非エロ:提督×加賀1-309避

艦娘に関する独自設定あり。
加賀さんだけは深海棲艦が現れる前までは普通の人間として生まれ育っています。

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 食堂・間宮へと続く廊下を赤城は誰から見ても分かる通り楽しそうな顔で歩いていた。先ほど出撃から帰ってきた赤城は艤装を自分の部屋に置いてすぐに間宮へと向かった。恐らく頭の中で間宮の作る料理の数々を思い浮かべているのだろう、その表情には戦闘の疲れは見えなかった。同じ第一艦隊で出撃していた他の艦娘たちは多少の怪我を負っていたので今は入渠中だ。赤城は運が良いことに無傷で帰還できたので、今は好きなように行動している。
 一歩一歩食堂へ近づく度に騒がしい空気を赤城は感じた。その空気は食堂から流れてきている。不思議に思いながら出入り口に立ち食堂の中を覗いた時に赤城は騒ぎの原因を察した。
「そんなこと、言われなくても分かってます!」
 灰色のツイーンテールが興奮気味に揺れていた。赤城側から見れば後姿ではあったが、すぐに瑞鶴だと分かった。その瑞鶴の前には見慣れた無表情の顔があった。加賀だった。食堂にいた他の艦娘たちは不安そうに二人を見ている。間宮もカウンターで困ったように微笑んでいた。
 またか、と赤城は苦笑した。赤城と同じ一航戦の加賀は自分にも他人にも厳しい艦娘ではあるのだが、五航戦である翔鶴と瑞鶴相手だと―――その中でも特に瑞鶴だが―――より辛口になるのだ。
「実践できなければ分かっていないのと同じ。演習でさえ足手まといなのだから、いつまでもこの基地から海へは出られないわね」
「……ッ!ま、まだ…改造…できてないから…」
 瑞鶴を見る目がさらに冷たくなった。
「だから提督は貴方に良い装備を与えた。貴方が一番に功績を残せるように、改造済の私と貴方の姉の装備は性能が低いものだったし、艦攻も艦爆も制限されていた。それでも貴方は攻撃を何度もミスして、貴方を庇った姉が大破して動けなくなった。貴方が上手くやってくれていたら、今日の演習は完全勝利が出来たと思うわ」
 瑞鶴の体が小さく震えていたが何も言わなかった。加賀の言い分が的を得ていて反論の余地がないのだろう。
「未改造だからといって成果をあげなくていい理由にはならないわ。…まぁ、あの子も大破するぐらいなら貴方を庇わない方がマシだったわね。そのせいで攻撃手順が一つ減ってしまった。冷静な判断が出来ていない」
 加賀の肩が僅かに下がった。赤城の耳には届いていないが、きっと目の前の瑞鶴には加賀の溜息は聞こえているだろう。
「これだから五航戦は」
 その時ツインテールが勢いよく跳ねた。
「………今はその先輩面を精々楽しんでいるといいですよ」
 いつもより低いトーンの、据わった声だ。多分、キレた。
「五航戦は五航戦はって…”陸生まれ”のくせに!」
 一際大きな叫びが食堂に響き渡った。異様な静けさが訪れる。その静寂を破ったのはキュッという靴音だった。瑞鶴は振り返っって大股で早歩きをし、そのまま出入り口にいる赤城の傍を無言で通り過ぎた。横目でちらりと見た瑞鶴の顔はとても険しかった。
 瑞鶴は最近になってこの基地へ着任した艦娘だ。海域に出撃させるにはまだ早いので、今は演習で錬度を高めている。提督は着任したばかりの瑞鶴に配慮してか演習には必ず翔鶴も参加させていた。基本的に演習では空母は鶴姉妹だけだったが、時折加賀または赤城が随伴することもあった。演習の内容によっては赤城も鶴姉妹に注意をすることはあったが、性格も雰囲気も温和な赤城の言葉には何処にも棘がない。加賀のように鶴姉妹を無闇に落ち込ませることも見下すこともしない。まして、あんな風に怒らせることもない。
 赤城は再び目を中へ向けてもう一つの騒ぎの原因を見遣った。加賀はいつの間にか席に座り湯呑みを口につけている。瑞鶴が去ったことで静まり返っていた食堂も徐々に賑やかさを取り戻していた。何人かは加賀をちらちらと見ていたが、加賀は表情を変えていない。気付いていないのか、気にしていないのか。
「赤城さん、何が食べたいかしら」
