旅は道連れ、世は情け◆F0cKheEiqE
その出会いがあったのは、
狂犬と化した「人斬り」
岡田以蔵の襲撃から逃れた
剣聖、上泉伊勢守信綱が、
やはり足の傷をそのままにしておくわけにもいかず、
袴の裾を千切って手当てをしようとした、正にその時である。
しゃがんで下を向いていた伊勢守だが、
突如はっと頭を上げると、
暗い夜の森の奥に鋭い視線を向けた。
殺気である。
「出てきなさい」
伊勢守は殺気の飛んでくる方を睨んで、
静かで落ち着いていながら、
筋の通った良く届く声で言った。
「ばれていましたか。並みの方では無いとは思っていましたが・・・」
しばらくして、そう言いながら一人の男が木々の陰から姿を現した。
手足がひょろりと長い、痩身の男である。
年のころはまだ青年といった所か、
黒い総髪を肩まで伸ばしている。
肌は青白くまるで労咳患者だ。
眼は切れ長で、鼻は高く尖っていて、
頬は落ちている。
こういう言い方は何だが、
えらく悪人面の青年だ。
衣服は紺一色の質素なもので、
腰には一振りの刀を差している。
少し変わった刀で、柄の長さが一尺二寸もある。
俗に「長柄刀」と称される、主に居合使いが好む刀だ。
「試すような事をして申し訳ありません。
しかし、偶然ここで貴方の姿を見つけた時、
一目で達人と解り、つい試しにと殺気を浴びせてしまったのです」
そう言うと、ぺこりと青年は謝った。
あまり善人面とは言い難いが、なかなかどうして、
身に纏う雰囲気はむしろ陽性の礼儀正しい物である。
悪い人間ではない。
その事を悟ると、伊勢守は視線を軟化させ、
かたくなった肩をほぐした。
「自分は、出羽国の住人、
林崎甚助と申します。
貴方は相当な使い手とお見受けしますが、
よろしければ名前を伺いたい」
「何、大した者ではない。
自分は新陰流、
上泉信綱と申す者」
「ああ、ではあの剣聖の・・・・」
伊勢守の名を聞くと、
青年、林崎甚助は眼を子供に様に輝かせた。
◆
林崎甚助重信、旧名浅野民治丸は出羽国楯山林崎の人である。
彼は所謂、「抜刀術」、「居合」の中興の祖として名高いが、
その生涯は知名度の割にはっきりしない点が多い。
父は浅野数馬といい、最上氏の家臣であったらしい。
数馬もかなりの剣の達人だったと言われている。
甚助六歳の時、数馬は、同僚で、
やはり剣の達人の坂上主膳に暗殺された。
暗殺された理由ははっきりしないが、
政治的ないざこざがあったとも言う。
父を殺された後、仇討すべく八歳から剣の修業を始めるが、
体が弱かったためか、まるで上達しない。
そこで甚助は母子そろって熊野明神に参詣し、
仇討成就、剣の上達を祈願し続けた。
神社への参詣祈願、そして剣の修業を続けること七年、
ついに神に祈りが通じたのか、
甚助一五の時に、夢枕に熊野明神が立ち、
彼に抜刀術の極意を授けたという。
その後、甚助の剣は今までの事が嘘のように上達し、
ついに居合の達人となった。
そして、一八の時に元服し、
名を浅野民治丸から林崎甚助に改め、
仇討の旅に出かけたのだ。
旅をする事、二年。
京都でついに仇の坂上主膳を発見し、
居合の一閃で討ち果たして本懐を遂げた。
彼は意気揚揚と故郷に帰り、
熊野神社に刀を奉納したと言われている。
神夢想林崎流を開いたのもこの時と言うが、
実は甚助は生前、この流名を名乗らなかったともいい、
どうにも判然としない。
念願成就の喜びを分かち合う母子であったが、
今までの心労がたたったのか、
一年後、甚助二一歳の時に、母も病気でこの世を去る。
天涯孤独の身となった甚助は、
あてもない武者修行に出かけたと言うが、
彼がこの兵法勝負に呼び出されたのは、
正にこの時であった。
◆
森の中で目を覚ました甚助であるが、
正直何を為すべきかがまるで思いつかなかった。
一剣士として、兵法天下一の称号が欲しくないかと言えば嘘になるが、
人別帖を見れば上泉信綱や
塚原卜伝と言った、
出羽のような田舎にまで名前が聞こえて来るような
大兵法者の名前まである。
あの白州で見た面々を思い出せば、見るからに仇であった坂上主膳に
勝るとも劣らぬ達人ばかりであった。
見事仇を討って、意気盛んとも言える甚助だが、
まだ二一の未熟者の自分が、
あの達人の群れの中でそう簡単に勝ち上がれるなどと考えるほど自惚れてもいない。
主膳を倒した自慢の居合も、
主膳との戦いを経ることでかえって未熟な点が浮き彫りになり、
まだまだ技術としては未完成、というのが自分の結論だ。
甚助の少年時代は、仇討の為だけに消費されたと言っていい。
それを後悔はしていないが、本懐を遂げて、
やっと自分自身の人生が始まったばかりというのに、
その命をみすみす捨てるような事はしたくなかった。
死んだ母もそれでは浮かばれないだろう。
それに、主催と思しき男の白州での非道。
あれは自分の仇であった坂上主膳のやり口と、何も変わらない。
そんな男が主宰する兵法勝負で万が一勝ち残っても、
