で色んな人と連絡を取り合い、そうしていくうちに様々な情報を手に入れていた。良い物も悪い物も含めて。
現実の知り合いよりもチャット仲間たちのほうがずっと多くなった。ネットの付き合いは楽しかった。みんな顔は見えないがいい人ばかりに思えた。ちょうど、こなたのような性格の人が多かった。親しみやすいと思えた。
そんな中、合法ドラッグというものがあると知ったのは、つい先月の事だった。元々、ニュースや特番で取り上げられていた情報として知ってはいたのだが、まさかこうしてネットで当たり前のように取引を扱う人間が存在しているとは思わなかった。
聞けば、私のように家に閉じこもりがちな人間の多くは、合法ドラッグに手を出しているそうだった。チャット仲間もほとんどが経験者ということだった。
私は驚愕した。だが、彼らからすればそれは常識だそうだった。自分は警察関係者だけど常習使用していると自称する者もいた。
最初は抵抗があった。当然、一緒にどうかと誘われても断った。合法だろうと麻薬は麻薬。学校でも散々に言われてきたことだ。
私が断っても、彼らは別に何事もなかったかのようにそれまでのチャット会話を再開してきた。嫌な気持ちは一つもないらしかった。別に私からお金を巻き上げたいだとか、そういう魂胆で誘ったわけではなかったらしい。
悪い事をしている分、酒飲みの酔っ払いよりよほど分別が付く人間が多い、そういうことらしかった。私も、合法ドラッグの話は断ったが、それまでどおりその仲間とはチャットの付き合いを継続していた。
そんな生活を続けていたさ中、半月ほど前だった、大学から留年の通知が届いたのは。
単位数の不足が原因らしい。だが不足もなにも、そもそも講義に全く出ていないし、試験を受けてすらいなかった。いかにぬるま湯体質の日本の大学でも、一日も大学に足を運ばない人間を進級させるほど甘くはなかったようだ。
親にも連絡が行った。それまで私は、親にちゃんと大学に行っていると嘘を付いていた。それが露見した。一体何をやっていたんだと、ひどく問い詰められた。
そんな気持ちがどん底の状態で、せめて行き着いた先が自殺サイトじゃなかっただけマシだと思うべきだろうか。気が付けば、私はチャットの仲間に合法ドラッグの入手方法について尋ねていた。
そして、今に至る。私の目の前に、お金を払って注文したそれが並べられていた。
『作り方』と書かれた説明書を開く。中には手書きの絵と共に、調合方法が記されていた。
料理をしている気分だった。乾燥キノコ、マジックマッシュルームに似た種類のもので、脱法ドラッグの一種らしい。それを細かく刻んで、水を張った鍋に入れた。
それから沸騰させて数十分ほど待つ、あとは煮汁を何かの料理に混ぜて摂取すればいいらしい。私はスクランブルエッグを作って、それに混ぜることにした。
作り終えた後で、『作り方』の中に注意書きの項目が目に止まった。
『注意:セットとセッティングについて。
このドラッグは知覚作用と感情作用のトリップを目的としたもので、トリップ体験には摂取時の精神状態と、それに伴う外部状況が良好であることが絶対条件です。
つまり、楽しい精神状態で摂取すると天国ですが、ブルーな精神状態で摂取するとマジで地獄行きになります。悪魔とかの幻覚を見て自殺する人もいます。注意してください』
これについてはチャット仲間から聞かされていた。ドラッグの摂取時にハイな気分になるためには、心と身の回りの状況が良くないといけないらしい。
自分が見たいと思う幻覚を強くイメージして、またそれに付随する物を身の回りに置いておくといいという。具体的には異性のポルノ画などらしい。
私は一番自分が楽しいと思えることを想像しようとした。だが最近の生活の中にそれは見つからなかった。実りの無い日々、空しく過ぎ去っていくだけの日々。一人ぼっちの日々。それがずっとずっと続いていた。
年月をいくつもさかのぼって、ようやく見つけた。あの頃の、高校の頃の友人達が脳裏に浮かんだ。
こなた、みゆき、つかさ。彼女達と過ごした日々が、私の人生の中で最も楽しい時間だった。
