活動記録


11月

12日(月)ウィトゲンシュタイン『確実性の問題』より方法的懐疑の「世界像」

  • 発表 井上(一)
  • 参加者 倉岡・安増・渡辺
  • コメント 方法的懐疑は「世界像」の0からの再構成である・がしかしこれを語るためにはメタポジシオン・メタポジシオンを語るためにもメタポジシオン・ひゃあ・人間の限界か・哲学の限界か・はたまた資本主義の限界か・限界ってなによ・これはあかんな・つくつぐ多弁よね・

10月


22日(月)Russel, Bertrand『The Nature of Truth and Falsefood』(後編)

  • 発表 倉岡
  • 参加者 渡辺・井上(朋)・村田
  • コメント  判断とは、単一の出来事と心との間の二重関係なのではなく、出来事を構成する要素、そしてそれらをひとつの出来事として結びつける心との間に存在する、単一の複合体である。心と客観的な出来事の間に分裂してしまうような判断の真偽の二重性を、それらが互いに相互補完するものだと規定することで解消しようと試みる。

15日(月)Russel, Bertrand『The Nature of Truth and Falsefood』(前編)

  • 発表 倉岡
  • 参加者 渡辺・井上(一)・村田
  • コメント  「真理とは何か」という問いに対して、先行研究に依存することなく、根本的な部分に遡って思考してゆく、中期ラッセルの初期論文。中期に移行しても、その胡散臭さは変わることはなかった。

8日(月)スピノザ『エティカ』第一部:神について

  • 発表 渡辺
  • 参加者 倉岡・村田
  • コメント  定義&公理→定理、という数学的手法で世界には唯一つの実体である「神」しかない、すべてのものは神から生じた様態に過ぎないという、人格神を否定し「神即自然」という概念を打ち立てた書。しかし、結局、定義自体に疑問を差し挟む余地があるような……。とりあえず、カリスマ性を感じた、個人的にはね。


9月


18日(火)エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』

  • 発表 泰増
  • 参加者  渡辺・倉岡・村田・井上(朋)・井上(一)
  • コメント 〈他者〉を語ることは出来ない、以上。で終わると、否定神学(〈他者〉をイメージで回収=〈全体性〉)になるので、しつこく前言撤回とどもりを繰り返しながら、〈他者〉をかたるかたる。しかし、疎外論をいったんは退けておきながら、〈無限〉などというサブライムを〈女性的なもの〉の表象とその彼方に仮託してしまうのは、さすがあの頃おフランス住まいの(文)芸人。

11日(火)飯田隆『言語哲学大全Ⅰ』(第三回)ラッセルの記述理論

  • 発表 倉岡
  • 参加者  北村・泰増・渡辺・井上(朋)・村田
  • コメント 語は文全体の意味に寄与するものだと考え、文は論理的に完全な言語(Logically Perfect Language)に翻訳されてから初めて分析されるものだ、と考えたラッセル。しかし、素朴実在論的な思考に縛られていた彼は、それゆえに「論理的固有名」などという怪しげな存在を探求することを余儀なくされた。哲学史を揺るがした言語的転回の概要とその限界を探る。

4日(火)飯田隆『言語哲学大全Ⅰ』(第二回)フレーゲ的意味論の基礎

  • 発表 倉岡
  • 参加者  泰増・渡辺・村田
  • コメント 言語を、思想 Gedanke を表現するための手段とみなしていたフレーゲだが、皮肉にも彼の理論は、後の分析哲学者達により、言語の思想に対する優先性という形で理解されてしまい、その結果、後の分析的言語哲学の台頭を準備することになってしまった。両者の分裂は何によるものなのか。

8月


22日(水)飯田隆『言語哲学大全Ⅰ』(第一回)フレーゲの量化理論

  • 発表 倉岡
  • 参加者  近藤・泰増・渡辺・野中・井上(朋)
  • コメント アリストテレス以来、古今東西の哲学者・論理学者達を悩ませ続けた「量化の問題」に対する、フレーゲによる鮮やか解決を概観する。

