Sweet Valentine
「寒い……」
吐いた息が白くなる。
もう二十分は経ったかと思うが、一向に街人が現れる気配はない。
雪こそ降ってはいないが、ただ立っているだけでは流石に辛い。
「アイツ……いつのなったら来んのよ」
いつまで経っても上条は現れない。
佐天涙子の半ば強引な策略にまんまと嵌り、手作りチョコレートなんてものを作ってしまったが、本番はいざ渡すときだ。
待てど待てどやって来ない上条に、何度目か分からない溜息をつく。
(まぁ、待ち合わせする、なんて約束はしてないんだけどさ……)
もう一度、今度は大きな溜息。
上条に対してではなく、情けない自分に対しての。
昨夜、ベッドの上で一時間ほど悶々としたものの、結局待ち合わせの連絡も出来なかった。
幸いにも月曜日であることから、学校はあるだろうと、上条の下校ルートで待ち伏せしているのだった。
そりゃ怒るのは筋違いだと上条を擁護するか、我らが御坂さんを寒い中待たせるとは何事と考えるかは意見の分かれるところではある。
(普段ならもう下校してても良い頃なんだけど……また補習かな)
鞄に入れたチョコレートを気にするように、ちらりと視線を向ける。
佐天宅から寮へと帰り、白井の居ない隙に綺麗に包装したもの。
幸いにも溶ける心配はないが、潰れてないだろうかとか、包装やぶれてないよねとか、気になることはいっぱいだ。
「いやー、今日も冷えまっすなぁー」
良く分からない音頭に乗せて、学ラン姿の高校生が現れる。
ツンツンとした黒髪の少年。美琴が待っていた上条当麻その人だった。
「ちょ、ちょっと待って!」
「お? 御坂?」
『こんなとこで何やってんの?』という呑気な言葉に、一瞬放電寸前でぐっとこらえる。
「わっ、渡したいものが、あってさ」
「ん?」
「コレ………なんだけど」
鞄から取り出したのは赤いラッピングを施された小箱。
型崩れもしていないようで、見栄えも十二分だった。
「今日、バレンタインだし……いっつもお世話になってるし……」
「おー、さんきゅー!」
上条はにかっと笑い、美琴の伸ばした手からその小箱を受け取る。
「なんか見た目から上品そうなんだけど……これがお嬢様の力かっ!?」
「いや、適当に包んだだけだから」
品定めのように、まじまじと見つめられては緊張してしまう。
耐えきれなくなった美琴は、上条から視線を外し、手をもじもじとさせる。
「包んだ、って………まさか、手作りなんでせうか?」
「うん。友達に手伝ってもらってさ」
「おー、まさか本当に『不器用なりに作ってみた~』が食べられるとは!」
上条が感慨深げにチョコレートの箱を見る一方で、美琴は気が気ではなかった。
チョコレートを男の子に渡したのは初めてだし、ましてや相手は意中の相手なのだ。
「よし、食おう今すぐ食おう食いましょう!!」
「え?」
「家に持って帰ったら、インデックスに食われるとかいうイベントが発生しかねん! って事で今すぐ食べるけど、良いよな?」
答えは聞いてない、と言わんばかりの勢いだった。
「あ、あああああああ、うん、じゃあ、私帰るからっ!」
言葉になってるのかも分からないような発音で、美琴は上条にそう告げると、勢いよく踵を返す。
「ちょっと待て! 折角なんだから、一緒に食おう」
「な、なにが折角か分かんないんだけどぉぉぉぉ!?」
上条は美琴の言葉を完全スルーし、近くにあったベンチへと彼女を引っ張って行く。
遊びに行く時もこれくらいリードしてくれたらいいのに、という現実逃避ぎみの思考を巡らせながら、美琴は上条にされるままにベンチへと腰掛けた。
「それじゃぁ早速」
ガサゴサとラッピングを開き、小箱の蓋を開ける。
中から現れたのは、丸なのか四角なのか分からないチョコトリュフだった。
「おおおおお……」
「た、食べるならさっさとしなさいよ!」
さっきもそうだったが、あまり見つめられては恥ずかしい。
自分を見られているわけではないのだが、なんとなくそんな気になる。
「いただきます」
上条は一つを摘まむと、口に放りこむ。
柔らかな触感と甘めの味が、口いっぱいに広がる。
「う、うまい……」
「ホ、ホント?」
なんだか震えている気がしないでもない、上条の横から覗き込むようにしてその顔色を窺う。
表情こそは良く分からないものだったが、少なくとも美味しい事は事実らしい。
ホッと一息ついたところで、美琴は横から何かが伸びている事に気づいた。
「にゃ?」
「ほら、お前も……口開けなさい」
目の前に突き出されたのは、上条の指。
そこに摘ままれている自分のチョコレート。
「え、あ……ふぇ?」
事態が飲み込めない。
「ほらよ」
指が唇に触れ、チョコレートが口の中に転がる。
良く分からないまま、食べたチョコレートの味は、やっぱり良く分からなかった。
「な?」
こくり、と頷く。
言葉は発せられなかった。
「一気に食べんのは勿体ねぇな……っと、なんだこれ?」
小箱の端に挟まれた小さなカード。
気づいて欲しいような、そうでないような。
そんな風にも見えるカードだった。
「メッセージカード……?」
「っ!?」
「えっと………なんだこれ?」
【 Я люблю тебя 】
そこに書かれているのは外国語だった。
いや、記号、暗号と言っても良いくらいの。
「…………お、おい」
「あぁあああ、コレね、『義理』って意味なのよ。普通に書いても面白くないなと思って、ね?」
急に挙動不審になりだした美琴を、上条は真っ直ぐに見る。
「そっか……」
「そう、そうなのよ! アンタにゃ色々お世話になったしね。感謝の気持ちを、って」
あはははは、と笑う美琴に、上条も表情を緩めてみせる。
「感想、ってわけじゃねぇが……このカードは返すよ」
「え?」
「なんていうか、不幸っつーか……ついてねーよな」
上条は右手で頭を掻き、左手に持ったカードを見る。
「オマエ、本当についてねーよ」
いつだったか。
聞いたような言葉だった。
「どういう……」
「このカードに書かれているのはなんでしょうか、ってか? 偶々っちゃ偶々だけど、こないだ目にする機会があってよ」
美琴の顔が朱に染まる。
ごくり、と唾を飲む音が聞こえた。
「いま流行ってる旅番組……って言って分かるか?」
上条の言葉に、美琴は昨日の事を思い出す。
『って、ドイツではそう呼ぶらしいんですよ。ロシア語も面白かったですけど、ドイツ語って、すっごいカッコイイ響きになると思いませんか?』
「まさか………」
「そのまさか、だな。俺にしちゃぁ、『幸運』すぎる気はするけど……」
上条は手に持ったメッセージカードをくるくると回すと、美琴につきつけた。
「そっくりそのまま返してやる」