愛しき世界 1 前編
「ぷはぁ……つまんない」
春休みのとある一日、御坂美琴は公園のベンチに腰掛けヤシの実サイダーを片手に独り言ちた。
美琴がまとうベージュのブレザーと紺のプリーツスカートは学園都市中の女の子が憧れる名門『常盤台中学』の制服。
真っ昼間の長閑な公園に佇むお嬢様という絵に心奪われ、少し離れた位置から見物している者がちらほらいる。
時折近づこうとする輩もいるが、すかさず「パチッ」とスパークさせて追い払う。
(今日もアイツと会えないのかな……)
美琴が一日千秋の思いで待つ“アイツ”とは不幸少年の上条当麻。
春休みとはいえ上条のことだ、ひょっとしたら補習を受けている可能性が高いと考えた美琴は、朝と昼に上条の通学ルートで待ち伏せ、夕方にスーパーに寄るというストーカーまがいな行動をとっていた。
電話かメールをすれば早いのだが、いつもあと一歩のところで指が震え携帯を閉じてしまう。
最後に見たのは六日前の夕方、スーパーの特売に走っていく姿だった。
以前であれば雷撃の槍なりタックルで呼び止めていたが、戦争後ますます肥大してしまった恋心のせいで上条を視界に捉えた瞬間、金縛りにでもかかったかのように動けなくなってしまい、颯爽と走る上条の頼もしい背中(美琴視点)をただただ頬を赤くして見つめることしか出来なかった。
しばらくして正気に戻ると、上条に声を掛けられずちょっと残念な気持ちと、元気な姿が見られて嬉しいという気持ちを胸に寮へ帰った。
もっとも、言葉を交わそうものなら大変なことになるのだが……
と言うのも最近になって、美琴は上条と会う毎に“ある”現象を引き起こしている。その度に上条のお世話になっているのだが本人には全く自覚がない。
(うーん。アイツを見つけたあと、気がついたら寮の部屋だったりベンチに座っていたりで記憶が曖昧になる時があるんだけど一体なんなのかしら? 早く会いた――? この反応は……)
物思いに耽っていると、美琴のレーダーが覚えのある反応を捉えた。
急いでヤシの実サイダーを飲み干すと、近くを通った清掃ロボットに投げその場を後にした。
放射線を描いて地面に落ちたヤシの実サイダーの缶を清掃ロボットが回収したのを見届けると、足を止めていた者たちはそれぞれの道を歩いて行った。
美琴は常に自身を中心に電磁波を利用したレーダーを展開している。
電磁波の反射具合、あるいは放出される電磁波を受信することで人の位置、建物の内部構造を把握することが出来るのだが、『幻想殺し(イマジンブレイカー)』を持った上条のようにイレギュラーな反応をする存在もいる。
美琴が認識できる人間は、先に述べた上条、自分と似た電磁波を持つ妹達、デフォルトで反射を行っている一方通行(アクセラレータ)。
「たぶんこの辺りだと思うんだけどー、見つけた!」
そしてもう一人……
「おなかへった……」
上条当麻の“元”同居人インデックス。
☆
(いつ見ても圧倒されるわね……)
お昼時の繁盛したファミレスで、美琴は向かいに座ってフードファイターよろしく食事しているインデックスを眺めていた。
二人が入店してまだ二十分程度しか経っていないが、すでにインデックスの周囲には空の皿やプレートが積みあがっている。
先ほど美琴はレーダーにインデックスを捉えたのだが、どういう訳かインデックスの近くには何の反応もなかった。
普段は必ず上条をはじめとする保護者役が付き添っていたため、美琴はこれを不審に思いインデックスと接触。
案の定困っている様子だったため、ファミレスで食事でもしながら事情を聞こう思い立ち現在に至る。
インデックスはステーキの最後の一切れを咀嚼し飲み込むと、勢いよく水を飲み干した後、ナプキンで口をふいた。
「けぷっ……久し振りにお腹いっぱいごはんが食べられて幸せかも! ありがとなんだよ!」
お腹がふくれてご機嫌のインデックスが笑顔でお礼を言う。
「どういたしまして」
なぜ美琴がインデックスを認識出来たか、その秘密はインデックスの着ている歩く教会にある。
歩く教会は去年上条と初めて会った日に幻想殺しによって破壊されたのだが、先の戦争が終結してイギリスで療養している際に、新しく誂えさせたらしい。
もちろんそう簡単に作られる代物ではない。
療養を終えたインデックスが学園都市に来た日、美琴がインデックスに違和感を覚え、尋ねたところ、電撃を無効化してみせるという実践付きで詳しく解説された。
現在『必要悪の教会(ネセサリウス)』の魔術師として働いているインデックスは、魔術の解析が専門であるため海外へ飛ぶこともあるが、学園都市に居ることが多く、暇を持て余しては保護者役を引っ張り回している。
必要悪の教会では満足に食事が出来ないらしく、金銭面に強い美琴はインデックスにたびたび食事をねだられている。
美琴はインデックスの食べっぷりと、食後の満面の笑みを眺めつつ紅茶を飲むのがお気に入りで、馬鹿馬鹿しい程の奨学金の有効活用と考えているようだ。
「それで、アンタは何か困ってたんじゃないの? そもそもどうして一人だったのよ?」
美琴の言葉で何か思い出したのか、インデックスは口を尖らせ不機嫌そうに話を始めた。