 カウンターから間宮が声をかけてきた。赤城は数秒考えてから口を開いた。
「カレーをお願いします、大盛りで」
 わかってますよ、と間宮は笑った。
「席に座っていてください。持っていきますから」
 間宮の言葉に甘えて、赤城は席に座った。もちろん加賀の前だ。
「今日も相変わらずですね」
 加賀はチラリと赤城を一瞥し、湯呑みをテーブルに置いた。
「あの子たちは未熟だから」
 そして左腕をテーブルの端に伸ばして食器カゴの中にある湯呑みを一つ取り出した。その湯呑みにポットのお茶を注ぎ赤城に差し出す。
「ありがとう、加賀さん」
 素直にお礼を言って赤城は湯呑みを受け取った。いえ、と加賀は小さく呟いた。加賀はこういう気遣いを赤城にはよく示してくれていた。赤城だけではない、二航戦や他の艦娘、提督にも優しさの片鱗を見せる。しかし五航戦相手だとそれが隠れてしまうのだ。
「お待たせしました」
 赤城と加賀のテーブルに間宮がトレイを持って現れた。トレイには大盛りのカレーと大盛りの親子丼が載っていた。赤城の前にカレーが、加賀には親子丼が置かれた。香ばしいカレーと親子丼の匂いに赤城の口の中に唾液が湧き上がる。いただきます、をしようと赤城が両手を合わせようとした時、間宮が加賀の名前を呼んだ。
「ねぇ加賀さん、貴方の言い分も分かるのだけれども…もう少し彼女たちに優しくしてみたらどうかしら」
 箸を取ろうとする加賀の手がピタリと止まった。
「もちろん戦いに不慣れな方に指導をすることは大事ですが、ただ厳しいだけでは信頼関係は生まれません。加賀さんは五航戦がお嫌いですか?」
 加賀の目が泳いだ。居心地の悪そうな目が赤城に向けられたが、赤城は黙ってただ笑った。間宮の質問に加賀がどう答えるのか気になったからだ。それを悟ったのか加賀は諦めたように溜息をついた。
「………別に、嫌いという訳ではありません」
 小さな返答に間宮の顔が明るくなる。
「それなら私から何も言う事はありません。後はお願いしますね」
「………善処します」
 間宮は軽く頭を下げるとテーブルから離れていった。加賀の顔は相変わらず無表情だったが手を箸の上に置いたまま動こうとしない。
「早く食べないと冷めちゃいますよ」
 赤城はスプーンを右手に握りルーがかかっている部分の白米を掬い上げた。口の中へと持っていく。うん、おいしい。何度も噛み締めてカレーの味を堪能する。充分に味わった後にようやくカレーは赤城の食道を通った。
「……赤城さんも、間宮さんと同じ考え?」
 二口目を掬う前に前から声がした。赤城はスプーンを止めて加賀を見た。加賀はまだ親子丼に手をつけず、顔も俯いたままだ。
「あなた自身が好きなようにしたらいいと思いますよ」
 加賀は顔をあげて眉間を顰めた。
「好きなようにしたら、また間宮さんに言われてしまうわ」
「あなた自身は悪いと思っているの?」
「それは……」
「間宮さんの小言を逃れるために取り繕っていたとしてもいいんですよ。だって貴方は、正規空母の加賀さんなんですから」
「そう、よね」
 再び加賀は顔を俯かせた。手は動かないままだ。どうしたものか、と赤城が考えようとした時にぐぅ、と音が聞こえた。加賀がパッとお腹に手をあてた。無表情の顔に少し赤みが帯びる。
「ほら、早く食べましょう。腹が減っては戦はできないですよ」
 赤城の急かした声に加賀はようやく箸を取り、両手を合わせた。



「ふぁ~……終わった終わった」
 白い軍装に身を包んだ男が思い切り腕を伸ばした。ゆっくりと背中を背凭れに預け、椅子に深く座る。
「お疲れ様です、提督」
 加賀は提督の前にある執務机に湯呑みとポットを載せたトレイを置いた。ポットの中にはルイボスティーが入っている。
「ありがとう。遅くまで仕事に付き合わせてしまって悪かった」
「いえ…秘書艦として当然ですから…」
 明日の朝に提出期限であった書類を提督と加賀は二人で片していた。書類作業が不得意ではない加賀だったが、さすがに大量の紙を相手にしたら時計の針が十時を過ぎるまでかかってしまった。
「では、私はそろそろ失礼します」
 加賀がそう言うと提督は頭を左右に振った。
「加賀さんも一緒に飲もう」
