とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

Part021-1

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木漏れ日


 ゆっくりと流れる暗灰色の高い雲と、走るように過ぎ去る明灰色の低い雲が、斑模様を描く空の下。
 道路の向かいの建物の輪郭さえも滲ませるように、空気を切り裂き雨が降っている。
 時折吹き過ぎる風が、春過ぎの緑をより色濃く染める銀色の滴を、きらきらと地上へ向かって突進させていく。
 色とりどりの傘が行き交い、モノトーンの街並みに点描のような華やかさを引き立たせているそんな休日の午後。

 とある街角のファミレスにいるのは、デザートに、ビッグサイズのパフェを頬張るインデックス。
 その向かい側には、上条当麻と御坂美琴が食後のティータイムを楽しんでいた。

「とうまぁ~~今夜は何が食べたい?」
「ええと……上条さん、美琴さんの――がいいです」
「いやんっ!とうまったらぁ……きゃん♪」
「みことぉ~~」

 店内で堂々といちゃつく、上条と美琴の甘ったるい戯れを横目に、インデックスはちらちらと外に目をやりながらスプーンを口に運ぶ。
 散歩とデートを兼ねて、ふらりとウインドウ・ショッピングに出かけた3人は、遅めの昼食と休憩のため、ここにいた。
 昼のピークを過ぎたこの時間は、休日にもかかわらず、店内の人影もまばらで、気だるい雰囲気が醸成されている。
 きゃん♪じゃねえよ、このバカップルが……という、彼女の心の声を語るような表情のインデックスが、ぽつりとこぼした言葉が発端だった。

「とうまもみことも、いちゃついてないで、たまには私にも構って欲しいんだよ……」

 人目を憚らず、目の前で戯れる恋人達へ向けたささやかな抗議。
 そんな救いを求める少女の声に、彼女の守護者たる2人が、現実世界に戻ってきた。

「ああ、すまん……つい、そのな」
「ごめんね、インデックス、えへへ」
「姦淫の罪はだめってこと、わかってるのかな?2人とも……」

 『恋人だけの現実』を構築していた2人が、こちらに帰って来たのを見て、ぷぅっと頬を膨らませるインデックス。
 どこにでもいそうな普通の男子高校生に、白い修道服の銀髪碧眼美少女と、常盤台中学の制服を着た美少女という組合せが、周囲の目を引かないわけが無い。
 店内からの視線に気が付いた2人は、顔を赤らめて恥ずかしそうに俯く。
 そんな2人に、インデックスは、はぁぁ……とため息をついていた。

「いつも2人だけで遊びに出かけてしまうんだもん。私もスフィンクスとお留守番ばかりはつまらないんだよ……」

 そう言ってちょっと寂しそうな顔をするインデックスに、2人は胸がつまる思いがした。
 そもそも彼らの恋人生活も、彼女の理解と協力があってこその賜物なのだ。
 彼女の境遇を知った美琴も、持ち前の優しさと保護欲を刺激され、互いに上条を支える協力者にして友人、さらに恋敵としても認めている。
 インデックスは、自身の上条への恋慕は認めるも、シスターとして2人の恋路に心から祝福し、協力さえも惜しまない。
 最近はもっぱら、上条が美琴以外の女の子とフラグを立てたり、美琴の気持ちに気付かない彼の鈍感さを、噛み付く理由にしている。
 そんなインデックスのためにと考えていた美琴が、良い案を思いついたとばかりに、満面の笑みを浮かべた。

「ねぇ、ピクニック、なんてどうかしら」
「「ピクニック!?」」
「そうよ。第21学区の自然公園に、お弁当持って出かけるの。どうかな?」
「お弁当!いいかも!」

 インデックスがお弁当という言葉に、早速賛成の声を上げる。
 相変わらず食べることには積極的だ。

「そうだな、今の季節なら、家の外で遊ぶのも気持ち良いかもな」
「ね、名案でしょ。あと私、黒子も誘いたいと思うんだけど……」

 白井の名を聞いて、ふと何かを思い出したように上条が口を開いた。

「そういや俺最近、白井とやりあってない気がするんだが……」
「――私に気を使ってるのよ」
「そうなのか。いつのまにか白井にまで気を使わせてたんだな」

 俺からしたら、アイツらしくないけどな……と上条は独りごちた。

「それに私、黒子にはいっぱい迷惑かけてるし……」

 美琴はそう言いながら、窓の外に目をやっていた。
 白井には返し切れないほどの借りがあると美琴は思う。
 門限破りや外泊など、白井の協力なくして、上条との交際は美琴の思うようにはいかない。
 以前までの白井は、上条のことを類人猿呼ばわりし、何かにつけ敵視をしていた。
 しかし彼が美琴にとって、自分と同じように大切な人間だと理解した今、複雑な思いを抱きながらも、素直に協力している。

