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上条さんと美琴のいちゃいちゃSS/Presented to you/Part07 - (2011/07/24 (日) 14:50:04) の編集履歴(バックアップ)




―amnesia―


―――少しだけ、時間が経った。

 泣きじゃくっていた美琴も泣き止み、今はもうある程度の落ち着きを取り戻していた。
 故にこの場は夜の静寂に包まれている。
 微かに聞こえる音と言えば、それは人工的なものではなく、自然のもの。
 時折吹く肌を刺すような冷気を含んだ風がひゅうひゅうと空気を掻き乱し、路傍に植えられた木々がさわさわと揺られ、枝葉をこすらせる。
 普段は不気味さすら感じる夜の葉音も、今の美琴にとっては不気味でもなんでもない。
 その不気味さの権化である非科学的な現象や伝承など、幻想殺しを持つ上条当麻の前には全て無意味。
 だからか、今美琴はその葉音で安心すらできてしまえるほどだった。
 木々が奏でるその優しさにも似た軽い音は横になって上条にしがみつく美琴の意識を眠りへと誘う。
 一方で、冬場の夜風はそれを許さない。
 普段は能力によって生体電気を操り、寒さなどあまり気にしない美琴でも、上条の右手のせいで今はそれができない。
 しかし。
 今はそんなことなど、どうでもいいのだ。
 能力がもたらす暖かさ以上の温もりを、上条がくれる。
 だから、いい。
 再度、冷たい風が吹いた。
 その風は美琴の内から湧いてくる熱を体外へと逃がす。
 今までは胸の内から次から次へと湧いてきていた熱にうかされ、その熱に身を委ねていた。
 その結果が今の二人の状態であり、美琴の行動の結果。
 だが落ち着いた頭で、夜風で冷えた頭で、美琴は今の状況をよくよく整理し直す。
 美琴は今、上条当麻に抱きついている。
 それも軽くにではなく、彼の胸に顔を擦り寄せ、背中にも両手をまわしている、ギュッという擬音が出そうなほどとても強い力で。
 記憶のない上条には二人の実際の関係は知らないが、美琴は知っている。
 かつての上条がどう思っていたかはともかくとして、美琴の主観で言わせれば二人は友達以上の関係ではある(美琴自身はそう思いたい)ものの、恋人同士ではない。
 少なくとも、こんな堂々と抱き合うような関係ではなかった。
 しかも美琴にとって上条は長い間想いを募らせている想い人。
 それら全てを踏まえた上で、今の状況を再確認。

 もしかして、今自分はとんでもないことをしているのではないだろうか…?

 ふと、美琴はそんな考えに至る。
 その考えに至った直後に美琴を襲うものは、猛烈な羞恥。
 今まで意識していなかった分、心の内に潜んでいた分が一気に解き放たれ、美琴を襲う。
 そうなると流石に頭が冷えた美琴は抱きつくことによる羞恥が込み上げてくると、バッ! と上条から離れ、わざとらしく咳をして狼狽する。
 上条は姿勢そのままに、それを不思議そうに眺めていた。

(じょ、状況が状況だったとは言え、雰囲気がそういう雰囲気だったとは言え、一体何をしてんだ私はーっ!!)

 今まで自身が行っていた所業による恥ずかしさで顔を真っ赤に染め上げ、美琴は頭を抱え込んで何やらぶつぶつと呟きながら別世界へとトリップするが、その様子は上条には不審な行動にしか見えない。
 昼間ほどの光源があれば話は別だが、道を照らす街灯は辺りを申し訳程度に明るさしかなく、お互いの細かい変化に気付くのは至難。
 そのため端から見た美琴の様子は頭の痛みに苦しんでいる図に見えなくもない。
 実際問題、ある意味で頭は痛かったかもしれないが。
 そんな美琴を心配した上条がやや心配そうな視線を美琴に送るが、それを美琴がテンパりながらも大丈夫だからと制する。

(ちょ、ちょっと待ってよ…?…だ、抱きついてたってのことももちろんそうだけど…それ以上に、さっき変なこと言わなかった、私!?)

 やってしまった、美琴は今更ながらに後悔の念に苛まれる。
 美琴の後悔の原因、それは先ほどの上条に対する自身の発言。
 落ち着いてもう一度、美琴は自身の発言を思い出す。

『―――私にとってアンタは希望だった、心の支えだった。アンタさえいれば他には何もいらなかった』

(~~~ッ!!)

