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イアイド素案 - (2009/02/07 (土) 01:28:14) のソース

 悪漢匪賊世に蔓延りて官吏覇気持たず、律されるべき国の柱すらも見えぬは、混迷の闇に覆われた昨日通運藩国。
 道端には村正なる者が己が欲を満たさんが為に試し切りせし死体が転がり、万民の大義は見失われ、天の在り方すら問われようという有様のこの国。
 このような状況で、果たして何人が明日というものを信ずることが出来ようか。 いいや、出来ようはずもない。
 この物語はそんな昨日通運藩国において村正がその猛威を振るいし頃に見られた、一つの明かりたる御伽噺である。




 哄笑高らかに響く街路は、当に地獄絵図と言い表すこそ正しい惨状となって、その男の行く手を塞いでいた。
 一人、また一人と命を失い、既に浅く窪む道の端は血溜りという表現すら生温く、路側帯から下水路へと赤色がつつつ、と音を立てぬままに流れ落ちる有様。
 また一人、右肩から腹にかけて袈裟懸けに切り下ろされ、臓物を地べたへと塗布しながら崩れ落ちる。
 投げ出すその手に握っていたのは、相対する悪漢が握る刀とは月と盆ほどの近さもない、細く短い刃物が一つ。
 刺身包丁の類であろうか。倒れた影の手から離れたそれは、近場に倒れる、恐らくは既に死んでいた男の腹へと突き刺さる。
 切り伏せた悪漢の動きで影の懸かりが変われば、倒れた影の顔も見えた。女だ。
 目の淵に光を跳ね返すのは、涙かそれとも血の雫の一滴か。
 どちらでも変わりはないのだ、最早。
 その女が自身の感情を露にすることは、二度と、ない。
 そうして哄笑が、はた、と已んだ。

「何を見てやがる」

 それに摩り替わる様に聞こえたのはまだ若い男の声。三十路には達していないだろう。
 握った刀をぶん、と一振りすれば、街壁に描かれる一文字。
 深紅というにはどす黒く、黒というには未だ猶赤い。鮮血の標を壁に書き記す。
 ゆるりと正眼に再び構えられた刀は人油を纏い、鈍く光を跳ね返した。

「お前、村正じゃねえな?」 

 いぶかしむ様に問いかければ、刃が鳴る。手首の動き一つで相手を威圧しようとでもいうかの如く。
 幾人切り捨てたか分からぬほどの屍山血河。村正の魔なる力の源にでも送られているか。
 それを超えて猶、衰えることのない瞳の妖光。
 妖刀の刃の光を思わせるそれはゆぅらゆぅら、とたゆたう様に、悪漢の目の中を泳ぐ。

「家族の仇討ちか。なら、来いよ。そのために持ってるんだろうが」

 腰の、刀を。
 言うが早いか斬るが早いか。気づけば一足一刀の間合いへと踏み込んだその身はまるで薩摩、示現流一の太刀を思わせる速度。凶刃は目前の男の頭部へと、振り下ろされる。
 一の太刀を疑わず。示現の速さは雲耀の時に永遠を成す。厘極まりて雲耀なり。
 刹那より短いその刻を走る太刀。目前の影の茫洋とした姿を断ち割るか。

 涅槃寂静。

 街路に響くは鈍い打撃音。刀と骨の折れる音。
 血の一滴も飛び散ることなく、ここに勝負は帰結した。
 崩れ落ちるは魔為る悪漢。その背に立つは一人の男。

「手前……何者、だ」

 死へと向かう訳ではない。意識を失うまでの一瞬。潰れた声で問いかける。
 男は説破と応じるでもなく、刀の柄に触れるでもなく。垂らされた腕は先のまま。
 不意に清冽な風が吹いた。
 男の抜いた、鞘に収めた、刃の潰れた腰の刀が。起こした遅い、つむじ風。
 屈みこめば、眼を開いたままの女の瞳に手を翳し。

『名乗るほどの、者ではない』

 女の瞼はゆるりと閉ざされ、此れにて居合道の御伽噺も終となる。
 男と悪漢のみが残るその街路に、見物客など居るはずもなく。
 見ようと思ったわけではなかった。女が庇いし幼子のみが、道の端から男の去るのを眼に捕らえ。
 終劇。


◆ ◆ ◆


 それが何時からのことか。知る者は誰一人としていない。
 村正蔓延る昨日通運藩国に、一つの噂が流れ始めた。
 かの妖刀の名を冠した哀奴隷巣、村正。その中から突然出し者か、それとも何処かより天命を悟り現れたか。
 その男はふらりと浮雲のように現れ、民の前に立ち、村正を斬る。
 正確に書き記すなら、腕を折り、刀を折りその凶刃を奪う。
 人を斬る事に飢える村正にとって、刀を振るえぬ事は即ち斬られるに等しい。
 彼の者は決して殺める事もなく、見逃すこともなく。悪の悪たるための、其の物を切り捨てた。

 年齢は分からない。その男は若くも見え、老いても見えた。
 太刀筋も分からない。太刀を目にしたものが居ない。
 目にした者たちは何れも、村正により命を奪われるその間際に風のようにゆらりと現れ、自身を助けるその姿と、村正の倒れ伏した後に吹く一筋の風を、心に残す。

 後々に思い返せば、尋常の腕前ではない。それだけは誰もが分かる。
 只人の鍛錬ではとても到達しえぬ。まかり間違えようとも、村正程度の鍛錬では、彼の剣士の足元にも及ぶこともない程の。
 官吏に於けども、この剣士に及ぶは「はる」なる男、弐拾伍年の歳月を己の鍛錬に費やした彼の者位ではないか。そのように囁くものも多い。
 けれども、「はる」がその剣士ではないかと囁く者が終ぞ居らぬのは、面白き事と言えるだろう。
 あるいは、「はる」本人もその噂を楽しみ話していた故かもしれないが。

 村正が民草の間より姿を消して後、数ヶ月。
 この男の技こそが、居合道であると。鍛錬に鍛錬を重ね、己の血路に神速を見出す技であると、漸く皆は知ったのだった。

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