とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

Part12

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だれでも歓迎! 編集


小さな恋が終わるとき


「え?」
 ゆっくりと上条から離れようとしていた吹寄だったが、後ろで上条の大声が聞こえたため、思わず足を止めていた。
「ミ、サカ……?」
 嫌な予感を覚えながら吹寄は上条の方を振り向いた。
 するとそこには上条と、気まずそうな表情で彼に近づいている一人の女子中学生、御坂美琴の姿があった。



 上条は上機嫌で美琴に話しかけた。
「奇遇だな、御坂。何やってんだ、こんなとこで?」
「な、何って、その、ショッピング……一人で……」
 対する美琴はなぜか歯切れが悪い。ごにょごにょと呟くような調子で上条に返事をしていた。
 そしてきょろきょろと彷徨って安定しない彼女の視線は、明らかに上条の隣に向けられていた。
 そのことに気づいた上条は横を向く。
 そこには戻ってきていた吹寄がいた。

「……ああ、そうか」
 吹寄と美琴を交互に見た上条はぽんと手を打つと二人のちょうど間に立ち、美琴の方を向いた。
「えっと御坂、この人は吹寄制理。俺のクラスメイトだ。今日俺がここにいるのは、この吹寄の買い物に付き合ってたため。な、吹寄」
 上条に紹介された吹寄は、美琴をじっと見た後でぺこりと頭を下げた。
「はじめまして、吹寄制理よ。上条のクラスメート。よろしくね、えっと……」
「でもってコイツが御坂美琴。俺の……友達だ」
「トモダチ……」
 上条の紹介を聞いて、美琴は思わず友達という言葉を口にしていた。
 その声を聞いた上条の顔がわずかに引きつった。
「ん? 御坂、その、怒ったのか? 俺、お前のこと友達だと思ってたんだけど……」
「へ? べ、別に怒ってないわよ、そんな。ただ私って、あんたに友達だって思われてるんだと思って」
「友達、だろ? 違うのか?」
「う、ううん、友達でいい。うん、ありがとう……」
「? そ、そうか、よかった」
 美琴に友達だと認めてもらった上条の顔に笑顔が浮かんだ。
 対して美琴の方の本心は決してそうではなかった。

――なんでだろう。なんか、嬉しくない。

 本来なら嬉しいはずなのに、なぜかあまり嬉しくなかったのだ。



 上条の自分に対する認識を、会う度にいつも突っかかる「知り合い」から「友達」に変える。それが、ここ最近の美琴の目標のはず。
 そのために彼女は色々と努力してきていたのだ。
 それが今日、やや拍子抜けという形ではあるがその目標が達成された。
 これは非常に喜ばしいこと、嬉しいことのはずである。
 なのに。
 美琴は嬉しいとは感じていなかった。
 いや、むしろ嬉しいどころか、上条に「友達」と呼ばれることを辛いと感じていたのだ。
 なぜそんなことを思うのかはわからない。

 だが一つだけ今の美琴にもハッキリとわかることがあった。
 自分が上条に呼んでもらいたい言葉は「友達」ではない。
 それは別の「何か」。
 それだけは、絶対に確かであった。



「あの、あのね、アン――」
 そんな想いを抱えながら、美琴はなんとか上条と会話を続けようと声を出そうとした。
 しかし、
「ねえ、ごめんなさい」
 美琴の言葉を遮る声があった。
「え?」
「ミサカさん、だったわよね。あなたに聞きたいことがあるの、いいかしら?」
 それは吹寄制理の声だった。
 彼女は遠慮がちに、だがハッキリとした口調で美琴に声をかけていた。心なしか何か気合まで入れているようである。

「なん、ですか?」
 吹寄の気合に若干圧されながら美琴は吹寄の方を向いた。
 吹寄は気合いを入れたまま言葉を続けた。
「ごめんなさい、ぶしつけな質問で申し訳ないんだけど教えてくれるかしら。御坂さん、あなた、カエルは好きかしら?」
「カエル、ですか? えっと、あんまりああいうヌメヌメした両生類は……」
 美琴は図鑑などに出てくるリアルなカエルを脳裏に思い浮かべながら答えた。
 しかし吹寄はパタパタと手を振って美琴の想像を否定した。
「あ、違うの。そういうリアルなカエルじゃないわ。ああいうのが好きな女の子って、あんまりいないと思うし」
「そうですか、じゃあ?」
「カエルっていっても、ああいうのじゃなくて、キャラクターグッズのカエルのことなの。確か……ゲコ太、とかいったかしら?」
「ゲコ太!?」
 ゲコ太の名前を聞いた美琴は、条件反射的に吹寄に向かって詰め寄った。
 その反応に吹寄は思わず顔を引きつらせる。
「えっと、好き、みたいね」
「はい、大好きです! ……あ」
 やや引いてしまった吹寄の反応を見て、美琴は居住まいを正すとほんの少し頬を染めてこほんと咳払いをした。
「すいません、お恥ずかしいところを」
「いえ、そんなこと……」
 吹寄は静かに首を振る。と、同時に、吹寄は自分の心に暗い影が差し込んでくるのを理解していた。
 美琴の反応を見る限り、上条が誰のためにあのゲコ太ペンダントを買ったのかは明白だからだ。

