揺らぎ ◆L0v/w0wWP.



「あ…ありのまま今起こった事を話すぞ!

『儂は戦道具一式を揃えたと思ったら
  正体不明の化け物にすべて駄目にされた』

  な…何を言っているのかわからぬと思うが、
  儂も何をされたのかわからなかった…

  頭がどうにかなりそうだった…

  鬼武者だとか、魔界転生だとか
  そんなチャチなものでは、断じてない

  もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぞ…」

茫然自失の状態から我を取り戻した小野忠明は誰に言うでもなく、
今の心情を無意識に吐露してしまっていた。

「た、但馬め…あのような魑魅魍魎の類まで呼び寄せるとは…。
 奴は一体…」

数々の戦場で、多くの剛の者と渡り合ってきた忠明であったが、
あのような人外の存在と相対するというのは始めての経験であった。
幻と思いたくとも、眼前の馬の死骸から放たれる、強烈な
異臭がそれをさせない。そして同時に彼がおそらく生涯初めて、
身の毛もよだつ芯からの身震いと言うものを覚えた。
まさか、他の己以外の参加者もあのような物の怪なのでは…。

「ええいっ!だらしがないぞ小野次郎右衛門!兵法天下無双の
 名が泣くわ!くく…なるほど、宗矩の奴、人の子では、我に
 抗する者無しと悟ってか、どうやったかは知らぬが、ついに
 魔性に魂を売ったと見える!くく…くははははははははっ!
 よろしい!鬼と会えば鬼を斬り、仏と会えば仏を斬る!この
 儂が皆、退治てくれるわぁッ!!!」

一人気炎を上げる忠明、裂け目の出来た胴丸を脱ぎ捨て折れた
胴田貫の切っ先を、幟の布で包むと、廃村を後にする。
だが、その気炎に少なからず空元気が混じっている事は、
そのよろよろとした足取りを見ても明白であった。



山中の獣道を行く、斎藤弥九郎は、途中のやや平坦な場所で
懐に仕舞い込んでいた地図を広げる。先程の神社、
そして今自分が下ってきた斜面から推察するに今己がいるのは、
ろノ参であろうか、そして木々の間から覗く月影から方角を判断、
あの柳生十兵衛と名乗る人物を見つけ出すには、やはり人の集まりやすい
城下を目指すべきか。そう彼が思案したその時である。

「!?」

突如背後に何者かの気配。振り返り、左手から下げた木刀を構えたところで――
頭上にいくつもの小さな影が現れる。茂みから、飛び出してきたのは大小様々の飛礫。
弥九郎は、咄嗟に姿勢を低くし、頭を袂で守る。

「いやあああああああっ!!!」

と、それに続いて奇声を発しながら、腕を高く振り上げた男が飛び出す。

(…しまっ!)

飛礫から身を守るために構えを崩した弥九郎、自然、迎撃が遅れる。
咄嗟に木刀で受けようととするが、間に合わず、それは弥九郎の右腕をしたたかに打ち据える。
右腕に走る激痛と痺れ。
右手から取り落とした木刀を左手で受け止め、男の二の太刀が放たれる前に
身を捻り、後ずさってそれを交わした。

視線を上げた先には、半首(はつぶり)を顔に当てた、
自分と同輩の男。体格すぐれ、顔には獰猛な笑みが浮かんでいる。
その手に握られているのは、鳥追いか、脱穀に使う棒であろうか。
軽く粗末な者であり、相手を殺傷するほどの力は無いであろう。
だが、打ち据えられた右の手首は赤く腫れ始めており、
相当の一撃であった事が解る。
軽い得物であっても、力が加われば速度を生み、威力は増す。
――「力の斎藤」と称された自分の剛剣にも十分比肩――
――いや、あきらかに上回っていた。

「どうした!なぜ切り返さぬ腰抜けめっ!」
「今は剣を用いるべき時にはあらずして…」
「笑止!」

男がさらに二の太刀を繰り出そうとした瞬間である。

「さらば…ごめん!」

弥九郎は地面に盛り上がった苔の塊を思い切り蹴り上げた。
それは眼前の男の顔面にへばりつき、一瞬動きを止める。
その刹那、弥九郎は先程と同じく脱兎のごとく、男に背を向け駆け出した。

「なっ!?逃げるかぁあっ!!!」

弥九郎は背後からの大音声を黙殺、足場の悪い斜面を駆け、
切り立った斜面から身を躍らせた。


「くそぉぉっ!!!逃げ足ばかり早い男よ!」

男に続いて斜面を滑り降りた、忠明であったが、眼前には打ち捨てられた行李があるのみであった。
苛立ちの余り、忠明は懐から抜き放ったナタ(相手にトドメを刺すために調達したのである)を
振り回し、周囲に茂る潅木や熊笹が宙を舞った。