「とうま、春休み中は家にいるからいつでも遊びに来ていいって言ってたんだよ……でも今朝寮に行ったら居なくて……ケプッ。かおりには寮の前で帰ってもらっちゃったし、しばらく部屋の前で待ってても帰って来ないから仕方なく街に探しに行ったの、そしたら――」
「ちょうど私に声をかけられたって訳ね」
「そう……みことが来なかったら餓死していたんだよ、とうまに次会ったら頭をかじってやるんだから!」
怒りながらもどこか残念そうなインデックスはさも当然の如くテーブルの上に設置された呼び鈴を鳴らし、メニューに目を落とした。
美琴は一瞬目を伏せ何かを考えた後インデックスに一つ質問を投げかけた。
「ねぇ、インデックス? 一つ聞きたいんだけど」
「ん? なになに」
「アイツの部屋の――」
美琴はインデックスに適当な金額を渡し、速足でファミレスを出た。
残されたインデックスは美琴の質問の意図を少し考えていたが、いつの間にかテーブルの前に来ていたウエイターを見て思考を中断させた。ウエイターはインデックスと目が合うと頬 笑みながらマニュアルを遂行する。
「当然、ご注文はお決まりか」
☆
「こ、れは本格的にヤバ……イかもしんねー」
とある高校の男子寮の一室で上条当麻はベッドの上に寝ていた。
セットしていない髪はしおれており、顔は赤く額に汗を浮かべている。
上条は五日前風邪をひいた。恐らくすぐに薬を服用すれば今ごろ元気にスーパーの特売に出かけたり、インデックスと遊んだり出来ただろう、しかし現実そうはいかなかった。
薬箱の中は空っぽ、財布には薬を購入出来るほどのお金は入っておらず、仕方なくお金を下ろそうと思った矢先キャッシュカードを紛失……。
結局、薬を飲むことが出来ずに一晩過ごして以降、外に行くことも隣人に助けを求めることも出来ず、悪化していく病状に苦しむことしか出来なかった。
(不幸だ……)
上条は去年、第三次世界大戦で深手を負い『冥土帰し(ヘブンキャンセラー)』の病院に搬送された。
その際の手術、入院費は過去最大で、退院してから三ヶ月以上経った今も返済に追われている。冥土帰しからは「出世返しでもいいのだけどね?」などと言われているが、上条は毎月少しずつ返す道を選んだ。
少しと言っても『無能力者(レベル0)』の奨学金と実家からのささやかな仕送りで生活している上条にとっては大打撃であることには変わりない。
そのためインデックスのために大量の食糧を調達する必要が無くなった現在も依然、特売で食費などを浮かせる必要がある。
しかし、食材が安値で捌かれるのには理由がある。例えば……賞味期限が間近であること。
もちろん全てに該当する訳ではないが、現在上条の部屋の冷蔵庫に入っている大半が前述した特売商品だ。
その食材たちが上条家にやって来たのは六日前、それらから導き出される一つの答え、それは……未元物質と化した食材。
料理をする気力のない上条は、今日まで白米に塩をふって生きてきたが、米が底を尽きた。最後の手段として特売で手に入れた野菜をそのまま食べようと思ったが、冷蔵庫の中を見て断念。
(ハハッ……波乱万丈な上条さんの死因が餓死とは……ま、俺らしいと言えばらしいかもな…………病室でインデックスと出会って八ヶ月か……あれ八……ヶ月?)
上条は“八ヶ月”というキーワードに何か引っ掛かりを覚えた。が
――トンッ
――ジリジリジリ…………ガララッ
突如ベランダから聞こえた物音に注意を向け、ベッドに寝たまま頭だけ動かし、ゆっくりとベランダを覗き見た。すると上条の視界には見覚えのある少女の後ろ姿が飛び込んできた。
紺色のハイソックス、紺系タータンチェックのプリーツスカート、ベージュのブレザー、肩で切りそろえられた茶色い髪、片手にはローファーを提げている。
少女はベランダの窓を閉め、ゆっくりと振り返った。
(って……ぇぇぇぇえええ!? なぜ御坂が俺の部屋に? てかここの階まで一体どうやって来たんだ……)
上条の部屋に不法侵入をした少女、御坂美琴はベランダを背にし、ベッドの上で驚愕の表情をして固まっている上条と視線が合うとその場で俯いてしまった。
みるみる顔は赤くなり、周囲に微弱なスパークを起こしながら声を漏らした。
「ふ……」
蚊の鳴くような声であったが上条は聞き逃さなかった。
(こんなとこで漏電されたら間違いなく寮が――動け! 俺の体ぁ!!)
上条は鉛のように重い体をどうにか起こすと、ベッドの上で屈み
「間に合えっ!!!」
足のバネとベッドの弾力で美琴に向かって飛んだ。
右手で美琴の左肩を掴む。しかし、勢いをつけて飛んだため、このままでは美琴を窓ガラスにぶつけてしまう、割れたら大怪我をするかもしれない。
上条は瞬時に美琴を抱き寄せると、くるりと方向を転換させ、背中から床に倒れこんだ。
――バタン!
部屋の中に大きな音が響き、振動が周囲の物を震わせた。上条は頭と背中の激痛に顔を歪めつつ、腕の中に居る美琴に目をやる。
「にゃー…………」
美琴は上条の腕の中で気絶していた。
(ったく人をビビらせやが……って…………)
上条は穏やかな表情をしている美琴を見て安堵すると、冷たく硬い床と、温かく柔らかい美琴に挟まれながら気を失った。