主従にあらず、同志なり◆L0v/w0wWP.
「どこだ…どこだどこだどこだどこだどこだ、どこだぁっ!」
里見の八犬士の一人、「孝」の犬士である犬塚信乃は、年齢の割に幼く中性的な顔を歪め
茫々と茂るススキ原を半ば狂乱状態で駆け抜けていた。慎重より高いススキの葉で、手や顔のあちこちに
浅い切り傷が出来ているが、彼の足を止めるには至らない。
「村雨丸…村雨丸が…。」
村雨丸―――鎌倉公方家に伝わる源氏の重宝。殺気をはらんで抜けば、刀身に露を走らせ、霧雨を吹くという妖刀。
永享年間、鎌倉公方家が京の公方家に滅ぼされた一連の戦乱において、祖父・匠作が父に託し、そして父がその身を
呈して守り続け、今際の際に信乃に託した形見。父と、兄弟とも言うべき愛犬ヨシロウを喪った時から必死で守り通してきた
半身。荘助、現八、小文吾、道節ら犬士たちの協力や、房八、ぬい、力次郎、尺八郎、そして自分の無神経な態度のせいで
死に追いやってしまった許婚・浜路の犠牲によって、ついに、古河公方成氏――即ち鎌倉公方家の血筋を引く彼に、
今度こそこの刀を返還するという祖父以来の宿願を果たさんとする晴れの日。その前の晩、こみ上げる様々な
感情からなかなか寝付けずにいた信乃であったが、混濁した意識を落とした途端、あの白州に引き出されていた。
そして次はこの見た事のあるような無いような芒原である。寝巻き姿であったはずが、普段着に着替えさせられていた
ため、夢かとも思ったが、先程の強烈な映像、やはり現実としか思えない。と、ここで初めて村雨丸、さらには
犬士を繋ぐ伏姫の『孝』の珠の喪失に気づいたのだ。
「そんな…!添い寝までしていたのに!」
一度、叔母夫婦の姦策により村雨丸を奪われて以来、信乃は常に肌身離さずこれを持っていたのだ。
唯一、入浴と水練を行う際は刀が傷んでしまうので、信頼のおける荘助などに管理してもらっていたが。
ここで背負った行李の存在を思い出し、中を浚うが、村雨丸どころか武器らしい武器も無く、あるのは
蓋のされた桶のような物だけ、万が一という事もあり開けてみると―――――
「なっ…!」
並々と張られた水と、顔面ほどもあるおおきなこんにゃくがひとつ
「…なんだ…これ…?」
手を入れて触ってみるが、ひんやりした感触といい、弾力といい、確かにこんにゃくである。
蓋と持ち手の間に差し挟んであった神を広げると、筆でこう書かれていた。
『これなるは無双の剣に唯一抗し得る、無双の盾にて候。努々、粗末に扱う事の無きよう心得るべし』
「って、ふざけるなーっ!!!」
桶を叩き壊したい衝動に駆られるが、粗末に扱うなとの注意書き通り、元のように蓋を閉じて
行李に収めるあたり、生来のお人よしの悲しさか。ともかく、彼の脳裏を支配したのは絶望。
「どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう…」
蘇るは犬飼現八と出会い、初めて人を斬った芳流閣の悪夢。
あの時、返還しようとした村雨丸は贋物に摩り替えられ、自分は逆に騙り者として追われる羽目になった。
父も、祖父の名誉も一旦はここで泥に塗れてしまったのだ。その二の舞だけは繰り返せない。
これも玉梓の呪い?いや、彼女は確かに伏姫とともに成仏したのだ、考えられない。
「さがさなきゃ…早く、早くしないとまた…。」
どこを、どうやってそんな簡単な事も見当がつかずに信乃はススキ原の中を駆け出したのだった。
先程起こったことも、殺し合いの事も、彼の頭からはすでにすっぽり抜け落ちていた。
□
無我夢中でススキ原を駆け抜けていた信乃だったが、急に視界開け均された場所へと出た。
そしてその勢いあまって、普段なら気にも留めないような、小さな段差につまずき、そして豪快に転んだ。
手足、顔に擦り傷が出来、口の中も切ったらしく、いやな鉄臭い味が広がる。
「あぐ…、こんな事に時間を食ってる場合じゃないのに…」
「そこの者!」
頭上から投げかけられる、よく通る声にびくっと体を震わせる。
頭上を見上げると、道祖神のわきにある大きな石の上に、どっかと腰を下ろし
左手に持った刀を大地に突き立てている。だがその装束はこの死合に呼ばれた者の中では異相。
立烏帽子に水干姿、細面の顔には白粉を塗り、公家のようにも見える。顔立ちは整っており
切れ長の瞳、口元と顎に髭を蓄えているが、まだ若い。三十は出ていないだろう。
「苦しゅうない、名を名乗れい。」
すっくと立ち上がった男の立ち居振る舞いを見て信乃は直感する。
(…!武家か…。)
動きは自然体ながら隙が無い。太刀を構える様も堂に入り、肩幅も広く
おそらく端正な顔に似合わず、鍛え上げられた肉体の持ち主なのであろう。
何より、闇夜でありながら信乃を捕らえる射竦めるような眼光が彼の出自を
