秩石とは、
- 漢代以降に用いられた官吏の俸給の禄高。容量の単位石(斛と同義)で表わし、その数字が名目的な年俸となる。支払いは「半穀半銭」。半額は穀物の現物で、半額は銭で支払われたというが、異説が出されてもいる。
- また、その俸給序列制度のこと。後漢代では、中二千石から左史まで十六等級に区分され、さらにその上に三公・大将軍らが存在した。
目次
その禄高の高低は実報酬のみならず、官吏の位階序列を示す指標ともなり、輿(
車馬、
輿、従者)や服(
衣冠、
印綬)等で構成される
礼秩の基本要素となった。
特に前漢代では、官吏の秩石と、帯びる衣冠や印綬の種類の間には明確な対応関係があった。
後漢代に官署の
長の
印綬が
令と同じ銅印墨綬となり、魏代に施行された
九品官人法の
品秩(官品)の影響が
衣冠に現れるなど複雑化が進み、
秩石のみでは単純な序列の判断が難しくなるが、礼秩の基本はあくまでも秩石に置かれ続けた。
諸官吏の秩石は名目上は固定されているものの、実際に受け取る禄高は
守(試用期間)官の間や執務上の過誤等で減俸されることがある。前漢では郡
太守が秩二千石を号するが、実際には千石や八百石しか受け取れなかった例があったという、また、
候官の隊長の受け取った俸給にバラつきがあることが確認されている。
数字の頭に付く
比は、「~に匹敵する」「~に準じる」の意味。禄数は千石と比千石、六百石と比六百石、というように真官と
比官が二つ一組になっており、比官には
郎官、
大夫、
謁者、
博士等の決裁権を持たない官や
掾属が多いという特徴がある。
ただし、実際に受け取る俸給の上では比官が真官に「匹敵する」わけではなく、中二千石から左史まで均質な階梯を形作っている。
実際の禄高
漢魏代の一斛は約20リットル。つまり秩百石の官吏には穀2000リットルの年俸が支払われる名目になるが、実際の俸給額とは開きがあった。
漢代秩石制の実際の俸給額は、『漢書』『後漢書』に複数の記述があり、それぞれ誤脱が見られる。宇都宮淸吉・ 藪内淸両氏が『續漢志百官受奉例考』でこれを補正し、後漢代の官吏の報酬額を明らかにしたものがある。
秩石 |
A.漢書百官表注 |
B.百官志百官奉 |
C.光武帝紀注 |
宇都宮・薮内説 |
十二ヶ月換算 |
(万石) |
350 |
350 |
350 |
(350) |
(4200) |
中二千石 |
180 |
180 |
180 |
180 |
2160 |
二千石 |
120 |
120 |
120 |
120 |
1440 |
比二千石 |
100 |
100 |
100 |
100 |
1200 |
千石 |
90 |
80 |
90 |
90 |
1080 |
比千石 |
80 |
- |
80 |
80 |
960 |
六百石 |
70 |
70 |
80 |
70 |
840 |
比六百石 |
60 |
50 |
55 |
60 |
720 |
四百石 |
50 |
45 |
50 |
50 |
600 |
比四百石 |
45 |
40 |
45 |
45 |
540 |
三百石 |
40 |
40 |
40 |
40 |
480 |
比三百石 |
37 |
37 |
37 |
37 |
444 |
二百石 |
30 |
30 |
30 |
30 |
360 |
比二百石 |
27 |
27 |
27 |
27 |
324 |
百石 |
16 |
16 |
16 |
16 |
192 |
斗食 |
- |
11 |
11 |
11 |
132 |
左史 |
- |
8 |
8 |
8 |
96 |
備考 |
師古曰く、漢制 |
|
|
|
|
補正後の後漢代俸給額は、『漢書』注にある顔師古説に最も近い。
漢代の俸給額は光武帝の建武二十六年に改定されて「その千石以上は西京旧制より減じ、六百石以下は旧秩より増した」はずであるが、『漢書』百官表の
顔師古]注の説と、『続漢志』百官志の説の間にはその変化が見られない。顔師古が自己の引用を「漢制」と曖昧な書き方をしていることから見ても、顔師古の説は実際は後漢代のものであったと推定できるのである。
半穀半銭
このように俸給は月奉制であったが、全額が穀物で支払われたわけではない。一般に漢代の俸給は「半穀半銭」で支払われたとされている。
百官志注には、
荀綽の晋書注が引用されており、
殤帝延平年間の制として、俸給の穀物と
銭の支給割合が載せられている。しかしこの俸給額も、秩二千石の穀での支給が中二千石の半額と激減しているにも関わらず、以下秩比千石までの額が不自然に接近しているなど不審な点が多い。
宇都宮・薮内両氏は、
- 建武二十六年以降、後漢代を通じて、月棒額が改定されたとの記録は無い
- その月棒額を「延平中」の制に当てはめると、月俸のちょうど三割が穀建てで支払われていた秩位が多い
- その場合、1斛当たりの穀物価格は71.42銭で計算されていた
ことから、この記述にも補正を加え、
|
月俸 |
D.延平の制 |
補正後 |
中二千石 |
180斛 |
72斛 9000銭 |
54斛 9000銭 |
二千石 |
120斛 |
36斛 6500銭 |
