取扱注意の娘達
とある、日曜日の朝。
――謎は、全て解けた。犯人は、後ろのベッドで寝そべっている女。
しゃがんで証拠物質を指に挟み、御坂美琴は立ち上がって白井黒子のベッドの横に立つ。
「? どうなさいましたの、お姉様?」
無言で、美琴はうつぶせになっていた黒子の背中にのしかかった。
「お、お姉様! こんな昼間からなんて大胆な! 黒子は、」
「だ~ま~れー! 黒子、コレ何だか分かる?」
「……? シャーペンの芯、ですの?」
「そう、私、昨日下着取り出した後、芯を貼って仕掛けておいたの。誰かが勝手に引き出しを開ければ、折れるように、ね」
「…………」
「はい、見事に芯の破片が落ちてたわよ! アンタまた私の下着漁ってたでしょ!」
図星である。言い逃れしようにも、この奇襲では何も思いつかない。
「ひ、ひどいですわお姉様! わたくしはただ、お姉様の傾向と対策を……」
「何度言っても分かんないのねアンタは! 今度という今度は……覚悟なさい!」
美琴は黒子の両脇の下に両手を差し込み、黒子の後頭部の後ろでその手を組んだ。黒子はバンザイ状態だ。
「い、い、イタいですのお姉様! ど、どこでそんな関節技覚えたんですの!?」
美琴は黒子を極めたまま、ベッドから降り、引きずるように自分のベッドの足元側まで移動した。
「知ってる? これフルネルソンっていうんだってさ」
「ふ、ふるねるそん?」
「えーと、今まで黒子には、ジャーマンスープレックス・鉄山靠・卍固め・ブレーンバスターと……」
「ちょ、ちょっとお姉様!?」
「アルゼンチンバックブリーカーに裡門頂肘……あと何かあったかしら? まあいいわ、新技新技♪」
「く、黒子が悪うございましたから! お姉様、お気を確かに!」
美琴は自分のベッドの縁に立つ。黒子は空中に浮いた格好だ。
テレポートで逃げようにも、首・肩の痛みと、ランダムに頭を振られてしまい、演算ができない。
「今日のはキツイから、口は閉じとくのよ!? よ~し、やっちゃうぞー♪」
そのまま背後に反り返り、鮮やかな弧を描いて、美琴の華麗なるブリッジがベッドの上で炸裂した!
白井黒子は、哀れにも、後頭部からほぼ垂直にベッドに突き刺さり……
「…………むぎゅうぅ……」
「わーん、つー、すりー♪」
3カウントで美琴は黒子を開放した。
「これぞ、ドラゴンスープレックス! 関節技と投げ技のミックスよ! わははははー!」
マンガで覚えたての技を試せて上機嫌の美琴は、ノックダウン状態の黒子を担ぎ上げ、黒子のベッドに転がした。
「ひどいですの、お姉様……しくしく……」
「これに懲りたら、二度としないことね! まあまた実験台になりたいってんなら……」
その時。机の上に放置されていた美琴の携帯が鳴った。
「はいはい、っと。……!」
――[着信 上条当麻]
美琴は、携帯を取り落としそうになった。
(え?な、なんでアイツが?何の用?)
後ろを振り向くと、ベッドの上で潰れている黒子がなぜ電話に出ないのかと、顔だけ上げて訝しげにしている。
「~~~ッ! も、もしもし……」
覚悟を決めて、美琴は携帯を耳に当てた。
『…………』
無言。泡をくっていた自分が急にバカらしくなり、声を荒立てようとした瞬間。
『上条当麻は 預かった……』
明らかに上条の声ではない。それどころか女の声である。
「ア、アンタ誰よ!」
『返して欲しくば 橋の下の川原に来い 一人でだ……』
この声は、聞いたことがある。しかしどこで?
