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帰る場所

by明星大(長屋)



 家に帰った私を一番に迎えてくれるのは、静寂。
 静寂はいい。私を非難しない。私が何をしても文句を言わない。あの頃とは、高校時代とは大違いだ。
口うるさい姉も母も、家族はみんないない。独りは、静寂は、本当にいい。
 だから私はあれから、いつの間にか、本気で笑うことができなくなっていた。
 一人暮らしを始めたばかりだった頃の私は愚かだった。あの頃に戻りたいとばかり思って
今の自分とまるで向き合おうとしていなかった。
 今思えば、本当にあの頃の私は駄目だった。全然駄目、話にならない。
 だから私はもうワラワナイ。ただ、この静寂に身を包んでいる時だけが私の唯一の楽しみだった。
「……嘘……」
 思わず口から言葉がこぼれる。すると今度はもう我慢できない。目から涙がこぼれ
するとまた口からも言葉がこぼれる。必死に押し込めていた想いも、こぼれてくる。
「嫌……やっぱり嫌よ……戻りたい……あの頃に戻りたい……友達が欲しい。口うるさくても構わないから
家族だって……笑顔も、楽しみも、悲しみも……」
 欲しい。でも、欲しがってもどうにもならない。だから、欲しがらない。そのうち欲しがらない感情は、欲しくない感情に変わるはずなのだ……。
 ずっとそう信じてきて、一年以上過ぎた。私は一体いつまで、この生活を続けるのか。
 でも、あの頃に戻りたくても、どんなに願っても、神様は私になんか奇跡を分けてはくれない。だから、結局今までどおり。
 そうだ。結局どんなに願ってももうあの頃の生活には戻れないのだ。戻りたいと思っても、思わなくても、結果は同じ。
なら、苦しまない方を選ぼう。そんなのは小学生でもわかる計算だ。結果が同じなら、過程が楽なほうが良い。
 戻りたいなんて、愛おしいなんて思っちゃあいけない。もっと捨てなきゃ、私をもっと……柊かがみを、捨てなきゃ……。
 そう思ったから、私はもう『柊かがみ』を捨てた。
 柊かがみは、アニメがそんなに好きじゃあなく、いつもこなたの話においていかれていた。
 でも、私は柊かがみじゃあないから、こうやって一日に一度はニコニコのチェックに行かなければ気がすまない。
キャラの誕生日はスレで祝う。常に常連サイトのチェックは怠らない。
 下らない三文芝居のようなドラマにも涙を流した。吸っても咳を出すだけのタバコも吸えるように頑張ってる。気持ちの悪いボディビルも見に行った。
優勝候補が一回戦でルーキーに負けたとき、歓声を飛ばした。
 でも、どうしてだろう。
 こうやって自分を捨てれば捨てるほど、自分が元々つかめた幸せを捨てているような気がする……。

 駄目……考えちゃあ駄目。考えれば考えるほど、また涙が出てくる。
 だから気がつけば私はボロアパートの自分の部屋に施錠をし、徒歩で近所の居酒屋へ向かっていた。
「……っく……う……ぅぅう……」
 どれだけ酒を飲んでも飲んでも、涙が止まらない。大ジョッキを何杯飲んだだろう。一杯600円だ。
サイフの中身は足りているのだろうか。でも、そんなことを気にしている暇があったら酒を飲もう。
「お客様……そろそろ閉店のお時間となりますので……」
 店員の一言に異常にムカついた。私の甘美なる時間を邪魔しやがって。鬱陶しいのよ。
「何よ。私が居ちゃあ迷惑だっての? いいからさっさと酒持ってきなさいよ!
 酒! 酒! 酒!」
 私は何度も机を蹴り飛ばしながら言うが、店員は全く動かない。ただ、困った顔をするだけだった。
 面白くない。もうこんな店は出よう。次の店に行けば良い話だ。
「まだ9時か……開いてる店あるかしら……」
 暗い路地裏をフラフラと歩きながら、まるでいつ平行感覚を失い倒れてしまってもおかしくないような状態。
 そこまで酔っても、まだ虚しさはなくならない。
 どうして? ここまで自分を捨てているのに。これ以上何を捨てろというの……?
 気づいた時、私はもうポケットから携帯電話を取り出して、それに番号を打ち終えてい
た。
「お嬢ちゃん初めて? あ、大丈夫だよ、怖がんなくても。痛えのは最初だけだし」
 気がつけば私はもう、ラブホテルのベッドの上でされるがまま。だって、もうこんな世界に興味は無い。
どうせ、あの頃には戻れないのだから……。
 気持ちいいとも、気持ち悪いとも感じなかった。ただ、男は狂ったように私の体を犯すだけだった。
 私の目の前にある真実はそれだけで、真実だけが今の私にあるもの。楽しかった時間には戻れない。
今のこの私が、今の私の真実なのだ。
 男の気が済むと、男は私に封筒を渡して去っていった。結構厚い。開けると中には札が何枚も入っていて、いずれも一万円札だった。
 だが、私はお金になど興味はない。計算どおり、私は開放感を感じていた。
 だって、もう「あの頃に戻りたい」だなんて幻想は想わないのだ。
 だって、こんな穢れた私を、あの頃のこなたや、つかさ、みゆきが受け入れてくれるわけがないじゃない……?
 つまり、全ては手遅れなのだ。だから、もういい。ようやく私は踏ん切りをつけることができた。
今を生きることができる。これで良かったんだ……。