「あのような小手先の術に後れを取るとはぁっ!!!」

忠明としては、男の持つ殺傷力のある木刀、これを最初に奪い取るべく
急襲をしかけたのだ。一刀流は小太刀扱いの技も持つが、やはり
使い慣れた太刀と同じ形状のものが欲しい。
だが、目論みは失敗し、さらにつまらない目くらましにかかって
取り逃がしてしまった。泥による目潰しなど、戦場ではよくある事、さらに飛び散る
血飛沫に臆していては即ち死を意味する。だが、あの時、心とは裏腹に体が一瞬硬直して
動かなかったのだ。数々の死線を潜り、己より上の力量と評された、兄弟子・善鬼を
屠った時さえも、そのような事は無かったというのに。

これは本人の意識の他にあったことだが、あの視界が塞がれた一瞬、忠明はこう錯覚したのである。
あのへなへな侍―斎藤弥九郎の事だ―も、実はもののけの類であったのではなかろうか。
この漆黒の闇はなんらかの妖術だったのではなかろうかと。

「まさか…この俺が……恐怖しているだと…?馬鹿な…そのような事があるかぁっ!」

忠明が足下の地面を蹴り上げると、弥九郎の行李が高く飛び上がり、
傍の銀杏の古木に叩きつけられ、バラバラに解けた。
忠明はそれを睨みつけ、肩を戦慄かせていた。

【ろノ参/山中/一日目/黎明】
【小野忠明@史実】
【状態】:苛立ち・無意識の恐怖
【装備】:半首、手甲、鉈、木の竿
【所持品】:支給品一式、同田貫(切先の部分半分)
【思考】 :十兵衛を斬り、他の剣士も斬り、宗矩を斬る。
1:斎藤弥九郎(名前は知らない)、佐々木小次郎(名前は知らない・傷)は
 必ず自らの手で殺す。
2:太刀或いは木刀を手に入れる。
【備考】
佐々木小次郎(傷)に対し無意識のうちに恐怖心を抱いています。
 戦闘に際してやや影響を及ぼしているようです。
※佐々木小次郎(傷)を妖怪と認識しています。




斎藤弥九郎は自らを追いかける気配の無い事を悟ると、歩みを常のものに戻した。
行李は打ち捨ててしまったが、地図だけは懐に仕舞い込んである。

誤解する無かれ、弥九郎は臆病を起してあの男の前から逃げ出したのではない。
確かにあの襲撃者の力量は自身より上のものであると、弥九郎は認識する。
先程の五百子の場合とは違い、真っ向勝負を挑みかかるのも悪くは無かっただろう。
だが――弥九郎には自信が無かった。あの男を殺さずに倒すという自身が無かったのだ。

さらに男が自らに告げた一言が、弥九郎の心を大きく揺さぶった。

―『笑止!』―

この短い一言に全てが籠められていた。
男の侮蔑に満ちた眼差しと歪んだ笑みが脳裏に焼き付く。
自らの剣の有り様を否定されたのだ。これだけではない。
人別帖には練兵館の門弟の名は、塾頭・桂をはじめ、一人も無かった。
(実は一人、彼の門弟がこの場に呼ばれているのだが、人別帖に記載されている
 名は弥九郎の知り得ぬものであった)
あの時は弟子がこのような、狂乱の舞台に招かれなかったことに安堵したが
これも、主催者も自分の剣客としての有り方を高く評価していない証左なのではなかろうか。

「これを用うるは止むことを得ざる時なり」

神道無念流の教え。果たして、今は「止むことを得ざる時」なのであろうか。
再度、自らに問いかける。

「笑止―か…」

遺失してしまったが、あの人別帖に記された名には戦国乱世、そしてその余燼を生きてきた
剣客の名が多く記されていた。これらが騙りであるのか、泉下より舞い戻った幽鬼であるのかは
やはり知れない。ただ一つ。いかに、その名を知れた剣客であり、
多くの勝負を制してきた弥九郎であっても、彼らとの大きな違いが一つ。

――我は真の意味での戦場に立った事が無い――

ここは酔狂の場と最初は例えた、だが戦場というのは真に狂気の支配する場ではなかろうか。
少なくとも、あの襲撃者は、その剣は―――獰猛さの中に、ある種、一転の曇り無さが垣間見えた。
もしやこれは、天が己に与えた、「剣士として」死ぬための舞台なのではなかろうか。
あの時、自分はあの男の脳天を打ち砕こうとも、逆に血に臥す事になっていたとしても、
挑みかかるべきではなかったのかと。様々な思いが交錯する中、黙々と弥九郎は道を歩む。
既に周囲は険しい山道から平坦な曠野に変わっている。
しかし、逆に彼の心は「八幡の藪知らず」へと迷い込んでいた。

【ろノ参/荒野/一日目/黎明】
【斎藤弥九郎】
【状態】:右手に打ち身。思案。
【装備】:木刀
【所持品】:地図
【思考】ひとまず殺し合いには乗らない。が…。
1:名の知っているもの、柳生十兵衛らしい若者と会う。
2:兵法者として死ぬべきか…?
【備考】
※1855年、朋輩、江川英龍死去の後より参戦。
仏生寺弥助(吉村豊次郎)の参加を知りません。


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蘇る巌流 小野忠明 名刀妖刀紙一重
武士道といふ事は死ぬことと見つけたり 斎藤弥九郎 すれ違う師弟

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最終更新:2010年03月17日 22:36