「いえ、もう遅いので自室に戻ります」
 加賀は提督の誘いをキッパリと断った。提督はあからさまに大きな溜息を吐いた。
「それじゃあ命令、一緒に茶を飲むぞ。一人で茶を飲むのは嫌なんだ」
「……命令なら仕方ないわね。分かりました、お付き合いします」
「よし!じゃあ自分の湯呑み持って来い」
 加賀は給湯室に行って適当に湯呑みを選んだ。執務室に戻ると提督は執務机ではなく来客用ソファーに座っていた。彼の脚の前にあるテーブルには加賀が運んだポットとトレイが置かれていた。加賀は提督と向かい合わせのソファーに座り自分の湯呑みにお茶を注いだ。
「加賀さんが書類作業に強くて助かるよ。お陰で徹夜はせずにすんだ」
「お役に立てたのなら何よりです」
 加賀は湯呑みを口につけた。ルイボス茶の香りが口内に広がる。和菓子か洋菓子もあればもっと良かった。加賀は口から湯呑みを離すと提督に目を合わせた。
「……それで、何か私にお話したいことでも?」
 悪戯が見つかった子供のように提督は自分の顎を撫でた。
「何だ、バレてるのか」
「回りくどいことはせずに直接聞いたらいいわ。質問には極力答えられるように努めます」
「そうだな…その、話は…察しているかもしれないが、五航戦のことで」
 加賀は小さく溜息を吐いた。
「提督も、彼女たちに優しくしろと仰るのですか」
 コミュニティー内で不穏分子があるよりかはない方が良い。それにここは軍という組織だ。戦いの場において仲間内で信頼が欠けていてはチームの連携に支障を来す恐れがあり、最悪大怪我や任務の失敗に繋がるかもしれない。提督としてはその不安要素をなくしたいと考えるのは当然だ。五航戦の件も自分さえ態度を改めれば穏便にすむことを加賀自身理解していた。そう、理解はしているつもりだ。
「提督のお気持ちもわかります。私個人のせいで規律を乱してごめんなさい」
 加賀は頭を下げた。そんなことしなくていいよ、と声が上から聞こえてきた。加賀が顔をあげると提督と目が合った。
「その、俺の勘違いなら悪い。加賀さんの五航戦への態度がキツいのは誰から見ても分かるんだけどさ……本当は、そういうことを君自身は望んでいないんじゃないかな?」
「えっ?」
 加賀は困惑した。提督の質問の意図が理解できなかった。
「加賀さん、君は五航戦には厳しいけど彼女たちを遠くから見ている時の君は…いつも後悔しているように見える。周りが君に何も言わなくても、君自身が五航戦に優しくなりたいと思っているんじゃないか?」
 加賀は言葉に詰まった。何をどう言っていいのか、加賀にはすぐに答えを見つけられなかった。しかしきっと今の加賀が何を考えているのかも提督はおおよそ見当がついているだろう。なにせ赤城と同じく提督もまた彼女自身に勘付いているのだから。
「提督は…私が軍に身を置くようになった経緯をご存知ですか?」
「あぁ、君がこの基地に着任する前に大体のことは聞いたよ」
「そうですか…」
 加賀は提督から目を逸らした。彼に話してみようか?疑問が加賀の頭の中をグルグルと回る。話した所で何かが変わるとは思えない。それなら何も話さない方がいい。
「加賀さん」
 提督の呼び声に加賀は少し間を置いてから、目を提督に向けた。
「俺に話した所で問題が解決するとは思えない。君の力になれるかどうかも怪しい。俺が君に出来ることは…」
 提督は傍にあるポットを手に取った。
「君にお茶のおかわりをいれてあげることぐらいだ」
 しかし湯呑みの中を見て提督は口を尖らせた。
「おいおい加賀さん、全然減ってないじゃないか。これじゃあ何にも出来ない」
「それは…ごめんなさい」
 クスッと加賀の口元に笑みが零れた。
「それじゃあ、代わりに私の話を聞いてもらってもよろしいでしょうか」



 何処かの町にごく普通の家庭で生まれ育った一人の少女がいた。彼女は頭がよく運動もできた。他の子供と比べたらあまり表情は豊かな方ではなかったが、友達は少なくはなかった。
