忠臣、亡霊と会い、少女、闇に消える。 ◆KEN/7mL.JI



 結果、海岸沿いに進むことになった理由は、主に次の二つだ。
 一つは、月明かりしか無い深夜故、山間を進んでは危険であると言うこと。
 もう一つは、海岸側からの襲撃を警戒せずに済むと言うこと。
 富士原なえかの事を、清河はおそらくは剣術の心得もあるであろうとは見たが、いかんせん女性、しかも若い。
 清河の記憶の中では、例えば千葉道場分家、千葉定吉が二女のさな子などは、たしかになかなかの手練れ。
 特に彼女の薙刀の腕前などには目を見張るものがある。
 しかし、彼女に比類する女剣客などが、そうそう居るものではないとも思っている。
 だから清河にとって、同行しているなえかなどは保護すべき弱者。いや、有り体に言えば足手纏い以外の何者でもない。
 まして、路なき山野を進むとなれば、どれほどの時間が掛かるものか分かったものではない。
 気力、体力の消耗や、道に迷う可能性を考えれば、ここは目立つ危険を差し引いても、周りの開けた、見通しの良い海岸沿いが当然と言える。

 理路整然とした (勿論、その中になえかを 「足手纏いだ」 等という表現は一切無い)清河の行動指針に、成る程たしかに、と納得しつつも、なえかの脳裏には別の考えがあった。
 これは、ここに来た当初からぼんやりとは考えてはいたことなのだが、つまるところこの変事は、彼女の祖父による「度が過ぎた悪ふざけ」なのではないか、という疑問だ。
 祖父・全重郎は日本でも有数の、いや、世界でも有数の資産家であり、そして有り体に言えば奇人変人の類であった。
 有り余るほどの資金と、そして有り余るほどの家族愛とで、世間一般の常識からも、そしてなえか自身の常識からも外れた、とんでもないことをしでかすのだ。
 特殊なトリックで人の首が切られたかに見せる演出など確かにやり過ぎだが、そこまでのやり過ぎをしないと断言出来ない自分もいる。
 なえかにとって、「所謂金持ち」とは祖父・全重郎の様な存在を指し、そしてそんな常識はずれな世界とはなるべく関わらずに、ごく普通の一般的女子高生としての青春を謳歌したいというのが、彼女の切なる願いである。
 したいのだが、とはいえ蛙の子は蛙であり、その孫も又蛙。
 なえかの望んでいる「ごく普通の、世間一般の常識的世界」の観点からすれば、彼女もまた、ちょっとした奇人変人そのもの。
 だから、こんな異常時においても、さほど普段のペースが崩れていないのだ。

「それで、そのときに近藤さんや芹沢さんとかとは別れたんだよね?」
「うむ。あ奴らは結局の所、大儀を解さず小利に動く小物。天下国家の事も勤王精神も無い俗物だったからな」
 道すがら、なえかの問いに傲然と、或いは堂々とした態度で清河はよどみなく応える。
 なえかはごく普通の一般的女子高生としては過剰な程度に、戦国、幕末の剣士剣客マニアである。
 教科書通り一遍以上の、それでいてかなり偏った歴史知識が豊富なのだ。
 北辰一刀流の使い手であり、論客。
 勤王攘夷の志士でありながら、幕府を騙して将軍守護のための浪士隊を組織させ、近藤、芹沢等の反発に合いはしたが、それら浪士を攘夷の為の尖兵に使おうとした大胆な策謀。
 そして、暗殺に散った運命。
 それらを、なえかは知っている。
 その、なえかにとっては歴史上の、或いは物語の中の人物である清河八郎本人と名乗る男が、目の前を歩いているのだ。
 なんとも奇妙な興奮がある。
 もしこれが本当に清河八郎なら、なえかは過去の剣客と対面している事になる。映画スターに会うことなどよりも、遙かに興奮する体験だ。
 もしこれが、祖父・全重郎の雇った役者か何かなら、それはそれで徹底している。
 これだけ清河役に入り込んで演じられると言うのなら、珍しくも祖父・全重郎のお遊びとしては、ちょっとばかり嬉しいプレゼントだろう。
(いや~、すごいね。すごいよ、本当。何聞いてもすらすら答えてくれるし。
 清河八郎って、もうチョット粗暴っていうか、ゴーマンでイヤミーなイメージもあったけど、でもこれはこれでピッタリくるしなぁ~…)
 このときのなえかは、あたかも夢の如き異変の連続に、先の白州で起きた惨事や、殺し合いという宣言の意味を、全く現実的には考えられてはいなかった。