12日(日)埴谷雄高『即興演説』より「自同律の不快」

  • 発表 井上(一)
  • 参加者  倉岡・井上(朋)・中林
  • コメント 発見の喜び及び上書きするのココロ。自同律のズレ、は如何にして「不快」なのかしらん。借り物、である限りは、「開かれたテクスト」は「不快」ではあるまいて。チョコレイトを知らずのカカオ栽培に哀れんだ直後、阪神優勝に歓喜。そんなこんなの限界。

5日(日)Frege, Gottlob『Uber Sinn und Bedeutung』

  • 発表 倉岡
  • 参加者  北村・泰増・井上(朋)・井上(一)・中林・村田
  • コメント 言葉の意味を、その指示対象 Bedeutung と意義 Sinn とに区分し、各々を真理条件と真理値としての関係で捉えた、言語哲学の古典。っていうかこのWikiではウムラオト書けないのね。

7月


29日(日)ジョージ・エドワード・ムーア『観念論論駁』

  • 発表 倉岡
  • 参加者  泰増・井上(朋)・井上(一)・中林
  • コメント テスト明け一発目の発表はグダグダに終わる。とりあえず、「素朴実在論は胡散臭い」という方向で無理矢理結論。

試験休み(2日~)

試験にレポート頑張りましょう♪

6月

25日(月)加藤尚武『ハイデガーの技術論』

  • 発表 渡辺
  • 参加者  泰増・倉岡・井上(朋)・村田・井上(一)・中林・保阪
  • コメント 現在における存在者との関係はGe-stellという存在の本質に支配されていることを確認。そしてそこからの転回の可能性の示唆。

19日(火)トマス・ネーゲル『コウモリであるとはどのようなことか』

  • 発表 倉岡
  • 参加者  泰増・渡辺・井上(朋)・村田
  • コメント アメリカの分析哲学者による「おとな向けの哲学書」。発表では、人生の諸問題に関して検討した。

12日(火)ジャン=ポール・サルトル『実存主義はヒューマニズムである』

  • 発表 倉岡
  • 参加者  泰増・渡辺・村田
  • コメント 自由の刑に処された人間はいかにして自己を創造していくのか?

4日(月)ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン『論理的観点から』

  • 発表 倉岡
  • 参加者  泰増・渡辺・野中・彌富・井上(朋)・井上(一)・中林・村田
  • コメント ラッセルの記述理論を応用することで、現代分析哲学と古典的形而上学との差異を埋めて存在論にコミットできるようにした『なにがあるのかについて』、分析的真理と総合的真理との区別及び還元主義といった二つのドグマに支えられた経験主義を批判し、科学理論の全体論(ホーリズム)を提出した、戦後の分析哲学における最重要論文『経験主義のふたつのドグマ』。以上の二つの論文を検討した。

5月

28日(月) (はしかにより活動禁止)

この一週間でみんなレジュメを作っている……といいなぁ。

21日(月)イマヌエル・カント『プロレゴメナ』(後編)

  • 発表 倉岡
  • 参加者  近藤・泰増・渡辺・野村・井上(朋)・井上(一)・中林・村田
  • コメント 前々回の続き。理性が経験の範囲外に手を伸ばすことは許されない。

14日(月)加藤尚武『現代倫理学入門』

  • 発表 倉岡
  • 参加者  近藤(信)・泰増・渡辺・井上(朋)
  • コメント 功利主義の批判を通じて倫理学の基礎を概観する。倫理学の取り扱う問題よりも、倫理学における懐疑の不徹底さが話の中心となった。

7日(月)イマヌエル・カント『プロレゴメナ』(前編)