「よ、よく分かんないけど、行けばいいのね? 時間は?」
『今すぐだ こうしている間にも 上条当麻は苦しんでいる……』
確かに、かすかに『むが……はなせぇ~』と上条らしき声が聞こえる。
「今から行くから! 待ってなさい!」
『では 待っている と、ミサ……(ブツッ)』
「………………、」
美琴は携帯をじっと見つめた。
事情がだいたい頭の中で整理されてくる。
「ふ、ふふふ、ふふふふふふふ………」
「お姉様?」
「あんの馬鹿2人があ! この御坂美琴サマをなめてんのかっっ!」
唖然としている黒子を尻目に、足音荒く美琴は出て行った。
「馬鹿2人、ですの……」
あの馬鹿、ならストーキングも考えたが、2人なら、と。
白井黒子は、スープレックスのダメージも何とやら、美琴の残り香付き布団に潜り込み、至高の時間を過ごし始めた。
◇ ◇ ◇
早足で歩いているうちに、所詮はイタズラだと、怒りは治まってきた。
自分の声というものは、なかなか気づかないものである。
――御坂妹。
感情に乏しいが、能力を除けばほぼ自分と同スペックの、自分の分身。
素直というか、ためらいがないというか、こういったイタズラも思いついてすぐ実行したのだろう。
(性格は、遺伝子に寄らないのかしら……いや、私の素って、実はああだったり……?)
ちょっと嫌な予感がして、更に足を速める。
(よく考えたら、ひょっとして川原でいま2人きり……? 離せ、ってアイツ言ってたから……まさか!?)
美琴は駆け出した。
(あの子、いつもの制服で、アイツに密着して何かやってるって事じゃない! そ、そんなの他人に見られたら!)
――御坂美琴が、上条当麻を川原で○○、という噂が確実に流れる。
そして、上条の「感触」は――と、美琴はそこまで考えて、全力で駆け出した!
(な、なんかもう、色々と許せるかああ~~~~!)
(あー、あのビルは……)
全力疾走中の美琴であったが、道路向かい側の、とあるビルの外壁工事が目に入って、…思い出していた。
(アイツと海原が闘ってた建設現場よね、アレ。あそこまで出来たんだ)
あの時の、上条の言葉。
勘違いだと分かっていても、美琴の心にしっかり刻み込まれた、あの言葉。
(くっそ~、あの無自覚馬鹿! ほんと紛らわしいったら!)
いつか、真正面から、直接、言ってもらえるのだろうか。私が特別、という意味で――
美琴はブンブンと首を振って思いを振り払い、顔を赤くしながら緩んだスピードにムチを入れ、再加速した。
◇ ◇ ◇
御坂美琴は土手の上に立っていた。
はーっ、はーっ、と息を切らせて、どこにいるのかと睨め回す。
とりあえず、視界にはいないようなので、少なくとも人目に付く様な所には居ないことに安堵した。
美琴は集中して、AIM拡散力場サーチを仕掛ける。あんな特殊な2人がいるのだ、力場は荒れまくりのはず。
どうやら橋の下の陰に違和感を感じる。
そろそろと、美琴は近づいてみた……
「……上条さんいい加減怒りますよ?姉貴来るって言ってんだろ?」
「ダメです、人質ですから、とミサカは頑なに拒否します」
「30分近く、こんな体勢ひでえだろ!」
「30分近く、女性に抱きつかれている幸せと引き換えですよ、とミサカは改めて身体を押し付けます」
「確かに最初の数分はドキドキしたのは認める! でももう無理! 首いてえぇぇ」
かなりやつれた上条の声と、御坂妹の声が聞こえ、……美琴は陰からのぞきこんで、愕然とした。
はたからみれば、上条が御坂妹をおんぶしているような体勢で、2人は重なって座り込んでいる。
しかし実情は、御坂妹が上条の両脇下から腕を回し、上条の後頭部で手を組んでいた。
上条はバンザイ状態で、首を極められていたのである。