 清河八郎はというと、なえかのその天真爛漫さと、同時に異常なまでの情報通ぶりに驚きと不審を感じている。
 なえかの聞いてくる事柄は、そのほとんどが清河の行いを熟知してのものであり、庶民はもとより、清河を警戒し探っていたはずの幕閣上層部ですら知っていたとは思えない。
 さらには、別れた浪士隊の残りの面々が新選組と名を変えて会津藩預かりで京都守護職に着いたことなど、清河自身も知らぬ事すら詳しい。
 それなりの年頃であろう娘ながら、髪も結わず童子のような短く刈った禿風なのもなにやら奇妙だし、この奇怪な状況にも臆したそぶりがない事も益々持って怪しい。
 かといって、密偵隠密の類かとも思えない。
 そういう人間がする、演技としてのあけすけさや人なつっこさとは何かが違う。そう思えるのだ。
 考えれば考えるほどに、一体この娘は何者なのかとの疑問が沸いてくる。
 とはいえ。
 自分とてまた、既に死したる身。
 年端もいかぬ娘が、世の諸事情はもとより、政変政争の詳細に精通していることも怪しければ、死した、或いは死に瀕するほど深く切り込まれたはずの自分自身がこうして生きていることも怪しい。
(まったく、全てが万事、怪しいこと尽くめではないか)
 心中そうも考える。

 二度目の生。
 改めてそう明確な言葉にすると、実に怪しく、胡乱で、また頼りない。
 俺は本当に死んだのか?
 佐々木に斬られたという記憶はある。
 あるが、むしろこう大地を踏みしめ、潮風に当たり、月明かりに目を向けていると、あたかもその記憶こそが幻で、端から自分は死んでなど居なかったのではないかと思えてくる。
 清河は、さて御前試合だ、殺し合え、等と言われて、成る程そうかと納得するような男ではない。
 むしろ清河は、己の意、己の信念で、縦の物でも横にして見せようという男だ。
 自分にはそれだけの能力があり、自分の命にはそれだけの価値がある。
 純粋に、ただ純粋にそう信じている。
 たとえ一度死んだのだとしても、或いは死んだという記憶がまやかしだとしても、その清河の本性それ自体が変わることはとうていないだろう。
 だが果たしてこの、怪しきことだらけの状況で。
 何を捨て何を負うべきか ―――。
 振り返り、昂揚したかの様に話し続けている富士原なえかを見やりつつ。
 一人思案しながら、清河は海沿いの路無き路を進んでゆく。

 結果、呂仁村址へと向かう進路を通り過ぎてしまったのは、そういう理由からだ。

◆◆◆

 先程、富士原なえかと祖父・全重郎を、共にちょっとした奇人変人の類と記したが、その点に関して言うならば、清河八郎とて例に漏れないと言える。
 東北は出羽国庄内藩出身の彼は、大老井伊直弼の暗殺で知られる桜田門外の変に触発され、本格的な尊皇攘夷運動に邁進することになる。
 幕末期に尊皇攘夷運動に奔走した志士は多くいる。
 しかしその多くは、土佐勤王党の武市半平太、薩摩精忠組の大久保一蔵に西郷吉之助、長州、松下村塾門下の高杉晋作等に、肥前佐賀奥村五百子や、肥後熊本の河上彦斎など、所謂西国の、もとより反徳川気質の強い外様の藩から現れている。
 唯一、水戸藩などは江戸徳川家に対する近親憎悪的な敵対心から、黄門様として知られる水戸光圀が確立した異常なまでの尊皇思想である水戸学によって、まさに徳川家獅子身中の大敵としての尊皇攘夷派であったのだが、これは希なケースとも言える。
 庄内藩は、代々譜代大名の酒井家が藩主を務める、歴とした佐幕派大名の治める藩だ。
 戊辰戦争においても、会津藩が降伏するまで薩長官軍を相手に連戦連勝をし、負け知らずのまま降伏したという筋金入りだ。
 その中で、藩風に染まらず、かなり早い時期から尊皇攘夷運動を始めていたのだから、時節に対して早すぎるとも言える。
 それだけを取ってみても、清河八郎が相当な変わり者、一種の傑物であったことは間違いないだろう。

 同時に清河は、大変傲岸不遜な性格であったとも言われている。
 本格的な尊皇攘夷運動を始めるより以前、清河八郎は母を連れて、庄内藩清川村を出発し、江戸から京、大阪、奈良、日光、と、およそ東北から関東、関西をぐるりと巡る大旅行をしている。
 その記録を綴った日記、『西遊草』には、事細かく各地の名士と会った旨が残されているのだが、その内容がなかなかに辛辣な人物評でもあるのだという。
 そしてそれだけ他者に批判的でありながら、尊皇攘夷運動を始めてからもかなり精力的に多くの志士たちと交流をし、あたかも古代中国の縦横家の如く、弁舌巧みに、着実に人脈を広げていったのだ。