 ごく普通の恵まれた環境で彼女は日々を過ごしていた。平和で退屈で平穏な日々であった。そんな日々の中で彼女は違和感を感じていた。この環境は自分がいるべき場所ではないのかもしれないと。思春期にありがちな、自分は他人とは違うと思い込みたい行為のようなものだと彼女は思っていたが、それで納得できた試しがなかった。彼女は自分の違和感が何か分からず、中学を卒業し、高校に入り、大学受験をして無事に志望大学に合格をして花の大学生活を送っていた。彼女はこのままこの違和感の正体を知ることなく生き続けるのだろうと思っていた。
 しかし、世界が変わった。ある日突如として現れた深海棲艦という化け物が人間を襲い始めたのだ。夏期休暇に友人たちとクルーズ客船で船旅をしていた時、彼女たちが乗った船を囲んだ無数の化け物たちを見て、恐怖に慄き泣き叫ぶ乗客たちの中で、彼女は生まれて初めての高揚感を感じた。
 彼女がふと意識を取り戻した時には海に化け物たちの死骸が浮かんでいた。そして彼女は船ではなく、海の上に立っていた。彼女の傍には旅行で乗っていた船とは違う、もう一つの船があった。とても大きな大きな船だった。初めて見た船のはずなのに、懐かしさに彼女は涙を流した。
 突如現れた巨大な船、乗客の中にいたその道に詳しい人が驚きで身を乗り出して客船から落ちてしまう原因となったその船は、航空母艦・加賀であった。


「その時、私がどうしてこの世に生まれたのかを理解しました。私は化け物、深海棲艦と戦う為に生まれたのだと…私がまだ船であった時の記憶も思いだしたんです。その日をキッカケに、深海棲艦だけではなく艦娘も海から現れるようになりました。その後しばらくしてから私は政府に声をかけられて軍に入りました。戦いに身を置くことになりましたが、私が”加賀”として扱われ存在することに抱いていた違和感がなくなったのも事実です。私は軍に自分の居場所を見つけました」
 生まれ育った環境を離れてしまうことに不安がなかった訳ではない。それでも自分自身は加賀であることを自ら望んだ。加賀として接せられることに安心感を覚えた。自身を苛んできた違和感が解消された上に自分の使命がハッキリと分かっていた。生きる意味や生き方に迷いを抱く人間と比べれば、存在意義があることは幸せだと信じていた。
「……しかし、五航戦…最初に翔鶴がこの基地に来た時から、少しだけ息苦しくなりました」
 翔鶴はカスガダマ沖海戦で第一艦隊が連れて帰ってきた艦娘だ。翔鶴は海から来たのだ。
「…海から来た艦娘はオリジナルの艦船に最も近い存在。港の工廠で生まれた子もオリジナルに近い。…私は、彼女たちと違って女の腹から生まれた陸生まれの陸育ちです。私よりも、あの子たちの方が艦娘として相応しい」
「俺からすれば海も港も陸もみんなすごい艦娘だよ」
「それは提督が普通の人間だからだと思うわ」
 提督は苦笑した。
「厳しいなぁ加賀さんは。でも本当に、俺から見たら何も差異はないし、他の子たちだって気にしてないんじゃないか?」
「瑞鶴は去り際に”陸生まれのくせに”って言ってました」
「…あー…」
「陸生まれの艦娘は現時点この基地には私一人だけです。周りの艦娘と引けを取らないように鍛錬を積んできました。お陰で基地の中では一番高い錬度になりましたが…」
 陸生まれの加賀を他の艦娘は差別することなく真摯に接していた。そこに嘲りの感情がないことを加賀は分かっていたから気負いなく付き合うことが出来た。
 しかし、五航戦は別だった。今の加賀としての記憶は、当時の航空母艦だけではなく搭乗員達の記憶の集大成でもある。搭乗員達は五航戦を見下していたのだ。その感情が今の加賀の中でもくすぶっていた。だから五航戦と関わる時はつい辛辣な態度で接してしまうのだ。
「……私の態度のせいで瑞鶴は私を嫌っている。陸生まれの私なんかに大きな顔をされているのが気に障るのでしょう。…私も…自分が陸生まれなのにあの子たちが海生まれで……勝手な劣等感を抱いている…」
 そのことを思うといつも胸がキリキリと痛んだ。憎悪に近い黒い感情がグルグルと加賀の中で渦巻いている。
「私は加賀として存在することに生き甲斐を感じていました。でも、自分が加賀だからといって五航戦を無下に扱うことを正しいとは思っていません。そう思っているはずなのに、それでも私は態度を変えられない。私は、加賀だから」
 ――――――沈黙が訪れた。