「美琴が良いなら、俺は一向に構わねえよ」

 上条が美琴に同意すると、彼女はインデックスに向き直った。

「どうかな?インデックス」
「うん、私は大賛成なんだよ。くろことはちゃんとお話したことは無いけど、出来れば友達になりたいし」
「じゃ次の休日ね」
「やっほう!楽しみなんだよ。ピクニックのお弁当って、なにかな?お腹いっぱい食べられたら幸せかも」

 そう言って喜ぶインデックスの碧い瞳は、勿忘草のように蒼深くきらきらと輝きを増し、胡粉のような白い頬にほのかな赤みが差している。
 それは誰もが見とれる、可憐で楚々として、いじらしく、天真爛漫でまさしく大輪の花のような笑顔。
 上条は最近、美琴とばかり付き合い、彼女のそんな笑顔を、しばらく目にしていなかった事に気付き、胸が痛くなった。
 美琴も上条と同じく、インデックスのその屈託の無い笑顔には、胸を突かれる思いをした。
 重い宿命を背負いながら、上条を頼りにここで健気に暮らす彼女が、寂しさを募らせていた事に気付かなかった自分達が、腹立たしく思われた。
 かつてインデックスには、泣いて欲しくないと思ったことを、上条は恋人の美琴に語ったことがある。
 自身の記憶喪失について語る際には、上条にとってどうしても避けては通れない、あの病室での出来事。
 美琴はそれを受け止めることで、上条の支えになろうと決め、彼と共にインデックスを守ることを誓ってきた。
 インデックスから上条を奪ったのは、自分だという後ろめたさもあり、少しでも彼女の力になりたいと思っている。
 そのためにも、彼女の世界が少しでも広がるような出会いがあればよいと、心から願っているのだ。


 それで決まりね、と美琴は話を終わらせると、今日これからはインデックスのために時間をとろうと、上条に目を向けた。
 上条も、美琴からのアイコンタクトを理解し、頷くとインデックスに言った。

「今日の夕飯、リクエストはあるか?美琴センセーが、お前のために腕を振るってくれるそうだぞ」
「そうよ、任せときなさい。食べたいもの、なんでも作ってあげるわよ」
「私、ハンバーグが良いんだよ!」

 みことのはんばあぐ♪と、口ずさむ無邪気なインデックスの姿に、2人は何とも言いようの無い暖かさをかみしめていた。
 何時しか、上条とインデックス、美琴の3人は、まるで家族のようにも感じていた。
 かつて美琴は、上条とインデックスとの間に、自分の居場所は無いと思う時があった。実際今も彼女はそう思っている。
 なぜなら上条とインデックスは、兄妹だからだと。血はつながりは無くとも兄妹だから、そこに他人たる自分の割り込む余地はない。
 これは同様に、美琴と妹達(シスターズ)、上条との関係にも言えることだと、彼女は思っている。
 10万3千冊の魔道書を持つ妹に、軍用クローンとして作られ、1万人以上が殺された妹達。
 上条も美琴も、共に身近に闇を抱えた者として、互いに手を携え、その妹達を守って生きていくことになるのだと思っている。
 さらに3人とも、物心ついたときには、既に家族とは離れ離れだった。
 美琴も上条も、幼少時から学園都市で1人暮らしをしている。
 上条は記憶喪失で家族との思い出など、一切を失った。
 インデックスに至っては、記憶はおろか、家族の有無さえわからない。
 だからこそこうして、学園都市の片隅で、家族のように暮らせることが、3人にとって、大切な絆のように感じていた。

