武士道といふ事は死ぬことと見つけたり◆KEN/7mL.JI
月明かりに照らされて、僅かに汗ばんだ肌が闇の中で動く。
虫の音のみが響く、山深いお堂の中。
辺りは鬱蒼として、木々の隙間から幽かな光が漏れるのみだ。
水に湿らせた手ぬぐいが、ひやりとした感触で肌を撫でる。
浅黒く日に焼けた肌は、鍛えられたしなやかさを持っている。
傷が多い。かといってごつごつとした無骨さはない。
首筋、肩口、両椀を拭い、それから二つの乳房を丁寧に清める。
女である。
肥前佐賀鍋島藩の志士、
奥村五百子。
幕末期に、男装し尊皇攘夷運動に奔走した。
女だてらに、と揶揄する者もかつては居たが、今は居ない。
口先だけでモノを言う輩は、剣で黙らせたからだ。
その五百子の唇が、幽かに震えた。
臆しているのか…?
五百子は自問する。
初めは見よう見まね。それから近在の老人から居合いと、古流剣術であるタイ捨流の手ほどきを受けた。
以来、毎朝海岸にて三尺の長刀を使い、千本稽古を続けている。
三尺の刀は練習用だ。普段は二尺三寸の普通の長さを指している。
これは、「葉隠」にある逸話からとった鍛錬法だ。
長刀に慣れれば、定寸の刀の扱いは容易になる。
葉隠。後の世では武士の生き様の代表のように語られるが、徳川幕藩下において武家の学問と言えば朱子学である。
佐賀鍋島藩に伝わるこの独特の人生訓は、明治期に至るまでは決して一般的ではなかった。
葉隠を世に広く知らしめたのは、大日本帝国陸軍なのだ。
武士道といふ事は死ぬことと見つけたり。
これが、戦国動乱も過ぎ、戦も合戦も過去の話となった太平の時代に、佐賀鍋島で開花した思想だ。
毎朝起きたときに、まず死を覚悟する。
それから一日を終え、眠りにつき、翌朝又死を迎える。
それが、鍋島武士の生き方であり、五百子も又その様に生きていた。
その五百子の心の芯に、僅かな震えの余韻がある。
あのとき、あの場、あの場面で。
五百子は確かに震えた。
人を斬ることも、己が斬られることも覚悟はしていた。
常に、そのつもりで剣を携えていた。
そのはずである。
だから、あの震えは別のものだ。
五百子はそう思う。
死ではない。斬り合いにでも無い。
たとえようもない異質さの片鱗。その欠片。未知ではない。知らぬのではなく、考えようもない異質さそのものの息吹に、五百子は震えたのだ。
そう思う。
その、ぬめった震えを洗い清めるかのように、五百子は肌を手ぬぐいで清めた。
黒い袷に灰色袴の装束は闇に溶け、前をはだけた裸身だけが薄暗いお堂の中でゆっくりと動いていた。
「入られても構いませんよ」
不意に、手を止めた五百子がそう声を発する。
視線は前方、お堂の入り口へと据えられ、両手は正座した膝の上へと置かれる。
す、と、戸が開くと、初老の男性がひょいと半身を覗かせた。
「すまんな。声のかけどきを掴みかねていた」
軽く頭を垂れるが、さほど悪びれた風もなくそのまま五百子の前にあぐらをかく。
その所作はゆっくりだが隙はなく、また不作法と言うほどでも無い。
ごく自然に、相手の警戒心を解いてしまう。そんな仕草であった。
「失礼して」
五百子はそう言うと、はだけていた袷を戻し、手ぬぐいをたたんで懐へ戻す。
「なに、いいものを見せて貰った」
「お戯れを」
目を細めてそう言うその男に、五百子はやや冷ややかに返す。
「戯れではないよ。かなり鍛えられている、良い体だ。何流をお使いになる?」
僅かに目を見返して、一呼吸の後に返す。
「タイ捨流を少々」
「成る程、身を捨てておられるか」
「体のみならず、全てを」
「捨てられたかな?」
「まだ未熟にて」
「ふむ」
しばしの問答に、男は目を細める。
「こちらの名乗りがまだだったな。
私は神道無念流、
斎藤弥九郎と申す」
その名に、五百子は目を見開いた。
「奥村五百子と申します。失礼ながら、練兵館の斎藤先生にあらせられますか」
「如何にも」
幕末期に剣を持ち、その名を知らぬ者は居ない天下無双、斎藤弥九郎その人である。
同時に、水戸斉昭や藤田東湖等と親交を持ち、桂小五郎、高杉晋作、井上聞多等、多くの尊皇攘夷志士らを門下生とし、彼らへの強い影響を持った人物でもある。
剣の上でも、思想の上でも、五百子にとって重要な人物であると言えた。
「先生のご尊名は存じております」
軽く礼をする五百子に、右手を挙げて応じようとしたとき、一閃。
「二度、御免!」
胴凪の剣先が危うく斎藤の肌をかすめる。
殺気の無さが、流石の斎藤の反応を僅かに遅らせた。
それでも、既に半身に構え木刀を構える斎藤弥九郎。
常人であれば絶命していたやも知れぬ居合いの太刀筋を、すんでにかわしている。
「如何なお積もりか?」
狭いお堂の中で、女剣士と天下無双が向き合う。
「それはこちらの科白。かような腕前を持ちながら、何故斎藤先生の名を騙る?」
五百子の目には迷いはなく、鋭く強く見据えている。
「騙り、とな?」
「左様。斎藤先生とはお会いしたことはないが、御年70を越えていると聞き及ぶ。あなた様はどう見てもそこまで老齢ではなか」
端的に述べる五百子の言に、初めて斎藤が悩ましげな表情を見せる。
「成る程、言い分は分かった。しかし、嘘偽り無く本人であると言っても、信じてはくれんのだな?」
