kon(1) /// / ~を使って:2 \
sid:
kon(道具格)←kokko(具格) \ [
pea ] \ (道具格)~を使って \ [
vetyolom ] \ その動詞を行う際に道具として利用するものを表わす \ 抽具を取れる。節も取れる \ 人を取る場合、利用するという悪い意味はない \ 人を取る場合、上下関係や友好関係にかかわらず使うことができる \
konは道具を表わし、
okは随伴を表わす。装身具は普通
ok \ 惕 \
konは道具を表わす。その動詞を行う際に道具として利用するものを表わす。道具といっても金槌のような有形物ばかりではない。空気のような無形物でも良いし、思考のような抽象でも良いし、人のような有生を利用しても良い。人を取る場合、その人を利用するという悪い意味ではない。その人の能力を役立てるという意味で、上下関係や友好関係にかかわらず使うことができる(1) \ (1)
an vaxt-a kno tu kon xaxan(先生(の助言)を使ってこの問題を解いた) \ また、
konは節を取ることもできる(2) \ (2)
an vaxt-a kno tu kon melma et vi via(円周率が約3であることを利用してこの問題を解いた) \ 一方、
kenは道具として伴わないものを示す。「~なしで」と訳す(3)。意味は
konの反対であるが、取るものは
konと同じである。つまり、物や人も取れるし節も取れる \ (3)
an hom-a omi ken kez(鍵なしでドアを開けた) \ 一方、
okはどうか。
konと
okは意味が似ていて区別が難しい。
konは道具を表わし、
okは随伴を表わす。そして
konも
okも物・人・抽象・節を取ることができる。では両者の違いは何か \
an ke-e kon laというとき、彼は道具として考えられている。たとえば彼が車を持っていてそれを使って運んでくれるというような場合である。前述のようにこれは彼を利用するという悪い意味ではなく、あくまで中立的である。ゆえに、車で送ってくれたという場面でも
kon laといえる \ 一方、
an ke-e ok laといった場合、彼は随伴者として考えられている。彼は私が行くことに対して付いてくる人である。彼が私を車などで送るという意味ではなく、単に一緒に行く、付いてくるという意味である \ このように、道具と見るか随伴者と見るかが両者の違いである。ところで、人の場合は随伴者になることがすんなり分かるが、物の場合はどうだろうか。物が随伴するとはどういう意味か。
okが物を取る場合の随伴は付帯を表わす。たとえば装身具なら、身に付けているという意味での付帯である(4) \ (4)
an lof-i wal ok yols(スニーカーを履いて山を歩いている) \ 実は(4)の
okは
konということもできる。その場合、何が違うか。
okの場合、ただスニーカーを身に付けているということしか表わさない。
okの場合、スニーカーはただの装身具である。歩くという動作に付帯して付いてくるものにすぎない \ ところが
konの場合、スニーカーは
okの場合よりも強く道具と見られる。山という悪路を歩くのに使う道具としてのスニーカーである。ただの装身具ではなく、山を歩く道具だと見なされる。サンダルのような歩きにくいものではなく、スニーカーという山登りに使える道具であると見なされる \ このように、物を取る場合でも、
konが道具で
okが随伴という違いは生きている。また、このことから、普段身に付けているものは道具でなく装身具なので
okで表わすことがわかる。このことは接続詞にも言えることである(5) \ (5)
fian oken sab har(赤い服を着た女の子) \ 尚、
ekは随伴しないものを表わす。取るものは
okと同じである。
kenとの違いは
okと
konの違いに等しい。だから「靴を履いていない少女」は
fian eken laslである \