「良かったのよね……本当に……」
 誰に言うわけでもなく、また路地裏で私は呟く。
 もう12時だ。帰って寝よう。そしてまた大学に行って、いつもの日々を過ごそう。
 と、ようやく家に着いたとき、私の部屋の前に人の姿があったのを確認した。
「……誰……?」
 暗くてよく見えないが、私はその暗がりの向こうにいる人物に問いかけた。
 すると、聞き覚えのある、可愛らしくて、「あの頃と全く変わらない声」が返事を返した。
「お姉ちゃん……? お姉ちゃんだよね? 久しぶり! 何処に行ってたの!?」
「つかさ……?」
 暗がりの中の人物は、こちらに駆け寄ってくる。するとだんだん姿がくっきりと見えてきて……
ああ、間違いない。妹のつかさだった。あの頃と全く変わっていない姿の、つかさがいた。
「あんた……どうして……?」
「えへへ……お姉ちゃん、一人暮らし大変だと思ってみんなで差し入れに来たんだよ」
 つかさの「みんな」という言葉に、私はある幻想的な風景を思い浮かばせる。
「あ、いたいた! お~い! かがみ~ん! どこ行ってたのさ~!」
 突然背後から、こなたの声が。
「かがみさん、帰ってきたんですね」
 今度はみゆきの声。
「お姉ちゃんが帰ってくるまで部屋の前で待とうと思って……コンビニのおでんを買いに行ってもらってたの。
必要なくなっちゃったけど、みんなで食べようよ」
 なんてこと……私は、なんて思い違いを……。
「馬鹿……馬鹿ね……本当、あんた達ったら……馬鹿なんだから……」
 目からこぼれる液体を、私は止めようとは思わない。ただ、その言葉を連呼しながらも
だんだんとそれが自分自身に向けられている言葉であることを自覚していく。
 馬鹿なのは……私だった。
「う……ぁ……あ……あ……」
 当たり前だった風景を、あれからたったの一年経ったぐらいでそれを「幻想的」だと言い
それを二度と帰ってこないものだと決め付け、私は必死に自分を捨てようとしていた。
 なんと愚かで馬鹿なことだろうか。会おうと思えば、いくらでも会いにいける。それこそ、電話に番号を打ち込むだけで声を聞けるのだ。

 なのに私はそんな当たり前のことを、他の誰でもない自分自身で捨てたのだ。
 しかも、それでも捨て切れなかったから……私はさっき……。
「ぁ……うあああああああああ!! ああああああああああああああ!!!」
 恥じることなく、私は大声を出して泣いた。つかさやこなたがどうしたのかと私に駆け寄ってくる。
そんな温かい声のぬくもりは、まさに私が思い描いた幻想。だが、そんなものは幻想でもなんでもない。
電話機のこちら側と向こう側。なんと薄い壁だったのか。
「つかさ……こなた……みゆきぃ……私……私、なんてこと……あ……ああああああ……」
 『今』は幻想などではなく、まぎれもない現実だった。でも、私はたったさっき、その現実さえも本当に幻想にしてしまったのだ。
だって、私はもう、穢れているんだから……。
「か……かがみ? とりあえず家に入ろうよ。凍死しちゃうよ」
 こなたの声のおかげで私は少しだけ落ち着き、ポケットから鍵を取り出し、開錠する。
するとみんなが部屋に入ってから、私にどうしたのかと問いかける。
 だから、私は全てを話した。
 もうみんなとは会えないと思っていたこと。だから自分を捨てようと、下らないことばかりに時間を費やしていたこと。
そして、たったさっき、自分の体を売ってしまったことも。
「わかったでしょ……? ここにいる私は、もうあの頃の私じゃないの。
 もう遅い……現実が、私のせいで幻想になっちゃった……」
 泣き崩れながらも、私は同情の言葉がほしかったわけではなかった。
 でも、それでも思っても見なかった。まさか泣き崩れる私の頬が、叩かれるなんて。
 一瞬何が起こったのかわからなかったが、すぐにわかった。三人のうち、一人だけが私のことをギラリと睨みつけていたからだ。
 その鋭い目の持ち主は、こなただった。
「いい加減にしなよかがみ! 何回同じことを繰り返すの!?」
「……え……?」
 こなたの言葉を引き継ぐように、今度はつかさが優しく言った。
「お姉ちゃん。お姉ちゃんはまだ失ってなんかいないよ」
 今度はそれを引き継ぐように、みゆきが。
「確かにかがみさんのやったことは褒められることではありませんね。
でも、私達はかがみさんの味方です。かがみさんを、かがみさんのやったことを否定なんかしませんよ」
「み……みゆき……」

