ささやかなる想いを星あかりのもとで 1 前編A
上条当麻は、拳を握りしめた。不幸だ、の言葉を飲み込む。
自分が選んだ道とはいえ、この結果はどうにもやるせない。
「先生としても、上条ちゃんにこの様な結果を――」
「いや先生、分かってたことです。こうなった事は俺は後悔してねえし、受け入れますよ。親には申し訳ないですけど」
――進路相談室。
ロシアから帰った上条に突きつけられた現実は、『出席日数不足により、進級の見込みなし』、つまり留年確定、であった。
厳密には、補習を受け、試験で特別良い点を取れれば特例も可能だろう。しかし上条の場合、実技試験が『無理』なのだ。
元々出席日数や補習参加で『成績が悪い事』をフォローする上条にとって、出席日数不足は致命的であった。
そもそも夏休み以降、これだけの事件に巻き込まれ、今日以降無欠席の平和な日々が来る、等とは上条自身信じていない。
だから上条は、月詠小萌の言葉に抵抗しなかった。受け入れるしか、なかった。
「――上条ちゃんは、もう諦めちゃったのですかー?」
「でも先生、もう逆転の一手は無い訳でしょー? ああ、留年確定でも学校には来るよ。そこまで腐ってねえ」
「……あるのですよー。一本の蜘蛛の糸ならー」
「え!?」
小萌先生は、大判の封筒を上条に差し出した。
「ただ、この方法で救われても、土御門ちゃん達との別れ、は変わりませんけど……」
上条は小萌の言葉を聞きながら、封筒の表書きを見て目を見張った。
『長点上機学園高等学校 編入手続きについて』
「せ、先生、これは……?」
「長点上機学園から、一方的に送られてきたのですよー。まるで、上条ちゃんの事は全て分かってる、と言いたげにー」
「あっちから、一方的に……」
――統括理事会か。上条は確信した。
学園都市統括理事会は、上条のロシアでの動きを知っている。
統括理事会の力なら、この高校でそのまま上条が進級して居続ける手は幾らでも打てるはずだ。
しかし、向こうの打ってきた手は、自分たちが管理しやすい世界へ上条を引き込む事だった。
ただ単に、騒乱を治めた報酬として救いの手を差し伸べてきただけ、かもしれないが……
「――先生は、どう思いますか?」
「何か大きな意図があるとは思いますが、――上条ちゃんは行くべきだと思うのです」
「……、」
「今のクラスメイトとの別れは辛いものですが、留年でない以上、大学進学の際に、同じ時間・目標が持てることがひとつ」
上条にペーパーナイフを渡しつつ、小萌先生は人差し指を立てた。
「そして、上条ちゃんの能力は、この学校では開花し得ない……ひょっとして長点上機学園なら、という思いがあるのです」
上条は曖昧に頷きながら、封筒上部をペーパーナイフで丁寧に切ってゆく。
(ま、あちらさんはイマジンブレイカーの存在は承知の上だろう……)
ガサガサと封筒の中を開けてみると、ノーマルなパンフレットと、編入に関する要件がまとめられたものが入っていた。
上条は、パンフレットを流し読みした後、編入要項に目を通して、眉をひそめる。
「2月の編入試験の結果次第……今、って事じゃねえのか」
「今だと授業についていけないですよ上条ちゃん。2年生として編入した際に、ついていける学力が必要なのでしょうねー」
「あんなエリート高校の1年終了レベルに学力合わせろってか? なんかいきなりやる気なくなっちまうなー」
一緒に眺めていた小萌先生が、要項の一部を指さした。
『※希望があれば、編入試験までの間、当学園にて特別講習を行う』
「あれ? それって、わざわざシールで貼ってますね、この一文」
「……上条ちゃん専用に追加したのかもしれませんねー」
「つまり、これに申し込んで、特訓を受ければ何とかなるって事か。……つーか、受けろってことですよねコレ」
小萌先生は頷いて、指を2本立てた。
「上条ちゃんには、今後もクラスにいて和気藹々と、一端覧祭を始め一緒に過ごし……そして留年、という道と。
明日からでも一旦違う道を歩み、数年後また、みんなと同じ世界に帰ってくる道、その2つがあります……。
もちろん、一端覧祭までこの学校に、といった事も可能ですが、先生は許さないのです。甘えは、決意を揺るがせます」