36斛 6000銭 |
比二千石 |
100斛 |
34斛 5000銭 |
30斛 5000銭 |
千石 |
90斛 |
30斛 4000銭 |
27斛 4500銭 |
比千石 |
80斛 |
30斛 4000銭 |
24斛 4000銭 |
六百石 |
70斛 |
21斛 3500銭 |
21斛 3500銭 |
比六百石 |
60斛 |
|
18斛 3000銭 |
四百石 |
50斛 |
15斛 2500銭 |
15斛 2500銭 |
比四百石 |
45斛 |
|
13.5斛 2250銭 |
三百石 |
40斛 |
12斛 2000銭 |
12斛 2000銭 |
比三百石 |
37斛 |
|
11.1斛 1850銭 |
二百石 |
30斛 |
9斛 1000銭 |
9斛 1500銭 |
比二百石 |
27斛 |
|
8.1斛 1350銭 |
百石 |
16斛 |
4.8斛 800銭 |
4.8斛 800銭 |
斗食 |
11斛 |
|
3.3斛 550銭 |
左史 |
8斛 |
|
2.4斛 400銭 |
^ |
^ |
^ |
補記 |
三公・大将軍 |
350斛 |
|
105斛 17500銭 |
としている。
簡易な補正で整然とした配分を実現できる事から、この補正には説得力があると思う。
また、この
殤帝延平年間以後、後漢は飢饉の続発による穀価の暴騰や財政難に悩まされることになるが、俸給を支払う際に穀・銭の換算レートを調整すれば、伝統的な月俸額を変えずとも時勢に合った俸禄を官吏に支払うことができただろう。或いは、俸給を穀物と銭に分けて支払うのは物価の乱高下に対応するためのものだったのかもしれない。
前漢の俸禄
前漢でも俸給が穀と銭に別れていたことは、東方朔伝の記述から分かる。
朱儒は長三尺余で一囊の粟と銭二百四十を奉じ、臣朔長は九尺余でまた一囊の粟と銭二百四十を奉じ……
しかし、漢書やその諸注は専ら銭での額のみ記し、穀量に触れない。或いはこの時期には、穀での支払いは秩位に関わらず一定で、銭払いのみが実質の俸給であったのかもしれない。
如淳曰く、「諸侯王の相は郡守の上に在り、秩真二千石。律に,真二千石は俸月二万、二千石は月に万六千。」(史記汲黯伝)
如淳曰く、「律に、百石は月六百を奉じる。」(宣帝紀神爵三年注)
拜して
諫大夫と為り、秩は(比)八百石。銭月九千二百を奉じ、また拜して
光禄大夫と為り、秩は(比)二千石、銭月万二千を奉じ……(貢禹伝)
時期と物価の問題もあり単純には言えないが、同じ如淳の説によると、百石と丞相・大司馬の間にはその俸給に100倍もの開きがあり、後漢代の百石と三公との差、約22倍よりも更に大きな格差が存在したことがわかる。
前述の光武帝期の俸給改正や、宣帝神爵三年の、
秋八月、詔に曰く「吏が廉平でなくば則ち治道は衰える。今、
小吏は皆事に勤めるのに、而して奉禄が薄い。その百姓を侵漁する
毋をを欲するのは、難なり。その吏百石以下の奉、十の五を益せ。」
と、百石以下の
小吏の俸給を五割増しにする詔勅のように、格差是正の努力が続けられていたのだろう。
資料
師古曰:「漢制,
三公號稱萬石,其俸月各三百五十斛穀。
其稱中二千石者月各百八十斛,
二千石者百二十斛,
比二千石者百斛,
千石者九十斛,
比千石者八十斛,
六百石者七十斛,
比六百石者六十斛,
四百石者五十斛,
比四百石者四十五斛,
三百石者四十斛,
比三百石者三十七斛,
二百石者三十斛,
比二百石者二十七斛,
一百石者十六斛。」
續漢志曰:「
大將軍、三公奉月三百五十斛,
秩中二千石奉月百八十斛,
二千石月百二十斛,
比二千石月百斛,
千石月九十斛,
比千石月八十斛,
六百石月七十斛,
比六百石月五十五斛,
四百石月五十斛,
比四百石月四十五斛,
三百石月四十斛,
比三百石月三十七斛,
二百石月三十斛,
比二百石月二十七斛,
百石月十六斛,
斗食月十一斛,
佐史月八斛。
凡諸受奉,錢穀各半。」
百官受奉例:大將軍、三公奉,月三百五十斛。
中二千石奉,月百八十斛。
二千石奉,月百二十斛。
比二千石奉,月百斛。
千石奉,月八十斛。
六百石奉,月七十斛。
比六百石奉,月五十斛。
四百石奉,月四十五斛。
比四百石奉,月四十斛。
三百石奉,月四十斛。
比三百石奉,月三十七斛。
二百石奉,月三十斛。
比二百石奉,月二十七斛。
一百石奉,月十六斛。
斗食奉,月十一斛。
佐史奉,月八斛。凡諸受奉,皆半錢半穀。
荀綽晉百官表注曰:「漢延平中,
中二千石奉錢九千,米七十二斛。
真二千石月錢六千五百,米三十六斛。
比二千石月錢五千,米三十四斛。
一千石月錢四千,米三十斛。
六百石月錢三千五百,米二十一斛。
四百石月錢二千五百,米十五斛。
三百石月錢二千,米十二斛。
二百石月錢一千,米九斛。
百石月錢八百,米四斛八斗。」
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参考
宇都宮淸吉・ 藪内淸氏『續漢志百官受奉例考』 東洋史研究11(3)
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最終更新:2015年03月07日 01:28