 内容をより鮮明に思い出し、顔から蒸気が出そうなほど顔を赤くした。
 その発言は仕方ないと言えば仕方ない。
 状況が状況だったこと、それによりテンションが普段なら有り得ないベクトルを向いていたこと。
 加えて、どこまでも他人に対して優しくて、どこまでも他人のピンチに真摯な姿勢をみせる上条にどこか苛立ちを覚えたこと。
 それら全てが相まって相乗効果を生み、ついつい自らの心情の吐露し、結果的に上条に対してまだ伝える気がなかった本当の感情までぶつけてしまった。
 無意識だった、不可抗力だった。
 理由なんていくらでもある。
 故に先ほどの発言は、仕方ない。
 それにあの雰囲気の中なら、きっと上条もそう深くは考えていないはず、きっと大丈夫。
 頭の方ではそう決着をつけようとするが、やはり心の方はそうは上手く納得できない。
 終いには美琴は若干の奇声をあげながら脇目も振らずにわしゃわしゃと頭を掻き毟る始末。
 今の美琴には、すぐそばで唖然とした表情をして美琴を見る上条は見えていない。

「……なあ」
「な、何よ!?」

 ただの返事ですら裏声になってしまうほど未だにトリップ状態から抜け出せない美琴に対して上条は軽い疑問を感じつつ、元気になった彼女の様子に少しホッとした表情で語りかける。

「お前は、一人じゃないからな?」

 だが上条の口から出てきた言葉は、少し意外なもの。
 藪から棒に何を言い出すのか、と。
 それを聞いてまだ余韻はあるものの、漸く意識を正常な状態を取り戻しつつある美琴は、横になりながら頭の後ろで手を組む上条を見る。

「………い、いきなり何? 大丈夫よ、もうさっきみたいなことはしない」
「あ、いや、それもあるけど、それだけじゃねえよ」
「……?」

 上条はどこか落ち着いていて、その眼差しは穏やかそのもの。

「お前には、俺がいる。俺はお前の力になりたいって思ってるし、どんなことがあっても守るつもりだよ。でもお前が俺を呼んでもすぐに駆けつけられない時ってのは少なからずあると思う。何て言うか…自信がないとか、そんなことじゃなくてさ」
「……まあ、そうね」

 上条が言ったことは至極当然のこと。
 上条当麻はあくまでも人間なのだ。
 今までにいくら都合の良いタイミング、有り得ない状況で美琴を助けているとは言っても、それは彼が特別な人間だからではない。
 彼は生まれながらにしての不幸体質。
 その性質故に彼はありとあらゆる不幸や厄介事に巻き込まれ、巻き込まれた厄介事に首をつっこみ、結果的に人を救ってしまう。
 今回の美琴の件に関しても同じだ。
 もし上条が不幸にも補習が長引き、不幸にも白井黒子という風紀委員に会っていなければ、美琴は助かってはいない。
 全ては一重に上条の不幸体質のおかげ。
 しかし裏返せばそれだけなのだ。
 助けを呼べばすぐに駆けつけられるような能力もない、もし“不幸にも”他人の不幸に気づかなければ、上条は現れない。
 しかも上条は様々な人にとってのヒーロー。
 何も美琴だけのヒーローというわけでもない。
 だから美琴は多少の哀しみは覚えたものの、それについて他にどうと言うつもりは全くなかった。
 むしろ逆。
 実際はどうであれ、力になりたい、守るという言葉を言ってくれること自体が美琴はもう嬉しかった。

「だからそういう時はさ、まず手近にいる信頼できる友達とかを頼れよ。そういうヤツ、いるだろ? 例えば…なんつったかな、お前と同じ制服着たあのツインテールの女の子。あいつ、お前のこと相当心配してたぞ?」
「えっ…? あっ!」

 ツインテールの女の子という言葉を聞いて、美琴は思い出したように即座にスカートのポケットから携帯を取り出す。
 記憶喪失の彼が何故自身の後輩の事を知っているのかという疑問が一瞬浮かんだが、今はとりあえず連絡をする事の方が優先事項。
 カエル型の何とも可愛らしいデザインの携帯を開くと、ディスプレイには何も表示されていなかった。
 何のことはない、美琴は事前に電源を切っていたためだ。
 それは一人の時間を誰かに邪魔されるのを防ぐための対策。
 決心が鈍らないようにするためでもある。
 美琴は早急に携帯の電源をつけ、カチカチと携帯を操作する。