果たして自分の名誉になるであろうか。
そんな事を考えていると、
不意に一つの影が甚助の視界を走った。
それは身に寸鉄帯びぬ老人であった。
しかし、その動きは老人とは思えぬ、
猿(ましら)の様に俊敏で力強い物であった。
ぎょっと驚いて、甚助は木の陰から半身出して、
老人を盗み見た。
見た瞬間、甚助の背中に電流の様な感覚が走った。
強い。ただそれだけが感じられた。
気が付けば、彼が思わず殺気を飛ばしていたのは、
やはり兵法者としてのサガであろう。
こうして、若き居合使いと、老いたる大兵法者は出会った訳である。
◆
伊勢守の足の手当は済んだ。
甚助が手伝ったために、
思いのほか早く丁寧に手当てが終わり、
伊勢守は少しホッとする。
傍らでは甚助が、長い柄に手をやって辺りを警戒している。
「しかし、伊勢守どのほどの使い手に一太刀入れるとは・・・
恐ろしい奴、いったい何者です?」
「解らぬ・・・解らぬが、恐ろしく強い男よ・・・
そして、それ故に苦しんでおる」
「強い故に苦しむ?」
甚助は少し不思議そうな顔で伊勢守を見た。
体が弱く、必死の努力で達人となった甚助には、理解できぬ感情である。
「何、お主にもいつか解るかも知れん」
そう言うと、膝をポンと叩いて立ち上がった。
「では、わしは行かねばならぬ所があって行くが、
お主はどうする?」
伊勢守は、甚助を仰ぎ見て言う。
甚助は少し考えるような仕草をして、
「・・・もし伊勢守どのがよろしければ、
しばしの間お供させて頂きたい」
そんな事を言い出した。
「何?」
「いや、見れば伊勢守どのは身に寸鉄帯びて無い様子。
いかに貴方ほどの達人とは言え、達人ひしめく
この兵法勝負においてはやはり分が悪いと言わざるを得ません。
ですから貴方が何か刀などを見つけるまで、
用心棒の代わりでも出来ればと・・・」
「・・・・・・」
甚助青年の思わぬ申出に、伊勢守も考え込んでしまう。
自分が進もうとしているのは、ある意味修羅道よりも過酷な道。
そのような道行きに、このような未来ある青年を巻き込むような事は・・・
「あ、遠慮はいりません。
自分がやりたくて言っているのですし、
それに・・・・」
言うと、甚助は伊勢守から離れ、切っ先の届かない位置まで移動する。
そこで甚助は長柄刀を垂直に立てて、
鍔を胸の辺りまで持って行く。
そして、右手で一気に刀を引き抜く。
それと同時に左手で一気に鞘を引き戻されると、
常識はずれの速さで、白刃が鞘から飛び出し、上下に振り下ろされたのだ。
よく、居合の太刀の速さを電光と例えるが、
正しく甚助の太刀は電光そのものであった。
甚助が自得した居合の奥義の一つ、
「卍抜け」であった。
流石の伊勢守も、ほぉ、と感心のため息を漏らした。
諸国を廻ってきた伊勢守だが、これは未知の太刀筋である。
「いかが?」
青年は少し得意そうな笑みを顔に浮かべると、
伊勢守の顔を窺う。
伊勢守は少し考えた後、
「よろしい」
と短く答えた。
こうして二人の珍道中は始まった。
少し前を甚助が歩き、
伊勢守がその後を追う。
伊勢守に同行を許され、
甚助は喜色満面であった。
上泉伊勢守と言えば、奥州ですら知らない者のない大剣豪。
剣を志す者ならば、誰しも憧れる男だ。
その男に同行を許されて喜ばない者がいようか。
それに甚助は、自分が修練した居合の太刀筋を、
もっと伊勢守に見てもらいたいと思っていた。
彼ほどの男に褒められれば純粋に嬉しいし、
もし未熟な所があれば伊勢守に指摘してもられるかもしれない。
そうなれば、自分の技はより高い領域へと行けるはずだ。
そう思うと、甚助の若い心は今にも躍り出しそうであった。
一方、無邪気に喜ぶ甚助を伊勢守は父親の様な目つきで見つめていた。
若く、すぐれた剣士である。
恐らくこのまま修練を積めば、一流を開くに足る人物になるだろう。
しかし、
(それ故にこの青年は危うい)
剣の道とは、一歩間違えれば修羅の道である。
あの野獣のような青年の様に、
この青年がならないとも限らないのである。
優れた剣才は、時にその持ち主を地獄にすら落とすのだ。
(だから)
自分が導かねばならぬ。
それもまた自分の剣の道。
伊勢守は改めて決意を固めた。
【ほノ壱 森の奥/一日目/深夜】
【上泉信綱@史実】
【状態】健康、足に軽傷(治療済み)
【装備】なし
【所持品】なし
【思考】
基本:他の参加者を殺すことなく優勝する。
一:あの男(岡田以蔵)をなるべく早く見付けて救う。
二:甚助を導く
【備考】
※岡田以蔵の名前を知りません。
【林崎甚助@史実】
【状態】健康、少し興奮気味
【装備】長柄刀
【所持品】支給品一式
【思考】
基本:とりあえず試合には乗らない。信綱に同行
一:信綱を守る
二:信綱に剣を見てもらいたい
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最終更新:2009年07月01日 06:16