何のことはない、さっき美琴が黒子に仕掛けていたフルネルソンの形であった。……DNAは争えない。
ただし、違うのは。
御坂妹の両足は、胴越しに巻きつき、上条の太股に引っ掛けてロックしている。これでは上条は立ち上がれない。
豪快に足を回し、御坂妹のスカートはめくりあがって、横からはパンツ丸見えである。
ただし、その丸見え状態は、美琴の位置まで来ないことには見えず、技を掛けられている上条も見ることは不可能だ。
あまりに、といえばあまりの体勢――恥らいのカケラもない体勢に、美琴は崩れ落ちた。
その音に気付いた上条が、視界に美琴を認めた。
「み、御坂! この妹何とかしてくれ!」
「よく来たな ほめてやろう と、ミサカは誘拐犯になりきってみます」
美琴からすれば、どこから突っ込めばいいのかも分からない。
「……えーと妹。とりあえず、その技はやめてあげなさい。長時間、それはキツイから」
御坂妹は無表情のまま固まっていたが、やがて腕を解いた。
そして、上条の両脇の下から腕を抜かず、そのまま上条の胸の前で腕を組んだ……すなわち、ぴったり抱きついた。
やや身体をずらして、顎をちょこんと上条の左肩に置き、御坂妹は上条の背中でくつろぎモードに入ってしまった。
何してんのよ!と口を開きかけた美琴だったが、やめた。
口論しても、素直に行動している妹に、結局やり込められるだけだ。
「ふ~、助かった……」
上条が疲れきった表情ながらも、安堵の声でつぶやく。
「アンタそもそもナニ女の子にやられっぱなしになってんのよ!?」
「ちょっとコンビニへと家でたら出くわしてさ。ちょっと付き合ってくれって言われたんだよ。
御坂妹ってさ、あんまり外に出る機会なさそーだし、出来る限り協力しようと思ったわけだけどさ……」
上条は身体を振ってみせたが、御坂妹はしっかと抱きつき、微動だにしない。
「携帯奪われるわ、こうやって羽交い絞めされるわで、上条さんのココロはボロボロですよ。
いまだにコイツの目的もさっぱりわかんねえし。なんか変なドラマでも見たのか、としか思えねー」
上条のポケットからゲコ太ストラップがぶら下がっているので、携帯は返してもらえたようだ。
は~っ、と美琴はため息をつく。
息せききってやってきたが、コントに付き合わされているようなもので、ヤキモチを焼く気分にもなれない。
美琴は近づき、御坂妹のめくれあがったスカートを整えて、下着を見えなくし……
「ちょっと借りるわよ」
と、御坂妹のゴーグルを奪い取った。
一瞬文句を言いたそうに口が動きかけた御坂妹であったが、目を伏せると改めて上条に顎を摺りつけた。
ゴーグルを取って、身だしなみを整えた御坂妹は、まんま御坂美琴と変わらなくなった。本人でも見分けが付かない。
ただし、『あのネックレス』は健在であるので、見分け間違うことはないが。
「もしも、私がアンタにしがみついたら、こういう図になるのね……」
頬を寄せて、好きな人に抱きつく自分――
接し方のルートによっては、こんな仲になる可能性もあったのか。
今の自分のルートの先は、何があるのか。
「いやー、さすがにお前がこうしてたら、俺もこんなに平然としてねーよ」
「それはどういう意味ですか、とミサカは眉をひそめます」
美琴が上条の言葉に反応するより早く、御坂妹が怒ったように言い出した。
「ミサカがお姉様とどう異なると言うのですか。ミサカがクローンだからですか。ミサカが……」
「だーっ! 違う違う! 耳元で喚きだすなバカタレ!」
上条はなだめるかのように、胸に回された御坂妹の腕を軽く叩く。
たいした話じゃないけどさ、と上条は切り出した。
「俺の従姉妹も、こんな感じで抱きついて、おにーちゃーんつって甘えてくるんだよ。
妹、って言葉の響きのせいか、御坂妹もさ、俺の中じゃ子供っぽく思えちまって。その従姉妹と被るんだよ」