 同時期の人物で、傲岸不遜な人柄で知られていた者と言えば、河上彦斎が斬った佐久間象山などもそうだ。
 しかし彼には清河のような人脈作りの才など無く、あくまで唯我独尊。
 勝海舟や吉田松陰等一部の門下以外とは交流も少なく、まさに孤高の天才として生きていた。
 なんと言っても、幕末期の人物の中でも相当「人なつっこい」変わり者であった坂本龍馬からすら、いったんは門下になりつつも通い詰めた形跡がないことから、些か煙たがられていたのではと思われるほどなのだ。
 そう。象山の傲慢さは、天才故のものである。
 彼は紛れもなく天才であり、だからそうでは無い周囲に合わせられなかった。
 それが彼の傲慢さの所以であり、そして自身の頭脳を、日本国において比類なきものと称するのも無理からぬ事なのだ。
 清河は違う。
 彼も又確かに、一種の傑物であることは間違いない。
 しかし象山と較べるまでもなく、彼は天才という質ではなかった。
 だからこそ、弁舌を持って他者に取り入ることも出来たし、己の活動のために奔走するのも苦ではなかった。
 彼は学者肌の天才ではなく、多才な活動家だったのだ。

 清河の傲慢の根拠は、才にあるのではない。
 ただひたすら、清河の志そのものにあったといえる。
 象山は、自分は天才だから価値があると断言している。逆に言えば、天才でなければ己に価値はないと認めている。象山から才を取れば、ただの捻くれた厭世家だ。
 清河は天才ではない。多才だが、そこに価値があるのではない。
 価値のある志を持ち、価値のある行いをしているからこそ、清河は己の命の価値を誇れるのだ。
 言い替えれば、価値ある行いを辞め、価値ある志を捨てたとき、清河には価値がない。
 だから彼は、妻お蓮を連座させ、獄死させることとなっても、尊皇攘夷運動を辞めはしなかった。
 どれほどのものを失っても、どれほどの犠牲を払っても、価値ある志と価値ある行いを続けることが、清河の生き方であり、清河の命の価値そのものなのだ。

 或いはこうとも言える。
 彼は天下万民の未来のため尊皇攘夷運動に命を捧げていたのではなく、そもそも自らの命それ自体に、大儀を行う価値があると信じていたのだ、とも。
 自らの命の価値を心底信じていたからこその奔走であり、そして傲慢なのだ。
 象山は、己は天才だからこそ価値があると考えていた。
 清河は、ただ己がそこに在り、己の意に染むよう運動する事で、ただひたすら己の命の価値を耀かせる事が出来ると考えていた。そしてその輝きは、そのまま天下万民の輝きに繋がる、とも。
 まずは、己の行い、志には価値があるという傲慢な信念があってこその、尊皇攘夷運動であったのだ、と。
 一言で言うならば、理想家というよりは夢想家である。

 だから、彼は最後の詰めを誤った。
 将軍守護の名目で資金を集め浪士を束ね、それら目的もなく彷徨う者達に、自らの弁舌で尊皇攘夷思想を教え込めば、彼らを意のままに出来ると思い上がった。
 嘘をついて、騙して彼らを従えさせようとした、との意識は毛頭無い。
 それだけの価値ある志であり、それだけの価値ある行いなのだ。
 その大儀の輝きの前には、騙した、謀ったなどと言う事は、些末に過ぎない。
 彼の死が、佐々木只三郎による不意打ちで果てたのも、その点で言えば当然とも言えた。
 情勢を鑑みれば、幕府側との軋轢は必至。危険極まりない事は明白であったが、それは清河にとってさほどの意味はなかった。
 清河は最期まで、自分の命の価値、すなわち志と行いの持つ価値を疑わず、佐々木によって討たれるなどとは思っていなかったのだ。
 そしてこのときも、また。