「げっ…」

 今美琴の携帯の画面に表示されているのは、新着メールと着信があったことを知らせる画面。
 その数はおびただしく、しかも差出人はみな同一人物であり、その差出人は当然白井黒子。
 試しに美琴はメールを数件開いてみる。
 その内容は、おしなべて今無事なのかどうか、今どこにいるのかどうかを問うものばかり。
 そうこうしているうちにも、ゲロゲロとまた新たな着信を知らせる電子音が鳴った。
 発信者は、白井黒子。
 美琴は上条にごめんと手を立て合図を送り、早くでてやれという反応をもらうと、ピッと通話ボタンを押し、上条に背を向けて携帯を耳にあてた。



(全く、世話の焼ける女の子だな、コイツは…)

 まだ頭の痛みが残る上条は立ちあがらず、慌てて携帯電話を取り出す美琴を横目に星空を眺めながら感慨深げにそう思った。
 季節柄空気は澄んでおり、夜空に浮かぶ星々は燦然と輝いていた。
 記憶喪失が云々というのが関係なしにあまり勉学などが得意でない上条は当然天体に関しても同様に疎く、夜空の星々を眺めていて思う事など、単純にきれいだという事くらいのもの。
 辛うじてオリオン座やとある少年漫画のおかげで北斗七星くらいはわかる。
 しかし、オリオン座のベテルギウス、こいぬ座のプロキオン、おおいぬ座のシリウスなどの冬に見られるメジャーな恒星の位置やそれらを結んでできる冬の大三角はもちろん、冬の大三角をさらに拡張してシリウス、プロキオン、ふたご座のポルックスとカストル、ぎょしゃ座のカペラ、おうし座のアルデバラン、最後にオリオンのリゲルを繋いでできる冬のダイヤモンドもどこにあるのかなども当然わからない。
 特に冬のダイヤモンドは中を淡い天の川が横断しており、非常に綺麗な星空を彩っているのだが、そんなこと上条は知る由もないしどうでもいいとさえ思っている。
 ただ綺麗であればいい、それで十分。
 インデックスが聞けば魔術の基本たる星座を蔑ろにしすぎだと思わず噛みついてきそうなほどの適当さ加減だが、今はそのインデックスはこの場にはいない。

(あー、そうだよ、インデックスどうしよう…すっかり忘れてたぜ…)

 夜空を漠然と眺め、星座がどうたら魔術がどうたらと考えると、上条の脳裏にインデックスの表情がよぎった。
 上条の頭の中に浮かんだ彼女は、お腹をぐぅぐぅと大きく鳴らし、ナイフとフォークを持って今すぐにでも飛びかかってきそうなほどご立腹だった。
 彼女を保護し、面倒をみていかなければならないという立場上、想像するだけでも心苦しい。
 本来なら遅くなるという一報をいれられればいいのだが、上条の携帯はロシアの氷漂う冷たい北極海の海底に沈んでしまい手元に連絡手段となり得るものは何もない。
 さてどうしたものかと上条が思案しかけたところで、美琴の声でも上条の声でもない声が大きく響いた。
 何事だと横になっていた重い身体を上半身だけバッと起し、キョロキョロと頭を振って視線をその声の発生源を探す。
 発生源は、美琴の電話からだった。
 どうやら電話相手が何やら叫んだらしい。
 美琴は視線をちらりと振り返り申し訳なさそうに視線を送り、苦笑いをしていた。

(ったく、一体どんな話をしてんだ?)

 電話で叫ぶなど、相手を考えればまず避けるべき行為であろう。
 常識で考えればそんなことは容易にわかる。
 そんな常識はずれなことをするというこは、余程の状況なのか、相手が余程馬鹿なのか。
 街で会ったあのツインテールの少女はそこまで常識がないようには上条には見えなかった。
 とすると、答えは前者。
 あの時の彼女の態度を思い出し、恐らく心余程心配していたのだろうと上条は結論づける。

(あ…)

 そしてあることを思い立った上条は、もう一度視線を美琴へと送る。

(そうだよ。後でこいつに電話を借りれ、ば…?)