まあ、あの時も顔は御坂だったけどな、と上条はエンゼルフォールを思い出す。
「で、実際こういう風にためらいなく抱きつかれるとさ。
元々御坂妹は恥らい的なのが薄めだとは思うけど、あまりに無警戒すぎるだろ。
ホントに2つ下の妹がいたらこんなもんかねえ、と思い込めるんだよ、ここまでくると」
ここで上条は口をつぐんだ。
別に嘘を言っているわけではない。
ただ、姉妹の反応がいまいちよろしくない様子だ。
「お姉様がもっとボリュームのある身体であれば、とミサカはお姉様に呪詛の言葉を吐かせてもらいます」
「……ええ、甘んじてその言葉受けるわよ。要はしがみつかれたところで、小学生レベルで別に何の興奮もしない、と」
「……あの、もしもし? ……俺の話聞いてました?」
「ちょろーっと妹。代わんなさい。安心しなさい、反応見たらすぐ返すわよ」
やっちまった……!、と上条は夏休み最終日と同じミスに、気付いた。
『私はこれでも一応女の子なのであって少しはそういった感情も抱いてくれなければショックを受けてしまうというのに!』
と、某シスターに噛まれた事の反省が全くなされておらず、この姉妹の憤慨の元は全く同じである。
「だーかーら、人の話聞け! お前だったら、平然としてられねーつってるだろ!」
「だから、その反応見させてもらうのよ!」
「お前なら、のんきに妹みたいだな、なんて思い込めるか! 女の子なんだから、抱きつくとか、ちったあ意味考えろ!」
「…………!」
珍しく女の子扱いされて真っ赤になった美琴に対し、収まらないのは遠回しに子供扱いされた御坂妹である。
「つまり貴方はこのミサカを能力だけでなく女性としてもレディオノイズ扱いなのですね、とミサカは怒りをあらわにします」
「い、いや、そう深刻にだな……」
御坂妹は器用にも、しがみついたまま上条の身体を回り始めた。
「ぬお…………!」
上条がうめく。何か色々と柔らかい箇所が触れてゆくのだから、タマラナイ。
そして御坂妹が真正面から上条の腰辺りに座り、超至近距離から睨みつけてきた!
後ろ手で地面に手をついて、身体を支えつつのけぞった体勢の、上条の目の前では。
『(無茶な移動で)制服と髪が乱れた御坂美琴』にしか見えない御坂妹が、また上条の腰をホールドするかのように
足を巻き付かせ、両手は上条の胸あたりでシャツを掴んでおり、……上条はどう見ても『食べられる』寸前になっていた。
「ま、マイリマシタ! 妹オチツケ! 全面的に俺が悪かった……ち、近い近い!」
腰に座られている感触も、吐息がかかる距離にある顔も、意識したら終わりとばかりに、上条は極限状態にあった。
美琴も、横でゴーグルを手に持ってリアクションに迷っていた。
「ミサカも女性であることを認めさせます、とミサカは高らかに宣言します。
今から貴方にキスしますが、それならばもう子供扱いしませんね?と、ミサカは確認します!」
おおよその見当はついていたとはいえ、上条と美琴は、文字通り固まった。
ガッ!と、御坂妹は両手を上条の後頭部……首の後ろに回し、頭をこれ以上後ろへ動かせないよう、ロックした。
(う、奪われる……俺の、は、初めての……だよな?)
御坂妹の唇との距離は数センチ。頭は固定され、もはや、まな板の上の鯉である。
大覇星祭では、オリアナと出会った時に『キスの方が良いッ!』と叫んだ上条当麻。
このシチュエーションは、自分からキスするような根性のない上条には、願っても無い形なのだが。
――目の前にあるのは、御坂美琴の、整った顔。
――でも、御坂美琴では……無い。
(俺的にはどう見ても御坂とキスって事じゃねーかコレ!? な、なんか間違ってるぞ、このままではマズイ、気がする!)