 吹寄の心で誰かが告げる。
 これ以上は止めろ、傷つきたくないのなら今すぐこの場所から立ち去れ、と。
 しかし吹寄は止まれなかった。
 上条の気持ち、目の前の御坂美琴という少女の気持ち、そして自分の中の気持ち、全ての答えを知りたかったから。
 たとえその先に待っているモノがなんであろうとも。



 吹寄は質問を続ける。
「あと、これも教えてもらいたいんだけど、上条当麻が最近持ってきている弁当。あれ、あなたが作ってるのよね?」
「え……!」
 吹寄の言葉に美琴は目を丸くした。

 まさか初対面の人間にこのようなこと、しかも先程とは明らかに質の違う質問をぶつけられるとは思ってもみなかったからだ。
 と、同時に、会ったばかりの自分を上条の弁当の制作者だと見抜いた目の前の吹寄制理という女性に対して、言い知れぬ不安感を覚えてもいた。
 まだ彼女の目的や考え方はわからない。けれど、何かが胸に突き刺さるような、そんな気配を彼女から感じていたのだ。

 油断してはいけない、きっと彼女はもっと衝撃的な何かを言ってくる、美琴がそう思ったそのとき、
「それから、上条がこの間デートした相手。それも、あなたなのよね?」
「…………!」
 吹寄はまごう事なき爆弾を美琴に投げつけてきた。

 驚きのあまりしばらく口をぱくぱくと動かしていた美琴は、ふいに何かを思い出したかのように上条をにらみつけた。
「あ、アンタ……!」
 しかし上条の反応はない。
 上条もまた、美琴と同じように呆然とした様子で口をぱくぱくと動かしていたからだ。しかもこちらは美琴と違って未だ復活する様子を見せない。
 驚いていたのは美琴だけではなかったのだ。

「…………」
 二人の様子を交互に見た吹寄は、ごくりとつばを飲み込んだ。
 冷や汗が額にじんわりと浮かんでくるのがわかる。
 これでハッキリとわかった。
 上条当麻が先日デートをし、その心の内を知りたいと思った女性は、間違いなく目の前にいる少女、御坂美琴だ。
 しかも、その確信を裏付けるかのように――。

「アンタね! な、なんでこの女が、その、わたわたたしがアンタとデートしたこと、ししし知ってるのよ!」
「いや、その、誤解だって! 俺は吹寄にちょっと相談しただけで、別に相手がお前だなんて、これっぽっちも言ってねーんだから!」
「はあ? そもそもそこが間違ってるでしょうが! 相談って何よ! 私とデートするのに、何他の女に相談することがあるってーのよ! 私に直接聞けばいいでしょう!」
「直接聞けるんなら苦労しねーだろうが、誰だって!」
「私に聞けないようなことを他の女にしたっての、アンタは!? 最低! スケベ! 鈍感! 女ったらし!」
「途中から俺への文句になってるじゃねーか、しかも全部冤罪だし!」
「うるさい、黙れ、色魔!」
「無実だって言ってんだろ!」
 美琴といつの間にか復活した上条は口ゲンカを始めていた。

 もちろん、これだけなら単純なケンカと捉えることもできる。
 しかしもう、さすがに吹寄は気づいていた。これがただのケンカではないことに。



 なぜなら、口ゲンカをしているにもかかわらず、二人の目は決して憎しみに囚われていないのだから。
 むしろ互いがそのケンカを楽しんでいるような、そんな印象すら受ける。
 そして今まで上条が時折見せていた、意味ありげな彼の目の正体もようやくわかった。

 それは上条が美琴を見る目。
 弁当を見ているとき、ゲコ太ペンダントを見ているとき、そして、吹寄に詰め寄られて美琴について語っているとき。
 それらの時とまったく同じ目。
 上条当麻という一人の男性が、御坂美琴という一人の女性について考えているときのみ見せる目。
 優しく、穏やかで、大切なものを慈しむ、そんな感情に溢れた目なのだ。