 美琴が電話をしているのを見て、後で電話を借りてインデックスに連絡をとろうかと考えたところで、ふと上条の頭に違和感が走った。
 それは横になっていた時にはまるでなかったような違和感。
 今まであった後頭部にあったガンガンとした痛みがさらに重くなったような、頭の内側から打撃を受けたような、そんな感覚。
 一体なんなんだと上条は右手を額に当てる、いや、当てようとした。
 だが上条が当てようとした右手は実際に額に到達することはなく空を切り、上条は意識を朦朧とさせ、ゆっくりとその場に倒れた。
 行き場をなくし、主からの力の供給を失った右手は重力には逆らえず、遅れてパタッと音をたてて地へと落ちる。
 明滅していた上条の視界は最後、美琴を捉え何かを呟いたが、それも長くは続かず徐々に闇が占める範囲が大きくなっていき、最終的に視界は闇で埋め尽くされた。



「……も、もしもs」
『お姉様ぁぁああああああああああああああああああああああああっ!!』

 電話にでるや否や、美琴の耳をつんざく声。
 即座に美琴は携帯を遠ざける。
 通話状態になり、いの一番に発せられた声は少し離れている上条にも聞こえたらしい。
 横になっていたはずの彼は起き上がり何やら驚いた表情で当たりを見回し、訝しげに美琴に視線送っていた。
 そんな上条に美琴は軽く苦笑いを浮かべ、心の中ではあのバカと電話の主へと舌打ちする。
 耳がどうにかなったら一体どうするつもりだったのか。
 美琴は耳がキーンと痛むのが収まるまで携帯を離し、やがて回復すると電話の相手に対して怒りを露わにした一声を発する。
 因みにその間も電話の相手である白井黒子は電話の向こう側では美琴のことを必死に呼びかけていた。

「あ、アンタね!! 電話する時はもっと相手のことを考えなさいよ!? 電話をかけておいていきなり大声出すとかどういう了見よ!? アンタのせいで私の耳がどうにかなっちゃったらどうするつも、り…な?」

 美琴は電話をしている相手と電話から聞こえる声に違和感を感じた。
 美琴がちゃんとした応答をするまでぎゃあぎゃあと喚いていた白井が、美琴の怒りの言葉を発した途端に大人しくなったのだ。
 それもただ黙ったわけではない、微かに嗚咽さえも聞こえてきた。

「ちょ、ちょっと、アンタいきなりどうしたのよ? 何かあったの?」
『……く、黒子は、黒子はぁあああああっ!』
「あ、あの……どういう状況かさっぱりわからないから、説明してくれない? いきなりそんな風に言われても全然わかんないって」

 漸く口を開いたかと思えば、発せられたのはまたもや意味不明な言葉。
 どうも白井の様子がおかしい。
 本質的な部分は確かに変態だ、それは彼女の私生活と自身に対するあからさまとも言える態度をよく知る美琴がよくわかっている。
 けれど普段は毅然としており、その態度や行動の中にも気品を感じさせるような、言ってしまえば美琴よりもお嬢様。
 これほど取り乱すような者ではないはずなのだ。

『黒子は、お姉様を心配しておりましたのよ!? 心を痛めておりましたのよ!?』
「あ…、それはその…ごめん、心配かけて…」
『お姉様は寮には戻られませんし連絡はつかずで、昨日のようなことがあった手前、もしお姉様の身に何かあったらと、黒子は気が気ではありませんでしたの…。…それに昨日の様子では、もしかしたら自らお命を絶ってしまうのではないかという考えも浮かんでしまって、黒子は、黒子は…』
「うっ…」

 白井の言葉に美琴は言葉が詰まった。
 何せ、美琴は白井の予想通りのことをしようとしていたのだから。
 同時に、白井に対して申し訳ないという衝動に駆られる。
 始めは細部にまで気が回らなかった美琴は気付かなかったが、白井は少し息があがっている。
 加えて携帯から彼女の背後から微かに聞こえる音も明らかに寮から聞こえるものではない音が聞こえた。
 白井は、今の今まで美琴を探していたのだろう。
 その答えに行きつくと美琴は、今度は自分自身に舌打ちした。
 全くの無関係の後輩に、一体何をさせているのだと。
 思えば、どうして上条は白井のことを知っていたのか、白井が相当心配していたということを知っていたのか。
 回答が弾き出されるのは、早かった。
 上条は正に“不幸にも”、街中で必死に街を駆け回っていた白井に遭遇したのだろう。
 でなければおかしい。