それでも、上条当麻は動けなかった。
(た、頼みの綱、御坂は何故動かねえ!? 電撃でも、蹴りでも、この桃色空間を吹っ飛ばして……)
一方、美琴も……動けなかった。
御坂妹を止めることはできる。罰ゲームの時のように、グダグダにはなるだろうが。
でも、止めなければ?
妹を受け入れたなら、自分とも抵抗が無くなるかも?と心の底の黒い部分が、うごめく。
妹に先を越される悔しさはあるが、かといって自分を先に、なんぞ言えるわけもなく。そんな論理もない。
自分と上条の仲が、これで何かしらの変化が生まれるなら。
でも、そのシーンを、自分は正視できるだろうか。取り返しのつかない判断をしている気もする……
そうして、美琴が千々に心乱れていると。
「……お姉様」
御坂妹が、つぶやいた。
「勢い込んでみたものの、キスの仕方が分かりません、とミサカは白状します。
ミサカの知識では、この引きつった唇に接合する唇の形が、どうしたらいいのか、とミサカは途方に暮れています」
御坂妹の知る『マニュアル的なキスの指南』は、相手が口づけを受け入れる体勢が前提なのだろう。
明らかに逃げの体勢であり、口も引きつっている上条では、確かにやりづらそうだ。
「だ、だから御坂妹……さん? そ、そんなことしなくても、女性として見ますから、そういうことは、……、」
上条は目を泳がせながら、思いとどまらせようとボソボソと訴えている。
美琴はしゃがみこんで、上条と御坂妹を見比べて、ため息をついた。――そして。
「やり方分かんないなら、逆に、してもらいなさいな。目を閉じて、口を小さく引き結んでさ。後は待ってればいいわよ」
「み、御坂! お、お前が煽ってどーす……」
上条は泡を食ってわめこうとした、が。
御坂妹が美琴の言葉を聞くやいなや、キスを受け入れる体勢に入ってしまった。目を閉じ、唇を差し出すように。
「……!」
美琴は、決して鏡では見ることはできない、『目を閉じた自分の顔』をした妹を眺めやった。
(はは……私って、キスされる直前ってこんな顔になるのねー)
あとは、コイツが。
きっと、キスはしてくれるんじゃないか、とは思う。
少なくとも、コイツは妹を可愛がってくれているように見える。
罵詈雑言、無茶な攻撃を繰り返してきた、自分とは違う。妹を否定する要因は、ないはずだ。
「見られてるとやりにくいよね。じゃあ、後ろ向いてるから、……やってあげて」
「……いや。御坂妹、ちょっと、目を開けてくれ」
まさか!?
「悪りい……御坂妹。俺には…できない。いや、男としてダメすぎなのは分かってるけど。
仮にゴーグル付けていたとしても、やっぱりその顔の女の子にキスするってのはさ、」
上条は、目を開いてからはずっと見つめてくる御坂妹の視線に耐えられず、視線を外す。
「俺は……お前にキスしちまったら、御坂を汚しちまった気分になって、もう御坂と顔合わせられねー気がする。
ちょっとそれは……何か嫌なんだ。御坂との距離がさ、微妙になるのは……理由はねーけど、引っ掛かるんだよ」
「では、ミサカは貴方と関わる際には、全てお姉様が経験済みの事しかできないのですか、とミサカは疑問を口にします」
「そんなのおかしいよな。……俺たち3人の関係性に影響がある事だけ、……くそっ、上手く表現できねえ……。
お前からしたら理不尽な話だよな。お前は、御坂と別の、世界でたった一人しかいねえ存在なのに。
でもさ、お前とも御坂とも、あんまり妙な空気になりたくねえんだよ……」
最後の方は上条も口ごもる。あまりに曖昧な感情からくる言葉なので、上条にしては歯切れが悪い。
美琴には、上条の苦悩が分かった。これはクローン問題の一つなのだ。
自分と妹達が背負った宿命であり、ジレンマである。
ただ、こんなバカ騒ぎをしている時に考えるような事ではない。
――要は、オリジナルの自分が、動けば良い。