 上条が学校生活を送る中で誰に対しても向けたことのない、そんな目。
 それはつまり、上条当麻が御坂美琴をたった一人の特別な存在として捉えている、ということに他ならない。



 それは同時に、吹寄制理が上条当麻の特別な存在として選ばれないことをも、意味する。



「…………!」
 そこまで考えたとき、吹寄は思わず自分の胸に手を当てていた。
 それは恐れていたことが現実となった瞬間だった。



 吹寄は自分の呼吸がどんどん荒くなってくるのがわかった。
 額や首筋にも汗がにじみ、胸に当てた掌は既に汗でぐっしょりと濡れている。
 ドクン、ドクンという心臓の音がいやにハッキリと聞こえてくる。
 口の中が妙に乾いてきて、喉の奥が張り付くような感じまでする。
 吹寄は今、軽い興奮状態にあった。
 しかし心地のいい興奮では決してない。
 不安で、嫌で、何もかも無しにしたくなるような、それくらい気持ちの悪い興奮だった。

 なぜなら吹寄は今、決して知りたくない己の感情に気づいてしまったのだから。
 それは、心の奥底に閉じこめておくべきだったもの。
 それは、何もしなければ知ることがなかったかもしれないもの。
 それは、上条が自分ではない他の女性に惹かれていると理解したとき、彼が自分のモノにならないとわかったときにようやく自覚できたもの。



 それは、吹寄制理が、上条当麻を、好きだという感情。



 自らの想いを自覚した吹寄は、未だ目の前でケンカを続けている上条たちを無意識ににらみつけていた。
「ね、ねえ」
「ん? あ、ああ悪い、吹寄」

 しばらくにらみ続けた後、何かしら話しかけようとして口を開いた吹寄に気づいたのは上条だった。
「そういやお前、具合悪かったんだったな。悪かったな、引き留めて」
 上条は美琴とのケンカを止めて吹寄に頭を下げた。
「それでまた聞くんだけど、本当に寮まで送って行かなくていいのか?」
 上条の申し出に吹寄は再び首を横に振ると、努めて冷静な口調で言葉を発した。
「本当にいらないって言ってるでしょ。もう、だいぶ治ったし。後は帰るだけよ。今日は付き合ってくれて、本当にありがとうね」
「気にするなって。じゃあな吹寄、また明日」
 上条はそう言って片手を上げた。

 吹寄はそんな上条の行動に対してぺこりと頭を下げた。そのまま頭を上げず、表情を見せないまま吹寄は上条に背を向ける。
「そう……そう。ねえ、上条当麻」
「?」
「……さよなら」
「ああ、また――」
 上条は吹寄に手を振ろうとした。
 だが吹寄はそんな上条に目をやることも彼の言葉を聞くこともなく、上条達の前から早足で去っていった。
 上条に認識できたのは酷く寂しそうな背中と、後ろを振り返る寸前にほんのわずか見えた吹寄の表情だけだった。
「…………」
 吹寄の背を見ながら、上条はなぜだか自然と唇を噛みしめていた。



 しばらく歩き続け、大通りから外れた場所まで来た吹寄は、チラと後ろを振り返った。
「…………」
 そこに誰もいないことを確認した彼女は、はあ、とため息をついた。
「やっぱり、ダメだったみたいね……」
 吹寄は再び歩き出した。しかしそのスピードは明らかに今までよりも遅くなっていた。

「わかってたんだけど、やっぱりちょっとは期待してたんだなぁ。あたしにそんな、乙女チックなところがあったなんて」
 とぼとぼと歩きながら吹寄は一人呟く。

「単純な上条のことだから、思わせぶりなことしたら追いかけてきてくれるかな、とも思ったんだけど」
 そう言って自嘲気味に笑う。



 上条と別れるときに吹寄が辛そうな顔をしていたのは、もちろん本心からではあったのだが、実はほんの少しだけ演技が入っていたのだ。
 それは泣いている者、困っている者を放っておけないという上条の性格を利用した演技。

 上条の本音を察し、同時に自らの想いを自覚した吹寄は確かにその想いを諦めようとした。しかしだからといって、ようやく自覚できたその想いをすぐに諦められるわけではなかった。
 だから吹寄は一つの賭けをしたのだ。
 辛そうな、泣きそうな顔をした自分のことを、上条が追いかけてきてくれるか、という賭けを。
 もしこの賭けに勝つことができれば、自分にもまだチャンスがある。
 美琴が側にいるにもかかわらず、それでも自分を追いかけてきてくれるのであれば、上条を振り向かせることができる余地があるかもしれないからだ。
 けれど上条が追いかけてこなければ、そのときは潔く諦めるしかない。
 悲しんでいるであろう自分よりも、側にいる美琴を優先したということなのだから。

