「其れ羽の疾きの如く,林の多の如くと言う也。一説、羽の所以は王者の羽翼と為す也」(顔師古)
「天に有り、羽林大将軍の星。林,若林木の盛のごとし喩なり。羽,羽翼鷙撃の意。故に名を以って武官とする」(応劭)
羽林騎、または「羽林」とは、
光禄勲に属した騎兵。また、羽林は彼らを統率した将校と部署の総称でもある。羽林騎は天子の外出を送りそれに従うことを本務とし、しばしば
征伐にも派遣された。また、羽林郎は殿中に宿直した。彼らは特段の選抜・訓練を受けた精鋭であり、期門(
虎賁])と共に多くの名将を輩出したという。
その著名な出身者に
趙充國、
甘延壽、
上官桀、
董卓がいる。
目次
歴史
武帝太初元年、初めて
建章営騎を置き,後に更名して羽林騎とする。羽林令、羽林丞を置いてこれを監す。
宣帝は
中郎将と
騎都尉に令して、羽林騎を監領させた。
中興後、令・丞は置かれず、中郎将は正式に羽林中郎将と號して羽林を総領することとなり、また郎百二十八人を主った。また、羽林監が置かれて左右の羽林騎を分掌した。
西晋は羽林中郎将を罷め、ただ羽林監一人を置くのみとする。
取從軍死事之子孫養之羽林,官教以五兵,號曰羽林孤兒.五兵謂弓矢、殳、矛、戈、戟也
光武中興,以所征伐士勞苦者為之.其後復五營高手,別為左右監.羽林父死子繼,與虎賁同,所居之署,謂之寺.
延熹六年,減虎賁羽林住寺不任事者半俸.二漢並屬光錄勳.後漢竇固、鄧彪並為羽林.魏羽林左右監與漢同.夏侯玄為右,桓範為左.晉罷羽林中郎将,又省一監,置一監而已.
編成
羽林令
(前漢)
羽林騎の長。
武帝の頃に置かれる。中興以後省く。
羽林丞
(前漢)
羽林令の副佐。
武帝の頃に置かれる。中興以後省く。
羽林中郎将
(後漢)
一人、秩比二千石。
羽林郎を主る。その府は、虎賁府に次ぐ。
中興後に置かれる。
羽林左監
(後漢)
一人,六百石。
羽林左騎を主る。
中興後置かれる。
孝廉郎のうちの有材者が為り、羽林九百人(七百人とも)を主る。また、左右二監の官属・
史吏はみな羽林中から出す。
左監丞
一人。
羽林左監の副佐。
羽林右監
一人、六百石。
羽林右騎を主る。
中興後置かれる。概略は右監と同じ。
右監丞
一人。
羽林右監の副佐。
羽林郎
(前漢)
もとは便馬を以て武帝の猟に従い,還りて殿の陛巖下室中に宿したものを號して巖郎と言った。また、その厳厲整鋭を言うなりとも。
(後漢)
無員(百二十八人とも)、秩比三百石。
宿衛・侍従を掌る。漢陽、隴西、安定、北地、上郡、西河凡六郡良家より常に選び補す。
羽林郎は、出ては三百石丞、尉(県丞・県尉に相当)に補す。
羽林騎
(前漢)
天子の送従を主る。
六郡(隴西郡、天水郡、安定郡、北地郡、上郡、西河郡)の
良家の子、騎射の善くするを以って羽林に補す。
(後漢)
左右の羽林監に各九百騎がある。
光武帝が中興すると,征伐の士の労苦者を以ってこれに為し、故に曰く、羽林士。父死して子が継ぐこと虎賁と同じく。
太学には期門(虎賁)、羽林の士が学び、悉く令して孝経・章句に通じたという。のちに南宋の高宗が自身の太学について、「学校既に興り、武人もまた崇尚を知る、漢の羽林士が皆孝經に通じた如く。その他においてはなにを況や?」(宋志楊存中伝)
羽林孤児(羽林孤兒)
従軍死事者の子を取り、羽林にて養い,官が五兵を以って教え、號して曰く羽林孤兒。、少壯に令して従軍す。
五兵とは弓矢、殳、矛、戈、戟と謂う。
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関連項目・人物
詳説
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最終更新:2014年12月10日 23:51