「戯れ言をッ!」
再びの胴凪を、斎藤は最小の動きでかわしてのける。
狭く、天井も低いお堂の中では、小手先技をよしとしない剛の剣、神道無念流は勝手が悪い。
さらには、居合いに似た五百子の剣先は、執拗にに斎藤の胴を狙っている。
胴狙いは、神道無念流の弱点と知られる。
それを知ってか知らずか、五百子の剣はこの場このときにおいては分があった。
ここで、斎藤の判断は速い。
剣の戻り際にだんと体ごと戸にぶち当たり、そのまま屋外に出て走り出す。
「五百子殿! おぬしとやり合う気も無いが、誤解を解く術も今はなかろう。縁あらば又遇おう」
叫ぶと、そのまま林の中へと走り去った。
後の桂小五郎も頭を垂れる程の、天下無双にあるまじき逃走である。
五百子は開け放たれたお堂の中から、険しい目つきで闇の奥を見やる。
夜目は利く方だが、こうまで逃げに徹してしまわれては追いつける算段は無い。
仕方なく、五百子はまずはと、打ち破られた戸を拾い、入り口を直すことにした。
二度、御免。
武士とは。武士道とは、毎朝一度死すことである。
二度、とは、既に死している武士に再び死して貰うが故のことである。
五百子の芯は今、静謐であった。
震えは既に消えていた。
程なくして、斎藤は走るのをやめて、一息つく。
追っては来ない。
月を見上げて、「昔を思い出すわ」と、独りごちる。
心に浮かぶのは、朋輩にして同門、伊豆韮山代官の江川太郎左右衛英龍ととの旅。
かつて斎藤は、江川と共に彼の代官地の領内を隠密に歩き回ったりしていた。
言うなれば、お忍び視察のようなもので、勿論重要なのは領内の視察と治安維持なのだが、それはそれで斎藤にとっては楽しくもある思い出であった。
その江川が、今年死んだ。
お台場の設立に、反射炉の建設。ペリー来航以降の江戸湾防衛の全てをその責務とし、多忙に次ぐ多忙で病に伏せ、そのまま帰らぬ人となった。
病で死ぬ。
剣術修行以来の朋輩のその死は、斎藤にとっては悲痛な悲しみでもあったが、とはいえ当たり前のことである。
不穏な時代だが、未だ江戸は太平の世である。
果たし合いや戦で剣に果てるという事はまずあり得ないと言っても良い。
歩きつ、腰にした木刀に目をやる。
真剣ではないが、斎藤の剛の剣を持ってすれば、骨を砕き臓腑を破り、人を絶命至らしめるは可能であろう。
だが、斎藤はそれをよしとしない。
「これを用うるは止むことを得ざる時なり」
練兵館に掲げる、神道無念流の教えである。
剣を振るうのは、私怨私憤意趣遺恨に因らず、どうしても止む得ないときのみである。
でなくば、それは剣術ではなくただの暴である、と。
先ほどの五百子とのそれは、斎藤にとって決して 「止むことを得ざる時」 とは言えなかった。
五百子に殺される気はないが、五百子を殺す気にもなれない。いや、殺すべきではない。
五百子との間に、齟齬がある。
その正体を考える。
二階笠の家紋。そして、十兵衛。
その二つから連想されるは、柳生家である。
あの場で口上を述べた男を 「親父殿」 と呼んだ若者が、疾うの昔に死んだはずの剣豪、
柳生十兵衛三厳を名乗るのだとしたら、それはとんだ騙りである。
そして先ほど、自分自身も又騙りであると、そう言われたのだ。
御年70を超える、と言った。
見た目は壮健だが、斎藤弥九郎は今年で57になる。確かに身体的には最盛期を過ぎたし、そろそろ二代目を長男あたりに継がせても良いかとも思っているが、流石にそんなに生きた記憶はない。
ただの思い違いか何かか。そうも考える。
しかし、どうにも気になるのだ。
改めて、斎藤は人別帖を読む。
見知った名もあるし、かつて生きていた剣豪剣客の名もある。
それら全てが酔狂な騙りと言えるかどうか、今の斎藤には分からない。
分からぬならば ―――。
分かるようにするまでだ。
再び人別帳をしまい込むと、斎藤は顔を上げて再び歩き出す。
鍛え抜かれた健脚は老齢に近いとはいえ衰えを見せず、道無き山野を迷うことなく突き進む。
まずは、あの若者に会ってみるのも良いだろう。
心なしか、斎藤の眼にはかつての輝きが宿っているようにも見えた。
幕末の動乱期を、天下無双と呼ばれながらも、後進を育成する道場主として、或いは為政者としての立場で過ごした斎藤は、ただ一人何も負わぬ剣客として、剣に死する己を夢想する。
その夢想に、斎藤の心の芯は微かに震えていた。
【ろノ肆/呂氏神社お堂内/一日目/深夜】
【奥村五百子】
【状態】:健康
【装備】:無銘の刀
【所持品】:支給品一式
【思考】 ひとまず殺し合いに乗る気はない。
1: 斎藤弥九郎を名乗る人物はただの騙りであったのか?
【備考】
※1865年、20歳の頃より参戦。その時期、厳密には斎藤は70を越えていないので、五百子の勘違いと思われる。
【ろノ参/山中/一日目/深夜】
【斎藤弥九郎】
【状態】:健康
【装備】:木刀
【所持品】:支給品一式
【思考】 ひとまず殺し合いに乗る気はない。
1:知っている名の者、柳生十兵衛らしい若者と会う。
【備考】
※1855年、朋輩、江川英龍死去の後より参戦。
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最終更新:2009年03月04日 23:50