 結果、吹寄は賭けに負けた。

 上条は、吹寄を追いかけてきてはくれなかった。
 それは困っている人を誰であっても放っておけないはずの上条が、美琴が側にいるときだけは別の対応を取ったということになる。

 上条が、それだけ美琴のことを大切に想っているのだということ。



 これが、吹寄が知ろうとし、知ってしまった、答えだった。



「あーあ、恋すると同時に振られました、か。仕方ない、のかもしれないわね」
 吹寄はうん、と伸びをして空を見上げた。
 憎らしいほどに雲一つない快晴だ。
 太陽は地球へ光を供給するという営みを黙々と続け、その光は誰にでも、どこにでも公平に降り注いでいた。
 どこかしら無機質で味気ないはずの学園都市の街並みを照らす秋の日の光。
 何かの意思によるものなのだろうか、吹寄の寮に向かう道はその光を浴び、まるで一つの道標になるかのように白い輝きに包まれていた。
 あと十分もすれば太陽も動き、この輝く道は消えて無くなるのだろう。
 今この瞬間、この場所にいる吹寄制理という少女にだけ手渡された、太陽からの嫌みたらしい贈り物。
 こんなものに何の意味があるのだろう、自分には見せなければいいのに。
 いや、いっそのこと曇り空で光などまったく見えなければよかったのに。
 そうすれば、少しは感傷に浸れるかもしれなかったのに、と吹寄は残念がる。

 吹寄は以前屋上で上条が美琴について語っていたことを思いだした。
 上条が語っていた御坂美琴とは夏頃出会い、何かにつけて文句を言いながらそれでも絡んでくる、そんな女の子だったはずである。
 そんな関係だったにもかかわらず、美琴は徐々に上条にとってどこか気になる女の子になっていき、やがて二人はデートをするような仲にまでなっていった。
 これが吹寄の記憶している御坂美琴像。
 あたしに性格、ちょっと似てるかも、と吹寄は独りごちた。

「確か夏頃出会ったって言ってたわよね、あの御坂さんって人とは。じゃあ、新入生の時から顔を知ってるんだから、あたしの方が先に会ってるんじゃない……まぬけ」
 吹寄はこつんと自分の頭をこづいた。
「出会ったのはあたしが先、上条のことを気に入らなかったのも、おそらくあたしが先。だけどどこか気になるから、難癖付けて絡むようになったのも、やっぱりあたしが先。けど……」
 吹寄はグスッと鼻をすすった。
「好きになって、いっしょにいられるように頑張ったのは、あの子の方がずっと先。だから上条は誰よりもあの子のことを想うようになった。そりゃ勝てるわけ、ないわよね!」
 吹寄は鼻の頭を指で押さえた。鼻の奥がツンとなり、嫌な気分になってきたからだ。

「終わり終わり! みーんな終わり! さ、帰ろ帰ろ!」
 もう一度伸びをしてやたら通る大声を出した吹寄は、腕をぐるぐると回しながら今度は元気に歩き出した。

「最初で最後の上条とのデート! だから今日は家に帰るまで笑顔でいる! わかったの、吹寄制理!」
 まぶしい空を見上げながら吹寄は歩き続ける。
 そうしなければ、必死で堪えている涙が頬を伝ってしまうかもしれないから。



「…………」
 その頃、しばらく黙って唇を噛んでいた上条は、急に思い立ったかのように美琴の方を向いた。
「悪い御坂、用事ができた」
 その言葉に美琴は、はっと息を呑む。
「え? それって、あの吹寄さんっていう女の人の、所に行く、の? あの人が、気に、なるの?」
 明らかに動揺を含んだ声。いや、むしろ今の美琴の声には動揺しかない、そう上条には感じられた。
 しかし上条はあえてそのことを意識の外に置いた。

