KARASU(2007-1-11)
中では、惨状なのかコントの最中なのか分からない光景が広がっていた。
壊れた机、丼を頭上に掲げている妖怪の後ろ姿、その妖怪に踏まれている狐者異…多分、前掛けを着けているから店長の太郎氏だろう。
この図はどこかで見た事がある。
そうだ、毘沙門天が天邪鬼を踏み付けている像、あれに似ているんだと伝吉が現実逃避を兼ねてそんな事を考えていると、丼を持った妖怪がくるりと振り向いた。
壊れた机、丼を頭上に掲げている妖怪の後ろ姿、その妖怪に踏まれている狐者異…多分、前掛けを着けているから店長の太郎氏だろう。
この図はどこかで見た事がある。
そうだ、毘沙門天が天邪鬼を踏み付けている像、あれに似ているんだと伝吉が現実逃避を兼ねてそんな事を考えていると、丼を持った妖怪がくるりと振り向いた。
「お騒がせ致しやした」
にこりと笑うその妖怪は人間によく似た姿をしているが、人間ではない。
白い生地の死に装束に、死人ではない証の彼岸花の柄の帯。そして帯に挟まれた巻物は閻魔帳。
死神であると一目で知れた。
白い生地の死に装束に、死人ではない証の彼岸花の柄の帯。そして帯に挟まれた巻物は閻魔帳。
死神であると一目で知れた。
「お騒がせついでに、片付けるの手伝ってもらえやせんか」
死神は丼を被害が及んでいない机に乗せると、狐者異から下りた。
「何があったんだ?」
既に滅茶苦茶な店内を目の当たりにし、襲撃して滅茶苦茶にしてやろうという気負いが削がれた伝吉は、壊れた机に手を掛けた。
「ったく、何だか知らねえが、妖怪が久々にまともな飯に有り付いたっていうのに行き成り襲い掛かってきやがったんですよ。危うくせっかくの天玉そばを零すところだった」
その言葉に、伝吉ははっとしてその死神を見た。
店内と太郎は台風一過のような有様なのに、死神はまるで今から注文するかのような姿だし、蕎麦には被害が無かった。
何者だ、と伝吉に緊張が走るが、死神は笑い返しただけだった。
店内と太郎は台風一過のような有様なのに、死神はまるで今から注文するかのような姿だし、蕎麦には被害が無かった。
何者だ、と伝吉に緊張が走るが、死神は笑い返しただけだった。
「ちょいと、手ェ止めないでそっち持って下せェよ、伝吉さん」
慌てて伝吉は壊れた机の片側を持った。
それを店の端に寄せ、木の欠片を掃き清めていく。
ついでに伝吉が太郎もごろごろと転がしていくと、太郎はううっと唸って目を開けた。
それを店の端に寄せ、木の欠片を掃き清めていく。
ついでに伝吉が太郎もごろごろと転がしていくと、太郎はううっと唸って目を開けた。
「お、起きたな。腹具合はどうでェ、アザになってるんじゃねえか?」
伸びた蕎麦をずるずると啜っていた死神が問うと、太郎はがばっと跳ね起き、死神に掴み掛かろうとした。
しかし死神は太郎の腕からひょいひょいと逃げていく。
蕎麦を啜りながらという、どう控えめに見ても小馬鹿にした態度に太郎の怒りは増すばかりであった。
しかし死神は太郎の腕からひょいひょいと逃げていく。
蕎麦を啜りながらという、どう控えめに見ても小馬鹿にした態度に太郎の怒りは増すばかりであった。
「テメエ待ちやがれ上津良介!!」
「だから喰ったら相手してやるっつってんだろうが。煩ェな」
「だから喰ったら相手してやるっつってんだろうが。煩ェな」
上津良介。
その名に、二匹を傍観していた伝吉は青褪めた。
何故気付かなかったのか。
閻魔帳を堂々と出して歩く死神など、本来いやしない。
それを奪われたりでもしたら閻魔大王に罰せられる上に、死神としての資格を取り上げられてしまう、死神の生命線とも言うべき代物を帯に無造作に突っ込んで平気な顔をしている死神は、妖界広しと言えど、彼の他にはいやしないのに。
その名に、二匹を傍観していた伝吉は青褪めた。
何故気付かなかったのか。
閻魔帳を堂々と出して歩く死神など、本来いやしない。