  • 発表 倉岡
  • 参加者  泰増・渡辺・野中・野村・丸山・井上(一)・中林・村田
  • コメント 『純粋理性批判』の設計図として書かれた、形而上学を学たらしめるための序論。前編では、形而上学と同じく総合的且つア・プリオリな学としての純粋数学、純粋自然科学がいかにして可能になるかを考え、それぞれの根本に感性の形式と純粋悟性概念があることを確認した。

4月

30日(月)マックス・ヴェーバー『職業としての学問』

  • 発表 倉岡
  • 参加者  近藤(信)・泰増・渡辺・村田
  • コメント 体系は体系自身を基礎付けることはできない。学者にできるのは、ただ客観的事実を比較分析して、その結果得られるものを提示することだけである。Berufとしての学問の存在意義と限界の確認。

23日(月)アンリ・ベルクソン『哲学的直観』

  • 発表 渡辺
  • 参加者  倉岡・泰増・丸山・井上(朋)・村田
  • コメント 「哲学者の哲学をするとはどういうことか?」を切り口に行われた講演を元に、バークリーの心神二元論とベルクソンの「純粋持続」を扱う。イマージュと言語構造の関係についてはお茶を濁す。

16日(月)大森荘蔵『知の構築とその呪縛』

  • 発表 倉岡
  • 参加者  泰増・渡辺・野村・井上(朋)・村田
  • コメント 自然を死物化する二元論的世界観を破砕し、人間と自然の一体感を取り戻す。

9日(月)プラトン『パイドン』

  • 発表 倉岡
  • 参加者  西木・泰増・渡辺・野中・野村・三井・広瀬・井上(朋)・村田
  • コメント 死の際に立ったソクラテスは、弟子たちにイデア論と魂の不死を語る。西洋哲学の古典中の古典。

3月


26日(月)ミルチャ・エリアーデ『聖と俗』

  • 発表 西木
  • 参加者  釜野・倉岡・野中・渡辺
  • コメント (西木さんお願いします)

19日(月)佐藤道信『美術のアイデンティティー 誰のために、何のために』

  • 発表 西木
  • 参加者  釜野・倉岡・野中・渡辺
  • コメント (西木さんお願いします)

12日(月)ルネ・デカルト『省察』

  • 発表 倉岡
  • 参加者  釜野・西木・野中
  • コメント 「cogito ergo sum」の方法的懐疑から、神の存在証明、精神と身体の区別へと論を進める、近代哲学の古典中の古典。

2月


26日(月)木村敏『時間と自己』(後編)

  • 発表 倉岡
  • 参加者  野中・渡辺
  • コメント 過去志向のポスト・フェストゥム的意識と未来志向のアンテ・フェストゥム的意識の相補作用によって支えられる日常性、そしてそれを根底から瓦解させるイントラ・フェストゥム的意識を考察し、時間論に新しい光を投げかける。時間は自己であり、そうである以上、自己同一性の変容と時間の変容は相互関連しているので、両者を独立させて論じることは不可能である。

19日(月)木村敏『時間と自己』(前編)

  • 発表 倉岡
  • 参加者  釜野・西木・野中・渡辺
  • コメント 時間と自己を「こと」的時間の相の下で結合させる現象学的精神病理学の試み。

12日(月)斎藤慶典『フッサール 起源への哲学』(後編)

  • 発表 倉岡
  • 参加者  釜野・近藤(信)・泰増・渡辺
  • コメント 後編では、現象の媒体としての「私」と、現象の生じる世界である「大地」について考察した。

5日(月)斎藤慶典『フッサール 起源への哲学』(前編)

  • 発表 倉岡
  • 参加者  釜野・近藤(信)・西木・野中・泰増・渡辺
  • コメント 斎藤教授による新たなフッサール解釈の開陳。前編では、フッサールの思考過程の変遷を概観した後、現象学第一の方法論である超越論的-現象学的還元と形相的還元について考察した。

1月


試験休み

試験にレポート頑張りましょう♪








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最終更新:2007年12月15日 10:34