「気に……そうだな、気になるな。うん、気になる。初めて会ったからお前は気づかなかったろうけど、吹寄って普段はあんな感じじゃないんだ。俺に対してもっときついって感じで。でも今日はそんな感じはほとんどなかった」
「あの女の人、今日は、どんな感じだったの?」
「なんつーかな、当たりが柔らかかったっていうのかな。とにかくあんなに怒らない吹寄は初めて見た」
「そう。普段怒ってばかりの人が、アンタと買い物に来た今日だけは、怒ったりしなかったんだ……」
「だから逆に気になるんだ、なんかあるんじゃないかって。ま、余計なお世話かもしれないんだけどな」
 お節介するなって怒られるかもしれないな、と上条は困ったような笑みを浮かべた。
「けどさ、やっぱクラスメートだし心配なんだ。それに、そんなことよりも一番気になるのは……」
「気、になる、のは……?」
「吹寄の奴、こっちをまともに見なかったろ。なんか、俺に表情を見せたくないみたいな感じがして。けど、ちらっとだけ見えたアイツの顔、なんかスゲー辛そうだったんだ。泣いてたかもしれない。だから……」
 上条はぽんと美琴の肩に手を置くと、くるっと美琴に背を向けた。
「悪いな御坂、会ったばっかなのに。俺、吹寄追いかけてくる。何もできないかもしれないけど、黙って見過ごすのはやっぱ俺らしくないからな」
 そう言うと上条は、吹寄が去っていった方向をキッとにらみつけた。
「…………!」
 その瞬間、美琴は目の前が真っ暗になったような錯覚に襲われた。



 上条の言葉から断片的に得られる情報、そしてあの吹寄制理という女性の態度からして、彼女が上条にどのような感情を抱いているかは初対面の美琴にもすぐわかった。その感情に気づいていないのはおそらく当事者である上条本人だけではないだろうか。
 さらに、彼女が身を引くためにこの場を立ち去ったこともなんとなくわかった、おそらく自分達の関係を誤解したのだろう。
 さながら、先日美琴が上条の家を訪れたときと同じような状況ではないだろうか。インデックスを美琴に、美琴を吹寄に置き換えればいいだけである。
 あのときと同じなら、上条のこの後の行動も自ずとわかってくる。
 泣いている人、辛い思いをしている人を見捨てられない上条のことだ、相手の気持ちなんてまるで無視して必死に励ますのだろう。
 そんなことをされたら、きっと吹寄は身を引くことなど考えなくなるに違いない。

 まさに、あのときの自分と同じように。

 あのときは自分が上条に助けられる側だったから良かった。
 けど今は、自分以外の女性の心を救おうとする上条を見送る立場になってしまっている。

 それは嫌だった。
 絶対に納得できなかった。
 以前の自分ならそれが上条の性分なのだからと諦め半分で納得していただろうが、今の自分にはできなかった。

 頭ではずるいとわかっている。
 先日の件ではインデックスは我慢して上条が自分を助けることを許可したのに、なぜ自分に同じことができないのかと、自分で自分を責めてもいる。
 けれどどうしてもできないのだ。
 上条を行かせてはいけない。
 上条を今の吹寄に会わせてはいけない。

――今、コイツを行かせれば、私は、大切なものを永遠に失ってしまう!



 気がついたときには美琴は上条にしがみついていた。

「み、御坂? お前、何やって――」
「ダメ」
「へ?」
「行っちゃ、ダメ」
「はい?」
「だから、行っちゃダメなの。行かないで」
「いや、でも、吹寄の奴が――」
「行かないで。行っちゃイヤ……行っちゃ、嫌だ――――!!」
「…………!」
 美琴は上条にしがみつき、彼の背中に顔を押しつけたまま叫んだ。
 その声を聞きつけて、彼らの周りに徐々に人が集まってきだした。
 上条は小さく舌打ちして美琴を背中から無理矢理引きはがすと、彼女の手を引っ張って走り出した。
「御坂! とにかくこっち来い!」



 上条は公園の入り口付近のやや通りから外れたところまで美琴を引っ張ってくると、荒い息をつきながら手で額の汗を拭った。
「何やってんだよ、お前……」
 上条は美琴に文句を言うが、美琴はうつむいたまま何も答えない。
「それはそうとして、手、離せよ」
 しかもしがみつくのは止めたものの、上条の右手をしっかりと握って離さない。

 上条は仕方なく美琴と手を繋いだまま彼女に話しかけた。
「なあ御坂、いったいどうしたんだよ」
「…………」
 やはり美琴は何も答えない。
「ダメとか、行っちゃ嫌だとか、そんなことだけじゃわけわかんねーよ、俺だって。なあ、もう少しちゃんと言ってくれ、よ……」
 上条は言葉を詰まらせた。確かに美琴は何も喋ってはいないが、首を小さくずっと横に振り続けていることに気づいたからだ。

 上条はもう一度、今度はできる限り優しい口調でゆっくりと美琴に声をかけた。
「御坂、お前、俺が吹寄を追いかけることが、嫌、なのか?」
「…………」
 その途端、ビクッと体を震わせた美琴はやがてゆっくりとうなずいた。
「絶対に、嫌なんだな?」
「…………」
 美琴は再びうなずいた。