 ◆◆◆

 なえかがその白刃の閃きを見たときには、既に身体は後ろに飛んでいた。
 反応したのではない。
 衝撃によって押され、つんのめり、地面に倒れていた。
 何が起きたか理解するよりも、鋼の打ち合う音が耳に入る。
 地に倒れ伏していた上体をなんとか起こし、暗闇を見据えると、そこには二つの黒い影がもつれ合う様にしていた。
 音がする。
 鍔迫り合い。地を蹴る脚。息。
 呼吸が荒くなり、心音が高まり、腹の奥からじわりと冷たい塊がわき上がる。
 なえかは刀を抜こうと柄に手を伸ばすが、身体を起こせぬまま真剣を鞘から抜き放つ等出来ない。
 身体が、意志を裏切る。
 指先。踵。膝。腰。立てない。力が抜ける。
 竦んでいるのか。
 竦んでいるのだ。
 歯噛みするほどに震えても、しかしなえかの身体は思うようにはならない。

 血が。
 血飛沫がなえかの頬に掛かる。
 生暖かく、鉄錆びた匂い。
 誰の血であろうか。
 清河のものか。
 或いは襲撃者のものか。

「走れッ!」
 鋭く、清河の声がした。
 す、と、顔の血の気が引き、震えが僅かに治まる。
 膝に力が入る。意志が、下半身へと伝達される。
「坂本君か、河上君を捜せ!」
 清河の声が、なえかの心に鋭く、強く響く。

 血が、なえかの頬に掛かる。
 白い羽織を、鮮烈な赤が彩る。
 違う。これは違う。これは、なえかがこれまでの人生で経験してきたあらゆるものと違う。
 祖父の仕込みでもない。手品奇術の類でもない。祖父の財産に纏わるもめ事でもない。
 殺し合いだ。ただの、ただの殺し合い。
 そのことを、頭ではなく、心でもなく、身体が識ってしまった。
 識ってしまったなえかの身体は、もはやいつも通りのなえかではいられなかった。

「走れッ………!!」
 ゾッとするほどに、それまでとは違う清河のか細い叫びが、遂になえかの身体に電流を走らせ、彼女の脚を動かした。
 なえかは走る。
 ただひたすらに走る。
 そのまま、少女は闇に消える。
 ただひたすらに走り、闇の中へと消え去る。


 清河は既にかなりの血に塗れ、荒く肩で息をしていた。
 最初の襲撃。林の中から不意に飛び出してきた白刃の閃きを感じたのが、あと数秒遅れていたら、既に命はなかった。
 かわすと同時に、後ろにいたなえかを体当たりで飛ばし、そのまま刀を抜きはなって闇からの襲撃者に向き直る。
 佐々木只三郎。
 清河は衝撃とともにその顔を見る。
 つい先刻、自分を斬ったはず男の顔が、そこにあった。
 一度は自分を殺したはずの男の青白い貌が、月明かりに浮かび上がっていた。
 あたかも、亡霊を見るかのような憔悴した貌に、清河は奇妙なおかしみを感じる。
 俺も今、佐々木から見ればそんな貌をしているのだろう。

 佐々木は何も言わず何も語らず、ただひたすらに斬撃を加えてくる。
 それは講武所随一の剣士と謳われた佐々木にしては、かなり荒く雑なものであった。
 それでも清河は、その斬劇をかわし、或いは受けるのにかなりの神経を使う。
 荒く雑な攻めではあるが、息継ぐ暇もなく、畳み掛けるように打ち掛かってくるのだ。
 鍔迫り合いになり、それから一旦押し返して後ろに退く。
 迫りくる佐々木の切っ先をかわして小手を打ちに掛かるが、僅かに遅れた。
 肩口に受けた刃は、しかし鎖骨で弾かれ皮膚を滑る。

「走れッ!」
 おそらくは後ろに倒れているだろう少女に向けて、そう叫ぶ。
 叫ぶと同時に、再び佐々木の小手に狙いを定め、防戦一転、攻めに掛かる。
「坂本君か、河上君を捜せ!」
 坂本龍馬。
 通っていた道場は違うが、同じ北辰一刀流門下で、最も信頼の置ける男。
 河上彦斎。
 西国の若者で、熊本藩に尊皇攘夷を説きに回った際知り合った、小兵にして鮮烈、純粋にして真摯な剣士。
 人別帳に見た、清河にとって重要な朋友達の名を告げる。
 この期に及んで彼らの名を叫んだとき、清河はかつて無いほどに力がみなぎるのを感じ、昂揚した。

 その清河の腹に、佐々木の剣先がずぶりと刺さる。
 低く構えた佐々木の剣は、清河の切っ先をかいくぐり、左脇腹に滑り込む。
 腸をやられた。
 灼熱した火箸を指し込まれたように熱い。
 ああ、そう言えば前に斬られたときも、こうだったなとぼんやり思った。
 佐々木は刃を回し、抉る。
 腹の中で、腸がねじ切られた。
 絶叫が喉元まで這い上がるが、奥歯を噛んで飲み込んだ。
 ここで悲鳴を上げれば、なえかは走れなくなる。
「走れッ………!!」
 我ながら、笑ってしまうほどにか弱い声で、叫びとも言えぬ叫びを絞り出す。
 又同じ男に殺されるとは、俺は何という間抜けだろうか。