 加賀はそれきり口を閉じてしまい、提督も口を開こうとしない。しばらくすると加賀の眉間に僅かに皺が寄った。やはり話すべきではなかった。その思いがじわじわと加賀の中で大きくなっていく。
「あのさ」
 先に言葉を発したのは提督だった。加賀はごくりと唾を飲み込んだ。緊張が体を走るが、次に出てきた言葉に加賀は別の意味で体が固まった。
「名前は?」
「はい?」
「だから、名前」
 名前。一体何を聞いているのだろうかこの男は。
「……加賀ですが?」
 違う違う、と提督は首と手を振った。
「加賀じゃなくて、家族の元にいた時の君の名前」
 パチリ、パチリと加賀は目を瞬かせた。
「……何故?」
「何故って、知らないから名前を呼べないじゃないか」
「知らなくても、加賀という名前が―――」
「確かに君は加賀だけど、加賀そのものではないだろう?」
 その言い方に加賀はムッとなった。
「私が陸生まれだから艦娘としては相応しくないということですか」
「そうじゃないよ。それにさ、君は海と港生まれの方がオリジナルに近いと言った。近いということは、そのものではない別の個体だ。加賀と君が同一ではないのと同じように、彼女たちも違うんだよ。君と彼女の違いは、性能差やオリジナルとの類似性じゃない。君は艦娘としてではなく、君自身という存在を証明してくれる名前を持っていることだ」
「……それが何か?」
 提督の言わんとすることが加賀には分からなかった。提督は困惑を隠しきれない加賀を見て口元を緩ませた。馬鹿にした笑いではなく、安心させるような笑い方だ。
「この先、いつか深海棲艦との戦争が終わって兵器が不必要となった時、艦娘はどうなっているだろうか。もしかしたら海に帰るかもしれないが、そうではないのかもしれない。海に帰ることができず、陸に残ってしまうかもしれない。もしそうなった時、戦いしか知らない彼女達が陸で普通に生きていけるだろうか?」
「……その時になったら、提督は私に彼女達のサポートをしろと仰りたいのですか」 
 目の前の男の顔がニカッと破顔した。
「さっすが!相変わらず察しが良いね。君はこの戦いが終わったら帰る場所がある。艦娘達は海に帰ることが出来なければ、居場所がないんだよ。軍施設も縮小するだろうからすべての艦娘が基地に残れるとは限らない。俺は彼女達にも軍以外の場所に居場所を作ってあげたい」
 加賀は家族の事を思い出した。自分が戦いに身を置く決意を家族に伝えた時、誰もが反対した。船旅を共にしていた友人達の中には自分の力を恐れて離れてしまった者もいたが、心配している者もいた。それでも日々深海棲艦の被害が拡大していく中、自分を軍に行かせることを認めざる得ない状況になっていた。自分が軍に入ってしまえば戦争が終わるまで故郷へ帰ることは禁止され、また家族や知り合いも自分を訪ねることも許されない。郷愁心を煽られて戦争から逃げ出さないようにした規則かもしれないが、そもそも深海棲艦との戦いに焦がれていた自分には無用の心配のようにも思えた。だからこそせめて、自分を心配する家族には手紙を送ることを約束したのだ。最初軍は手紙のやり取りにも難色を示したが、検閲を条件に許可された。今でも家族とは手紙を送りあっている。文面からはいつも家族が自分を気遣っているのを感じていた。普通の人間にとったら強大な艦娘の力を持つ自分の存在は恐ろしいはずなのに、家族は変わらなかった。優しくてあたたかな自分の帰る場所。他の艦娘が持っていない場所。五航戦も持っていない。その考えに辿り着いた時、心に高揚感が湧き出て、すぐに胸が痛んだ。
「どうした?気分でも悪くなった?」
 加賀の僅かな変化を提督は感じ取ったようだ。加賀は自他共に認める程表情が乏しいのに、妙な所で聡い提督の前では自分が丸裸になったような気分で居心地が悪い。
「いえ……自分の浅ましさに辟易しただけです」
 提督が首を傾げた。どうしたものか、と加賀は迷ったが、己の胸中を色々と喋ってきたのだ、ついでに吐き出すことにした。
「五航戦の持っていない帰る場所を私は持っている、その事に優越感を感じました。でもそう感じる自分が嫌にもなった」
 チラリと提督に目を向けると、視線の先に嬉しそうな顔が見えた。