 上条は左手で頭をぽりぽりとかくと、大きく大きくため息をついた。
「御坂、顔を見せてくれ」
「…………」
 今度は美琴は首を横に振った。
「じゃあ俺、どんなことしてでも吹寄追いかけるぞ」
「…………!」
 上条の最後通牒に、ようやく美琴はおずおずと顔を上げた。
 その顔を見た上条は言葉を失った。
 上条の目の前にいた美琴の顔は、真っ赤で、歪んでいて、瞳には涙が溢れんばかりに溜まっていて、今にも泣き叫びそうなほどだったから。



 幾分予想していたとはいえ、美琴の哀しみが酷いことに上条は驚きを隠せなかった。
 また自分はそこまで美琴を哀しませるようなことをしたのだろうかと疑問に思った。

 上条は吹寄に対して個人的な思い入れは何もない。もちろん、下心もない。
 ただ純粋に、彼女が泣いているのであれば側に行って励ましてやりたい、そう考えているだけだ。
 だが美琴は元にこうして心の底から哀しんでいる。
 大切な何かを手放したくないかのように上条にしがみつき、今も彼の手をしっかりと握っている。

 上条は試しにほんの少し右手を動かしてみた。
 すると、美琴はぎゅっと彼の右手を握りしめた。本気で上条を吹寄の所に行かせないつもりらしい。
 そして美琴は泣きそうな表情で、それでも泣くまいとした表情で上条を見つめている。

 上条は吹寄が去っていったであろう方向を見、次に目の前の美琴に目をやった。
 吹寄の辛そうな表情が思い出されるが、目の前にはそれ以上に哀しそうな美琴がいる。
 上条の目の前には、泣いている女性が、二人いる。



――とうまの手が、たった一人の涙しか拭えないときも、あるんだよ。今はそうじゃなくても、そうなるときが、いつか必ず来るんだよ。

「…………!」
 そのとき、インデックスの声が上条の脳裏に響いた。
 先日美琴が上条の部屋を訪れたときのインデックスのセリフだ。

――そんなとき、とうまはどうするの? とうまは、誰を選ぶの?

 なおも脳内のインデックスのセリフは続く。
「…………」
 上条はギリッと奥歯を噛みしめた。

 確かにあのときとは少し状況が違うかもしれない。第一、インデックスが言う「誰」に、吹寄は入っていないだろう。
 強いて入るとするならインデックスと美琴くらいだ。
 だが今上条がおかれている状況は、まさにインデックスが言っていた「たった一人」しか選べない状況なのではないか、そう上条は思った。
 もしかすると、一人の涙を拭ってからもう一人の所へ行くという選択もあるのかもしれない。
 けれどそれはやってはいけないことだ。
 それがなぜかはわからない。
 しかし、泣いている人なら誰でもどんな手段を使ってでも全員を助け皆で笑顔になる、という自らの信念を曲げてでも、美琴と吹寄、二人のうち一人しか上条に助けることはできない。
 上条は絶対に一人を選ばなければならないのだと上条の中で誰かが告げるのだ。
 上条自身もそれが正しいことだと直感で納得していた。
 それが人間として、いや、一人の「男」として、最も誠実な行為だということもわかっていた。
 たとえ、その結果がどんなに辛いことになろうとも。



 上条は空を見上げぎゅっと目を閉じ、吹寄と美琴の顔を思い描いた。
 しかしどれだけ迷っても「どちらかを選ぶ」ということが上条にはできなかった。
 上条はブンブンと頭を振ると、もう一度人の顔を頭に思い描いた。
 今度は吹寄や美琴だけではない、インデックスや姫神や風斬、土御門に神裂、今まで出会った人を覚えている限り全員だ。
 その上で考えた。
 誰の涙を見たくないのか、自らの信念を曲げてでもその笑顔を護りたいと思う人は誰なのか、と。

 両親をも含め色々な人の顔が浮かんでは消えていき、やがて最後にたった一人だけが残った。
 それは――。

 その最後の一人、どうしても自分の中から消えなかった人物とは目の前の少女、御坂美琴だった。

 これは意外な結果なのだろうか?

 いや。
 上条はその結果を、インデックスではなく美琴であったことをも含め、半ば当たり前のように捉えていた。
 上条にとって美琴とは、本人の自覚の外でいつの間にかそこまでの存在になっていたらしい。

 結論が出た今、後は行動するのみ。
 そう思った上条だったが、ここに来てなぜか急に心臓が苦しくなってきた。
 声も出ない。
 自分の中で何か音を立ててきしみ始めている、そんな感じがしていた。
 けれど、目の前の未だ目に涙を浮かべている少女にそんな気配を察せられるわけにはいかない、そう考えた上条は左手をぎゅっと握りしめ、ごくり、とつばを飲み込んだ。