美琴は御坂妹の右腕、美琴側の腕に軽く触れた。
「ねえ、ちょっとこっちの腕だけでいいから、降ろしてくんない?」
御坂妹は、特に抵抗も示さず、すっと右腕を外し、手を降ろした。左腕はまだ、上条の首を押さえている。
上条も御坂妹も、美琴は何を考えているのか?と言った様子で視線を美琴に合わせている。
美琴はしゃがんでいた体勢から、右膝を地面につけた。
その右膝をついた動きから、よどみなく、流れるように。
美琴は顔を上条に近づけ、両手を上条の頬を包み込むように支え……
――唇と唇を、触れ合わせた。
呆然とする上条を余所に、美琴は早口で喋りだす。
「キ、キスひとつに距離だの空気だのと考えすぎ! こ、こんなのは欧米じゃ挨拶よ挨拶。
普段私をガキ扱いしといて、何よ、アンタの方がガキくさいじゃない。まあこれで吹っ切れたでしょ? さあ続きどうぞ!」
「お、お前……むぶっ!」
上条の衝撃が抜けきらぬうちに、御坂妹が――今度はためらいなく、上条の首を両手で引き込むようにして、キスをした。
姉より、少し長めに。
姉妹の連続キス攻撃に、泣きそうな表情になっている上条の傍らで。
「お姉様に先を越されたのは納得いきませんが、何か満たされたのでどうでもいいか、とミサカはふわふわ気分で呟きます」
「悪かったわよ。コイツがグチグチ言ってるからさあ。……そろそろ開放してあげたら?」
立ち上がる御坂妹に、ゴーグルを手渡しつつ、スカートについた砂などをはたいて、身だしなみを整えてやる。
解放された上条は、まだ放心状態で、動こうとしない。
「あーもうバッカらしい。私もう帰るわね。妹、いいよね?」
御坂妹が頷くのを見て、美琴は手をひらひらと振り、背を向けた。
「用があるならバカやってないで、普通に呼んでよね……じゃあね」
有無を言わせず、上条を一瞥もせずに美琴は去って行った。
土手の斜面を駆け上がり、彼らとの距離が十分にとれた逆側の斜面で、美琴は座り込む。……もう限界だった。
(~~~~~~~ッ!)
美琴のポーカーフェイスが崩れ、両手で頭を掻きむしる。
(……とっ、とんでもない事しちゃった!! な、何アイツとキスしちゃってんのよ私……!?)
あの状態のボトルネックは自分だ、と思い、衝動的に……してしまった。
顔全体が真っ赤になっているのが自分でも分かるが、唇のあたりが、尚更熱く感じる。
(まっ、まずい! 明日から顔合わせられないじゃない!)
せめてキスされた形なら、拗ねた顔でもしてれば向こうが取り繕って、問題ないだろう。
しかし今回は自分から、だ。
(と、とりあえず謝る? それとも有難く思え的に強がる? えー、もうどうすりゃいいのよ!?)
美琴はフラフラと立ち上がり、足取り重く、寮の方向に歩き出した。
(布団……布団にくるまって考えよう……外にいたら、思い出して奇声上げちゃいそう……)
◇ ◇ ◇
一方、残された上条と御坂妹は。
まだ腰が抜けたように座り込んでいた上条が、ようやく口を開いた。
「…………欧米って、そんなにキスにフランクだっけか……?」
あまりの展開に、誰に聞くともなくつぶやく。もちろん、この場にはもう御坂妹しかいない。
幸か不幸か最近欧米に何度か行っている上条だが、そんな幸せな挨拶などしてもらったことなぞ、無い。
「いくら欧米でも、挨拶は頬へのキスが限界で、口にするキスは恋人同士でもない限りしない、とミサカは知識を披露します。
テスタメントで叩き込まれた知識ですが、とミサカは注釈を付けます」
「そう、だよな……」
膠着状態ではあったが、対処パターンはいくらでもあった話である。
その中でも、御坂美琴は、上条とのキスを選んだ。
妙な桃色空間になってしまっていた事や、御坂妹の存在など、普通ではなかったのは確かだが。
(何で俺なんかにキスしたんだ、御坂……? 流石にキスとなると、それなりに好意がねえと……まさか、なあ……?)