 ファミレスを出た時には既に雨は止み、暗灰色の雲は頭上から消えていた。
 青白地に、刷毛で塗られたように白灰色の雲が残り、七色の浮橋が学園都市の空に架かっている。
 ビルの合間を通り過ぎる風が、あちこちにぶら下がる、銀色の滴を黒く塗られたアスファルトに叩きつけていく。
 道端の水溜りに波模様を作りながら、吹き過ぎる流れは空気中の湿り気を減らしつつ、軽やかに人々の頬を撫ぜていった。
 雲の間から顔を覗かせた、金赤色の日に照らされて、黒い影が行き交う人々の足元を交差する。
 そんな日常の何気ない風景を目にして、美琴の胸に、寂寞とした思いが去来した。

「ね、晩御飯のお買い物して帰りましょ!」

 美琴は寂寥感を振り払うように、わざと明るく振舞い、左手で愛しい人の手を、右手で守りたい人の手を引っ張って歩き出す。
 いつもは上条を挟んで、左右に別れて歩くことが多いが、なぜか今日だけは、自分がこの2人の手を繋いでいたいと思った。
 上条もインデックスもそんな美琴の様子に、互いに笑みを交わすと、その手を引かれていく。
 3人はいつしか歩調を合わせ、手を取り合って、ゆっくりと陽の当たる道を歩いていった。


 次の休日、早朝から美琴と白井は、大忙しだった。
 その日、彼女達はピクニックのために、寮の調理室で、お弁当用のサンドウィッチ作りに精を出していた。

「お姉様、本当によろしいですの?」
「だから良いって言ってんでしょ。たまには黒子も一緒に遊びたいと思ってるんだから。それよりこんな朝早くから手伝わせちゃって……」
「お姉様のためなら、この白井黒子、喜んでお手伝いだろうが、お供だろうが致しますわ。けれども上条さんもご一緒というのは、ちょっと複雑な気持ちですの……」
「ごめん、黒子……」
「お姉様、わたくしとて上条さんを認めていないわけではありませんの。ただ……」

 サンドウィッチ用のパンに、具を挟む作業を続けながら、美琴は一瞬落胆するも、その後の黒子の言葉に、思わず頬がゆるむ。
 そんな美琴の反応に、やれやれ、といった感じで、白井が苦笑を浮かべる。
 ただの後輩に過ぎない自分の気持ちにさえ、きちんと向き合ってくれる美琴の事を、白井は素直に尊敬している。
 出来上がったサンドウィッチを包みながら、白井は美琴に対して、これまでに味わっていた寂しさへの仕返しに出た。

「あまり目の前でいちゃいちゃされるようでしたら、たとえお姉様といえども、ジャッジメントとして取締りますの」

 わずかの照れ隠しと、ちょっとした嫉妬も込めた軽口。

「あああ、それは大丈夫だから。出来る限りそれは控えるから、ね、ね」

 ちょっとあわてたような口調でも、互いに笑顔は絶やさない。
 2人の間の、ちょっとしたいつものやり取り。
 そんな些細なことでも、お互いを思いやる彼女達には大切なこと。

(わたくしもたまには、お姉様に構っていただかないと、寂しくて死んでしまいますのよ)

 されどそんな思いさえ口に出せない彼女は、やはり美琴と同じタイプの人間なのかもしれない。

「――お姉様はTPOさえ弁えて下さればそれでよろしいですわよ」
「わかってるわよ。それと今日はね、インデックスのためのピクニックなのよ」
「インデックス……さんって、上条さんといつもご一緒のシスターさんですの?」
「そう。ちょっと理由あって、当麻と同居してるんだけど……」
「理由は……わたくしには教えては頂けないのでしょうけど、お姉様が納得されておられるのなら、黒子は構いませんの」

 いつも無条件に自分を信頼してくれるこの後輩に対して、美琴なりの感謝と労わり、愛情を伝えることを惜しまない。
 たまに、いや、いつもの変態的なスキンシップは別、なのだが。

「ありがとうね、黒子。いつも私と当麻ばかり楽しい思いをしちゃって……」
「お姉様、手が止まってますわよ。――ところでいったい何人分用意すればよろしいの?」

 目の前に積み上げられるサンドウィッチの山に呆れつつも、上条さんは、こんなに食欲旺盛なのでしょうかと黒子は呟く。
 そういえば、放課後はいつも、タイムサービスがどうのとおっしゃってましたし、よくお腹も空かせていらした覚えがありますわ、と思った。
 やはり、育ち盛りの殿方の食欲というものは旺盛で、だからお姉様の買い物が、あれ程大量になるのですわね、と勝手に想像していた。
 それが間違いとわかり、上条の境遇と、美琴の献身を理解するまで、あとわずか。