「ほら、君には加賀ではない自分自身がちゃんといる。五航戦だってそれに全く気付いていない訳じゃないと思うよ。瑞鶴だって単純に虫の居所が悪くてつい感情的になってしまっただけさ」
「……結局は私の態度が原因です。五航戦に嫌われても仕方ないわ」
 君は本当に真面目だなぁ、と提督は暢気に言った。提督の言う通り、自分は考えすぎなのかもしれない。だからといって楽観的に物事は見れない。けれども、今まで悩んでいたことを吐露したことで少しだけ気持ちが楽になった。
「お、いい顔になった」
 表情はそんなに変わっていないはずなのに、また気付かれてしまった。コホン、と加賀は咳払いをした。
「ところで、色々と考えていたのね。少し意外でした」
 まぁね、と提督は得意気に胸を張った。まるで先生に褒められた生徒のようだ。その姿が微笑ましくて、今度は加賀も顔をほんの少し綻ばせた。
「提督、私の名前のことなんですけど」
 そう言って自分の名前を伝えた。
「おぉ、可愛い名前じゃないか」
「ありがとうございます」
「それで俺の名前はな…」
「知ってるわ」
「……あのねぇ、ここは一応聞いておくものだよ」
 提督の拗ねた反応にはぁ、と自分は呟いた。
「気を取り直して、俺の名前は…」
 提督も名前を言った。初めてその名前を聞いた時と同じく、良い名前だと自分は思った。それを口に出すことはなかったが。
「それでだ、現在陸生まれの艦娘は君一人しか確認されていない。これからまた見つかるかもしれないし、ずっと君一人だけかもしれないが…もしも戦争が終わって君の助けが必要になる時が来たら、協力してもらえるだろうか?」
 提督は自分の名前を呼んだ。そうやって自分の名前を呼ばれるのは手紙以外では久しぶりだった。何だかむず痒さを感じたが、心地よさもあった。自分は加賀であったけれども、自分自身も生きているのだ。
「私に協力できることがあれば、喜んで」
 自分の返事に提督はほっとしたように息を吐いて、それから笑った。
「多分、君の悩みは戦争が終われば解決するはずだ。深海棲艦と共に艦娘が現れたから、いなくなれば艦娘の必要性もなくなるからね。君の中にある加賀の意識もなくなるか弱くなると思う。そしたら五航戦とは君自身で接することが出来るようになるはずだ」
 提督が言うと、本当にそうなのかもしれない、と思ってしまう自分がいた。中身が変わっても見た目は変わらないから五航戦が自分自身にすぐに慣れるとは思わないが、そう悲観的にならなくてもいいだろう。
 それにしても、だ。
「提督、私たち艦娘のことを考えてくれるのは嬉しいですが、戦争が終われば貴方も私たちと同じくお払い箱になるんじゃないかしら。自分の心配もした方がいいわ」
「あぁ~だよなぁ……俺って上層部に受けがよくないからすぐ追い出されそう」
 大きな溜息を吐いたが、あまりに白々しいので提督自身あまり気にしていないかもしれない。
「いいんですか、確か軍に入る前に家から勘当されたって仰ってましたよね」
「まぁほら、いいんだよ俺のことは。なんとかなるなる」
「お気楽ですね…どうなっても知りませんよ」
 アハハハ、と軽快な笑い声が部屋に響いた。
「もし行く当てがなかったら、君に養ってもらおうかな――――――おいおいそんなあからさまに嫌そうな顔をしないでくれよ、冗談だって」
 いたずらっぽく笑いながら提督はウインクをした。その仕草で大学生時代に遭遇したナンパを思い出させた。あの時自分をナンパしてきた男の顔は全く覚えていないが、今の提督みたいなことをしていた気がする。
「本気じゃなくてよかったです。戦争が終わった後まで提督の世話はしたくありませんから」
「ほんっとうに厳しいなぁ…じゃあさ、俺を養わなくていいからさ、デートしようデート――――――おいおいそんなまさに苦虫を噛み潰したような顔にならなくてもいいだろ」
「冗談は顔だけにしてください」
「自慢するけどそんなに悪い顔じゃないだろ!…と、いうか冗談じゃないんだが」
「えっ」
「こういう情勢じゃなかったら、俺は君にアプローチしたいんだが」