みんなで毎日なんてことないバカな話をしてた。一緒に海に行ったりした。夏祭りにも一緒に行った。修学旅行も彼女たちと一緒だから楽しかった。
本当に楽しかった。あの頃は毎日が輝いていた。
机の上に置かれていた、大学からの『留年通知』の紙を細かくちぎってゴミ箱に捨てた。代わりに、アルバムからみんなの写真を取り出して、机の上に並べた。
こなたが笑っている。つかさも笑っている。みゆきも笑っている。そして、私も笑っている。楽しそうに、写真の中の私は本当に楽しそうに笑っている。今の私ではない、昔の私が笑っていた。
涙が溢れ出した。私は、今の自分の顔を見るのが嫌で、壁掛けの鏡を取り外して床に伏せて置いた。机の上にあった置き鏡も倒しておいた。今の私は私じゃない。この写真の中の、みんなに囲まれて笑っている私が、私なんだ。そう思い込んだ。
BGMに、あの頃よく聴いていた歌を流した。アニメの歌だ。こなたに勧められて、すっかりハマって、原作のラノベを買って逆に私がこなたに勧め出した、思い出のアニメだ。それを聴いていると、本当にあの頃の自分が戻ってきたような気がした。
涙が止まらない。楽しかった、あの頃は本当に楽しかった。宝石のように輝く毎日。それが実際に自分のとなりにあった。机の上に涙の粒がぽたぽた落ちた。楽しいはずの思い出なのに、思い出せば思い出すほど涙が溢れて止まらなくなる。
そして、自作のドラッグ入りスクランブルエッグを食べた。摂取時の抵抗はほとんどない。見事なまでのおいしい卵焼きだった。味付けの砂糖の裏に少し苦味があったが、吐き出したいと思うほどではなかった。
数分後、私の体はとてつもなく大きな脱力感に襲われた。座っているのもだるかったのでその場で横になった。
そしてすぐに、私の心に意味不明の高揚感が訪れた。ただ幸せな。嬉しいと楽しいと面白いをごちゃ混ぜにしたような、ひたすら幸福な感情が、私の精神を覆い尽くしていた。
それから幻覚を見た。幻覚を見ているのだと意識ではっきりわかっていたが、その映像たちはとてつもなく現実的な厚みを持っていた。触れれば熱も感じた。話しかければ言葉を返してきてくれた。
みゆきがいた。あの頃のみゆき、制服姿のみゆき。つかさも制服姿で、あの頃の姿のまま私に話しかけてきた。こなたもいた。みんな笑っていた。気が付けば私も笑っていた。涙はもう出ない。だって幸せだったから。みんなに囲まれて、私はどこまでも幸せだった。
それから数時間、昼食の時間にドラッグを摂取してから、日付が変わるほどの時間まで、私はずっとみんなと一緒にいた。あの頃の私であの頃のみんなと一緒に話しをしたり、遊んだりしていた。
終わりは夢から覚めるようにゆるやかだった。吐き気もしない。頭痛も無い。すっきりした気持ちだった。するりと、みんなの幻覚が消えて、さっきまで高校の教室にいたはずの私は、いつの間にか自分の部屋、一人暮らしのアパートの一室に戻ってきていた。
多少の副作用は覚悟していたのに、あまりにあっけなかった。ただ本当に気持ちよかった。こんなものなのか。あんなに緊張した自分は何だったのだろう。まるでわからなかった。本当にただ素晴らしいと感じられた。
説明によれば、このドラッグに副作用は無いらしい、セットや摂取量を間違えなければ何も問題は無いそうだ。
あはは。私は声を出して笑った。幸せな幻の余韻はまだ残っていた。もう陰鬱な気持ちはどこにも無い。悪い感情は全て体の外に出て行ってしまったようだ。
机の上にはまだ購入したドラッグが大量に残っている。一日に何度も摂取するのは良くないそうなので、今日はそれを引き出しにしまっておいた。
私はどこまでも晴れやかな気分だった。だって明日になれば、また今日と同じ様に、『みんなと会える』んだから。またこんなに『幸せ』な気持ちになれるんだから。
こんなに心地良い気持ちになるのは本当に久しぶりだった。全てがうまくいくように思えた。これまでの暗い生活が嘘みたいに、まるで全てがうまくいくような気がしていた。
ふと、ベランダに出た。ほてった私の体に、夜風が丁度良く当たった。
空を見上げた。しかし都会の夜空に星は見えなかった。なぜか自然と涙がこぼれ落ちた。
完