「これでやっと完成かぁ。これだけあればさすがに足りると思うんだけどね」
「今日の参加者は何人ですの?」
「私と当麻、それに黒子とインデックスの4人だけど?」
「たった4人のピクニックに、なぜバスケットが3つも必要になりますの?」
「――そのうち2つは全てサンドウィッチよ……」

 お姉様、また何か問題が?と言いたげに、白井が美琴の顔を見つめる。
 そんな白井に、いずれわかるわよ……と美琴の顔がこわばった。

「お姉様。いずれにせよ、そろそろ撤収を急ぎませんといけませんわ」
「そうだったわね……」

 調理室でのやりとりに、他の寮生が気付いて注目を浴びるのは避けたい。
 準備と片付けを無事に済ませて、2人は部屋へ戻っていった。
 もちろんバスケットは、白井のテレポートで部屋まで全て転送済みである。

「黒子、あとひとつお願いがあるんだけど……」
「この白井黒子、お姉様のお頼みとあらば、たとえ火の中水の中、ですの」
「このバスケット、全て当麻に背負わせて欲しいんだけど……」
「もちろんですのおおおおお!!!!!」
「――帰りは黒子、お願いね」
「お姉様あああああああああ!!!!!」


  ◇  ◇  ◇


 常盤台中学女子寮前バス停での一幕。

「美琴センセー、上条さん、質問があります」

 つい先程、白井の能力で、いきなり背中に荷物をテレポートされた上条だった。

「質問は一回だけね」
「上条さんは、なぜ1人でこんな山のような荷物を背負っているんでせうか」
「とうま、女の子に重い荷物を持たせる気なの?」
「上条さん、少しは殿方の甲斐性というものをお見せなさいな」
「それで、何か言うことある?当麻」
「ございません……さすればこの愛玩奴隷上条当麻、見事そのお役目を……ああっ」

 踏ん張った拍子に、道に転がっていた空缶を踏んづけて、後ろへ倒れんとする上条。
 あわや大惨事かと思われたとき、すかさず白井が、上条の背負う大切な荷物をテレポートさせた。
 後ろ向きにひっくり返った上条は、腰と背中を思いっきり地面に打ちつけていた。

「――痛ててて、不幸だ……」
「さすが黒子ね。おかげで荷物が助かったわ」
「おべんとうが無事で、よかったんだよ」
「お2人とも、気遣う対象が違うと思いますの」

 思わぬ人物から、思わぬ言葉が聞かれて、上条はちょっと嬉しかった。

「白井……」
「だけどわたくし、気分がすっとしましたのよ」
「天国かと思ったら地獄でしたのよ、チキショー」

 やはり上条は不幸だった。

「ほらほら、バスが来ましたわよ」

 そう言って白井が、テレポートで荷物をバスに載せる。

「早く乗るんだよ」
「さっさと来ないと置いてくわよ、当麻」
「美琴までスルーかよ、くそう」

 誰か俺を、地獄の底から引きずり上げてくれないかと、ちょっとだけ思った上条さんでした。


  ◇  ◇  ◇


 第21学区の自然公園に着いた上条らは、入口を入り、木立の中をゆったりと歩いて行く。
 頭上にそびえる木々の、常盤色に茂る枝葉が、無数に重なり、初夏の強い日差しを遮ってくれている。
 木漏れ日が、スポットライトのように木の幹を照らし、その光が、根元から伸びる若い枝葉を浮かび上がらせる。
 木蔭が黒く色をつける、アスファルトの通路の先に雑木林が続き、その奥に白く靄のような陽が差し込んでいた。
 時折吹く風が、緑の匂いを撒き散らしながら、ひんやりとした空気を運び、陽に照らされて熱せられたそれと攪拌していく。
 たっぷりと覆われた、萌黄色と木賊色の入り混じる芝生の上に、同じように訪れた学生たちの姿が、ちらほらと見えている。
 微かに鼻腔をくすぐるような青く澄んだ大気が、体の細胞の一つ一つに染み渡り、生き返るような心地さえ感じさせた。
 さわさわとそよぐ木葉の擦れる音と、広場から聞こえる人々の声が、ハーモニーとなってこだまし、子守唄のように心地よく聞こえている。