我に返ると、御坂妹が見下ろしていた。なにか言いたげな表情をしているのを見て、上条は思い出す。
「そういやお前、用事あったんだよな? 俺にか御坂にかは知らねーけど」
御坂妹は頷いた。
「本来、お姉様に用事があったのですが、ミサカが貴方にキスした事でミサカネットワークがビジー状態になったため、
病院に戻ります、とミサカは他3名のシスターズの総攻撃を想定しつつ答えます」
「そ、そうか……いや、相談なら普通に乗るから、今日みたいな脅迫はほんとやめてくれ、な」
御坂妹はそれには答えず、口許をややゆがめて意味深な笑みともとれる表情を浮かべた。
そうして御坂妹は会釈すると、去って行った。
「なんだあのアルカイックスマイルは……あの小悪魔一人のせいで、えらいことになっちまった……」
上条は肩を落として、つぶやいた。
「さて、と」
上条は立ち上がり、座りっぱなしで張ってしまった筋肉をほぐそうと軽くジャンプした。
――まず、御坂を捕まえる。このままで明日を迎えるのは、あまりにモヤモヤしすぎる。
――何を話すかは……ええい、ままよ!
ふっ、と軽く息を吐くと、美琴の寮に向かって、上条は走り出した。
走っているうちに、上条は妙な違和感を感じていた。
すれ違う人が、どうも後ろを気にかけている――つまり、上条の向かう先に気がかりなものがある、ような気配があるのだ。
そして、『レールガン』『放電』といった言葉が途切れ途切れ、耳に飛び込んでくる。
(あ、アイツ何やってんだ……!?)
◇ ◇ ◇
美琴は、壁に片手をつきながら、フラつきながら歩いていた。考え込みすぎて、周りが全然見えていない。
歩きながら、たまにビリビリバチバチと、瞬間的ではあるが放電してしまっている。
思考が、『上条にどう思われたか』に移行してからは、漏電が抑えられなくなっていたのである。
(う~~~~~!)
罰ゲームでもなく、酔っ払ってでもなく、そして相手が別段受け入れ体勢でもないのに。
自分の意思、それ以外の何ものでもないキスの意味は……
(あああああっ! あれじゃ告白したのと同じ、いやそれ以上……! うああああああっ!)
こうして恥ずかしさで感情が溢れ返る度に、ビリビリバチバチ! とやらかしていた。
美琴も結局、上条と同様、『あの距離感』が気に入っていた。
これ以上踏み込んで、何かを失うぐらいなら。
でも、今日は、そんな事を全て忘れて。雰囲気に流されて。妹への複雑な思いが絡まって。
あの少年の少し開いた唇に、自分の唇を押し付けずには、いられなく――
(うきゃああああああああ!! やっぱりもうダメ! アイツの顔、もう二度と見れない! 思い出しちゃう!)
考えれば考えるほど重症になってゆく美琴は、漏電しっぱなし状態になりつつあった。
夏休み最終日に、上条へ胴タックルした場所に差し掛かった。寮の入り口はすぐそこだ。
(はあ。あの日、ホットドッグのかじりかけが関節キスかどーかで舞い上がってた自分が、まさか自ら直接……)
――トントン。
肩を叩く感触に、美琴は振り向いた。
こんな漏電状態の美琴に触れられる者など、あの少年しかいないのだが、そんな事も思いもせず。
息を切らしているが、真剣な眼差しの、上条の姿を認めた瞬間。
一瞬で真っ白になった御坂美琴は、言葉にならない悲鳴を上げた!