 私はもう一度鼻をすすり、間をおいた。
「本当にいいの……? 私、もう穢れちゃった……。みんなと違うのよ……?」
「何を言ってんの。確かにツンデレキャラが処女じゃないのは痛いけど
それでもそこまでマイナスじゃないし、むしろ私的にはまったくOKだよ! 有りアリ!」
「あはは……こなちゃんの言うことはよくわからないけど……私もお姉ちゃんのことを軽蔑なんてしないよ」
「そうですね。かがみさんが何をしてもかがみさんは私たちの友達です」
「みんな……みんな……!」
 目から溢れる涙と、口から溢れる言葉を、今度こそさえぎる人はいないと思っていたが
一年ぶりに思い出した。こいつらにはそんな常識がないのだ。だから、しんみりとした空気はあっさりと破られるのであった。
「さて、じゃあみんなの差し入れ食べようよ!」
「うん、こなちゃんは何を持って来たの?」
「え? いや、私のは食べ物じゃないんだけど、夏コミにフルメタのBL本の新刊出てたから……はい、かがみん」
「い……いらないわよ! んなもん!」
「あはは、バルサミコ酢ぅ~」
「ちょ……ちょっとつかさ! 何よその『80年もの』とか書いてあるのは!
 一体いくらしたわけ!?」
「お恥ずかしながら、私からは近所で買ってきた食品ぐらいしか……」
「み……みゆきぃぃぃぃ! やっぱあんたは最高だぁぁぁぁ!」
「あ、でも飲み物がありませんね」
「バルサミコ酢ぅ~」
「お……お茶があるわよ! 頼むからビンを逆さに持って振り回さないで!」
「ね~えかがみ~ん、私BL好きじゃないの~お受け取って~」
「だー! いらないって言ってんでしょーが!」
 あっという間に以前のドタバタした騒ぎになった。壁の薄いアパートなので近所から苦情がくるかもしれない
だなんて考えもしなかった。
ただ、今が楽しかった。こんな私を受け入れてくれたことが、嬉しかった。

そうよ、私には帰る場所があったのよ。

そう、私は……。

助かったん……だ……。






「……え!?」
 ふと目が覚めて、目に入ったのは、見慣れた天井。
 慌てて飛び起きるとそこは、一人暮らしのアパートだった。
 ベッドから降りて部屋中を探しても、押入れの中も探してみたけど、私以外の人間は一人もいなかった。
「……夢……」
 押入れの前で、私の足が、私の体重を支えるのをやめた。
 それと同時に、襲ってきた嫌悪感。何よ、あれだけ自分を捨てるとか言っておきながら
あんな夢を見るってことは、結局望んでるってことじゃない。幸せって奴を……。
「う~ん……むにゃむにゃ……バルサミコ酢ぅ~」
「……!?」
 慌てて私は自分が寝ていたベッドに戻る。
 するとそこには、つかさとこなたが眠っているではないか。
 つまり、私のすぐ隣で寝ていたということ……?
「ポチョムキン~……」
「バルサミコ酢ぅ~……」
 みゆきは? と思った瞬間に、今度は玄関の扉が開いた。
「みなさーん、朝ごはんを買ってきましたよ。おきてくださーい」
 今度こそ夢じゃないことを確認するために、私は自分の頬を強くひねった。
 痛い……痛い……痛い……!
 涙が出てくるくらいに……痛い……。


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最終更新:2007年09月26日 02:23
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