それを奪われたりでもしたら閻魔大王に罰せられる上に、死神としての資格を取り上げられてしまう、死神の生命線とも言うべき代物を帯に無造作に突っ込んで平気な顔をしている死神は、妖界広しと言えど、彼の他にはいやしないのに。
「伝吉さんも何とか言って下せェよ」
良介は汁まで飲み干すと、太郎の足を引っ掛けながら言った。
「お前…あの、上津良介なのか?」
伝吉は呆然としながらも何とか問い掛けた。
「そうだよ、こいつは死神の上津良介だ。そうと分かったら店に入れなかったのによ…!」
答えたのは、思い切り転んだ太郎だった。
「あのなあ、何度も言うけど、お前が死んだのはあっしのせいじゃねえんだって。頭硬ェなあ」
「何を…!」
「あん時はいきなりで悪かったって、でも今、ほら、結構楽しそうじゃねえか?」
「そりゃあ…」
「何を…!」
「あん時はいきなりで悪かったって、でも今、ほら、結構楽しそうじゃねえか?」
「そりゃあ…」
伝吉は更に問い詰めようかと思ったが、目の前で繰り広げられる漫才に脱力していた。
これが本当にあの、裏では知らぬ者がいないほど有名な上津良介なのか。
飛び級で死神大学校を卒業した天才でありながら、自分達が卒業…伝吉にとっては退学だったが、する年に何故か妖怪大学に入学し、死神で初の妖怪食品衛生学博士号を取って卒業した奇妖怪。
在学中から既にあちこちからあった飲食界からの誘いを断り続け、卒業後ふっつりと姿を消していたが、百年ほど前に流行らない定食屋を開き、且つ『何でも屋』を始めた。
その空白の年月の間に良介が何をしていたかは誰も知らない。
記憶を辿れば一度だけ伝吉も、在学中にその姿を見た事がある。
今と同じ死に装束に、今よりは少しだけ細い閻魔帳を帯びていた…但し、当時は『死神屍』と名乗っていたが、裏の世界を知る妖怪ならば、死神屍と上津良介が同一妖怪である事はすぐに知れる事である。
噂では『冷酷無比で血も涙も無く、仕事を完遂するためならどんな手段でも使う、死神の中の死神』と言われているのに、こんな死神だったとは思わなかった。
噂とは当てにならないものである。
これが本当にあの、裏では知らぬ者がいないほど有名な上津良介なのか。
飛び級で死神大学校を卒業した天才でありながら、自分達が卒業…伝吉にとっては退学だったが、する年に何故か妖怪大学に入学し、死神で初の妖怪食品衛生学博士号を取って卒業した奇妖怪。
在学中から既にあちこちからあった飲食界からの誘いを断り続け、卒業後ふっつりと姿を消していたが、百年ほど前に流行らない定食屋を開き、且つ『何でも屋』を始めた。
その空白の年月の間に良介が何をしていたかは誰も知らない。
記憶を辿れば一度だけ伝吉も、在学中にその姿を見た事がある。
今と同じ死に装束に、今よりは少しだけ細い閻魔帳を帯びていた…但し、当時は『死神屍』と名乗っていたが、裏の世界を知る妖怪ならば、死神屍と上津良介が同一妖怪である事はすぐに知れる事である。
噂では『冷酷無比で血も涙も無く、仕事を完遂するためならどんな手段でも使う、死神の中の死神』と言われているのに、こんな死神だったとは思わなかった。
噂とは当てにならないものである。
「ところで伝吉さん、蕎麦喰いに来たんでやしょう?開いてる所にお座りなせえよ」
結局太郎を言いくるめてしまった良介は、伝吉の背をぽんぽんと叩いて促した。
すっかり毒気を抜かれた伝吉は、促されるまま椅子を引く。
すっかり毒気を抜かれた伝吉は、促されるまま椅子を引く。
「あっしももう一杯もらうかな。親父、天玉一つ」
「…掛け蕎麦」
「へい」
「…掛け蕎麦」
「へい」
と、注文をした後で、伝吉はおかしな事に気付いた。
「上津」
「へい」
「どうして俺の名を知っている?」
「へい」
「どうして俺の名を知っている?」
問われた良介は、少しだけ驚いたように目を見開いた。
しかしすぐにあの妖怪好きのする笑顔に戻る。