物語っている。武家でありながらこの装束とは、おそらく高貴の出。
何者かはしらないが、一応自分から名乗るのが筋だろうか。
「武蔵国の生まれ、安房国里見左近衛尉が家臣、犬塚信乃戍孝!」
一瞬いぶかしむかのような顔をした後、ほう、と男が声を漏らす。
「そうか、かのような遠国から参ったか。申し遅れたな、余は征夷大将軍参議源朝臣義輝!」
□
義輝は男がこの名を聞いて即座に平服してくるものと思い込んでいた。
が、若者―犬塚信乃はは立ち上がると自分をきっとにらみつけこう叫んだ。
「征夷大将軍だと?ふざけるな!この騙り者め!」
疑いの目を向けられる事は覚悟していたが、いきなり真っ向から否定され
さしもの義輝も頬を紅潮させる、がここで争っても益なしと見、一度心を
落ち着かせる。
「ほう、なぜ余を騙りと断ずる?実際に余の姿を目にした事があるわけでもあるまいて。」
この青年が即座に自分を騙り者と断じたことについて、ひとつの可能性を義輝は導き出していた。
(やはりな…。弾正め、随分と回りくどい事をするものよ。)
今回のこの死合を仕組んだ人物を、義輝は三次家の家裁で、自分にとって目の上の瘤
(もっともあちらも自分をそう考えているであろう)、大和信貴山城主・松永弾正忠久秀と断定していた。
足利幕府第十三代の将軍である義輝は、応仁の乱以降、失墜した幕府の権威の復興を目指し、朝廷、
各地の大名との折衝や、武芸の奨励、鉄砲の開発、交易の振興など精力的な活動を行っていた。
そして今年、最大の政敵であった三好長慶が病死した事により、さらに大々的な親政を断行しようとしていた矢先、
突如、この場に連れ出されていたのである。これは、おそらく自分が死ねば一番得をする人物――
―長慶死後、さらに専横を振るわんと目論む、三好家の重臣で、後継・義継以上の権勢を誇る、
三人衆や松永一派の仕業と考えるのが一番適当である。
義輝が事の黒幕を松永弾正とする理由は他にもあった。
白州の場で、あの二階笠の男に名を呼ばれ、今また名簿に『柳生十兵衛』と名のある男―――。
おそらくあれは、大和の柳生、松永弾正の与党の一つである。あの白州の場にいた人物は年齢からして、
(やや若作りと感じるが)現当主家厳、そして白州の場で彼に食って掛かった十兵衛という男は、
先年、剣の師・上泉伊勢守に弟子入りしたというその嫡子宗厳であろう。ただ、彼が隻眼であるとは聞いていなかったが。
さらに、あの童の首を吹き飛ばして見せた妖術。昨今、信貴山城下に果心居士なる怪人が出没していると義輝は
風の便りに耳にしていた。その時は下衆の好みそうな、根も葉もない話と一笑に付していたのだが、
一連の怪異を見る限り、噂は真実であったと認めざるを得ない。おそらく、松永は、その果心居士を
抱き込み、この死合の場を用意したのであろう。
御前試合というからには、おそらく名目上の主催者は自分。長慶も狂死に追い込んだのではと言われるほど、
色々と黒い噂の絶えぬ弾正であるが、直接、将軍である自分を手にかける事は流石に憚られたのが、自分が
剣術にのめり込んでいる事を利用し、自分が東西の武芸者を集めて御前試合を行い、さらにその中に自ら
踊りこんで斬り死にしたとでも筋書きを立てるつもりなのであろう。先程見た人別帖には、上泉伊勢守、塚原卜伝という
自分の師・二人の名を確認、彼らもおそらく拉致されて来たのであろう。他に知る名前は無かったが、
おそらく皆名うての剣客。ただ、全員が全員そうとは思えない。おそらく松永配下の刺客も少なからず
紛れ込んでいるはず。そう、例えば、この自らを騙りと断ずるこの若者などは極めて怪しい。
だが、義輝の若者に関する考察は思いがけないところで外れる事になる。
「当代の公方は権大納言義尚公だ!義輝などという御人の名、聞いた事もない!不届きな奴め!」
□
信乃は元来裏表の無い純粋な性格であり、好きな相手に素直に好意を寄せ、嫌いな相手ははっきりと拒絶する。
また、古河公方や里見家だけではなく、朝廷や権威失墜した足利幕府に対しても未だ並々ならぬ忠心を持っていた。
その名を騙る不届き物が現れたのだ。当然、信乃は激した感情をそのまま表に現した。
まったく、武士ならば子供でも知っているような公方様の名を間違えるなんて、とんだお粗末な紛い物だな。
信乃は呆れながら、目の前の痴れ者に対して事実を告げた。いや、これは確かに信乃にとっては事実であったのだが。
目の前の偽公方はぽかんと口を開けた後、信じられないという顔を作りこう反論したのだ。
「…そなた、何を申しておる?九代義尚公はもう七十年以上も昔にお隠れになっておるのだぞ?」
信乃は絶句した。義尚は七十年も前にこの世の人では無くなっている?