「このあたりでいいかしら」

 ひとり先を行く美琴が、上条らに向かって笑顔で振り返った。
 彼らの前の横たわる貯水池には、色とりどりのボートが浮かび、その向こう岸の木立から学園都市の高いビルが見え隠れしている。
 池の手前に広がる暖かな芝と、爽やかな風が交差する小さな広場の片隅。
 そこは頭上に大きな木の枝葉が広がり、ともすれば焼け付くように感じられる初夏の陽光を遮って、快適な空間を作っていた。

「この場所、なかなか良いんじゃねぇの」
「でしょ」

 美琴が、持参したピクニックラグを地面に広げた。
 上条は、背負ってきたバスケットをその上に降ろし、ふぅと一息ついた。

「ご苦労様」

 美琴が笑顔で上条を労わりつつ、バスケットの1つからペットボトル飲料を取り出して手渡した。
 上条はそんな彼女の笑顔に応えるよう、にこやかに彼女へ微笑み返す。
 2人の笑みが互いの胸中を披瀝させる。互いの視線が交錯し、ほんのりと頬を染める上条と美琴。
 どうってこと無いから…と小声で呟きながら、上条はボトルを受け取り、キャップを開けて一気に飲み干した。
 そんな2人の様子に、インデックスと白井は顔を見合わせ、やれやれとばかりに肩を落とした。

「くろこ、やっぱりとうまはとうまだったんだよ……」
「インデックスさん、お姉様もやはり、お姉様のようですの……」

 どうやらここへ来るまでに、インデックスと白井は、相通じるものがあったらしい。
 2人の意気投合振りに、上条も美琴もほっとするが、その言葉の意味まではわからない。

「な、なんだよいったい……」
「なによ、2人とも……」

 赤くなった顔を見合わせ、ぶつぶつ言うだけの照れ隠しが微笑ましい。
 とその時、周囲を見渡していたインデックスが、気を取り直したように、上条に訴えた。

「とうま~とうま~!私、ボートに乗ってみたいんだよ!」

 彼女の視線の向こうに、貯水池のあちこちに浮かぶ手漕ぎボートとスワンボート。
 陽の光が湖面に反射して、銀色に輝く鱗のようにうねっている。

「よし、乗るか……と言いたいところなんだが……」

 何事か言いよどむ上条に、皆の視線が集まる。

「俺が乗るとひっくり返りそうで……」

 それを聞いた3人は、ああ、と言って納得したが、美琴がふと、あることに思い至る。

「でも当麻の不幸って、直接誰かを巻き込むこと、あったっけ?」
「それはちょっと覚えがないな」
「なら大丈夫でしょ。女の子を巻き込むなんてことはないよね?」
「――善処します」


 上条は、貯水池に浮かぶボートを、ゆっくりと漕ぎながら、周りの風景を眺めている。
 水温む季節になり、水面を渡っていく風が、実に気持ちよく感じられる。紺碧の空には雲一つなく、これから気温も上がり、汗ばむ陽気になるものと思われた。
 やっほーと声をかけて、上条の漕ぐボートを抜き去っていくスワンボートを漕いでいるのは、美琴とインデックスだった。
 おう、と手を上げて答える上条の前には、同じく彼女らに手を振り返す白井が乗っていた。
 万が一、上条がボートを転覆させても、白井ならテレポートで無事逃げられるから、というのが一番の理由。
 最初は白井も、お姉様と一緒が良いと渋っていたが、美琴に説得されて、最後はやむなく首を縦に振った。

「――ったく、まさかこうして上条さんとボートに乗る日が来ようとは、夢にも思いませんでしたわ」
「俺だって、本当にそう思うよ……」

 そんな白井の言葉に、上条は苦笑いを浮かべて、慎重にオールを動かしている。

「これもお姉様からのお願いだからこそ、わたくしがこうしているのを忘れては困りますの」
「はいはい、上条さんもわかっておりますってばよ」

 そう言ったあと、上条は何か気が付いたように、ふっと白井の顔へ笑みを向ける。

「なにか可笑しなことでもありますの?」

 そんな上条の表情に、ふとあの残骸(レムナント)をめぐる事件で見た、彼の横顔を思い出した。

「いや、白井ってさ……」

 周囲のボートの様子を窺いながら、上条がゆっくりと、オールを漕ぐ手を止めた。
 どこかからかうようで、それでいて、はにかみながら言葉をつなぐ。

「もしかして……男と2人でボートに乗ったのは、初めてか?」
「ちょっ……、あ……貴方、い……いきなり、な……な……何を言い出すかと思えば!レ……レディーに対して、し……失礼ですのよ!」

