狼狗相食む◆cNVX6DYRQU



「随分と懐かしい名前が揃ってるな」
人別帖を見ながら藤田五郎……いや、人別帖の表記に従うのなら斉藤一は呟いた。
新撰組の幹部や維新志士など、共に幕末を駆け抜け、先にあの世に逝った筈の者達の名が人別帖には多数記されている。
普通なら一笑に付すところだが、斉藤はあの白洲で、確かに死んだ筈の知り合いの顔を幾つか確認していた。
とすれば他の幕末の剣士達、更には宮本武蔵などの遥か昔の剣客達も全て本物だと考えるべきかもしれない。
どうやって様々な時代の剣豪達を集めたのか……ふと、斉藤はかつて勤め先で生徒が話していた英国の小説を思い出す。
確か、科学者が場所を移動するように過去や未来に行ける乗り物を作り、数十万年後の世界に行くという筋だったか。
もしもそんな機械を本当に作った者がいれば、数十年数百年前の剣士を呼び寄せる事も可能かもしれない。
もっとも、大した科学知識もない斉藤にはそんな乗り物が本当に実現可能なのかはわからないが……。
そこまで考えたところで、ちょうど人別帖と地図の確認を終えた斉藤はつまらない物思いを打ち切って歩き出す。
実際、この馬鹿げた催しの主催者が何者で、どんな力を持っているかなど関係なく、斉藤の行動は既に確定している。
主催者の正体が何であれ、あの白洲で無惨に若者の首を飛ばしたあの時点で、斉藤は奴等を斬る事を決意した。
悪を見過ごさない、それが七十年の人生で名も立場も幾度となく変えて来た斉藤の、決して変わらぬ信念だからだ。

しばし歩いて森を抜けると、湖の畔に見覚えのある男が待っていた。
斉藤は覚えず手にした剣を強く握り締める。
彼に支給されたのは、フェンシングで使うような西洋式の剣……斉藤は知らないがエペと呼ばれる刺突用の剣だ。
突きを得意とする斉藤向きの武器とも言えるが、あの男と戦う可能性を考えるとあまりにか細く頼りなく感じられる。
だが無論、そんな事は斉藤の足を止める理由にはならない。
手にした剣が頼りなければ、心の中にある信念という名の剣でそれを補えばいいだけのこと。
そして、斉藤はその男、佐々木只三郎と数十年ぶりに相見えた。

「何という……何という愚かなことを!」
湖の畔で、佐々木只三郎は自分に支給された刀を見つめ、苦々しく吐き捨てる。
この前の浪士組の件でも幕府の迷走が目立ってはいたが、今回の件はそれとは比較にならぬ大愚策だ。
講武所でしているような稽古では実戦に通用しないのは事実だが、だからと言ってこれは極端に走るにも程がある。
それともまさか、上の方々は清河八郎を討ったくらいで安心しきってこのような事を始めたのだろうか。
どちらにしてもこんな事をしているようでは、幕府は朽ち木が倒れるようにあっさり滅んでしまうだろう。
滅ぶのはもはや避けられぬ時代の趨勢かも知れぬが、せめて意地を見せて美しく滅びたい……
それが、幕臣としての佐々木只三郎の唯一の望みである。
となれば、只三郎が為すべき事は一つ……即ちこの御前試合における優勝だ。
優勝した者は如何なる願いも聞き届けられる。あの男は確かにそう言っていた。
ならば優勝した上で、以前からの腹案――幕臣から使える者を選んで倒幕運動を取り締まる隊を作る――を進言する。
これが実現すれば時代の流れにせめてもの抵抗を見せ、幕府の最期に華を添える事ができるであろう。

そう決意を固めて只三郎は手にした剣に目を遣る。
彼の見立てによれば、その刀は本物のソハヤノツルギ……久能山東照宮に保管されている筈の神君家康公の愛刀だ。
神君の刀をこんな事に持ち出すのは噴飯物だが、優勝を目指す只三郎にとってはこの上なく心強い武器になる。
切れ味も耐久性も申し分なし、長さは短めだが、小太刀を得意とする只三郎にはむしろ都合が良い。
決意を固めた只三郎の前に、最初の獲物が姿を現したのはそれから程なくしてのことだった。

「お初に御目にかかる。私は……」
「知ってるぜ。佐々木只三郎さんだろう?」
この老人は自分を知っている……それも、名前だけではなく危険さまで。
相手の眼つきからそれを悟った只三郎は、不意討ちを諦めてソハヤノツルギを抜き、構える。
「あんた程の人が、こんな下らない遊びに付き合いつもりか?」
そう言いながらも、老人は手にした洋剣を油断なく抜いて隙のない構えを取る。
「俺は幕臣……主命ならば如何に愚かしき命であろうとも必ず果たすのが務めだ」
苦渋を面に表しながら告げる只三郎だが、
「ふん……。いくら鋭い牙を持っていても狗はどこまでも狗でしかないか」
あからさまな侮辱を受けるとそれ以上の言葉は発さず、必殺の剣を老人に叩き付けた。