 いつの間にか提督の表情が真剣なものになっていた。二つの目は自分をじっと真っ直ぐに見つめている。その眼差しに囚われて瞬きさえ出来なかった。いつもの軽い調子の提督が目の前からいなくなっている。本当に冗談で済ます雰囲気ではないようだ。
「私は…」 
 軍に入る前、自分は恋愛事にはあまり積極的ではなかった。男女のあれこれに夢中になるには胸中に住みつく違和感が邪魔をしていたのだ。自分に恋慕を抱く男は何人かいたが、彼らの想いに応えることが出来なかった。軍に入ってからも軍関係の男とそれなりに知り合いにはなったが、戦いという存在意義を見つけてからは以前よりも恋愛への興味が薄れた。他の艦娘が年頃の女の子みたいに恋だの愛だのに興味を持って話をしているのを聞く時まで、そういう感情もあったなぁ、と他人事のように忘れていた。興味津々の艦娘達が陸生まれの自分に恋愛経験について尋ねてきたこともあった。駆逐艦達が相手だったから、適当に誤魔化したらすんなり信じてくれホッとしたが、赤城と二航戦は何となく自分のことを察していたのか深く追及しなかった。だからまた、提督に言われるまで忘れていたのだ。
「……すまない」
 提督は自分から目を逸らした。
「迷惑だよな。悪い…忘れてくれ」
 俯きながら発せられた声はいつもの飄々とした提督とは大違いだった。自信がなく弱弱しい声だ。珍しい提督の姿に少し驚いた。どんなに不利な戦況で艦娘が弱気になっても提督は気丈に明るく振舞っていた。敵の撃破に失敗した時も大丈夫だ、次があると艦娘を慰めていた。いつも自信に満ち溢れた提督が、恋愛事になるとこんなにも弱気になってしまうのか、と別の意味で感心してしまった。
「……あーその、最後に妙な話になってすまない。片付けは俺がやっとくからもう寮に帰っていいぞ」
 提督は顔を伏せて自分とは目を合わせない。はぁ、と自分が溜息を吐くとビクッと男の肩が揺れた。何もそんなに、怯えなくてもいいのに。
「お言葉に甘えて先に失礼します」
 軽く会釈をしてからソファーから立ち上がり、執務室のドアへと歩いた。ドアノブを引っ張りドアを開けてからチラリと後ろを向くと、提督の顔まだまだ下を向いていた。
「提督」
 呼ぶとワンテンポ遅れて提督は顔をあげた。その顔にはぎこちない笑みがあった。
「デートなら今度の休みの時でも大丈夫ですよ」
「えっ」
「それじゃあおやすみなさい」
「ちょ、まっ」
 提督が言い終わる前にドアを閉めた。廊下に出ると寮へと足を向けた。なんだか足取りがとても軽い。脳裏に先程の提督の顔が浮かんだ。呆気にとられて間抜けな顔で、とてもおかしい。
「……気分が高揚します」
 恋愛感情についてはまだよく分からない。それでも提督にそういう目で見られていたことに悪い気は起きなかったし、嬉しいと感じた。もしかしたら提督が初めての自分の恋になるのかもしれないと、甘酸っぱい予感に思わずピュ~と口笛を吹き始めた。
 バンッ!と後ろから大きな音がした。思わぬ音にビクッと体が跳ねる。
「何…?」
 後ろを振り返ると提督が急ぎ足でこちらに向かっていた。
「て、提督?」
 提督は、自分の名前を呼びながら強く腕を握ってきた。その力の強さに動揺が走った。
「提督、あの…」
「さっきの言葉、本気に取ってもいいのか」
「え」
「今度の休みにデートしてもいいって」
「あ、はい…私は構わないわ」
「つまり君は、俺と同じ気持ちなのか?」
「それは…その、…軍に入る前から私は恋愛事には疎いのでそういう感情はまだよく分からないけど」
「けど?」
「貴方にそういう目で見られていることは嬉しかったから、多分…そういうことなのかしらと思って」
 最初は戸惑っていた表情も、段々と笑顔に変わっていった。
「そうか、…そうか!そうかそうか!」
「な…っ?!」
 突然抱きしめられた。自分の顔が提督の肩に埋まる。
「ありがとう、…好きだ」
「…っ」
 耳元で囁かれて体がゾワッと震えた。嫌なようで嫌ではなかった。顔が急激に熱くなる。
「て、提督…その…」
「耳が真っ赤だ」
 お互いの体がさらに強く密着して胸が押し潰される。提督の鼻が耳にあたった。自分の名前が呼ばれた。その声がとても優しくて、甘くて。
「てい、と、く…」
 自分の手を下から提督の肩へと置いた。