そんなはずはない。それに義尚は自分とは同年代、義尚が五十まで生きたとしても
自分もとっくに死んでいるような年月の経過ではないか。
「ば、馬鹿な事をいうな!そ、そんな事があろうはずが…。」
「嘘でこのような事を言うはずがなかろう。それに余が仮に騙り者として、その騙る相手の名を誤るとでも思うか?」
「そ、それは確かに…」
「ともかく、今、お互いの知っている事を皆話してみようではないか。それでも余を騙りと断ずるならばそれもよかろう。」
半信半疑ではあったが、信乃は一応男・義輝の話聞いてみる事にした。
□
信乃は絶句していた。男はこの七十年の間の事を逐一、話して見せた。
にわかには信じ難い事だらけではあったが―――とてもそれが法螺には聞こえなかった。
でも、やはり…
「信じられない…。」
「余に言わせれば、そなたの言う事の方がよほど信じられぬが…。そもそも里見義成なる者が、
古河公方や両上杉家を打ち破ったなどという話もてんで聞かぬ。村雨なる太刀の事も。」
さらに時の隔たりだけでなく、信乃の語る文明年間の出来事と、義輝が記録で知るそれとがまるで噛み合わない。
さらに世に知られた源氏の重宝・村雨丸を知らぬと言うのだ。もしかしたら七十年の歳月の間に亡失してしまったのかも
しれないが、それでも名前くらいならば伝わっていてもいいはずである。
「やはり、お前騙り者だろう!武家の、源氏の棟梁たる公方が村雨丸を知らないなんて――」
「知らぬものは知らぬのだ。そなた、果心居士が蘇らせた死者かとも思うたが…それにしても合点がいかぬ。」
「だから、俺は死んでなんかいない!」
事態が飲み込めない上、話は噛み合わない。術を無くした二人が寸刻、沈黙が二人の間を支配した。
「…とにかく!俺は村雨丸と孝の珠、それに毛野さんを探す!」
先程読んだ人別帖にあった唯一知る名前の主、腕も立ち、知恵の回る彼ならなにか打開の糸口を見出してくれるかもしれない。
信乃は北へ向かって経とうとしたが――
「探してどうするつもりなのだ?」
義輝が声をかける。
「勿論、その松永弾正なる人物たちを討つ!こんな残忍な事を考える連中が世のため、人のためになるはずがないんだ!」
「…ふ、それを聞いて安心したわ。得物が無くては辛かろう。受け取るがいい。」
そう言って、義輝は手に持った太刀を差し出す。先程は暗がりでよく見えなかったが、近づくと信乃はそれに見覚えがあった。
「これは小篠!」
信乃の無二の義兄弟・「義」の犬士、犬川荘助の佩刀であった。
「これを何処で!?」
「そこの道祖神の前に供えてあったのだ。余に渡されたのは見ての通りの木刀だが…。
戦ならいざ知らず、このように仕組まれた剣法勝負、松永らの思惑には乗らぬ。」
村雨丸だけでなく、小篠も奪われていたなんて!こうなれば、この小篠と対になる小刀・落ち葉や
普段自分が愛用している桐一文字の両刀もここにある可能性が高い。親友・荘助に心の中で許しを得ながら
これを腰に挿す。
「だ、だけど…木刀なんかで、他の連中が切りかかってきたら…。」
「なに、上手く裁いて見せるわ。ここで死んだら余もそれまでの男だったと言う事。
ではな…、余はこれより南に向かう事とするが、御師・塚原卜伝と上泉伊勢守に出会ったら伝えてくれ。
この死合とは別に、立ち合いを望んでいるとな。毛野とやらも見つければ、余から声をかけておこう。」
そういって義輝は立ち去ろうとするも…。
「待て!」
今度は信乃が義輝に声をかける。
「お前が公方様だなんて信じられないが…、得物をくれた事には感謝する。ありがとう…。」
ぺこりと信乃が頭を下げた。信乃は未だ、この男が公方であるとは思っていないが…、
たしかに度量広く、意思の強い男である事は認めた。相当腕に自身があるようだが、