撃ち合うこと僅か数合にして、斉藤も只三郎も、相手が予想以上に手強いと悟っていた。
只三郎は斉藤が己の使う神道精武流の太刀筋を熟知している事を知り、焦りを覚え始める。
一方の斉藤も、只三郎がやはり他の精武流の遣い手とは格が違う事を感じ、長引けば体力に劣る己の敗北必至と認めた。
期せずして短期決戦で思惑が一致した二人は、同時に間合いを取ると身を沈め、やはり同時に渾身の突きを繰り出す。
互いの剣尖が正面衝突し、一瞬、拮抗したかに見えたが、腕の差か得物の差か、斉藤の剣の刀身が砕け散る。
しかし、斉藤の洋剣は砕けながらも只三郎の突きを僅かに逸らす事には成功していた。
只三郎が剣を引き戻す前に斉藤は身を翻してその懐に潜り込み、残った柄の護拳をナックル代わりにして裏拳を放つ。
咄嗟に腕で防御するが、顔の間近に迫った斉藤の護拳を見た只三郎の眼が驚愕に見開かれ……
只三郎に出来た一瞬の隙を見逃さず、斉藤はその鳩尾に膝蹴りを叩き込む。
しかし只三郎もさる者、膝蹴りの衝撃を活かして後方に跳び、距離を開いて再び剣の間合いに持ち込むと剣を構える。
膝蹴り直後の体勢では身をかわす事もままならず、只三郎の必殺の剣を柄で受け止められる筈もない。
絶体絶命の斉藤に対し、只三郎は間を置かずに剣を振り下ろす!

「なるほど。見上げた忠犬ぶりだ」
只三郎の剣は斉藤の護拳によって止められていた。
と言っても、剣を止めたのは……少なくともその最大の要因は護拳の頑丈さでも、斉藤の技でもない。
只三郎の剣を止めたのは護拳に刻まれた三つ葉葵の紋。
葵の御紋を切る事を畏れた只三郎が無意識に手控えたせいで、その剣は斉藤に止められたのだ。
そして、只三郎の動きが止まった瞬間に、斉藤は先に膝蹴りを当てた鳩尾に今度は回し蹴りを叩き込む。
連続して後ろに吹き飛ばされた只三郎は遂に背にしていた湖に踏み込むが、それでもどうにか踏み止まる。
しかし――
「ほらよ」
「ぬう!?」
体勢を立て直そうとする只三郎の傍をかすめて、斉藤が投げ捨てた洋剣の柄が湖の中央に向けて飛び去ろうとする。
幕臣である佐々木只三郎は、葵の紋が水中に捨てられるのを座視する事など到底できない。
素早く手を伸ばして柄を取るが、無理な姿勢をとった為に体勢が崩れ、水の中に尻餅を付いてしまう。
急いで斉藤に眼を転じると、既に洋剣の鞘を取って構えている。
このまま水中に座り込んでいる訳にもいかないが、迂闊に立ち上がろうとすればその瞬間に襲われるだろう。
「そんなものがそこまで大事か?」
「俺は幕臣だ。幕府を護り、幕府の為に生き、幕府と共に死ぬ。それが全てだ」
只三郎の答えを聞いた斉藤は冷笑すると構えを解いて背を向ける。
「なら、あんたが忠義を尽くすべき幕府が既になくなっていたらどうする?」
「何を……!」
「あんたは俺達をこの場に集めたのが幕府の連中だと思ってるようだが、本当にそうなのか?
 無闇に吠え立てる前に、自分を繋ぐ紐を握ってるのが本物の主人かくらい確かめないと、犬死する事になるぜ」
言うだけ言うと、斉藤は再び森の中へ歩き去る。
残された只三郎の胸には怒りと屈辱と、自分でも正体のわからない強い不安が渦巻いていた。

【はノ壱 湖の淵/一日目/深夜】

【佐々木只三郎@史実】
【状態】健康、下半身ずぶ濡れ
【装備】ソハヤノツルギ、徳川慶喜のエペ(柄のみ)
【所持品】支給品一式
【思考】
基本:主催者の命に従い、優勝する
一:出会った者は殺す
二:斉藤の言った事が気になる
【備考】※この御前試合の主催者を徳川幕府だと考えています。
※斉藤一の名前を知りません。
※参戦時期は清河八郎暗殺直後です。



森の中を歩く斉藤は、付き合いのあった斗南藩、つまり元会津藩士達の事を思い出す。
幕府の消滅直後は自暴自棄になったり無気力になった者もいたが、最後には多くが新しい人生へと踏み出して行った。
彼等は戊辰戦争で死力を尽くして戦ったからこそ、それで幕府への義理は果たしたと思い切る事が出来たのだろう。
だが、ここにいる佐々木只三郎は、どうやら十分に戦う前に幕府のないこの世界に連れて来られたらしい。
主に殉じる機会を奪われた最強の狗が、その事を知ったらどう動くのか……
「ま、俺には関係ないことだがな」
只三郎や他の知人達が気にならないと言えば嘘になるが、たとえ彼等がどう動こうと斉藤自身の行動に変わりはない。
主催者の愚行によって、斉藤一という刃は既に抜き放たれた。後はただ標的の心臓に突き立つのみ。

【はノ壱 森の中/一日目/深夜】

【斉藤一@史実】
【状態】健康
【装備】徳川慶喜のエペ(鞘のみ)
【所持品】支給品一式
【思考】
基本:主催者を斬る
【備考】※この御前試合の主催者がタイムマシンのような超科学の持ち主かもしれないと思っています。
※晩年からの参戦です。

  • ソハヤノツルギ:平安時代の名工三池典太作と伝えられる徳川家康所蔵の刀
  • 徳川慶喜のエペ:徳川慶喜がナポレオン三世に贈られたフランスの将校用エペ

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試合開始 佐々木只三郎 忠臣、亡霊と会い、少女、闇に消える。
試合開始 斎藤一 一人脱落、一人参戦

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最終更新:2009年10月03日 03:53