その通りだと、思う。中途半端は一番まずい。時間も無い。
「一晩考えさせて下さい。……いや、ほぼ心は決まってますが、それで良いか、……一晩だけ。」
上条が進路指導室から出て行ったのを確認し、
「上条ちゃん……守れなくってごめんなさいなのですよ……無力な先生を、許してくださいなのです……」
幼女のような先生のつぶやきが漏れる。涙をぽたぽた流しながら……
◇ ◇ ◇
――とある、土曜日。
上条当麻は、目の前の新たな制服を見て、感慨にふけっていた。
来週頭からの、3ヶ月にわたる、長点上機学園での特別講習に通う事が決まった。
そう、長点上機学園への編入を決意したのである。
統括理事会の影がちらついて不快な面はあるが、どの道選択肢はこれしかなかった。
留年は、今回の編入が失敗しても選べる道。ならば、自分の可能性に賭けてみるべきだ、と。
当然、退学でも無いため、籍はまだ現在の高校のままであり、寮も使い続けて良いらしい。
ただ、長点上機学園の門をくぐる以上は、制服はそちらに合わせる必要があった。
隣の、折り畳んだ旧来の制服……数々の戦いにも巻き込まれた制服に目をやった。
昨日の、クラスでの送別会を思い出す。
みな、上条の判断自体は間違えていないとしながらも、「無理!」と笑い飛ばしていた。
「特別講習ってのはあれやろ、テスタメント? そーでもせんと、カミやんが編入なんて無理やって」
「でも長点上機から話が来たらしいんだぜい? カミやんのフラグ能力がついに新能力として認められるかもしれんにゃー」
「テメエラ、好き勝手に……!」
「どの道、2年になれば私たちもクラス分けでバラバラになる。一足先に貴様が脱落するだけのこと」
「脱落ゆーな。まあ、編入さえ上手く行けば、あっちで落ちこぼれて、また帰ってくるかもしんねーし」
「貴様、この学校は姥捨て山ではない! コウモリ野郎にこれをくれてやる!」
ガツッ!! 上条当麻に硬いおでこを叩きつけて、フンと吹寄制理は顔を背ける。
のたうち回っている上条には、吹寄の表情は見えなかった。
唯一、姫神秋沙だけがやや憂いを帯びた顔をしており、手を引いて上条を起き上がらせつつ、耳元で小さく呟いた。
「君の能力を見る限り。長点上機学園に行く判断は正しいと思う。……君が。来なくなるのは寂しいけれど。」
「姫神……お前だけだ! いい奴は、ホント」
上条は姫神の両手を握ってブンブンと上下に振ったが、彼女の複雑な表情の意味には、気付くことなく。
実際、隣の部屋には土御門元春が住んでいるわけで、とりたてて涙の別離という訳ではない。
まずは、特別講習だ。相当厳しいだろう、とゲンナリする上条である。
特別講習とやらは、今のところスケジュールは指定されていなかった。
講師の指導に従う事、それだけだった。
(ま、そりゃそうだよな。俺のバカっぷりを知らねえ訳で。スケジュール立てられる訳ねー)
何より。インデックスの動向が読めない。スケジュールを立てられても、この問題次第では、全てがパーだ。
インデックスの存在が、改めて魔術の世界において、重要性がMAXレベルに達している事が再確認された。
遠隔制御装置が密かに組まれていたからこそ、インデックスが上条の許に居続けることが認められていたのであり、
その再設定を拒むのであれば、インデックスはもうイギリスから離れることは許されない。
ただイギリス清教側としても、上条との縁が切れる事はマイナスだと捉えており、複雑な状況となっている。
『大丈夫だから、とうま。先帰ってて』
昔と違って、その協議にインデックス本人が加わっている。一方的に霊装を仕掛けられる、といった事は、ないと思う。
ただ正直、周りの人間は心の底から信用できる連中ではない。
しかし、上条が残っていても何もできず、ステイル達に託すしかなかった。
(ステイルはイギリスに残したがってんだよなー。そりゃ、インデックスに怪しげな仕込みはもう嫌だろうしな)
自分はどうなのだろう。インデックスのいない寂しさは、間違いなくあるが……
具体的に、インデックスに何を求めているかとなると、どうにも考えがまとまらない。
(ま、アイツ次第だな……)
結局上条はそこで思考を止めてしまう。