 白井の顔が急に意識したように赤くなった。
 どぎまぎと目が泳ぎ、もごもごと口ごもる。

「あー、やっぱりそうだったか?」

 上条がちょっと照れたような顔をする。思った以上の白井の反応に、戸惑っているようにも見えた。

「実はさ、俺も女の子と乗ったの、初めてなんだ……」

 彼女はそんな上条を目にして、気持ちを落ち着かせるように、はぁぁと息を深く吐いた。
 ご自分の言葉に無自覚でおられると、お姉様がいつもやきもきしますの、とぽつり呟く。
 そんな呟きさえも上条には届いていないようだ。

「――お姉様に聞かれたら、わたくし、無事に済みそうにはありませんわよ」
「俺もだよな……」
「くれぐれもお姉様には内密でお願いしますの」
「おう、2人だけの秘密ってヤツだな」

 屈託のない笑顔で、上条は彼女に片目を瞑ってみせる。
 その笑顔と、あの時、上条に抱えられて見た彼の顔が、白井の脳裏で重なった。


「――上条さん、そんな誤解を招くような発言は控えてくださいまし……」

 その瞬間、白井はなぜか、胸の中にチクリと痛みを感じたような気がした。
 それが何かは分からないものの、目の前の男はあの時と同じように、今も彼女の手の届かない所にいることだけは感じられる。
 敬愛するお姉様がその手をとって、先へ進もうとする殿方。自分を置いて、その背中を追いかけて行こうとする殿方。
 白井はぼんやりと、目の前の男の、あの時の言葉を思い出していた。

――御坂美琴とその周りの世界を守るって約束しているんだ……

「――白井……美琴のこと、いつもありがとうな」

 上条から発せられた思いがけない言葉に、白井が我に返る。
 湖面を渡る風が、彼女の二つに結んだ髪をふわりと揺らし、空へと巻き上げていく。
 上条の目が、優しく自分を見ているのに気が付いた。

「いきなりなんですの?」

 真直ぐその目に見つめられると、胸の高鳴りが押さえられない。
 生まれて初めて味わうこの気持ち。
 かぁっと頭に血が上っていくのが、自分でもわかる。
 この男は、やはり危険人物だと本能が告げている。

「門限とかさ、外泊のこととかさ、美琴のヤツ、お前に迷惑かけっぱなしなんだろ」
「それは一向に構いませんのよ。わたくしがお姉様のために、好きでやっていることですから」
「そうだよな。お前ならそう言うと思ったよ」

 上条が、にこりと笑う。

(ああ、お姉様は、貴方のその笑顔が見たいが為に、一生懸命なのですのね)

 その笑顔が白井にはとても眩しくて、とても見ていられないように感じ、思わず湖面へと視線を落とした。
 ボートが波に揺さぶられ、視線の先が定まらない。
 世界が眩暈を起こしたように感じられ、彼女はこのまま目の前の男に縋りたくなる誘惑に駆られた。
 波と一緒に心が揺れて、その誘惑に身を委ねようかと思った瞬間、白井は不意にその目を覚まされた。

「――俺、お前だから聞けるんだけどさ。一つ教えて欲しいことがあるんだ……」

 上条の突然の問いに、白井が顔を上げて上条の顔をじっと見つめる。
 いつの間にか、彼の目が彼女を見つめていた。

「なんですの?上条さん……」
「俺は、あの時の約束……今も、守れているか?」

 それまで見たことがないような上条の真剣な目付きに、内心を見透かされたように感じた白井の表情が、さっとこわばる。
 波がボートの横腹を叩く音。
 湖岸から聞こえてくる人の声。
 歌うように流れる鳥の声。
 それまで聞こえていた音が、彼の言葉にかき消され、白井の耳から消えていく。
 じっと見つめてくる上条の、漆黒のような瞳から、彼女は目を逸らすことができなかった。

「――御坂美琴とその周りの世界を守れているか?」


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