しかしすぐにあの妖怪好きのする笑顔に戻る。
「だって、先輩じゃあ御座いやせんか。妖怪大学の」
「よく…覚えてたな」
「よく…覚えてたな」
どうせ狐と一緒にいる噂で知っていたのだろう、と舌打ちしたい気分になったが。
「伝吉さんの湯豆腐が一番美味かったから。後にも先にもあんな美味い豆腐はあれっきりで御座ンした」
湯豆腐は、伝吉が最後の学祭で振舞ったものだ。
妖怪大学は妖怪料理の大学なだけに飲食関係の屋台が強い。
金の無かった伝吉達は豆腐小僧に弟子入りして美味い豆腐の作り方を聞き出し、それで湯豆腐を作った。
それを、覚えている妖怪がいたなんて。
伝吉自身も忘れかけていたのに、ましてや誰が客で来たかなんて。
しかし真摯な声は、それが嘘ではない事を証明していた。
妖怪大学は妖怪料理の大学なだけに飲食関係の屋台が強い。
金の無かった伝吉達は豆腐小僧に弟子入りして美味い豆腐の作り方を聞き出し、それで湯豆腐を作った。
それを、覚えている妖怪がいたなんて。
伝吉自身も忘れかけていたのに、ましてや誰が客で来たかなんて。
しかし真摯な声は、それが嘘ではない事を証明していた。
「…そう、か」
「へえ」
「へえ」
と、蕎麦が二つ運ばれてきた。
「頂きます」
二杯目なのによく入るな、という勢いで良介は蕎麦を啜っている。
伝吉も負けじと汁まで飲み干す。
伝吉も負けじと汁まで飲み干す。
「親父、勘定置いとくぞ」
「へい毎度」
「へい毎度」
二匹は太郎そばを出る。
そして
そして
「お休みなさい」
「お休み」
「お休み」
と言葉を交わして別れた。
と、思ったが良介はくるりと戻って来た。
と、思ったが良介はくるりと戻って来た。
「伝吉さん、何か訊きたいなら、もうちょっと頭をすっきりさせて、穏やかに話し合わねえと。喧嘩腰じゃあ、こじれるだけこじれて修復不可能になりかねやせんからね」
「…え?」
「それじゃあ改めて、お休みなさい」
「…え?」
「それじゃあ改めて、お休みなさい」
彼は何を知っているのだ。或いは何もかも知っているのか?
追い掛けて聞き出そうかと思ったが、あの隙の無い身のこなしだ、すぐに察知して姿を隠してしまうだろう。
そうでなくても今夜はもうすっかり毒気を抜かれているのだ、強引に詰め寄る気も起きない。
追い掛けて聞き出そうかと思ったが、あの隙の無い身のこなしだ、すぐに察知して姿を隠してしまうだろう。
そうでなくても今夜はもうすっかり毒気を抜かれているのだ、強引に詰め寄る気も起きない。
「明日にしよう…」
伝吉はそう呟いて、帰って行った。
その背が消えるまで、良介は見送っていた。
その背が消えるまで、良介は見送っていた。
「伝吉さんと宗さんの仲が元に戻りゃ、一気に片付くんだがな…いっそ、宗さんが嘘を吐いてねえって取って置きの証拠、見せちまえば話は早いんだろうが、依頼無しに動くのは違反だし…」
その表情は、ひどく深刻で、憂いに満ちている。
良介はあるルールを自分に課している。
『頼まれないうちは動かない』、『妖怪の良心に背かない』というルールを。
それが、一番大きな閻魔帳を持ち、死神として生き死にに関わる力を与えられてしまった自分の良識だと思ってきた。
しかし、今はそれがもどかしいのだ。
二匹の仲をどうにかする手立てがあるのに、それを行使できない自分が。
良介はあるルールを自分に課している。
『頼まれないうちは動かない』、『妖怪の良心に背かない』というルールを。
それが、一番大きな閻魔帳を持ち、死神として生き死にに関わる力を与えられてしまった自分の良識だと思ってきた。
しかし、今はそれがもどかしいのだ。
二匹の仲をどうにかする手立てがあるのに、それを行使できない自分が。
「先生かお嬢に押し付けちまおうかなあ」
そして良介の独り言を聞く者がいなかったのは幸か不幸か、それはまだ分からなかった。
長くてスミマセン(汗)