代わりに、上条はもう一つの懸念を思い出した。ロシア帰りの飛行機の中での、会話も一緒に……
◇ ◇ ◇
――ロシア帰り、実際には英国からの帰国の機内にて。
そもそも、ハイジャックから始まるという、先行き不安どころではない旅であった。
しかし、第三次世界大戦まで繋がって、終わるまで学園都市に帰れない、等と誰が予想できようか。
帰りの道は、某特別旅客機にはコリゴリな上条は、日英間12時間の空旅の方を選んだ。
疲れと、手配してもらったビジネスクラスの良好な座席のせいか、速攻眠りについた上条が目覚めると。
上条が心持ち左を向いて寝ていたが、相方は右を向いており、程々の距離で、すやすやと寝ている顔が見える。
(行きと帰りとで、なんで隣が違うんでしょうかね……)
――御坂美琴。
何を思ったか、ロシア戦線に飛び込んできた常盤台のお嬢様。
幸せそうな表情で、たまに口をムニュムニュ動かしているが、整った顔でお休み中だ。
(寝てる時でもスキみせねーな、コイツ)
お嬢様はイビキをかかないのだろうか、とどうでもいい事が上条の頭をかすめる。
魔術の世界の、火薬庫がインデックスとするならば。
科学の世界の、火薬庫となってしまった御坂美琴。
元はと言えば、ラストオーダーを救うためであった。
ラストオーダーは、シスターズが暴走を起こした時に、人間側の手で食い止めるために作られた、いわばコンソールである。
コンソールであることを悪用され、大きな力に翻弄されるラストオーダー。
謎の羊皮紙は、回復したインデックスの知識によって解析され、ラストオーダーの『ウィルス』は一旦除去された。
〇九三〇事件の時は、インデックスが魔術を使えなかったので、仮除去しか出来無かったが、今回は教会のプロが居た。
しかし、能力を持つラストオーダーには、魔術系防御プログラムは組み込めない、らしく。
鍛えている土御門ですら、超能力と魔力の併用はとんでもない負荷がかかってボロボロになる。少女には無理である。
つまりアンチウイルスソフトを組み込んでない状態であり、これではまたあっさりと侵入を許してしまうだろう。
そして。除去と言いながら、『必要悪の教会』がラストオーダーに何をしたのか、これも不安材料である。
そんな、不確定要素の詰まったラストオーダーを。
御坂美琴が全部持っていってしまった。ハッキングである。
御坂美琴は、電気的ネットワークならばテスタメントなしで自らの能力で介入できる。
美琴はミサカネットワークをハッキングし、あらゆるアクセス権限を書き換えてしまったのである。
唯一脳波を合わせられるオリジナル、またミサカワーストの『シート』を解析し、強制指令のパスを見切ったのだ。
あまつさえ、各シスターズに対する強制指令は、美琴とラストオーダーのダブル指令を必須としてしまった。
つまり、第2・第3のラストオーダーを仮に新たに作ったとしても、美琴なしにはシスターズに関与できなくなったのである。
あまりのやりすぎっぷり――ミサカネットワークの完全支配に、『必要悪の教会』は猛反対であったが、美琴はきっぱりと、
「私の分身の世界を、私が管理しなくてどうすんのよッ!」の一点張りで譲らず。
結局は上条の「コイツは信用して大丈夫、俺が保証する」の言葉と、何よりもラストオーダー本人が、ミサカシスターズ全員の
意思として全てお姉様にお願いする、と宣言したため、『必要悪の教会』は折れた。
尚、美琴曰く、『必要悪の教会』が何か仕込んでいる様な形跡は、今のところ見つからないとの事だった。
上条は、いまいちミサカネットワークなるものがよく分かっていない。
しかし、明らかによろしくない意思が働いていることが、今回の戦争で分かった。
その意思の元は、学園都市の統括理事会を含む上層部だ。
美琴のやっていることは、その上層部にケンカを売ったようなものである。
とりあえずは、今のところ美琴に対してどうこうという事はないようだが……
何にせよ、1万人近いシスターズが御坂美琴の命令で動きかねないのだ。
短気で、ワガママなお嬢様に、持たせていいのかそんな権限!? と、保証しておきながら美琴に不安を抱く上条であった。
◇ ◇ ◇
(あれ?)