「ふにゃあああああああああああああああああ!!」
ビリビリバヂバッヂィィン!! というスパーク音と共に。
デジャヴのように、バン! と常盤台中学女子寮の窓が一斉に開け放たれる。
窓際に寄っている女子生徒達――白井黒子含む、が驚愕の表情で見下ろしていた。
『い、今のネコのようなお声は、御坂さま!?』
『あ、あれは、この前のあの殿方ですわ!』
『……御坂、また寮前で逢い引きか』
『おっ、おおおおお姉様!?』
ただ今回の美琴の、余裕の無さは前回の比ではない。上条の手を掴んで逃げるなどと言う事は、頭の片隅にも浮かばない。
上条は慌ててバチバチしている美琴の左肩を右手で押さえ、放電を止めた。
美琴は涙目で――微かに震えながら上条を見つめている。
「お、落ち着け御坂! ひ、一言、一言だけ!」
不思議なもので、聞こえるはずも無い女子生徒達が、全員息を呑んだ気配が感じられた。二人の空気が、そうさせたのか。
上条が、口を開く。
「俺さ、勘違いしておくことにした。」
「…………?」
「その勘違いって、なんつーか心地良いからさ。正しいかどうか確認したくねーんだ、今は。……じゃ、また明日な!」
上条は手を離し、放電が収まっている事を確認すると、これ以上の晒し者はたまらないとばかり、猛ダッシュで走り去った。
真っ白になっていた美琴の世界が、元に戻りつつあった。
(勘違い、しておく……? えーと、あ、アイツの視点からすると、いっつもビリビリして攻撃的だった子が、キ、キスしてきて?
心地良いってことは……、訳が分からないけど『いい方に解釈』しておくことにする、って、事、かな……?)
つまり、私の想いにほぼ気付いた上で、『また明日』。
明日からも、いつも通り、隣に居ていいと。 そしてそれは、もう必死で想いを包み隠す必要もなく……
美琴は、突き上げてくるような幸福感に、動けずにいた。上条が走り去った先を、見つめながら――
『今のは? もしかして告白シーンでしょうか?』
『御坂さまの電撃に触れて平気なんでしょうか? あの方』
立ちすくむ美琴をエサに、寮で子スズメ達が騒ぎまくっている、その頃、上条は。
またまた常盤台中学の制服の女生徒をおんぶしていた。……見た目は。
上条は、テレポートしてきた、憤怒の形相をした白井黒子によって、スリーパーホールドを極められていたのである。
「よくもお姉様を、あんな異常状態に……!」
「み、御坂より軽くて華奢なのに、こっちの方が効く、な……く、苦し……」
「……それは、先程までお姉様に絞められていた、ということですの?」
「……! い、いや……」
「密着して何をしてましたの、この類人猿! ゆ、許しませんですの!!」
更に締め付ける黒子に、上条はある事を思い出す。
「白井。年頃の女の子なんだからさ、もっとオトナの攻撃とかさ。こんなスリーパーじゃあガキの遊びだろ」
ピタッ、と黒子の動きが止まった。
(おっ。やはり大人扱いが一番なのか、この年頃は! 背伸びしたい年頃なんだなー)
「……では、大人らしく。」
黒子がパパパッ!と手をスライドさせた瞬間、衣類が消え、上条はTシャツとトランクス一丁のあられもない姿に……
「ちょ、ちょっと待て白井! そーいう意味じゃねえ! なんでストリップなんだよ!」
上条は黒子の腕をつかみ、かろうじてイマジンブレーカーでこれ以上のテレポートによる狼藉を食い止めた。
「ここで裸になれば公序良俗違反で引っ張れますので。さあ、直接引っぺがして差し上げますですの!」
器用に足だけで靴を脱ぎ捨てた黒子は、上条の残る衣類を、これまた器用に足の指で掴み……
上条当麻の断末魔の声が響きわたった。……年頃の女の子の取り扱いは、とても難しい。
fin.