「そ、そんなこと私がするわけないでしょ? 私がそんな弱い心の持ち主だと思ってるの?」
『そ、そう…ですわよね。常盤台のエースたるお姉様がそんな、弱いはずがありませんの』

 自分自身でそう言っておきながら、美琴は心が少しだけ痛んだ。

 心が強い? そんなバカな、自分の心を強いなどと思ったことなど一度もない。

 美琴は学園都市二三〇万人の頂点、超能力者。
 序列は第三位、超電磁砲という通り名まで持っている。
 しかも一人で軍隊一つと正面切って戦えるほど強大な力を持った、はっきり言ってとんでも中学生。
 それほどの力を保有しているのに、自在に操れるほど強固な自分だけの現実を持っているのにもかかわらず美琴は自分自身を、そして自身の心を強いと思ったことはない。
 美琴は学園都市第三位という力を以てしても勝てない敵わない相手がいることを知っている。
 美琴は何度となく心を打ちのめされ、ギリギリのところを支えられ何とか持ちこたえているということをちゃんと理解している。
 故に、思わない。
 強いなどとは、絶対に。

「……ごめんね。そんな心配かけて。でももう大丈夫だから。ほんと、ごめん」
『……いえ、大丈夫ですの。私はお姉様が無事ならそれで構いませんわ。因みにその様子ですと、殿方さんはちゃんとお姉様を見つけてくださったのですね?』
「うん…。やっぱり、黒子だったのね。アイツを向かわせてくれたのは」
『ええ、“お姉様を見つけてくれ”と、お願いいたしましたの。それでも黒子が先に見つけるつもりでしたが、やはりあの殿方さんには敵いませんわね』
「ううん、そんなことないわ。黒子にはほんとに感謝してる。アイツを向かわせてくれた事、こんな時間まで探してくれた事、それに、これまでの色々な事もね」

 今美琴の心の中に渦巻いてるものは、決して簡単に言葉にできるような状態ではない。
 もし言葉にしてしまえば、ちっぽけに聞こえるかもしれない。
 けれどこれだけは、白井に伝えたいと美琴は思った。
 どんなに言葉が軽くなってしまったとしても、

「だから黒子、ありがとね」

 ただ一言、ありがとうと。
 電話からは、ぐすっと鼻を啜る音と、ふふっと微かに笑う白井の声が聞こえた。

『今まで全く役に立てなかった分、漸くお姉様に役に立てて、嬉しい限りですわ。お姉様にはやはり、常盤台のエースとして示しがつくよう振る舞ってもらわなければなりませんので』
「何よ、結局それ? それはうんざりするくらい聞いてるし、煩く言われるのは嫌なんだけどなー」
『それはお姉様の個人的な問題ではなく常盤台全体の品格に関わる問題ですのよ?』
「あー、はいはいわかりましたよ」
『それよりも』
「うん?」

 いつものような大凡お嬢様らしくない振る舞い、口調。
 美琴らしい調子が戻ってきたところへ、どこか安心したような、それでいて棘を含ませた口調で、白井は告げる。


「今日の件は見逃して差し上げますが、くれぐれも、雰囲気に流されて過ちを犯さないようにしてくださいませ、お姉様?」


 それは、ある種の確信めいたものを持っての発言。

「え…? えぇぇっ!?」
「それでは邪魔者の私はこれにて。お姉様が純潔を保ったままご帰還なされることを心よりお待ちしております」
「ちょ、黒子っ!?」

 プツンと、そこで電話が切れ、美琴は今や通じなくなった電話に必死で呼びかけていた。
 そして後に襲ってくるのは、またもや羞恥。
 原因は白井の発言。
 純粋に内容という点でももちろんなのだが、それ以上に美琴にはその手の話の耐性が無さ過ぎる。
 美琴は世界でもほぼ最高峰に位置する常盤台中学という、所謂お嬢様学校に通う超能力者であるということを除けばいたって普通の十四歳の女の子。
 そういったことに関しての興味が無いということは無いのだが、如何せんそのような話題を友人と話すという機会が少ないない上に、そこまでの話をできる友人も非常に少ない。
 超能力者で常盤台のエースという彼女の社会的な評価が耐性の皆無さに更なる拍車をかけるのだ。