 気配が去るのを感じる。
 少女は、なえかは逃げることが出来たようだ。
 無垢。
 不意に、清河の脳裏にそう浮かんだ。
 そうだ、無垢だ。
 あの少女の中にあるそれは、ほんのりと明るく、闇に消えゆく清河の意識を照らす。
「蓮の花は、泥水に染まらずに香り高く咲いて、清らかだ」
 かつて、妻お蓮に言ったその言葉が、清河の周りに浮かんでいた。
 己の愚かさから連座させられ、獄死した妻、お蓮。
 その妻のことと、先程の少女のことが、交互に浮かんでは消えてゆく。
「俺は……」
 聞こえるだろうか。
 俺のこの声は、佐々木に聞こえているだろうか。お蓮に聞こえているだろうか。
 か細く絞り出されたこの声は、届いているだろうか。
「俺は、無垢なる花を、二度も散らせはせん……」
 聞こえてなどいないだろう。
 誰にも届いてはいないだろう。
 だが、それでもいい。

 小利を捨て、大義に生きて散った清河八郎は、再びの生において、大儀を捨てて小義に散った。
 清河を知るものも、また清河自身も、彼がただ一人の少女を生かすために死ぬなどとは、とうてい考えても居なかっただろう。

 ◆◆◆

 潮風が男の周りを渦巻き、何も残すことなく去ってゆく。
 血と臓物の匂いに咽せ、佐々木は咳き込んだ。
 亡霊。
 亡霊が、佐々木の前で骸となり転がっている。
 俺はこの男を斬った。
 佐々木はそう己に言い聞かせる。
 俺はこの男を斬った。
 上意において討ち果たした。
 生々しくも、そう思い起こす。
 そして俺は ――― 今再びこの男を斬った。

「俺は清河を斬った」
 誰に言うでもなく、佐々木はそう吐き出す。
「俺は清河を斬った。
 二度、清河を斬った」
 次は ――― 三度、清河を斬るのか?

 佐々木の意識の中に、清河と同行していた少女、富士原なえかの事などほとんど入っていない。
 居たような気もするし、居たとしてもどうでも良かった。
 佐々木はただ、湖の畔で呆然とすること暫く、特にあてもなく潮風に向かって歩き、雑木林から開けた海岸へと目を向けたときに、亡霊と出会ってしまったのだ。
 海沿いに、北より来たる影。
 月明かりに見える清河を見て、佐々木はただひたすら、遮二無二にそれを切り伏せ、討ち果たさねばならなくなっただけだ。
 その意味で言えば、清河がなえかを逃そうとしたことには、何の意味もなかった。
 なえかの存在など、佐々木にとっては端から無いも同じだったのだ。

「俺は清河を斬った」
 再び、佐々木はそう叫ぶ。
「俺は清河を斬った。
 二度、清河を斬った」
 次は ――― 何度、誰を斬れば良いのだろうか?
 無明の暗闇の中、佐々木のその問いに答えるものはどこにもなかった。


【清河八郎@史実 死亡】
【残り七十五名】


【ろの壱 海岸近辺/一日目/黎明】

【富士原なえか@仮面のメイドガイ】
【状態】健康
【装備】壺切御剣@史実
【所持品】支給品一式
【思考】
基本:殺し合いはしない。
一:逃げて、坂本龍馬、河上彦斎を捜す…?

※逃げている方向は不明。


【佐々木只三郎@史実】
【状態】健康、精神的肉体的疲労
【装備】ソハヤノツルギ、徳川慶喜のエペ(柄のみ)
【所持品】支給品一式
【思考】
基本:主催者の命に従い、優勝する
一:何故清河が…?
【備考】※この御前試合の主催者を徳川幕府だと考えています。
斉藤一の名前を知りません。
※参戦時期は清河八郎暗殺直後です。


※ろの壱とはの壱の境界近くに、清河八郎の死体と支給品一式、一文字兼正@魁!!男塾 が放置。



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今は未だ、夢の途中~衝撃のダブルマウンテン!?~ 清河八郎 【死亡】
今は未だ、夢の途中~衝撃のダブルマウンテン!?~ 富士原なえか 一人脱落、一人参戦
狼狗相食む 佐々木只三郎 忠誠いろいろ

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最終更新:2010年04月04日 00:48