美琴を視界に入れつつも、ぼんやりとそういった考え事をしていたのだが、いつの間にか。
美琴の目が開いていた。
(うっわー、分かりやすー)
美琴の怒りゲージが溜まっていくのが手にとるように分かる。目が怒っており、顔が真っ赤になっていくのだ。
「いつから……見てた?」
寝起きのせいか、声がかすれている。
「えーと、当麻さん愛してると寝言言ってたとか、そういう話からした方がいいか?」
「…………、」
(あら?)
赤くなっていた美琴の顔色がすーっと引いていき、むしろ青くなり始めた。
「ん、飛行機酔いか? お前顔色変だぞ」
「わ、私、……そ、そんな事言った? う、嘘でしょ……?」
「嘘に決まってんだろ。やたら幸せそうに寝てたけど、……あ、お前夢のなかで誰かに告白してたとか?」
「~~~ッ! このクソド馬鹿ッ!」
相変わらずお嬢様らしくない言葉で罵るやいなや、ぷいと逆側を向いてしまった。
「ま、俺が起きたのも10分前ぐらいかなー。まだあと4時間ぐらいあるぞ」
美琴は答えず、モゾモゾと何やらうごめいていたが、やがて足元の鞄から化粧ポーチを取り出し、席を外してしまった。
なにはともあれ、寝起き顔のままではいられねーか、と上条は思ったが、珍しく女心に関する話にしては正解であった。
飛行機に乗り込むまで、上条は王女を始めとした様々な人たちから、解放されることはなかった。
特にインデックスがしばしの別れということもあってか、上条から離れなかったのである。
美琴も美琴で、何故か同世代あたりのシスターを中心とした、魔術側の人間に色々と捕まっていたようだった。
つまり、美琴とはほとんどゆっくり話せていない。
(魔術とか、どう理解したんだろなアイツ。シスターたちに囲まれてたけど、何話してたんだろ)
とりとめもなく考えていると、美琴が戻ってきた。
ちょっと頬を赤らめた美琴は、寝起き的名残りを完全に払拭しており、ちらっと上条を一瞥して席についた。
「…………、」
「…………、」
「……何かしゃべりなさいよ」
「んー、海外遠征のご感想は?」
「っつーかさ。アンタ一体なんなの?」
「はい?」
「はい? じゃないわよ。女王だの王女だの、異常な能力持った人だの、どれだけアンタ知り合いいんのよ。
何より! どの人も、アンタを対等、もしくは尊敬レベルで接してきてるじゃない! アンタどこのお偉いさん!?」
「はあ……いや、俺もなんでああなったのか……」
「私まで第三王女のヴィリアンさんに良くしてもらってさ! ありえないでしょっ!」
うん、ソウデスネ、と上条も思う。
「他にも何よアレ、やったら女の人多いし、みんなキレイだし、胸は犯則だし、私の居場所ないったら……!」
最後の方は声が小さくなってブツブツとつぶやく美琴に、上条は口を尖らせて返す。
「どう言われても知らねーよ。インデックスがイギリス清教の……まあ重要人物だからさ、その兼ね合いだろー」
「そんなんじゃないわよ! 私があのシスター達に……!」
「ん? シスターが?」
「な、何でもないっ!」
言えるわけがない。上条当麻との関係を執拗に問い詰められていたなどと。
◇ ◇ ◇