やはり木刀一本で歩かせるのは心許ない。むざむざ死なせてしまっては仁義にもとる。
「だから…俺が義輝を守るよ。そっちに殺すつもりが無くても本気の相手が切りかかってくるかもしれないし…。
それで真剣を持っていなかったので死にました…なんてなったら寝覚めが悪いし…。」
どこかバツが悪そうに頬をかく信乃を見て、義輝は笑った。
「…ふっ、よかろう。犬塚信乃よ、大儀である!」
「!言っておくけど、俺はお前の従者になったわけじゃない!あくまで対等だからな!」
「ははは!わかった、わかった、よろしく頼むぞ信乃!ついてくるからには余と師父との勝負も見届けてもらうぞ!」
そういうと義輝は手でついて来いと信乃に促し、南へ歩み始める。
「あ、待って!」
それに伴って信乃もいそいで義輝の脇に並び歩みを進めた。
生まれてこの方、これ以上無い程の無礼な扱いを受けたにも関らず
義輝はすこぶる機嫌がよかった。自分を騙り者と呼び、怒りをあらわにする信乃。
将軍の首など、誰にすげかえても構わぬという連中がごろごろするなかで、
このような態度を取るのは、彼が弾正の刺客で無い限りは
裏を返せばそれだけ将軍家への忠誠心が強いという事だ。
信乃の素性はいまだ不可解な点が多いが、これだけは本物であろう。
そして先程、昨今の世相を信乃に話した時の感想。
――七十年、経っても戦乱が収まっていないなんて――。
これは自分の、将軍家の力が足りない事によるところが大きい。
真に不甲斐ないばかりである。信乃や大勢の者をこれ以上嘆かせないためにも
一刻も早く、将軍家の権威を回復し、日の本に安寧を齎さねば。そのために
取るべき行動は一つ。
(待っておれよ、松永弾正。そうそう貴様の思い通りにはさせぬ!)
【にノ参 道祖神前/一日目/深夜】
【犬塚信乃@八犬伝】
【状態】顔、手足に掠り傷、義輝について南へ
【装備】小篠@八犬伝
【所持品】支給品一式、こんにゃく
【思考】
基本:村雨を取り戻し、主催者を倒す。
一:義輝を守る。
二:毛野を探し合流。
三:小篠、桐一文字の太刀、『孝』の珠も探す。
四:義輝と卜伝、信綱が立ち合う局面になれば見届け人になる。
【備考】
※義輝と互いの情報を交換しましたが半信半疑です。また義輝を信用していますが、将軍だとはまだ信じていません。
※果心居士、松永久秀、柳生一族について知りました。
※人別帖に自分の名前が二つある事は確認していますが、犬塚信乃が二人いる事はまったく想定していません。
※玉梓は今回の事件とは無関係と考えています。
【足利義輝@史実】
【状態】健康、信乃を従え南へ
【装備】木刀
【所持品】支給品一式
【思考】
基本:松永久秀を討つ。死合には乗らず、人も殺さない。
一:卜伝、信綱と立ち合う。また、他に腕が立ち、死合に乗っていない剣士と会えば立ち合う。
二:上記の剣士には松永弾正打倒の協力を促す。
三:信乃の人、物探しを手伝う。
※黒幕を松永久秀、宗矩を柳生家厳、十兵衛を宗厳だと勘違いしています。
※果心居士が今回の事に関与していると考えています。
※信乃と互いの情報を交換しましたが半信半疑です。信乃に対しては好感を持っています。
※人別帖に信乃の名前が二つある事は確認していますが、犬塚信乃が二人いる事はまったく想定していません。
※なお信乃のこんにゃくがはいっている桶の中の水は妖術で固定されています。激しく動かしたり、ひっくりかえしても
中の水はこぼれませんが、掬う、飲む、桶自体が壊れる等すれば、その限りではありません。この事にはまだ
信乃も義輝も気づいていません。
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最終更新:2009年03月28日 08:16