「ま、全く、アイツは一体何を口走るのかしら、ね…っ!?」

 美琴は、未だ冷めない顔の熱をなんとか抑えて、カエル型の携帯をスカートのポケットをしまい、話がわからないことを承知ですかさず上条に同意を求めるために振り返る。
 しかし。
 振り返った先にいたのは、さきほどまでピンピンしていた上条当麻ではなく、不自然な姿勢で地面に倒れこむ上条当麻の姿だった。



「―――軽い脳震盪だね? 確かに脳にダメージはあるけど、命にかかわるレベルではないから問題はないよ。そう遠くない内に目を覚ますだろうし、安静にしてくれるなら明日にでも退院できるだろうね?」
「よ、よかった…」

 カエル顔の医者にそう告げられて、今までまるで落ち着いていなかった美琴は漸く安堵の息を漏らす。
 ここは上条当麻がいつも収容されるいつもの病院。
 倒れている上条を見て美琴がすぐに救急車を呼び、病院に着いて1時間ほどの検査の受け、その後カエル顔の医者の自室で美琴は少し傷んだ椅子に腰かけて、現在に至る。
 上条はいつもの病室で眠っている。

「君の話を聞く限り、後頭部への強い衝撃を受けたのが直接的な原因だろうね。その後に意識があったと言うけど、その時にも少なくとも頭痛や軽い目眩は起こしてたと思うよ? 元々は意識を失うほどではなかったのだろうけど、恐らく急に起き上がったり頭を振ったり何かしたせいで症例が悪化したということが考えられるね?」

 美琴は電話をしている最中の上条の動きについて思い出す。
 背を向けていたため全容を把握していたわけではないが、彼は確か白井が電話をかけてきた直後に起き上がっていた。
 一体何事かとキョロキョロとあたりを見回していた。
 それが恐らく原因だろうか。
 その時の事を思い出して、美琴は思わず歯噛みした。
 上条は背中と後頭部を落下時に強く打っていたのだ。
 普通に考えれば頭を打った時点で彼の体調を心配して、脳震盪の可能性を疑うべき。
 けれど実際は自分の事で精一杯で彼の体調への気配りや配慮を欠き、あまつさえ電話に夢中で上条の異変に気付かなかった。
 上条の一番近くにいて、どういう状況なのかちゃんと理解していたというのに、一体自分は何をしていたのか。
 それがどうしようもなく腹立たしかった。

「―――まだ話の途中なんだけど、聞いてるかい?」
「え…? あっ! す、すいません…」

 しまった、美琴は俯く自身の目を覗き込んでくるカエル顔の医者を見て、我に返る。
 自己嫌悪に更ける間にも、話は続いていたのだ。
 そしてまた、自己嫌悪。

「……君のことはよく知っているよ。君は責任感が人一倍強いし、頭もいい。彼に適切な処置が施せなかったことを悔やんでるのかもしれないけど、それは後にしてくれるとありがたいんだけどね? まだ話は終わってないからね?」
「……すいません」

 至極当然なこと、マナーとして当たり前のことを指摘され、美琴はさらに委縮する。

「じゃあもう一回言うけど、彼の場合よく無茶をするからね? 今までのダメージも大分蓄積している。もし大事があったら困るんでね、今夜は念のため精密検査をするから入院という形をとらせてもらうよ。分かっているとは思うが、頭はものすごくデリケートな部位だからね?」
「あ、はい、お願いします」
「まあそういうことだ。分かったなら君はもう帰りなさい。今日はもう遅い。君たちがこんな時間まで一体何をしていたかは聞かないでおくけど、君たちはあくまでまだ学生なんだ。それを忘れてはいけないよ?」

 じゃあお休みなさいとカエル顔の医者は告げ、美琴はそれを受けて立ち上がり、ありがとうございましたと頭を下げていそいそと退室する。

(あ…)

 だが部屋のドアノブに手をかけようとした時、美琴はある事を思い出した。
 それは美琴が抱える、憂い。
 そして振り返り、トントンと上条のカルテを整えているカエル顔の医者を見る。