 泣いている人がいれば、いつでも、誰でも、どんなことをしてでも、その人の元に駆けつけその涙を拭い、その人を笑顔にする。
 それが上条当麻の信念であり、プライド。
 それを曲げることがここまで辛いことだとは上条自身思っていなかった。
 自分の信念を曲げるだけで心臓が痛み、声が出なくなるなんて。
 けれど上条は決めたのだ。
 自分の信念を曲げてでも、目の前の少女だけは泣かせないと。

 大きく息を吸い込んだ上条は、大声を出す。
「うわ――――!!」

 今までの信念をぶち壊し、新しい信念を自分の中に作るために。
 美琴を泣かせないという、新しい信念を。



 上条の大声にビクッと体を縮こまらせた美琴の肩に、上条はやさしく手を置いた。
「わかった。行かない。俺はここに、いる」
「え? 嘘……」
「嘘じゃねーよ。だからな、手、離してくれ」
 美琴はこくりとうなずき、おずおずと上条の右手を離した。

 上条は困ったような苦笑いを浮かべた。
「まあほんとのこと言うとな、行かないっていうより、行っても仕方ないっていうのが正解なんだ。俺、吹寄の奴にあんまり好かれてないからさ、俺が何かしても迷惑がられるだけなんだ。吹寄のことだから、俺なんかが心配しなくても、どうせ明日になったらケロッとしてるって」
「あ、あ……。で、でも、あ、アンタは……」
 上条の独白を聞きながら、美琴は歯をカチカチと鳴らしていた。
 上条はそれでも話を続ける。
「ん? それでも諦めないのが俺って言いたいのか? まあ確かにそうかもしれねーけど、たまにはこういうこともあるさ。だって俺――」
 上条はそっと親指で美琴の目尻の涙を拭うと、照れたようにはにかんだ笑みを浮かべた。
「やっぱ、お前、放っておけないし」
「ぅ、ぅあ、あぅあ……」
「だから先に言っておく。お前は何も気にするなよ。これは、俺が自分で決めたことだからな。お前が何を言おうと、俺は俺にできることを、俺の心に従って行動する。間違っても、俺の邪魔をしたとかは思うな、いいな」

「うぅう……」
 美琴は唸りながら上条の左手をそっと手に取った。
「あう、うぁ……」
 そこが汗でぐっしょりと濡れていることに気づいた美琴は、ボロボロと涙を零しながら上条を見上げる。
「……だから泣くなっての」
「う……ぅぅ……ぅわぁああぁあぁ……!」
 上条の言葉をきっかけに、美琴は上条にしがみつき、その胸に顔を押しつけた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
 美琴は泣きじゃくりながら、ひたすら謝罪を続けた。

 それはいったい誰に対しての、どのような思いからの謝罪なのか、涙なのか。
 自分のエゴのために、辛い思いをして自らの信念を曲げてくれた上条に対する謝罪なのか。
 御坂美琴という人間の存在とその人間の嫉妬にまみれた行為によって、自らの思いを諦めるに至った吹寄制理に対する申し訳なさなのか。
 あのとき、今の自分と同じ気持ちであったろうにもかかわらず自らの思いを抑え、自分に塩を送ってくれたインデックスに対する引け目なのか。
 こんな状況であるにもかかわらず、なおも上条を決して離そうとしない、そんな醜い自分自身の心に対する良心の呵責なのか。
 こんな自分であっても見捨てないで欲しいという、上条への懇願なのか。
 それとも、それら全てを含む感情なのか。

 それは誰にも、美琴本人にすらも理解できていなかった。
 けれども彼女はただひたすら言葉にできない、胸の内から溢れ出てくる感情に突き動かされるかのように謝罪を続けていた。
 ただひたすらに。



「馬鹿野郎。お前は、なんにも悪くねえ、絶対に。だからもう、泣くなよ……」
 美琴は上条の言葉を聞きながら、ますます強く彼にしがみつき泣き続ける。
「……今だけだからな。泣き止むまでだぞ」
 そんな美琴の肩を上条は遠慮がちにそっと抱き、彼女の涙が止まるまで、ただじっと黙って胸を貸し続けるのだった。



 三日後。
 登校してきた上条は、主のいない吹寄の席をぼんやりと見ながら自らの席に座った。

 上条の予想とは異なり、吹寄は月曜、火曜と学校に姿を見せていなかったのだ。
 小萌先生によると体調が思わしくないとのことだったのだが、上条はどうにも罪悪感が拭えていなかった。
 原因は自分にもあるのではないか、美琴を選んだあのときの自分の選択が決して間違いだったとは思わないが、もう少し何か冴えたやり方があったのではないか、そんな考えが頭をよぎるのだ。
 その気持ちは吹寄が一向に姿を見せないことで徐々に強くなっていた。