「―――あの、何してるんですか」
 聞きなれた声に加賀は振り向いた。視界に灰色のツインテールの髪、瑞鶴がいた。
「あら、貴方こそこんな時間にどうしてここへ?」
「えーっと…その…色々と… …いや、私の事よりも――――――提督さんは大丈夫なんですか」
 瑞鶴は引きつった顔で加賀の足元を見る。瑞鶴の視線の先には床にうつ伏せに倒れた提督がいた。そして提督の頭には加賀の足が乗せられていた。
「……何でもない、俺は大丈夫だ」
「本人もそう言っているから大丈夫よ」
「あ、はい……左様ですか…」
「用があるのは提督かしら?私はこれで失礼するわ」
 加賀は提督から足を離すとその足で提督の体を小突いた。いたっ!と小さな声が聞こえたが、気にしなかった。
「わ、私が用があるのは提督さんじゃなくて…加賀さんなんですけど…」
 意外な言葉に加賀は瞬きをした。
「何かしら。もしかして昼の続きでもしたいの?」
「そ、そうじゃねーです」
 ツインテールが横にふるふると震える。
「えっと、その…昼は言い過ぎました。ごめんなさい」
 加賀がいる所から旋毛が見えるほど瑞鶴は頭を下げた。その行動がさらに意外で、加賀は動揺した。
「戦闘に不慣れな私に加賀さんはアドバイスしているのに、その……自分の未熟さを棚に上げて逆ギレして失礼な事を言ってごめんなさい」
 上辺の謝罪には聞こえなかった。瑞鶴の態度に加賀の目が泳ぐ。ポンッと肩が叩かれた。横を見れば既に立ち上がっていた提督が瑞鶴に目配せをした。加賀は再び瑞鶴に目を戻し、小さく深呼吸をしてから足を動かした。瑞鶴の近くに来るとピタリと足を止める。
「いい加減顔をあげて。気分が悪いわ」
 つい余計な一言が口から出てしまう。加賀は僅かに顔を顰めた。瑞鶴は恐る恐る顔をあげて目線を加賀に合わせた。
「……私は貴方の言葉なんか気にしていないし、傷つくこともない。何とも思わないもの」
「…あーあー、そうですか」
 フンっと瑞鶴は渋い顔になった。
「そう、だから…貴方も……その、何でもかんでも私の言葉に耳を傾けなくてもいいわ。貴方の姉にもそう伝えなさい」
 提督が見ている前だからだろうか、五航戦を前にすると感じていたあの黒い感情を抑えつけやすかった。瑞鶴は目を大きく見開いてパチパチと瞬きをしている。
「………話はもういいわね。部屋に帰るわ」
 スタスタと瑞鶴の横を通り過ぎて廊下の先へと歩く。後ろから二人ともおやすみ、と提督の声がした。加賀は後ろを振り向けなくてそのまま前へ進んだ。徐々に後ろから自分以外の足音が聞こえるようになった。同じ寮の同じ階に正規空母たちは部屋を持っていた。後ろの足音は加賀が部屋に辿り着くまで続くだろう。
 会話はなかった。加賀は後ろを見なかったが、瑞鶴は遠くもなく近くもない距離にいるような気がした。その距離感と沈黙は、ほんのちょっとだけ、前より良いものに思えた。
 二人は目的の階へと到着した。加賀の部屋は瑞鶴の部屋よりも階段側に近かった。加賀は自分の部屋のドアの前に立って鍵を懐から取り出した。その間に瑞鶴が後ろを通り過ぎた。加賀はドアを開けて部屋の中へと入りドアを閉めようとした。その間ずっと歩く瑞鶴の背中を見続ける。ドアの隙間が狭くなり完全に閉じられるその前、
「……おやすみなさい」
 小さく呟いてドアを閉じた。

 加賀であることを選び、加賀であることに迷いが生じ、加賀を止めることはできず、加賀はここに存在している。
 しかし自分自身は失っていない。
 次に五航戦に会う時も自分はキツイ態度を崩さないとは思うが、前よりは少しだけ優しくなれそうな気がする。
「全部あの人のお陰ね」
 執務室での提督の事を思い出し、フッと笑みが零れた。すぐに廊下での出来事も重ねて思い出してすぐに笑みが引っ込んだ。
「……手が早いわね、慣れてるのかしら」
 ムゥ、と頬を膨らませた。それから、あ、と声をあげた。
「デート、結局どうするのかしら。――――――まぁいいか、もう寝よう」
 ふぁあ、と欠伸をする。
 今日は良い夢が見れそうだ。


これが気に入ったら……\(`・ω・´)ゞビシッ!! と/

最終更新:2015年08月21日 21:34