「先生、一つお尋ねしたいことがあるのですが―――」



 時刻は既に9時を回っていた。
 流石にこの時間となると外を出歩くような学生はそうはおらず、一方で昼間は滅多に見られないであろう大人たちが仕事を終え、夜の街に僅かに賑わいを与えていた。
 彼らの多くはこれからが大人の時間だとも言いたげな空気を醸し出し、夜の街へとその姿を消していく。
 そんな大人達が蔓延る夜の学園都市を、美琴は一人ゆっくりと歩いていた。
 夜空に輝く星々を見上げながら、自分のペースで。
 美琴は星空が好きだった。
 自身の能力である電撃の火花を散らす瞬間が星の瞬きに似ているからより親近感が湧くという理由もあるが、単純に夜空の星は美しく、汚れていない。
 星々は毎年毎年同じ時期同じ位置に現れ、また決まった時期にその姿を晦ませる。
 その決められた周期性は変わることのない不変の事実であり、時期がきて条件さえ揃えば必ず見られるという期待を絶対に裏切らない。
 大半を黒い何かで占められ穢れた現実世界よりも、余程良い。
 だから美琴は安心して星空を見る事ができ、好きになることは最早自然なことだった。
 とは言え、その安心できるはずの星々の観賞さえも最近はその時の精神状態からままならなかったわけだが、今日は違う。
 今日は純粋に星空を眺める事を楽しめる。
 ここまで気分が晴れ、気持ちにゆとりができたのは本当に久しぶりだった。
 今まではいつ何時も心が完全に休まる時はなく、精神をすり減らすばかり。
 芯を失っていた美琴には何かを楽しむという事ができなかった。
 しかし。
 美琴は今日、新たに芯を手に入れた。
 それはとても暖かくて、とても大事な芯。
 そして、

(きっと、今は当然のようにある平穏なこの世界を守ったのはきっと、アイツ。だから…)

 新たに、心に決め事を作った。
 美琴は諦めないことにした。
 美琴は理不尽とも言える現実にも精一杯抗うことにした。
 例え、抗う意味が限りなく零に近いかもしれない事でも。

(諦めない心、立ち向かう勇気……アイツから教えてもらった。だから、私はやる。絶対に)

 遠い記憶、教えてもらった事、新たな芯と決意を胸に秘め、“今眠っているはずの上条当麻”の心に届くように、うたう。


         ☆


 とある建物の一室。
 そこは建物内の他の部屋とは少し異なり、だだっ広いスペースをもつ部屋にあるものは壁際に暗赤褐色のデスクと黒光りする革張りのゆったりとしたチェア、そしてデスクの周りにはインテリアとしての機能もあるデスクと同色の書庫とサイド―ボードが数個。
 だがどれも重厚な雰囲気を醸し出し、高級感漂う役員用によく用いられるレベルのもの。
 壁の色は全くの白というわけではなくごく僅かに青みがかったアッシュブルー、床には格子状の柄のブラウンのカーペット、部屋の隅には観賞用の植物もある。
 そんな一介の職員が訪れる事はまずないであろうその部屋には、一人の白衣を纏う男がいた。

「ふム……こちらの方はもう大丈夫そうですネ…」

 その男は片手に持つとある書類に目を通し、そう呟いた。

(これで計画の核以外の準備は目処がたちましタ。あとハ…)

 男は手に持っていた書類を、元々書類が入れてあった封筒にいれてデスクにポンと雑に投げ捨て、書類を持っていた手を額へと当てると、椅子の背もたれに体重をかける。
 封筒は雑に投げられたせいか、書類の端はデスクからはみ出ており、今にも落ちそうな状況だが男はそんなことなど気にしない。
 部屋には男以外の人間は誰もいない、故に部屋の中には、男がもたれかかったことでギイギイと椅子が悲鳴をあげる音だけが不穏に鳴り響いていた。
 そしてその数秒後、彼はニヤリとやや不気味とも言える笑みを浮かべ、

「―――今度は、完遂させてみせますヨ?」

 それだけ呟くと男は椅子から立ち上がり、部屋を後にした。
 彼が立ち上がったことでデスクは揺らされ、そのせいで書類は誰もいなくなった部屋でガサッと音をたてて床へと落ちる。
 無造作に落ちた書類は閉じていたクリップがとれてしまい、床に散乱してしまう。
 そして、散乱した書類の束の表紙と思しき一枚の紙には、こう書かれていた。

 ―――最終製造計画(ラストシーズン)経過報告書、と。


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