 そんな憂鬱な気分で吹寄の席を見ていた上条の側に、土御門と青髪ピアスがニヤニヤしながらやって来た。
「なんや、カミやん? 吹寄がいないのがそんなに辛いんか?」
「まさかカミやんが吹寄狙いだったとは思わなかったにゃー。そうか、だから他のフラグはいつも放置だったんだにゃー。……ん? これはもしかして、オッズに変動が?」
「それはまずいで。いったん返金した上でもう一度賭け直してもらった方がええんやないか?」

「?」 
 初めは無視しようと思っていた土御門達の言葉に、上条はどことなく引っかかるものを感じ、訝しげな表情になった。
「おいお前ら、オッズってなんだ?」
 そのまま上条はジト目で二人をにらみつけたが、土御門達は上条を無視して会話を続けていた。
「まあ、変動とは言っても、今まで大穴だった吹寄が一気に本命に名乗り出るわけだからにゃー、オレとしてはこの情報が学内に浸透したところで一気に掛け金をつり上げる方が得だと思うぜい」
「お主も悪よのー」
「いえいえ、お代官様ほどでは」
「わっはっはっはっは!」
 大笑いを続ける土御門達に、上条は噛みつくように立ち上がった。
「お前ら、もしかして俺を対象に博打やってるんじゃねーだろうな!」

 今にも大暴れしそうな上条の肩にぽんと手を置いた土御門は、ゆっくりと首を横に振った。
「オレ達は学生だぜい、カミやん。博打なんてお上に反する行為、やってるわけないんだにゃー」
「そうそう、あくまでカミやんをネタに遊んでるだけやで」
「うーん……」
「なぜか千円単位で現金が動いてたりはするんだけどにゃー!」
「なんでやろうなー!」
 再び大笑いを始めた土御門達に、上条の堪忍袋の緒はあっさりと切れた。
「てめーら、やっぱ博打やってんじゃねーか! しかも俺をネタに! ふざけんじゃねーぞ!」
「カミやんに迷惑はかけてないぜい!」
「せやせや!」
「精神的苦痛はガッツリ受けたんだよ、今さっき!」
「じゃあ、利益の一部を分けるからそれで勘弁だにゃー」
「うるせえ!」

「うるさいのは貴様よ、上条当麻!」
「え……!」
 土御門達につかみかかろうとした上条だったが、突然教室の端から聞こえてきた声にその動きを止めた。
 そこにいたのは三日ぶりに登校してきた吹寄制理だった。
「吹寄……」
「何よ。もうすぐ授業が始まるわよ、おとなしく席に着くこともできないくらい子供なの、貴様は?」
 上条をジロリとにらみながら自らの席に着いた吹寄だったが、上条が未だに自分を見ていることに気づいた。
「何の用?」
 吹寄が口を開いた途端、上条は本当に嬉しそうに吹寄の元に駆け寄ってきた。
「お前、身体大丈夫なのか? いや、心配したんだぜ、ほんとよかった、た、たたた……」
 急いで吹寄の側に近づいた上条だったが、慌てるあまり床のへこみに足を引っかけバランスを崩してしまった。
「や、やばやばやば! どいて、どい、どいてくれ!」
 そのまま勢い余って上条は吹寄にがしっと抱きついてしまった。

「…………」
 しばしの無言の後、青ざめた顔で上条は慌てて吹寄から離れた。
「あの、その吹寄さん、も、申し訳ありません、です……」
 しどろもどろになりながら上条は吹寄に謝罪を続け、そのまま土下座に移行しようとした。
 けれど吹寄の動きはそれよりも速かった。
 素早く上条の胸ぐらを掴むと、一気に頭突きを食らわせる。
「いい加減にしなさい、この変態スケベ!」

 久々に食らった、以前と変わらぬ吹寄のお小言と頭突き。
 吹寄の状態が以前のものに戻ったことを察した上条は、安堵のため息をつきながら床に倒れていくのだった。
 そんな上条と吹寄を見ながら、土御門と青髪ピアスは残念そうに頭を振る。
「オッズの変動、無しやね」
「だにゃー」

――心配してくれてありがとう、上条。三日かかっちゃったけど、あたしはもう、大丈夫だから。だから……。

「御坂さんと仲良くね」

 吹寄は、涙目になって床に寝転がったまま額をさする上条に、心の中で感謝の言葉を述べると共に、誰にも聞こえないほどの小さな声でそっとエールを送るのだった。 



 こうして、一人の少女の恋が、終わった。



おしまい


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